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初期軽量車と62系

 投稿者:すぎたま  投稿日:2020年 8月24日(月)22時29分13秒
返信・引用
  連投になってしまいますが、みなさんこんばんは。

下で初期軽量構造車が問題が多く、比較的老朽化しやすい旨の記載がなされていますが、やはりそこは手入れ次第だったのでは無いかなぁと思います。
私鉄の初期軽量車はどうだったか見てみますと、
●京王2700系--比較的早く更新または改造で他系列組み込みだが、更新されたものはそこそこ長命
●東急5000系--渋谷のだるまは撤去されたが、地方私鉄に譲渡されたものも含めて特に短命ということはなさそう
●小田急2200形、2100系--2100は吊り掛けモーター流用のためと、小世帯だったので早期廃車だが、2200形は特に重点的な更新はしてないにもかかわらず一般的な高性能車の寿命くらい
●阪神旧5001形、3011形--改造はされたり、更新されたりはしたが、普通に長命。他私鉄譲渡車や他系列組み込み車は特に
…というように、私鉄では取り立てて短命だった車輌は見られないようにも思えます。対して国鉄では、やはり整備に関する考え方が異なっており、また労使対立が激しくなった時期と、そろそろ老朽が問題になってくる時期とが重なっている車輌が多く(10系客車-近代化工事はされたが-、72920台、101系、153系など)、適切な重整備時期を逸した感もあるとは思うのです。
やはり国鉄は良くも悪くも「お役所」だったので、予算の関係など、縛りがあって、身軽にいろいろ工事が出来ないという事情もあったのだろうなとは思います。また組織として、横のつながりが小さかったのかもしれません。更に、鋼板屋根車は、戦災復旧客車や、戦前の張り上げ屋根省電、その他にもありましたが、その整備ノウハウが十分引き継がれなかったというのもあるのかもしれませんね。そういうノウハウがあれば、雨水にからむ腐食の対処も、もう少し積極的な出来たのではとも考えるところです。

62系について、Kさんがご提示の写真、クハ66の車体角に、既にへこみのようなものが見られるのが気になりました。新車(新製車体)でこれか、という気がしないでもないような…。
62系の最大の問題は、MMの点検蓋を115系に合わせて開けちゃった(らしい?)とか、そういうレベルのエラー以外に、そもそも流用部品が多すぎ、検査回帰を変えられなかったことではないかと考えます。
これは現場から「車体は新しいかしらんが、オレたちにはほとんど恩恵無いじゃねーか」と思われても仕方が無いかと…。
3ドアセミクロスというのは、戦前形が好きなここの住人としてはひっかかりを感じられるとは思いますが、さまざまな線区の旧形車を置き換え可能な車体と言えます。
そうすると、例え63台枠を利用するとしても、台車の新製はしておくべきあり、可能であれば制御器交換でのMM'ユニット化(小田急旧4000のような)か、ギア比調整での高速化(あるいは高加速化)や、CPの交換、ブレーキ方式のHSC化の一部でも盛り込んでいれば、もう少し評価は違ったのでは無いか、もっといろいろな地方に投入できたのではないかなどと「妄想」してしまいますね。
東急3000系のように、車体を台枠も使わずに載せ替えてしまい、下回りはそのままなのにえらい長命なのを見ていると、「一体何がちがっていたのだろう。やはり組織が大きいと小回りがきかないということなのか」と思ってしまいます。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 
 

時間が問題なのだと思います

 投稿者:すぎたま  投稿日:2020年 8月24日(月)21時52分20秒
返信・引用
  yasuo_ssiさんこんばんは。

マルチポスト的にあちこちに投稿されていますが、勝手に他人の画像を色調補正するのは、それが親切であっても著作権的にNGです。たとえあとで喜ばれてもです。そこの所はきちんと認識されて下さい。

その上で、記事は読ませていただきました。このような掲示板にPRのように自ブログへのリンクを張るのはあまり感心できないと思いますが、要するに内容はGIMPというフリーソフトの可能性が、フォトショを上回るということがおっしゃりたいのだと思います。
しかし、大問題なのは、いちいち褪色したフィルムを、フィルムスキャナにかけてデータを作成し、そこからGIMPにかけてあれこれやって、あなたの言い方では「追い込み」をしていくと、画像1枚当たりやはりおおよそ1時間はかかってしまうと思うのです。もちろん、慣れてくればもう少し迅速に処理できるようにはなるでしょうが、最初はもっとかかるかも知れません。

