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連結面引き戸

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2020年 7月 7日(火)02時33分43秒
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  連投申し訳ありません。

この本にクモハ73150の昭和39年当時の貫通引き戸が写ってますが72920タイプのプレス無しの大型窓の引き戸になっていますね。

以前こちらで鷹取改造のクモハ73510もこの扉を使っていたと申しましたが

大船も鷹取も基本的には窓の小さい101系・103系タイプの物を使っているので

何かしら破損するような事案があり廃車になる920番台からの再利用ではないか?と勝手に推測していましたが

もしかしたらタネ車の貫通扉整備が920番台を製造している昭和32年頃になってしまい920番台と同じ扉を調達したため

その後の近代化改造時期になってもまだ廃棄するにはもったいないと再利用したのではないでしょうか。

1両だけなら他の車から拝借もありえるでしょうが複数存在となるとまた違った経緯があるのかと想像してしまいます。

乗降扉なら雨風にあたり老朽化も早いから早いペースで扉の取り換えはあるでしょうが

連結部分の貫通扉は簡単には痛まない環境なのであらゆる憶測をしてしまいます。
 
 

鶴見線

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2020年 7月 7日(火)02時09分16秒
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  皆さんこんばんは。

白い陽さん、弁天橋の経緯をありがとうございます。

弁天橋は南武線や青梅線、横浜線よりは当局から1段低く見られていたのでしょうか。

比較的少数配置であるが故に南武線などの他線区からの最後の受け皿的な位置に置かれてしまったのかもしれませんね。

しかし最後の2年程は津田沼、中原からの総取り換えに近い置き換えの結果まだまだ何年も使うと思っていましたが

あっさり101系化されてしまいもったいないと感じておりました。

せめて広島局へ打診して可部線で使えなかったのかと思うと残念でした。

結果的には可部線転用になれば富山港線みたいな陣容になってしまい趣味的に見れば良かったとも取れるかもしれません。(利用する身にとっては少しでも整備されている方が良いはずですけど(笑))

さて72・73系の本は今まで出された中では1番中身の濃いかなり掘り下げた内容だと思っておりますが

泣く子も黙る複雑怪奇な73系相手ではやはり100%完璧な物にはなかなか難しいのかなと思っている次第です。

中原時代にアコモA工事をした79369がB工事になっていたり

関西にいるのに大井でアコモA工事をやってる事になっている79445やアコモA工事の記載は外されましたけど大井での日付が入っている79368など

事実と異なる点がまだ修正されてないなどなど。

こだわるときりがないかもしれませんね。
 

弁天橋など

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年 7月 7日(火)00時29分26秒
返信・引用
  皆さん、こんばんは。

一気に話が加速しまして牛歩の私はなかなかタイムリーにいかないです。


73503さん

鶴見線、弁天橋電車区では73形化された直後より、平軸受け車の台車振替、側窓のアルミサッシ化、妻引戸未設置車への引戸取付、手ブレーキの丸ハンドル化…を上申していたそうです。
ただ、置き換えが始まりつつあった73形であっても、他区所でも同様の要望を持っている中にあってはなかなか車両のやり繰りがつかない、しかしもう先が見えてい?車両に投資もできない…そんな状況が伺えるように思っています。
1974年、DT12付き79138、79238の代わりにヒナから79356、79358。
翌年には妻引戸のない73245の代わりにツヌから73167、DT12付き79202の代わりに79392。
1976年暮れ以降は置き換えが進みつつあったツヌから転入が相次ぎますが、ここはATSのBS併設の影響が大きいのではないかと汲み取っています。
その後ナハから捻出された後期車と後期改造車にATSの追加設置(ツヌからの79932も)、前面に行先板入れ、ステップ増設などの投資を行って転用されましたが、その多くが鶴見線では2年未満の活躍しかしなかったことを考えると果たして費用対効果がどれほどのものだったのか…とは考えさせられます。


