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国鉄工場めぐり

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 5月30日(水)21時43分25秒
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  みなさん、こんばんは。

原口さんご紹介の「国鉄工場めぐり」、じっくり見てなかったので、改めて見直しました。
吹田工場で吊り上げた絵葉書の63形は全体にブラシ修正しているものの、画像自体を書き替えていないという前提なら、栓収めが標準位置より車体中央へ寄っているのは関西配属車ではレアケースです。ちなみにRF417号39ページ上の写真の右に写っている73形は個人的な車号推定で73019と付き止めています。そうすると、その前身の63581は候補の一つかもしれません。

もう一件、大船工場のクハ86形の顔とあるのは、ご指摘どおり76形です。現物は撮影していないので詳細は忘れましたが、工場公開イベントで現認しました。ベースはスカ色だったような…。写真説明には「補修」とありますが、なにかの練習台だったと聞いた記憶があり、パテ盛りの訓練用かもしれません。正式な保存ではないので、閉鎖時まで存在したのかも不明です。ナハネフ22や松葉スポーク車輪は大宮鉄博に引き取られましたが、“最後の湘南顔”であっただけに、きわめて残念です。いやはや、これは詮無き繰り言で失礼しました。

 
 

元南武鉄道クモハ2000形の新たな写真の発表:RM Library 226「南武鉄道モハ100形15輌のはなし」発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 5月29日(火)00時50分25秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

RM Library 226「南武鉄道モハ100形15輌のはなし」が発売になりました。
 南武鉄道モハ100型の総数15両は買収国電としては阪和電鉄モタ300形の30両に続く多数で、早い時期に地方私鉄に散らばっていったため、新製当時に譲渡後の工事が重なった形態の変化、および地方私鉄の車両導入の事情など、様々な興味深い経過をたどっています。このRM Libraryの新号は南武鉄道モハ100型に注目し、南武鉄道時代と国鉄買収後、さらに地方鉄道への譲渡後を追跡したものなのですが、他の南武社型も記述されており、その中で富山港線時代のクモハ2000形(南武鉄道モハ150形)の新たな写真が紹介されています。この中で注目はP22のクモハ2006の写真で、後位運転台の詳細がわかるものです。南武モハ150型は元々は両運転台で運転席側だけに乗務員扉があったのですが、片運転台になった車は後位運転台の乗務員扉が全部助士席側に移設され、両運転台で残った車は助士席側に乗務員扉を追加しています。この中でクモハ2006は一旦片運転台化された(「私鉄買収国電」)P37掲載の1954年5月2日に可部線可部駅で撮影の写真)のですが、昭和34年の改番で片運転台車をまとめた「クモハ2010形」にはならなかったことから、両運転台に復元されたことがわかります。この状態の写真はRP92-11号「特集 南部・青梅・五日市線」に昭和35年ごろの2色塗り時代のものが掲載されており、貫通路を残したまま運転台が付けられたことがわかりますが、真横に近い撮影アングルのため、貫通扉の形態など、運転台部分の詳細はわかりませんでした。今回発表の写真は1965年4月撮影の最末期のもので、増設運転台の運転席側からですが正面に近いアングルのため、助士席側の窓は2段窓であること、貫通扉は木製で2段窓であること等の形態が確認できました。他の富山港線の南武社型はクモハ2011(P23)、クモハ2020,2021(P24)の写真が掲載されています。クモハ2020の写真は、単独で切り離されて留置されているところを後位の撤去された運転台側から撮影した珍しいもので、運転台撤去工事(クモハ2020形は元々は両運転台)の内容がわかる珍しいものです。

他に興味深い写真としては、P25の阪神の木造車を流用したとされるサハ202,202が「新車」として入線した直後の、塗装に艶が有っていかにも「新車」のような雰囲気を醸し出している写真があります。