ここに集うような方々は、みんな「そんなに時間取っていられないよ」というのが、実は本音ではないかとも思うわけです。つまり、決定的な1枚というのがあったとしても、たいていそれはモノクロであり、カラーであっても、とりあえずの取り込みには、市販のアジアSDカード書き込みスキャナで十分というか、それでないと、どんどん取り込みは出来ないと思うわけです。キャリアの長い人手あればあるほど、フィルムの本数は膨大であり、確かにその中には埋もれた貴重画像もあるでしょうが、よほどのあてでもなければ、見つけ出すことすら困難でしょう。

まとめますと、GIMPによる補正がなかなかきれいに出来るという点は評価できると思いますが、
1.マルポ気味
2.自ブログ誘導リンク張り付け
3.多枚数の場合の時間をどうするべきなのか
4.頼まれたわけではないのに、勝手に他人の画像を加工
…という点が、消化しきれてないと思います。

失礼も申しましたが、1コマ10秒以内で取り込み、ほぼ完璧な自動補正が瞬時に、という方法でもなければ、私ら鉄道ファンで、キャリアが40年以上あるような場合には、「なかなかいい方法が見つからないね」というのが正直な思いではないかと存じます。
もっとも、ネガ・ポジ・プリントの褪色問題は、「なんとかならないか、なんとかしないと」と多くの人が考えていることは確かなので、一つの方法提示としては「十分有用」とは考えます。
ただ、ビネガーのほうが、より緊急性を要する問題なので、まずはスキャンですね…。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

不均等黄変写真補正術

 投稿者:yasuo_ssi  投稿日:2020年 8月22日(土)09時28分48秒
返信・引用
  皆さん、こんにちは。

 ところで、私はこのほど、ネガフィルムに起こりがちな不均等な黄変や褪色したフィルムを補正する方法を考案しまして、「決定版! 不均等黄変・褪色ネガ写真のデジタル補正術」と題して、以下のページに公表しました。

https://yasuo-ssi.hatenablog.com/entry/2020/07/21/200749

 この手法を使いますと、今まで何時間も、あるいは数日掛けて複雑なマスクを作って補正したり、いくらトーンカーブをいじっても好ましい結果が得られず迷宮入りして補正を放棄していたような、不均等黄変・褪色カラーネガ写真を、従来比で、大幅な短時間で補正できます。慣れてくれば、追加補正が要らない場合であれば1枚10分程度、追加補正が必要な場合でも30~1時間程度で補正が可能になります。最初の概要紹介のページで補正例も掲載しておりますので、ご関心のある方は是非ご覧いただければと存じます。

また、ご覧いただきご意見を頂戴いただければ幸いです。

https://yasuo-ssi.hatenablog.com/

 

初期の軽量車と青梅線

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2020年 8月22日(土)01時29分11秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは。

原口さんから軽量車についての話をお出しになられましたが

確かに鶴見線の72系のほぼ総取り換えの後の陣容を見てましたら920番台はかなりくたびれている印象を受けました。

モハ72とクハ79は920番台をメインに揃えて不足分を72500及び79300で補っておりましたがやはりアコモAを受けた72500、79300の方がまだまだ使えるといった印象を受けました。

クモハ73は全金属車は73029を含めて昭和40年代に入ってからの73500でしたので痛みは感じられませんでした。

やはり時代が進んで103系世代になっているので色々な面で改良されていったのではと思っております。

ここでかつてより気になっていた点で青梅線には920番台は79942のみしか配置されなかった事ですが

青梅線が17m車を追放して72系主体になった時期と青梅電車区から豊田電車区へ変更になった時期を考えると

豊田は従来から中央線の101系を扱っており、90系として製造された正に初期の軽量車での問題点に直面していたところへ72系もやって来るとなると

現場からの要望としては920番台は決して望むべく車両では無かったのでは?と考えさせられてしまうのですが考えすぎでしょうか。

偶然なのか72500の昭和31年度車が多数配置されていたのもわざと920番台を避けて代わりに72500の最終増備車を厚く配置させた理由と繋がるのかと思った次第です。
 

73形の車体の状態に関連して

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 8月22日(土)00時09分28秒
返信・引用 編集済
  Kさん、新参者さん、白い陽さん、皆さんこんばんは

10系客車を吊り上げたら台枠が折れたとの話は、私も話を聞いていて、私の方では、吊り上げたのはオロネ10形と覚えていました。
 10系客車に始まる「軽量構造」は、電車では72920台、70300台、80300台に導入されましたが、RP誌の、スハ32系、オハ35系、オハ61系、スハ43系の特集での星晃氏のインタビューや、10系客車の解説を見ると、「軽量客車」は、設計理論の方が先行して、金属素材、冶金技術が追いついていなかったために、先行していた車両(客車ではスハ43系)よりも早く車体が劣化してしまったというイメージがあります。
 津田沼電車区の73系の話題が始まった頃にクモハ73503さんが、「72500,79300台アコモA改良車よりも、72920,79920台の方が車体がくたびれた印象を受けた」との話(6月27日)を紹介されていて、「電車でも軽量構造の弱点」が表面化したのではないかと思った次第です。
 軽量構造は新性能車にも継承されているわけですが、昭和30年代の新性能車は、廃車が早く始まった形式が多く、旧形国電と同時期に消滅してしまった形式が多いのも、軽量構造と当時の冶金の限界があったのではないかと思います。

