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山口レポート(その6)座席について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 9月29日(日)18時57分7秒
返信・引用
  下関車両センターの115系のうち、転換クロスシートに交換した車が3月の改正ですべて運用を外れたため、結果的に、元の座席をそのまま残している車が残ったことになります。

写真上はクモハ114-1627のボックスシートで、元の座席です。この車は舞鶴線電化で先頭車化改造とともに40N工事を受けたのですが、この時に当時の標準メニューの転換クロスシートへの交換を行わず、元の座席をそのまま残しました。この車に乗って新山口から朝まで移動したのですが、地元の高崎線からは2001年に撤退し、高崎車両センターの車もすべて運用を外れた現在、MT54モーターの音とともに久しぶりの乗り心地を感じました。
写真中央は同日乗車のクハ104―12の車内で、こちらも座席はモケットが変わった以外元のままです。上記のクモハ114-1627とともに、窓枠は交換されているのですが、座席は変わっていないので、中は昔のままという一種の懐かしさがあります。
写真下は9月25日乗車のモハ115-3509の座席です。ロングシート化されているところもありますが、この部分だけを見ると新快速時代と変わっていないといえます。
 
 

山口レポート(その5)貫通扉の交換

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 9月29日(日)18時45分38秒
返信・引用
  115系2両編成に乗車した時、貫通扉が見慣れない形態なのに気づきました。

写真上は、クハ115-3509の貫通扉(9月25日撮影)で、幅の狭い縦長の窓が付いている形態が、JR西日本の更新車の貫通扉の標準形態だと思っていました。これに対して、9月21日に厚狭へ行くときに乗車したクモハ115-1539の貫通扉(写真中央)は、角ばった長方形の窓で、窓ガラスの下の方にすりガラスの縞模様が入っています。さらに、同日に石炭博物館へ行くときに乗車したクハ104-12の貫通扉は、クモハ115-1539に類似し、さらに窓が下へ広げられている形態になっています(写真下)。2015年の訪問時は、この形態の貫通扉には気づいてなく、最近になってからの交換かも知れません。
 

山口レポート(その4)115系2両編成のクーラー

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 9月29日(日)18時35分31秒
返信・引用
  車両の細部形態では、まず115系2両編成のクーラーに気づいた点があります。

写真上はクモハ115-1539(T-14編成)のクーラーですが、JR東日本のAU720クーラーのような形をしています。115系では、このタイプのクーラーは新前橋電車区のリニュアール車で見られたもので、西日本でこのタイプのックーラーを見るとは思いませんでした。
AU720タイプのクーラーはAU75に対して若干短く、AU75対応の取り付け爪が1組露出するのですが、クモハ115-1539でも、クーラーの前にこの取り付け爪が露出しているのがわかります。
T-14編成のもう1両の車(クモハ114-1627)も同タイプのクーラーで、他の編成では、T-13編成がこのタイプの車です。他の2編成はAU75でした。(写真中央:クモハ114-1621、写真下:クモハ115-1537)です。
 

山口レポート(その3)現在の山口県内の電車の情勢:105系とクモハ123形

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 9月29日(日)18時20分44秒
返信・引用
  宇部線の105系にも変化が起こりました。

2015年の訪問時は、増結用にクモハ105形500番台がいたことを報告しましたが、この車は2016年に廃車になっています。また、広島地区の105系が、まず500番台が全廃になって4扉車が無くなり、3扉車も今年の3月の改正で廃車または転出しています。このため、鵜弁戦で見る105系は基本番台の窓枠交換車だけになっています。写真はU-03編成(クモハ105-12 - クハ104-12、9月21日、新山口駅で撮影)です。
クモハ123形は、9月21日に常盤駅が最寄りの石炭博物館を訪問する時に宇部新川駅を通過した時に写真を撮影しました。うまく撮影できたのは5(写真中央)と6(写真下)で、2~4は位置が悪く、良い写真が撮影できませんでした。
 

