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クハ401-83・84の件

 投稿者:前納浩一  投稿日:2018年 9月22日(土)20時53分40秒
返信・引用 編集済
  原口さん、みなさん、こんばんは。

クハ401-83・84は、大形前照燈のまま前面強化されています。平成4/1992年の成田線の踏切事故を受け、翌年から始められた前面強化工事ですが、その事故よりも前に強化工事を受けていました。新潟の165系も同様です。なので、決して「廃車が近いから工事を見送った」などということはありません。
この工事は運転士の安全を図るため、平成7/1995年3月までに施工されたと思います。未施工の車両があれば、労使問題にも発展しかねないです。ですので、先頭に立つ車両で強化未施工の車両は、301系などを除き全車施工されたと思います。(103系1000番代が施工されなかった理由は未確認ですが…)

雑誌に曖昧な話(説)が載っていたのですか? ちゃんと現車の前面を見れば、強化されているのはハッキリ分かることなのに、ちょっと無責任ですね。
 
 

返)60110

 投稿者:34036  投稿日:2018年 9月22日(土)19時45分40秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは
73おやぢさん

60110の件、
 ①プレスアイゼンバーン「大阪の省電2」
 ②「鉄道史料」第9号
ともに手元にない資料です。ご紹介ありがとうございました。

17年度大鉄向けの 60106-60111(6両)のうち60110だけは新製当初から完全な偶数車だった可能性があるということですね。

更新前の写真が確認できたとして、
偶数設計(①③=山側 電気、②④=海側 空制)であれば、それは確信できそうです。
その場合、理由としては、やはり6両中1両は偶数向きの必要があった、ということになるのでしょう。

逆に
奇数設計(①③=海側 空制、②④=山側 電気)であった場合、下記のような可能性が残ることになりますね。

その1 奇数向きで落成し、運用を開始したが、その後方向転向の必要が生じて方転した。
その2 奇数向きで落成予定であったが、急遽1両だけ偶数向きにする必要が生じた。
    しかし急であるため、機器配置の変更がかなわず、奇数設計のまま製造、それを方転する形で落成した。

60110が仮に当初奇数向きで運用についていたとしても、ご呈示いただいた文献①によれば、昭和20年1月13日の時点では既に偶数向きだったのですね。

「関西の国電50年 履歴編」によれば、次のように記載されています。
             製造年月         使用開始
60109-60111(日車):18年2月23日-3月31日 18年3月11日-4月15日
60106-60108(汽支):18年7月31日      19年3月2日-4月28日(順不同)

特に汽支の分の使用開始が遅れたのは電装が遅れたためでしょうか。戦時中の非常事態で、事故や故障にともなう車両のやりくりの関係で、向き変更の要請が生じた可能性もありそうには思えます。

ところで、もしも60110が当初奇数向きだったとして方転したのなら、番号と向きは一致することになるので、(床下が)奇数設計だとしても、「国電配置表の奇偶の法則によらない運転台の向きの紹介」の対象外となる可能性はないでしょうか?

たとえば関西の
モハ40改モハ51は、新車号の偶奇に関係なく偶数向き
モハ41改モハ51は、新車号の偶奇に関係なく奇数向き
であったわけです。
つまり、車号の奇偶と向きが一致しているものと、そうでないものがあったわけですが、
これらの車両については、「鉄道史料」第9号の「国電配置表の奇偶の法則によらない運転台の向きの紹介」ではどのような表現になっているのでしょうか。「モハ41001~41055が奇数車設計、モハユニ44001~44004が偶数車設計」などと同じような説明になっているのでしょうか?
 

ガーランドベンチレーターのクモハ51形など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月19日(水)23時50分9秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

