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東京駅の中央線

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 7月17日(火)17時45分38秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。
原口さん

10002の件、ご主張に水を差すようで恐縮ですが、運用の都合というより車両自身の問題であると考えています。さすがにオリジナルの写真は鮮明ですから、2位にカップラーを収容する箱(現代で言うところの開放栓受)が確認でき、1位に7芯カップラー1本を収容していた小箱の撤去痕が明らかです。すなわち10002の実態は奇数車と考えられます。

先に話題となったデハユニ由来の10156も奇数向きなので同様の問題を抱えていますが、デハユニを奇偶作り分けることはあり得ませんから、おそらく本来のデハユニは奇数設計で、この末裔たるモハ10形は車号の奇偶にかかわらず奇数向きとなったのでしょう。では10002の場合は? 鋼製化モハ50形の最初期車や中央線へ投入されたモハ51形のように、一定のロットが車号の奇偶にかかわらず同方向であったのか、需給関係の影響で事後に方転させられたのか、木製車に不勉強のせいもありますが、情報が決定的に不足していることもあり、そのあたりのカラクリが不明なのです。
 
 

7心ジャンパ栓と東京駅での中央線電車の方向について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 7月15日(日)19時58分30秒
返信・引用
  73おやぢさん、皆さんこんばんは

「7心ジャンパ栓」について
 モハ70形の「7心ジャンパ栓」について、情報をありがとうございます。併せて、関東の「7心×3」と関西の「12心×2」の「12心×2」への統一の時期は63形の大挙投入が機会で、昭和22~23年に行われたとのことで、これらの情報を合わせて、こちらでもまとめてみたいと思います。

 すぎたまさん紹介の写真で、東京駅の中央線の電車が偶数車が南を向いている理由ですが、「のの字運転時代の名残」の可能性が有ります。以前に別のところで中央線の車両の方向が話題になったことがあり、その時に作った図を添付します。「のの字運転」の時代は東京駅から山手線へ直通していたので、東京駅で中央線電車と山手線電車は同じ方向を向き、新宿駅では逆を向いていたはず(右の図)ですが、現在は新宿駅で中央線電車と山手線電車は同じ方向を向いているので、東京駅では中央線電車と山手線電車は逆を向いていることになります。このため、上野―東京間開通によって、「のの字運転」から中央線が切り離された後、どこかの段階で中央線電車の「方向転換」が行われたはずなのですが、「いつ行われたか」という記録が発表されていません。下限は、中央線に投入されたモハ51形(001~026)は「偶数向き」で「浅川(高尾)方」なので、現在と同じ方向になっています。先方で話題になった時は、総武線の「両国―御茶ノ水間開通と電車運転の開始が機会になったのではないか、との説が出ました。
 

ジャンパおよびモハ10形

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 7月15日(日)18時05分27秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんにちは。

原口さん

私の説明不足のためか、話がやや混乱しているようで、申し訳ありません。ここで要点を整理させていただきます。

●12芯統一は戦後すぐです
戦前の関東省電は7芯×3、関西省電は12芯×2でしたが、戦後すぐに統一されました。具体的には12芯×2の63形が大量投入されたのを機に、既存車もこれに統一しました。
このことに触れた記事はいくつかあるようですが、ひとつはジェーアールアール刊「東京の国電」の山手線の項に「昭和22年7月25日を期して12芯化を実施…」との記述があり、出典は忘れましたが、他の記事でもやはりこのころに蒲田区で12芯に統一との記載を見た記憶があります。
面白いのはないねん出版「終戦直後東京の電車」27ページにある昭和22年7月撮影のモハ63形で、車体の開放栓受が12芯×2なのに床下は7芯×3となっており、統一直前の暫定配線であることがわかります。

●70系の7芯とは
以上から、少なくとも昭和22~23年に関東関西とも12芯×2に統一(内部の線番号はともかく、見た目はの意)されています。したがって、それ以降の63形、70系、72系は必ず12芯×2を基本として新製されています。そのため、私の投稿にある7芯とは戦前の関東省電由来のものではありません。

ここで「80系・70系電車」の主張を整理しますと、70系初期車の新製時形態は、
クハ76形…12芯×2+7芯×1
大鉄モハ70形…12芯×2+7芯×1
東鉄モハ70形…12芯×2(71001の形態を根拠とした推定)
サロ46形…言及なし

