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モハ40030の断路器

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年10月27日(土)19時57分35秒
返信・引用
  みなさんこんばんは。

MSとBSの断路器箱ですが、通常更新前のモハ40形などは、台車枕バネの真ん前(台車中心ピンから枕バネ先端に向けて線を引いた先)に付いているのが普通です。
しかし、「RM LIBRARY 224 1950年代の戦前形国電(中)」の14ページに掲載されている、小田急で試験し、その後中野電車区に帰着したばかりと思われるモハ40030は、台車にKS-105とカルダン駆動の台車(東武5720系用)を装着しているものの、断路器箱が変に曲がりくねった配管で、台車の右脇(第一運転室を左に見た時)に移設されています。
これが試験時のみの臨時変更なのか(KS-105には、ボルスターアンカーがあるので、それを避けたと思われる)、その後どうなったのか、などわかりませんね。更新修繕までの特異車だったかもしれません。
この写真には、側面窓内から外に下げる形で大きめなサボがついており、XXXXXXX 試験車
と書かれているようです。
またKS-105台車は、台車シリンダー式のブレーキワークですが、車体のブレーキシリンダーも残っており、どっちを使ってブレーキをかけていたのかわかりません。連結器も自連になっています(小田急での試験時も同様)。
台車はグレー、パンタPS11、ガーランドベンチレータ一列、プレスドア(窓さん一段)、台車脇にすぐ抵抗器、引っかけ式骸骨テールライト2つ、第2運転室右下に、ジャンパー箱、運番表示外付け3桁目取り付け、前面方向板受けあり、側面急行表示器2カ所、中央ドア脇に行先表示器あり、というような外観です。
なお、これにより、モハ40044はKH-1(クイル)、FS-201(カルダン)、DT-17(吊り掛け)、モハ40030にKS-105(カルダン)ということがはっきりしました。モハ40030にFS-201は装着されなかったと思われます(うちのHP修正が必要ですね)。いずれも、カルダン台車は中野電車区から装着して小田急線に来ており、別な台車との交換のみ小田急経堂工場で行い、試験後もカルダンのまま帰った様子が見て取れます。

失礼いたします。ご参考までに。

http://princesscomet.net/

 
 

72108・72110ほか

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年10月27日(土)16時25分14秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。
34036さん

63形改72形は早期の廃車や荷電改造などで急速に両数を減じてしまったことと、趣味者が写欲を感じなかったためか記録された写真がきわめて少なく、限られた条件から想像するほかはないと考えます。

さて、72108を考えてみると、同車は豊川分工場施工で、唯一の偶数番号車、なおかつ出場が27年3月31日であることから、28年度への繰り越し車ですね
組織上、豊川分工場の「親工場」はどこかというと、たしか当初は浜松、のちに名古屋だったと思いますが、どちらも電車職場はなく、大井が直接指導していたはずです。そうすると事実上の親である大井の考え方がそのまま豊川に持ち込まれるのは自然であり、施工時期も考えると豊川出場時にすでに奇数へ方転していた可能性はきわめて大と考えます。

次に72110ですが、こちらは汽車出場時点で偶数向きの可能性がきわめて大です。
なぜなら、メーカーは、
契約内容どおりの改造工事を行うこと。
納期を守ること。
以上の2点が厳しく求められました。勝手な工事は許されず、変更の必要が生じたときは国鉄の許可が必要です。納期に間に合わなかったら、重大なペナルティが課せられたとも聞きます。
72110は鋼体強化にさいして使い勝手優先として奇数向きに方転しましたが、このとき車体を在姿状態としてパンタを奇数側へ移設したため、側扉の引き方向が特異車となってしまいました。車体をひっくり返す完全な方転だと電気・空気双方の機器を入れ替えねばならないので、作業を簡単にするためだったのか、偶数のまま施工するはずが急遽変更になったのか、そのあたりの経緯は不明です。

63500形偶数車改72形偶数車は該当が少ないこともあって、空気側の配置は不明です。なるほど、例えば「電車のアルバム」の63502をもとにして、「この空気側配置のまま、72形になったら…」と考えると、施工後の72形偶数車は引き続きパンタの直近に空気溜があることになり、他の63形前期偶数車改72形とは機器の配置順序が異なる可能性があるということですね。
とはいえ、63500形偶数車が原車の場合、改造後の72形偶数車の台枠機器配置はこのようにすべしという特別な図面がわずか数両のために用意されたとは考えづらいです。メーカーには標準的(前期型を原車とするの意)配置の図しか支給されていないでしょうし、勝手な作業が許されないことから、63500形が入場してきた場合、「この車は逆だぞ」とブツブツ言いながらも図面どおりにすべく前後を入れ替えた(空気溜を後位、非パンタ側へ)のではないでしょうか。以上は、あくまでも想像ですが。

