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訂正その他

 投稿者:新参者  投稿日:2019年 4月19日(金)22時17分2秒
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  >すぎたまさま
そうでした、66ですね。昭和58年の引退直前にクハ66000で身延線を乗りつぶしたっけ・・。

その後新日本紀行がアーカイブされていることが判り、該当を探しましたが見つかりませんでした・・。
番組構成が「新日本紀行」とは異なり(普通、事象の背景やインタビューが入るハズ)、ひたすら列車ばかり追っていたので、風景撮影(最近でも深夜に流れるような)に近い位置づけだったやつかもしれません。
 
 

小田急1800の床板

 投稿者:すぎたま  投稿日:2019年 4月18日(木)14時40分5秒
返信・引用
  新参者さん、みなさんこんにちは。

書店から当該のピクトリアルを引き取ってきました。
さっそく12ページを見てみましたが、うーん、よくわかりませんね。確かに横方向(枕木方向)に床板が張られているように見えますね。写真の説明には、クハ1851とありますので、省番号無しで入線した最初の2輌のうちの1輌ということです。それと関係がありますかね…。入線後それなりの時間が経過した1956年の撮影ですので、その時点で床を張り替えてある可能性も確かにありますが、そんなに簡単に床は張り替えられるのでしょうか…。
吊り手が原形?のアルミ製輪っからしいのと、吊り手棒受けが図面に無いタイプなのも気になります。1957年からの更新では、吊り手棒受けと網棚は、元のものが当初は流用されていますので、本車はこの独特の吊り手棒受けもそのまま使ったのかも気になりますね。
どうもこのクハ1851と1852には、DT12台車(当時の呼称では、TR25AではなくTR25)が付いていたようなのですが、それもはっきりしません。

新参者さん、直近のご投稿ですが、細かいところになりますけれど、2.のクハ77は、クハ66では無いでしょうか。初代クハ77は身延線用に鋼体化された車輌ですが、のちにクハ18形に改番され、引退しています。二代目クハ77は、両毛線で活躍した、元サロ85形の改造車です。
3.は「新日本紀行」が正しいのではないでしょうか。冨田勲さんのテーマ曲で有名ですね。

その他、旧形国電として見た時の「私鉄の63形」としては、
1.東武の車輌に、やはり平軸受けの車輌が残存していた様子なのが、小田急同様多私鉄には見られないので謎の一つ。
2.名古屋鉄道に割り当てられた車輌は、編成で奇数向きと偶数向きが統一されていなかった謎(モとクの向きに両方あった)。
3.近鉄名古屋線への割り当て計画について触れられてない。
などの疑問はまだ残りましたね。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

NHKの映像

 投稿者:新参者  投稿日:2019年 4月16日(火)21時30分47秒
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  皆様こんばんは。
既出かもしれませんが、かつてNHKで放送された旧型国電が映っている映像コンテンツについて、
幾つか述べてみます。

1.名曲アルバム「早春賦」
大糸線スカイブルー。2~3月上旬の沿線風景他
昭和54~55年あたりか?

2.七瀬ふたたび(多岐川裕美主演です。DVD化されてます)
身延線のクハ47他。夜間なので詳細がわかりにくい。中央東線の115系?(
クハ77かも)も出ます。
昭和53~54年あたりか?

3.日本紀行?
飯田線のクモハ52以下の4両編成が走る車内と運転台。
扇風機の稼働と映像内の乗客、乗務員の服装から夏季7~8月と思われる。
昭和47年~50年あたりか?

4.カメラリポート
御殿場線のモハ72他。沿線風景、単線化遺構他。
乗り入れのSSEも映る。
昭和45~46年あたりか?

