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列車選別装置と連結器周り

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 1月31日(日)00時21分49秒
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  前納さん、皆さんこんばんは

 クハ103-535の排障器に付いている金具が「列車選別装置の車上子」ではないかとの情報をありがとうございます。芝生さんのクモハ103-66の写真の列車選別装置の車上子が付いている状態も確認しました。クハ103-525の写真もありましたが、京浜東北線で中間に封入されているところで、排障器に列車選別装置が付いているかどうかは確認できませんでした。
 写真上は「ポッポの丘」で、クハ103-525の連結器部分を正面から撮影したところで、下に並べたクモニ83006とキハ38 1の連結器の写真と同じく、「連結器と胴受けの構造」を比較する目的で撮影したものなのですが、胴受の後ろに話題の「列車選別装置の取り付け金具」が見えています。正面から撮影しているので、金具の位置関係が明瞭で、助士席側にオフセットしていることと、軌道間隔の半分以上の間隔が有りそうなほどの大きさのものがぶら下がっていたらしいことが伺え、クモハ103-66の写真でも、列車選別装置は結構大ぶりなことが伺えます。

 胴受けを見ると、クモニ83006のものとクハ103-525のものは「コイルばね」がだいぶ異なっており、クハ103-525の方が「巻きが細く、間隔が広く、線材が細い」ようです。また、キハ38 1は両側のばねの間隔が非常に狭く、模型の観点から、「部品の共用はできない」と感じました。
 
 

列車選別装置の車上子

 投稿者:前納浩一  投稿日:2021年 1月26日(火)19時40分29秒
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  原口さん、みなさん、こんにちは。

排障器についている謎の金具は、中央線快速時代に使用していた列車選別装置の地上子を取り付けていた金具と推察します。
芝生さんのサイトで、クモハ103-66の写真などが判りやすいです。
 

「青4号」の富山港線2色塗り以外の用途

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 1月25日(月)23時32分44秒
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  皆さんこんばんは

 富山港線の昭和20年代後半から30年代前半にかけての2色塗りは、最近の情報で「クリーム色1号」と「青4号」とされていますが、「青4号」の富山港線以外の用途が見つかりました。
 RP04-02号(特集 キハ35・45系)を読んでいたところ、キハ35系の製造予算ごとの変化のところで、まず、昭和37年度本予算のところ(P14)に「行先方向幕の文字のうち、黒字のものは青4号とした」とあります。さらに、昭和38年度本予算(追加)のところ(P15)に「行先方向幕の文字色を青4号から青15号に変更した」とあります。この記述から、キハ35系の場合、方向幕の文字が青4号だったのはキハ35 33~56、501~512、901~910、キハ30 1~15の合計61両となります。
 同時期の電車を見ると、ちょうど昭和37年度本予算で製造されたのが103系の試作車(900番台)でした。ちなみに「ポッポの丘」のクハ103-525は予算ではずいぶん後の昭和40年度第2次民有になります。近郊型、急行型電車では、MT46モーターからMT54モーターへの移り変わりの頃に相当し、モハ111,110の末期、115系の最初の製造の頃になります。
 

クモニ83レポート(補遺その5)クハ103-525のTR201台車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 1月24日(日)01時16分54秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

「ポッポの丘」のクハ103-525の続きとして、TR201台車の細部を紹介したいと思います。

写真上は前位台車の「側受」です。側受は揺れ枕吊りの上に付いていますが、この位置を「かなり外側に付いている」と感じました。側受けは、この場でも旧形国電の台車のものがしばしば話題になっており、私もこの場にTR34台車とDT13台車のものを紹介しています。両台車と比べると、TR201台車の側受はかなり外側で、旧形国電ではDT17台車以降のものに近そうで、「コイルばね形式の揺れ枕吊り」という共通点があるので、「揺れ枕吊りの構造」で側受け位置が制限されたのでは、と思いました。写真中央は、両側の側受と、中央の心皿を併せて撮影したもので、心皿と側受の位置関係がわかるのではと思います。

写真下は排障器です。狭義の排障器は、車輪の前に下に突き出しているものですが、この車の場合、排障器の取り付け台座がさらに前に伸び、左右をつなぐ部材の下に、何かを取り付けるような部材が下にぶら下がっています。また、この位置は中央ではなく、非公式側にかなり寄っています。これが何なのか、謎です。
 

