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鶴見線11形について

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2019年12月 4日(水)19時27分18秒
返信・引用 編集済
  皆さん、こんばんは。
千ツヌさん

候補の2両はどちらも実見しておりませんが、以下の理由から車号の特定が可能と考えられますので、お知らせいたします。

理由1…1984年ごろの「鉄道史料」の連載記事「国電メモリアル」が50系を扱っており、それによると更新は11452が28年12月豊川、11476が29年1月東急とあります。

理由2…11476の前身である50104はモハ50形のラストグループのため、前面扉の開口部内側(左右の天地方向)に額縁のような二重の構造物はないはずです。ご指摘の「なめくじ会」の画像を見ると、このことから11476(50104)の可能性は排除されると考えられます。

理由3…鶴見線在籍車ではたまたま11441(28年9月豊川更新)を撮影しており、上記画像とよく似ています。すなわち運行灯2桁、縦樋丸管、尾灯が上、となっています。

ということで、99%の確率で11452に特定したいと思いますが、いかがでしょうか。参考にしていただければ幸いです。
 
 

鶴見線クモハ11400

 投稿者:千ツヌ  投稿日:2019年12月 3日(火)22時15分43秒
返信・引用
  南武支線鶴見線の旧型国電-なめくじ会の鉄道写真館
掲載の上から 14番目のほぼ真正面写真のクモハ11の車番
452か476のどちらかだと思うのですが、ご存知の方
教えてください。
 

鶴見線クモハ11400

 投稿者:千ツヌ  投稿日:2019年11月29日(金)13時50分41秒
返信・引用
  追伸
テ-ルライトの位置が高い車両は、二桁運行灯です。
宜しくお願い致します。
 

鶴見線クモハ11400

 投稿者:千ツヌ  投稿日:2019年11月29日(金)13時43分3秒
返信・引用
  皆さんお世話になります。どなたかご存知でしたら教えてください。
鶴見線で最晩年、1974年に廃車になったモハ50→クモハ11400で偶数車(2両)
クモハ11452(モハ50066)、クモハ11476(モハ50104)どちらかが豊川分工場更新の
テ-ルライトの位置が高い車両と思います。どなたかご存知でしたら教えてください。
 

木造省電の台枠の鋼製

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月23日(土)14時30分14秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

また話が横に行ってしまいますが、大正年間の木造省電の台枠の鋼製について記述のあった資料を入手したので報告したいと思います。

 先日1990年代の「とれいん」誌を何冊か入手したのですが、その中の1997年10月号(通巻274号)のP50~61が、寺田貞夫氏により「Modelers File 国電ボギー電車の始祖たち」のタイトルで、ホデ1形から、大正3年改番で「デハ62xx」等の4ケタの番号になった車が紹介されています。この中に、「木製電車の幅員と台枠」のタイトルで、木造省(院)電の台枠に攻勢について紹介されています。木造省電など、大正年間の木造車の台枠について、昨年末から今年の初めにかけて、モハ50系鋼体化省電の台枠の鋼製と関連して、議論されたので、補足情報として、紹介したいと思います。

 今年初めの秩父鉄道のクハニ20形の台枠の鋼製に関連しますが、木造電車の台枠は、鋼製車とはかなり異なり、側梁は車体幅よりもかなり内側を通っており、車体は側梁外側に受け金が付けられて、その上に支持されていました。院電の車体の幅は、最初のホデ1形が8フィート6インチ (2590mm)だった以外は、8フィート (2440mm, 明治42年)、8フィート6インチ (2590mm、大正3年)、2700mm(大正12年)と大型化していったのですが、この間、「側梁の幅」については変化は無く、7フィート (2134mm)に統一されていました。すなわち、この間は受け金の長さを伸ばすことで車体断面を大型化していったことになります。これについて、寺田氏は「床下取り付けの面から、台枠幅を一定にしておいた方が都合がよかったからであろう」と考察しています。
 一方、車体長は初期は15250mm、大正9年から16130mm、大正12年から16150mmになったとしています。ここで、「初期の電車の特徴」として、「側梁の溝部が外側を向いていること」「中央梁が1本しかない事」を紹介しています。この特徴は明治45年までで、大正に入ると中梁が2本になり、側梁の溝形鋼は底が外側を向きます。この構造の変化は、「トラス棒」の付き方にも及んでおり、2本ずつの側梁と中央梁それぞれにトラス棒が付くのが「トラス棒の付き方」としては一般的だと思いますが、初期の車には中梁にトラス棒が付けられず、外の2本の側梁だけにトラス棒が付けられていた、と記述されています。また、トラス棒が側梁に取り付けられるところは「溝形鋼の底」であることから、側梁の向きでトラス棒の付き方が変わること等、トラス棒の取り付け方についての記述もありました。
 以前に秩父鉄道デハ100系の鋼体化の順番についてこの場で報告しましたが、その中で「秩父鉄道標準型」と言える、秩父鉄道プロパーの車から鋼体化され、戦後に入線した、院電由来の車の工事が後に回ったことが確認されました。特に、「最初の院電」でもある、サハ25029もいて、木造電車末期の「標準構成の台枠」と比べると、異なる点が多かったのが、工事が最後に回り、恐らく台枠流用はされていないことになった所以だと思われます。
 

