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新性能化直後の富山港線475系とクハ455-302の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年12月20日(日)00時59分16秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

60-3改正での富山港線新性能化直後の475系と、同時期に北陸地区に入線したクハ455-302を製作したので報告したいと思います。
 475系製作を思い立ったのは、TOMIXが455・475系の改良新製品を発売したことで、新性能化当初の3両編成+増結のクハ455の製作を構想しました。

写真上はクハ455-302です。
 クハ455-302は、北陸地区に投入された唯一の165系改造車ですが、それ以外にもかなり多くの特異な点があったので紹介したいと思います。

(1) 有名な点としては、「交直流急行色を経験していない」ことがあります。これは、種車のクハ165-140を大宮工場で改造した時(1985/6/6付)、直接旧北陸色(赤2号にクリーム色10号帯)に塗り替えられたためです。
(2) 北陸本線の475系は早い段階からWCは汚物処理装置を整備していたのに対して、汚物処理装置が未設置のままでした。これは、種車が汚物処理装置を未設置だったのに対して、改造時にも追加をしなかったためで、北陸では、WCの使用が停止され、このため、その後編成を組んだモハ474-41のWCの使用機能が残されました。
(3) 改造当初は前頭部の種別窓が残り、また、スカートが黒色でした。
 北陸地区では種別窓の破損が相次いだため、昭和50年代中ごろまでに種別窓を鉄板を上から当てて埋めていたのですが、クハ455-302は、大宮工場での改造時は、種車のまま、種別窓を残していました。北陸地区の車は、北陸色塗り替え前に種別窓を埋めていたので、「北陸色」と「種別窓」の組み合わせは非常に珍しいものです。
 また、451~457系の系列は、前面のスカートを灰色に塗っていたのですが、クハ455-302は、改造当初は種車時代の黒色のままでした。これも改造当初のきわめて短い期間に限られます。
(4) 床下の水タンクの配置が、種車の製造時期からはありえないものになっていました。
 急行型電車のクハの水タンクは、容量1000リットルの鋼板製のもので、冷房準備車の頃からFRP製の700リットルのものに変化しましたが、この変化の時期が不明瞭です。
 写真中央は、模型での急行型クハの床下機器の表現で、左からKATO旧製品(モントレー色の165系)、TOMIXのクハ165、クハ169(ともにJR東海の165系を製作した時のもので、灰色に塗装)、右が今回の455系新製品のものです。冷房改造の時、新前橋電車区のAU12冷房改造車等、初期の改造車は水タンクが非公式側に付いていたのですが、大多数の冷房改造車は公式側に変わっています。KATOの165系が、初期の改造車の形態になっているのは、クハ153の床板を流用していることとも関係しています。
 165系の場合、FRPタンクへの変更は41年度早期債務(クハ165-144~155)からなのですが、当初は鋼製水タンクをそのままFRPに置き換えただけで、今回発売のクハ455と同じ配置でした。この次の42年度本予算は165系900番台(後の169系900番台)が製造されたのですが、これらの車も同じ配置でした。クハ165の次の予算は42年第三次債務(クハ165-156~187)から、床板機器が抜本的に再配置され、FRPの水タンクが中心線に移動しました。この予算から冷房が準備工事になっています。クハ169はすべてこの配列です。
 455、475系の場合、登場時から水タンクがFRPになったとの記述が多くの交直流急行型電車特集で記述されていますが、実際は、鋼板タンクが続いています。また、付き方は、クハ165の41年度早期債務の車と同じく、公式側にぶら下がっています。但し、クハ455の場合、容量を700リットルに縮小し、長さが短くなった水タンクが付いています。これがいつFRPタンクになったかは確認できてなく、今回クハ455-302とともに製作した、クモハ475-48 - モハ474-48 - クハ455-57は、冷房準備車登場直前の41年度第2次債務での製造で、水タンクはFRPになっています(TOMIXのクハ455新製品と同じ形態)。
 クハ455-302の種車は、クハ165-140で、初期冷房改造ではないので、床下機器配置は、1000リットルの鋼板タンクが公式側にぶら下がっていたはず(写真中央の左から2番目)なのですが、クハ455-302は、クハ169と同じ、FRPの水タンクが中心線にぶら下がった形態になっていました(写真中央の右から2番目)。このため、どこかの段階(おそらく冷房改造時)で床下機器を根本的に並べ替えたと考えられます。
(5) ホイッスルを検電アンテナ前に付けていました。
 アンテナは、円錐の台が一般的で、ホイッスル組込みの台形のものへは、北陸の場合、AU12冷房車(クハ455では、62~64)からです。クハ455形300番台への改造では、アンテナは円錐の台で、別にホイッスルをその前に付けていました。