同号のテーマである「モハ100形」に戻ると、「南武鉄道時代の写真」が多く掲載されているのが注目で、他、「小田急に貸し出されて小田急本線を走っている写真」(P17)も興味深いものです.
また、南武モハ100型のうち、103, 111は譲渡されずに早期廃車になっているのですが、金沢文庫の東急車両の工場で車体が長い間放置されていたことが報告されています。P12,13に写真があるのですが、撮影年月が「1963年3月」とかなり後で、かなり長期間車体がバラックのような状態で残っていたことになります。
譲渡後のモハ100型の中で、最も長生きだったのは高松琴平電鉄81(1998年廃車)ですが、同じ経過をたどった82と73は、1983年廃車と早く消えたために琴電時代の写真が非常に珍しく、同号でも掲載されていません。73の非常に珍しい写真はWikipediaに掲載されており、南武鉄道買収車の項目から見ることができます。

金沢文庫だより
 最近の金沢文庫の総合車両製作所横浜工場では、都営浅草線5500形の製造が始まっており、今月中ごろに「5502」の車号の車を確認したのですが、この編成が落成したようで、今日の通勤時、京急金沢文庫検車区の工場の建屋に引き込まれていました。
 また、「鉄道ダイヤ情報」によると、6月に川崎重工から1600番台6両編成2本が回送されるそうで、これまで年末から年が変わってからの落成が続いていた京急の新車が珍しく年末を大きく外れた時期に落成することになります。また、東京地下鉄日比谷線13000形も5月20日から6月20日の間に3本が落成する予定で、うち1本が熊谷貨物ターミナルに到着しているのを今日の通勤時に目撃しました。6月中頃の甲種輸送は熊谷貨物ターミナルから秩父鉄道、東武鉄道の回送ではなく、越谷貨物ターミナル駅に到着する予定になっており、車両搬入ルートが変更される可能性が有ります。東京地下鉄日比谷線13000形も5月20日から6月20日の間に3本が落成する予定で、うち1本が熊谷貨物ターミナルに到着しているのを今日の通勤時に目撃しました。6月中頃の甲種輸送は熊谷貨物ターミナルから秩父鉄道、東武鉄道の回送ではなく、越谷貨物ターミナル駅に到着する予定になっており、車両搬入ルートが変更される可能性が有ります。
 

旧型国電のクレーンつり上げ写真の発見など:RM Library 192~194「国鉄工場めぐり」(上~下)より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 5月28日(月)00時02分25秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

用務が続き、御無沙汰しておりました。

先日、RM Library 192~194「国鉄工場めぐり」(上~下)を入手し、旧型国電を含む珍しい写真が多く収録されていたので報告したいと思います。
 RM Libraryでは、この場でも報告された東急碑文谷工場や、西武所沢工場など、私鉄の工場の歴史を紹介した号がありますが、「国鉄の工場」でも同様に写真をメインに歴史を振り返れないか、というコンセプトでまとめられたのがRM Library 192~194「国鉄工場めぐり」(上~下)です。北は旭川車両所から、南は鹿児島総合車両所まで30近い数あった国鉄工場が、昭和20年代末期からJR直前までの写真が紹介されています。
 全体としての印象は「古典車両の写真が多く紹介されている」ことです。元々工場内の事業用としては第一線を退いた古い車が使われることが多く、旧型国電では昭和50年台の大井工場のクモニ13や、以前も話題になった大船工場のクモハ12051やクモハ40、吹田工場のクモハ32002等が有名でしたが、「昭和30年代初頭の時点」で「古典的な車両」が多く紹介されています。全国的には、昭和20年代に行われたオハ61系鋼体化客車の「鋼体化工事」から漏れた、「鉄道院基本型客車」や、国有化以前および買収私鉄の「雑形客車」が事業用として多く使われており、特に中巻P32に収録されている1953年頃の浜松工場の通勤列車は、鉄道院基本型客車や、それ以前の車両限界が少し小さい車を交えた、二重屋根に「トーピードベンチレーター」を並べた車で編成されている、昭和20年代末とも思えない古めかしさを感じさせます。