62系の胴受け

 投稿者:すぎたま  投稿日:2019年11月19日(火)20時06分2秒
返信・引用
  みなさんこんばんは。

「我が心の飯田線」から旧形国電画像編、62形へ進みますと、完成当時のクハ66形の画像が見られます。先人の遺産は貴重ですね。
http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub62.htm/sub62-66/sub62-66.htm
よく見ると、クハ66000号の全面胴受け、後年変わっていませんか?。
完成当初はモハ63形のものそのものだったのが、後年は103系などとも共通の形状に変わっているように見えます(両側のバネの点検窓の形状が違う)。
62系は、もともと完成してから異常に使用開始までが長かったり、謎がいくつもある系列(ほとんど固定編成なので、系列と呼んで差し支えないかと)の様な気がしますが、胴受けを取り替える理由とはなんでしょうね?。

http://princesscomet.net/

 

展示に見る浅草線車両の交替

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月17日(日)23時32分48秒
返信・引用
  車庫の中の現行の部品の展示にも、現在進行中の5300形から5500形への交替が進行していることが伺えました。

写真上は5300形の「車両番号部分を切り取った外板」です。以前から5000形と5200形のものが展示されていたのですが、5300形のものは、今回が初見参です。ちなみに、5500形は10本目の編成が車庫に待機しているのを見ており、ある程度の5300形が既に運用を外れていることになります。
 写真中央と下は5500形のパンタグラフと台車です。前に西馬込でイベントが行われた時(2017年)はまだ5500形は入っていなかったので、5500形の部品もまた今回が初見参です。シングルアームパンタは、三田線の方ではまだ入ってなく(6300形オンリーで、シングルアームパンタは入っていない)、新宿線の方ではイベントが行われていないので、都営地下鉄内でも初の公開になります。
 

芝生さんゆかりの物品:都営地下鉄フェスタ2019より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月17日(日)23時17分31秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

都営浅草線5000形のマスコン:都営地下鉄フェスタ2019より
 土曜日(11月16日)は、都営浅草線の西馬込検車区で「都営地下鉄フェスタ」が行われました。都営地下鉄のイベントは最近は三田線の志村検車区と交互で行われており、昨年は志村の方のイベントを見ています。今回のイベントで、「都営地下鉄の歴史」の展示で浅草線5000形の部品がいろいろ展示されていました。ここで注目したのが「主幹制御器」と「ブレーキハンドル」です(写真上)。芝生さんは都営浅草線の運転手として長く勤務しておられたので、この主幹制御器とブレーキそのものを回すことがあったのでは、と思いました。写真中央は、主幹制御器の内部です。コントローラーそのものの中にいろいろメカニカルなものが入っているのに時代を感じます。写真下は「制帽」で、左から浅草線開業から1994年まで長く使われていたもの、そのあと2006年まで使われていたもの、そして現行のものです。左のものが芝生さんが長く馴染みだったもので、中央のものが現役末期の頃になると思います。

クハ86形の前面窓について
モハ80373さん
 提示の写真を確認できました。確かにパッと見では気づきにくいのですが、一旦気づくと微妙な違和感を感じるのが面白いです。片方黒Hゴムの車も、芝生さんの写真ではクハ86344がそのようで、この車も広島の車でした。
 

広島地区のクハ86の前面Hゴム支持窓について

 投稿者:モハ80373◆WKtiTNsW9Q  投稿日:2019年11月14日(木)12時47分56秒
返信・引用
  原口 悟さんへのお返事です。

>  クハ86060の方の前面についての可能性ですが、下関運転所にいて、広島車両所に入場していたと考えられることから、呉線に転入した山スカのクハ76形のような角が角ばったHゴム窓になった可能性もあると考えました。三鷹電車区時代の山スカのクハ76形のうち、木枠前面の車は木枠で残っていたのですが、1975年に呉線に転属後、前面窓をHゴム支持に改造され、この時に元の窓の形を利用したような角が角ばった窓になりました。写真は田中さんの「旧型国電の記録」でクハ76036, 51を確認できます。ただ、この改造が行われたのは、80系も廃車期に入った頃(昭和51年から52年?)で、クハ86060が改造されたとしたらもう少し前(昭和45年頃?)になると思われるので、話題になっていないということは、お話の通り、他の車と区別がつかない形態だった可能性は高いと思いました。