 今回の製作での共通の加工としては、室内の座席を近郊化改造に合わせて一部を切り取り(クモハ475、モハ474-48、クハ455-57の場合は昭和59年度中、クハ455-302は改造時)、手すり、ワイパーの別パーツ化を行っています。信号炎管は先日紹介のGREENMAXの避雷器から、低、厚のパーツを使い、車体色に塗りました。クハ455-302以外の車の種別窓の埋め込みは、0.14mmプラペーパーを切り出して接着し、車体色に塗りました。汚物処理装置は、クモハ475,474-48、クハ455-47に取り付け、クハ455-302へは流し管のパーツを取り付けました。
 写真下は、富山港線での4両編成を組んでみたものです。クハ455-302がこの運用に入ったかどうかは不明(60-3改正当初はクハ455-20が運用に入っていた)ですが、1両単独で入ったので、この運用に入った可能性はあるのでは、と思います。

水タンクについて
 上記の475系とも関係するのですが、「水タンク」は、個々の車両を調査するには意外と厄介な存在です。旧形国電でも、WC取り付け改造車の特徴でもあるのですが、模型製作で、「どのような形態のものがぶら下がっているか」調べるのですがいがうぃと判りにくいものです。後天的にWCが取り付けられた、「400番台」は、改造時期から考えると、FRPタンクにはるはずですが、それ以前からWCが付いていた横須賀形、および70, 80系の水タンクの形態はわからないところが多く、上記の165系で紹介した鋼板タンクは、恐らく昭和30年頃から(ナハ10系の登場と同じ頃)で、それ以前はリブの付いた鋼板製(オハ35系泰葉43系に付いているものと同じもの)が大多数と思うのですが、70, 80系には、楕円断面の水タンクが付いているものがあります。また、10系寝台車ではFRPの大型のもの(14系以降の寝台車に付いているもの)に交換された車がいる(金沢運転所の急行「能登」用の車など)のですが、パーツでは販売が無く、再現には難しいもので、同様に円筒型のタンクに交換している旧形客車(直江津客貨車区の急行「妙高」」用の車など)もいて、これも模型での表現が難しいものです。
 
 

読み方

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2020年12月18日(金)01時29分41秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、原口さん、皆さんこんばんは。

現場サイドの読み方は外部からでは想像出来ないような読み方などが多々あるようですね。

大井工場や大宮工場は地方管理局の工場と違い本社直轄の組織なのである程度本社に従った読み方をしていたとは思われますが

特に遠隔地の車庫や工場ではまた違った読み方も存在していたのかもしれません。

因みに東京駅での東海道新幹線の番線の呼び方は18番線だと「とおはちばん」と言ってますね。

新宿駅で中央線下り快速電車が先発のあずさの開通待ちの際に「とおにばんとおばんの開通待ち」と業務放送が入る時があります。

又はその快速電車の列車番号が2077Tだと「到着のふたせんななじゅうななTは...」と言ってる時もありますね。

また発車時間などの場合には8時00分を「はちじころころふん」と言うなど業務放送も聞いているとなかなか面白いものですね。
 

妻面の検査標記

 投稿者:   投稿日:2020年12月13日(日)20時59分4秒
返信・引用
  いつも楽しく読んでいます。
妻面の検査標記ですが、書き込む人は意味をどの程度理解していたんでしょうね?