となっています。したがって、私の発言にある「7芯の有無」とは東鉄と大鉄とを区別する基準となった第三のジャンパ(一般に放送用といわれている)のことです。煩雑で恐縮ですが、前回発言の7芯の文言の直前に、(第三のジャンパとしての)という修飾を入れるとすっきりします。つまり、私なりの捜索結果によれば(第三のジャンパとしての)7芯の存在をほぼ確認できたので、これの有無により東鉄と大鉄を区別することはできないのではないか、というのが話のキモなのです。モハ70形の妻出し写真はいいのがなかったので、同形態のサハ45形を貼ります。内側にある小さなジャンパが(第三のジャンパとしての)7芯です。

●12芯と15芯の混結
たしかに、80系にサロ(ハ)75形を組み込んだ写真がどこかにありましたね。こちらはごく一時的なものとすれば、お化けの可能性はあります。理屈では15芯の3本が余りますが、実際は接触子の1~2本は予備だったので、だいたいの線は接続可能のはずです。
回送や試運転なら、間違いなくお化け使用ですね。その場合、制御関係が収容されている内側のジャンパ(1)だけ接続の可能性もあります。暖房制御などは関係ありませんから。

すぎたまさん

貼っていただいた初期型モハ10形ですが、同じ写真が国鉄電車発達史Ⅱに掲載されているので、お知らせします。件の紳士も同じ位置に立っています。キャプションにモハ10002とあるので旧番号はデハ63100、トップナンバーですね。
撮影場所の記載はありませんが、東京駅に間違いありません。旧中央線の2番線から中線を挟んで3番線方向を見たもので、背後は京浜線の北行です。中央線電車は東京駅で見かけ上、逆向きになるので先頭は奇数車のはずですが、10002になっているカラクリはよくわかりません。

 

関東と関西のジャンパ栓レイアウトについて

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 7月14日(土)11時55分11秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは

戦前の関東省電の「7心×3」と関西省電の「12心×2」について
 戦前の関東、関西のジャンパ栓のレイアウトについて、以前に話題になったことがあり、その時に描いた図を参考資料として紹介したいと思います。
 元々は、2010年頃だったか、「昭和7年の城東線、西成線電化時の車両の方向」と「その後の淀川電車区所属車両の方向転換」が話題になった時に、73おやぢさんが参考資料として書いて下さった絵で、数年後にふたたび話題になった時に、私の方でAdobe Illustratorを使ってグラフィックに起こしたものです。この時に73おやぢさんが情報として見つけて下さったのが、「自動連結器時は低圧ジャンパ栓(7心×3,12心×2と表現されているもの)が左右に振り分けられていた(左)のが、密着連結器への交換に前後して、低圧ジャンパ栓を片方に揃えた(右)」ことで、このため、特に関西では、自動連結器時に高圧ジャンパ栓と低圧ジャンパ栓1本が並んでおり、一見して「低圧ジャンパ栓2本」と見分けがつかないことがあるので写真観察時は要注意である」ことでした。
 70系の投入が始まった昭和25年は、また右の関東、関西独自のレイアウトがまだ残っていた頃で、80系が「新規電車運転区間に導入する電車」で「他の電車と連結することを考慮する必要が無い」ため、ジャンパ栓のレイアウトを最適化することができたのに対して、70系は「既存の電車との連結(関東はモハ32系、関西は京阪神のモハ51系等)」から始まったため、「既存の電車と連結することを考慮する必要」があり、ジャンパ栓は関東、関西それぞれの電車に合わせられたためにジャンパ栓の違いを根拠とする番台区分が行われたと解釈できます。
 関西と関東の違いについては、「その後関西タイプの方へ統一が行われた」という記述は色々なところで見るのですが、「いつ工事が発令され、いつまでに完了したか」の記事は発表されているのを見たことがありません。状況証拠としては、「旧型国電50年」P176の「昭和29年以降は東鉄・大鉄が同一になった」との記載、73おやぢさんの写真で「1954年撮影の70046に7心が確認できる」との話から、昭和28年から30年頃が「過渡期」だったことが考えられます。モハ71001が「7心でない」ことですが、当時の三鷹電車区の他の国電は「関東」の車なので元々は「7心×3」だったはずなのですが、これらの車に連結するはずのモハ71001が「7心×3」でないということは、当時の三鷹電車区配属の車が「7心×3」でないことを間接的に示します。これは、ジャンパ栓変更の過渡期に1つの電車区内に「長期間7心×3と12心×2の車が共存する」ことは車両の連結を管理する(RP00-5号の下十条電車区の記事のように、検査車両を頻繁に差し替えていた環境)上では極めて厄介であるため、「ジャンパ栓の交換は電車区ごとに区切って短期間で実行する」方法を取っていたのではないかと考えました。これに基づくと、「昭和27年の三鷹電車区」は「ジャンパ栓の交換を既に実行するか、実行が予定されていた」ため、モハ71001は「12心×2」で落成した、「昭和29年の田町電車区」は「ジャンパ栓の交換がまだ実行されていなかった」という、「ジャンパ栓交換の過渡期」の情況が写真に反映されているのではないか、と考えられます。

