teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

スレッド一覧

  1. www(6)
  2. 全力全開(0)
  3. 全力全開(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


北海道用車両の床板(その2)キハユニ25, 711系

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 5月 9日(日)02時50分2秒
返信・引用
  小樽では、キハユニ25 1(1958年帝車)も見ましたが、この車は床敷物が本州以南の車と同じビニール敷物です(写真上)。床板を木製としたのは「キハ22から」で、それ以前の製造のキハユニ25 1~6およびキハ21形は本州以南の車と同じです。

711系は、2011年の旭川への出張時に札幌―旭川間で乗車しました。写真中央は2扉原型編成のモハ711-107(10月1日、滝川駅で撮影)、下は3扉改造編成のクハ711-215(10月4日、札幌駅で撮影)です。当時、711系は、1980年室蘭電化時の増備車だけになっていたのですが、床は、本州以南の車と同じ床敷物であることが確認できます。
 
 

北海道用車両の床板(その1)キハ22, 56、キロ26形

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 5月 9日(日)02時36分10秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは
クモハ73503さん、北海道の気動車、711系の情報をありがとうございます。木製の床については、キハ22形、キハ56,27形の特集で明記されることが多く、「北海道用」として強い印象があり、昭和50年代まで拡張して考えていました。

参考として、2011年と2018年の北海道出張から、キハ22形、キハ56形等の車内の写真を紹介したいと思います。
まず、2018年の出張時、9月9日に小樽の鉄道・科学・歴史館を訪問した時に撮影した、上からキハ22 56(1959年日車)、キハ56 23(1961年新潟)、キロ26 107(1966年帝車)の車内です。キハ22 56と、キハ56 23および同じところに保存されているキハ27 11(1961年東急)は床は木製で、キハ22は縦型エンジンなので、エンジン点検蓋もまた木張りです。キロ26は、リノリウム張りですが、北海道用でも、キロ26形は最初からリノリウム張りと、キハ56,27とは区別されていました。また、床板の張り方はキハ22,56,27型のいずれも、中央の通路はレール方向、座席のところは枕木方向と分けられています。
 

北海道用車両の床

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2021年 5月 9日(日)01時17分33秒
返信・引用
  皆さん、原口さんこんばんは。

実は北海道用車両は711系では全て、気動車では昭和43年製から床は内地の車両同様リノリウム製になっています。

昭和60年頃から夏冬問わず北海道へしばしば通っていたのでまだ特別保全工事等が行われていない原型の車両も結構乗っていたので一応北海道の車両の変容を掴んでいるつもりです。

昭和43年製造のキハだとキハ56が該当しますがこれは同年製造の内地用のキハ58同様冷房準備車で天井にクーラーを取り付けられるようにその部分だけ天井板で塞いである形状になっていました。

もちろん場所柄廃車になるまでに冷房改造はされませんでしたが。

このロットから床がリノリウム製でそれ以前に製造されたキハ56は木製でした。

キハ22は昭和40年までで製造がストップしたため最終増備車まで木製、その後のキハ24は昭和41年のみの製造だったために木製のみでした。

711系は昭和41年に2段窓の試作車が出ましたがこれはリノリウム製でした。

北海道用の車両の特徴として他にはデッキには必ずゴムのすのこが引かれてありました。

最初は冬期の雪の滑り止め対策で夏期は撤去されるのかと思っていましたが通年引かれておりました。夏でも雨が降れば役に立ちますからね。

木工を扱う職場は大井工場では木工職場と呼ばれていました。旧型国電全盛の頃は職員数も多かったと思われますが新性能車両の増加で年々人数は減らされてきていたようです。

 

車両基地内の「木工所」

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 5月 8日(土)11時37分7秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、モハ80373さん、おじか193号さん、皆さんこんにちは
シル、ヘッダー付の車等、情報ありがとうございます

すぎたまさんのお話でRJ83-10月号の東急長津田検車区の記事を思い出しました。
 RJ83-10号はRJ誌の創刊200号記念号で、「車両基地」を特集しているのですが、この中の東急長津田検車区の記事(P73~85)に、構内に「木工作業所」があることが記述されています(P82)。引用すると


検車場棟の片隅には、修理場内部よりもっと古めかしい部屋があった。「木工作業所」の看板が出ており、室内では2人の職人が板を組み立て、台のようなものを作っている。軸箱を取り外した置台なのだそうで、のどかな作業である。十数年前に国鉄の名古屋客貨車区を見学したとき、構内に家が何軒も建ちそうな材木を積み上げた木工工場があったのに驚かされたが、当時の国鉄客車にはかなり木を使った部分があった、この長津田検車区に入庫してくる電車はステンレス車か鋼製車ばかりで、およそ木と縁の無いところに木工作業所があるのは妙だ。
「いやあ、木工作業所という名前は残っていますが、ネジなどの部品置き場のようなものですな。もちろん、ご覧のような小さな仕事もありますし、8500系だって木の部品が皆無というわけじゃないですよ。運転台の落とし窓のところに木片を使っています」
内田さんと一緒に8500系の運転台に上がってみたが分からない。気づかないのも道理、窓を収納する受け箱の留具かなにかに使われているらしく、外からは見えない。その木片も、次第にプラスチックに変わっていくようだ。