妻面表記で思い出すのは大船にいた2両のクモハ40059と40071で、一時期1両はクモハ40と書かれていましたが、もう1両はモハ40と書かれていました。側面はちゃんとクモハとか書かれていましたが、工場の人の遊び心だったんでしょうかね。
 

旧形国電の番号の読み方など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年12月13日(日)00時41分12秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、クモハ73503さん、皆さんこんばんは

旧形国電の番号の読み下し方ですが、だいぶ昔に話題になったことがあり、調べてみたところ、2009年1月に、妻面の検査標記に書き込まれる「買収国電の形式標記」の話題に関連で見つかりました。
 買収国電の4桁の番号の「形式」が“どの部分なのか”が、中部天竜支区のサエ9320の検査標記で本来は「形式 サエ9320」となるべきものが、「形式 サエ93」と書かれているものが見つかったことから話題になりました。
 これに関連して、芝生さんの思い出として、芝生さんは「ななまんにせん~」と呼んでいた、との話を伺いました。

 なお、「買収国電の形式標記」についてはかなり古い段階から混乱が起こっており、「私鉄買収国電」収録写真でも昭和20年代の写真にいろいろなバリエーションが見つかっています。
 すぎたまさんの「客車の体系が由来か?」の話も、買収国電に例があり、旧形国電車両台帳P170の昭和28年3月撮影の元広浜社形モハ90005の形式標記が「形式 モハ90」と書かれています。当時は昭和34年改番どころか、昭和28年改番よりも前で、「形式 90」と書かれるべきなのに、「形式 モハ90」と書かれたのは、明らかに、省電とは縁の無い遠隔地である幡生工場で、「客車」に準じて標記が書き込まれたため」と考えられます。また、同じ工場の同時期でも統一されていなかった例として、「私鉄買収国電」P118にともに1955年3月27日撮影の陸前原ノ町電車区の元伊那電気鉄道サハニ7901, 7902の写真がありますが、サハニ7901には「形式 7900 29-2盛岡工」と書かれているのに対して、サハニ7902には「形式 サハニ7900 29-10盛岡工」と書かれています。
 他にもいろいろな例が昭和20年代から見つかっています。

 現場での「識別しやすい発音」は、上野駅の業務放送が印象深いです。
 地平ホームの現13~17番線ホームを「ひとさんばんせん」「ひとよんばんせん」~ と放送するのを聞くことができます。

車体更新車の「車体と機器の間のアンバランス」について
 車体更新車の話題の続きですが、車体更新車は「車体と機器との間のアンバランス」に苦しんでいたという印象があります。
 有名なのは、オハ61系客車が、高速走行で「激しい振動が起こった」ことですが、これは、「17m級木造車が乗っていた台車をそのまま20m級鋼製車を載せた」ことによる、台車への負荷の増大が減として挙げられています。似た例が、名鉄のHL車の更新車の「3700系」のグループでも話題になっており、こちらも木製車が乗っていた台車がそのまま転用されたことが原因として挙げられています。名鉄HL車では、さらに「モーターの低出力」も問題になっていて、名古屋―豊橋間の高速運転のダイヤに乗せるのに苦労したとの話があります。これが原因になったのか、高松琴平電鉄に譲渡されて「1020形」となった3700形は、「新しい割に低性能が顕著だった」グループだったという話があります。

秩父鉄道デキ188号の引退に寄せて
 今日、秩父鉄道で、デキ100形電気機関車のデキ108号が引退を記念した特別列車が運転されました。デキ108号は元松尾鉱業鉄道ED50形2号機で、松尾鉱業鉄道の廃線後、秩父鉄道に移籍したものです。同時に移籍したED50形1号機はデキ107号となりましたが、一足先に引退しており、デキ108号が、松尾鉱業鉄道に在籍していた、最後の現役の車になります。
 写真は、大麻生―武川間の押切橋西側の踏切で撮影したもので、沿線は同じくデキ108号を撮影に来た面々で、久々に賑やかでした。
 

もともとは客車の体系が原因?

