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片町線の本

 投稿者:Satokawa@管理人  投稿日:2018年 3月 4日(日)19時03分7秒
返信・引用
  皆さん、ご無沙汰しています。
話題の本、片町線旧型国電等を私も入手しました。
元関西旧国利用者さんの写真集、と言っても過言ではないですね(笑)
かなりの部分が本サイトのお客様の部屋所蔵写真と重複しますが、まだ埋蔵されていたものが出てくるものですね。
個人的にはモハ72952の交換されたプレスドアに萌えました(笑)
次は何が出てくるのか、楽しみになります。阪和線かな?

http://blog.goo.ne.jp/satokawa_157

 
 

クモハ73403のHゴム窓等

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 3月 4日(日)11時19分33秒
返信・引用
  73おやぢさん、皆さんこんにちは

クモハ73403及び、クモハ73083の運転席のHゴム窓ですが、旧型国電の末期だからこそ、「移植した」のは有りだと思いました。
 廃車からの部品の移植は、高崎地区の115系と211系で例があり、115系では倒木で種別幕周りの前頭部を大破した先頭車の復旧を、同時期に廃車が進行していた確か小山電車区の115系の先頭車の前頭部を切り取って交換して復旧しており、211系では、側板を大破したクハ210-3013を、グリーン車組み込みで余剰になったサハ211の側板を切り取って交換して復旧しています。また、有名なものとしては蒸気機関車の「門鉄デフレクター」の転用があります。このため、クモハ73083は、昭和50年3月時点で検査周期に比較的余裕があったところに、バードストライク等で運転席の窓ガラスを破損し、ちょうど廃車になったクモハ73403から運転席の窓ガラス部を「部品取り」して、復旧したので、クモハ73403によく似た窓回りのHゴム窓になったのではないか、と考えてみました。移植したとすると、クモハ73403も、別の車からHゴム窓が移植されていることも考えられます。
 ちなみに鉄道車両のバードストライクはダイヤ改正直後に起きやすいそうで、これは、列車の新設、時間変更に対して鳥の方で慣れてないことが考えられているそうで、ダイヤ改正から時間が経つと鳥の方で電車の時間を覚えるためか、バードストライクが減るそうです。

モハ72000台の配電盤と貫通扉の有無の関係
 モハ72000台の配電盤と貫通扉の有無についてしばしば話題にさせていただきましたが、「片町線旧型国電等」ではモハ72000台原型車の写真が多く掲載されており、新たな情報が得られました。車輌別に記述すると

72150 1位側開閉窓 2位側開閉窓
72151 1位側開閉窓 2位側開閉窓(ただし、上中段窓を一体化) 3位側開閉窓 4位側開閉窓
72210 1位側開閉窓 2位側配電盤埋め込み 3位側開閉窓

 改めて確認できたのが、72210の「2位側に配電盤を設置していながら、貫通扉を未設置」の形態で、貫通扉を設置するよう工事をすることが通達されたのが昭和28年度になってから(モハ72000台の場合は、翌年度繰り越し工事になったモハ72310以降)であることが追認されました。貫通扉と配電盤の関係は、以前、「貫通扉無で工事された昭和26年度工事の72181までの車で、後天的に貫通扉を整備した車は、同時に配電盤を2位側に移動して妻窓を閉塞した」説を提示しましたが、72201以降の昭和27年型は、当初はモハ72型改造工事への「配電盤の2位側への移動」と同時に「貫通扉の設置」だと思っていたところ、貫通扉設置(厳密には貫通扉を設置できるように戸袋を工事)は昭和28年度になってから、という情報が得られ、修正したものです。
 なお、モハ72000台全金更新車で貫通扉が無い車(戸袋は有ってもドアが無い)車がいたことが報告されていますが、片町線にいた全金車では、72035, 138, 157, 165, 249のいずれも戸袋内にドアがあることが確認できました。

  他の車で気づいた点としては、クモハ73075がパンタ台を2本足から3本足に交換していることで、2枚の写真が昭和40年11月と昭和48年9月と間がかなり空いており、この間にパンタ台が交換されています。