ちなみに11月に発売予定の車両史編さん会「63形下巻」には63形改72形などの台枠機器配置図が掲載されるらしいので、なにか手がかりがあるかもしれません。

それと、別件ですが、今回たまたまRP938「72系特集」巻末の車歴表を見ていたら、72039以降の新旧対照の奇偶が広範囲に入れ違っているのに気づきました。何かの手違いがあったようで、全てを検証したわけではありませんが、RP684「73系特集」またはアーカイブス37「63・73形電車の時代」の表のほうが正しいようです。

●またまた配管話で恐縮ですが、特異車を発見しました。
以前、同一箱(SH427)の断路器は電気側のパンタ至近が定位置であり、1500V回路をあちこち引き回すことなく最短距離にするのは、ある種常識のはずなどと大見えを切りましたが、とんでもない特異車を発見しました。41029と41800です。この2両の断路器は前位台車の直後にあり、パンタから遠く離れているのです。

おそらく豊川分工場の更新修繕に起因するようですが、晩年の41029は大井持ちであったにもかかわらず修正はされませんでした。修正には電気側の機器を少しずつ移動させる必要があり、なおかつ大がかりな配線引き替えを伴いますから、この種の配置や配管に潔癖な大井工も、さすがに手が出なかったようです。ちなみに43800~や51830などの断路器もパンタと離れていますが、これは低屋根化時のパンタ移設で結果的に取り残されたもので、特異車とはいえません。
いますぐ解決できる疑問ではないと思いますが、まずは問題提起でした。

 

パンタ(部品)転用

 投稿者:前納浩一  投稿日:2018年10月23日(火)20時17分35秒
返信・引用
  原口さん、みなさん、こんばんは。

少し古い話へのレスで恐縮です。パンタの予備品が不足したので、一時期、モハ114形3000番代が一丁パンタになっていたという話を読んで思い出したことがあります。

昭和60年頃だったと思いますが、営団地下鉄東西線で架線不良があり、多数のパンタグラフの集電舟が損傷しました。当時は三鷹向き制御電動車の5000形にも予備的パンタグラフを搭載して常時上げて運転していましたが、多くのパンタグラフの損傷により部品が間に合わないため、一部の5000形のパンタグラフから集電舟を転用して間に合わせ、部品が揃うまで、5000形はパンタグラフを降下させたまま運用されたことがあります。
なお、後年、千代田線の綾瀬支線用を除き、5000形のパンタグラフは撤去されました。(5000形は、国鉄で言えばクモハ300形にあたる形式なので、本来ならパンタグラフは不要です。)
 

いろいろです

 投稿者:34036  投稿日:2018年10月21日(日)23時55分40秒
返信・引用 編集済
  みなさん こんばんは

原口さん、すぎたまさん
コメントどうもありがとうございました。

73おやぢさん
ご提示いただいた内容がもとではまってしまいまして、ずっとあれこれ考えております。いまのところまったくまとまらず間違いも多いかもしれませんが、とりあえずお礼かたがた中間報告をさせていただきます。

>●63500形の断路器

解説、どうもありがとうございました。よくわかりました。

とれいん増刊 レイル'80冬号 が63系の特集号になっています
汽車製の 63671 と 近車製の 63712 の写真の掲載がありました。

かなり大きな写真での掲載ではあるのですが、やはりMとBの見分けは難しいです。
63671は、63701、63703と同じ汽支製ですが断路器がないようです。

先にご教示いただきましたように、63229の写真との比較によって63500~の設計変更を期に電線管の両側振り分けのまま、電気側:MS、空気側:BS に変更となったのは確実ですね。

これは余談ですが、
青春(Ⅰ)p119に、モニ53001の、焼失木造荷電鋼体化復旧竣功時と思われる写真があります。
戦前にもかかわらず、なんと空気側=BS であることを今回認識しました。
このモニ53001は、向き、パンタ位置、関西なのに山側空気、機器の配列順序等、すべてにわたっておかしな車両です。


>●14110の旧番のこと

「昭和28年の総裁達の別冊」は初見でした。ありがとうございます。
クハ77形10代の改番対照(奇数偶数をあわせている)などから、本庁の改番指定はおそらく偶数奇数を合わせたB案だったのではないか、とは考えておりました。

改番当時静鉄にいたクハ58は、奇数向きに方向転向されていたはずにもかかわらず偶数番号(47100~)が附番されたことを考えると、
本庁側が現車の向きを把握しないまま改番対照表を作成した可能性については、お説に非常に説得性を感じます。

一方で、28年6月の改番は、17メートル車についてはかなり徹底して行われたように感じますが、
モハ32の改番は、32を14に替えるだけで、廃車による欠番を埋番しなかったわけで、この辺りは静鉄の意向を酌んだようにも思え、
このように見てくるとA案も昔からそのように言われてきたこともあり、あながち否定できないという思いがありました。

 「14110は車体下部のリベット2列、14111は中央扉をふさいだところが電気溶接…」の件は丸屋根更新後の事と思い込んでおり見逃していました。
62形時代の車号の読める写真があれば、改番対照の真実はこの特徴と合わせて確定できそうですね。