73おやぢさん

久里浜留置のヒナの転用予定車、75年頃のRF誌に記載があり、転用計画は別表の通り…と書かれているのに、いくら探しても別表が載ってませんでした。
数次に渡る置き換えで、最初の置き換えで状態の良い車両を捻出して転用しようとすれば水害に遭ってしまうし、最後まで状態の良い車両を出さずに残すと転用先もなくなってそのまま廃車とか、なかなか思い通りにいかない感じがします。

トヤの73361ですが、城川原派出所でいただいた資料によると、73357と共に廃車理由は「踏切事故」となっていました。


原口悟さん

ネコの本、通販で予約しており今日届きました。未発表の写真も多く、写真中心によくぞここまでまとめられた!と感心しております(某オークションで競った写真も掲載されていてビックリ!)。


しかしやはり何点か気になる記載があるのは、これだけのボリュームなので致し方ないところでしょうか。


本当に、今まで謎だらけだった部分がどんどん解明されていって、残す大きな未解明部分は旧63改造車の妻引戸設置状況と72000番代の配電盤大型化による妻窓閉鎖状況…といったところでしょうか。


ではまた
 

2ちゃんねるを何とかしてください

 投稿者:a  投稿日:2020年 7月 5日(日)04時33分16秒
返信・引用
  2ちゃんねるを何とかしてください
http://resistance333.web.fc2.com/top_index.html
「見なきゃいい」「気にするほうが悪い」などは言わずにお願いします

http://resistance333.web.fc2.com/newpage10.htm
自殺者も出てるんです本当にお願いします

http://resistance333.web.fc2.com/newpage1.htm
「あめぞう」ってサイトは2ちゃんねるに潰されたんです
あめぞうさんのためにも2ちゃんねるを何とかしてくれるようお願いします
 

72・73本

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2020年 7月 4日(土)23時28分6秒
返信・引用
  皆さんこんばんは。

原口さん、73おやぢさん、武蔵野線へのアコモ改造車導入が実現していれば

その後の103系の製造状況にもかなり影響したのでしょうね。

特に直接該当した中央線に冷房車が入らなかったなどかなり様子が異なっていた事と思われます。

さて、私も早速72・73の本を購入しましたが、以前出された物より充実した内容だと思っております。

しかしアコモA及びB工事関係がいまいち中途半端な状態で示されていてやはり50年近く経ってしまった事を完全に掘り返すのは限界があるのかな?

と感じてしまいました。

やはり現車が存在しないと難しいのでしょうかね。
 

72系・73系本

 投稿者:1380  投稿日:2020年 7月 4日(土)12時57分39秒
返信・引用
  皆様、こんにちは。

私は、昨日の「73」の日に早速購入しました。
72系・73系に関するボリューム感満載な書籍は、40年前の昭和55年に刊行された「レイル」(故・沢柳健一氏らが執筆されていた)以来だと思います。
そして、巻末の図表を拝見したところ、空欄(不明)がちらほら見受けられました。
ごく一部の保存車両を除き、現車がほぼ全滅した現在においても、いまだにその全容が解明されていない、まさに文字通り謎だらけの電車。
それが72系・73系であるということを、改めて実感した次第です。

私自身も、平成初頭に「鉄道ファン」のREPORT欄に、旧国鉄101系の秩父鉄道1000系や、101系・111系由来のMT46形モータが流用されていたローカル私鉄車両のことについてまとめてみたことがあったのですが、72系・73系の祖先である63系については、秩父鉄道800形として譲渡されていた旧小田急1800形について言及したところでお手上げ。まさに、「グリコのグリコ」(≠江崎グリコ謹製のキャラメル菓子)状態となってしまいました。

取り急ぎ、以上です。
 

さて、書店へ行きますか

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2020年 7月 4日(土)11時35分12秒
返信・引用 編集済
  皆さん、こんにちは。

原口さん
NEKOから出ましたか。書店で現物を拝みたいと思います。

さて、お話のあった2両の73形は、どちらも一風変わった経過をたどっています。
73189…東鉄から原形で大鉄入り、1968年時点で運転席のみHゴム、1970年時点では中央もHゴムになっています。結果的に73064と同じ顔になりましたが、さみだれ施工と時期から両者に関連はなさそうです。
73361…1973年11月時点で行先札入れはありません。施工第一号かもしれませんが、撤去早々に廃車とは。

