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GREENMAXカタログに見る色の代用

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年12月30日(日)21時02分9秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

GREENMAXのけっこう昔のカタログ(以前、113,115系電車の形態区分が掲載されていることを報告した1992年版)に、当時、最新のものだったJR発足当時のニューカラー製作のための色のガイドが掲載されているので、どのような「代用」の考えがあるか見てみました。

 懸案である、JR九州の青帯(青23号)は、青20号が代用指定されていました。前納さんが触れている、「青20号と見分けがつかない」ことに対して、一種の開き直りを感じました。
 他、交直両用電車色の「赤13号」は「西武ラズベリー(赤とベージュの2色塗りだった頃の赤色)」が指定されていることが有名で、1990年代中頃にKATOの165系シールドビーム車等を使って常磐線の451,453系を作った時に使っています。
 関西線快速色および奈良電車区の105系の朱色3号はMrカラー79「シャインレッド」が指定されています。

 秩父鉄道の1980年代後半から1990年代の黄色に茶色の帯は、黄色5号とぶどう色2号が指定されているのですが、黄色5号と比べるともう少し黄色味の強い色で、最近の鉄道模型誌での秩父鉄道800形や1000形等の製作記事では、別の黄色が使われていました。また、同時期から始まった東武鉄道8000系等の白に青帯の新色は、ライトブルーの方は「東武ライトブルー」があるのですが、ダークブルーの方は「小田急ブルーの代用」が指定されています。8000系関連では、1980年代には「東武セイジクリーム」があったのですが、1990年頃にカタログ落ちて、「西武アイボリー」が代用指定されたのですが、あまり似ていないようで、かなり長い間東武の車製作時のアキレス腱になっていました。また、さらに前の昭和40年代の標準色は、西武トニーベージュと朱色4号が代用指定されています。

 他、私がよく使った代用色は、「長野色」の115系、183系の「ライトブルー」への「東武ライトブルー」の代用、JR西日本広島地域更新車色の「青帯7」へのMrカラー80「コバルトブルー」、茶色へのMrカラーC42「まマホガニー」の利用があります。

 これらの代用色は、1990年代末から「ジェイズ」の塗料など、いろいろなものが発売され、GREENMAXからも各私鉄に対応した色が発売された結果、役目を終えつつありますが、ここのモデラー達による「イメージに合う色」の模索は続いています。

今年製作した鉄道模型など
 今年は全体に慌ただしくなったため、今年度に入ってからは旅客車の重加工は手を付けず、「タンク車の加工」に凝っていました。この中から、いくつかを紹介したいと思います。
 写真上はKATOのタキ35000をベースにした、「特殊用途改造車」の改造部分の拡大です。KATOのタキ35000は「最大公約数」的な形態を表現しており、左上の「正圧形安全弁」2個で、日本石油、日本陸運産業車はマンホールの右手前にある「軽量口」があり、日本石油輸送車は「軽量口」が無い形態が表現されています。これに対して、実際の日本石油車は、安全弁の内側のものが、一回り大きい「正負圧形安全弁」になっており、さらに、マンホールの右側に「上操作型吐出弁」がマンホールの右側に設置され、円筒形の箱が設置されています(右上)。また、日本陸運産業プロパーの車も、安全弁は正圧形2個で模型と同じですが、日本石油と同じく「上操作型吐出弁」がマンホールの右側に設置されています。ただ、モービル石油、エッソスタンダード石油等から多くの車が移籍しており、これらの車はプロパーの車とは形態が異なっています。
 中央左の車は「アセトン輸送用改造車」です。アセトンは危険品のカテゴリーに入るため、「上出し配管」を追加しています。左側のプレートの間にある2つの弁が「上出し式」の吐出口(手前)と空気加圧口(奥)です。両車とも、形態がよく似ている「信号炎管」を代用しました。
 中央右、下左、右の車は「特殊油種輸送用車」で、水分の混入を嫌う絶縁油等を輸送するため、「乾燥剤箱」と、乾燥剤箱を通じて乾燥空気を導入するための「空気配管」、マンホールの締切を強化するための「カバー」が追加されています。改造されたのは日本石油と日本石油輸送の車で、日本石油の車は空気配管固形良好に接続したもの(中央右)と、上操作型吐出弁の箱に接続したもの(下左)があります。これに対して、日本石油輸送の車は、軽量口も上操作式吐出弁も無いので、マンホールに空気管を接続しています。乾燥剤箱は1.2mmプラ板積層からの削り出しで、乾燥剤箱上の2つのハッチは2mmプラ丸棒利用、空気管は0.4mm真鍮線です。