なお、「我が心の飯田線! 飯田線を走った車両達 元祖スカ形一族」に
「モハ14110(静トヨ) 更新修繕前 1954年頃豊橋機関区神谷氏撮影」 が掲載されておりました。
改番後ですが、車号、裾部分のリベット2列がないのが明瞭です。

DT11の出所の件
モニター屋根のままWCを取り付けた16161、焼失した30173→クハ47023(→47011)、そのほか仮クハニとなった16150~

これらはもともとはDT11をはいていたはずですがR11などに履き替えているので、これらがその出どころの可能性はありそうですが、問題はその時期ですね。
特に地方に出た16150~はもともとはいていたDT11を履き替えた車が多い印象です。重たいからでしょうか?
(仙石線でも宮城形2320形がDT11に履き替えた事例がありますね。)

 >すぎたまさん
台車の履き替えの時期の特定もありますが、ここで取り上げたのは、若し62形時代にどちらか一方が履き替えていれば改番対照の確定に使えるのではないかと考えたことが大きな理由でした。


>●72110に関連して72082のこと

ご提示の内容をもとに、大井工場施行の初期63→72改造車のうち偶数車について、出場年月日順に並べたうえで、その向きを調べてみました。

その結果、
昭和26年12月末までに出場したものは偶数向き(第1エンドが偶数寄りでパンタも偶数寄りの意味)、
昭和27年1月以降出場したものは、奇数向き(第1エンドが奇数寄りでパンタも奇数寄りの意味)
で出場したと考えられることが分かりました。

72200以前の偶数車で大井工場の改造車
(最右欄の 偶・奇 はとりあえず鋼体強化の有無にかかわりなく偶奇が判定できたもの)

51.11.26 72012 63034
51.11.28 72072 63190
51.11.28 72102 63460 偶
51.11.30 72008 63022 偶
51.12. 7 72070 63176
51.12.10 72100 63436
51.12.13 72040 63104
51.12.14 72096 63364
51.12.19 72060 63164
51.12.22 72098 63434 偶
51.12.25 72004 63018 偶
51.12.27 72036 63094 偶
51.12.27 72048 63132
52. 1.11 72030 63070 奇
52. 1.21 72084 63266 奇
52. 1.23 72044 63124 奇
52. 1.29 72138 63644 奇
52. 2.11 72024 63058 奇
52. 2.13 72092 63324 奇
52. 2.16 72052 63138
52. 2.19 72014 63038 奇
52. 2.19 72136 63634 奇
52. 2.23 72126 63612
52. 2.27 72128 63614
52. 2.29 72132 63618
52. 3.17 72046 63128
52. 3.21 72124 63610
52. 3.31 72002 63292
52. 3.31 72038 63102
52. 3.31 72082 63244 奇
52. 3.31 72104 63466
52. 3.31 72106 63468
52. 3.31 72120 63600
52. 3.31 72130 63154
52. 3.31 72134 63616


これからほぼわかりますが、73おやぢさんのご指定通り、昭和26年末までの出場車は偶数向きだが、昭和27年年明け出場車からは奇数向きとなり、例外はなさそうです。
これに対し、大井工場以外の汽支、日支、東急による施行車で、偶数車はもとの偶数向きのままですね(例外後述)。
(原口さんがまとめられた「モハ72形全金更新車の形態分類」なども参考にさせていただきました)

改造前後で海側空気、山側電気は変わらないので、実際に方向転向を伴っているのかが定かではないのですが、
63形は偶奇にかかわらず海側空気に統一されていますが、63500以前と以後では、機器の配列に違いがあり、
空制機器については、初期車は鏡対称で 海側床下を向かってみたとき 右側から左側に

 偶数車 ②-CP-空気タンク-④  奇数車 ③-空気タンク-CP-①

63500以降では

 偶数車 ②-空気タンク-CP-④  奇数車 ③-空気タンク-CP-①

となっていると思います。
26年度改造車はそのほとんどが63形初期車で、昭和26年12月末までに出場したものは
偶数車は ②-CP-空気タンク-④ ですが、
昭和27年1月以降の出場車は、奇数向きとなり、かつ機器配置も
右側から CP-空気タンク の順だったものが ③-空気タンク-CP-① の順(標準的奇数車)に変更されています。

偶数車号で奇数向きのものは73おやぢさんご指摘の通り原則的に上記大井工場の改造車です。
72形の鋼体強化工事は、試作も含めて原則向きは変更なしで施行されたと考えられます。
ただし、例外があって、それが 72108 と 72110 です。

 72108 63564 豊川 52.3.31
 72110 63576 汽支 52.3.22

72108は少なくとも試作改造後は奇数を向いていますが、63からの改造時点で奇数向きだったのでしょうか?
ちなみに63→72改造は豊川です。同工場の72200以前でかつ偶数車の改造はこの1両のみ。
豊川の場合は大井工場と並んで改造時点で奇数向きにした可能性はありえそうですが、どうだったのでしょう。

