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北海道レポート(その6)北海道記念館と、北海道開拓の村

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月15日(土)12時04分35秒
返信・引用
  11日(月)は札幌市の東の野幌森林公園内にある「北海道記念館」と「北海道開拓の村」に行ってきました。

 元々は夕張支線を訪れようかと思っていたのですが、地震から復旧せず、代替として北海道開拓の村を訪問しました。
 北海道記念館と、北海道開拓の村は台風21号による風害の方が深刻で、倒木の撤去と立ち入り区域設定のために営業開始は9月9日になりました。
 写真上は「北海道100年記念塔」なのですが、老朽のため、解体が最近話題になっています。
 写真中央は北海道開拓の村の管理棟を兼ねる、旧札幌駅舎(復元)です。
 写真下はWikipediaで「馬車鉄道」を閲覧すると出てくる、開拓の村内を運行する「馬車鉄道」です。開拓の村内も倒木が多く、Wikiの写真で紹介されている馬車鉄道線路の両側の並木が何本か倒れています。

 以上のように、札幌近郊の鉄道関係その他の博物館はだいぶ営業を再開しているのですが、訪問者はかなり少なく、8日(土)に幾春別の三笠市立博物館訪問のために幾春別バス停を下りた人、および幾春別バス停から乗車して岩見沢まで走破した人は私一人でした。

 帰りは、11日夜千歳発の飛行機を、当初の予定から変更せずに使ったのですが、やはりキャンセルが多く、機内はかなり空いていました。

 今回、各鉄道博物館で、床下機器、台枠を中心として、展示車両の観察を行ったので、後程紹介したいと思います。
 
 

北海道レポート(その5)室蘭駅旧駅舎

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月15日(土)11時51分34秒
返信・引用
  10日(月)は室蘭へ足を伸ばしました。

 当初の予定では、札沼線の新十津川駅と、留萌本線を訪れるつもりだったのですが、10日までに営業が復旧せず、代替として室蘭を訪問することにしました。
 札幌から函館までの室蘭本線経由のルートは一応復旧はしていたのですが、地震の震源に近い南千歳―沼ノ端間は45km/h制限をしており(写真上)、このため、札幌―と舞子枚間を走る列車は15分ほど所要時間が伸びます。特急も影響が出ており、札幌―函館間の特急「北斗」は折り返し時間が足らなくなるため、日が遅くなるとともに遅れが増加する傾向が有るので、しばらくの間は利用に注意です。
 写真中央は現在の室蘭駅で、写真下は旧室蘭駅舎です。室蘭も、小樽と並んで石炭積み出し基地で、上記の手宮の小樽市総合博物館でも紹介されていた、石炭を船に積み込む「空中桟橋」が室蘭にもありました。室蘭からの石炭積み出しは、かなり前に縮小されて、大部分が苫小牧に移っていたようで、蒸気機関車さよなら運転が行われた昭和50年時点では、苫小牧―室蘭間を運転する石炭列車はほとんど無くなっていたようです。
 

北海道レポート(その4)小樽市総合博物館

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月15日(土)11時32分31秒
返信・引用
  9日(日)は小樽市総合博物館へ行ってきました。

 こちらは、「小樽交通記念館」の名が馴染みかもしれません。2007年に小樽市内の複数の博物館の機能が統合され、法人としては「小樽市総合博物館」になりました。営業開始は三笠鉄道記念館より少し遅れ、7日は停電で休止しており、8日朝の時点で営業開始の情報が得られなかったため、三笠の方へ行ったものです。
 写真上は交通記念館展示車両の全景で、奥に最近の搬入車両でもある、「マニ30」が見えます。
 写真中央は、動態保存の蒸気機関車「アイアンホース号」で、今年になって故障を起こしており、最近になって復旧したものです。
 写真下は「手宮線」跡です。9月8、9日を通して、幌内鉄道の両側を抑えたことになります。
 なお、8日(土)は苗穂工場で一般公開イベントが予定されており、当初はこのイベントを訪問する予定だったのですが、地震のため、中止になっています。
 

北海道レポート(その3)三笠鉄道記念館

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月15日(土)11時17分1秒
返信・引用
  北海道で最初に開業した「幌内鉄道」の両端に相当する、小樽と幌内には、それぞれ「小樽市総合博物館」と「三笠鉄道記念館」があり、これらの博物館などを訪問する目的で、北海道への滞在期間を当初から11日夜までと長く設定しており、地震が起きても変更せずにそのまま滞在を続けました。