山口レポート(その2)現在の山口県内の電車の情勢:115系2両編成

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 9月29日(日)18時11分45秒
返信・引用 編集済
  115系の2両編成は、4編成全てを目撃することができたので、残る3編成の写真も紹介したいと思います。上からT-11編成(9月23日、新山口支所(旧:小郡機関区)で撮影)、T-12編成(9月22日、新山口駅で撮影)、T-13編成(9月22日、新山口支所で撮影)です。  

山口レポート(その1)現在の山口県内の電車の情勢:山陽本線

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 9月29日(日)18時02分22秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

先週の間、山口へ用務で出張していました。これに合わせて、新山口駅(かつての小郡駅)を中心に車両の観察をしたので報告したいと思います。

山陽本線山口県内区間の電車の情勢は、2015年4月に北九州の戸畑へ出張した時に下関へ足を伸ばして観察をしたことを報告しましたが、この時から、情勢が激変しています。
115系は、広島地区への227系投入により、広島運転所の全2000番台編成が全て下関へ転属し、下関のいろいろな番台が混じった編成が廃車になりましたが、今年の3月の改正で、広島から来た編成を含めて、3扉の115系の4両編成がすべて運用を離脱しました。これ以前に117系は全て廃車あるいは転出しているため、山口県内の115系4両編成は3000, 3500番台だけになりました。写真上は全3000番台のN-02編成(9月22日、新山口駅で撮影)、中央は3500番台組込みのN-18編成です(9月21日、新山口駅で撮影)。4両編成は全て2扉車になったのですが、まだ2両編成がいて、継続して活躍中です(写真はT-14編成、9月25日、新山口駅で撮影)。実は「JR電車編成表」で「3扉の4両編成」がすべて運用を外れたことを知ってはいたのですが、「2両編成」が残っていることを失念していて、新山口駅に到着した時に2両編成の115系を見て驚きました。

 

富山港線73系の前面形態など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 9月29日(日)09時09分13秒
返信・引用
  73おやぢさん、皆さんお早うございます

富山港線の73系などについての情報をありがとうございます。
こちらでも写真等確認してみました。

(1)クモハ73305は田中さんのところに高解像度の写真があり、しかも上から日光が射していて影がくっきり映っています。この影から、前面窓柱の手すりがどちらも「おむすび形」であることが確認できました。
(2)クモハ73363は以前に「特発予備」で写真が紹介されましたが、これを見ると手すりの取り付け部に対して両側の窓のHゴムとの間に余裕がある(取り付け部が絞られている)ことがわかり、「おむすび形」が確認できました。
(3)クモハ73357も「特発予備」の、事故で前面を大破した写真がありますが、助士席側窓柱の手すりは「おむすび形」がわかりました。

これに対して


(4)クハ79244はRP83-11号に写真がありますが、窓柱の手すりは両側ともHゴムに対してぎりぎりの位置に足が付いているように見えます。この車は、前面は原型で転入していることが確認できているので、窓のHゴム化時に両方の手すりを復旧したことになります。
(5)クハ79220, 240は田中さんの写真の他、RPの2000年、2017年の73系特集で写真が紹介されていますが、どちらも手すりの足はHゴムぎりぎりに付いていることが確認できました。
(6)クモハ73355のRF69-11号の写真はこちらでも確認できました。田中さんのクモハ73305の写真と同様、影から、手すりの足はHゴムぎりぎりであることがわかりました。
(7)クモハ73361は、「思いで鉄道探検団」の写真から、窓柱の手すりの見え方が、下の箱サボ枠脇の手すりと見え方が同じなので、手すりの足はHゴムぎりぎりとみなしてよいと思います。

これらの情報から、ご指摘の通り、富山港線での前面全Hゴム化は、窓の部分全交換の形で工事されたらしいこと、「富山港線形前面」は「東鉄形Hゴム改造」の名残でもあり、窓柱の手すりの形で見分けられる、としてよいと思います。これを踏まえると、富山港線転入時の前面の形態は