もう一つの可能性として、試作整備改造の時点での方向転向ですが、それだと同条件で改造されている72098も
方向転向されてしかるべきのように思われますが、72098は偶数向きですね。(63→72改は昭和26年12月)


72110は、鋼体強化前の向きは確認が取れているのでしょうか?
施行が汽支なので、63からの改造時点では偶数向きのままだったと思われます。
従って「方向転向」は吹田工場での鋼体強化改造時でしょう。

想像ですが、元が偶数向きだから偶数向きの車体で改造を実施していた。ところが、途中?で「奇数向き」に変更することになった。
まだ、あまりはっきりしたことがつかみきれていないのですが、
72108もそうですが、この2両は種車が63500~で、昭和27年の72形改時点から偶数向きではあるが機器配置が奇数風だった可能性があります。

ちなみに72200以前のもので63500~が種車のもので、改造が大井工場以外のものを挙げると下記の4両があります。
残念ながら72112、72118、72122などの特徴はつかめていません。

豊川 72108 63564
汽支 72110 63576
東急 72112 63582
日車 72118 63594
日車 72122 63604
 

いろいろお答えです

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年10月18日(木)00時02分43秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。
34036さん

●63500形の断路器
プレスアイゼンバーン「大阪の省電」(1)に63502(電車のアルバムと同じ)と63712が載っています。大型かつ上質な印刷により誌面でも細部がよくわかります。撮影は2両とも空気側であり、断路器はBSです。
63701と63703ですが、じつは同一のオリジナル写真が手許にあります。撮影者が明確なので貼る訳にもいかず、事実の報告でご容赦ください。
63701の空気側に断路器は全くありません。断路器の開閉は下回りの検査などで最初と最後に踏む重要な手順であり、なおかつ1500Vが通電されますから、作業効率や保安上、奥まった箇所に設置することはありえず、車側に取り付けるはずです。つまり、写真から判断するかぎり、63701にBSはありません。63703の空気側にある断路器はBSでした。63701と63703はほとんど同一ロットにもかかわらず、BSの有無にばらつきがある理由は不詳です。
ちなみに配管は上記の4両とも全く同じでした。すなわち、

電気管は左右振り分けで、電気側にMS、空気側にBS(ただし63701にはない)を設置。空気管は向かって右(2位)にある。
という、“教科書どおり”の標準型でした。

●72110に関連して72082のこと
少なくとも、72082の鋼体強化後は完全な奇数向き(戸袋位置とパンタの関係が正当の意)です。では、吹田工場が鋼体強化にさいして方転を伴う大がかりな作業を行ったかというと、断定こそできないものの、改造前の旧態がすでに奇数向きだった可能性が濃厚です。

というのも、大井工場が担当した63形(偶数)→72形(偶数)のうち、ある程度の両数は原車が偶数だったにもかかわらず奇数向きで出場しているからです。72030をはじめとする鋼体強化車の数両、仙石線にいた72132などで偶数番号の奇数向きを確認できます。昭和27年の会報「ロマンスカー」のレポートには、72044、72084、72136などが奇数向きとの報告があります。これは27年度施工の72200~から奇数向きに統一するという精神を先取りして、26年度の途中から奇数向きにしたようです。72082はレポートで指摘された72084より後日の出場(27年度へ繰り越し)ですから、大井落成の時点で奇数向きだった可能性は大です。

●14110の旧番のこと
写真が限られるので、これは難問です。当然ですが、手許に生写真はありません。
「旧型国電50年Ⅱ」に、「14110は車体下部のリベット2列、14111は中央扉をふさいだところが電気溶接…」とあり、リベットの消滅箇所を示唆しています。これをもとに「青春時代国電(Ⅰ)」または「1950年代の戦前型国電(上)」の豊川駅の写真を見ると、裾にリベットは見えず、中央扉付近に縦方向のリベットの列がかろうじて見える(ような気がする)ので、改番後に14110となった個体のように思えます。避雷器のアースもかなり特徴的で、もう1両の62形のアースが気にはなりますが、少なくとも14110に酷似しています。もっとも、二つの書のキャプションは62形としての車号が相違しているため、改番の新旧関係は依然として不明です。

丸屋根の14110と14111は驚くほど瓜二つで、差異を見出すのが困難です。しいて言えば14111のサボ入れと車号の位置が中央からずれていることくらいでしょうか。以上から考えるに、
印画紙上で車号を読み取ることができ、リベットの消滅具合またはサボ入れの位置がわかる62形時代の写真があれば、新旧車号の関係を確実に証明できる、ということでしょうか。

さて、添付した表は昭和28年の総裁達の別冊です。静鉄局が何らかの強固な意志を持ってこの指示を無視したのなら話は別ですが、まずはこの線で進められた(ご提示のB案)とするのが妥当ではないでしょうか。そうすると、次のシナリオが思い浮かんできます(あくまでも想像であり、読み物です)。