 なお、RP18-7号増刊「80系・70系電車」では、モハ70047の押し込みベンチレーター交換が抜け落ちていることを指摘しましたが、P130のクハ76の「茶坊主」の記述にも脱落が有ります。ここには京阪神緩行線のクハ76が「昭和38年度までに姿を消した」と記述されているのですが、昭和42年度に一旦復活していることが記述されていません。クハ76032,305が転入しており、茶色に塗り替えられています。クハ76305の方は当時のRP誌に写真が紹介されており、クハ76032の方も元関西旧国利用者さんが「茶色に塗り替えられていた」との報告を寄せています。

 80系と70系の混結については、横須賀線のサロ85形の逆バージョンとして、「静岡運転所に配属されていたサロ75形」が話題になったことがあります。当時は「幌はどうしていたのか」が話題になったのですが、幌と同時にジャンパ栓も連結できるように何かしていたはずです。また、静岡運転所では大船電車区への回送列車として「クモハユニ64000+80系」や、「クモハユニ64000+80系+111系」といった編成が仕立てられており、少なくともブレーキと制御装置を駆動できるようにジャンパの対策が行われた可能性はありますが、徳に飯田線にいたことがあるクモハユニ64000については、「ジャンパの工事をした」ならば、必ず当時の趣味誌や、後年の飯田線旧型国電特集誌に記事が記載されるはずなので、「最低限の制御装置とブレーキの駆動」には「特別な改造は必要が無い」とも解釈できます。

 飯田線で流電に連結されていたサハ87001ですが、最近購入した鉄道模型趣味1984年8月号にクモハ54007―サハ87001―サハ75103―クモハ53004の製作記事がありました。当時はまだGREENMAXのクモハ52のキットは出ていなかったので、クモハ51キットが出ていて、それを流用したクモハ54007以外はプラ板からのスクラッチです。この中に「特定ナンバー車なので細部を再現したこと」、この中にサハ87001の幌が「他系列と編成を組むため、特殊な幌を持つ」との記述があり、80系の幅広の幌枠から一般の旧国の標準の幅の幌へ連結する「縮小型テーパー幌」が再現されていました。飯田線旧型国電について、「実物を見に行って調査する」ことができた時代の産物と言えます。
 

モハ10形の狭いドア車

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 7月13日(金)03時31分2秒
返信・引用
  みなさんこんばんは。

入手写真の中から、モハ10形木造車の「ドア幅狭いタイプ」車の画像を貼ります。
番号がわからないのですが、モハ10**2のようにも見えます。形式の記号が縦書きなのが目を引きます。
背景の架線柱の形状から、東京駅ではないかと思いますが、中央線の急行(現在の快速)らしく、正面も側面も「白い急行表示」が引き出してあるように見えます。
ドアは運転室側から、後ろ・前・前に向けて開くようで、これは後年の鋼製化改造でも、モハ50形のドア方向などに影響しているのかもしれませんね。
左側隅にちらりと写る男性、明らかに戦前、それも昭和初期と思われるのに、見た感じ今時のスーツ姿と特に変わりが見られないのが驚きの気もします。

この写真も、古書店筋から入手したものです。意外と埋もれている記録というのは、あるのでしょうね。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