クモハ51形の更新修繕のメニューとガーランドベンチレーターについて
モハ80373さん、47063さん
 クモハ51形の更新修繕について、「旧型国電50年(2)」P112~116に記述がありました。ガーランドベンチレータについても記述があり、昭和20年代末の更新修繕時までは51001~51011, 025, 031(表でがグローブの記述だが、本文ではガーランドの記述), 042がガーランドベンチレータのままだったのが、昭和34年までに010以外の車がグローブベンチレーターに交換され、010だけがガーランドベンチレーターで残っていました。このため、先の書き込みでのガーランドベンチレーターで残った車の書き方はちょっと微妙でしたので訂正したいと思います。
 P116の表と見比べてみると、昭和28年9月までの更新車がガーランドベンチレーターで残ったようですが、ガーランドで出場した最後の車の51028が昭和28年9月18日、グローブで出場した最初の車の51027が同年10月2日と間に2週間ほどしかないので、途中でグローブベンチレーターへの設計変更の訓令が出たとしたら、ずいぶんと急な変更になります。
 「旧型国電50年(2)」の記述では、他にも過渡的なものを感じさせる記述があり、51011以降のガーランドベンチレーター車は当初は鋼板屋根のままだったこと、29年3月までの車はベンチレーター間の踏板が残ったこと、ベンチレーターが前寄りと後寄りの違いは更新修繕が昭和29年8月と9月の間で区分されること等の記述がありました。
 モハ80373さんご指摘のクモハ54001も運行窓が2桁である件は、こちらでも確認が取れました。34036さんが、クモハ54形のうち、クモハ54001だけが更新修繕が先行したことを指摘されており、クモハ51形と同時期の更新修繕であることが運行窓2桁である理由と考えられます。
 4扉改造車のクモハ31形ですが、「旧型国電50年(2)」P173,174の記述では、更新修繕1は行っているのですが、更新修繕2を行ったのは3両のみで、この3両だけがグローブベンチレーターになっていました。クモハ51形も「001, 004, 007, 010が早期廃車予定」で工事されなかったとの記述はあるのですが、010以外の車は他のガーランドベンチレーター車と同時期にグローブベンチレーターになっているようです。4扉改造車と併せて、ガーランドベンチレーターで残った車は、「早期廃車予定のため」という記述をよく見るのですが、何だかんだで昭和40年代後半から50年ごろまで使われています。

 余談ですが、「早期廃車予定のため、更新工事を行わなかった」とされる話は、新性能車にもあり、403系のクハ401-83, 84がヘッドライトが原型大型で残った理由の1つとして紹介されていることがあります(最近のRP誌の415系特集など)。ただ、もう1つの説として、「土崎工場で原型大型ライトのまま前面強化を受けたため、JRになってからの前面強化(通称「鉄仮面」)の対象から外れた」とする説もあり、新潟地区の165系が末期まで原型ライトを残した理由にもなっています。また、115系では、クハ115-130が、特別保全工事も更新工事も受けないで2000年のE231系投入まで走り続けています。更新工事を受けていない車は2段窓の中桟の幅が確か25mmと狭い(特保車以降の車は確か幅が30mm)のが特徴で、この情報を知ってから、現車を確認しました。

TR11台車の八幡製鉄所の刻印について
 先日紹介したTR11台車の八幡製鉄所の刻印ですが、NEKO MOOK 402「トワイライトゾーンManual11」に参考になる記述がありました。
 同号P202~は吉岡心平氏による「タサ700形のすべて」ですが、最初のタサ700形である「タサ700~702」の所有者が「製鉄所」であることが記述されています。同車は大正14年10月に日本車両で製造された、「最初のボギータンク車」であるオア27600M44形27600~602なのですが、写真がP202に掲載されており、所有者として単に「製鉄所」と書かれており、その下に(上戸畑)と書かれています。また、「製鉄所」は当時は国営で、民間に払い下げられて「日本製鉄」になったことが記述されており、「製鉄所」は、現在「八幡製鉄所」と呼ばれている製鉄所のことだとわかります
 これを踏まえて刻印を見ると、社紋の右にまず「SEITETSUSHO」と続き、その横にさらに「YAWATA」と書かれていることは、会社の名前が「製鉄所」で、この製鉄所が「八幡」に所在することが表現されていると解釈できます。また、社紋も、刻印とオア27600型の写真のものと同じであることが確認できます。

都営5500型直通運用の開始
 先月の趣味誌で、都営5500形が、都営線内限定運用から運用に入ったことが報告されていましたが、今週から乗り入れ運用も始まったことを確認しました。昨日(火曜日)には、朝の通勤時に5502編成を目撃し、今朝は5504編成を確認し、乗車しました(写真)。
 金沢文庫の総合車両製作所では、東急新7000系とともに、京成新3000系が待機しています。東急では、10月末に7700形のさよならイベントを計画しており、それに向けた最後の新7000系の新製が行われたと考えられます。また、7700形は養老鉄道への譲渡が発表されていますが、最近の岐阜新聞に「3両編成3本、2両編成3本」であることが掲載されていました。
 

クモハ51のガーランドベンチレータ残存車

 投稿者:47063  投稿日:2018年 9月19日(水)15時43分5秒
返信・引用
  いつもはROMだけですが、ひとつ教えてください。クモハ51のうち、ガーランドベンチレータで最後(1970年代頃まで)まで残った車両は、51010以外にいたのでしょうか?他にもいたような書き込みがあるので、気になりました。  