 投稿者:すぎたま  投稿日:2020年12月 8日(火)22時49分23秒
返信・引用
  連投すみません。

大昔は、客車も電車も気動車も、客車の体系に入れていたので、その時代の呼び方からすれば、例えばモハ10形木造車は、モハ10000(もはいちまんがた)が正しそうな気がします。
どだい、ガソリンカーの初形式かもしれない車輌(のちのキハ04形など)が、キハ36900形であったのも、モハ30の旧形式がデハ73200形であるのも、客車の体系に組み込んだ結果であろうと思われるわけです。しかし、おそらくはオハもスハもマニもデハもサハもキハも同じ体系に入れていると、わかりにくいし、番号も足りなくなるだろうしということで、電車や気動車は別の体系で付番することにしたのでしょう。1928年に大改番があったようですが、その際に客車に準ずる呼び方が残り、当初はモハ30形「形式 30」とされても、30000形と呼ぶのが残ったのではないかと推察されますね。それが世代を越えて内部では受け継がれ、戦後になっても残っていたのではないでしょうか。

485系を「よんぱーご」、583系を「ごーぱーさん、ごはさん、ごっぱーさん」などと呼んだのは、現場としては取り違えがあると困るからということも理由としてありそうです。
余談ですが、天下のNHKは、決して「0」を「ぜろ」とは発音しません。携帯電話の番号090…なんてのがあっても、「れーきゅーれー…」と発音します。あのデンで行くと、103系なんかは、「いちれいさんけい」とか呼ばれそうです(笑)。モハ40の運転台撤去車モハ30二代目に至っては、「モハさんれーれーれーれー」ということになるでしょう。

もっとも、国鉄の旧形国電の形式の付け方も、無理が最初からありますよね。
最初の鋼製車はモハ30ですが、付随車はサロ35、サハ36。モハ31に対して、サロ37、クハ38、サハ39。モハ32に対しては、サロ45、サロハ46、クハ47、サハ48、クロ49と、わずか3形式のモハに対して、40番台まで使い切ってしまってます。こんな調子でやっているので、モハとサハクハの形式数字がどんどん離れてしまい、やがて特に付随車系の形式が足りなくなってしまうわけです。やはり最初から3桁にでもしておく必要があったということなんでしょうね。
後年国鉄は同じ過ちを気動車でも繰り返すわけです。片運転台なのにキハ50、51。じゃあキハ55は何なんだとか…。
ですから、国鉄本社サイドがいつも一定だったかと言われると、そこはやはり流動的だった、むしろ現場サイドのほうが、かたくなに伝統を守っていたと言えるのかもしれませんね。

http://princesscomet.net/

 

正解があるとすればそれは本社

 投稿者:すぎたま  投稿日:2020年12月 8日(火)22時16分38秒
返信・引用
  クモハ73503さんこんばんは。

大井工場の2003年の公開時、車輪の展示で「12000系」と書かれたものがあり、「近鉄」?とか思ったのですが、そんなはずもなく、クモハ12形のものを展示するにあたり、そのように「表記」していたという落ちでした。
一方、関東北部の工場勤務の友人は、M'車のことを「えむちょん」と呼んでおりましたね。
つまり、国鉄の本社の考えた読み方と、現場の呼び方がまるで違っていたということなのではないかと思います。
戦前から戦後しばらくの、国鉄電車の形式は、「形式 42」とか、「形式 63」とか書かれており、決して「形式 42000」では無いからです。
したがって、現場が「ななまんさんぜんごひゃくさん」と呼ぶのを、あくまで「正しい呼び方」とするのであれば、「形式 73500」でないとおかしいのではないかと考えます。つまり、73形ではなくて73000形であり、その500番台であるという認識です。そうすると、クモハ73503さんの父上様が呼んでおられた、「ろくまる」、「ななまる」というのは、厳密には間違いではないかと思えます(失礼すみません)。「ななまんさんぜんごひゃくさん」と呼ぶのが正しいのであれば、クモハ60は、「ろくまんがた」、モハ70は「ななまんがた」と呼ばないと、整合が取れないと思うわけです。

なので、「正解」というものがあるとすれば、それはまあ、国鉄本社が想定したであろう呼び方、すなわち、「形式クモハ42」とあれば、クモハ42001は、「くもはよんじゅうにぜろぜろいち(まるまるいち)」と、形式と番号はわけて呼ぶのが正しいのではないかと思います。しかし、現場はまるでそんなのは無視していたということでしょう。

では、一般のファンであるわれわれはどう呼べばいいのかということですが、それはまあ、現場同様好きに呼ぶしか無いのではないでしょうか。
小田急の形式で、2600系(けい)と呼ぶと、「2600形(がた)だ!」、と、いちいち訂正する人がいますが、「どう呼ぼうと現場同様勝手」ではないかと思います。だいたい小田急の例なんかでは、「公式文書」には違いない、「記念乗車券」に、9000型なんて字が使われていた時期もあるのです。