 P29の「クモハ41126」とされている写真ですが、クモハ41126は戸袋窓のHゴム化が行われていないため、確かにこの時期にクモハ41126は淀川にいたのですが、写真の車は同じページの上の3枚の写真と同じクモハ41112と考えられます。避雷器が異なっているのは、「クモハ41126」として紹介されている写真が昭和41年3月24日と最も古いためで、その上の昭和42年12月10日撮影のクモハ41112の写真では避雷器はドラム缶型に変わっています。
 

モデル8「片町線旧型国電等」

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 3月 3日(土)16時24分54秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。

表記の冊子を昨日入手しました。73149や72151など未見の車両も収録されていて、参考になります。
さて、原口さんが言及された「廃車直前のHゴム支持改造」について、前回書き込み時に行方不明だったネットの拾い画像がその後に発見されたので、それを踏まえて追加説明させていただきます。ただ、当該の拾い画像を貼るわけにいきませんので、その点はご容赦ください。

それによると、Hゴム窓の形状と位置は73403に似ていますが、DT13、3本足、尾灯新型(新製79形のタイプ)であることから73083と特定しました。そうすると芝生さんが50年2月、田中さんが50年3月にそれぞれ原形で撮影され、廃車が51年4月ですから、改造したとたんに廃車ということになります。

なるほど、73403も結果的には改造即廃車グループですが、73083はさらに遅い時期であり、近日中の新性能化が予定されるなかで、あえて改造するかな?との疑問がぬぐえません。そうした疑惑の目で見ると、73083のHゴム窓の基盤は一段引っ込んだ位置にあり、中央窓との間柱の存在がはっきりと確認できます。まるで従来の木枠を撤去し、その代わりにHゴム窓付きの鉄枠を入れただけ、といった構造にも見え、廃車が近いことを前提にした簡易改造かなという気もします。

さらに想像をたくましくすれば、よく似た73403の廃車が50年3月ですから、移植した? まさかとは思いますが、いずれにせよ関西のHゴム改造車としては珍車といえそうです。

 

モデル8より、「模型製作参考資料集E 片町線旧型国電等」発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 3月 2日(金)00時39分56秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

モデル8より、「模型製作参考資料集E 片町線旧型国電等」が発売されました
 「宇部・小野田線」「大糸線」「飯田線1」「飯田線2」に続く第5弾になります。第4弾まではほぼ戦前型一本だったのが、今回は73系がかなりの割合で入っています。片町線の旧型国電は、昭和49年ごろを境に主に京阪神緩行線からモハ72、クハ79形が大挙転入して、戦前型の大部分が置き換えられているのですが、この前後の車をできる限り収録する方針になっています。このため、昭和48年ごろまでにほとんどが廃車になっているクモハ31形の写真が多く収録されています。また、今回も元関西旧国利用者さんの写真が多く紹介されています。
 この中で注目すべきは「クモハ73403」が前面窓をHゴム支持に改造されていたことが明らかになったことです。「お客様の部屋」に昭和48年7月1日撮影のクモハ73403の写真があり、同じ写真が「片町線旧型国電等」P50に紹介されています。また、昭和49年3月9日撮影の写真も掲載されています。そして、昭和49年3月に田中景一さんが撮影の写真がありますが、この時点では前面窓は3枚とも原型です。ところが、「片町線旧型国電等」P2に運転席窓をHゴム支持に改造したクモハ73403の写真が掲載されています。写真の車は台車がDT14であることがはっきりわかるので、クモハ73403に間違いなく、前面窓をHゴムに改造したクモハ73403の写真はおそらく初めての公開と思われます。Hゴム窓の形は正方形で、ワイパーが上からぶら下がっています。撮影日時が「昭和48年9月15日」となっており、これが正しいと一旦Hゴム改造された窓が木枠原型に戻ったことになるのですが、おそらく撮影日時の方が「昭和49年9月15日」の誤りと考えられます。クモハ73403は昭和50年3月10日に廃車されており、廃車まで1年以内に迫った昭和49年3月から9月の間に前面窓が改造されたことになります。以前、73おやぢさんと白い陽さんが片町線の73系で最末期になって前面窓をHゴム支持に改造した車が見つかったことを報告していますが、クモハ73403も工事の該当車であったことが明らかになりました。
 「細部写真」のシリーズは、今回は「扉下ステップ」でした。乗務員扉下だけでなく、他の扉下にもあるものですが、車体側への固定の形態(主に車体側の金具の形態)がけっこういろいろあります。Nゲージの方では、タヴァサホビーハウスの「73系用乗務員扉ステップ」「70.80系用乗務員扉ステップ」は上がハの字にすぼまった形態になっていますが、これは「L型台座付」の形態を表現したものになります。TOMIXの73系のステップもこの形態です。タヴァサホビーハウス、銀河モデルでは、他にストレートな形態のものも発売していますが、これは「帯板台座付」の形態です。乗務員扉下ステップは新性能車の方で地域的なバリエーションが出ており、「新潟」「仙台」「北陸」「長野」等で固有の形態が誕生しています。