クモハ51記事に関して

 投稿者:モハ80373  投稿日:2018年 9月18日(火)09時51分50秒
返信・引用
  クモハ51だけでなく、飯田線で80系全金車引退後の最終置き換えまで残ったクモハ54001なども、運行灯窓2桁でした。
また、昭和49 (1974) ~ 50年頃までにさかのぼれば、片町線などにガーランド型ベンチレーターのロングシート省型電車が残っていました。
 

60110

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 9月17日(月)17時09分46秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。
34036さん

冷静に考えると、60110は不思議な車です。当時、東京に幌枠付きの転入車があると、在京マニアは好んで追い掛け回したそうですが、60110は東鉄に転入しているにもかかわらず更新前の記録はないようで、よくよく不運な車だったようです。ここでは刊行物からわかる60110の向きを2件紹介します。

まず、プレスアイゼンバーン「大阪の省電2」に昭和20年1月13日の編成メモがあり、60110は宮原区所属で明石方(偶数向き)に連結されています。

次に、「鉄道史料」第9号に昭和26年1月1日現在の国電配置表が掲載されています。配置表の末尾に奇偶の法則によらない運転台の向きの紹介があり、60形は次のように記されています。もちろん昭和26年なので、戦災廃車の車号は出てきません。

60026・60028…奇数並
60090~60094…奇数車設計
60102・60104・60106…奇数並
特に指定なきものは番号通りとする。

とあります。並と設計の文言の違いは明記されていませんが、モハ41001~41055が奇数車設計、モハユニ44001~44004が偶数車設計などとあるので、設計とは奇偶の関係なく同一方向で製作し、基本的に将来もそのまま、というグループを指しているようです。そうすると並とは、現在は運用の都合などでとりあえず番号とは逆向きである、ということでしょうか。悩ましいのは、並の構造や機能に関する記述がなく、設計との区別がはっきりしないことです。例えば60090と60102とは具体的にどこが違うのか、といった素朴な疑問は残ります。

まぁそれは別の問題としても、ここでは60110になんらの言及もないことに注目です。この資料(おそらく本庁製作)を100%信頼すれば、60110は番号通り正真正銘の偶数車ということになります。そうすると、「関西の国電」履歴編の60090~60111の欄で、冒頭に全車奇数向きとあるにもかかわらず、60110の項だけ偶数向きとの注記が入る不自然さは、解消されるのではないでしょうか。

更新後の60110を見ると、幕板の急行札差がないことに気づきます。60106が東鉄で更新後も札差が存置されていること、更新を施工したメーカーがメニューにない改造を勝手に行うことは絶対にない、の2点から60110は新製時から札差がなかったと考えられます。もっとも、札差の有無で東鉄向けか大鉄向けかを判断できるのは平時のことで、資材節約が叫ばれるご時世とあれば、最初から省略された可能性も否定はできません。現に田中製の60100~60105には札差がありません。

とはいえ、60090以降は全車奇数車にしてくれという大鉄側の意向は、需給上の明確な理由があるはずですから、そこへ1両だけ偶数車(昭26配置表を尊重すれば)がまぎれ込んでいるのも不思議な話です。当初目的通り全車奇数として大鉄へ投入したが、電装時、あるいは昭18~20の間に「やっぱり偶数車が1両必要だ」として、60110を奇→偶へ急遽方転との可能性もないとはいえませんが、もはや証明するすべはなさそうです。
 

北海道レポート(その8)TR20台車と古典台車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月17日(月)12時24分41秒
返信・引用
  今回の訪問では、「TR20台車」を多く見ました。

 写真上は小樽のジョルダン雪かき車キ718のTR20台車、中央は同台車の揺れ枕吊りとブレーキの拡大です。
 両博物館とも、「雪かき車」が多く保存されており、単線用ラッセル車のキ100、複線用ラッセル車のキ550、ロータリー車のキ600、ジョルダン車のキ700、マックレー車のキ800が揃っています。TR20は、ロータリー車以外の雪かき車に装備されていますが、各形式ともTR41台車と混用されています。以前キ100形の特集を鉄道誌のどこかで読んだことがあるのですが、キ100形の場合、木造車の鋼体化でキ100形に編入された車があり、TR20台車とTR41台車を単純に番号で分けられなくなっています。
 TR20台車については、RM誌の「私有貨車セミナー」で特集されたことがあるのですが、「TR20」と称する台車は意外と広い概念で、短軸、長軸や心皿荷重が区分されずにまとめられており、いわばTR11よりまえの明治45年型等のイコライザー台車を「TR10」として一括しているのに近いです。

