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三井三池ホハ200形、2枚幌と1枚幌について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 4月 2日(月)01時01分48秒
返信・引用 編集済
  田町さん、皆さんこんばんは

三井三池ホハ200形について
 三井三池ホハ200形は、元は専用線だったためか、情報が少なく、「3段窓で4扉」であることは確実なのですが、そこから先の形態が長らく不明だったようです。
 「レイル」誌の記述は、80年冬号P62にあります。解説は、「従来はこの三井の分はサハ78形の車体であるといわれていたが、九州三井炭鉱の専用鉄道で、一般乗客は乗車できず、したがって目に触れる機会も少なかったため判然としなかった。形態は63形と確認された。但し、車体は63形と同様運転台扉もあり、そちら側は非貫通だが、運転設備はもちろん、間仕切りも無く、純然たるサハであった。この辺りのことが誤り伝えられて78形だったと言われた所以ではなかったのだろうか。」とあります。一方で、別のところで「車体は”クハ型”と”サハ型”があったと」と伝えられており、「クハ型」は乗務員扉が最初からあったのか、「サハ型」に乗務員扉が後から追加されて「クハ型」になったのかは不明との記述もありました。「レイル」誌P62には写真も掲載されているのですが、扉はサハ78形と同じく中央から妻側に向けて開く形態で、乗務員扉後ろの窓のレイアウトも、客扉との間の窓柱が広い、モハ72500台と同じレイアウトになっているように見えます。一方で、妻面には3段窓が3枚並び、幕板には通風グリルが有り、こちらはモハ63形に類似しています。また、RM124号掲載の写真も、乗務員扉直後の扉は外側へ開くようになっています(先にあった乗務員扉か、後から追加された乗務員扉かは不明)。このため、ベースとなったのはサハ78形で、両側の妻の開閉式の扉を省略した形態が原型で、乗務員扉の取り付けと貫通路から隣の車両への移動を可能にする工事を行ったのは専用線から地方鉄道への変更を行った時と考えられます。ただ、以前も話題になったのですが、ホハ200形は昭和23年日本車両製なのですが、日本車両では昭和23年にはサハ78形だけでなく、モハ63形も全く製造していない(同時期にはオハ35型を製造)ため、モハ63形を全く製造していない中に突然モハ63形タイプの車を製造していることになります。これに関しては、「専用線」であったために、運輸省の管轄ではなかったことが抜け道になったことが考えられています。

 80系と他の旧型国電の連結では、違う幅の幌枠を連結する「テーパー幌」がこの場でしばしば話題になりました。2枚幌の、80系の車体側からすぼまる「縮小型テーパー幌」と、他形式の車体側から広がる「拡大式テーパー幌」の存在が確認されており、70系と80系の連結ではテーパー幌を挟み込むことによって幌を連結していましたが、73系は、首都圏でも1枚幌だったため、横須賀線の70系及び80系との連結の為には、2枚幌を連結できるようにする細工(車体側への幌のばね吊りの固定具(飯田線のクモハ54007前面に見られるようなもの)の取り付け等)を行ったと考えられます。72系は、伊東線にモハ72511が入っている写真が最近のRP誌の73系特集(17-11号)P39に掲載されており、こちらも前後連結の戦前型は横須賀線由来の2枚幌のはずなので、モハ72511は2枚幌を使えるように工事が行われているはずです。
 
 

72系と80系の併結について

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 2日(月)00時15分18秒
返信・引用
  連投、失礼します。

すぎたまさんが仰っておられる準急白浜の72・80系併結営業運転は唯一の事象かと一瞬思いましたが、鶴見事故による車両不足で大船区に一時的にモハ72形が配置され、スカ線編成に組み込まれた事があり、言うまでもなくスカ線編成にはサロ85形が多数含まれていたので、72・80系が同一の編成に組み込まれて営業運転を実施した例はこれも含まれる事に気付きました。
 

86059・060

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 1日(日)23時40分58秒
返信・引用
  72901さん

なめくじ会の写真は059ですね。

私は小学校4年の時に購入した鉄道ファン1977年7月号のp31に掲載の準急白糸のHMを付けた奇数向き木枠車の写真を見て疑念を抱きました。
準急白糸は1966~68年の間しか存在しない筈で、当該写真のキャプションも68年6月撮影となっています。
それまで、私の教科書は「国鉄電車ガイドブック旧性能電車編」上・下巻(これは小学校2年の時にお年玉で購入した)であり、それの記述によれば51年度製車は全車更新修繕を施工された事になっているにも拘わらず、68年に木枠車が存在した事に矛盾を感じました。
そこで、ピクトリアル77年8月号の車歴表を確認すると、059・060は更新修繕未施工である事を発見しました。
従って、前述の準急白糸の写真は059に違いないと確信したものです。