 その他の写真では、蒸気機関車の写真が多く紹介されています。城東貨物線経由の貨物列車ではD51やD52といった本線系の重量級の機関車が走っており、また、木津方面の非電化区間から入ってくる機関車はC11が電化区間まで入ってきていました。このため、片町線は、「国電区間」としては珍しい、蒸気機関車と共存していた路線ということになります。
 

最果ての客車列車:宗谷本線321レ - 昭和55年

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月24日(土)12時52分56秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは

宗谷本線321レの製作
 稚内へ行く普通客車列車として有名だった宗谷本線321レを製作したので紹介したいと思います

 321レは以前、60-3改正以降のスユニ50―オハフ50の2両編成になった末期の編成の製作を報告しましたが、今回は昭和55年時点の4両編成を製作しました。写真上が編成を組んだもので、先頭から

DD51 1191(旭) - マニ36 2114(北スミ) - スユニ60 201(旭アサ) - スハ32 234(旭アサ) - スハフ32 264(旭アサ)

です。この列車は、昭和40年代はC55型蒸気機関車が牽引していたことで有名で、この当時の訪問記録がけっこう見つかりました。また、使われる客車はスハ32系の印象が強いようで多くの訪問記でも記述されていたので、最近になってスハ32型の完成品が発売されてから、製作を構想していました。
 スハ32系の製品はTOMIXが先行しており、マニ36型スハ32改造車も発売していたのですが、旭川客貨車区の「スユニ60」の製品が無く、321レの製作は構想段階にとどまっていました。昨年になってKATOから急行「だいせん」セットが発売され、スユニ60が製品化されたので321レの製作にGOサインが出ました。さらに、KATOからもスハ32系の単品(スハ32、スハ33、スハフ32:以前は中央本線客車列車セットのスハ32だけ)が発売されたので、KATO製品だけで編成を組むことが可能になったので、スハ32発売を待って製作を始めました。

 写真中央はスユニ60です。スユニ60は一般型の0番台と北海道形の200番台があり、KATOの「だいせん」用スユニ60は200番台のなかでも前期型の方に窓配置が合っていたので、前期型の中から番号を選びました。ただ、製品では車掌室の扉が鋼製のものが整形されているのに対し、入手できた旭川のスユニ60形の写真では、車掌室の扉は木製のものしか見つからなかったので、写真が見つからなかった車号から「201」を選びました。
 200番台の特徴は、床下の蓄電池箱の追加と、車掌室のストーブ煙突の追加です。北海道の一般型客車では「大型の電池箱」が有名ですが、元々はこちらの方がオリジナルの形態で、蓄電池の単位体積当たりの容量が増大したので小型化した、というのが実態です。北海道では、全体の蓄電池容量の増大のため、従来の電池箱のケースをそのまま利用して電池を追加し、北海道の客車の特徴となりました。現在高崎にいるスハフ32 2357は大型の電池箱が床下にぶら下がっていますが、これは、オリジナルの形態ということになります。スユニ60の場合は、「小型の電池箱を2組設ける」という形で電池容量を増大しており、蓄電池のパーツを追加しました。表現を統一するため、パーツは後述のスハ32、スハフ32の電池箱を大型のものに交換して切り取ったものを使いました。
 煙突は、スユニ60の場合、車椎用室側の一番端のベンチレータ位のすぐ内側に付いています。パーツとしてはKATOの急行「大雪」セットのスユニ61用としてASSYパーツが出ているのですが、入手していないので、手許にあったEVERGREENの1.2mm径プラ棒を使って自作しました。このプラ棒は取り付け足の無いベンチレーターパーツへの足の追加、および小径の穴を埋める用途で購入したのですが、20年近く前に購入してまだ使い残りがあります。T字の煙突にするためにT字の取り付け部に0.3mm真鍮線を埋め込んで強度を上げました。

