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保存車両訪問(その1)省形電気機関車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 9月16日(月)15時10分59秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

8月末から9月前半にかけて、主に北関東の保存車を訪問していました。訪問したのは

8月24日
D51 745 群馬県みなかみ町 水上駅SL広場 高碕第一機関区 八高線
EF16 28 群馬県みなかみ町 みなかみ水紀行館 水上機関区 上越線

8月31日
D51 140 埼玉県熊谷市 荒川公園 高碕第一機関区 八高線
C11 322 埼玉県鴻巣市 せせらぎ公園 大宮機関区 大宮工場構内車
C12 29 埼玉県さいたま市大宮区 山丸公園 大宮工場構内車
C11 304 埼玉県蕨市 大荒田交通公園 茅ヶ崎機関区 相模線
9687 埼玉県川口市 総合運動公園 大宮機関区 川越線
D51 853 東京都北区 飛鳥山公園 酒田機関区 羽越本線
都電6080 東京都北区 飛鳥山公園

9月1日
D51 724 群馬県渋川市 駅前児童公園 酒田機関区 羽越本線
D51 916 群馬県前橋市 前橋こども公園 追分機関区 室蘭本線・夕張線
C12 49 群馬県桐生市 桐生ヶ岡遊園地 高碕第一機関区 足尾線
C50 123 栃木県小山市 駅東公園 小山機関区 両毛線
EF57 7 栃木県宇都宮市 駅東公園 宇都宮運転所 東北本線
関東鉄道5 栃木県芳賀郡壬生町 おもちゃのまち駅前

9月7日
C58 395 東京都羽村市 羽村動物園 北見機関区 石北本線
D51 451 東京都昭島市 昭和公園 新鶴見機関区 高島線
D51 296 東京都府中市 郷土の森交通公園 青森機関区 奥羽本線
EB10 1 東京都府中市 郷土の森交通公園 田端機関区
都電6191 東京都府中市 郷土の森交通公園
C57 186 東京都小金井市 小金井公園 旭川機関区 宗谷本線
スハフ32 2146 東京都小金井市 小金井公園  飯田橋客貨車区
都電7514 東京都小金井市 江戸東京たてもの園
C11 368 東京都中野区 紅葉山公園 小牛田機関区 石巻線
C58 407 東京都豊島区 大塚台公園 函館機関区 江差線・松前線

9月8日
C57 26 埼玉県行田市 本丸公園 亀山機関区 関西本線
D51 885 埼玉県深谷市 仙元山公園 奈良機関区 関西本線

9月14日
D51 231 東京都台東区 国立科学博物館 追分機関区 室蘭本線・夕張線
都電7506 東京都台東区 池之端児童公園
D51 513 東京都板橋区 城北公園 酒田機関区 羽越本線
東武鉄道1 東京都板橋区 城北公園

です。国鉄車両については廃車時の所属区と主に走っていた線を付記しました。その中から、電気機関車を紹介したいと思います。

 写真上はみなかみ町水紀行館のEF16 28です。清水トンネル区間の補機として使われていた車ですが、55-10改正でEF64形1000番台が投入されたことによって運用を外れました。塗装が劣化して全体に明るい茶色になっている状況が報告されることが多かったのですが、最近になって再塗装と整備が行われました。
 写真中央は宇都宮市駅東公園のEF57 7です。東北本線黒磯以南で走っていた車ですが、昭和50年からの東海道筋からのEF58形転入で置き換えられました。一般公開は春と秋に日程が公開されるそうで、今回の訪問時は柵の外からの撮影になりました。
 写真下は府中市郷土の森交通公園のEB10 1です。北王子貨物線から分岐していた須賀貨物線で使用する為に蓄電池機関車「AB10形」として製造された車で、パンタグラフを取り付けて電気機関車に改造されました。電気機関車になってからも須賀貨物線で使われていました。
 
 

14系座席車のオリジナルのリクライニングシート

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月24日(土)00時47分26秒
返信・引用
  写真上は乗車したスハフ14 1の座席なのですが、14系座席車オリジナルのロック機構の無いリクライニングシート、通称「バッタンリクライニング」でした。この座席は、昭和40年代末から50年代の臨時特急列車の風物詩となったもので、昭和50年代末に定期列車への運用が多くなった頃から、ロック機構のあるリクライニングシートへの交換が行われるようになったため、遅くまで残った車では交換が完了していたと思っていたので、原型の座席が残っていたことに驚きました。

