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昭和40年代の富山港線73系の新たな写真の発見

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月22日(土)01時14分18秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

昭和40年代の富山港線73系半鋼製車の新たな写真を発見したので報告したいと思います

HP「My Old Steamers 現役蒸気と復活蒸気」中の「その他現役」のページに昭和47年12月24日の富山港線訪問時の写真が紹介されています。この中で「富山港線形前面」のクモハ73305の鮮明な写真が注目です。運転席窓と中央窓をHゴム支持、助士席窓を木枠1枚に改造した「富山港線形前面」は、「世界の鉄道'72」のクモハ73363の写真がありますが、解像度の高い写真はこれまで発表されたことが無かったものです。この写真を基に、クモハ73305のイラストをアップデートしたので紹介したいと思います。
「富山港線形前面」で新たに分かったこととして、「助士席窓の上段下降窓の詰木」が残っていることが挙げられます。また、避雷器は、HP「懐かしのAll color The電車」の昭和45年頃と思われるクモハ73305の写真ではLA13箱型であることが確認できるのですが、今回発見の写真ではリブ付きドラム缶型のLA15Bに変わっていることが確認できます。他、パンタ鉤外し紐、母線のレイアウトの詳細が分かったので修正しました。

クモハ73305と編成を組んでいるクハ79の写真もあるのですが、「3位側妻窓」が2段に改造されていたことが確認できます。この位置の窓の様子がわかる写真はこれまで発表されていなかったので、「3位側妻窓も2段改造されていた」ことが確認できる初の写真になります。また、富山駅に止っていて、ドアが全開になっているので、ドア窓の形態はわからないのですが、一番前と2番目の扉の間の幕板に線名表示のプレートが残っているように見えます。クハ79220は同時期に線名表示プレートが無くなっていることが確認できたので、79240,244のいずれかになります。両車とも昭和49年時点では線名表示プレートは無くなっていますが、79244の方は昭和47年時点で「線名表示プレート有」の報告があり、79240も、同時期の線名表示プレートが鮮明に分かるほどの写真は無いので、どちらかを決定するほどの証拠は無しです。
 
 

戦前私鉄電車のMT比

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月17日(月)00時41分45秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

戦前の私鉄の電動車と付随車の比
 戦前の私鉄での「付随車」の位置づけに関連して、個々の私鉄で保有する電車の電動車と付随車の数について考えてみました。
 また、サンプルとして買収国電を取り上げますが、RP00-4増刊「釣掛電車の響き」P65に、個々の私鉄買収車の電動車、制御車、付随車の数が表にまとまっているのがわかりやすいのでここに引用します(荷物車は区分せず)。

   Mc Tc  T 備考
宮城 17  7  - 戦後にMc4両落成
青梅 15  8  1
南武 29  9  3 五日市線の客車扱いになったT3両は除く
鶴臨 27  3 11
身延 11  6 10
信濃  7  3  -
富岩  4  -  2 Tは2軸車で客車扱い Mc1両入線せず(富山地方鉄道セミボ30)
豊川 14  4  4 鳳来寺(Mc2両)込み
三信  9  -  - 買収前にMc1両廃車
伊那 15  - 13
阪和 41 32  - Tc4両買収除外
広浜  9  -  -
宇部  7  3  - 他にガソリンカー2両あり
宇電  6  -  -