Re: スカ線転用のサロ85形と7芯ジャンパ 補遺

 投稿者:スカセン  投稿日:2018年 7月 7日(土)21時09分18秒
返信・引用 編集済
  > No.2503[元記事へ]

73おやぢさんへのお返事です。

釈迦に説法で恐縮すが、70さんのサイトに「サロ85形横須賀形改造」の記載があります。
私は70系と80系はどちらも三本ジャンパのため、ジャンパ栓の繋ぎは同一だと思い込んでいました。
やっぱり旧形国電は奥が深いです。
 

スカ線転用のサロ85形と7芯ジャンパ 補遺

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 6月28日(木)16時38分6秒
返信・引用
  みなさん、ef813030さん、こんにちは。

湘南電車から横須賀線電車への転用であれば本庁の立案であり、たとえ箇条書き程度でも「横須賀線転用改造施工要領(←多分こんな感じ)」などという工事メモが存在するはずです。

ここからは想像ですが、当時は70系・80系で1冊の本ができるような時代ではなく、「30系から80系まで」にしても多くの情報を限られた誌面に押し込んでおり、「塗色を変えて横須賀線へ転用した車号は次のとおり」との重要な事実を伝えれば施工要領をいちいち書くまでもないとの判断があったのかもしれません。例の幌も「特製幌」として具体的な構造には言及されていませんが、詳しく知りたい読者は東京駅へ行けば自身の目で現物を確認できる時代でした。かく言う私も東京駅でスカ色のサロ85形を実見していますが、ジャンパや幌に何らの疑問も感じませんでした。どなたが言ったのか忘れましたが、「現在の脳みそとデジカメを持って、あの時代に行ってみたい」との妄想には、激しく同意します。

繰り言はともかく、モハ70形の7芯についてもう少し捜索したところ、以下の状況証拠が分かりました。

①交友社発行「100年の国鉄車両3」に70007(と読めそう)のメーカー写真があり、7芯が見える…ような気がします。
②所蔵生写真のうち、1953年撮影の70025と1954年撮影の70046で、明らかに7芯を確認できます。
③ピノチオ模型店発行「旧型国電の手引き 70系・80系」に1950年の国鉄図書「台ワク機器配置」が引用されており、モハ70形の図に7芯が描かれています。特段の注記はありません。掲載図はオリジナルではなく、模型製作の便を考えて左右逆にトレース(すなわち上方からの透視図でなく、線路側から見上げた図)しており、再生時にオリジナルの注記類が欠落している可能性が皆無とはいえません。しかしながら、仮にオリジナル図の7芯(KE50A)に「100代ニ限ル」とか「大鉄ノ場合」などの注記があれば、同書は模型製作のためのガイド書ですから、むしろ積極的に反映させているはずと考えるのが合理的です。
ちなみに同書のクハ76形は両渡りの全金車なので、こちらは参考にはなりません。

以上から、決定的な証拠こそないものの、東鉄のモハ70形が新製時から7芯を装備していた可能性は極めて濃厚と考えます。そもそも「76形だけが将来を考えて7芯装備」というシナリオには、納得できる理由が思い浮かびません。

などと考えていたら、71001の落成写真に、なぜ7芯がないのか? との新たな疑問に突き当たりました。
これに対しては、「山スカは一般車との混結だから、7芯は不要」との仮説が導き出せそうです。そこで71形のジャンパを確認しようとしたら、妻出し写真がほとんどないことに今回初めて気付きました。私の撮影分は全て編成のためジャンパ部は不詳で、三鷹区でバラ予備を見た記憶もありません。71001登場時のお相手だったクハ65形、その後の79形や72850にも7芯はないので、71形に限っては12芯×2が合理的ですが、実際はどうだったのでしょうか。山スカを模型化するモデラーには悩ましい問題かもしれません。
 

横須賀線用サロ85、ほか

 投稿者:ef813030  投稿日:2018年 6月24日(日)21時31分29秒
返信・引用
  こんにちは。73おやぢさんのコメントを読んで投稿しました。

1.横須賀線用のサロ85について
 昭和34年の153系と昭和37年の111系により、東海道線の
サロ85のうち、横須賀線へ11両が転用されました。
 その後は、モハ70系列の編成に留まっていたので、KE53ジャンパ
連結器の必要性はなかったと考えます。国鉄本社への報告書類の
都合かもしれません。
 他にも、下関へ転属したクハ164と、神領へ転属したサハ153が
あります。どちらも改番してもよさそうですが、時期によるのでしょうか。
(客車では、所属区所の判断で電気暖房を外したのもあり)