写真下はスハフ14 1の車内の銘板で、昭和47年新潟鉄工の新製の銘板の下に、東武鉄道入線時の整備の銘板が付いているのですが、日本電装の他、総合車両製作所の記載もあります。客車の整備は南栗橋の工場で行われたと思ったのですが、総合車両製作所がどの段階で関与したのかが不明です。

ちなみに、先週の「大樹」は中間車がオハ14 1でしたが、「はまなす」で使われていた「ドリームカー」オハ14 505が入る事があります。ドリームカーは過去何度かの北海道からの帰りで利用している馴染みの車なので、ドリームカーの連結に合わせて「大樹」に乗りに行こうかと考えています。
 

205系「いろは」のATS車上子

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月24日(土)00時24分22秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

先週の日光訪問時に観察した、車両関係のいろいろを紹介したいと思います

写真は205系「いろは」のクハ204-603の「ATS車上子」です。上が前位台車の後ろのATS-S車上子、下が前位台車の前のATS-P車上子です。ATS-P車上子を前位台車の前にレイアウトするのは、華蔵寺公園のクハ183-1529でも紹介した、「大宮工場型」のレイアウトです。
 

205系「いろは」のドア塞ぎの工作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月20日(火)01時15分37秒
返信・引用
  行きの日光線では205系「いろは」に乗車しました。「いろは」は、前回日光線を使用した時にはまだデビューしていたかったので、これが初見参になります。
写真中央は扉を埋めた部分ですが、先に紹介の東武20000系転用車とは異なり、塗装を合わせることはしてなく、むしろロゴを付ける等強調している感じです。
写真下はドア塞ぎ部分の室内で、こちらは木目調の化粧版を付けて意匠を統一しています。窓のサイズは205系オリジナルの2連窓と同じサイズの固定窓が付けられています。
 

碍子の「屋号」:東武6150形の場合

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月20日(火)01時00分39秒
返信・引用
  「大樹」に乗るに当たっては、JRの日光駅まで行き、東武日光駅から鬼怒川温泉へ行きました。東武日光駅で、6150形の抵抗器の「碍子の屋号」を撮影したので紹介したいと思います。上は6167号車の「カギに井」、中央は6175号車の「山に五」、下は6168号車の「カギに井」です。  

ブレーキについて

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月20日(火)00時44分13秒
返信・引用
  すぎたまさん、皆さんこんばんは

コヤ90形については、私もブレーキシリンダーが無かったとの記述を見たことを覚えています。コヤ90形は、RP64-1号の「国鉄の客車のいろいろ」(RMアーカイブス16「国鉄の客車 1950~60」に再掲)で「いちばん長い客車」として紹介されており、ここではブレーキに関する記述はないのですが、別のところでのコヤ90形の紹介でブレーキシリンダーが無い旨の記述を見たことがあります。

エ700形は、RM Library 237「白帯を巻いた貨車」に記述がありました。P18~20に記述があり、写真でも十字マーク付きが確認できます。出自は「買収私鉄の貨車」とのことで、電車が買収された私鉄では、広浜鉄道、信濃鉄道の貨車が入っています。ここでも「書類上の形式消滅は1987年だが、実際には1960年代後半に姿を消したと思われる」と記述されています。

ブレーキに関連して、日曜日に東武鬼怒川線の蒸気機関車列車「大樹」に乗って来た時に、ブレーキホースの写真を撮影してきたので紹介したいと思います。以下の写真は「大樹4号」で下今市に到着した後の機関車入替の時の撮影です。
写真上は後補機のDE10形のブレーキ回りで、ブレーキホースのバルブの上に「BP」「MR」「CP」と書き込まれており、「BP」が通常使用するブレーキホースです。
写真中央は14系客車(スハフ14 5)の連結器周りで連結器手前で下にぶら下がっている赤くマークされたホースが「BP」のホースです。
写真下はスハフ14とDE10の連結風景で、先ほど下にぶら下がっていたホースをつなげています。スハフ14には他にもホースがぶら下がっていますが、確か特急運転で110km/hを出すときに使うもので、「MR」「CP」も使うことになると思います。
 