 どこの私鉄もMcがずっと多いのが特徴で、なおかつ、全てが両運です。鶴見臨港や三信など、省モハ1形が入った鉄道は、全て両運に改造して入線しています。日中はMc単行を運用し、ラッシュ時の増結としてT車を使う、という方針が見えます。
 Tcですが、省電でも、木造車で見られた、「Mcを新製投入して、低出力の在来McをTc化する」動きは私鉄でも見られます(宮城)。南武、鶴臨は開業時はMcだけ投入で、Tcが後から入っています。阪和は、クロスシートのモヨ100系列は、MT同数ですが、ロングシートのモタ300系は、Mc30両に対してTc5両と、Tcがずいぶん少なくなっています。このため、昭和10年代に入ってからの輸送力増強はTcを多く投入することで対処しています。また、現在の目からは変わって見える「両運Tc」が多いのが当時の特徴で、Tcとして新製された車では、南武鉄道ではクハ210形は片運ですが、クハ250形は両運で、阪和電鉄でもクヨ500、クテ700、クタ750形は片運ですが、クタ7000形は最初の2両以外は両運です。豊川では、Mcを新製した時に、両運Tcから片方の制御機器を移植して、片運のMcとTcにしましたが、使いにくかったのか、片運になったMcの撤去した運転台を復旧して両運に戻しています。
 T車は、個々の私鉄で独自の事情があり、身延、豊川は蒸気機関車列車時代の客車の転用、鶴臨は機器が間に合わなかったための(サ)モハ、(サ)クハです。機器が間に合わなかったものは、他に阪和のTc3両(モタ3000形、後のクハ25113~115)があります。多客時の応援用として導入したのが南武で、富岩の2軸サハも同じ系統です。他、省からの払い下げで、鶴臨と青梅にサハが1両ずついますが、これも同じ考え(宮城の元モハ1形も?)かもしれません。伊那のTは、豊橋直通のための「牽引サハ」です。
 電車のMT比については、南武モハ150形が明確で、Mc20両、Tc10両で申請され、半分のMc10両、Tc5両が落成しており、「McTcMcの3両編成での運用」が計画されていたとの記述(RM Library「南武モハ100形」)がありました。
 同じフォーマットで秩父鉄道と富士山麓電気鉄道の車両を記述してみます。

   Mc Tc  T 備考
秩父 12  7  - 戦後にTc4両追加
富士  8  -  6 戦後にMc4両、T2両追加

 秩父鉄道がだいたいMT比が2:1になり、この点では当時の典型的な私鉄といえます。この後、デハ100形への鋼体化で、T車を多く新製扱いで投入したため、Mc13両、Tc17両とT車の方が多くなり、後にMcTTc編成が3本誕生しています。このため、鋼体化にあたって、電車運用の考え方が大きく変わったことが伺えます。
 富士山麓電気鉄道は、改軌と電化当時はMc車だけで、T車の投入は昭和15年になってからなのですが、省の古典客車を入れたためか、全て「牽引サハ」でした。伊那とは別の事情ですが、「牽引サハ」を多く持っていたところとして、注目すべき存在です。
 

クモハ40054の碍子の屋号追加

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月15日(土)00時05分26秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

クモハ40054の床下機器の碍子に観察された「屋号」の写真を追加します。
上が「丸にAG」、中央が「菱にNPC」、下が「LM-186」です。
 

「山に五」の屋号の会社

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月14日(金)01時10分24秒
返信・引用
  すぎたまさん、新参者さん、皆さんこんばんは

「山に五」の屋号の碍子についての情報をありがとうございます
 他にも写真が無いか探してみたところ、115系に見つかりました。
 写真上と中央は、2016年10月29日の高崎車両センターの一般公開イベントで、休憩用車両として使用された高崎車両センター115系T1146編成のもので、上はモハ114-1146の床下機器に使われた「山に五」の碍子、中央はクハ115-1137の床下機器に使われた、別の屋号の碍子です。
 写真下は2017年11月19日の東武鉄道南栗橋車両基地の公開イベントで、床下機器解説に使われていた東武10000系11607編成のもので、こちらも碍子に屋号が見え、「カギに井」のように見えます。
 「山に五」「カギに井」の両社とも、クモハ40054(昭和10年の新製時? 更新修繕時?)から、西武2000系、115系の製造時(昭和50年代前半)、東武10000系の製造時(昭和50年代末~60年年代)まで継続して碍子を納入していたと考えられます。
 「食器と碍子」ですが、昨年秋放送のNHKの「ブラタモリ」で「有田焼」が紹介されたことがあり、この時に碍子の製造ラインも紹介されました。明治に入ってからの新たな産業として、碍子の製造が始まったそうで、番組では、電柱の支持に使われる「玉碍子」の製造過程が紹介されました。このため、食器をメインに製造している会社が碍子を手掛けるのはありだと思います。ちなみに、Models IMONの秋葉原店では玉碍子を売っており、店頭に陳列されています。
 

存続会社?

