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返)配管はこんな感じです

 投稿者:34036  投稿日:2018年10月 6日(土)18時32分14秒
返信・引用
  皆さん、こんばんは

73おやぢさん
(原口さん すぎたまさん)

電線管の位置と本数についてのまとめ、ありがとうございます。
まだまだ自分の中でも整理のつかない点は多々あるのですが、おかげ様で自分の中で混沌としていたものが、かなり明瞭になってきました。

戦前はBSが電気側、MSが空気側であったものが、戦後のある時期に逆転しますが、これは電線管を2本まとめて下すように変更した時期と一致しているのでしょうか。それともずれがあるのでしょうか。手元にある写真をいろいろ見てみましたが、ここのところがはっきりしません。

73おやぢさんにご呈示いただいた図をもとに、私も頭の中を整理する目的で図を描いてみました。あっているか自信がないのですが、ご笑覧ください。

戦前は、断路器の前に別の箱を通っているのですが、戦後の更新前の写真を見ると、この箱はなくなっているようです。恥ずかしながらこの箱の意味がわかりません。

それから、戦前のパンタグラフの段階からBS用とMS用の2本に分ける、というのがよくわかりませんでした。理屈の上では、そうした必要性はないわけですね。

「電気車の科学」の記述に依れば、それぞれ断面積=100平方ミリメートルの電線だそうです。流れる電流量からして、夫々にこのぐらいの太さが必要なのでしょう。

だから、戦後2本まとめる際には、断面積を2倍の200平方ミリメートルの電線にしているのですね。

100平方ミリメートルだと、断面が正方形なら1cm角、円形なら、ちょっと計算してみると直径=11mmぐらい。
200平方ミリメートルだと、直径=16mmぐらいとでました。これは相当ごついですね。

汎用資材としては100平方ミリメートルの電線に抑えておくのが無難だったのかもしれません。で、こちらを使用する以上は、共通の断路器まで行ってから分岐させるか、そうでなければパンタグラフの段階から、の二択になるので戦前のようなスタイルになったのではないかと考える次第です。

「電気車の科学」の記述の解釈、どうもありがとうございました。
これまでは、こうした改造は更新時に限られるもののように思っていましたので、その後あとあとまで、そうした改造が逐次行われていたことは初めて認識しました。妻貫通路の700mm⇒800mm化と同じような位置づけなのですね。

<引用>
●RP アーカイブ37 「63・73形電車の時代 1950~70」 pp109-114
「昭和29年度における 国鉄電気車の改修計画〔電車関係〕」 原典:「電気車の科学 1954-5(No.73)」
2.車両保守特別修繕(経常費)
(8) 妻貫通引戸新設工事(継続) の項
これは更新修繕に併施して妻貫通路を幅800mm(従来は700mm)に統一し、これに鋼板プレス製の引戸を取り付けるものである。
なお、この工事は冬季連結側よい寒気が進入し、せっかくの電気暖房器もその用をなさない現状に鑑み、急速整備のため本年度は特に一般検査にも併施して、その一部314ヶ所を施工することとした。


上記「29年度の改修計画」に関する「電気車の科学」の記述では、73に限らないような書き方になっていますが、戦前型はこの時点では、これから更新工事という段階であるので、基本的に更新併施だろうと思いますが、73、72は一応更新がすんでいるので、「本年度は特に一般検査にも併施して」というのは主として72、73が対象だったのだと考えます。
おそらくは28年度下期以降、一般検査に併施の形で相当数の72、73の貫通路の再改造(700mm⇒800mm化と引戸設置)が行われたのでしょう。


>原口さん

73011を例として挙げられていたので、手持ちのネガを見てみましたところ、仙石線には吹田系の73が何両かいましたが、既に73011は標準配管に改造されていたようです。特に珍しい写真でもないですが、参考までに仙リハの吹田系73の前頭部を貼ります。

73005の大阪環状線時代の写真を下記に見ることができます。

「鉄道青春時代 -国電(Ⅰ)」p.72

写真では電線管は2本左側にまとめられている26年度スタイルですが、仙石線では電線管は1本化されています。ただし、逆配管のままですね。73003も逆配管のままです。

73005の例のように、これまで、こうした点は特に注意を払ってみることをしてこなかったのですが、73おやぢさんのおっしゃる通り、鋼体強化改造をせぬとも、電線管の張り直しがちょこちょこ実施されていたことが確認できました。
 
 

参考になりますか?