 JR北海道の列車の運行はまず7日(金)午後に札幌―新千歳空港間から復旧し、8日(土)に小樽―岩見沢間が運行を再開しました。三笠鉄道村と小樽市総合博物館の両方の情報を調べたところ、三笠鉄道村は、「日常を取り戻す」ことをコンセプトに、7日より営業を再開したことが確認できたので、8日は三笠鉄道村を訪問しました。ただ、札幌―岩見沢間は始発からの運行ではなく、初列車は10:07発だったので、初列車に乗車し、岩見沢から北海道中央バスで三笠市へ向かいました。
 写真上は三笠鉄道記念館(幌内ゾーン)で、幌内駅跡である三笠鉄道記念館へは、途中で三笠市営バスに乗り継ぎます。幌内線は、三笠駅から、幾春別への本線と幌内への支線が分かれていたのですが、幌内への支線は昭和40年代後半に旅客営業をやめて貨物専業になっており、これも影響しているのか、幌内線転換当初から比べると、幌内へのバス路線は営業の分離とともに原文されています。
 写真中央は、幌内と幾春別への線の分岐点だった三笠駅跡のクロフォード公園です。実は、三笠市の地理に関する知識がほぼゼロで訪問したので、「山に分け入っていく路線」というイメージがあったのですが、ここまでバスで走ってきた沿線風景は、そんなことは全然なく、クロフォード公園の有る、三笠市中心部までは平地のなかでした。個賠がきつくなるのは幌内、幾春別川共に三笠より奥です。
 写真下は、幾春別側の終点、幾春別バス停にある「幾春別駅跡」記念碑です。こちらには、駅跡の少し奥の石炭積み込み線跡にある「三笠市立博物館」があります。こちらは地質関係の展示が主で、特に「アンモナイト」を中心とする中生代の北海道産の化石の展示が充実しているのですが、「石炭」関係の展示もあり、この関係で坑内トロッコの展示もあります。
 

北海道レポート(その2)北海道胆振東部地震

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月15日(土)10時29分34秒
返信・引用
  9月6日午前3時過ぎに「北海道胆振東部地震」が発生しました。

 私が滞在していた、札幌市中央のホテルでもかなりの強振動を感じましたが、周知のように北海道全域が停電し、かなりの影響を受けました。
 写真上は6日朝の札幌大通ですが、全ての信号が消えています。当日朝は、札幌駅南口前の信号が点灯していた以外は、全て消灯しており、その中を車が掻き分けて走っていました。
 写真中央は6日の札幌駅内で、ニュース映像でも紹介されていますが、列車が全く運行していないこと、営業再開のめどがまだ立っていないことなどの表示が出ています。
 写真下は、9月10日に訪問した、苫小牧駅の南北連絡通路で、天井から蛍光灯が落ちています。天板の落下は千歳空港の様子がニュースでも流れており、11日夜に千歳空港から帰途に就いた際も目撃していますが、苫小牧も地震の震源からの距離は新千歳空港と同程度で、同等の振動が起こったことが伺えます。
 札幌市内の電気状況は、6日中は復旧せず、ニュースでも報道された、各地に設定された避難所が入っているセクションに最低限通電したと考えられ、このため、ホテルは停電したままだったので、6日夜は避難所へ行きました。このため、この日の報道にあった「~人が避難」で、「~戸」の方には入っていないのですが、「~人」の方には私が頭数に入っていたことになります。また、停電のため、流通が全く停止したので、災害報道でよく出てくる「棚が空っぽになったコンビニ」を実見しました。
 

北海道レポート(その1)台風21号の強風

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月15日(土)10時09分44秒
返信・引用
  皆さんおはようございます

先週から今週前半にかけて北海道へ用務で出張していました。周知のようにこの間、「台風21号の襲来による強風」と、「北海道胆振東部地震」が起こり、私の行動範囲にもかなりの影響をもたらしました。今回、札幌近郊の鉄道関係を含む、博物館をいくつか訪問しましたので、まず、台風、地震の影響と、各博物館の営業再開の報告をしたいと思います。