3は21世紀になってから深夜の放送で見たので、NHKのWEBでは無理ですが、アーカイブで視聴できるかもしれません。1も多分なんとか成りそうです。
4の視聴は無理と思われます。

>原口様
「西部警察」にそのような映像があるんですね。すばらしい。
 

三井三池ホハ200形:RP誌「私鉄の63形」特集と「西部警察」

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 4月14日(日)23時14分38秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

RP誌の「私鉄の63形電車」特集では、「三井三池ホハ200形」の車内の写真が紹介されました。これまでの趣味誌では、外見の写真はたまに紹介されたことがあったのですが、「車内」の写真の紹介は初めてではないかと思います。これまで、三井三池ホハ200形の車内の様子がわかる資料は「西部警察」第65話「博多港決戦!」がおそらく唯一と思われるので、今回の特集を機に改めて「西部警察」を見てみました。

RP誌では車掌台の仕切りの写真がありましたが、木製で桟の多い仕切りの様子は「西部警察」でも確認できます。この構造はコハ100形も同様です。旅客輸送の廃止後、ホハ200形の廃車体が1両分、かなり遅くまで残っており、写真が紹介されていますが、この車は、車掌台側の妻が貫通化改造され、幌も取り付けられています。一方で、「西部警察」の車は、妻に3段窓が3枚並んでいるのが見えるので、この車については原型を残していることがわかります。
車内の座席は、以前にコハ100形の方は座面はビニールのカバーで、背ずりは木製(室内張りのままで特に座席の構造は無い)ことを紹介しましたが、この構造はホハ200形も同様で、「背ずりが無い」という点はモハ63形原型と同様です。座席がビニール張りなのは、近い時期では、キハ10系気動車に見られるもので、当時(昭和25年製)の流行を取り入れたものかもしれません。一方でロングシートの両脇の仕切りはパイプ(黒塗りに見える)で、63形原型の「木製で斜めに切ったもの」とは異なり、後のモハ72形に近いです。これとは別につかみ棒が立っており、これは白塗装です。このつかみ棒は「吊り革をぶら下げるパイプ」の支持材にもなっています。また、「網棚が無い」ことに改めて気づきました。
床板は「レール方向」に張っています。

今回のRP誌の特集では「両側に車掌台があるホハ200形」の写真が紹介されましたが、この形態の車の存在は初めて知りました。「西部警察」で出ている車は車掌台は「片側」です。
「西部警察」では、ホハ100形の床下の台枠の構造が良くわかります。台枠の外側に三角形の部材を貼り付け、その上に車体を構築する「木造車の構造」をそのまま残していることがよくわかります。
 

E257系新色デビュー

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 4月11日(木)22時59分10秒
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  皆さんこんばんは

今朝の通勤時、E257系が新しい色に塗り替えられていたのを目撃したので、報告したいと思います。

 E257系は、E353系の投入によって順次尾久車両センターに疎開してきて、それまで185系がもっぱら使われていた首都圏の団臨に使われるようになったのですが、いわば臨時列車用としての新しい色に塗り替えられました。写真のように、新色は幅広の青緑の帯を廃したものです。また、この車とは別に、大宮側にEF81形電気機関車を連結したE257系もいたので、残りの車も順次塗り替えのために回送されると思われます。

 首都圏の臨時列車で昔から馴染みだったのが、神奈川県から日光への修学旅行の集約臨時列車で、1990年代は田町の167系や新前橋の165系が最長で11両編成を組んで走っており、その後はE257系投入で玉突かれた183,189系が入り、さらに651系転用で玉突かれた185系に変わり、そしてE257系になったので、私の目撃経験からは4代目の車になります。
 

台枠再訪(補遺その4)山北町鉄道記念館の展示

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 4月10日(水)23時55分56秒
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  山北駅を出ると、右手に観光案内所があるのですが、鉄道記念館が併設されていることに気づきました。規模はおぎのや記念館と同じくらいで、山北機関区、D52に関する展示が主なのですが、他に、「国電のサボ」がありました(写真上)。横浜線のものの他、京浜東北線のもの(写真下の中央)もあり、小さい「救援車」「試運転」のサボはクモヤ90の小さいサボ枠用のものでしょうか  