クモニ83レポート(補遺その4)クハ103-525の手ブレーキのリンク

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 1月17日(日)13時24分39秒
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  皆さんこんにちは

電車の制御車の中には、床下機器の中に「手ブレーキのホイール」が目立つ車がいます。「ポッポの丘」のクハ103-525も、手ブレーキのホイールが目立つので、この部分も観察しました。
 写真上はホイール部分、中央は大ホイールから運転台の手ブレーキへのリンクです。
 手ブレーキの取り回しは、旧形国電のものは、モデル8「大糸線 旧形国電写真等」P75に各種の図が掲載されており、この元となるものが「とれいん」1988年2月号P56~63に掲載されています。これらの図と比較すると、クハ103-525は収録のどの分類とも異なっており、「台車ブレーキを鎖車で駆動する」方式になっています。また、大ホイールが外側に、小ホイールが内側にあるレイアウトも旧形国電では見られないもので、これが「手ブレーキのホイールが目立つ」要因になっています。
 写真下は写真上と似たアングルですが、向こう側のATS-S車上子を撮影したものです。
 

クモニ83レポート(補遺その3)ボールドウィンA形台車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 1月16日(土)11時19分42秒
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  皆さんおはようございます

「ポッポの丘」には、地方私鉄の電車も何両か展示されています。その中には、昭和初めの地方電化私鉄の発展期に製造された、「ボールドウィンA形台車」を装備した車もいて、これらの台車も見てきました。

 上は長野電鉄モハ1003の台車で、U形イコライザーを装備した台車です。軸箱の蓋を見ると、日本車両の社紋が刻印されていることに気づきました。このタイプの台車は、GREENMAXで「日車D形台車」の名前で発売されていることもあり、「日車D形台車」と呼ばれることも多いものですが、この台車は、真正の「日車D形台車」ということになります。
 モハ1003は、「運輸省規格型電車」のカテゴリーに入るもので、ボールドウィンタイプの装備例としては末期の車になります.

 下は銚子電鉄デハ702の台車で、こちらはデハ701とは異なり、「弓形イコライザー」台車です。見かけはかなり異なりますが、台車の外側に張り出す、三角形のブレーキ支持部は「日車D形台車」と共通の構造で、「ボールドウィンA形台車」であることが示されます。この台車は住友製鋼の「KS-33L」台車とのことです。
 銚子電鉄デハ700形は昭和3年に伊予鉄道デユワ101形として作られた木造車を昭和16年に日本鉄道自動車で鋼体化して、モハ51形となった車を昭和53年に譲受した車ですが、機器はデユワ101形由来のものを継承しています。台車もデユワ101形由来のもので、こちらはボールドウィンタイプの早い方の装備例になると思われます。
 

クモニ83レポート(補遺その2)DE10との再会

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 1月 9日(土)11時40分36秒
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  「ポッポの丘」には、以前「船の科学館」にいたDE10 30が移動してきています(写真上)。DE10は、2010年3月23日に航海から帰ってきたときに「船の科学館」を訪問しており、その時に「羊蹄丸」で見て以来の再会です(写真中央)。羊蹄丸にはDE10とともにスハフ44もいましたが、こちらは真岡鉄道真岡駅の「SLキューロク館」に移動しており、こちらもちょうど5年前の2016年1月10日に訪問しています。  

クモニ83レポート(補遺その1)ATS-B受電器

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 1月 9日(土)09時41分24秒
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  皆さんおはようございます

先日の「ポッポの丘」訪問時にクモニ83形以外で注目した物品を紹介したいと思います。

写真は、クハ103-525の「ATS-B受電器」です。
 ATS-Bは、ATSシステムの中でも歴史が古いもので、首都圏、関西圏の「国電」区間を中心に整備され、いわば「国鉄時代」の「国電」を代表するアイテムといえます。ATS-Bは、JRに変わってから、新しい世代のATSへ次第に後退しており、2000年頃までには、実際に使っている線区は無くなっていたのではないかと思います。使われなくなったATS-B受電器は、次第に撤去されたり、装備したままの車が廃車になったりして、現物を見ることが次第に少なくなり、現在、ATS-B受電器を装備した状況で残している車は、非常に珍しい存在ではないかと思い、注目したものです。
 写真上は、ATS-B受電器を装備した連結器部分全体を撮影したもの、中央は向かって右側のATS-B受電器の接写、下は、ATS-B受電器の後ろ側の「配線」を撮影したものです。「配線」は見る機会のなかなかないものなので注目しました。
 ATS-B受電器は、下根気当時は、黄色や水色で塗装されていて、視覚的にも目立ったものですが、写真の状態では、塗装が落ちたのは、無塗装のような感じになっています。

