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お礼

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年 7月 9日(木)22時06分19秒
返信・引用
  皆さん、こんばんは。

34036さん、73おやぢさん

おっと、もしや…と思って資料を当たった方が良いかな、と考えていましたが、やはり思い込みによる見当違いをしていたようです。
ありがとうございます。
 
 

直近の話題に

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2020年 7月 9日(木)18時21分30秒
返信・引用 編集済
  皆さん、こんばんは。

クモハ73503さん
72663と72665の日よけは、ご指摘のとおりカーテンです。車内はよくわかりませんが、戸袋の内窓は東鉄の二段化と違って桟がなく、なんとなく明朗な感じがしました。

白い陽さん
配電盤の関係で窓を幕板部へ収容できないのかも…との仮説は、じつは私も過去に抱いたことがありましたが、自己解決しています。
まず編さん会「モハ63形(下)」に72形の妻部の図があり、左右二対の配電盤の下面はどちらもカーテンキセの上面と接しています。作業者を考えれば当然で、極力下に設置しているわけです。次に幕板部の内側の状況ですが、72形と同じはずの70形初期車で確認すると、配電盤が奥まであった場合、引戸の上部と干渉することになります。しかも吊り戸なので鴨居より上にレールがあるはずで、これらから配電盤は外付け(幕板部の内側に食い込んでない)と考えられます。
上中段合体の窓枠は当然非可動ですが、すぐ横に貫通路があり、しかも扉なしの常時吹き抜けなので隣りへの避難は容易ですから、わざわざ妻窓から脱出する旅客はあるまい、との判断でしょうね。

34036さん
貴重な画像、ありがたく拝見しました。通風器存置、上中段合体窓枠に加え、主抵抗器や主制御器などが逆順の機器配置など、三拍子そろった珍品で、東鉄では絶滅種でした。
 

ご参考(再)

 投稿者:34036  投稿日:2020年 7月 9日(木)17時31分53秒
返信・引用
  画像のサイズが大きすぎたようで、もう一度トライしてみます。
失礼いたしました。
 

ご参考

 投稿者:34036  投稿日:2020年 7月 9日(木)17時05分1秒
返信・引用
  皆さん、こんにちは

大変ご無沙汰しております。


>白い陽さん、原口悟さん

72036
通風器を①位側から撮影したものがありますのでご参考までに。
撮影は昭和50年3月 鳳区です。
窓はこちらも上中段1枚もので、側扉の戸袋窓と同じタイプです。

配電盤は関係なさそうです。
 

気になる箇所は同じなんですね

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年 7月 9日(木)01時04分32秒
返信・引用
  皆さん、こんばんは。


73おやぢさん

今回も私の単なる思いつきの書き込みにご検証を加えて下さり、感謝致します。
妻引戸を追加設置した車両…年代的に私は殆ど見ることができませんでしたので、ほぼ想像でしかありません。
私も「運転台を撤去した側のみ装備」との記載には驚きました。前述の通り、ほぼ見ることが出来ていない世代なので、そのような車両があった、と書かれれば疑いなく信じてしまいます。それにしても、妻引戸がアキレス腱とは存じあげませんでした(笑)。底は深そうです。

その一方では78501~について、タネ車が72200の車に関しても「妻窓が埋められた」という記載があったり、79924が量産先行試作車になってしまったり、鶴見線転用を見越して行先板入れ、ATS S型増設を行った79938と、目的が違うであろう79949を同列にしたりと、気になるところがない訳ではないのですが、前回の書き込みでは今になってこんな特集本を出してくれたことへ、まずは感謝を伝えたいと思いました。


さてさて、73129、こちらでは関西時代の写真を元関西旧国利用者さんが提示していただき、その時に御殿場線では方向を変えたのではないか?と書き込みした時にも反応していただいたのは覚えておりまして、やはりそうだったか!、とノートに書き込んだ「方転?」の「?」は早速消した次第です。これで方転の3両が確定しましたね。
ところで73129も電化の第一陣と余計なキャプションが付いてしまっていますね。