 旧型国電では、中巻P9の大井工場の天井クレーンで吊り上げられたクモハ73057の写真(1965年1月14日撮影)に注目しました。最近「車体と台車の結合」に注目していて、工場のイベントでの車体の吊り上げ、ジャッキアップで車体の床下を見ることができる機会に台車周りを観察しており、この場でも東武、京急、西武の車両の心皿構造の写真を報告していますが、これらの観察を通して、「旧型国電を吊り上げた写真の紹介は無いだろうか」と考えていたところでした。国鉄~JRの工場の公開イベントが定期的に行われるようになった頃には旧型国電は無くなっていたので、旧型国電の吊り上げ写真は個々の工場で歴史をまとめた「~工場~年誌」のような業務出版物くらいでしか発表が無いのでは、と思っていたので、この写真には驚きを感じました。
 このクモハ73057の写真では、心皿に細いピンが突き出しており、この点では以前紹介の写真では東武8000系に類似しています。また、同じく以前紹介の野辺山SLランドのTR34台車の心皿の構造とも対応しています。
 吊り上げ写真はもう1枚、下巻P6に吹田工場でのモハ63型の吊り上げ写真が掲載されています。これは吹田工場の創立30周年記念絵葉書の写真で、吹田工場は1921年創立らしいので、30周年は1951年のことになり、当時最新の写真ということになります。正面近くから見ているために床下はよくわからないのですが、「奇数車であること」「幕板の通風器はすでに塞がれていること」「掛けサボフックが付いていること」が確認できます。

 他、旧型国電では大船工場の「湘南型前面を切り取ったもの」(1986年3月30日撮影, P25)が注目です。解説では、「国鉄末期の頃、既に消えたクハ86の先頭部が保管されていた。補修されているようだが、この後どうなったのだろうか」とあり、クハ86形とされているのですが、左右の窓下手すりをつなぐ「掛けサボフック」が付けられているので、クハ76形のほうだと考えられます。掛けサボを常用していたクハ76形は京阪神緩行線及び阪和線の車で、主に横須賀線の増発で横須賀線に転入した後、さらに各地に転出したので、掛けサボフックを付けたクハ76形は70系を運用していた線区に数両ずつ散らばっていました。その中で、大船工場で解体されているので新前橋電車区の車なので、湘南型前面の由来は、昭和29年型の76065、昭和30年型の76088、昭和31年型の76082, 085, 091の範囲になるのですが、テールライト直下で切り取られているため、方向はわからないのですが、テールライトが昭和29年型までの旧型ではないことがわかるので、「76065ではない」ことがわかります。また、テールライト上のステップの幅がテールライトの構造と同程度の、幅の狭いもので、残る4両のうちでは76082のみがこの形態(他は幅広)なので、この湘南型前面は「クハ76082に由来する」と考えられます。
 また、運転台内に他の旧型国電に由来する検査標記を切り取ったものが保管されているようで「形式クハ47 自重30.8t」等の文字が読み取れます。

 他、松任工場では、「全焼したクハ79244」の写真が掲載されています(1975年5月26日撮影, P43)。「廃車となったクハ79244は焼失状態であった。経緯は不明である」と記述されていますが、手掛かりとなる写真がRM Library 139「マニ60・61形、スユニ60・61形」(下)に記載されています。P48に全焼したオエ61 74の写真が掲載されており(1989年1月7日撮影)、「国鉄末期に廃車になった車両の処分において不要な木製部分を焼却してから解体したケースがある」と解説されています。このため、クハ79244も、解体に当たって「木製部分を焼却した」のではないかと考えられます。オエ61 74ではさらに塗料が燃え尽きるために「結果として鉄柱材の工法や、種車であるマニ60 2667時代の車掌室付近の窓配置がわかる」と解説されており、クハ79244も乗降扉の「プレスマークを埋めた跡」がよくわかります。また、クハ79244の1-3位側(写真の側)のドア形態は左から右(後ろから前)へ「2段窓―2段窓―1枚窓―1枚窓」なのですが、一番右の扉にはプレスマークが認めらないことから、このドアは元々プレスマークが無かった、すなわち、富山港線転入以前に新しいものに交換されていたと考えられます。