台枠再訪(補遺その3)蒸気機関車の舟底テンダー

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 4月10日(水)23時46分59秒
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  碓氷峠鉄道文化むらを訪問する前日(4月6日)には、御殿場線沿線のD52形蒸気機関車を訪問しました。うち、御殿場駅近くで保存されている72号機は、「舟底テンダー」の床下を観察しました。
写真上は連結器側から舟底テンダー中央を縦通する台枠を撮影したものです。舟底テンダーは、テンダー全体で強度負担する設計で、いわば「中梁だけ」になっています。この時は定規はもっていなかったのですが、下記のD51のテンダーの台枠と比べて、同じ15cm高さの鋼材が使われているようです。
台車は、TR41に似たベッテンドルフ型台車で、採用はこちらの方が早いのですが、「軸箱の蓋」の形がTR41とは異なることに気づきました。
 

台枠再訪(補遺その2)蒸気機関車のテンダーの台枠

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 4月10日(水)23時36分31秒
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  碓氷峠鉄道文化むらにはD51 96(初期の「なめくじ」)がいて、ついでにテンダーの台枠を見てきました。写真上が台車間の床下の様子で、木造車、鋼体化客車に似て、同じ高さの部材で全部の台枠が組まれています。写真下は寸法を測ったもので、これも「15cm高さ」です。
「15cm高さの台枠」は、貨車で一般的でした。特に戦前の有蓋車、無蓋車、タンク車はほぼ全て台枠は15cmチャンネル材でした。これが変化したのは、戦前最後の有蓋車の新形式のワム23000形で、初めて18cmチャンネルを採用し、戦後は18cmチャンネルが一般化しました。15cmチャンネルは貨車の高速運転には強度不足なところがあったようで、那珂川清流鉄道に保存されているタ3050形3077号車(戦時中に製造されたタム100形濃硝酸専用車の積み荷をホルマリンに変更したもの)の15cmチャンネル材の台枠はゆがみが生じています。
 

台枠再訪(補遺その1)ステップ付きドアの戸袋の構造

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 4月10日(水)23時25分20秒
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  碓氷峠鉄道文化むらでは、気動車の床下も観察しました。
少し前のこの場で、鋼体化モハ62、クハ77形の「ステップ付きドアの構造」が、モハ50系の台枠と関連して話題になりましたが、キハ20形のドア付近の台枠構造は写真上のようになっています。ステップで裾が下がっている部分の台枠が切り取られ、ドアレールと一体化した、バスダブ状の構造材が溶接されています。側梁が一番外側にあるため、側梁と連続した構造材に置き換えられていることになります。
写真中央はキハ20の横梁の寸法を測ったもので、ピントが良くないですが、「15cm高さ」であることが確認できました。
碓氷峠鉄道文化むらにはキハ35900台もいて、ドア付近の構造を見ようとしたのですが、いろいろ機器が接していて、良い写真が撮れませんでした(写真下)。写真は中央扉付近の床下です。
 

高崎―横川間電化当初の電車運転について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 4月10日(水)23時07分3秒
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  皆さんこんばんは
浅川隆雄さん、お久しぶりです

ご指摘を受けて改めておぎのや記念館の旧型国電の写真を見たのですが、撮影年月日の記述が無いのが難点で、解説は「松井田駅の移設間もない頃」でした。松井田駅は、電化と同時にスイッチバックを廃止して現在の駅に移転したのですが、後の横川ローカルにつながる3両編成なので、横川電化から実際の撮影までの間に少しタイムラグがあるかもしれません。興味深いのが2枚の写真「松井田駅の移設間もない頃」と「松井田駅西方未だ単線」の編成は同じものと思われる(中間の車は明らかに「中間車」)のですが、「松井田駅の移設間もない頃」の方はクモハ40のパンタが降りているのに対し、「松井田駅西方未だ単線」の方はモハ30がパンタを下してることです。

横川電化当初の電車運転として、割とよく知られていると思われるのが、早速上野―軽井沢間準急「軽井沢」が運転(ただし、横川―軽井沢間はバス連絡)されたことで、その後EF63を使う新線が完成後は、新線を使って軽井沢に達しています(長野まで運転)。軽井沢―長野間電化開業は碓氷新線開業と同じ1963年7月15日なので、アプトを使って碓氷峠を越えた電車の営業運転列車は無かったはずで回送でも無かった(上記「軽井沢」の下り1番列車が軽井沢―長野間を走った最初の電車か)と思われます。
 

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