73形の台枠の補強は、実施された車がかなり多かったようで、「首都圏の72系」掲載の工事車両の一覧を見ると、73形は134両、72形は133両と多数が記述されています。その中で目に付いたのが、1950年度製の73400~403で、401~403がそれぞれ1954年10月19日、8月30日、8月19日付で台枠補強を受けていおり、残る73400も1957年に73902に改造されているので、新製後数年で台枠補強をする事態になったことになります。台枠補強の工事は1954年から1958年の間に実施された車が多いのですが、遅い車では1967年実施の車もいます。工事された車がけっこう多いため、クモユニ74形に改造された車で、台枠の徹底修繕が要求された車の割合は多かったのではないかと憶測します。

Kさんよりの、62系の落成時の検査標記の一覧に関連して、大まかには、戦前形、DT13装備車、DT16以降装備車で周期が異なりますが、62系の改造当初、DT13装備車とDT17,TR48装備車の検査周期を統一する構想があったとの話を伺いました。この構想が結局不可になったことが、その後の仙石線アコモ改造車の種車が72500台、79300台以降に絞られたきっかけになったのかもしれません。
 

お礼

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年 8月21日(金)12時45分11秒
返信・引用
  皆さん、こんにちは。

Kさん

早速画像をアップしていただき、感激しております。お手数をお掛けしてしまい、なんとお礼を申し上げれば良いのか、とにかくありがとうございます!

72080はRF誌の「省電の走るところ」で編成中の小さな写真で見ただけで気になっていたのですが、2位妻窓が埋められた仕様であること、パンタ歩み板の形状など得るところが大きいお写真で、大変参考になります。

79形については、前面Hゴムの白黒の配列で、検査などで交換されることがあっても車号特定の参考になるので知りたかったのですが、79317も79359も79369も同じような組み合わせになっているとは…(゚ω゚)

72704は最終ロッドに近くアコモも受けているのに、101系の第2陣の転入で真っ先に廃車されてしまったので、惜しいと思っていた車です。次位のパンタ歩み板を撤去された78500番代も気掛かりですが、さすがに車端の窓2枚だけでは車号特定は難しいですね。

ともかくありがとうございました。写真はなくても細かな違いなど、今後ともご教示いただければ幸いです。



73おやぢさん

前回は書き込み時間が近く、直前に書き込みがあったとついさっき気付きました。

南武線101系化第1陣では78505や78510が津田沼へ転出しており、先頭車を転用できなかったのはATSの関係もあったのだろうか…などと思いを巡らせておりました。

79423の屋根部画像もありがとうございます。考えてみれば、戦前製のごく一部で鋼板屋根車があった以外、量産された鋼板屋根車が経年で痛んでくるのは、この昭和31年製あたりの車両が初体験といっても過言ではないのかもしれませんね。101系の試作車が屋根改造をされたのもこの頃になりますし、側板の平板を張り替えるのとは訳が違うので、ハードルが高かったとも考えられますね。
ご教示ありがとうございました。


ではまた。
 

台枠

 投稿者:新参者  投稿日:2020年 8月20日(木)22時36分13秒
返信・引用
  原口様
>「台枠が問題になる前例があった」という点で、より有力ではないかと考えました。
お言葉にある「29年頃からの亀裂」、「クモユニ74」、全金更新車の全てでしょうか?
オハネフ12が検査時にリフトアップしたら台枠の一部が破断してあわや空中全壊!といった
事が起きたのもこの頃(昭和49年)でしたっけ?

K様
>現場は大変だった
情報ありがとうございます。これが欠陥なんでしょうね。72970の様に単独混結仕様なら
まだしも、こうもバラバラな準編成モノでは、これ以降の検査がどうなっていたのか・・。
だから66002は十分な手当てを受けられなかったのか・・・。

蛇足
マル生が空中分解する時代背景ですから、このような電車は「絶対阻止!」の対象に
なったのかもしれません・・。
オイルショック後の財政出動の一環を担う「新車の大量導入」が労使共に喜ばれた
なら仕方ないですし。
これに懲りて新性能更新車に上手くバトンタッチできなかったと考えています。
DT24系を積極的にDT21系のリプレースにしておれば、115-3000はもう少しマトモ
に仕上がったハズ。