J-Train最新号など
 今月は「J-Train」最新号など、季刊の鉄道雑誌も発売になりました。毎年のこの時期は貨物列車の話題が多く取り上げられ、複数の鉄道史で特集されていました。J-Trainは前号で電車区めぐりが終了したので、「客車の話題の割合が多くなった」印象があります。
 電車の方では、首都圏の電車の動向で、総武緩行線のE231系0番台の「6M4T組み替え編成」が登場したことが報告されていました。川越線へE231系0番台が「6本」転用されることが発表になっており、同数のモハE231-モハE230ユニットが発生することになるのですが、その行き先が確定したことになります。また、山手線から転用されるE231系500番台の数は総武緩行線の所要数(E231系0番台と209系500番台の合計)よりも「6本少ない」とどこかで見たことがあり、この数に合わせてE231系0番台が残り、さらに川越線へのE231系0番台の転用数が決定したことが伺えました。
 

近江鉄道モハ220形の種台枠

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 5月24日(木)05時15分2秒
返信・引用 編集済
  みなさんおはようございます。

近江鉄道モハ220形ですが、古台枠流用、側面に西武701系一部利用、下回りは西武経由の旧形国電用機器、西武のFS40台車を合成した電車として、つとに有名ですね。
ところがこの車の車籍ではなく(車籍は近江鉄道の場合、めちゃくちゃと言ってもいいくらい複雑なので、あてにならず)、実際に利用された車体台枠に着目すると、1つの謎が(謎はたくさんありますが、気になるところがという意味で)。
元の車籍としては、モハ100形(元岳南鉄道)や、モハ200形(元小田急1600系の車体)などを引き継いで、「改造扱い」で製作されています。機器類は確かに車籍の車輌のものも、使ってはいるようですが、モハ100形の場合、当該のモハ220形が出来上がっているのに、廃車留置線にその姿が見られた時期があり、明らかに直接の種車にはなっていません。
それで、当時RM誌に推定として載っていたのが、
モハ205--221
以下台枠流用した実際の車輌として、
モハ203
モハ201-クハ1201
モハ202-クハ1202
が推定されていました。仕上がり、台枠の厚さ、車体長さ、幅などから判断して、間違いなさそうです。
ところが小田急時代の旧番号を書き出しますと、
205--デハ1605
203--デハ1610
201--デハ1609
1201--クハ1657
202--デハ1603
1202--デハ1602(旧デハ1601)
となっており、クハ1650形が1輌混じっています。問題なのは、クハ1650形は戦後製、デハは戦中の製作なので、車体長が若干異なるのです。
そうすると、1輌だけはモハ220形に改造後も、寸法が異なっていたのではないか?、という疑問が生まれます。
今のところ、モハ220形には、連結器が大正時代のシャロンやアライアンスを使っているものがある、モハ221は当初2段窓であった程度の違いしか、見いだすことは出来ませんが、1輌だけ微妙に車体長が長い車が無かったのか。これは気になるところです。何か資料はありませんかねぇ。
流用された主電動機はMT-15形、台車はFS-40で、主制御器はCS-5相当、主幹制御器はMC1Aです。台車とブレーキ以外は旧形国電の装備そのものですが、先頃再審請求がなされた「三鷹事件」の実証実験に使える車輌ではありますね。

<追記>
小田急デハ1600形の車体長は15800ミリ ボギーセンター間距離10400ミリ
同クハ1650形1657号の車体長は16350ミリ 同上11150ミリ
です。データは、「鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950~60の70ページ車両要目表によります。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

ED19きれいですね

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 5月 8日(火)10時06分48秒
返信・引用
  Satokawa@管理人さんこんにちは。