コヤ90が

 投稿者:すぎたま  投稿日:2019年 8月19日(月)04時41分13秒
返信・引用
  原口さんおはようございます。

貨車では無いので「+」記号は無かったようですが、コヤ90形が最後のブレーキ装置装備無し車ではないかと思われます。
複数のサイトで、ブレーキ管の引き通しのみとの記載があるので、間違い無いでしょう。1990年廃車だそうです。
貨車は1987年廃車のエ700形1輌が最後でしょうか。ただし、既に現車は無く、書類のみの廃車だった可能性が高いですが。

http://princesscomet.net/

 

真空ブレーキから空気ブレーキへの変化について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月17日(土)20時50分36秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

8月6日に報告した「密着連結器を装備した貨車」に関連して、貨車のブレーキについて紹介したいと思います。

 鉄道車両の直通ブレーキは、イギリスに発祥する「真空ブレーキ」とアメリカに発祥する「空気ブレーキ」の系統があり、日本では明治期の真空ブレーキ導入から、大正8年(1919年)に空気ブレーキの導入を決定して、昭和に入る頃から空気ブレーキの本格使用を開始しており、電車では木造車でも空気ブレーキ導入以降の新製車が大多数なこともあって、ブレーキに関する記述は、空気ブレーキの動作に関するものが主で、甲武鉄道の電車や、院電についてのブレーキについては記述が乏しいのが現状です。
 真空ブレーキから空気ブレーキの移行については色々なところで記述されているのですが、「貨車」については、途中に「直通ブレーキの無い時代」が挟まります。最近では学研の「よみがえる貨物列車」に記述があり、古くはRM誌の通巻130号から135号の当たるの「私有貨車セミナー」に記述されているのですが、1906年の国鉄発足の頃は、各買収私鉄中に真空ブレーキ装備の車が多く、貨物列車も真空ブレーキを使っていたのですが、当時の真空ブレーキの欠点の1つでもあった「空気漏れがあるとブレーキがかからない」問題が、編成中の絶対両数が多い貨物列車では、接続するブレーキホースが多いために特に深刻で、明治44年(1911年)の改番の頃には、機関車のすぐ後ろの数両を真空ブレーキの重点整備車両とした以外は、直通ブレーキを廃止しました。
 ここで、代替策として、「各車に手ブレーキを操作する「制動手」を配置して、機関車の合図で一斉にブレーキをかける」方法が採用されました。これが、大正初期の貨物列車に特有の「制動手小屋を付けた貨車」の由来になるのですが、決め手とならず、数年で取りやめになっています。RM Library「3軸貨車の誕生と終焉」上巻に制動手小屋を付けたフア27000形(M44)の写真が掲載されていますが、ここでも「制動手小屋が付いていた期間は新製後5年程度のため、写真は極めて珍しい」との記述があります。
 その後、直通空気ブレーキの採用が決定したのですが、貨車は絶対両数が多いため、明治期の貨車を中心にブレーキシリンダーの装備までは手が回らず、ブレーキの引き通し管だけの装備にとどまった車が多く発生しています。貨物列車では、昭和5年から空気ブレーキの全面使用を開始(この時に最高速度が65km/hに設定)したのですが、この時に「ブレーキシリンダーの無い車」を区別する為に、ブレーキシリンダーの無い車は記号の左側に十字のマークを書き込むことになりました。この「十字が書き込まれた貨車」は、昭和30年代の写真でもしばしば認められます。RM Library「3軸貨車の誕生と終焉」に多く収録されているタンク車では、大正期の車は構造上ブレーキシリンダーをつけにくかった(台枠の幅が狭く、ブレーキユニットが収まらない?)ためか、後に「タサ1形」にまとめられた車は大多数がブレーキシリンダーが無く、昭和に入ってから製造された数両だけがブレーキシリンダー装備でした。
 「ブレーキシリンダーが無い車がいつまでいたか」ですが、タサ1形では、昭和20年代まではけっこうな数が存在していましたが、昭和30年代に入って急速に淘汰され、昭和40年ごろに無くなっています。タサ1形では、ブレーキシリンダーの有る車だけが43-10直前まで残っていました。
 なお、タサ1形の両数ですが、1990年代の貨車に関する記述では総両数が「208+」とあり、二代目(一旦改造で別形式になった車が元の形式に復元され、これを別の車としてカウントする)の両数が不明瞭だったのですが、その後、「3軸貨車の誕生と終焉」で個々の車の車歴が検討され、RM201号の「私有貨車セミナー」で確定値が出ています。製造の「208両」に対して、国鉄籍45両を引き、国鉄車の払い下げ車をカウントし、別形式(タラ100形)からの復元車をカウントした結果、「+」の数値は「11両」で、「219」が確定数値になっています。