 台風21号の本土への襲来は、9月4日昼に四国から関西を通過、寄るに北陸、東北、北海道の日本海沿岸を北上し、5日午前に間宮海峡へ抜けましたが、私は9月4日午後に北海道に渡りました。北海道への訪問は、2011年10月の旭川への出張以来で、この時は「北斗星」を使ったのですが、この方法はもう使えないので、飛行機を使い、私としては飛行機を使った本土内の移動は1994年以来になりました。飛行機は午後3時半羽田出発で、台風の動きから、出発が微妙だったのですが、無事出発し、台風より先に札幌に付きました。
 札幌では、台風の風が強かったのは9月4日深夜から5日早朝だったのですが、北海道全域でかなりの倒木が発生し、札幌市内でも、市街地の中心でも倒木が発生しました。写真上は今回の用務先でもあった、北海道大学の北部、北18条の札幌農学校第2農場近くの倒木です。直径1m近いかなりの巨木が倒れました。北大内では、2004年の台風で「ポプラ並木」が多く倒れるなど、以前の台風でも倒木の被害が多く発生しており、今回もかなりのところで倒木による立ち入り禁止が設定されていました。
 写真中央は、札幌駅でのJR北海道内運休の表示で、倒木の他、「倉庫が吹き飛んだ」という例も発生しています。関西では駐車場の車が吹き飛ばされた例が発生していますが、結局強風から復旧しないまま、地震による運休へと続きました。
 写真下は、9月7日の江別駅北側の防風林なのですが、野幌から江別にかけての防風林にもかなりの被害が発生しています。写真でも倒木が見られますが、鉄道に面するところで数本まとめて倒れる例を多く見かけました。いずれも線路の北側の防風林が外側へ向けて倒れており、台風が西側を進んだことに依る、南東から西の強風で倒されたことがわかりました。今回訪問した、他のところの倒木も全てに北西から西へ向けて倒れていました。
 

参考程度に

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 9月10日(月)19時30分46秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。
34036さん

例の床下機器配置、残すはモハ60形だけなので、週末に捜索してみましたが、このグループは偶数番号でも奇数向きがけっこうあって実数が少なく、電気側は発見できませんでした。

それはさておき、あかぎ出版「旧型国電構造図集」をご存知ですか。すでにお持ちでしたら、以下は全く無意味な文章ですから無視してください。
当該書には、台枠機器配置図がある程度掲載されています。もっとも、正直申せば、

図の諸元(タイトルや図の登録年月日)がない。
図の機器に相印(アイウ…など)が入っているにもかかわらず、機器名称の対照表がない。

という、まことに困った編集内容で、読者が「これは遮断器が記入されているようだから、更新後だな」「ここに釣合溜があるから、偶数車だな」などと、頭の中を整理しながら見ていく必要があります。図は新製時のものが多く、更新後は少ないです。
で、その中に更新後のモハ60形偶数車(とされる)の機器配置図があります。細部を別にすれば、モハ60改54形とも似ています(当然…か)。この図のタイトルや登録年月日の記載があれば、本社指示が出た可能性を含めて、なにかの手がかりになったかもしれないなあという恨みは残ります。

ちなみにこの版元は廃業してしまったので、当該書は流通していません。また上記のような不完全さがありますので、(古書市場などで)積極的に入手をお勧めするものではありませんが、どこかでご覧になれる機会がありましたら、私とは違う目で見ていただけると、なにか発見できるかもしれません。
以上、お知らせでした。
 

返)54002

 投稿者:34036  投稿日:2018年 9月 3日(月)23時11分51秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

73おやぢさん 情報提供ありがとうございました。


動かない証拠により
54002 電気側の原形が奇数車と鏡対称であって、更新の際に抵抗器群を後方へ移設したことが明らかに。
そして 54006 も同様らしいこと。

少なくとも、54形の電気側の原形は鏡対称と考えてよさそう。

(ただ、ピノチオ模型の説明は、なぜ「例クモハ54006」なのでしょう?
54形偶数車全車について確認がとれていればこのような表現にはならないのでは?
でも、54002と54006がそうなら、「54形電車は鏡対称」の推定は間違いないでしょうね)

そうであるなら、
西成線向け60形偶数車の電気側の原形も鏡対称であって、更新時に抵抗器群を後方へ移設した、
と考える方が自然な気がしてきます。

こうした電気機器のレイアウト変更にどのようなメリットがあるのかがよくわからないのですが、
吹田工場でも、ある時期以降、部分的にはこうした電気機器のレイアウト変更を行うことにしたのでは、
という仮説が成りたつように思います。