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年10月 6日(土)07時09分6秒
返信・引用
  みなさんおはようございます。

車両史編さん会「国鉄鋼製電車史 モハ63形 中巻」に多少の記載がありました。
まず、モハ63形時代には、SH427を使用した記録はありません(これは当然か…)。SH44×2の様子です。SH44は、巨大なナイフスイッチですね。
次に昭和21年度車までと、22年度車以降で、前面配管の取り回しが異なります。
●21年度車まで:正面右に太い電線管×1と空気管×2 左に太い電線管1とやや細めの電線管1
※この細めの電線管は、避雷器の接地線です。
●22年度車から:正面右に太い電線管×1と空気管×2 左に太い電線管1
※避雷器からの接地線は、車体に直接接地に変更されたので無くなりました。また図に23.3.10の会議で、パンタとの空気配管を(パンタ部で)短くした旨の記載があります。
それで、パンタの上下電磁弁は、18年度車は運転台のすぐ右側(正面に向かって右窓と中央窓の間)にあります(形式VM3)が(電装されなかったはずなので、実際には取り付けず?)、その後の増備車である21年度車では、中央窓下になり(形式VM1Z)、さらに運転室が全室化された22年度車からは、右窓と中央窓下になっているようです(形式VM1Z)。
なお、22年度車では、母線に木製のカバーが付きます(屋根上)。
以上参考になりますでしょうか。

>原口さん
珍しいアーチバー形の台車写真ありがとうございます。
拝見しましたが、TR16形のような形状の台車は、軸距が短いですね。また枕バネがコイルバネ形状ですね。軸箱のフタを、板バネで押さえつけているのは、雪が入らないため?。不思議ですね。
TR20形と思われるものも、画像右上のキ718のものは、枕バネが3連で、他の2連のものと異なりますね。これもやはり同じ形式にムリヤリ入れているのでしょうか。
雪かき車の前側台車は、台車形式が「特殊」となっていたような文献があった由に記憶しています(何だったか失念…。確かバネを設けないで、雪による脱線防止になっていたような?)。
HO模型のエンドウ社キ100形は、前の台車が車体に当たるので、軸受けのみで側枠の表現が無いものをつけてあります(笑)。しかも後位台車はTR41です…。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

作用管が2位にある件

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年10月 5日(金)19時55分1秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。
原口さん

空気配管は外から見えないので具体的な取り回しは不明ですが、ごく基本的な原則を示せば次のとおりです。

元空気溜管は運転台のブレーキ弁まで配管されているので、これを直前で分岐させてパンタの作用管と警笛にも使用します。圧縮空気の開閉は電磁弁操作で行い、電磁弁の頂部にある押しボタンが、いわゆるパン上げ(パン下げ)スイッチです。これは通常、運転士の至近に設置されているはずです。
戦前車から逆配管車まで、作用管が妻に向かって右(2位)にある確固たる理由は知りませんが、以上の経緯を考えたとき、運転台付近から立ち上げる、すなわち2位に配管するのは近道で合理的ですから、理由の一つにはなると思います。

ジュラ電の配管ですが、RF417号に正面写真があり、明瞭です。すなわち電線管は約束どおり左右振り分けですが、作用管は2位の車側にあるので、不鮮明な写真だと電線管と一体化してしまうんでしょうね。ちなみに1位の車側にも細い管が1本ありますが、これは避雷器のアースと考えられます。
 