 投稿者:すぎたま  投稿日:2019年 6月12日(水)22時09分56秒
返信・引用
  新参者さんこんばんは。

山五陶業は、高い技術力を有していたようで、食器など盛んに作っていたメーカーのようですが、ご指摘のように2003年に廃業しています。
ただ、都内に似たような名称の会社が見つかります。鉄道車輌向け製品も作っているようですが、ここは関連する企業なのでしょうか。
よくよく当該ホームページを見ると、1954年創業となっていますので、むしろガイシとしてはこちらの製品である可能性が高くなってきたような気もします。

http://princesscomet.net/

 

山五陶業他

 投稿者:新参者  投稿日:2019年 6月11日(火)19時59分59秒
返信・引用
  みなさまこんばんは。

原口様
秩父100形のスケジュールありがとうございました。

すぎたま様
瑞浪市の「山五陶業」ですが2003年に廃業になってしまいました。
 

山五陶業では?

 投稿者:すぎたま  投稿日:2019年 6月10日(月)20時47分48秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんばんは。

原口さんが見つけられたへの字に山のマークを付けたガイシは、岐阜県にあった「山五陶業」の製品ではないかと考えました。
画像は私が所有している「江ノ島電鉄」のものだというガイシです。おそらく形状からしても、床下機器の絶縁用でしょう。
現在はこの種のガイシは作っていないようですが、詳しい事情はわかりません。
失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

クハ16000台へのWC取り付け:「国鉄電車回想」より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月 8日(土)11時28分10秒
返信・引用 編集済
  「国鉄電車回想」での新発見として、WCを取り付けたクハ16011の写真(3巻P106、昭和40年1月31日、船町駅で撮影)があります。

 クハ16形へのWC取り付けは、400番台への取り付けが、飯田線で遅くまで残ったこともあって、「クハ16400台の解説」の一環として記述されることが多く(古くは「旧型国電ガイドブック」、最近では「最盛期の国鉄車両」)、元モハ30系、モハ31系の解説では記述されないので、「別の番台」特に元モハ31系のクハ16000台にWC取り付け車が存在していたことを今回初めて知りました。クハ16形へのWC取り付けは、「旧型国電車両台帳」では、下に(注)として記述されており、元モハ30系のクハ16形も記述されているのですが、クハ16011へのWC取り付けは記述されていません。また、同車は昭和42年8月3日に廃車されているため、43-10改正時をメインテーマとしている「最盛期の国鉄車両」でも、対象外となったためか、記述が抜けています。
 また、クハ16011は台車をTR11に交換しています。これも他に記述しているところはないと思われます。

 クハ16000台では、雨樋が水平のまま運行灯を取り付けたため、該当位置の窓の天地が低くなったクハ16001の、改造前の原型の写真(2巻P65上、昭和30年8月19日、池袋駅で撮影)があります。

非電化区間へ直通した80系準急の写真
 2巻P136~139には、非電化区間へ直通した80系準急の記述があり、写真は、長野原線へ直通する準急の、「渋川駅での電源車の連結の様子」の写真が掲載されています(昭和35年7月撮影)。準急の先頭車は昭和24年型のクハ86005でした。オハユニ71形の方の「連結のための特別装備」として、連結器を旧形国電用の密着連結器に交換している(胴受けも電車用のものを装備)ほか、ジャンパ栓受2組を向かって左側(クハ86005と連結するため、クハ86005の方もジャンパケーブルを垂らして待機)に付けています。機関車はC11 273が逆向き牽引でした。
 

クモハ73形全金更新車の原型時代:「国鉄電車回想」より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月 8日(土)09時34分43秒
返信・引用
  「国鉄電車回想」では、クモハ73形全金更新車の、原型時代の写真をいくつか見つけました。

 3巻P38に、後に可部線で走っているクモハ73009の写真(昭和32年7月撮影)、P41に、後に御殿場線で走っているクモハ73037の写真(昭和34年6月24日撮影)が掲載されています。ともに昭和30年代に入ってからの撮影なのですが、興味深いのが、古い形態が残っていることで、以前にこの場で話題になった、「配管が電気側の太い母線が1本、空気側に空気管が2本にまとまるまでの変遷」が確認できます。クモハ73009は「電気側に空気管が2本、空気側に細い母線が2本」で、クモハ73037は「電気側に空気管が2本、空気側に太い母線が1本」になっており、さらにどちらも屋根上の配管にカバーを付けています。「国鉄電車回想」のコンセプトが「昭和30年代」なので、ほかにも「古い形態の配管」を持っている車の写真がいくつか見つかります。