関西型51形、54形の更新年月を調べてみたところ、
51形の更新が 28年7月~30年3月 で、奇数車・偶数車ともに更新工事が 28年度~30年度 であるのに対し、
54形、54形100代は 30年度(30年6月~31年3月)であることがわかりました。(但し、54001だけは例外的に早く昭和29年8月)

念のため、51形偶数車で、特に更新工事の一番遅い車両を対象に、抵抗器を後位に移設したものがないか再確認してみました。
 51038 30.3.16
 51040 30.2.19

51040は宇部線へ転属後方転しましたが、床下機器配置はそのままで抵抗器は前より設置が確認できます。つまり移設していません。
51038は51形の中では最後まで緩行線に残ったうちの1両ですが、残念ながら電気側を確認できる写真を見つけることができていません。
が、おそらくは前より設置のままなのでしょう。

なので、勿論、先ずは60形(⇒54形100代偶数車)の更新前の山側の写真を見つけることが先決ですが

54形・60形偶数向き車の電気機器配置は、もともとは奇数車と鏡対称であったが、
更新工事の際、30年度から電気機器の移設を行うことにし、抵抗器群は後位へ移設された、

という可能性が考えられるように思います。


ただし、吹田工場における30年度以降の更新工事は、54形以外は旧40形・41形改51形、限られた数の関東型51形、31形の更新Ⅱ、
それに阪和型などですが、

40形改モハ51は偶数向きで、海側電気機器ですが左右を入れ替えることはしていません。
関東型モハ51形の中には32年度になって更新Ⅱを受けたものが数両いますが、これも海側電気のまま。

こうしたことから、吹田工場の床下機器のレイアウト変更は、54形偶数向き車全車が対象であったとしても
もともと海側に電気機器をもっていた車までに及ぶような大々的なものではなかったわけです。

また、31形は下記3両が該当。このうち偶数車である31002の抵抗器はやはり前位にあり、後位へは移設されていません。
 31001 33.3.13
 31002 32.8.1
 31013 32.11.22
 

八高・川越線の車両の交替(その2)在来の車輌たち

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月 3日(月)00時00分35秒
返信・引用 編集済
  在来の車両のうち、205系3000番台はすべて運用を外れています。先日の東京総合車両センターの一般公開での体験乗車車両が205系3000番台だったのですが、これが最後の乗車の機会になったと思われます。

 残るは209系3000番台と3100番台なのですが、拝島から川越まで乗車したのは3100番台のハエ71編成(中間車が新製車の編成)でした(写真上)。中間車が車内が純粋な209系なのに対して、先頭車がりんかい線仕様であることや、銘板の違いを確認しました。
 209系3000番台は、拝島でのすれ違いがハエ63編成(写真中央)、川越線の的場でのすれ違いがハエ64編成(写真下)でした。209系は6本ですが、これらの中から運用を離脱した編成が1本か2本いるはずです。
 

八高・川越線の車両の交替(その1)新たに来た車両たち

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月 2日(日)23時46分4秒
返信・引用
  青梅鉄道公園からの帰りは、八高・川越線の車両の動向の確認を兼ねて、拝島から八高・川越線を使いました。

 前回八高・川越線を使ったのは、昨年6月の西武鉄道武蔵丘工場訪問の時だったのですが、この時から比べると車両が激変していました。まず、新参の車両として209系3500番台、E231系3000番台を紹介します。
 写真上は拝島駅5番線の外側の留置線にいた新ハエ54編成(クハ209-3504 - モハ209-3504 - モハ208-3504 - クハ208-3504)です。今回見た編成では一番のハイナンバーなので、運用に入る前に一旦疎開したものかもしれません。中間のモハ208には「506」の旧番が確認できました。右のホームに見える柵は、新タイプのホームドアで、列車が停車すると上昇します。4扉対応で1つの扉に1つの柵がレイアウトされているのですが、かなり幅広です。
 写真中央は高麗川駅で交換した新ハエ53編成(左)と留置線の新ハエ51編成(右)です。
 写真下は、金子駅で交換したE231系3000番台のハエ42編成です。E231系3000番台は今回は相性が悪く、他には、川越電車区で1本見ただけでした。
 

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