 写真下はスハ32です。スハ32、スハフ32は写真が見つかった旭川客貨車区の車から車号を選びました。
 KATOのスハ32は、屋上のベンチレーターが9個です、これに対してTOMIXではベンチレーターが8個で、WC部のベンチレーターがありません。全体としては8個の車の写真の方が多く見つかっており、9個の車は少ない(昭和10年頃までに製造された車に限られる?)ようです。スハ32 234はベンチレーター8個だったので該当箇所のベンチレータを撤去して取り付け穴を埋めました。
 屋根はMrカラーの「ジャーマングレー」を吹きました。Mrカラーのジャーマングレーは写真のようにかなり黒っぽく、蒸気機関車時代の旧型客車のイメージに合っているので採用しました。なお、マニ60の方にはタミヤカラーのジャーマングレーを吹いたのですが、こちらは普通のダークグレーに近く、同じ「ジャーマングレー」でもかなり違います。このため、「電化区間を長く走っている車」のイメージで隅田川客貨車区の車であるマニ60に採用しました。
 床下の蓄電池箱は、前述のように大型のものに交換しました。用いたのはGREENMAXのガーランドベンチレーターパーツに付属のものです。
 車軸発電機は、北海道のものがギアドライブが有名ですが、台車側装架のものは、KATOの北海道の急行のセットでTR11, TR23, TR47, TR50が出ているのですが、模型の方では製品のままの表現(車体側のベルト駆動型)にしています。実際、写真でもどちらのタイプのギア駆動だったかは確認できなかったので、加工を保留しました。

 スハ32、スハフ32にはレボリューションファクトリーの方向幕ステッカーから「稚内行」を貼り付けました。

 これで、宗谷本線の客車列車を昭和55年、60年時点のそれぞれ「利尻」、321レを作ったことになり、機会が有ったら、気動車急行「宗谷」や、稚内機関区のキハ22型を作ってみたいと考えています。
 

J-train2018年春号より、昭和30年代末の飯田線など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月23日(金)01時34分57秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

2月発売のJ-train誌の「電車区訪問記」は飯田線の豊橋機関区でした(P143~)。
 本文中にもありますが、訪問は昭和38年の1回で、昭和50年代にも訪問しているとのことで、紹介されている写真は昭和50年代のいわば「見慣れた」写真が多く、昭和30年代の写真は少ないです。時期的には「2代目快速色」の頃で、青とオレンジの2色塗りで、幕板にも青塗装が入った頃に相当します。この中で、P147に番号不明のクハ47050台の写真(1963年9月1日、豊橋駅で撮影)があるのですが、奇数向きで、乗務員扉横の手すりが73型以降の天地が短い簡素な形であることと、幕板の手すりの位置が少し高いことから、「クハ47071」と考えられます。クハ47071は1959年3月に芝生さんが撮影しており、この時は助士席側の前面窓が2段式だったのですが、J-trainの写真では1枚窓になっています。このため、1959年から63年の間に助士席窓を1枚窓にするとともに、中央窓の下辺に静鉄形の通風器を付ける工事が行われたことになります。

他の記事では、前納さんが長らく手がけてきた205系の紹介が、今回の日光線、宇都宮線205系で最終回となり(P98~)、同時に新潟地区の115系の紹介も手掛けておられます(P68~)。
私としての注目は「客車列車の編成」(P3~)で、昭和20年代から50年代までの客車列車の編成記録が紹介されています。昭和20年代では、まだ木造車が入っていたころの客車普通列車、昭和30年代ではブルートレインの前身となった特急の一般型客車で編成されていたころの編成、昭和40年代では上野駅でも若干見られた客車普通列車、50年代では終末を迎えた上野発の客車普通列車などが紹介されています。