 ATS-B受電器は、Nゲージではあまり販売パーツを見ないもので、古くは、プラ丸棒に真鍮線を通したものを自作したり、最近では銀河モデルとトレジャータウンから、TOMIX TNカプラーの下に接着する真鍮版パーツが出ています。また、KATOの101系発売に合わせて発売された交換パーツに、ATS-B受電器を一体成型した胴受けが入っています。なお、ATS-B受電器の「色」は、銀河モデルでは塗装済みパーツとして水色のものが発売されているのを見ており、KATOのものは黄色で成形されています。
 

首都圏に残ったモハ30, 31系列の車の裾の変化。

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 1月 7日(木)22時39分6秒
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  すぎたまさん、73おやぢさん、皆さん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 三井芦別の客車は、これまでの17m級国電の特集でも、遠隔地ゆえ、触れられることが少ないもので、写真が見つかったことが注目だと思いました。
 すぎたまさんよりの写真で注目したのは、「裾の形状」で、以前にも紹介したRPアーカイブス16「国鉄の客車1950~60」中「70系客車のいろいろ」(P120-127、オリジナルはRP58-11号)による、1930年度までの特徴の「下降形」がわかりますが、モハ31形の写真を改めて見ていたところ、この部分の形態が後天的に変化した車がいたことに気づきました。
 「旧形国電車両台帳」のP32~36がモハ31系の写真頁ですが、この中で、P34のクハ38017の写真では、同車は裾が「下降形」(S6.6.19製ですが、前年度の形態を継承)ですが、その下のクハ16001(元クハ38005)の写真では、裾が「70系客車のいろいろ」による「上昇型」です。他、芝生さんの写真では、可部線のクモハ11205が、元は魚腹台枠で、裾は下降形のはず(元モハ31007、S4.10.19川崎製)ですが、上昇型になっています。また、元モハ30形でも、かなりの車が裾が下降形から上昇型に変わっています。
 一方で、元モハ32形の系列は「下降形」を残している車が多く見つかりました。モハ32系列は飯田線、身延線にいて、豊川分工場と関連が深かったので、豊川分工場で更新修繕をしたことによる特徴ではないか、と思いました。また、仙石線の17m車は、モハ30,31系列共に裾が下降形で残っていることを確認しました。
 このため、裾が「下降形」から「上昇型」へ変化したのは、首都圏に遅くまで残った車に代表される、「大井工場で更新修繕を受けた車」の特徴ではないか、と考えてみました。更新修繕1と2のどちらで裾の修正が行われたかはわからないのですが、昭和30年頃の首都圏のクモハ11100台に裾が下降形の車がいるので、「更新修繕2」の方が有力かもしれません。

 模型で見ると、KATOから発売された南部支線セットは、クモハ11248、クハ16007のセットで、クハ16007の方は、昭和5年型のリベットの多い車体と、「裾を上昇型に修正した」形態が表現されています。また、クモハ12形は、クモハ12052になっていますが、こちらも裾が「上昇型」です。このため、地方のモハ31系列を表現するには、「裾の下降形への修正」が必要になることがわかりました。

クハ455形300番台の水タンクのレイアウトについて
 先日、富山港線の475系の製作の報告で、クハ455-302の「水タンクのレイアウトが変化したこと」を紹介しましたが、その「解答」がRP14-2号の455,475系特集に見つかりました。
 P62~72が「急行型交直流電車 改造先頭車の記録」で、その中のクハ165から改造の300番台の改造内容の記述(P65~)に


種車の110kVA-MGは、直流から交直流化の改造を行った上で再用した。交直流化に伴って、リアクトルが大きくなるため、、水タンクがアルミ製のものはFRP製に取り替えた。