クモハ73503さん
62系や72970~などのグループは検査周期が旧性能車と変わらず、投資効果が少ないと判断されて、なんとなく沙汰止みになりました。経営的観点でいえば、首都圏の新性能化で大量に発生する72系を62系として地方線区へ投入するのは、大いなるメリットがあります。すなわち、

余剰車を無理なく(身延・飯田線などへ4扉車を入れるわけにはいかない)処理できる。
戦前製の雑多な車両を淘汰できる。
旅客営業上は大歓迎である。

まさに一石三鳥で、大いに期待したと思いますが、コスト面の足かせは大きすぎたようです。

久里浜の冠水事故も、この種の改造に影響を与えていると思います。1974年2月時点の運転局資料によると、施行済み案件として車体載替12両、既計画(今後の施行だが決定済みの意)として車体載替36両が計上されています。具体的な車号や投入先はありませんが、落成時期から考えると前者の12両は62系のようです。いずれにせよ第二陣として生まれるはずの36両は実績20両となり、16両が消えています。
横浜線新性能化の捻出車(久里浜の冠水車)は既計画の次の段階(今後の計画)で発生する車両なので、冠水事故の影響が既計画にさかのぼって修正する事態となったのは間違いありません。と同時に、載せ替え対象から外された16両は、ある種の命拾いをしたのかもしれません。
 

富山港線73系半鋼製車の箱サボ撤去の時期など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 7月 4日(土)02時08分50秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

先日「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」を報告しましたが、富山港線の73系半鋼製車の情報をアップデートしたところ、半鋼製車末期の、「箱サボ撤去の時期」を狭い範囲で絞りこめたと思うので紹介したいと思います。
 箱サボの有無が確認できたのは

73305:1973.11.24-有 1975.7-無
73357:1972.2.20-有 1974.9.24-無
73361:1972.11.5-有 1974.5廃車
73363:1973.春-有 1974.8.20-無
79220:1973.11.25-有 1974.9.24-無
79240:有のまま廃車
79244:1973.9.1-有 1974.10.10-無

で、73305, 363, 79220, 244の4両が、1973年には箱サボ枠が存在し、1974年には無くなっているという共通性が見つかりました。このため、昭和50年まで箱サボ枠を残したまま廃車になった79240以外の車は、1973年冬から1974年前半までの短い間に箱サボ枠が撤去されたのではないかと考えられます。全検か要検の時に撤去されたとすると、1974年5月23日に廃車になった73361は、箱サボ枠撤去が間に合わなかったと考えられます。
また、1972年時点で助士席窓枠が木枠(富山港線形前面の73305と73363、東鉄形前面の73357)は、箱サボ撤去と同じ頃にHゴム窓に改造されたと思われます。
このことから、早期廃車になった73007, 299, 347, 355の4両は、箱サボ枠を残したまま廃車になったと考えて良いと思います。

元サモハ63形の「輪軸」について
 実は、少し前に元サモハ63形の「輪軸」について質問をしようと思っていた事柄があります。それは、「昭和20年代後半の工事で制式にクハ79、サハ78形になった時に、輪軸の大歯車は撤去されたのか」です。モーターが装架されないことが確定したので、大歯車は必要なくなったわけですが、資源の有効利用のため、大歯車を当時新製中のモハ72500台辺りに転用したのではないか、と考えたことと、その一方で、旧形国電の輪軸は、電動車が短軸で付随車が長軸と明瞭に分かれており、短軸では大歯車付が必須だったことから、「大歯車を付けた短軸」が部品として存在しなかったとも考えられ、「大歯車の撤去」について伺おうと思っていたところでした。
 この問題に対して、今回、「写真とイラストで見る国鉄72・73系電車」で解答となる写真が掲載されました。P32「DETAIL FILE 4 下廻り」にクハ79134の床下の写真が掲載され、「大歯車の付いた輪軸」がはっきり確認できます。このため、「大歯車は撤去されなかった」が解答となります。