 写真中央はタキ43000型243000台と143645です。11月末にKATOより「タキ43000形8両セット」が発売されたのを受けて、バリエーションとして作りました。
 タキ243000台は、KATOのタキ1000をベースとして、同時発売されたTR214台車グレーを使って、タキ243000にしました。そのままではボルスタ―が合わないので、ボルスタ―の高さ合わせ、EVERGREENの3.2mm径丸パイプを使ってネジ止め化しました。
 タキ243000は、243646から243685までの40両は黒で落成しました。このため、日本オイルターミナルの青色の車を使って黒く塗装しました。台車はグレーになったので、黒と台車のグレーの対比が目立ちます。
 タキ143645は、今回のKATOの8両セットでも製品があるのですが、「タイプ」で、従来のタキ43000の色替えです。但し、タキ143645装備の「TR215台車」が再現されました。このTR215台車を使って、タンク体の形態がより近いタキ1000を使って「真正のタキ143645」を作りました。加工は、屋上のマンホール周りに集中し、マンホールの移設と安全弁の削り落としと新設、ランボードの短縮と手すりの新規引き回しを行いました。また、社名票挿し受けを0.14mmプラペーパーと、0.5mm幅真鍮帯板を使って追加しました。この社名票挿し受けは本来タキ43000台全車にあったのですが、最近になって撤去が進んでいます。
 また、タキ43000台に限らず、タキ1000を含めて、手ブレーキ横の手すりが省略されているので、0.3mm真鍮線で追加しました。

 写真下は「液化酸化エチレン専用」のタキ14700形です。ベースにしたのはTOMIXのタキ5450です。TOMIXのタキ5450はやや大ぶりなので、単純にタンクを延長するだけでタキ14700および近似の大きさの高圧ガスタンク車になることに気づきました。タキ5450を2両使って、タキ14700を1両作る形で、台枠もタキ5450の2両分です。このため、ブレーキシリンダーの加工は後日に回しました。台車は、上のタキ14713は、KATOのTR41、下のタキ14720はタキ5450に付いていたTR211を再利用しました。ランボードと手すりは、タキ5450及び同じTOMIXのタキ25000よりも大ぶりで前後に長いものなので、プラ板と0.3mm真鍮線で製作しました。両車とも「日本触媒」の車ですが、社紋とタンク体標記はデカールへの印刷で表現しました。
 
 

色のいろいろ

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年12月24日(月)15時45分41秒
返信・引用
  前納さん、原口さん、みなさんこんにちは。

モハ50の台枠については、もう少し調査してみます。モハ50の狭幅車からの改造はなかったんじゃないか、と、ここの現在の15ページ付近で論議されていたように思います。

瀬戸内色のほうが先でしたか。それは失礼いたしました。思えば115系3000番台がありましたね。あれが最初で、中間に入っていた湘南色111系も、塗装変更されていきましたね。

 小田急アイボリーは、GMによると、クリーム10号と共通色にされていますが、実物は、少し小田急のほうがややクリームがかっています。クリーム10号のほうがほとんど白です。
 ただ、模型に塗装した場合、光源の問題などから、実物とはかなり印象がちがって見えるので、そこら辺を考慮して、共通色ということにしているのでしょう。
 九州の青25号が、小田急ローヤルブルーと同じ色に見えるかどうかは、残念ながらJR化後九州に行ったことが無いので、わかりません。
 ステンレス車にステッカーで色帯を貼ると、やや色味が異なって見えるようで、小田急でもローヤルブルーからインペリアルブルーという少し濃い青に変えましたし、ステンレス車に貼っているステッカーを鋼製車に貼った時代は、青が少し薄くなっていました。
 そのことから、おそらくステンレス車に貼ることを前提に、色の設定を変えている会社も多くありそうですね。九州の車輌が、常磐線色そのままにしなかったのは、そのあたりの見た目を考えた結果かも知れません(推定ですが)。