小田急クハ1651~53の車体について
すぎたまさん
 RM162号の碑文谷工場のクハ1650型車体の写真を改めて観察し、ご紹介の特徴を確認させていただきました。「クハ1653」の決め手ともなった「ドア上の水切り」も確認できました。

琴電に行った当時の京急の車はRP93-4増刊号(特集、四国の鉄道)で譲渡時の木造のままの頃(元クハ5100形7両と元デハ113の20型、RP162号の碑文谷工場の写真の頃、1958年よりかなり前の1948年のいわゆる「供出車」)の写真があります。また、クハ120形は、だいぶ後の1962年に改めて琴電への譲渡対象になり、鋼体化されています。この時にドアの位置と半円形の前面をそのままにして貫通扉が付けられたため、運転席が片隅の三角形のスペースに押し込められて、かなり狭い運転室になっています。これら元京急木造車の中から近代的な車体に鋼体化された62,65が平成まで残り、確か62がどこかに保存されていたと思います。
 

上田の5370形は

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 2月22日(木)16時57分56秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんにちは。
2/10の投稿からだいぶ時間が経過してしまいました。すみません。

それで、RM誌162号60ページの写真から、意外とすんなり上田交通(当時)のモハ5370形のタネ車は確定しました。
まず、記事中でモハ101と仮番付番された車は、クハ1651の旧車体ということになっていますが、これは60ページ一番下の写真2枚(左が2-4位、右が3-1位)から、トラス棒が無く、前後のドア下に鉄板+リベット多数による補強が無いことから、少なくとも1652ではありません。よってこの車は、目撃証言と車体に1651の文字を消した跡があったという証言記述から1651で間違いないでしょう。そうするともう1輌が1652か1653かということですが、1652は私が紹介した写真にもありますように、東急車輌には運ばれたものの、碑文谷には行っていない様子ですし、もっとも決定的なのは、
●60ページ写真で2輌分の車体が並んでいて、腰板から下の塗色が異なるように見える写真の、右側の車体ドア上に水切りが見える
●61ページ写真で、上田交通上田原電車区で工事が行われているモハ102号(仮番号)の台枠補強位置が1652号と合致しない
●小田急旧クハ1653には、ドア上に水切りが唯一存在していた
…という理由により、
モハ101号(仮)=1651号=モハ5371
モハ102号(仮)=1653号=モハ5372
1652号=東急車輌詰所
となったのは決定的かと思います。

車号は上のような感じでいいのではないかと思いますが、原口さんご指摘の「特急色様の色に見える写真」については、小田急旧クハ1651から1653(台枠は省雑形客車)は東急車輌で、台車だけ利用し(雑形客車から流用してない別の釣り合いバリが太いTR11台車)新クハ1651から1653になり、旧車体が2輌分碑文谷に運ばれた(上で検証したように旧1651と1653の車体)わけですが、東急車輌から碑文谷(東横車輌)に転送される際に、仮のさび止め的塗装をした可能性と、あるいは腰板のみ塗装をし直し、それがフィルムの感光特性や、撮影時の光線状態から違った色に見えるのいずれかではないかと推察しました。

輸送時のTR10台車について。これは明治44年式ではありませんでした。写真で見る限り、軸箱守左右が斜めに切れ上がった形状では無いので、TR10で間違いないでしょう。さすがに信越線を行くのに、明治44年式で昭和33年に走るのは無理があったのと、碑文谷工場の持ち物の明治44年式を借りるわけにもいかない事情があったのかもしれません。
碑文谷の明治44年式台車は、同誌58ページの東急サハ3363号新製車体が仮に履いているのが見られます。

アライアンスの「上作用」自連が装着と同誌にありますが、これは元のものがシャロンやアライアンスの「下作用」でしたので、これも貨物列車連結のため仮のものを付けて発送した様子がうかがえます。どこの持ち物なのかわかりませんが…。

小田急旧クハ1652号は、元台枠に損傷または変形があったのか、電車に改造時すでにトラス棒を残し、クインポスト部に枕木方向へ太いチャンネル材の補強を2本入れ、さらに枕梁部に外からあて板をして、大きなリベット多数で止め、大がかりな補強をしています。元台枠の状態が、あまり思わしくなかった様子が見て取れますが、それらが他車とかなりな仕様の違いになっていて、ただの詰所になったのだと思われます。