旧形国電の終焉期には、クモハ73 505なんて表記も出現していました。またクモユニ74とクモハユ74が、「形式かぶり」になっていて、これも「ななまんよんせんがた」と呼ぶと、工場、幕張電車区や千葉駅などでは、どちらの形式を呼んだのかわからなくなります。山陽電鉄では、割り当て車の63形を、そのまま付いてきた車番を尊重したのか、63800形と呼んだと、ピクトリアルの63形特集にありましたね。どのように発音していたのか、興味がありますね。

もう一つ問題かなと思うのは、例えば「山スカ」の編成を、比較的若い世代の人に語るとき、「クハななまんろくせんがた+モハななまんいっせんがた+モハななまんにせんはっぴゃくごじゅうがた+クハななまんきゅうせんさんびゃくがたの4連が、スカ色に塗られていてさ」と言っても、なんのことやらわからないだろう(理解するのに時間がかかるだろう)と思うわけです。言葉というものは、出来るだけ多くの人に理解されないと、情報伝達、意思伝達、思想伝達などの意味をなしえません。例えば私が、ここで突然ヘブライ語で日本の旧形国電を語っても、かなりな人は意味がわからないでしょう。私もヘブライ語知りませんし…。なので、ある程度は共通理解が出来る読み方をするしか、無いのではないかとは思うところです。

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旧型国電の形式の呼び方

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2020年12月 7日(月)22時44分18秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは。

すぎたまさん、

これは結構個人毎の解釈の違いもあるようで何が正解なのかも難しいように感じます。

しかし工場の検査台帳などにはクモハ73503と書いてありあくまで「ななまんさんぜんごひゃくさん」又は「ななさんごーまるさん」という扱いになっていたので
「ななじゅうさん」の読み方は内部では該当していなかったようです。

区分番台も新性能電車のようにガッチリとした正式な物は無かったようです。

父親は個別の車両の番号は73501だと「ななまんさんぜんごひゃくいち」とは言ってました。

クモハ60、モハ70はクモハ「ろくまる」モハ「ななまる」と呼んでいました。

ちなみに新性能電車では485系は「よんぱーご」583系は「ごーぱーさん」と呼んでいました。

自分は「よんひゃくはちじゅうご」じゃないのかよ?と思っていましたが(笑)

話を戻してその後モハ90改め101系、モハ91改め153系など3桁形式が誕生してしまったが為にその辺の所が余計にややこしくなってしまっているのでは?と思っております。

この辺の所、旧型国電の扱いは面倒ですね。そもそも101系以降の車両に対してそれ以前の釣り掛け式電車を旧型国電と呼ぶようになったのはいちばん最初は誰だったのでしょうね。
 

なんかまずいんでしょうか…

 投稿者:すぎたま  投稿日:2020年12月 7日(月)21時28分34秒
返信・引用
  クモハ73503さんこんばんは。

私は若くないですが、中学生の頃から72系は「ななじゅうにけい」、クモハ60は「くもはろくじゅう」なんですが…。ついでに言えば、クモハ73503号は、「くもはななじゅうさん、ごうまるさんごう」ですね。理由としては、車輌の表記が「形式 クモハ73」となっており、「形式 73500」とはなっていないためです。
ななにいけいと呼ばないといけないとなると、72970番台などは、「ななにいきゅうななまるがた」とでも言うのでしょうか。同系のクハはどうしましょう?
確かに戦後間もなくの文献などには、モハ63500番台に分類されるタイプを、「63500形(ろくさんごーまるまるがた)」としているものを見ましたが、そう呼んでいた世代は、ほとんどリタイヤし、あるいは亡くなり、電車も過去帳入りした今、昔の呼び方を継承しなくてはならないか、かつその「昔の呼び方」なるものは絶対なのかという疑問もわきます。

小田急は、電車の系列を表すのに、「形」(がた)と呼びますが、あれも国語学的におかしいと思うので、私と鉄道ピクトリアルは「系」と呼んでます(ピクトリアルは記事によるが)。
別に文句言うつもりは無いのですが(笑)、形式の呼び方も、時代とともに変遷するもののうちの一つでもありそうだなと思った次第です。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