昭和28年時点で2両いた62形はどちらも実態が偶数向きだったにもかかわらず、この事実を本庁は承知していなかった。そこで62形の車号の奇偶だけをもとに14110と14111の新車号を用意して改番を指示した。新旧で番号が逆転しているのは奇偶のルールを守った結果ですが、これがそもそもの錯誤の発端ですね。次に翌29年の追加2両が14114と14116であることから考えると、この時点で静鉄のM車が偶数向きという事実を本庁も認識するところとなり、「だったら、既存の14111は14112に改番すべき」となったが、結果的に再改番は行われず、14112は欠番、14111は中途半端な存在に、ということではないでしょうか。

台車の件は、写真が少ないので、正直よくわかりません。ただDT11の供給元を検証する手はあると思います。戦災台車はとっくに整理されているでしょうから、常識的には廃車発生品と思われますが、それほど候補がないような…。しかも昭和30年廃車の14033は河原に転落しているので、そんな台車が再生可能かなという疑問はあります。
 

モハ30改モハ14形

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年10月15日(月)22時22分59秒
返信・引用 編集済
  34036さん、みなさんこんばんは。

「レイル」誌に、「身延線」についての記述がある号が発見されました。
当該記事を書いておられるのは久保敏(文字化けする場合は、「(すばしっこいの意味の、びんしょうのびん」の字)氏です。
それによると、形式図が載っているのですが、その中の「更新修繕時」の形式図では、14110、14114他はDT11になっていて、二重屋根時代の形式図では、番号を特定せずDT10になっています。このことから、おそらく更新修繕時に振り替えが、少なくとも当該番号では行われたと思われますが、論題に出ている14111については、記述がありませんでした。タネ車車番についての記載も残念ながら記事中にはありません。

ちなみにこの記事は、「72971~は新製台枠だから、103-3000に改造出来た」旨の、明らかに誤った記述をしてしまっており、そのあたり微妙に信頼度が低めな気もしますが、前に出たクハ17035の台枠の件も同じ記事中の話なので、間違い(重大ですが)はともかく、14形のモハ30改造車の台車振り替えについては、形式図中の記述であることもあり、やはり一応更新時が鍵のような気がします。14111が気になりますけど…。

形式図には、車内のクロスシート配置の図もあります。それで見ると、モハ30の中扉を閉鎖して、3連窓×2としてクロスシートを配置していますが、全体に窓と座席の関係が合ってない感じが強く、場所によっては眺望の悪そうなところがありますね。その点モハ62改形式のモハ14のほうは、窓の中央部にクロスシートの背が来る場所はあるものの、窓柱も細く、さすがに座席配置にそれほどの無理はありません。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

モハ72018,042の前後の変化

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年10月14日(日)13時39分43秒
返信・引用
  34036さん、皆さんこんにちは

モハ72000台の「方向」で、もっと変な例として、モハ72018とモハ72042があります。
 確か2010年頃の話題ですが、モハ72018は、昭和45年頃までは、偶数向きで、前位にパンタグラフがある、典型的な偶数向きのモハ72(最近ではRP17-11号P43掲載の写真)でしたが、昭和50年の芝生さんの写真では、エンド標記が前後で書き換えられると共に銘板が反対方向に付け替えられ、「奇数向きだがパンタが後位にある」形態に変わっています。さらに、昭和45年から50年の間に「エンド標記が1,2,3,4位すべて書き込まれた状態」、エンド標記はひっくり返ったが銘板がそのままの状態」が挟まっています。なお、モハ72018はドアコックの位置が、原型では、「車番表記の後位」にあって、逆向き車を含む一般のモハ720-00台全金更新車とは逆だったのですが、エンド標記が書き換えられた結果、他の車と同じ「車番表記の前位」に変化しています。
 モハ72018は、方向の変化が固定したのですが、モハ72042は、昭和47年の元関西旧国利用者さんの写真ではエンド標記がひっくり返っているのですが、こちらは昭和50年ごろにはエンド標記が元に戻ったらしいです。
 当時伺った話で、モーターは前からナンバリングして管理されているため(客用扉が前から後ろにナンバリングされているのに類似)、エンド標記を書き換えただけでは、モーターの管理に問題が出ることがありえ、他にも前後が変化するとメカニカル的にいろいろな変化があるとのことで、モハ72018,042については、「前後を書き換えることでメリットがあった」のかどうか、よくわからないとのことでした。