 なお、19芯のKE57ジャンパ連結器を使用開始した時期を、私は
知りません。もし、昭和26年3月から使用できていれば、モハ70と
モハ43の混在が容易になった、と思っています。

2.両栓構造のクハ86
 全金属製の300番台車は、全車、奇数設計の両栓構造車だ
そうです。クハ76も同様です。予備車削減の目的があったのかも
しれません。

 以上です。
 

デハユニ改造車でしたか

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 6月23日(土)14時47分56秒
返信・引用 編集済
  七久保さん、原口さんこんにちは。

レス遅くなりましてすみません。
なるほど、デハユニだった車輌を改造したものなのですね。木造車は鋼製車以上に謎が多いような感じですが、それも単に「時間が経過したので、経緯が不明」というだけの話でも無さそうですね。前に出たクハ17035についても、オーバーハングが大きいためか、車体の四隅が「切り上げられている」ようにも見え、そうするとつまり近江鉄道800系などと事情は同じなのか、とも思えます。
ともあれ、疑問がすっきりしました。ありがとうございます。

モハ10形の戦後残存車について、wikipediaなどの記載は、合っているのか不明な点も残りますね。910mmドアの車輌(当時910mmというのは、一部で標準だったんでしょうか。小田急創業時の車輌も、みな910mm台のドアになっています。しかも鋼製車で)の写真は入手出来る見込みなので、入手したら貼ろうかと思っています。これも撮影時期から見て、著作権消滅なので、その面での問題は無いと思えます。

写真の著作権は、やや特殊でして、1971年の法改正までは、「公表後または制作後13年で著作権消滅」であり、1958年頃までに撮影され、公表又は制作(公表されない場合)の写真は、原則著作権は消滅していることになるようです(たとえ撮影者が存命でも)。写真家は猛反発していたようですが、法律は不遡及が原則なので、そのままになっており、他の著作物との整合が取れない時期が存在するようです。
なお、現在は他の著作物同様、「撮影者の死後50年」になっているので、例えば私たちが比較的最近撮影した画像については、特に「存命中権利消滅」の問題はありません。ただ、「公表」と「制作」の違いについては、まだよくわからない点があり、いずれその種の団体に見解を求めようとは思っています。参考書だけでは、今ひとつはっきりしません。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

元デハユニのデハ63100形補足

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 6月22日(金)23時31分25秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、七久保さんこんばんは

木造モハ10156について「旧型国電車両台帳 院電編」よりさらに補足すると、「京浜線用デハユニ」は「デハユニ43850形」で43850~43856の7両がいました。この形式番号が示すように、「デハ63100形」の一群ではなく、その直前の2扉のデハ43200形の方のグループに入るもので、乗降扉よりも連結面側の窓配置にデハ43200形との共通性が見られます。その後、昭和2年になって全室客室化してデハ63100形に編入されるのですが、何故か新設客室部分の扉が前に寄せられ、異端な窓配置になっています。なお、「院電編」」の記述では改造時の新番号は横滑りではなく、43850~43856が63257,63255,63256,63161,63258,63259,63260になっています。ここからモハ10形へは番号は横滑りで、63255~63261が10155~10161になっています。モハ10156について、さらにその後を見ると、モハ50形への鋼体化改造から漏れ、クモニ13形にもならずに昭和27年10月10日付で廃車(飯田線か)になっています。先に話をした「院電由来の台枠のための改造不適格か?」と思って改めて「旧型国電車両台帳」の写真を見たのですが特に台車が内側に付いているというわけではないので、特殊な台枠というわけではなさそうです。同時期には富山港線でモハ10151も廃車になっています。

金沢文庫レポート
「鉄道ダイヤ情報」の今月発売号中、車両回送の情報で、「東急新7000系」の記載がありました。3本が新たに新製され、回送の予定とのことでしたが、この「3本の新7000系新製車」が工場内に待機しているのを目撃しました。
都営5500形も、確か6月30日より営業開始予定とのことです。以前、金沢文庫の京急の車庫の方で都営5500形を見たのですが、訓練用に回送されていたようです。
 

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