72538ほか、最初のアルミサッシ化の車両に関しては記述が少なく混乱しているのが見てとれます。かく言う私も、RP誌でアコモ改造を取り上げた記事の中に掲載された写真が、供試車で鎧戸のままだったことから一時混乱していたことがあります。

73051については、全く気付きませんでした(汗)。



原口悟さん

72036の上中段1枚ものは、この上部に配電盤があることから、下段のみ開閉可能なためだと思います。通常の3分割の窓にしても、上段が動かなければ中段も動かせないので同じこと…だと考えていましたが、まさか配電盤があっても開閉可能だったりするのかもしれません。あまり先入観をもつと真実を見失いそうです。



ではまた

 

73系とは

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2020年 7月 9日(木)00時47分19秒
返信・引用
  皆さんこんばんは。

白い陽さん、確かに920番台と73150の引き戸の鍵穴の位置が異なりますね。

こうなると73510の鍵穴はどうなっていたのかも気になってきます。

しかし扉1つ取ってもこれだけ奥の深い形式は本当に73系という車両は面白いと言うか悩ましい車両ではないでしょうか。



アルミサッシについて

アコモA工事と1967年に先行して行われたアルミサッシ改造、さらに簡易更新車が投入されている広島に72692が転入してしまったあたりが今まで出されてきた書籍でも整理が付かなくなってしまった原因もあるのではないでしょうか。

今回は軽くでしたが関西でのアルミサッシ改造の72663・72665にも触れられていましたね。

しかしどのような経緯でどんな内装なのかまでは深く語られてなかったのが惜しいところです。

個人的にはアコモAの先行試作車の72626とこの関西の72663・72665の車内に興味があります。

どうやら72663・72665は車内はニス塗りで鎧戸は巻き上げ式をカーテンには取り換えられている様子ですね。



関西より神領への転入車両

79445をはじめとした後から関西より神領へ転入した車両のアコモA工事は79445は大井と誤植されている他はかつてより長野と記述されてきましたが

実際に長野なのでしょうかね。恐らく浜松で塗り替えなどと一緒にアルミサッシも取り付けてしまっているような気がするのですが皆さんはいかがでしょうか。
 

モハ72036の妻窓の形態について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 7月 8日(水)20時18分24秒
返信・引用
  73おやぢさん、皆さんこんばんは

RP72-5号のカラー写真は、当時も話題になったことを思い出しました。併せて、ご指摘の「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」P161のクモハ73123の写真の隣の、山スカ編成に入ったクハ55形も話題になったことを思い出しました。こちらに関しては、末期の山ゲタのクハ79形は、昭和31年形に統一されていましたが、以前はそれ以外のクハ79形が入っていたことも話題になりました。

「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」P36に幕板の通風グリルが残っている田中さん撮影のモハ72036の写真が掲載されています。ここで、幕板の拡大写真の方で、手前の妻窓が上中段が一体になっていて、一見戸袋窓のように見えることに気づきました。「戸袋窓のように見える」と書きましたが、同じ写真でもう少し下の方まで見えているものが「旧形国電の記録」に掲載されたことがあり、下段は普通の上昇窓でした。妻の窓は、他の窓と同じ、上中段が分割されているものが普通のはずで、上中段が1枚ものになった窓が他にもないかと思ったのですが、見た限りで確認できた車はいませんでした。上中段だけをまとめた1枚ものの窓枠は、他に共通する部品が思いつかないので、現場で作られた現物合わせの品物かも知れません。
 

読書感想文です

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2020年 7月 8日(水)15時53分35秒
返信・引用 編集済
  皆さん、こんにちは。

遅まきながら、72・73本を入手しました。
巻末のデータは既存書を集成したものですから、原典が内包する誤り、および誤植が引き継がれてしまうのは、ある種やむを得ないと割り切るほかはないと考えます。写真(非施工の72583・72634・72693)や配置歴(79445)などで誤りが明らかなものに対して、該当欄の修正や削除をしてゆくのが現実的な道であろうと思います。