 モハ72110の特異な形態については、吹田工場の独自の鋼体化工事の方針が関係する可能性が有ります。これも以前のこの場で寄せられた情報なのですが、吹田工場の鋼体化工事は大井工場他の工場とは異なって、「できる限り元の部材を生かす」方針だったそうです。これが、前位の2連窓の位置がモハ72原型時代の扉に寄った形態(モハ63に由来する位置)だったこと(他の工場は後位の窓と同様に妻に寄った位置(中央で線対象の位置)に移設されている)、クモハ73形では、正面窓の位置が少し低い(クモハ73359で明らかなように、ヘッダーの位置をかわしたため)等の特徴が出ています。このため、逆向きの車体をそのままにして、パンタ配管を奇数配管にレイアウトしなおして、一般的な奇数向きのモハ72に近づけようとしたことが考えられます。ただ、「この工事をするメリットがあった」かどうかは不明で、1両だけに終わったのは、「工事が大規模な割には効果が少なかった」と判断された思われます。ただ、「逆向きの中間電動車」が存在することを問題視する考え方が続いており、これが後のモハ72018とモハ72042がエンド標記がひっくり返されたことに繋がることが考えられます。

上信電鉄への国鉄からの直通列車について
 上信電鉄より10月6,7日の日比谷公園の鉄道の日イベントから「創立120周年記念写真集」が発売されました。10月13日の高崎車両センターのイベントで購入したのですが、この中に国鉄からの直通列車「あらふね号」の写真がありました。昭和36年の撮影で、1次車が先頭の写真と、0番台末期車が先頭の写真の2枚が掲載されています。上信電鉄への直通車は、RF誌の80系電車の連載記事でも紹介されていました。ただ、「いつまで運転していたか」は不明で、秩父鉄道への直通列車が「みつみね号」の愛称で115系になってからも運転していた(確か昭和60年頃か、JR移行直前まで)のに対して、それよりも早く運転が終わっていたと思われます。
 

お礼と 72110・14110

 投稿者:34036  投稿日:2018年10月13日(土)21時27分55秒
返信・引用
  皆さん、こんばんは
73おやぢさん

●拙図へのコメント、ありがとうございました。おかげ様でさらに明確にイメージできるようになりました。

戦前式の 電気側=BS、空気側=MS 配置が逆転するのは、昭和22年度の63500からではないか、ということですね。

この当時の写真は限られていて、それも断路器の箱に記されている文字の判読可能なものが少なく、もどかしい限りです。
RPアーカイブス37 p.43掲載の63701の写真(空気側)で断路器が見えていない件、
「歩み」63系に、「戦後中期形63703」の写真(写真番号196)があり、
こちらも空気側が見えていますが、こちらは台車の横に断路器が設置されています。
ただ残念ながら解像度がいまいちで、記されている文字がMなのかBなのか判断がつきません。

63701のキャプションには「昭和22年度川崎車輛のモハ63701」とありますが、川崎車輛というのは誤りでしょう。
63701、63703ともに汽車支店製で、同時期の製造だと思いますが、見た目上記の違いはどこからくるのでしょうか。
(ただ、63701の方は断路器が隠れて見えないだけかもしれません。実際ちょっとそれらしい配管がのぞいているようにも見えます。)
しかし、63701、63703の電線管は左右振り分け配管であるようには思われるものの、両写真からは断定しきれないものを感じます。

「電車のアルバム」p.81に近車製の63502が掲載されています。
この場合は(関西)偶数車で、②④側=空気側が見えていますが、電線管は向かって右側(空気側)で2本とも一緒に降りているようにもみえます。
(一緒に降りているのは空気管なのかもしれませんが、太さ的には空気管は反対側で降りているように感じられます。)

もしそうだとするなら、先の分類による「昭25~26」タイプを先取りしていることになります。
掲載されている写真からは台車の横に設置されている断路器の文字は、やはりMなのかBなのか判断がつきません。
(この写真は西尾写真で、オリジナルは解像度がよいのかもしれません。)


●「MSの直前にある不思議な箱=塞流線輪」の解説、どうもありがとうございました。
「電車名称図解(昭18)」は国立国会図書館デジタルコレクションにあるのをみつけて、説明を見ることができました。
なるほど、雷は高周波だから、それが主回路に行くのをコイルでブロックして、アルミニウム避雷器(電解コンデンサと考えればよいのですね)で接地して逃す、というわけなのですね。


●以前、60110と11110を話題に挙げましたが、110つながりということで72110と14110を挙げてみたいと思います。
 ◆72110

剛体強化近代化後の72110は側扉の開く方向が特異な車輛ですが、その理由については議論されたことはあるのでしょうか。
偶数向きを奇数向きに変えたことあたりが絡みそうに思いますが、ほとんど時期的に一緒に改造している72082も同条件なわけですね。

 ◆14110(と14111)の旧車号で正しいのは?