ED19形、輸入機だったはずですが、すっかり日本風にも見える機関車ですね。郷土博物館に保存というのも、長く親しまれた証拠でしょう。
雨どいが後付け感たっぷりなのも、雨が多い日本の風土に合わせた改造でしょうか。車内の「引き出し」みたいなの(右側。左奥はCP?)も、まるでタンスのようで面白いですね。
この1号機は、ED53時代にお召指定機だったのか、乗務員名札さしがありますね。
なにより、このような美しい状態で保存されているのは、意義のあることだと思います。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

春のふれあい博物館

 投稿者:Satokawa@管理人  投稿日:2018年 5月 6日(日)10時19分47秒
返信・引用
  飯田線ファンの皆様の中ではご存知の方もいらっしゃると思いますが、かつて飯田線で貨物列車を牽いていた電気機関車ED19が伊那松島駅至近の箕輪町郷土博物館に保存されています。昨日、5月5日にこの博物館でイベントがあり、ED19の車内公開や汽笛吹鳴が出来ました。地元志向のイベントで親子連れの方々がいらっしゃるまったりしたイベントでしたが、飯田線ファンの皆様にも是非訪れて戴きたいイベントだと思い、ここに報告します。来年のカレンダーの5月5日を是非マークしておいて下さい。

http://blog.goo.ne.jp/satokawa_157

 

木わくのクハ86059

 投稿者:72901  投稿日:2018年 4月30日(月)01時10分39秒
返信・引用 編集済
  みなさまこんばんは。

鉄道ファン1972年3月号のP131に木枠のクハ86059の画像があるのを発見しました。
「”湘南電車”今だ健在」というタイトルで変り種としてクハ86059が前面窓がHゴム化されておらず、新製時のままの姿をとどめていると紹介されています。
画像は品川駅で1971年11月14日、助手席側の前面窓中央寄りに平塚行のプレートの様な行先表示が入っています。
木わくのクハ86が1971年まで存在したとは意外に感じました。

>原口さま
モハ63形中巻のモハ72307(DT15)はピクトリアルと同じ写真です。
この本はモハ63ですが、クモハ73、モハ72の写真が多く掲載されています。
下巻も楽しみにしていますが何とか73系に進んでくれないかと期待しています。
京急の話題が最近無くなりなんとなくさみしくなってしまいました。
原口さんのレポートは読んでいて楽しかったのでとても残念です。
どこか別にサイトを立ち上げて続けてもいいと思いますがいかがですか。
釣り掛け車どころか金属バネの車両すら珍しい昨今、電車らしい京急は楽しい話題だと思います。
 

クモハ73形、モハ72形全金更新車の原型時代の写真

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 4月26日(木)00時39分24秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

先日報告した、RP18-4号「特集 153系電車」購入時に、「国鉄鋼製電車史 モハ63形」の中巻が発売されていたのを目撃しました。購入までは手が回らなかったのですが、収録されている写真にいくつか注目すべきものがありました。
 こちらにもDT15台車を装備したモハ72307と、DT14台車を装備したモハ72313の写真が掲載されていたのですが、RP17-11号「特集 72系旧型国電」に掲載のものと同じ写真かもしれません。
 注目したのは、モハ72000台の全金更新車の原型時代の写真があったことです。最晩年は津田沼電車区にいた、モハ72001とモハ72131の写真を確認できました。全金更新車の全金更新以前の写真はクモハ73001以外は珍しく、J-Trainの津田沼電車区の記事でクモハ73013の原型時代の写真を見たのが2例目だったので、これが3例目と4例目になり、さらに、モハ72000台全金更新車の写真としては初めての例になります。
 細部写真では、パンタ周りの写真が多かったのに注目しました。パンタ周りの写真はこれまでも点々と紹介されてはいますが、昭和30年代までのものは珍しいのではないかと思います。