 ひとまず失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

年末の鉄道の話題など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年12月24日(月)11時15分5秒
返信・引用 編集済
  前納さん、みなさんおはようございます

瀬戸内色が「クリーム色1号と青15号」と間違えて記載している記事は私も該当号を持っていました。115系3000番台の新車紹介記事で、1982年末のことです。
常磐線新色のおまけですが、GREENMAXの鉄道模型カラーでは、クリーム色10号は「小田急アイボリーを代用」することが指定されています。青の方は「青20号」と「小田急ブルー」がそれぞれ製品になっているのですが、クリーム色の方は代用で間に合ったということで、小田急色と常磐色がよく似ていることが伺えます。

年末の鉄道の話題から
 相模鉄道の湘南新宿ライン乗り入れ用車両「12000形」の登場が最近広報されましたが、金沢文庫の総合車両製作所に待機しているところを目撃しました(写真上、12月14日撮影)。今年度の製造は1本で、来年度に製造を継続して6本が製造されるとのことです。
 総合車両製作所では中央東線用E353系の製造も進んでおり、今月も編成が1本待機していました。来年3月で全面的にE353系になり、同時に「富士急行直通特急」が設定されるそうです。E257系は尾久車両センターに順次疎開していますが、団臨用として既に転用されている車もいるようです。
 写真中央は、12月21日夜の通勤時に金沢文庫駅で撮影した京成3000形3050番台です。夜間に急遽撮影したのでぶれていますが、「3053編成」の「快特三崎口行き」です。本来、京成の乗り入れ車は全て羽田空港へ行くため、金沢文庫には来ないはずなのですが、この日の朝に京成の方で運行システムのアップデートに関係するトラブルが発生して直通車を中心とする大規模な運行障害が発生し、その影響が夜まで及んだため、変運用で京成車の三崎口直通が発生したと思われます。
 写真下は、建築中の「横浜シーサイドライン」の金沢八景駅です(12月13日撮影)。シーサイドラインの金沢八景駅は長らく[暫定駅」だったのですが、金沢八景駅の橋上駅舎建築とともに「本来の予定位置」での建築が始まり、来年3月に開業予定です。京急の金沢文庫駅の方も建築が進んでおり、橋上駅舎が姿を現しています。金沢八景駅は横浜市立大学など、多くの学校の最寄駅で、乗降客の多さに対して現在の駅の施設は容量不足で、階段での渋滞が日常化しているため、駅施設を別に作ることに依って抜本的な対策が行われることになります。
 

瀬戸内色

 投稿者:前納浩一  投稿日:2018年12月23日(日)14時03分57秒
返信・引用
  すぎたまさん、みなさん、こんにちは。

細かい指摘になりますが、常磐線の新色が出たのが昭和58/1983年で、瀬戸内色は57-11改正で登場した115系3000番代で採用された色ですので、瀬戸内色のほうが先に登場しています。

ちなみに、瀬戸内色も間違って「クリーム1号と青15号」と紹介した記事があり、それを鵜呑みにして模型を作った会社があったようですが、詳しいことは管理人さんのブログに書いてありますので、そちらを参照なさって下さい(笑)。

それと、JR九州の415系も似た色ですが、青20号ではなくて、常磐線の415系1500番代と同じ青23号だそうです。でも、下関駅で瀬戸内色の115系と九州の415系が並んだ時、一生懸命見比べたのですが、良く分かりませんでした。
また、JR九州の415系1500番代はもっと明るい青で「青25号」となっていますが、一説には「小田急の青帯の流用」とも言われています。回り回って元の色を採用したということになるのでしょうか?!
 

モハ50系列の台枠、ナデ6141の台車の刻印について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年12月23日(日)13時39分26秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは

モハ50系列の台枠について
新参者さん、初めまして
 私にとってのモハ50系列台枠についての記述の初見は、RP84-10号(特集 国電80年(2))で、P44~45「鋼体改造車―モハ50形」中に、

初期のものは台ワクの外側に側梁を増設して、2800mm幅とし、後期のものは側梁を外側に移設して車体幅を合わせている。トラスロッドは中央の2本を残し、外側の2本を残したものもあれば、全部取り外したものもある。