2本母線の接続、空気管など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年10月 4日(木)01時09分47秒
返信・引用
  73おやぢさん、皆さんこんばんは

 2本の母線とMS, BSについての解説をありがとうございます。
 後年の配管が母線1本と空気管2本のレイアウトに規格化された状態を見慣れた目からは、2本の母線はどのような電気的な理論なのか、奇異に感じるものだったので、特に添付の回路図は理解に役立ちました。
 先日の「国鉄車両写真集」のモハ63856は、80系1次型と同時期の車なので、MSとBSの配置は80系と同じだと思うのですが、「旧型国電50年(1)」表紙及びP16のジュラ電は同じ太さの管が左右2本に振り分けられているように見え、空気管がどうなっているのか不思議な感じです。
 ところで、空気管の方は、戦前から63形まで、上記ジュラ電を除いて一貫して運転席側(関東型配置では電気側)に2本の管が降りており、関西の42形、および床下機器配置が関西型になった63形でも方向に関係なく運転席側(上記のモハ63856など)で一貫しています。戦後の配管レイアウトを見慣れていると、これも奇異に感じるもので、「運転席側」なので、「空気管が運転席まで引きこまれ、運転席でバルブをひねって直接空気管の開閉をしているのではないか」と邪推したのですが、実際のところどのような事情でしょうか。「運転席でバルブをひねる」はなくても、何らかの形で運転席が関係しているのではないかと憶測しています。

E235系の次の投入先
 現在山手線に投入されているE235系の次の投入先が発表になりました。投入先は、横須賀、総武快速線で、2020年以降E217系を順次置き換えます。実は、山手線へのE235系投入の後の車両製造は、「工場の車両製造能力の維持」の観点から、「どの線に製造能力を振り向けるか」かねてから注目していました。普通車は全てロングシートになるようで、先に「中央快速線のE233系へのWC取り付けとグリーン車連結」が「国電のイメージを変える」ことを記述しましたが、横須賀線の普通車が全ロングシートになることは、さらに「国電のイメージを変える」のではないかと感じます。
 

振り分け配管

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年10月 2日(火)19時33分51秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。
原口さん

先日の配管の話は戦後の新車(80形以降)に関する説明であり、63形を含むそれ以前の車両については、重要なポイントを踏まえたうえで見てゆく必要があると思います。以下、説明不足の箇所の補足も含めて、おさらいしてみます。

●電線管の数は断路器の形式により決定される
昭和27年から採用された、MSとBSを同一箱としたSH427は電線管1本。
戦前から採用されていた別箱のSH44は電線管2本。

が大原則であり、「SH427で電線管2本」や「SH44で電線管1本」は存在しません。すなわち昭和27年以前の車両に取り付けるべき断路器は(MSであれBSであれ)SH44しかありませんから、電線管は必ず2本です。戦前のモハ30形や50形などもそうなっており、しかも振り分け配管です。要するに、

断路器は別箱で左右に振り分け配置、それぞれの断路器へ向かう電線は独立しており、妻の左右に振り分け配管。

これが標準的な形態です。具体的には34036さんが言及されていたように、戦前は(なぜそうなったのかはわかりませんが)、電気側にBS、空気側にMSという配置でした。これが戦後になると逆転し、門外漢の私が見ても納得する配置となりました。したがって63形の電線管2本が振り分け配管であるのは、ある種当然なのです。ここからは個人的な考えですが、63形の初期は戦前と同じ考え方(空気側にMS)だったものが、後に逆転配置となったと考えていますが、写真が少なく、なおかつ断路器の文字が判別できないものばかりなので、決定打には今ひとつです。なお、原設計ではBSはないはずです(後期車にはあり)。