現在、8500系は、最後に残った車が田園都市線で活躍していますが、オールステンレスの8500系でも「木工」が関与する余地がある、という意外性を感じたものです。

「鋼製」では、エポックとして結構注目されるのは「鋼板屋根」で、72,79形では「鋼製雨樋」との関連でこの場でもしばしば話題になりました。大まかには昭和31年度の車から鋼板屋根になっていますが、80系と70系では鋼板屋根化はあまり話題になっていないようです。客車では、オハ35系の戦後製のものに一旦鋼板屋根が採用されましたが、資材調達との兼ね合いによる特集事情のもので、本格的なものは昭和30年のスハ43系の最末期のオハフ45、オハ46形になるでしょうか。
一方で、木材が大々的に使われた、最後のものは「北海道向け車両の“床”」でしょうか。木製の床は「車内に持ち込まれた雪が解けた水を速やかに吸収する為に、足許が滑りにくい」という利点があるため、キハ22形やキハ56形、711系でも採用されており、昭和50年代に入ってもキハ40系や711系増備車でも採用されていたと思います。
(2021/05/09訂正)
クモハ73503さんよりの情報で、北海道用車両の「木製床」は、711系、キハ40系では採用されてなく、キハ56,27形も昭和43年度の前面窓がパノラミックウィンドウに変わった「パノラミック車」から木製から切り替わったとのことです。

木材については、この場の創始期に「防腐処理」と、「床油」が話題になったことがあります。
「全金車に使われている木製の部品」については、前身の掲示板の時だったと思うのですが話題になったことがあります。上記の72,79形の「鋼板屋根と鋼製雨樋」で、鋼板屋根とされている車で木製雨樋の車がいることが話題の始まりで、各メーカーで「ストック品の木製雨樋を使いきってから鋼製雨樋に切り替えたのではないか」とまとまりました。また、「乗務員扉」が、80系、70系では、鋼製に変わったのに足して、72系では木製で継続したことも話題になりました。
 

全金属とは

 投稿者:すぎたま  投稿日:2021年 5月 7日(金)01時12分49秒
返信・引用
  みなさんこんばんは。

全金属車というと、「どのくらいまで金属を使用していれば全金と言えるのか」について、今まで議論されたことはあったのでしょうか。
というのは、小田急旧5000系の車端部、窓のカーテン溝の内側に、ラワン材を銀色に塗ったものが見えました。
国鉄の14系寝台車も、木根太を使っていたことで、北陸トンネル事故で増備が中止され、24系に移行する際、木根太を廃止した
記録があります(14系も後に改修)。
そうすると、どの程度まで金属を使っていれば、全金属車なのか、という疑問も生まれるわけです。
オールステンレスカーと言われるものも、枕バリや端バリの一部が普通鋼製ということもありますので、
実際は「オール」ではありませんよね。
小田急2200形は、第7編成までは半鋼製で、窓枠が木製でした。しかし第8編成からドアも変わり、窓もアルミサッシになりましたので、
全金属車とされていますが、車内の形式番号板は木製でしたし、他の部分もどうだったのか、など、疑問の点があります。
木材部分を塗りつぶしただけでは、当然これは半鋼製のままでしょうが、101系国電も、床材の一部にコルクを使用したりしていましたので、
今ひとつ定義がわからない部分があります。

http://princesscomet.net/

 

Re: シル・ヘッダーを装備して落成した最後の車

 投稿者:モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q  投稿日:2021年 5月 5日(水)05時29分52秒
返信・引用
  原口 悟さんへのお返事です。

> 80系:100,200番台に移行しており、一足先に構造材は全金化されていた。80254~256, 86141,142, 87119が1957/6/18に川崎車両で製造されたのが最後の車

とありますが、当該車両すべて内張りと座席は木製ニス塗りで全金ではありません。
また、同一グループの1956年製サロ85031~85035は、クリーム色の塗りつぶしに変わったものの、壁はやはり木製です。
ただし、1957年に入り、1956年タイプとは異なり、ベンチレーターがキハ45000→17等と同じ小さいカマボコ形に変わったほか、車内放送設備や扇風機の配線が最初から準備され、扇風機取り付け座がつきました。
これらよりわずかに若番ながら、自分は同タイプのモハ80249に最晩年の1978年5月5日(43年前の今日!)に乗車しています(長モト。松本→甲府)。

余談ながら、同じ編成にサハを低屋根モハに改造したことで有名なモハ80851・80852も含まれていて、基本1956年タイプなのでアコモ的には同じでしたが、80852は座席の塗幕ニス剥離→灰色塗装化されていました (浜松工場では80系の半鋼車に、この座席の灰色塗装化は多く施工された)。

htt

 