クモハ53007の「横須賀色で、雨樋縦管が埋め込み時代」の写真
 3巻カラー12頁にクモハ53007の「横須賀色で、雨樋縦管が埋め込み時代」の写真が掲載されています(昭和47年9月24日、平岡駅で撮影)。この状態は、最近のRM Modelsで模型製作が紹介されましたが、けっこう短期間で、レアな状態です。
 

クモハ73形全金更新車の原型時代:「国鉄電車回想」より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月 8日(土)09時06分11秒
返信・引用
  皆さんおはようございます
1380さん、お久しぶりです

「国電」にまつわる話は私も聞いたことがあります。

富山港線のクモハ73355について:「国鉄電車回想」より
 先月の用務の外勤の時、用務先で鉄道模型店を訪問した時に、「国鉄電車回想」1巻~3巻が店頭にあったので購入しました。同書は、この場で何度か触れている、富山港線73系半鋼製車の中でも「異形の2段窓改造車」である「クモハ73355」の写真が掲載されている本としてかねてから注目していたもので、この本を購入したことにより、出版物として公表された、昭和40年代の富山港線73系半鋼製車の写真は、恐らくすべてが私の手元に揃いました。クモハ73355の写真は同書3巻P133下で、昭和43年6月22日富山駅で撮影です。非公式側からの撮影で、注目すべきは、前から2番目の扉がプレスマークの有る2段窓の他は、プレスマークの無い1枚窓の扉であることで、プレスマークの無い扉を転入時に持ち込んだことになります。また、同車は、貫通扉を整備していないことが確認されている(「首都圏の72系」より)ため、富山港線での1両単独運用では貫通扉を閉塞できず、支障すると考えられるので、おそらく2段窓改造時に貫通扉が付けられたのではないかと考えられます。クモハ73355の異形の2段窓は、昇圧前に在籍していた元モハ30系のクハ16219から転用されたことが考えられるのですが、貫通扉もクハ16219から転用されたかもしれません。その場合、戸袋の構造もクハ16219から転用されたと考えられるのですが、この時に元モハ30系独特の天地の低い戸袋窓も継承されたと考えられます。その場合、中桟の無い1枚窓になっていたかもしれません。
 また、この写真でクモハ73355と連結している車は、これも以前にこの場で話題になったのですが、台車が平軸受であることが確認できます。DT12台車のクハ79100台はけっこう多くいたのですが、富山港線のクハ79100台3両(220, 240, 244)のうち、戦中型のサモハ63形だったクハ79244(元サモハ63003)が該当します。この車は後にコロ軸受のDT13になっていることが確認できる(RP83-11号)ので、どこかの段階で交換されたことになります。交換元として、富山港線に転入したクモハ73形のうち、昭和46年に廃車されたクモハ73007か、昭和47年に廃車されたクモハ73347が候補になります。

 富山港線73系半鋼製車の写真の中でも最近の新公表はRP17-11号P51のクハ79240だと思います。改めてこの写真を見たところ、後ろのクモハ73形が茶色であることに気づきました。写真撮影年月日が記述されていないのですが、末期の形態なので転入時でないことは間違いありません。茶色いクモハ73型半鋼製車が入ったのは過去2回、昭和47年7月から9月まで明石電車区からクモハ73329が借り入れられていた時と、昭和50年4月から9月まで津田沼電車区からクモハ73119が借り入れられていた時です。両年月の間、クハ7220とクハ79244は、前面の箱サボ枠が撤去されたのですが、クハ79240は箱サボ枠を最後まで残していたので、昭和47年と昭和50年のどちらの撮影かは写真からは確認できません。ドア形態も確認できないので、クモハ73119とクモハ73329のどちらかはわかりません。なお、写真に写っている、非公式側一番後ろの扉の形態は、クモハ73329はプレスマークの有る1枚窓、クモハ73119はプレスマークの無い1枚窓です。
なお、写真の解説に「アコモB更新車」とあるのですが、木枠のままで2段窓化しており(おそらく上記のクモハ73355と同じく、以前に富山港線にいたクモハ11224, 228, 242に由来)、戸袋窓及び車内は未工事のため、別カテゴリーとして区分すべきものだと思います。また、同じ工事を受けているクモハ73355が記述されていません(以前の73系特集のRP00-5号では2段窓部分の拡大写真を掲載)。
 

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