京急クハ120形は、高松琴平電鉄への譲渡車にはなりませんでした。これも碑文谷で、京急クハ140形→東急クハ3140形になったものを工事したそうで、同誌163号に写真などの記載があるようです。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

身延線115系とクモユニ143の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月18日(日)00時56分24秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

身延線の115系とクモユニ143を製作したので報告したいと思います。
 身延線の「身延色」の115系は、「湘南色」「横須賀色」以外の色ということで注目度が高く、KATO, TOMIXともに1980年代のかなり早い段階から発売していました。ただ、どちらも3両編成の発売(KATOは付属セットも発売)で、4両編成の発売はかなり遅く、KATOは2005年、TOMIXは2014年のことです。今回報告するのはTOMIX製品の加工です。
 KATO製品の方は、方向幕を準備工事にした車体が新規製作されたのですが、TOMIXの方は共用車体で、方向幕がガラス側モールドで、サボ枠が省略されています。また、モハ114は、MG風道が省略されています。このため、トレジャータウンのパーツを用いてクモハ115の戸袋窓上の風道と隣の種別表示挿しと併せて追加しました。併せて、サボ枠は、サボのステッカーを貼ることを前提として板状のパーツを貼り付けました。
 方向幕の準備工事は、車体の方向幕の穴をエポキシパテで埋めた上から、TAVASAの方向幕パーツを塗装したものを貼り付けました。併せて、ガラス側の方向幕表現を切り落としています。
 TOMIXの115系は、妻板の表現が115系1000番台に合わせられて共用化されているので、2000番台では存在する風道が存在しません。このため、トレジャータウンの113,115系用風道パーツを追加し、関連して手すりも追加しました。手すりは、検査標記のインレタの転写の後に穴あけと接着をしました。ちなみに、KATO製品の方は113系2000番台の方に標準化されているので、以前の製品では115系1000番台も妻板に風道の表現がありました(雪切室とMG風道はプリント表現)。
 以前の115系長野色C編成の製作の時にも紹介しましたが、TOMIXの製品は、115系のなかでも屋根が塗り屋根になった末期型になっているので、クーラー脇のランボードの肩が斜めになっているのとともに妻板上辺のキャンバス押さえが省略されています。長野色の時はトレジャータウンのパーツが間に合わず、工作を後日に回したのですが、今回の工作ではパーツが調達できたので、キャンバスさえをつい生かしました。
 写真上は、登場時のMc-M'-Tc-Tc'の編成、中央はTc-Mc-M'-Tc'に変更された後の編成で、車号はクモハ115-2006―モハ114-2606―クハ115-2127―クハ115-2027にしました。インレタは製品のものは使わず、くろま屋の製品とトレジャータウンの製品を使っています。

 クモユニ143は鉄道コレクション第20弾の製品です。発売当時に速報しましたが、今回115系と併せて加工しました。
 製品は、帯の色が黄色みが強かったので塗装を落として全塗装をし直しました。帯はトレジャータウンのクリーム色10号帯のインレタを使いました。併せて手すりの全別パーツ化を行っています。
 床下機器は、発売当時の報告のように、クモヤ145の床下機器で標準化されています。クモユニ143用の床下機器は、最近になって3Dプリンターの製品が発売され、これを購入してはいるのですが、表面処理の技術をまだ持っていないため、とりあえず製品のクモヤ145用の機器をそのまま使っています。連結器はTOMIX TNカプラーを装備し、スカートをTNカプラーに合わせて削り込みました。標記はTAVASAのインレタで、車号はクモユニ143-4としました。
 写真下がクモユニ143を連結した編成です。身延線ではクモユニ143は偶数側に連結されており、パンタ側が前になっていたのに対し、飯田線ではクモユニ147は奇数側に連結されて、パンタ側が中間封入されていました。旧型国電時代の荷物車の向き(偶数向きの身延線のクモハユニ44と、奇数向きの飯田線のクハユニ56)をそのまま継承しています。
 

京急2000型運用離脱まで秒読みか

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月14日(水)01時04分43秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