以上から、80形が振り分け配管であること自体は戦前からの流れです。そうすると、こちらを主流として70形の2本まとめを反主流にしたくなりますが、SH427登場前後の変遷を見るかぎりでは2本まとめのほうがスタンダードのようであり、このあたりが混乱のもとかもしれません。

追伸
主回路ツナギを2種貼ります。左が別箱のSH44で、501線が2本独立しています。ただし、図は振り分けとして描いているわけではなく、70形のように2本まとめて1位に配管の場合もあります。右が同一箱のSH427で、昭和27年度以降を示します。


 

2本の母線左右に振り分けたモハ63形の写真発見

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年10月 2日(火)00時39分32秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

2本の母線を左右に振り分けがモハ63形の写真を見つけました。
 73おやぢさんが、モハ80形に2本の母線を左右に振り分けた車両がいたことを紹介されていますが、モハ63形にも見つかりました。
 交通新聞社「国鉄車両写真集」の「63系、72系車両」のP161に収録されている2枚の写真のモハ63形のうちの、下のモハ63858が、母線が左右に分かれて降りていることが確認できます。また、「旧型国電車両台帳」のモハ63形の写真(P116)を見ると、モハ63142,368のどちらとも屋上部分の配管が、限界まで左右に離れてから、妻板に降りる独特のものですが、母線が左右に分かれて降りています。これを踏まえて、「国鉄車両写真集」の「63系、72系車両」のP161の上の写真を見ると、車号が同定できず、単に「モハ63形」となっていますが、母線が左右に分かれているように見えます。但し、奇数向きにもかかわらず、空気管が右側(電気側のはず)に降りているのが奇妙です。これを見ると、モハ80形の左右に分かれた母線は、モハ63形から引き続いていることが考えられます。
 「旧型国電車両台帳」P117には、昭和30年1月3日撮影の「クモハ73001」の写真がありますが、母線が2本あって、空気側に降りている「逆配管」になっており、見かけ上、モハ71001の落成時と同じレイアウトの配管になっています。吹田工場のクモハ73形全金更新車は、工事後も「逆配管」で残った車が多く、何故か幡生工場更新のクモハ73021,027も逆配管ですが、全金更新試作車のクモハ73001は普通の配管に変化しています。このため、クモハ73001はどこかの段階で普通の配管に引き直されています。他の車で見つかったのが、RPアーカイブセレクション26「国電の記録」P108の1954年9月29日撮影のモハ73053は、母線2本で逆配管、P122の1952年8月4日撮影のモハ73008が同じく母線2本で逆配管です。同時期の関東のモハ72形も、RPアーカイブス37「63・73型電車の時代」P103の1952年に下十条電車区で撮影のモハ72形が、母線2本で逆配管です。これに対して、ちょっと時代が下りますが、RPアーカイブス37のP16の1960年8月25日撮影の朱色のクモハ73025は、逆配管ですが、母線は1本です
 

配管はこんな感じです

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 9月30日(日)18時03分44秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。
34036さん

●不思議な60110
正直申せば、私も「東鉄向けを転用したのではないのか」との疑念がありました。急行札差がない件は判定の絶対的条件ではないものの、ないのは田中車だけ(汽車製はちゃんと装備している)なので、可能性を一歩進める材料くらいにはなるかと思います。17年度分は総じて落成が遅延気味ですし、もし大鉄への転用が急な決定であったのなら、機器の吊り金具が東鉄形の可能性すらあり、まことに興味深い展開となるのですが、更新前の写真がないことには、手も足もでません。

●電線管の位置と本数について
この件を極めたわけではありませんが、写真からわかる範囲で年度ごとにまとめてみました。拙い図で恐縮ですが、奇数パンタ車の透視図です。なお、新車基準ですから、改造車や更新車はこの図と一致しないこともあります。