むしろ私が気になったのは、1967年の二段化改造と後年のアコモデーション改善が一緒になっていることで、両者は全くの別物です。「首都圏の72系」によれば1971年7月の品評会に用意された3両(72626・72678・72690)が供試車なのはその通りですが、72678・72690は1967年に二段化実施済みで、内装を異なる方法で追加施工して、品評会のために二段化した72626と並べたものです。したがって72678の外観は1967年に決定づけられていますので、真の供試車としての外観は72626が適役です。

いろいろ申しましたが、目を転じれば大井の試作鋼体強化が正しい分類になっているのは、なによりでした。今後は定着すればいいのですが。

本書の真骨頂は多数の写真とモデラー目線による解説であり、特に晩年のHゴム化による顔つきのバラエティーを楽しむには最適であると思います。
とはいえ、Hゴムにあまり興味のない私にとって一番の収穫は、161ページの73129でした。キャプションに言及はありませんが奇数車の偶数向き方転車で、この写真により積年(50年近い)の疑問が氷解しました。というのも、RP1972年5月号「ローカル国電」特集の口絵カラーに御殿場線の走行写真があり、遠景なおかつ足回りが柵に隠れているが、先頭は奇数車を方転しているように見え、長いこと車号が気になっていたからです。撮影日もRP誌と約半月差しかなく、ものすごい偶然に驚きました。

もう一つは、57ページに並んだ2枚の73051です。パンタの点検踏板は2本足から3本足へ進化したので、今まで3→2の変化はあり得ないと考えていましたが、意表を突かれました。同車は東鉄転属後に配管替えや避雷器移設を行っているので、そのときのヤネ修の一環かもしれませんが、それにしても奇妙な変化です。そもそも運行灯2桁車の大阪時代の3本足は、きわめて珍しいです。

白い陽さん
貫通扉は私のアキレス腱で多くを語ることはできませんが、ノブの位置…あれ?と思って数少ない写真を観察したら、忍び錠の位置が違うものがあることだけはわかりました。つまり全金車はノブの上に鍵穴があり、両者は同一プレートに収まっています。一方、プレスドアは全金車と同じタイプもありますが、ノブの下に鍵穴の単独プレートが付くタイプもあります。で、73150の写真を見ると、データのサイズ不足のためか細部が判然としないものの、ノブ下に何かがあるような…。というわけで、全金車の扉とは細部が異なるみたいだが、さりとてプレス部の説明もできない…ということになりました。
難問ついでに、72・73本で不思議な記述を見つけました。60ページに「72形などで運転台撤去側のみ貫通扉整備」とあり、写真があるならぜひ拝んでみたいです。
 

アルミサッシ改造の時期など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 7月 7日(火)23時39分31秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」のアコモA更新、アルミサッシ改造の記述について
 72系のアコモA~C更新やアルミサッシ改造の記述と、実際にはどの車に工事が施行されていたのかは、多分73系研究の「最大の懸案」で、これまでもこの場で話題になりましたが、「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」では、実態がかなり解明されたと思われる一方で、限界に直面したか、と思わせるところもあったと思います。その中で、この場でも話題になった事柄をいくつか紹介したいと思います。掲示板が現在のシステムになる前のことで、既にこの場の常連となられていた方もおられますが、当時のこの場を知らない方もおられると思うので、情報を紹介します。