皆様ありがとうございました。
 

白い陽さんのリクエストに応えて-2

 投稿者:K  投稿日:2020年 8月20日(木)21時11分58秒
返信・引用 編集済
  79の2両(79317と79441)です。79441はたまたまアコモ改善の前後を写せていました。  

白い陽さんのリクエストに応えて

 投稿者:K  投稿日:2020年 8月20日(木)21時09分44秒
返信・引用 編集済
  リクエストいただいた車両について、南武線のものだけですが、4両の写真がありますので、2回に分けてアップします。旧63の72は、撮影を始めた頃には、全金車ばかりで、かろうじて72080だけ写せました。(上から72080、72704の両面です)

昔のメモ帳が出てきたので、話題の62系の追加情報を記します。
車体に記された全検の表示と、その横の最新検査表示の板の情報です。
車号」 全般検査  板の表示
66301 49-7鷹取工 49-7鷹取工
62000 49-7鷹取工 49-7鷹取工
62001 47-3大井工 49-7鷹取工
66000 49-7鷹取工 49-7鷹取工

66300 49-12鷹取工 49-10川重
62500 47-10大井工 49-10川重
62501 46-5大井工  49-10川重
66001 47-1大井工  49-10川重

66303 47-5大井工  49-12長野工
62503 45-5大井工  49-3郡山工
62502 45-11大井工 49-3郡山工
66002 49-12長野工 49-12長野工
(S49.12.25 確認)

種車の全検時期がバラバラで、検査周期も旧63と新製72・79で異なるので、現場は大変だったと思われます。
 

アコモ改造車種車の選択と、ロングシートなど

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 8月20日(木)01時08分24秒
返信・引用 編集済
  新参者さん、白い陽さん、73おやぢさん、Kさん、皆さんこんばんは

62系について
 62系の種車について、台枠の劣化が激しい車の存在が発覚したとの話は、「アコモA改良車がアコモ更新の種車になる可能性」の話題の時にすぎたまさんが注目されていた、「台枠の状態を最優先するため、アコモA改良車にも種車抽出の範囲を広げたのではないか」という説に対して、「台枠が問題になる前例があった」という点で、より有力ではないかと考えました。
 72970台アコモ更新車の工事がメーカー外注の割合が多くなったことと、種車から利用する部品の割合が減ったように感じる(貫通幌が、62系では旧形の1枚幌(72系と同じ)だったのに対して、72970台では新性能車(厳密には101系以外の新性能車)と同じものになったことなど)ことも、62系の工事では問題が多く発生したことを反映するように感じます。

「種車と外注工事」については、同時期のクモユニ82、クモニ83形でも興味深い例があり、全金更新車が種車になった車(モハ72028(63.2.5大井工場更新)がクモユニ82005、モハ72030(63.9.30浜松工場更新)がクモユニ82000)や、富士重工での工事をするときにひと悶着起った逸話など、この場でもしばしば話題になりました。
 また、この場で伺った話として、国鉄時代の近郊型、通勤型電車の冷房改造は、公表されてる工場に対して、大多数がメーカーへの外注だったとのことです。

占領軍とロングシートについて
 横須賀線のサハ48型白帯車が「スーパーロングシート」になった話は、これまでの旧形国電の特集でも「クロスシートに体格が合わない」ための対処という性格があったことが紹介されています。客車の方では、スハ32系の窓3枚分を1つのボックスシート分に並べなおした車がいた、と聞いて「外人は足が長い」と納得した、という話を沢柳氏がどこかで書いています。
 「占領軍と座席」については、「特ロ」が有名で、いわば体格に合う座席を作らせたような格好になります。

 座席に関連して、戦前型旧型国電の座席は旧形国電末期には体格が適応しない日がが多くなったようで、飯田線では、モデル8の「飯田線旧型国電等(下)」のあとがきに


飯田から乗車した時は現地の乗客はロングシートから坐り、我々同行3人はクロスシートを確保した。二~三駅過ぎるとロングシートから埋まっていた理由が分かるようになった。とにかく狭くて窮屈、足が伸ばせない、身長五尺前後の戦前の平均身長に合わせてあるのがよくわかった。
旧形国電のクロスシートは坐るものではなく見て楽しむものと痛感した覚えがある。


とあります。占領軍の白帯車がロングシートになったことと同じ問題が起こっているといえます。

73形とCS10について
 クモハ73、モハ72000台のCS10装備車は、「首都圏の72系」に記述があり、「写真とイラストで見る国鉄72・73系電車」の資料ページにも引用されており、それによると

62000: 元73012, 記述なし(CS5とCS9の標準組み合わせ)
62001: 元73172, CS10+CS9

で、クハ66になった

66002: 元73118, CS10+CS11

となっていました。

 CS10を搭載したクモハ73形で私としては馴染みなのが富山港線のクモハ73363です。
 

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