まず26年度車まではMSとBSが別箱(木製小箱のSH44)の振り分け配置で、電線管は独立して2本あります。モハ70形は妻に向かって左(1位)にまとめて2本あり、BSはストレートですが、MSは横断して山側(電気側)へ向かいます。ここで注意すべきはモハ80形で、大部分(一部は2本まとめもあり)は電線管自体が左右の振り分け配管となっていて、どちらもストレートです。理由はわかりませんが、合理的ではあります。
27年度車はMSとBSを同一箱としたSH427を山側(電気側)配置としましたが、配管は前年度までの2本が1本になっただけで、床下横断は変わりません。これがいわゆる逆配管で、27年度だけの特徴となっています。
28年度車以降は向かって右(2位)となり、ストレートにSH427へ向かいます。正規配管、あるいは標準配管とでもいうべき形態です。

「電気車の科学」誌の「床下を横断し断路器に配線」云々のくだりですが、日本語の解釈としては
「MS用の配管はいままで床下を横断していたが…」
「27年度車はMSとBSを同一箱にしたにもかかわらず、床下を横断しており…」
の、いずれにも解釈できます。まあ一応、記事の趣旨が「28年度車の変更点」の説明
だと思いますので、後者ではないかと忖度しますが。

興味深いのは吹田工場が施工した73形です。あいにく大多数が全金化されてしまったので、サンプル数の少ないのが難点ではありますが、改造時期により上記3例が昭和30年代まで存在しました。
東鉄も出場時点では電線管2本や逆配管がありましたが、早期に引き替えて28年度形に統一されています。この潔癖なまでの徹底ぶりは昭和30年代に大鉄から東鉄に転入した73形にも適用され、多くは引き直されてしまいました。一方、大鉄は無頓着で、昭和20年代に東鉄から大鉄入りした73123などは昭和30年代になっても逆配管のまま環状線に走っており、さながらシーラカンスのごとき存在でした。
さすがに電線管2本とSH44は淘汰対象だったようですが、そのほかは逆配管も含めて明確な(言い換えれば工作局主導による強い)指導はなかったということかもしれません。
 

床下機器とパンタグラフからの配管、平軸受の軸箱など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 9月30日(日)11時19分0秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、34036さん、皆さんおはようございます

断路器と配管について
 断路器とパンタからの配管の関係は、以前に母線が空気側、空気管が電気側に降りる配管(私がこの場で「逆配管」と呼んでいるもの)に関連して話題になったことがあります。新製車では昭和27年までの車、(証拠写真としては、RP00-5号の73系特集で掲載されたモハ72505の新製当時の写真、遅くまで残った車としては、モハ70形昭和27年度車の70043~048、「電線管2本」がわかるのは落成当初のモハ71001など)、更新修繕車では、先に話題にした、クモハ51001~010や、クモハ73形吹田工場更新車など)で、当時も、「母線が下りた、最初に接続されるスイッチが、空気側の方に寄ったところにあったため、空気側に母線が降りたほうが経路が短くなる」との考えが出ました。この時も情報をまとめて下さったのは73おやぢさんで、新製、更新の当初は関東、関西両方とも「逆配管」だったのが、関東の方は早期に修正したのに対し、関西は遅くまでそのまま残った、との話も伺いました。東鉄の配管の修正は、34036さんご指摘の「断路器をM.S.とB.Sをまとめてひと箱にした」工事を(次の全検時か?)追加施工した事が考えられます。となると、クモハ73形で「逆配管」で残った車(仙石線のクモハ73011など)に断路器の違いが見つかるかもしれません。