今と違って、ネットなど全く存在しない時代でしたし、小学生だったので、この事実を発信しようにも方法が皆無でじれったい思いをしておりました。

原口さん

>>三井三池鉄道の客車は、サハ78型そのものであるホハ200型が有名ですが

ホハ200形はサハ78形ではなくサモハ63形のコピーかと思います。
また、「型」ではなく「形」の字が適切かと思います。
 

大船電車区のクモヤ22+クモハ40

 投稿者:72901  投稿日:2018年 4月 1日(日)22時47分30秒
返信・引用 編集済
  みなさまこんばんは。

今回は1980年に大船電車区で撮影したクモヤ22114+クモハ40059の画像をアップします。
おそらく大船駅までの職員輸送用と思います。
確か通常はクモハ40の2連でしたがこの時は片方がクモヤ22でした。
この頃はまだ職員輸送用に最寄り駅と電車区を行き来する旧国があり楽しませてもらいました。
まで大船工場にも旧国の入出場があった頃です。
 

木枠のクハ86

 投稿者:72901  投稿日:2018年 4月 1日(日)22時39分15秒
返信・引用 編集済
  みなさまこんばんは。

木枠のクハ86の写真ですが、既にご存知かもしれませんが「なめくじ会」のHPに昭和41年撮影の画像の掲載があるのを見つけました。
「なめくじ会の鉄道写真館」で検索、「電車・電気機関車」の「身延線」に2コマの掲載があります。
昨日の書き込みを見てどこかで木枠のクハ86の写真を見て驚いたことを思い出しクハ86と身延線をキーワードに検索をかけたら見つかりました。
私は80系は最晩年の飯田線で僅かに撮影しただけです。木枠のクハ86は貴重な記録だと思います。

>原口さん
サハ78516、78517の梯子に関して解説を頂きありがとうございます。
古い鉄ファンも貴重は資料ですね。大阪の73系は興味がつきません。
 

クハ86059,060、三井三池鉄道コハ100型、鉄道コレクション第26弾など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 4月 1日(日)18時53分50秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

クハ86059,060の木枠時代について
田町さん・すぎたまさん
 「80系湘南電車最後の頃」は、私も話を伺っており、クハ86059が昭和43年に前面窓が木枠原型であったことを示す写真を確認したとのことです。
 モハ32型の「お化け電車」は、「旧型国電50年(1)」にカラー写真があったことを思い出し、確認したところ、P22,23の見開きでした。

三井三池鉄道コハ100型の写真発見
 三井三池鉄道の客車は、サハ78型そのものであるホハ200型が有名ですが、小型で3扉のコハ100型も存在しました。ホハ200型の方は「レイル」誌の73系特集に写真の掲載が有り、他の誌の63形特集でも言及されることがあるのですが、コハ100型は話題になることが無く、下手をすると公開されている画像は「西部警察」65話「博多港決戦!」で登場する三井三池鉄道の客車列車の映像だけという状態だったのですが、RM94-1 (NO.124)号に写真が掲載されていたのを見つけました。同号では「孤塁を守る最後の運炭鉄道」のタイトルで三井三池工業専用鉄道の現況が掲載(P50~)されており、車両の一覧が記述されています。この中の「旧在籍(消滅)車両」でコハ100型の記述と写真がありました(P57)。諸元は、「最大長16.83m、自重21t、座席52人、立席64人」で、「台枠及び台車は国鉄等の木造客車のものを流用したと思われる」「東芝製の客車として珍しい存在であった」の記述があります。写真を見ると、dD6D6d1のレイアウトは、以前にも触れている南武鉄道モハ505型(国鉄クモハ2020型)、蒲原鉄道モハ61等の日本鉄道自動車の車と共通なのですが、細部を見ると、台枠が全面的に露出しているところは種車とされた木造客車の構造を色濃く受け継いでいます。また、ウインドシルが窓下の部分だけにしか存在せず、ドアの側柱、隅柱の部分はノーシルになっていること、隅柱の部分がかなり丸みが強いことが新発見で、「西部警察」では気づかなかった点です。
 ホハ200型の方は、当時は旧車で1両(ホハ201)が残っているだけでしたが、現有車の方に記述がありました。諸元は「最大長20.162m、自重24.5t、座席60人、立席100人」でした。全長が20.0mより少し長いのは、恐らく連結器が電車用の密着連結器でなく、自動連結器であるためで、オハ61系が連結器が元の木造客車から流用したアライアンス式、シャロン式連結器のそれぞれに応じて全長が微妙に違うことに似ています。ホハ200型は、原型は乗務員扉は無く後から追加されたと考えられていますが、ホハ201の写真(P56)では、両側に乗務員扉が付いています。「西部警察」や、過去に見た写真では、乗務員扉は片方だけ(車端部分の室内は普通にロングシートだったことを「西部警察」で確認)だったので、新発見になります。「西部警察」で登場した2両の固定編成なら両側の乗務員扉は必要ないので、客扱いをしていた末期は1両編成に短縮されて、それに伴って緩急設備を反対側にも追加したことが考えられます。また、「座席60人」は、扉間のロングシートが8人×6、連結側が4人×2、車掌室側が2人×2で60人と考えられ、車掌室が片方だけの状態を反映していると考えられます。
 他には、タンク貨車の「タオ型」の写真があります。濃硫酸専用の30t車で、台車がTR20系列の菱枠型台車であること、タンク固定の帯金が、タンク受台ではなく、その外側の台枠に固定されている、戦前のタンク車に固有の形態であることがわかります。タオ型のなかでは、「タオ40」が、タキ300型濃硫酸専用タンク車のトップナンバーの「タキ300」の転用が疑われています。三井三池鉄道のタンク車では、他にタム100型濃硝酸専用車のうち、昭和20年に計画された車番の車が昭和28年になって車籍に入り、その間三井三池で構内専用車として使われていたことが疑われています。