今朝の通勤時、金沢文庫の総合車両製作所に白塗りの京急新1000形が引き出されているのを目撃しました(写真)。
白塗りの新1000型は、12月中仁に1本目、1月中旬に2本目を目撃しており。これが3本目になります。2017年度は8両編成は3本が投入されることになっており、今年度分が全て製造されたことになります。これとともに残る3本の2000形が置き換えられるはずで、写真の3本目の新1000形が営業運転に入るときが、2000型の営業運転が終了する時になり、2000形の消滅が秒読み段階に入ったといえます。
また、川崎重工で新製される6両編成の方も、12月末に1本目、1月中旬に2本目を目撃しており、こちらは今年度は2本投入予定なので、今年度分の投入が完了したことになります。
今日の帰りには京成新3000型も目撃しています。こちらは2本目になります。

(2/17追記)
現在残っている2000型を先週目撃したので追記します。
2月15日に2061編成(写真中央)、16日に2011編成(写真下)を目撃しました。両方とも横浜8:14発上りの羽田空港行です。
 

雑型客車由来の電車など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月12日(月)23時14分44秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

雑型客車について
すぎたまさん
 「J-Train」67号は手許にあり、ホハユ3158の写真を確認しました。明治期の鉄道買収前の「雑型客車」のカテゴリーに入る客車は在籍時期的に写真が存在すること自体が貴重だと思います。
 昭和10年代の雑型客車を種車として作られた私鉄電車は興味深い存在で、同時期にも(旧)西武鉄道、武蔵野鉄道にも存在し、買収国電になった車では青梅電鉄に存在していました。それぞれの鉄道で「どのように電車に改造したか」バリエーションがあるもが面白く、客車の車体をほぼそのまま使用した富士山麓電鉄、木造で「電車のような車体」を作り上げた武蔵野鉄道、南武鉄道、自社の電車と同じ形態の車体にしてしまった青梅電鉄があり、小田急クハ1651~53は青梅電鉄ほど徹底してはいないが、本格的な電車にした例になると思います。ホハユ3158の写真は、これらの「雑型客車ベースの電車」が元々どのような車だったかを示すもので、南武鉄道の電車(後に客車に変更)の写真などと比べてみると、車体製作の考え方が見えてくるようです。
 ちなみに、南武鉄道は、当時の鉄道会社の車両の導入の方針が典型的に観察されます。開業時にデハ100形15両を大手の車両メーカーより導入し、昭和10年頃までの小刻みな車両増備は木造省電の払い下げ(元モハ1形)と中規模メーカー(木南車両)からの導入(クハ210型)で対処しています。昭和15年ごろの大規模な輸送力の増加へは、モハ150、クハ250形を大手メーカーから導入するとともに自社木造車の鋼体化(モハ503,504(木南車両)とモハ505,506(日本鉄道自動車))を行うと共に雑型客車の導入で充足する、という動きになっています。車両の小規模な需要を充足する中規模メーカーの存在と、戦時体制による車両増備位の規制の強化に対する抜け道としての雑型客車という昭和戦前の特徴が認められます。

119系について
前納さん
 KATO119系の情報をありがとうございます。後期型らしいとのことで、前期型への改造を考え始めています。
 クモユニ147も競作状態で、完成品ではGREENMAXが無い代わりにWINが車体を発売しており、MICROACE、鉄道コレクションと続いています。

JR東日本189系の交替
 現在稼働状態にあるJR東日本管内の特急型電車は、485系、583系が引退し、189系が中央東線に残っていますが、今度の改正で交替するようです。6両編成4本が残っていて、豊田の特急色、グレードアップあずさ色、あずさ色、長野のあさま色とそれぞれ別の色になっていましたが、確か昨年あずさ色が引退しています。豊田の18系は富士急行に直通するホリデー快速に使われていますが、この運用が3月のダイヤ改正からE257系500番台に交替することが発表になりました。E353系の増備に伴ってE351系が交替し、E257系の交替も始まることから、残り189系も交代する可能性が高くなったと考えられます。
 189系のホリデー快速は2016年10月に富士吉田に出張した時に乗っており、当時も報告しましたが、改めて写真を紹介します。10月15日夕方のホリデー快速で、富士山駅での撮影(写真上)と新宿駅での撮影(写真下)です。
 

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