との記述があります。
 これに対して、「旧型国電50年(1)」では、「トラス棒」の変化に注目しており、「3本」から、「左右2本だけ」に変化し、台枠の形式がUF31からUF112、UF32からUF113への変化と関連するように記述されています。
 これを踏まえると、モハ50系列の台枠の変化は「側梁の“追加”から“移設”への変化」と「トラス棒の減少」の変化が起こっていることになりますが、「台枠の形式の変化」が、「何が変化したのを反映」したのかがわかっていない、ということになります。このため、台枠の変化が「トラス棒の減少」「側梁の外側への移設」の順番で起こり、台枠の形式変化が「トラス棒の減少」の段階で起こっていたとすると、「UF112」が「UF31」と同様に、「側梁が外側に追加」の形態をとっていることがあり得ると考えられます。
 また、トラス棒の減少の段階も、1段階だけでなく、2段階(4本から2本と、2本から0本)あったと考えられ、これを踏まえると、台枠の変化が側梁の変化を加えた3段階あるいはそれ以上の段階を踏んだ変化が起こっていることが考えられ、「UF31からUF112への変化」が「どの段階の設計変更を反映したものか」を調べる必要があります。

ナデ6141の台車の「刻印」の報告
 昨日は大宮へ鉄道模型のイベント「さいたま模型フェスタ2018」へ行ってきたのですが、併せて鉄道博物館へ足を伸ばし、「ナデ6141」の台車の刻印を調べてきました。
 以前、幌内と小樽に保存されている車両の「TR11台車」の刻印を報告しましたが、より古い車として「ナデ6141」に注目しました。三笠と幌内のオハ31系列の車に「SEITETUSHO YAWATA」の刻印があり、八幡製鉄所で製造された鋼材を使っていることがわかりましたが、八幡製鉄所は、建築から本格操業までかなり長い期間がかかったことから、「古い台車では八幡製鉄所以外の鋼材を使っているのではないか」と考えたのが調査の動機でした。
 写真上は、この、ナデ6141の台車の刻印で、結局「SEITETUSYO YAWATA」が確認でき、八幡製鉄所の鋼材でした。ナデ6141は1913年(大正2年)製造で、台車は「明治43年式」なので、明治末年頃には八幡製鉄所の鋼材生産が安定していたことが伺えました。
 写真下は「開拓使号」の台車の刻印で、小樽に保存の幌内鉄道の客車と同じ、幌内鉄道の客車なので、共通のものがあります。
 

省モハ50の台枠について

 投稿者:新参者  投稿日:2018年12月19日(水)00時25分40秒
返信・引用
  皆様の博識をお借りしたく、書き込みをさせて頂きます。

省モハ50の台枠がUF31からUF112へ変更となりましたが、UF112についての記述と図面について良く解らないところがあります。

こちらの皆様には、釈迦に説法の感がありますが、UF31の成り立ちとして元台枠であるUF13の幅が2180mm程度であり、その外側に枕木方向の延長材とそれに溝形材をレール方向に周回させて幅2800mmの台枠を得ています。

UF112についての記述で、鉄道ジャーナルの古い連載記事「車輛と共に30年」で「従前は外側に部材を足していたのを資材節約の為元台枠を外に出した」と言うような記述だったと記憶していますが、車両史編さん会発刊のオハ71の上巻にあるUF112の図面は、UF31同様UF13由来の側梁の外に新側梁が新設されています。
ただし、UF112の横梁は、UF31の様なUF13の横梁延長では無く、2800mm幅の側梁に合わせて交換されているように見えます。
この図面通りであるならば、あんまり資材節約には寄与していない気がします。または、図面がUF31の追加手直しに留まり、”旧側梁は無いという注意書”がこの書籍では抜けてしまったか。
この辺りについて、ご教授頂けたら幸いです。

木製客車のUF12が幅2800mm有ったのに、狭幅車からの継続とは言えUF13に幅2800mmの車体を載せていた事実には結構驚きます。
 

冗談みたいな常磐線新色

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年12月17日(月)20時36分4秒
返信・引用
  原口さんこんばんは。