原型:クモハ73299, 347, 355, 361, クハ79220, 240, 244
東鉄Hゴム:クモハ73007, 305, 357, 363

と思われ、73007は不明(RP68-9号の転入時の写真しかない)で、73357もRP72-5号の東鉄形前面の車(1972,2,20撮影)が、73361が原型前面で転入した可能性が高く、上記の理由から73361ではない可能性がより高まり、73357である可能性がより高くなったことから、東鉄形前面から直接Hゴム改造された可能性が高く、「富山港線形前面」は、写真を確認できたクモハ73305, 363の2両だけの可能性が高そう、だと考えました。

クモハ73355の連結面貫通扉追加工事の可能性
クモハ73355は、富山港線の他のクモハ73形が昭和28年度工事で、「貫通扉の整備」が工事に盛り込まれてからの工事なのに対し、この直前の工事なので、「貫通扉が無い」ことが、「首都圏の72系」で記述されていますが、吹抜けだと、当時富山港線に存在した1両単独運用で貫通路を閉めきれないので不便だと思い、2段窓化の時に同時に貫通扉を追加する工事が行われた、と思いました。2段窓工事は、入れ替わりで廃車になった17m省電の窓枠流用の可能性が有り、もし、窓の寸法の共通性が疑われる、クハ16219から貫通扉を流用したとすると、戸袋窓も天地の低い独特の形態(添付の写真は2015年4月11日撮影の幡生のクモハ11117)になったと考えられ、同時期の他の車(クモハ11224, 228, 242, 420, クハ16401, 409, 523)の発生品だったとしても「3段窓ではない」ことになり、他の車との違いになったと思われます。

クハ5500について
改めて「国鉄電車回想」の写真を見て、背後に80系が写っていることに気づきました。「写真に対して撮影記録を付けること」の重要性を感じました。

これは余談なのですが、板橋区蓮根のD51 513を撮影した時に、近所でもある「植村冒険館」へ行ってきました。展示は、植村直己がフランスを拠点に活動していた1965年から70年の間(文春文庫刊「青春を山に賭けて」で記述されている期間)の内容だったのですが、この中で撮影時期、場所が不明の写真が1枚紹介されていました。植村直己は、海外行動からその後の北極圏の冒険等、細かく日記をつけていて、行動が現在でもけっこう詳細にたどることができるのですが、写真の撮影時期、場所は、「日記と照合して場所、時期を同定する」ことになり、当事者でないので、どうしても情報の限界が出てきます。情報不明の写真も有名な観光地と思われるのですが、日常の中での写真と思われるためか、対応する記録が見つからず、やむなく「時期、場所不明」となっていました。

クモエ21001について
避雷器の形式が「LA12」とのこと、ご指摘ありがとうございます。私の方でも記憶が混乱していました。
最近再整備された保存車は、最近の私が観察した車でも水上のEF16 28とD51 745、熊谷のD51 140があります。クモエ21001でも気づいたことですが、保存車の管理は「ゴムの劣化」が難物になりそうで、何等かの代替品(JR東日本更新車のドア窓のような金属での代替など)が検討されなければならない時期になっていると思われます。
 

富山港線形ほか

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2019年 9月18日(水)19時30分52秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。
原口さん

●富山港線形前面のヒント?
RM当該号は見た記憶はあるものの、内容は忘れてしまいました。推察するに、富山港線形前面なるものは「富山港線で最多の(あるいは標準的な)前面形態」ではなく、「富山港線だけに見られる特殊な形態」と思われます。そうすると、富山港線への転入時に東鉄式Hゴム支持であったことが最低条件となり、原形車がこの形態へ移行するのは考えづらいです。

さて、私の手許には知人から入手した3枚Hゴムの73355と79220の写真があります。いままで気にしたことがなかったのですが、今回ルーペをあてたら小さな発見がありました。2両とも間柱の手すりが1位側にしかないのですが、その形状がオリジナルではありません。63形の間柱の手すりは取り付け部がギュッと絞られた、おむすびのような三角形です。それが、73355と79220の1位側は、ありふれたノーマルタイプ(2本の足が並行のまま車体に突き刺さるイメージ)になっています。ということは、