以前は
A
30073⇒62011⇒14110
30074⇒62012⇒14111

とするのが主流でしたが、最近は

B
30073⇒62011⇒14111
30074⇒62012⇒14110

とするものが多いようです。

Aとしているものに、「歩み」、「飯田線の旧型国電 巻末 飯田線用電車の移動一覧表」など
Bとしているものに、「国電車両写真集 巻末 旧形国電車歴一覧表」、「旧型国電50年Ⅱ 28年6月改番表」など

こうした不明瞭な点があるにもかかわらず、この点に係る解説を見たことがありません。
62形当時と改番後の写真比較ができればよいのですが、14110代の丸屋根更新前の写真はあまり公表されていません。

(1)「鉄道青春時代 国電(Ⅰ)」p.16 と「RM LIBRARY No.223 1950年代の戦前型国電(上)」p.13 に同一写真が掲載されていますが、
captionは 前者では 「モハ62011」としているのに対し、後者では 「モハ62012(←モハ30074/→モハ14110)」となっています。
撮影年月日は 27.5.2 豊川駅 偶数向き

(2)「鉄道史料 第78号」に「モハ30系半鋼製電車図面」という編集部による記事があり、p.30に更新前の14110が掲載されています。
captionは モハ14110(旧モハ62011)
撮影年月日は 29.10.18 豊橋区 偶数向き 台車はDT10のようです。

(2)の写真では、前面にはサボ箱があり、取付式尾灯の上にステップがあり、前面窓の支柱に取っ手がつけられているのに対し、
(1)の写真では前面にサボ箱がなく、尾灯の上のステップや支柱に取っ手がありません。
ただ、撮影年月日に開きがあり、両車が異車であると断定することはできません。

台車は、もともとは62011、62012ともDT10でしたが、両車で時期は異なるようですが、最終的にはどちらもDT11に履き替えています。
「歩み」によれば14110はDT11、14111はDT10とされていますが、いつの時点の話なのか?
14111は遅くとも30年11月にはDT11をはいています(国鉄電車回想Ⅲ p.95 &108)。しかし丸屋根更新前に履き替えていたかは情報をもちません。
一方14110は上記(2)の通り、更新前の29.10時点ではDT10であったようです。

偶数・奇数から言えばBが合理的です。
二扉化改造は昭和25年8-9月で、その時点では、62011は奇数向き、62012は偶数向きでした。
横須賀線への70系投入と共に静鉄にモハ32が大量に転入し、当初は32-66-32のような編成が組まれており「鉄道史料38号 国電メモリアル 50系省電(Ⅵ)」によれば、上記62形も飯田線で 62011-4301-62012 の編成で使用された旨の記載があります。
しかし、その後静鉄では飯田線、身延線とも Tc-Mcのユニット それもTc:奇数向き、Mc:偶数向き に統一が図られ、28年6月の改番の時点では、62011も偶数向きになっていたはずです。なので上記のうちAとする合理的理由もあったと考えます。

 

引き続き、配管話です

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年10月 8日(月)17時48分27秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。
34036さん

配管図、拝見しました。
戦前式の断路器配置(電気側=BS、空気側=MS)が戦後式に逆転した時期が判明すれば、図の分類がさらに正しくなる、ということですね。
明確に突き止めたわけではありませんが、私は63形の増備途中と考えています。例えばRPアーカイブス37の20ページ、63229は空気側にMSがあり、戦前式です。一方、43ページの63701は空気側に断路器が全く見えません。この時代に同一箱はあり得ませんから、反対側(電気側)に単独(SH44)のMSがあるのは確実です。63形は昭和22年度のいわゆる63500形で大々的に仕様を見直しているので、おそらくこのタイミングで戦後式に変更されたのではないかと想像しています。

そうすると、製作された図の最上段は「~昭21」とし、この図の側面を左右で反転したもの(MSとBSが入れ替わった戦後式)が「昭22~」(63形後期車と80形に適用)となるのではないでしょうか。なお、63形と80形にMS直前の箱(後述します)はありません。ちなみに現状で「~昭26」とした電気管2本まとめの図は、より正確に言うなら「昭25~26」(70形に適用)ということになります。労作に後付けであれこれ申しまして、失礼しました。

戦前式のMSの直前にある不思議な箱は、塞流線輪(そくりゅうせんりん、とでも呼ぶのでしょうか。塞流コイルとも言う)です。ここから先は「電車名称図解(昭18)」や「わかりやすい電車工学(昭22)」からの受け売りです。

小箱の内部は木製の円筒に主回線がぐるぐる巻きになっている。そうすると落雷時の高電圧高周波の交流は、その性質からぐるぐる巻きを通過できず、結果的にその先の主回路が保護される。と同時に行き場を失った交流は線輪の手前で分岐して床下中央部に吊架されたアルミニウム避雷器へ向かい、ここから地気する。

ということらしいです。上記の教科書には「線輪がなくても他の機器で安全が担保されるので、今後は装備しない可能性がある」という意味の記述があること、アルミニウム避雷器はバッテリーのように電解液を必要とするが、戦時中に供給が途絶えたこと、戦前車でも更新前に屋上避雷器が整備されたことなどにより、線輪はなくなったようです。

電線管の太さですが、戦前製は1インチ(国鉄電車詳細図集による)、63形は11/4インチ(1.25インチの意。車両史編さん会「モハ63」による)、1本化により2インチ(電気車の科学による)と”進化”しています。これらは内径の保証値ですから実際には肉が加わって外径はさらに太いはずで、妻面の車側の吹き寄せ部寸法との兼ね合いも生じてきそうです。