モハ72692の「1:1アルミサッシ改造の時期」について
 モハ72692は、最末期は呉線で、山スカのモハ71形とともに走っていた車ですが、「1:1アルミサッシ」だったことが、「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」でも紹介されています(写真P93)。履歴を見ると、「アコモB改造72.4.26広島工場」と書かれており、次のモハ72693が「サッシ改造67.3.13大井工場」と書いてあります。実は、両車はこの場の発足間もない2004年1月初めに話題になりました。
 P93には、呉線時代のモハ72692の他、首都圏時代のモハ72692の写真も併せて掲載(1967.9.3松戸電車区)、アコモB改造よりも前にアルミサッシになっていたことが確認できますが、一方で、モハ72693は、松戸電車区から房総ローカルに移動した車で、田中さんのHPで、昭和51年に3段窓だったことが確認できます。この記述になったのは、企画室コン「首都圏の72系」で、昭和41年から42年にアルミサッシ改造されたのは「72538(41.12.19), 575(42.1.30), 654(42.3.7), 678(42.11.22), 690(42.8.23), 693(42.3.13)」の6両と書かれていることと関係すると思われます。このうち、72693は、3段窓のままだったことが確認され、一方で72692は1:1アルミサッシだったので、「"72693"は"72692"の誤り」と考えられました。今回の本で、72692が1967年9月3日の時点で1:1アルミサッシだったことが確認できる写真が掲載されたことにより、この説が補強されたことになります。
 一方で、昭和42年の工事では、アルミサッシに交換しただけで、その他は元のままなので、2004年当時も、アコモB工事は「内装の工事」だけを行ったことを示すのではないか、と考えられました(全金更新済みの73009の記載「1972.1.10広島」もあった)。

クハ79445について
 2004年初頭には、中央西線の73系の工事についても話題になりました。この時、一部の車が、「戸袋窓が外板とツライチになった」ことが指摘され、「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」でも記述されています。この時にクハ79445が、「昭和40年代中頃は高槻電車区にいたにもかかわらず、大井工場でアコモA更新を受けたことになっていた」ことが話題になったのですが、RF96-1号の73形特集で、京阪神緩行線時代の79445の写真が掲載されており、1972年11月25日の時点で3段窓のままだったことが確認できます。これについては、当時の出版資料で、アコモ更新を受けているにもかかわらず、表に記載が無かった「クハ79447」の誤りではないか、との指摘がありました。今回の本では、クハ79447のアコモA更新の記載が入った代わり、クハ79445のアコモA更新の記述が残っています。実際、昭和49年に中央西線に転属して、この時に1:1アルミサッシに改造されているのですが、同時期に転属したほかの車とともにどこの工場で工事をしたのかは謎が残っています。なお、「首都圏の72系」では、79447のアコモA更新の記載はありますが、79445は入っていません。

中央西線72系の「電源の強化」について
 これも当時の話題ですが、中央西線のクハ79形の偶数車に新性能車のような大型の蓄電池箱が追設されています。これは、電源を100Vに変更したもので、元は昭和42年の中央西線瑞波電化による70系の転入に始まります。この時、横須賀線と京阪神緩行線の両方から70系が転入したのですが、制御電圧が横須賀線の車は100V、京阪神緩行線の車は24Vと異なっており、制御電源を100Vに統一する工事を行うことが当時のRF誌に記述があるとのことでした。この方針の一環として、72系にも100V配線を追加する工事が行われ、これが、中央西線から72系が再転用されなかった原因の1つではないか、との説が提示されました。

モハ72709のDT17台車に関連して
「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」の履歴のモハ72709の注に「特異車:DT17」の記述があります。これも、2004年初頭に話題になった事柄で、当時の新製車の台車がDT20Aに切り替わっていた中で、DT17装備だったことを示すもので、形式図にも、DT17装備車の記載で、飛び番で記述されており、新製時からの特徴だったことが伺えます。
 関連して、末期は片町線にいたモハ72698も台車がDT17でした。こちらは「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」ではDT20Aの記載で、上記の形式図にも記述が無く、後からの交換が伺えたのですが、同時期に関西にいた車として、モハ70053が、当時、最初のDT20装備車が落成したなかで1両だけDT17台車装備で落成しており、後にDT20に変わっていることが確認されており、この車と台車を交換したのではないか、との説が出ました。モハ70053とモハ72698の共通項は、昭和40年代前半に吹田工場に入場していたことで、阪和線のモハ70形の台車をDT20に統一する為に交換が行われたのではないか、との説です。