 写真下はさらに古典台車の明治期の輸入台車です。明治25年(1892年)に当時の北海道炭鉱鉄道手宮工場で製造された客車「い1」は大正15年(1926年)に定山渓鉄道に譲渡され、末期は豊羽鉱山の通勤用車として使われていたのを、昭和38年に国鉄に変換され、苗穂工場で復元されました。この客車が作られた時は、まだ上記の八幡製鉄場は存在してなく、日本国内でも近代的な製鉄が始まったばかりの頃なので、鋼材は全面的に輸入で、台車もアメリカの「ハーラン・アンドホリングスウォース社」より輸入しています。写真でも、軸箱の上の部分に刻印が読み取れます。写真でもうかがえますが、台車は車体に対してずいぶん小ぶりで、客車の全景は、工場で仮台車に乗っているような感じがします。
 

北海道レポート(その7)TR11, 71台車の台車枠の「刻印」

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月17日(月)11時45分50秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは

三笠鉄道記念館と小樽市総合博物館の訪問で、TR11, 71台車の「球山形鋼」の台車枠に「刻印」があることに気づきました。
 両博物館とも、道内最初の「幌内鉄道」に由来するため、古レールの展示が充実している(写真上、写真は三笠鉄道記念館のもの)のですが、ここで示されている「レールの刻印」と同じものが台車枠にあることを見つけました。
 写真中央は三笠鉄道記念館のスエ30 41のTR11台車で、球山形鋼の台枠に陽刻で刻印されているのがわかります。球山形鋼の「球」の方を上にして刻印されているので、文字が逆立ちしていますが、別に拡大写真を撮影しており、読み取ると、八幡製鉄の社紋の右に「BS 8×8 1/2 SEITETSUSHO YAWATA ヤワタ」と書いてあります。
 写真下は、小樽のスエ78 5のTR71台車の台車枠の刻印の拡大で、上記のスエ30 41のTR11台車と同じ文字が読み取れます。
 このため、両台車とも鋼材は八幡製鉄所からの供給だったことがわかり、TR11台車の生産終了をもたらした「球山形鋼の製造終了」は鋼材供給が八幡製鉄所一本だったことも影響したことが伺えます。実際、当時(大正末期から昭和初期)の日本国内の製鉄量の大部分は八幡製鉄所だったようです。
 

クモハ51形の細部形態と更新時期について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月15日(土)22時23分48秒
返信・引用 編集済
  34036さん、73おやぢさん、皆さんこんばんは

クモハ51形の更新修繕について
 クモハ51形の更新修繕の時期が、54,60形に先行することを示されていますが、実は、クモハ51形は各部に古い特徴が残されていることにかねてから注目していました。目立つのは、運行窓が2桁であることで、クモハ73形の大鉄更新車(73001~049, 051, 053, 387, 389, 391)と共通の特徴でもあり、戦前型省電の中で、クモハ51形全車だけに限られることが不思議でした。他にさらに51001~010に限られる特徴として、パンタから降りる線が、母線が空気側に、空気管が電気側に降りる「逆配管」であることがあります。これもクモハ73形の大鉄更新車と共通の特徴で、昭和27年までの新製車(確認できる車ではモハ72500~513)も同様のレイアウトだったのですが、以前73おやぢさんが報告されているのですが、東鉄の車は早期に電気側母線、空気側空気管に修正したらしいのですが、大鉄の車は遅くまで修正しなかったことが確認されています(確認できる車では、仙石線に転属した上記のクモハ73形、全金車でも吹田工場更新車は修正せず)。また、ベンチレーターがガーランドで残った車がクモハ51010を初めとしてクモハ51形の何両かにいたことが確認されていますが、これらの古い特徴が、更新時期が早いこと、もしかしたらその中でもクモハ51001~010が先行したのかもしれない(昭和28年中か?)ことに由来することが伺えました。