鉄道コレクション第26弾が発売になりました
 先週末に鉄道コレクション第26弾が発売になりました。今回は国鉄末期からJR初期に登場した地方のJRのステンレス車がテーマでしたが、「シークレット」が予想しにくいものでした。JR西日本213系のクハ212型0番台の代わりのクハ212形100番台が有力だと考えていたのですが、この予想は外れました。今回4両編成を組むために2箱購入したのですが、片方に「シークレット」が入っており、「クハ700型1500番台」の「身障者対応WX取り付け車」がシークレットでした(写真上、車号クハ700-1513)。下が通常のクハ700型(クハ700-1506)です。調べてみると、2001年度投入の車が身障者対応WC取り付け車でd、車号は1509~1518が相当します。
 

ウィキに掲載の画像

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 1日(日)16時29分16秒
返信・引用
  連投、失礼致します。

ウィキの「国鉄80系電車」の頁に掲載の画像は、半分位は私が出した物です。
また、「国鉄63系電車」の頁に掲載の79004の画像、DT14の画像、「国鉄72系電車」の頁に掲載の79328の乗務員扉上に回されたウインドウヘッダーの画像、「国鉄32系電車」の頁に掲載の45004の方向幕閉塞跡の画像等も私が出しました。

その他、旧形国電の頁全般に加筆や画像の掲載をしております。

>その他、湘南スタイルの代表形式の項、少々対象が広すぎる感があるのですが…。

一応、センターピラーによる連続2枚窓、傾斜が無く鼻筋も通っていない物、高運転台車は除外してあります。そうでないと極端な話、近鉄10000系やJR四国5100形も記載しなくてはいけなくなりますから・・・。

 

ウィキ加筆

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 1日(日)15時49分16秒
返信・引用
  すぎたまさん

御要望、有難うございます。

お化け電車についてはウィキの「国鉄80系電車」と「湘南電車」の頁に加筆しておきました。

>●「とれいん」第309号82・83ページの記述にある、1964年8月12日~14日の臨時準急「白浜」号(千葉地区)における、代走モハ72との併結運転。

これについては、私自身が初耳である事と、とれいんの当該号が手元に無い為、加筆出来ません。

ウィキの加筆は誰でも簡単に出来るので(ただし不正確な情報を書き込むと叩かれます)、是非ご自身で加筆なさってみては如何でしょうか。
 

Re: クハ86060木枠の写真

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 4月 1日(日)05時44分53秒
返信・引用
  > No.2455[元記事へ]

田町八十吉さんへのお返事です。

> 余談ですが、ネコ・パブリッシングから「80系湘南電車最後の頃」が刊行され、私がWikipediaにこれでもかという程加筆した内容を多くの記述で取り上げて下さっており、

はじめまして。すぎたまと申します。
80系についてのwikipediaの記述を修正なさっておられるのですか。でしたら是非以下の項目も追加して下さい~。

●「とれいん」第309号82・83ページの記述にある、1964年8月12日~14日の臨時準急「白浜」号(千葉地区)における、代走モハ72との併結運転。

●湘南色について、モハ32を使用した「お化け電車」の存在に触れて欲しい。

その他、湘南スタイルの代表形式の項、少々対象が広すぎる感があるのですが…。

直接編集出来るので、ここに書くべきことでは無いかもしれませんが、諸事情に明るい方にお願いいたしたく存じます。

http://princesscomet.net/

 

クハ86060木枠の写真

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 1日(日)02時05分10秒
返信・引用 編集済
  皆様、大変御無沙汰しております。

表題の写真を下記サイトで発見しました。

http://8917.teacup.com/681065/bbs/26209

静岡運転所構内で撮影されたものと思われ、おまけに編成内に1965年転入のサハ75011(スカ色)が組み込まれています。
75011は1966年には大垣に転出して70系の編成に戻されていますので、65~66年と撮影時期が絞り込めます。

余談ですが、ネコ・パブリッシングから「80系湘南電車最後の頃」が刊行され、私がWikipediaにこれでもかという程加筆した内容を多くの記述で取り上げて下さっており、縁あって著者のY.M.氏と近日中にお会いする事になりました。

どんなマニアックな議論を交わす事が出来るのかと期待しております。
 

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