「改造前の写真」という点では、昭和40年代初頭までに改造されたクモユニ74形や、クモユニ82,83型の初期車もめったに見ないもので、DT15装備のモハ72307も、改造後のクモニ83011の写真の方だけが有ったので、「クモニ83への改造前の写真があった」という点でも貴重なものです。これに対してクモユニ82、クモニ83の昭和40年代末になって改造された末期車や、モハ62系、モハ72系アコモ改造車は改造前の写真は割とある方です。それでも首都圏のアコモA更新を受けていることになっている車がアコモ改造を受けたことになっているのが、実際にアコモA更新を受けていたのかどうかが確認できない、という例もあり、改造前の状態が謎な車が多いです。
 

SIVと電力環境、首都圏私鉄発の車両の置き換えの始まりなど

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 4月22日(日)23時33分24秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

インバーターと給電環境について
EF651047さん
 SIVを用いた給電と、クーラーとの関係について、先日紹介した京阪神快速線の130km/h運転とクーラーの情報が紹介された時にも情報が紹介されてはいたのですが、改めて、何故室温が上がったのかわかりました。すぎたまさんのお話と、船の電灯の話と併せて、電車における定電圧の維持とインバーターの使用が、意外と難しい問題をはらんでいることが伺えます。
 先日のLED電灯と電源環境の話の続きなのですが、「船でのLED電灯の寿命が半年くらいだった」との話題を見て思ったのが、「給電環境が不安定な開発途上国ではLED電灯は使いにくいのではないか」ということでした。1つは、南アフリカ共和国でサッカーのワールドカップが行われた2010年頃のことですが、南アフリカ共和国のインフラ事情が、「電力の供給が不安定で頻繁に停電する」ことが報告されていました。また、日本でも昭和20年代から30年代は同様の状況にあったようで、昨年10月7日にNHKで放映された「ブラタモリ」の「黒部ダム」で、黒部ダムと黒部第四発電所の建設が行われた最大の理由が「関西圏の電力の安定供給」で、昭和20年代から30年代の近畿都市圏では電力の供給が逼迫しており、「工場は週2日、家庭用は週3日、供給制限が行われた」と紹介されました。また、昭和22年のことですが、RM Library 110「阪急P-6」P16に「ちなみに1947(昭和22)年頃の大阪の家庭では夜間は40分送電、20分停電であった」とあり、短い周期で輪番停電をしていました。電力が不安定だったため、電車の運転にもかなりの影響があったのではないかと思われます。

地方の私鉄の電車の置き換えについて
 以前、東京メトロ日比谷線の車両の20m車への置き換えの話が出た時、「東京メトロ03系、東武20000系を財源として地方私鉄の車両の置き換えが起きるのではないか」と話題を出しましたが、この第1報が発表になりました。今年1月中旬の「西日本新聞」に熊本電気鉄道が東京メトロ03系を2両編成にしたものを3本導入することが報道されました。熊本電鉄の電車は昨年秋に報告しましたが、現在在籍の元都営三田線6000系が5本、元南海高野線のズームカーが1本、元東京メトロ01系が2本いるうち、ズームカーは置き換えが確定で、都営三田線から2本が置き換えられることになります。また、東京メトロ03系は両端Tcの編成なので、先頭車に中間M車の機器が移植される工事が行われることになります。
 

MGとSIV違い

 投稿者:EF651047  投稿日:2018年 4月15日(日)20時23分9秒
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   補助電源はMGとSIVに大別されます。MGは回転惰性があるのでセクション通過などの瞬間的な停電でも出力側は少し電圧が下がるだけで、停電状態にはなりません。
 SIVは入力側からの給電が切れれば出力側もすぐ停電状態になります。この時、クーラーは安全装置が働くので、これが復帰するまでに数秒以上の時間がかかります。車両の高圧母線を結ぶのは効果的ですが、架線のセクションを短絡してしまうので、距離が何m以内といった制約があります。
 秩父鉄道1000系の冷房化による2パンタ化は、カーボンスライダーなので大容量の補助電源による集電容量不足を補う意味もあったと思います。
 

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