クモハ60106について
 クモハ60形に関して、「更新修繕前」ではないのですが、昭和30年代初頭から30年度末辺りまでの写真が多く収録されている文献として、RM Models Archive 鉄道車両ディテールファイル008「松戸電車区のモハ60」があります。この中で、唯一「番号と方向が合わないクモハ60」となった、60106の写真が収録されています(P44~47, 1961/07/09および1965/3/15撮影)。P46の解説に、「この車は車号に偶数番号を持ちながら、車体は奇数向き。これは新製配属が大鉄の車は車号に関係なく奇数車で作られたためであった」とあり、車号に関係なく奇数向きであることが注目されてはいたのですが、この車がクモハ60として残った車では結果的に唯一の車であったことまでは気づかれていませんでした。また、「半流側にも幌座があり、前後の扉脇、幕板に急行サボ枠が残っているのも関西育ちの証である」と記述されています。
 この本が発売された時に注目されたこととして、クモハ60106の運転台側がモハ72000台に連結され、幌が繋がれていたことが挙げられます。解説にも「松戸では半流側を幌でつなぐのは珍しいが、この連結部を幌でつなぐことは理解に苦しむ。関西は小型の行き先札を扉に掛けているが、こちらは大形の箱が貫通路を跨いで車体に取り付けられていたため、扉を開けても行き先札箱が邪魔して通り抜けできないからだ。外からは見えない不思議な体験であった。」と記述されており、幌をつないでも箱サボ枠が邪魔をして通過できないのですが、73おやぢさんが種明かしをしてくださいました。すなわち、連結されているモハ72000台は、貫通扉が無い、貫通路が吹き抜けの車で、貫通路を使うためではなく、吹抜けの貫通路の「雨除け」として幌をつないでいたらしいとわかりました。

(9/16追記)クモハ54002更新前の写真2枚目を発見
 RJ77-8号(特集 旧型国電は生きている)に落成当初のモハ54002の写真が掲載されていました。P28に1937年に吹田工場で撮影された、電気機器を取り付ける前のモハ54002の非公式側からの写真(「旧型国電車両台帳」等に掲載の撮影と同じ方向)が掲載されており、床下はシルエットになっていますが、抵抗器に相当する位置が空っぽであることがわかり、抵抗器が前位に付けられたことが類推できます。
 

モハ60形の向き覚書

 投稿者:34036  投稿日:2018年 9月15日(土)18時35分58秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは

73おやぢさん
書籍のご紹介ありがとうございます。
当該書籍は、出版当時書店の店頭で手に取ってみたことがあったと思いますが入手はしておりません。
機会があれば、確認してみたいと思います。

関東とは異なって、吹田工場での更新工事では偶数向き電動車の床下機器の入れ替えは、全く行われなかったものと考えてきたのですが、
今回図らずも54形偶数車に限っては抵抗器の配置換えをした(54002と54006は確定、そしておそらくは60形改の54104-112(偶)も)
可能性が濃厚になったのではと考えます。ぜひ該当車両の更新前の山側の写真をみてみたいものです。

モハ60の車号の偶奇と向きの一致しない車両の存在が時に云々されるのですが、私の知識の範囲で下記にまとめてみました。
結論的には、大鉄新製配置で偶数向きのモハ60は、もともと15年度の西成線向けの7両のみなんですね。

内2両が戦災廃車となり、残りの5両は総てセミクロス化されて54104-112(偶)となりました。
なので、確認したい対象はこの5両、それに54006、54008ということになります。

あと、私としては床下機器配置を確認したい更新前のモハ60として 60110 があります。理由は下記まとめの通りです。



「モハ60の向き」覚え書き

●14年度東鉄向け
60001-60025 25両

奇数番号車 奇数向き(①③=海側 空制、②④=山側 電気)
偶数番号車 偶数向き(①③=山側 空制、②④=海側 電気)

●14年度大鉄向け
60026-60028 3両

車号の偶数・奇数に拘らず全車奇数向き(①③=海側 空制、②④=山側 電気)

戦災廃車(1両):60028

残り2両ともセミクロス化 28年 54形100代に改番

奇数向き車2両 :60026、60027
       ⇒ 54101、54103(車号順)


●15年度大鉄向け
60029-60042 14両

奇数番号車 奇数向き(①③=海側 空制、②④=山側 電気)
偶数番号車 偶数向き(①③=山側 電気、②④=海側 空制)

戦災廃車(4両):60030、60039、60041、60042

残り10両(奇数向き5両 偶数向き5両)総てセミクロス化 28年 54形100代に改番

奇数向き車5両 :60029、60031、60033、60035、60037
       ⇒ 54105、54107、54109、54111、54113(車号順)

偶数向き車5両 :60032、60034、60036、60038、60040
       ⇒ 54104、54106、54108、54110、54112(車号順)