 

配管のレイアウト、雪かき車の台車、台風と塩害など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年10月 7日(日)01時42分2秒
返信・引用 編集済
  34036さん、73おやぢさん、すぎたまさん、皆さんこんばんは

屋上から床下への配管の色々について
 ジュラ電も空気管は運転席側2本で、反対側の配管は避雷器配管であること、21年度車までがこのレイアウトで、22年度から車体設置に変わったとの話を見て、以前、63形は当初避雷器が床下にあったことを教えていただいたを思い出しました。空気管が、更新修繕後の旧型国電のように、ある程度幅を保って配線されているのとは違って、戦前はぴったりくっついて配線されているので、「書籍の写真」から見るのは画像の解像度の点で不利かも、と思いました。
 空気管からのパンタ操作も、「直接バルブをひねる」は極端でしたが、「運転台からの操作」が関係しそうとのことで、「運転台」が持つ、伝統的な考えを感じました。

 「仙石線のクモハ73011」と書いていたのは、クモハ73011は最終期まで残り、昭和55年5月11日のさよなら運転の編成に入っていたことから、強い印象があったことで、記憶が引っ張られていました。逆配管だったのは、確かにクモハ73003, 005で、両車はアコモ改造車投入時に一足先に廃車になっています。もしかしたら逆配管を嫌ったのかもしれません。

雪かき車の台車について
 ラッセル車のキ100,500形の前の台車は、「雪かき器先端の線路からのクリアランスを一定に保つため」に、「枕バネの振動による車体の上下動を起こさないようにするため」、枕バネを抜いた台車を装備していたと聞いたことがあります。雪かき器のクリアランスを一定に保つのは、除雪を一定にすることと、雪を噛んで脱線しないようにするためだと思います。TR41台車に対しては、枕バネを抜いた台車を「TR42台車」と形式が付けられていました。TR20台車の系列も枕バネを抜いた特製のものが付いていたはず(形式はTR20のまま?)です。バネが入っていないので、乗り心地はかなり悪かったと聞いています。
 写真は、幌内と小樽で見た、雪かき車をまとめたもので、上からラッセル車、ロータリー車、ジョルダン・マックレー車です。ラッセルとロータリーは、北広島駅にいた、現在使われている排雪モーターカーも入れています。また、ロータリー車は、先に碓氷峠鉄道文化むらで見たDD53 1も入れています。
 ロータリー車は、キ600は、後のディーゼル雪かき車と比べると、仕組みが簡単で回転翼だけです。ディーゼル車は、マックレー車の役目も兼ねているので、その分複雑になっているようです。
 従来型の雪かき車で、ラッセル車は、本州以南の車は弘南鉄道や、かつての新潟交通の車が有名で、本州以南でも割と目にすることが多いと思うのですが、ロータリー車、マックレー車とジョルダン車は、本州以南では珍しく、目新しい写真では、と思います。

台風と塩害について
 先日、京成電鉄が塩害と思われる大規模な停電によって長時間運休になりました。この「塩害」は、台風24号による強風で塩分が内陸に持ち込まれたためと考えられています。この「台風による塩害」は最近も何度か起こっており、普通、台風の襲来では同時に大雨になることが多いため、内陸に持ち込まれた塩分は雨で洗い流されることが多いのが、「風が強くて雨が少ない」と塩分が洗い流されずに残り、塩害を起こすことがあります。大規模な塩害が起こったのが、1991年台風19号で、西日本で大規模な塩害が起こりました。この時の塩害では、115系の歴史記述で重要な事件が起こっています。
 115系3000番台は、「単独編成での冗長化の確保」のため、モハ114が2丁パンタになるとともに、偶数向きのクハにC-1000コンプレッサーが追加されました。この「2丁パンタの片方」が台風19号襲来の後に撤去されました。当時の趣味誌では、「1丁パンタでも問題が無いために撤去した」のように報告されたのですが、翌月の号で「台風19号による塩害で予備品が払底したために3000番台の2丁パンタの片方を転用した」と訂正されました。このため、部品の供給が安定すると、また2丁パンタに戻されました。

 先月の台風21号の襲来時、「非常に強い台風の上陸は25年ぶり」との報道がありましたが、この「25年前の台風」は、1993年台風13号です。この時は熊本県で高潮による被害が起こりました。「非常に強い台風」の上陸は、1990年代前半に、1990年19号、上記の1991年19号、1993年13号と3つの上陸がある以前は、一気に昭和40年代の1971年台風23号にさかのぼります。昭和30年代は「伊勢湾台風(1959年15号)」「第二室戸台風(1961年18号)」など、6個ほどの「非常に強い台風」が上陸していますが、「1年に2個」の非常に強い台風が上陸したのは、1951年の現在の定義に近い台風の統計が始まってからは、初めての事です。
 

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