武蔵野線の73系アコモ改造車投入構想など
クモハ73503さん
 先日「RP74-2号」に掲載されていると紹介した62系アコモ改造車の記事ですが、RPアーカイブス37「63・73形電車の時代1950~70」P136~138に収録されています。この後には仙石線アコモ改造車の記事が収録されています(P139~143)。なお、仙石線では昭和40年代はクモハ54形を主とした3扉セミクロスシート車の快速運用があり、RP74-3号の記事の時の仙石線の投入構想は、快速用3扉セミクロスシート車の置き換えが構想されていた可能性が有るのですが、後に103系による新性能化が行われた時、セミクロスシート車の投入の構想があったものの、仙鉄局より、ラッシュ時の混雑が激しいために4扉ロングシート車の投入が要望されたため、103系投入になった、ということです(確か1980年頃の趣味誌の通勤電車特集に記述がありました)。
 武蔵野線への73系アコモ改造車投入構想ですが、私の方でも情報を見ています。1970年台のRP誌は、国鉄の新線建設の情況が年報のような形で紹介されていましたが、その中の武蔵野線関連の記事で、旅客営業に73系アコモ改造車投入が触れられていました。確か1972年か73年の武蔵野線建設の記事だったと思います。
 武蔵野線に関する余談ですが、建設中の予定駅名と実際の開業時の駅名が異なっている駅があり、確か「新小平」は、予定駅名が「新村山」、「新松戸」は「北馬橋」でした。

 先日お話しいただいた「クハ79392の室内の写真」が「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」P31に掲載されています。

 カーテンですが、阪和社形に興味深い変遷があります。モタ300形、モヨ100形の系列は、巻き上げカーテンでしたが、モタ3000形の系列は「木枠にカーテン布地を張ったもの」が日よけとして使われていました。これは阪和社型の最期まで変化が無く、HP「記憶の中の鉄道」内「阪和線 社型「クハ25、クモハ20」(2)」に、1968年初めに行われた阪和社型さよなら運転の頃に撮影された、元モタ3000系列のクハ25110車内の「木枠にカーテン布地を張った日よけ」の写真が掲載されています。
 

NEKO Puiblishing「国鉄72・73系電車」発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 7月 3日(金)00時06分6秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

NEKO Publishingより「国鉄72・73系電車」が発売されました。編者の宮下さんは、NEKOより「写真で綴る飯田線の旧形国電」や、RM Archivesの旧形国電等のシリーズをまとめている方で、今回の73形を特集するに当たって、芝生さんや田中さん、元関西旧国利用さん他、私も何度かお会いしたことの有る方を含む多くの方々より資料を結集し、73形電車の「個体差」及びその由来が記載された、「73形特集の決定版」ではないかと思います。
 今回の本は、「模型製作の資料集」を目指したとのことで、細部変化に注目した資料収集と記載が重視されている他、履歴簿も注目で、コロタン文庫「ブルートレイン全百科」の寝台特急用客車の所属記載で初めて採用された、「年度初めごとのすべての車の配属区を一列に並べた」記載方式が1957年から80年ままとめられています。「1980年まで」なのは、73形最後の転属は、1980年4,5月のクモハ73043、クハ79939で、これ以外の1957年以降の全ての移籍が確認できることになります。

 前面の変化が写真とグラフィックの両方で記述されているのも注目点で、先日話題にさせていただいたクモハ73064も記述(写真:P61, 沼津機関区で1979.5.5撮影)されています。次のページに全く同じ形態のHゴム窓改造車のクモハ73189が掲載(淀川電車区で1973.4.4撮影)されており、両車は近い時期に前面工事を受けたのかもしれません。
 富山港線関係では、「富山港線形前面」のクモハ73305の写真がP62に(1970.7.13撮影)、富山港線形前面から全Hゴム窓に改造されたクモハ73363の写真が次頁に掲載されています(1974.8.20撮影)。クモハ73305は、避雷器が箱型のLA12であることが確認でき、HP「懐かしのAll Color The電車」掲載のクモハ73305に同定した車両と同じであることから、こちらの写真も確かに同じ頃だと確認できました。また、クハ79形では、クハ79220の写真がP112に2枚掲載されており、1973.11.25撮影の写真では前面に箱サボ枠があります。これにより、同車が箱サボを残していた時期の限界が後ろに下げられ、撤去が行われたのは、1973年11月25日から1974年9月24日(以前のこの場の「特発予備」で掲載された1974年9月24日の富山港線訪問記より)の間の10か月に絞られました。
 富山港線のカラー写真は、P13に1974年8月20日撮影の写真が掲載されており、クモハ73363と、まだ茶色のクモハ73117が並んでいます。