→クハ76036・051に関して、少し大きめの四隅Rの小さなタイプの写真、改めて確認できました。ありがとうございます。

さて、この特殊(?)な窓は、クハ76とクハ86(こじつければクモユニ81やクモニ83100代も…)にしか使いみちがないわけですが、どうやら広島地区では一部のクハ86にも部分的に使われたようなので、触れておきましょう。
転載は避けますが、画像は容易にダウンロード可能です。
クハ86352(広島運転所矢賀電留)
http://1.bp.blogspot.com/-RQgEYP4Z8hQ/UUWYhBXKWXI/AAAAAAAAT4Y/6T4BDg2saxs/s1600/PICT4056_6.JPG
広島地区全面115系置き換えまで一年足らずの1977年7月16日撮影らしく、本当によく目を凝らさないと見逃してしまいそうですが、向かって右の窓(運転席)がRの小さなものに交換されています。
向かって左の窓は、恐らく原型でしょう。
このタイプの窓は、中部地区以北では採用されてはいないと思われます。

山陽本線地区の2枚窓のクハ86は、86061以降ラストナンバーの86375までの新製時原型の黒Hゴム窓を、片方だけグレーHゴムに交換した車両とか、大きさが左右不揃いのものとか、さらに岡山運転区の86356のように両窓とも天地寸法のやや短いもの(更新修繕車とほぼ同じ四隅Rの大きいもの)に取り替えられたものとか、細部に目を凝らせば、かなりバラエティーに富む状況だったようです。
たぶん、腐食具合などから交換するのが適切と判断された時点で、たまたま部品保有にゆとりがあったなどの理由からだとは思われますが、結果的に様々な顔が存在することになりました。

 

17m車末期の仙石線

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月10日(日)12時54分47秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

17m車末期の仙石線レポート
 先日RF67-3号を入手したのですが、その中に「仙石紀行」と銘打った仙石線への訪問レポートがありました(P18~20)。訪問は1966年11月23日のことで、訪問者の吉村氏は21日にまだ気動車の「はつかり」で仙台を訪れ、23日に急行「まつしま」で東京に帰っています。
 この時期の仙石線の訪問記事は、1966年10月1日時点の仙石線管理配属の車輌一覧が発表されており、その時はまだ73形の転入はありませんでした。その後、2両いたサハ17形の運用離脱の報告があり、1967年4月1日時点では17m車の交替が完了し、車籍が残っていたのはクモハ12002だけになっていました。11月23日の報告は、73形の転入が始まり、ある程度の車が営業運転に入っている頃になります。
 吉村氏は9:12発の石巻行快速に乗っているのですが、編成は

クモハ11101 - クハニ19051 - クモハ11460 - クモハ11108

の4両編成で、クモハ11108は陸前原ノ町で切り離した、とのことです。仙石線17m車の末期は、3両編成と2両編成を連結した5両編成が標準になっていたのですが、この編成は、2両編成の方が1両だけになっていたことになります。当時、73系が茶色のまま、あるいは仙石線色に塗り替えられて4両編成で営業運転を始めていることが確認されており、検査切れが早くて車両が不足していた、または、20m車置き換えを見込んで、先行して17m車も編成両数を4両に変更していた、という可能性が考えられます。また、クモハ54、クハ68形を「原ノ町の車庫にも見当たらない」と、まだいないことを報告しています。なお、「鉄道史料」25号の仙石線の記事によると、クモハ54、クハ68形の最初の転入は12月9日のクモハ54101、クハ68102が最初で、12月11日にクモハ43109、クハ68106が転入しており、11月23日には「まだ転入していない」ことが確認できました。なお、他のクモハ54、クハ68形の転入は年度末にも間に合わず、1967年4月に入ってからです。
 17m車は、クモハ11245とクハニ19002が運用を外れて野蒜駅に疎開している写真が掲載されています。

1984年の古レール転用の記事
 古レールの記事の続きなのですが、先に報告の記事から20年後の1984年にRP, RJ, RF誌のどこかに「新幹線の中古レールの転用」の記事がありました。中古レールをローカル線の重軌条化に転用するもので、新幹線のロングレールを、溶接部分をかわして20mに切断し、ローカル線のレールを交換する、という内容でした。転用先は、和歌山線、桜井線といった関西地区のローカル線だったように記憶しています。
 

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