60形としての残存車なし
全車 昭和31年度に吹田工場で更新


●15年度東鉄向け
60043-60064 22両

奇数番号車 奇数向き(①③=海側 空制、②④=山側 電気)
偶数番号車 偶数向き(①③=山側 空制、②④=海側 電気)


●16年度東鉄向け
60065-60089 25両

奇数番号車 奇数向き(①③=海側 空制、②④=山側 電気)
偶数番号車 偶数向き(①③=山側 空制、②④=海側 電気)


●16年度大鉄向け
60090-60105 16両

車号の偶数・奇数に拘らず全車奇数向き(①③=海側 空制、②④=山側 電気)

戦災廃車(4両):60096、60097、60098、60100
事故廃車(1両):60103

残り11両 うち9両をセミクロス化 28年 54形100代に改番

奇数向き車9両 :60090-60095、60102、60104、60105
       ⇒ 54117-54133(奇)(車号順)(54115は欠番)
         全車 昭和31年度に吹田工場で更新

60形残存車2両 :60099、60101(2両とも奇数番号 奇数向き)
         2両とも関東へ転属 奇数向き車として更新(28.12.1東急、28.12.24汽支)


●17年度大鉄向け
60106-60111 6両

番号の偶数・奇数に拘らず全車奇数向き(①③=海側 空制、②④=山側 電気)

戦災廃車(3両):60108、60109、60111

残り3両     セミクロス化車なし

60形残存車3両 :60106、60107、60110
         このうち60110は偶数向きに方向転向した(らしい)。(下記文献 方向転向を言明する記述は見ていない。)

    ◆「関西の国電50年 履歴編」の60090-60111備考欄に「全車奇数向」とあり、
     その中で60110の備考欄に「偶数向」と特記されている(*1)。

    ◆RF No.507(03-07)「42系姉妹の一代記 その3」p.148記載
     「昭和25年4月1日現在 関西地区国電配置表」によると(明石区配置で下り向き)

         3両ともその後の向きの変更なし。3両とも関東へ転属。
         60106、60107は奇数向き車として更新(28.11.11汽支、28.10.21日支)
         60110は偶数向き車として更新(29.1.11汽支)
         (もと奇数向き車であったが、偶数向き車として更新され床下機器の左右が入れ替わった(のであろう)。)

●17年度東鉄向け
60112-60126 15両

奇数番号車 奇数向き(①③=海側 空制、②④=山側 電気)
偶数番号車 偶数向き(①③=山側 空制、②④=海側 電気)



関東に新製配置車されたモハ60形は例外なく奇数番号車=奇数向き 偶数番号車=偶数向きであり、
戦災・事故廃車、および 60016 ⇒ 55200 を除いて関東仕様で更新され、
うち偶数車(偶数向き)は更新の際、床下機器の左右が入れ替わった。

関西に新製配置車されたモハ60形の中には、偶数車号にもかかわらず奇数向きの車両が、もともとは多数存在したが、
上記の経過の中で60106を除き解消した。

60106はもともと奇数向きであり、更新後の60形の中では唯一車号と向きが合わない存在となった(*2)。
このため方向転向したようにとられがちだが、実際は上記のような経緯。

60110は、後年の姿は偶数車号偶数向きではあるが、もともとは奇数向き車を方向転向した(らしい)。
関東へ転属後更新を受け、元奇数車の痕跡は見られない。

大鉄新製配置で偶数向きのモハ60は、もともと15年度の7両のみ。
内2両が戦災廃車となり、残りの5両は総てセミクロス化されて 54104-54112(偶数)となった。


(*1)もっとも、「関西の国電50年 履歴編」で、
昭和40年代以降関東からの転入組である 60112、116、119、121、125、126 の備考欄にも
「全車奇数向」の注があるが、これは誤りで偶数車号の車は偶数向き。
なお、60125は昭和33年マト⇒ヨト でその後飯田線で使用後関東に戻った経歴を持つ車両

(*2)ただし、身延線用低屋根化車の800代改番への過渡期を除く。
御殿場線用のクモハ60を低屋根化して身延線用に転用したが、一部は奇数車が対象となった。
改造時点で方向転向したが、800代への改番は同時ではなかった。
60073、60075、60079、60115、60117 ⇒ 60802、60804、60808、60812、60814が該当

    ◆RF No.107(70-05)p.93-97「”省線電車の走るところ ?(8)身延線?」
    ◆RF No.114(70-11)p.103 「身延線ニュース」
    ◆「旧形電車ガイド」(ジェー・アール・アール)「車歴表 沼津機関区 クモハ60800代各車」の項
              
 

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