 なお、日本最初の直通空気ブレーキ車ですが、アメリカから技術が導入された北海道の幌内鉄道では、当時開発されたばかりの直通空気ブレーキが導入されており、以前にこの場に写真を紹介した「開拓使号」と手宮に保存されている客車は製造当初から空気ブレーキ装備でした。
 

クハ183-1529の観察(その2)台枠の厚さとCP通風グリル

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月15日(木)00時41分19秒
返信・引用
  写真上は、台枠の厚さを測ったものです。写真の範囲外ですが、上辺は前位乗降扉の床の位置に合わせています。斜めになった裾にそのまま定規を這わせて「19cm」の長さを測定しましたが、垂直方向の厚さに変換するには「sinθ」(θは絞り込みの角度)を掛けます。

写真下は運転台下のCPの通風グリルです。このグリルのレイアウトは、183系、189系、先頭車化改造車で異なっているので、遠景の写真でも区別ができます。
クハ183形1000番台は、写真のように前上、前下の2か所にグルるがありますが、189系は後ろうえ、後ろ下にも通風グリルがあり、クハ182形などの先頭車化改造車は通風グリルが前上の1か所だけです。
また、この通風グリルの「スリットの形」は、183系1000番台の最初の車が投入された時に雪詰まりが起こりやすい欠点が発覚し、金具の組み合わせが諸種検討された結果、後の増備車からは金具の組み合わせが変更されました。詳細は、1990年代のRP誌の183系の特集号にあります。クハ183-1529は、183系1000番台でも後期型になるので、金具の変更を実施して落成した車になります。
なお、この「金具の変更」が初期車にさかのぼって実施されたかは、当時のRP誌の特集号では記述がありませんでした。工事の性質から、初期車の部品交換を行ったと思われるのですが、確認が取れていません。この「設計変更がそれ以前に落成済みの車にさかのぼって適用されたかどうか」は、他の形式でも、RP誌等の車両特集などでも詳細に記述されることが少ないので、けっこう謎の多い分野になっています。

ちなみに、模型の方では183系1000番台はKATOがかなり早い段階で発売しましたが、細部は1000番台の後期型に合わせられていました。その後、1990年代になってグレードアップあずさやグレードアップあさまが発売されたのですが、「183系1000番台に合わせられたCPの通風グリル」はそのままだったので、Treasure Townが189系および先頭車化改造車用のグリル部分のパーツを発売しました。
2000年代になってTOMIXから183系1000番台と189系が発売され、CPのグリルが183系と189系に合わせられるとともに、前期型と後期型の違い(モハ182,189の屋根上の配管レイアウト、ランボードの違い)も再現されました。そして、2010年代になってKATOも183,189系をリニュアールし、こちらも183系と189系の違い及び前期型と後期型の違いを再現しています。
 

クハ183-1529の観察(その1)ATS車上子の取り付け位置

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月15日(木)00時20分35秒
返信・引用
  華蔵寺公園のクハ183-1529の方も観察をしているので報告したいと思います。

写真上はATS-S (Ps)車上子です。ATS-S車上子の取り付け位置としては標準的な、前位台車の直後に公式側に寄せて取り付けられています。
写真下は、ATS-P車上子なのですが、この車の場合、前位台車の前、スノープローの枠の中に納まるように取り付けられています。この取り付け位置は、大宮工場入場車の標準的な位置で、新前橋電車区の115系や、185系(新前橋にずっといた車)で確認しています。これに対して、同じ185系でも、田町電車区にいた車(新前橋から転属した200番台含む)は前位台車の後ろにATS-P車上子とATS-S車上子が縦に並べられて取り付けられています。185系は現在は大宮総合車両センターに全てまとめて配置されていますが、このATS-P車上子の位置の違いから経歴の違いが確かめられます。
クハ183-1529は57-11改正で幕張電車区に転属してATCを取り付けた車なのですが、E257系500番台投入時に大宮車両センターに転属し、新前橋電車区から転属した、165系を置き換えた183系6両編成のクハを差し替えています。その後、185系の団臨転用によって廃車になっています。このATS-Pのレイアウトは、ATS-P取付(およびATCの撤去)が大宮工場で行われたことを示すものと考えられます。
 

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