旧型国電の形式の呼び方

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2020年12月 7日(月)00時04分0秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは。

ご無沙汰しております。

最近YouTubeなどで旧型国電の内容をアップしているけど実際には実物を見たことが無いと思われる若い世代の方達が72系を「ななじゅうにけい」など十の位で呼んでいるなと気になったもので。

父親が居ました大井工場などの現場ではあくまで5桁の数字の1万の位と千の位だけを取って「ロクサン」だの「ななさん」だのと呼んでたので決して「ろくじゅうさん」や「ななじゅうさん」では無いのですが

雑誌などに42系や52系、73系と書いてあるのをそのままの読み方をしてしまっているのかな?と思っています。

最近では私鉄でも5桁の形式車両が増えていますが、
西武30000系は「さんまんけい」ですし東京メトロの15000系も「いちまんごせんけい」ですし東武50000系も「ごまんけい」だと思うのですが

もしかしたら内部だけで「さんまる」とか「ごーまる」などと呼んでいるかもしれませんが(笑)

現に実在した車両は「クモハ73503」であって「クモハ73-503」では無いですからね(汗)

この辺が当時の現場と40年も50年も経った現在の鉄道
ファンの間の埋められない温度差なのかな?と思いました。

横浜線に何も知らないでたまたま乗りに行ったら73系のお別れ運転の日で駅のアナウンスが「間もなくななさん系電車がまいります」と言ってたのを覚えてます。

工場だけでなく駅でも「ななじゅうさん」ではなく「ななさん」なのだと確信したものです。

元々旧型国電は新性能電車みたいに○○系という分け方はあまりはっきりしていなかったようですが。

まあどうでも良い事なのかもしれませんね。

 

車体の大型化の過程

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年12月 6日(日)11時23分48秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、皆さんこんにちは

京王電鉄(本線系)の車体の大型化について、こちらでも情報を確認できました。
 京王の場合は、「軌道」時代に由来する小型の車を、「鉄道化」に合わせて大型化する過程、となると思いますが、この「“軌道”の“鉄道化”」も、多くの鉄道が経てきた過程で、車両の発達の点でも注目すべき点かと思いました。この過程は、最初から「鉄道」として始まった鉄道では経ていない過程で、買収国電の中でも、軌道の時代があるのは伊那、広浜くらいで、どちらもかなり早い段階で鉄道化しているので、買収車内には、軌道時代のものは無くなっています。
 軌道から鉄道への変化が車両に反映されている典型としては、東は京王(本線)、西は阪神だと思います。阪神の車両の変遷は、RP誌の1990年代末の譲渡車両特集で「車両の譲渡」という点でも注目されており、「初期高性能車」の導入で、一挙に車体の大型化を図って、従来の「喫茶店」の系統の戦前の車両を一挙に整理し、その後、初期高性能車も、その後の輸送単位の増大に伴って、「編成もの」の新造車両に交替しています。この2段階の車両取り換えの両方に関係したのが京福福井と琴電になります。

 「性能を落とさず、部品を利用しながら低コストで大型化」の典型例は、北陸鉄道の6010形「しらさぎ」と、静岡鉄道の長沼工場新造車両群だと思います。「しらさぎ」は、純粋な初期高性能車に入る、6000形「くたに」の増備として、手持ちの機器を用いて作ったもので、伊那電由来の機器を用いて、「くたに」と同程度の性能を確保するため、「初期高性能車の開発とともに導入された車体製造技術を導入し、ステンレス鋼体などの新技術も導入して、「くたに」同等の性能を確保しました。静岡鉄道の方も、手持ちの機器の流用で、時にクモハ350形は、元鶴見臨港鉄道クモハ18, 19の機器が流用されています。これらの車はその後1000系の導入に伴って譲渡されていますが(クモハ50形は日立電鉄)、外板が薄いため、末期は車体のゆがみが顕著になったそうです。ともに買収国電由来の機器が使われているのが興味深いですが、機器の流用は車歴を継承しないため、買収国電の記事ではあまり触れられないもので、買収国電研究の観点からは「穴」になると思います。
 

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