常磐線の401・403・415系の新色ですが、あれも結構とんでもない理由で決まったとか。
あれは新幹線の色そのものなわけですが、つくば万博の際に、常磐線の中距離電車がアクセスに使われるわけだから、イメージアップを、ということで、何かいい新塗装の案は無いかと模索していた時、綾瀬駅に入線している(してきた?)小田急9000系を、当時の国鉄幹部が見て、「あの色はいいな。あれにしよう」と決めたとか。
それで、403系を1本当時結構流行っていた(例えば185系とか)クリーム色10号と、青20号に塗って、新塗装としたのだそうです。
ところが、「鉄道ファン」誌には、誤植で「クリーム色1号、青20号」と書かれていたからか、某エンドウ社のHO鉄道模型は、一部が「クリーム色1号、青20号」で出荷されてしまい、今ならリコールになりそうなものですが、結局そのままとなり、たまに中古で出ているのを見かけます。クリーム色1号、青20号はその後の「瀬戸内色」ですよね。

まあ、色の決定というものは、案外あれこれ考えてということではなく、ぱっとの思いつきで決まるものなのかもしれませんね。
たばこのケースから、というもの、当時は会議室が煙でもうもうでしたでしょうから、半ば当たり前なのかもしれません。

http://princesscomet.net/

 

47-3以降の富山港線

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年12月17日(月)00時28分45秒
返信・引用
  47-3以降の富山港線も表現してみました。

 47-3改正で、富山港線の運用は、Mc単独運用が無くなり、4両編成4本だけになりました。また、ラッシュ時も、4両編成2本が城川原で交換するように合理化されました。写真上はこの頃を表現したもので、先頭からクモハ40076―クハ79928―クモハ73363―クハ79244です。
 昭和49年から、クモハ73、クハ79の半鋼製車を置き換えるため、クモハ73形全金更新車、クハ79920台が順次転入しました。写真中央は置き換え過渡期の昭和50年ごろを表現したもので、先頭から、京阪神緩行線から転入したクモハ73049とクハ79920、昭和49年に一番最初に横浜線から転入したクモハ73013、半鋼製車で最後まで残ったクハ79220です。
 クモハ73、クハ79が全金車に統一されてからも、クモハ40076は残っていたのですが、昭和55年に御殿場線からクモハ73043、クハ79939が転入して置き換えられました。写真下はこの状態で、先頭から、御殿場線から転入したクモハ73043とクハ79939、続くのはクモハ73117とクハ79934です。この結果、クモハ73、クハ795両ずつの体制になったのですが、59-2改正でクモハ73、クハ79が1両ずつ(クモハ73117とクハ79934)廃車になり、残り8両で60-3改正による475系への置き換えが行われました。
 

色の由来、クモハ2段重ねなど

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年12月16日(日)23時59分42秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

「色の決定」など
すぎたまさん
 丸ノ内線の色については、確かRP誌の里田氏のコラムの連載でも触れられており、「たばこの缶」の色がヒントになったこと、この時の「缶」を地下鉄博物館に寄贈したことが記述されていたように覚えています。丸ノ内線の電車についてはRF誌の連載記事も読んでおり、300形登場時、「遊園地の電車のようだ」とあまり評判が良くなかった、との話があったとの記述を覚えています。この時のたばこの銘柄について、Wikipediaを見ると「ベンソン&ヘッジズ(Benson & Hedges)」とあるのですが、私としては、先の書き込みで紹介したカーレース「F1世界選手権」の「ジョーダン・グランプリ」のメインスポンサーで、黄色をベースとしたカラーリングが馴染みでした。このため、ベンソン&ヘッジズは「赤」というイメージがあまりありません。
 先の新幹線とハイライトの話題でも触れましたが、「会議の場にたまたまその色のものがあったから」という理由で決定したものがけっこうありそうです。