原形で富山港線へ転入→のちに松任工で3枚Hゴム化を実施、このとき工作の容易なやり方、すなわち横幅が前面窓3枚分の鉄板を溶接。この時点で間柱の手すりは消滅したが、1位側は必要ということでノーマルタイプを溶接して復活。という筋書きと思われます。ネット画像や印刷物では判定が微妙な場合もあるでしょうが、RF101号掲載の73355が三角形でないことは誌面でもわかります。73361と思われる画像は「鉄道思い出探検団」にありますが、ネット画像ながら手すりは三角形ではないような…。すなわち、富山港線形の手すりはベースが東鉄式Hゴム支持のため三角形の可能性きわめて大であり、後年に1位(いわゆる助士側)がHゴムに追加改造されても三角形が継承されていると考えます。

というわけで、73007と73347の可能性が低いことと合わせると、決定的な写真が発見されないかぎり、いわゆる富山港線形は3両とするのが妥当と思います。

●クハ5500は仙石線へ入っていない?
当該写真ですが、背後に80系が写っているので、少なくとも陸前原ノ町ではありません。撮影者のメモの混乱と思われ、大井工場ではないでしょうか。おそらく事業用車へ改造するため地方から引き上げたものの、改造に不適な何らかの理由(片隅式片運に恐れをなしたか?)により未着手となり、朽ちていったのではないでしょうか。
ちなみに上京時の配置は品川のようですが、1959年度首の配置表では、モハ2004とクハ5500は蒲田の配置となっています。帳簿上のことで、大井から動いてないとは思いますが。

●保存車21001の小発見
私が5~6年前に訪ねたときは塗装がカサカサでひどい状態でしたが、塗り直されたようでなによりです。ちなみに、避雷器がLA13とありますが、これはLA12が正当(その前の書き込みにある富山港線の73305も同じ)です。
ついでながらLA12は木箱収容が原則ですが、21001は金属製のようですね。同類は見たことがなく、正式な命名はないと思いますが、LA12改というべきかもしれません。
 

保存車両訪問(その7)速度検出装置のレイアウト

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 9月17日(火)23時47分33秒
返信・引用 編集済
  今回の観察では、「速度検出装置」のレイアウトにバリエーションがあることに気づきました。
 写真上は国立科学博物館のD51 231で、キャブ下から第4動輪にロッドが伸びて、回転を検出しています。これに対して、写真下は府中市郷土の森交通公園のD51 296で、ロッドが従輪に伸びています。形式ごとのどちらのパターンもいて、今回の観察で確認できたのは

後ろの動輪:C58 186, C58 407, D51 231, D51 916, D52 235
従輪:C57 26, D51 296, D51 451, D51 513, D51 724, D51 853, D51 885, D52 70, D52 72

となります。

抵抗器碍子の「オメガ」マークに付いて
前納さん
 211系の抵抗器碍子の屋号についての情報をありがとうございます。抵抗器メーカーとなると、碍子を自製して、抵抗器を車両メーカーに納入したと考えられ、先の東武6150形で、車両ごとに抵抗器の碍子の屋号が異なるのは、抵抗器を納入したメーカーが、碍子をバイブに発注しており、恐らく6050形として新製した時の製造メーカーの違いが抵抗器の納入業者の違い、さらには碍子の発注先の違いとなって、「碍子の屋号の違い」の形で観察できたのではないかと考えられます。
 以前のすぎたまさんの「山に五」の屋号が「山五陶業」ではないか、との話と併せ、碍子も「大手」と言えるメーカーがあるようで、昨年秋のNHKの「ブラタモリ」の「有田焼」の回で、碍子の製造も紹介されたことから、江戸時代以来の屋号を持つ碍子メーカーがありそうです。
 

鈴木合金

 投稿者:前納浩一  投稿日:2019年 9月17日(火)23時45分56秒
返信・引用
  原口さん、みなさん、こんばんは。

碍子に付いている「Ω」のマークですが、抵抗器メーカーの鈴木合金のマークです。
鈴木合金を意味しているのではないでしょうか。
 

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