サハ78500台のアコモB,C更新について
 大井工場のアコモ更新のうち、B,C更新は「アルミサッシ」という外に見える特徴が無いため、どの車が施行されたのかは、資料によるばらつきが多いことが当時も指摘されていました。この中で、「サハ78509」が、RP00-5号では、アコモA更新をしている(1972.5.1)のに、1年経たずに廃車になっていること(1973.2.10)が話題になりました。芝生さんが豊田電車区の奥に留置されている同車の写真を確認し、「原型3段窓のままであること」に加え、「貫通扉が未整備であること」を確認しました。このため、アコモA更新については何かの間違い、ということになりました。
 時間が下って、「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」では、サハ78500台のアコモB,C更新の記述があり、サハ78509も「72.3.24アコモB更新」の記述があります。B,C更新はA更新よりもずっとローコストで簡易的なので、早期廃車をしても手戻りではないと考えられた、ということも考えられるので、有りだと思います。
 なお、これは割と最近の話題なのですがサハ78500台は、京浜東北線の分割併合の廃止によって中間に封入された先頭車の差し替えのために工事が行われたと考えられます。「鉄道史料」21号にクモハ73600台の記事があるのですが、当初は39両工事の予定で、同時に、モーターをを降ろしてクハ79形に改造する工事も10両が計画されたのですが、クモハ73600台の工事は30両に縮小され、クハ79形への改造は無くなりました。この減少分がサハ78500台の改造で賄われた可能性が有ります。
 中間電動車の電装解除サハは、新性能車でも国鉄末期から、最近も誕生しているのですが、いずれもあまり長く使われていないことが注目されます(サハ165形100番台、サハ103形900番台、サハ481形600番台など)。電装解除サハは多分に需給調整のための暫定的な色彩の強いものが多いと思われ、珍しく長く使われた電装解除サハであるサハ201形900番台は「試作車の量産化改造」で背景が異なるものです。


クモハ73150について
 今回の本で御殿場線時代のクモハ73150の写真が掲載されましたが(1976.7.6撮影、P73)、後ろに続く車が呉線から転入したサハ78111,113,119,120のいずれかであることが確認できます。サハ78111,113,119,120と同時期に転入したらしい、クモハ73094の話題を紹介しましたが、転入したサハ78が横須賀色に塗り替えられてからも、クモハ73150は一応走っていたことが確認できたことから、「一応走らせることはできたらしい」ことが伺えました。ただ、この時から半年後には廃車になっていることから、他の車と比べると状態が劣る何かがあったのではないかと思われます。

クモハ73189とクモハ73361について
73おやぢさん
 クモハ73189とクモハ73361についての情報をありがとうございます。クモハ73189については、こちらこそが五月雨改造だったとのことで、吹田工場の奥深さを感じました。クモハ73361も、1973年11月には既に箱サボ枠を撤去していたとのことで、工事の時期がかなり絞りこまれ、他の車と併せ、昭和48年末から49年初めに集中工事されたか、という感じがしてきました。
 

Re: 連結面引き戸

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年 7月 7日(火)16時28分17秒
返信・引用
  クモハ73503さん

73150の妻引戸について


以前、鷹取改造のクモハ73510の妻引戸について、こちらで話題になった折、なんらかの原因で920番台の車と振替えを行った可能性を考えてみましたが、また同様の車が他にもあった、しかも鋼体強化工事後間もなくの段階でとなると、振替の可能性は非常に考えにくいですね。

妻引戸は63形から72、73形への改造時点で装備していた車両は少なく、大半が後に設置工事をしており時期的に920番台相当の引戸を装備していてもおかしくはないのですが、三段窓の車でこのタイプの引戸を装備していた車両があったのか?、残念ながら私にその知識がありません。


73150妻面の写真と比較すると、920番台の引戸とはノブの位置が若干違うようです…そこで、ちょっと大胆な想像をしてみると、後から取り付けられた妻引戸は流用したが、富山港線の車両のように、古臭く見えるプレスパターンを埋めた…なんて可能性を考えてみました。もちろん、全く確証などありませんが。




私も首都圏で1980年まで保留されていた車両を広島辺りに転属させられないか…少しでも延命させたい…と思っていましたが、今になって振り返ると、先が見えていたこと、簡易的ではあるにせよ地方でアコモ改造を行って投資していたこと…など、消極的にならざるを得ない状況があつたのかなぁ、と勝手に考えております。


ではまた。
 

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