 「色」については、「再現性」が問題になり、「マンセル値」が指定されていても、その通りに再現するとずいぶん感じの違う色になることがよくあります。1つの原因として、「屋外で日光の下にあるとき」と「室内での色」が光の状態の違いから、かなり感じが変わることで、「模型での色の再現」に頭をひねる要素になります。また、またカーレースの話になるのですが、現在のカーレースはテレビで見ることが多く、F1世界選手権では1970年代後半からテレビ視聴がかなり多くなっています。このため、車体の色を「テレビ(当時のブラウン管式)で見た印象」の方に合わせることが一般的で、「マクラーレン」の「マールボロ」のカラーをサーキットに出向いて現車を見ると、赤が「ピンク色がかっている」色になっていた、という話を聞いたことがあります。すなわち、テレビで見ると、マールボロの「赤」に見えるように調整している、というものです。
 「マンセル値」では、飯田線の快速色が、マンセル値をそのまま出力すると、腰板の濃青色が緑色に近い色になり、鉄道コレクションの飯田線快速色の製品では、湘南色とほとんど変わらないような色合いになっています。実際、RP83-4号の飯田線特集号で、昭和30年代前半に飯田線快速色の流電と湘南色の80系が並んで写っている写真では、両車の色の違いはほとんどわからず、飯田線快速色が「湘南色」と呼ばれても信じてしまうほどです。「旧型国電50年」P32に飯田線快速色のクモハ52005の写真(1959年11月22日撮影)が掲載されていますが、湘南色のような色合いです。同じ写真がRP83-4号にも掲載されているのですが、こちらはもう少し青みがかっています。このため、飯田線快速色は、今となっては「謎」なものになっています。

三鷹事件時のモハ63形2段重ねの編成について
 私も、編成表を見た時、「モハ63形が2両連続していること」が変わっていると思いました。確かに、当時は桜木町事故前で、「隣の車に行く」ことがあまり考えられていなかったと思われ、増結として、「単純に1両連結する」のは有りだと思いました。この方針が180度転換するのは桜木町事故の時で、これがこの場で話題になったのが、「京阪神快速線80系のクハ86背中合わせ編成」で、「何故クハ86形背中合わせになったのか」に対して、4両増結編成を作るために、大垣電車区から80系が借り入れられたのですが、「借入車を方向転換」してまでクハ86形背中合わせの編成を作っていたことが確認され、「隣の車に移動できることを徹底するためではないか」との説が出ました。

富山港線のMc単独運用について
 「モハ63形2段重ね」から思いついたのが、富山港線で見られた、McMcTcの編成でした。こちらは、Mc単独運用が設定されていて、増結運用に入るものです。始まりは昭和30年頃の社型が元南武のクモハ2000形、元鶴見臨港のクハ5500形が主体になった頃で、昭和42年の昇圧で、クモハ73、クハ79形になり、47-3改正での大幅な運用見直しで無くなっています。
 以下、写真は模型で再現したもので、上は昭和42年昇圧当時のMcMcTc編成で、クモハ73007―クモハ73355-クハ79244です。富山港線に転属した73系は、クモハ73355と、関西由来で詳細が不明なクモハ73007以外、昭和28年になってからの改造で、貫通扉の戸袋窓が整備されていた車なのですが、クモハ73355は「企画室コン」の「首都圏の72系」で、「貫通扉が未整備」との記述がありました。このため、1両単独運用では、「貫通路の締切が出来ない」(もしかしたらクモハ73007も同様)という問題が発生したと思われ、もしかしたらMc単独運用には入らないように考慮されていたかもしれません。また、クモハ73形では、クモハ73355だけが2段窓改造(クハ16219の部品を利用か?)されたのは、「貫通扉が無いことに対して貫通扉取付を併せて行ったため」である可能性も考えられます。
 写真中央と下は、47-3改正直前の3両編成を表現したもので、中央はBONA FIDE PRODUCTSの真鍮キットを君立てた、クモハ73305―クモハ73355-クハ79240、下はTOMIX製品加工のクモハ73361―クモハ73363-クハ79244です。47-3改正までは、ラッシュ時は3両編成2本と2両編成2本が運用に入り、下奥井、城川原、東岩瀬で交換していました。
 

色の由来

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年12月16日(日)14時24分30秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんにちは。

湘南色のもとは、「ハイアワッサ号」ではなかったでしたっけ?。
丸ノ内線の赤は、誰かの奥さんが来ていたカーディガンの色では?。
それら「鉄道ファン」誌などに出ていた話だったような気がしますが…。

丸ノ内線の赤は、当時評判が悪かったようで、今の「高輪なんたら」と同様のようですが、丸ノ内線はその後定着したのに、高輪のほうはあれだけ反対があるとどうですかね。

古い資料を入手しまして、甲武鉄道引き継ぎのデ963形院電ですが、当初の形式記号は「ろは、は」などのひらがな記号、のちにデとデニになります。しかし当時すでに付随車があり、それらも「デ」のままであったという記録になっています。著作権的に問題が無いことがわかれば(年代的に)、もう少し詳しく説明出来るかと思います。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

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