Re: シル・ヘッダーを装備して落成した最後の車

 投稿者:おじか193号  投稿日:2021年 5月 3日(月)21時36分31秒
返信・引用
  原口様、皆様、
大変ご無沙汰しております。シルヘッダー付き車両の最後の新製は私も興味あり以前考えた事があります。車体更新車を含めると東武73が1963年頃まで、また相鉄2000が1964年に製作されてますね。ですので1964年がシルヘッダー付き新製車体の最後かな?と思ってます。
東武の電車形式を上二桁で表す言い方は東武の部内の省略した言い方が外部に広まったのではないかと思います。ダイヤグラムに30形、54形、60形、78形、80形などと書かれてましたし、遡れば相当前からある言い方だと思います。
 

いい曲でした

 投稿者:飯田線大好き  投稿日:2021年 4月27日(火)21時56分50秒
返信・引用
  https://www.youtube.com/watch?v=CtxklvyJEjw  

シル・ヘッダーを装備して落成した最後の車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 4月26日(月)00時07分2秒
返信・引用 編集済
  先日の書き込みで東武7300, 7800形に触れた時、旧型車両の象徴ともいえる「シル・ヘッダー」を装備した最後の新車は何だろうか、とふと気になりました。

 国電では、ナハ10系客車で導入された軽量構造が1957年度より全面的に導入され、ノーシルノーヘッダーになったので、1956年度が最後になります。80,70,72の各系列を見ると、

80系:100,200番台に移行しており、一足先に構造材は全金化されていた。80254~256, 86141,142, 87119が1957/6/18に川崎車両で製造されたのが最後の車
70系:70123~126, 76094, 101が1957/6/19に汽車支店で製造されたのが最後
72系:72716~718, 79484, 486, 488が1957/3/13に近畿車両で落成したのが最後

80系は、6両編成で製造されたと思われるのに対し、70系はモハ70を余分に製造しており、72系は、MTc’を3組製造しています。また、72系は年度内に落成しているのに対し、70系、80系は年度を繰り越しています。これらの車の中から、「シル・ヘッダーを装備して最後に落成した車」は70系のモハ70123~126, クハ76094,101ということになります。

客車では、オハフ45、オハ46形の新製車が「最後のシル・ヘッダーを装備した車」になります。オハ46形はオハ46 60が1955/10/7に日立で落成したのが最後であることが確認できました。客車では翌年から全面的に10系客車に移行したので、電車よりも2年早くシル・ヘッダーが無くなったことになります。

気動車では、キハ10系が、「バス窓」で、シルの方だけがある車体ですが、バス窓はキハ20系、55系に続きましたが、構造としてはシルは無くなっています。最後に落成したのは、新番号で記述すると、キハ10形が67~70が1957/3/29帝国車両、キハ17形が401, 402が1957/3/30飯野重工です。飯野重工は「貨車の製造メーカー」として一般的で、それ以外の車は珍しい存在で、キハ10系全体でも、キハ17 393~402だけを製造しており、「飯野重工で新製された旅客車」としても珍しい存在です。

国鉄車両では、以上の結果になりましたが、私鉄に拡大しても、同時期にシル、ヘッダーはほぼ無くなっています。その中で古い構造の車の製造を継続したのは東武鉄道で、7870形が1961年まで製造されています。7870形は窓がアルミサッシになる等、国鉄の80系100,200番台のような位置づけの車のようです。おそらく、東武7870形が、全国的に見ても、「シル・ヘッダーを装備して落成した最後の新車」になるのではないか、と考えられます。
 

東武「7300系」と「73系」

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 4月24日(土)00時02分13秒
返信・引用 編集済
  モハ80373さん、クモハ73503さん、皆さんこんばんは

旧形国電の形式番号の標記で、「クモハ73 505」のように上2桁とした3桁を分ける書き方は、先日紹介したRM Models21-5号の常磐線72,73型製作の記事でも行われていました。本文、写真解説のすべてで標記を上2桁とした3桁を分かち書きしています。

また、東武鉄道の63形割り当て車は、デハ7300、クハ300形になりましたが、この形式を「7300系」と呼ぶ例と、「73系」と呼ぶ例があります。「7300系」と呼ぶのは、手元の資料では、保育社の「私鉄の車両24 東武鉄道」があり、ちょうど手許にあったTMS16-6号の東武7800系の製作記事は「7800系」と標記しています。一方、「73系」と呼ぶのは、「とれいん」誌の最近の連載で、「東武73・78系&思い出グラフ」があります。「7300系」を「73系」と呼ぶのが派生して、7800形および7820形等をまとめて「78系」と呼ぶ例が多く見られます。興味深いのが、8000系や、2000系、1700系等は「4桁の数字」で系列を標記していても、7300系、7800系だけは、例外扱いして「73系」「78系」と標記する例が多いことで、「73系」「78系」の呼び方が慣例化していることが伺えます。

ちなみに「M'」の読み方ですが、私は「エムダッシュ」と読んでいます。
 

レンタル掲示板
/304