とあります。クハ455-302の種車のクハ164-140は、この「水タンクがアルミ製」の製造ロットで、アルミ製(先の書き込みで「鋼製」と表現したもの)の水タンクを交換するに当たって、同時に床下機器を再配置したのが、床下機器が変化した原因でした。他、クハ455-301(元クハ165-139)も、同じ床下機器の再配置が行われていることが確認できます。
 なお、オリジナルで、FRPの水タンクが中心線上にレイアウトされているのは、165,169系のAU13冷房準備車以降(クハ165-156以降、クハ169形0番台全車)の特徴で、クハ455形は、オリジナルではAU13冷房準備車は存在せず、新製冷房車も、水タンクが公式側に付いているレイアウトを継続しているので、水タンクが中心線上に付いているのは、他形式からの改造車だけに見られる特徴です。
 

モハ3600こそ正解です

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2021年 1月 7日(木)18時55分21秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。本年もよろしくお願いします。

すぎたまさん
三井芦別の焼け電、珍しいです。形式モハ3600と読み取れる画像は初めてではないでしょうか。

まずは過去の文献による能因法師で恐縮ですが、参考になればと思い、紹介します。
当該車に関する記述はピク誌私鉄車両めぐり第7分冊(1966年刊)が長らく唯一の存在で、本文によると登場時は形式モハ300(サハ1~3)とあります。ところが、記事の末尾に添付された諸元表には形式モハ3600、番号サハ1、2、3とあり、読者には釈然としない内容でした。
後年になって、RMライブラリ№59「昭和29年北海道私鉄めぐり(下)」(2004年刊)に興味深い記述が出て、霧が晴れました。

以下引用。
客車なのだから当然自重より考えてオハフと称すべきものだが、サハという電車の記号をそのまま用いているのはまだしも、形式をモハ3600としているのにはびっくりとした。聞けばオハフ1~3と称するつもりで書類を出したところが、元がサハなのだから、そのままでよいではないかという陸運局のアドバイス?でこういうことになったのだそうだ。
引用終わり。

「元がサハ」と「モハ3600とした根拠」の2点を考えなければ、形式に関する消化不良は解消します。すなわち届け出は形式モハ3600が正解であり、巷間見かけるモハ300は、要するに”誤植の孫引き”によるマボロシの形式でした。昭和32年に気動車併結を前提とした改造があり、このとき形式ナハニ1となったはずですが、現車の標記はモハのまま書き換えが遅れたようですね。ネット検索で見つかる写真によれば、晩年は形式ナハニ1と書かれています。ちなみに諸元表の自重も25tです。

書類上の種車は31036、31070、31104だそうですが、現車は3両とも魚腹形のUF20なので平台枠の31070と31104は整合しません。
文献の記述は以上ですが、31070は戦後も現存していることから、書類の記載ミスのようです。旧型国電車両台帳によれば31103(戦災廃車)が芦別入りとありますが、これも平台枠なので該当せず、真の車号はわかりません。

ここからは、車体に関する私の個人的見解です。
まず、種車が本当に31形(すなわち運転台付き)だったのか気になるところですが、側扉が一方向に引かれること(本来のサハの両端扉はそれぞれ外方へ引く)、前位の側扉横の吹き寄せ部の幅が左右で異なる(旧運転台側のほうが狭い)ことにより、31形の運転台撤去による中間車化とわかります。ナハニでいえば荷物室側が旧運転台です。
次に鋼体の構造ですが、私鉄車両めぐりは「リベットはすべて削られて、溶接仕上…」、RMライブラリは「リベットがすっかりなくなって、溶接構造…」および「妻面は元の雨樋の部分で部材を溶接…」とあり、基本的にはグレーゾーンながら、「削られて」と「元の雨樋の部分」を尊重すると、オリジナルの外板を引き継いでいる可能性が優勢になりそうです。

しかしながら、個人的には、
①リベットの部分的消滅は珍しくありませんが、すべての鋲頭が消滅するのは、工事の手間や強度の面から不自然ではないでしょうか。
②決定的な写真に出会ってはいませんが、63形と同様に扉上の幕板帯(ヘッダー)がないように見えます。
③「元の雨樋の部分」に関してですが、鉄道模型とは違って実物は小割りの鉄板をつなぎ合わせるので、単に技術が稚拙な結果だったのでは。

以上から、台枠と旧柱は利用したものの、外板は張り替えたと想像しています。
 

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