TR11台車と同時期の古典台車について
 台車の「軸箱の蓋」は、幌内と小樽の保存車の「アーチバ台車」でも違いがあったことに気づきました。平軸受の軸箱の蓋は「1枚板で両側にネジ止めの耳が付いている」ものがポピュラーですが、この中で、小樽の「キ800」の台車が軸箱蓋にリブが付いた古典的なものでした。写真上は、幌内と小樽の保存車のうち、アーチバ台車を履いていた車から、台車の写真を集めたものなのですが、このうち、「キ800」が、TR20よりもさらに古典的な台車であることに気づきました。訪問した時は「TR20」かと思っていたのですが、キ800の台車は、「軸箱の蓋」が違う他、「枕ばねがコイルばね」で、昨年紹介した、熊本電鉄の長物車ナ1のアーチバ台車によく似ており、「TR16」とされるグループの台車かもしれません。
 写真中央は、キ800の台車の軸箱の写真で、蓋は、一般的な平軸受の台車とは全然違う構造で、下でネジ止めするほか、上から板バネで支持されています。
 写真下は、「木造客車」関連で、「北海道博物館」に展示されていた、「大正末期の客車の車内風景」を再現した1/1ジオラマです。幕板に書いてある車号は、「ナハ24892」と書いてあり、ナハ22000系をモチーフとしたものです。北海道なので、写真中央に「ダルマストーブ」があります。
 

常総筑波の台車他

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 9月30日(日)05時28分23秒
返信・引用
  原口さん、みなさんおはようございます。

常総筑波鉄道オハ801とオハフ803の台車について、外観から判断する限りでは、どうも以下のようであるのがわかりました。
「車両史編さん会 国鉄鋼製電車史「モハ63形」上巻」に掲載の図面によると、
オハ801は「明治45年式台車」(一応電動車用の改造?)のTR10(短軸)
オハフ803はTR11の初期形(EA3004図面によるもので長軸)
…のようです。イコライザの形状、TR11はリベットの数から判断しました。
木造車鋼体化のモハ50(中バリに残ったトラス棒の間隔が狭いのは電動車用台枠)の車体に、より古い台車を装着(軸距離2134ミリか?)ということのようですが、電動車用台車だったので、ブレーキワークを単純化するため、外側のブレーキシューを撤去したのでしょうか。

何に由来する台車なのかは、今となってはわかりませんが、西武の残り物の線も濃厚ながら、木製車の戦災車から発生したものを、当座の間に合わせに取り付けたものかもしれません。さすがに省がモハ50の張り上げ屋根車に、明治45年式台車は付けて使用しないと思うので…。

戸袋窓の件は、オハの写真をよく見返したところ、ドア埋め部右側の窓が固定窓(すなわち元戸袋窓)ですね。失礼いたしました。もっとも、それでいてドアを埋めて新設した窓は、開閉可能に見えるのが面白いです。
オハフのほうは、元戸袋窓も開閉可能にしている様子ですが、両端ドアの開く方向は、外-外になっており、車端部の窓は両側とも戸袋窓になっているというのも驚きです。どうしてこういう改造にしたんでしょうね?。既に台枠が変形しており、枕バリ部にドアステップを付けると、車体が崩壊しそうとでも考えたのでしょうか。

先の話題の、オハフ61 2619の台車の件は、一応台車としては撮影した写真があったと思うので、イコライザが太いかどうか、リベットの様子などを再度観察してみたいと思います。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

修正

 投稿者:34036  投稿日:2018年 9月29日(土)19時06分56秒
返信・引用
  修正のお知らせです。

下記のパラグラフの最下の文章に誤りがありました。
右・左が逆になっておりました。
お詫びして訂正させていただきます。


戦前の関東車では、写真を見比べてみますと奇偶に拘らず、
正面に向かって右側(運転台のある方)が電気側、左側(車掌台の方)が空気側であり、
M.S.は左側=空気側の台車の横に、B.S.は右側=電気側の台車の横にそれぞれ配置し、
パンタグラフが前にある場合、パンタグラフからの電線管は左右に分かれて降り、
右側の電線管は一つ箱を経由してM.S.の箱に、左側の電線管は直接B.S.の箱に接続されていると思います。

修正⇒

左側の電線管は一つ箱を経由してM.S.の箱に、右側の電線管は直接B.S.の箱に接続されていると思います。
 

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