 コラムでは、「窓回りの寸法の違い」(P129)で、窓と、シル、ヘッダーのレイアウトが記述されています。単純化すると、戦中製の車、戦後の63形、モハ72500台以降の違いで、戦中型に関しては、私も、クハ79形が少し違うことを、RJ84-8号の可部線73形の小特集で知ってはいたのですが、モハ63形、サハ78形も同一寸法で、戦後に量産されたモハ63、サハ78形とは異なることが記述されています。
 また、昭和31年型の鋼製雨樋についての記述(P139)では、前照灯埋め込みと同時期の屋根の曲率変更と鋼製雨樋化について記述されており、かなり昔にこの場で話題になった、「鋼製雨樋化がメーカーによって時期が異なったこと」が記述されています。また、曲率も一様ではなく、日車(支店)製は他のメーカーとは微妙に異なることが記述されています。同ページではベンチレーターについても記述されており、この場で「第3のベンチレーター」と呼ばれた、旧形ベンチレーターに傘を付けたものについての記述があります。これまで模型誌では何度か紹介されていますが、車両特集としては初めての記述ではないかと思われます。
 クハ79形では、RP17-11号で、クハ79332,334の前面の助士席窓の「木枠の下降窓」が「汽車東京支店で製造されたことによる特徴」(P47)が、同誌のP26に新製間もないころのクハ79334の写真が掲載されており、この窓は「Hゴム支持であることが確認できることから、否定できることがこの場で紹介されましたが、今回発売の本では、P115に写真があり、「何らかの理由で交換された」と、新製からの特徴という記述ではなくなりました。

 P162,163には編成例があり、変わったものとして、先日クモハ73064関係で話題にさせていただいた、1974年10月の北総電化に当たっての、関西から関東への転属回送列車の編成記録が紹介されています。白い陽さんより教えて頂いた、クモハ73064が転属した、1974年4月2日の編成が記載されており、クモハ73064が入っています。この編成は

クモハ73063 - クハ79393 - クハ79397 - クハ79407 - クモハ73064 - クモハ73116 - モハ72564 - サハ78016 - モハ72566 - モハ72530 - クハ79424

という、営業運転では見られなかった「11連」で運転されたことと、同じ方向の先頭車数段重ねが注目されます。
 

72系について

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2020年 7月 1日(水)22時46分40秒
返信・引用
  皆さんこんばんは。

40年以上昔の72系についての詳細な経緯をありがとうございます。

房総ローカルの62系投入の計画があったのはかつては全く知りませんでした。

確かに房総地区も新性能電車を投入するより旧型国電の足回りを利用し車体のみ新製する考え方が仙石線や身延線と並んで適当であったと考えられる運用の地域のようにも感じられました。

ほぼ平行して武蔵野線開業用に72970番台を使用するという話も小耳にはさんだ事があるのですが

結果的には101系を1000番台に改造して使用されましたが。

ちょうど都心部の冷房推進化を実施する時期に重なってしまった為に中央線や横須賀線等から101系や113系の初期製造車を房総ローカルや武蔵野線へ回そうとなってしまったのでしょうね。

後はそれらの線区に投入するアコモ改造車の種車が物理的に足りないという問題と改造するにはあまりにも手間と金銭がかかり過ぎという点もあったのではないでしょうか。

久里浜駅構内の冠水による廃車も転用計画が大幅に狂ってしまったのも痛かったでしょうね。

昭和50年頃に品川駅構内に留置されていた72系も横浜線の捻出車だったと思いますが

この品川駅にいた車両はどこかへ無事に転属できたのでしょうか。

確か全金属車やアコモA工事車が中心で3段窓車はあまりいなかったような記憶があります。
 

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