teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

スレッド一覧

  1. www(6)
  2. 全力全開(0)
  3. 全力全開(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


KATOより、119系発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 7月28日(土)23時21分36秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

今週末にKATOより119系電車が発売になりました
 かねてからの予告通り、発売形態は3両セットと2両セット、トレーラーのクモユニ137です(写真上)。形態は、窓下の手すりが帯の上に出ている後期型で、車号は3両セットがクモハ119-32(T)―クモハ119-33(M)―クハ118-24、2両セットがクモハ119-29(M)―クハ118-21、クモユニ147がクモユニ147-2です。119系投入当初、前期型は3両編成の方が多かったのに対して、後期型は両編成が1本だけだったので、3両編成はただ1本の編成が模型化されたことになります。
 写真下はこれまでに発売された119系の比較で、上からTOMYTEC鉄道コレクション、MICROACE、GREENMAX、KATOです。鉄道コレクション、MICROACE、GREENMAXはTOMIX TNカプラーへの交換、手すり別パーツ化、パンタグラフの交換をしています。
 ディテールの違いは、通風グリルの表現に典型的に表れており、強さはMICROACE > 鉄道コレクション > KATO > GREENMAXになります。KATOとTOMIXでは、一般的にはKATOの方が表現が強めで、鉄道コレクションでも受け継がれていることが多いのですが、119系に関してはKATOよりも鉄道コレクションの方が表現が強く感じます。GREENMAXは、完成品発売の展開の初期に出た、動力ユニットと床板をTOMIXからのOEM供給品としたものと、最近の、動力ユニットと床板を自社オリジナルにしたものがあり、写真は、後者の3両編成セットのものです。GREENAX製品は通風グリルが非常にあっさりしていて、初期製品では表現が塗装に埋もれた感じになっているため、手持ちの車両では、タヴァサホビーハウスの通風グリルを上から貼り付けて表現を強化しました。これに対して最近の製品では、印刷で通風グリルにスミ入れをした状態になっており、通風グリルの存在が強調されています。動力ユニットはGREENMAX完成品で一般的な2個モータータイプです。
 前面のワイパーは、鉄道コレクションとGREENMAXはタヴァサホビーハウスのパーツで別体化していますが、原型は、GREENMAXは印刷だけ、鉄道コレクションはシングルアームの簡易型のモールドに銀を印刷です。MICROACEはダブルアームワイパーの強いモールドが有るので、前面の手釣りは別パーツ化しましたが、ワイパーはそのままです。これに対して、KATOはダブルアームの細いモールドに印刷になりました。
 助士席窓の内側にぶら下がっている運行表示は、KATO製品では運転台パーツに表現されています。以前の製品では、GREENMAXとMICROACEはステッカーで表現、鉄道コレクションは窓への印刷でした。これらの製品は、タヴァサホビーハウスの製品で窓の裏側に運行表示を貼り付けています。
 クモユニ147は、これまでの製品は、MICROACE製品と鉄道コレクション第20弾、WINの車体だけの発売がありました。クモユニ147は昭和60年から61年の間、大垣電車区のクモニ83を置き換えて東海道線を走っており、確か113系に連結されて走っていたこともあります。
 
 

RP18-9号「配給電車」より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 7月28日(土)01時19分42秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは
野獣先輩さん、初めまして

今月発売のRP18-9号は「特集 配給電車」でした。
 17m旧国由来の配給車は、芝生さんの写真等、けっこうあちこちで紹介されているので、「形式写真」では目新しいものは少なかったのですが、京都鉄道博物館でクモル145―クル144が公開された時の細部写真や、電車区内での配給車の作業風景などに注目すべき写真がありました。その中でも注目だったのがクモル24001の「無蓋部の中」の写真(P13)で、木板が枕木方向に敷き詰められて床になっていること、その上に乗るようにモーターの点検蓋が設置されていることでした。クモル145―クル144の無蓋部の床は、確か以前この場で写真が紹介されたことがあり、滑り止めをプレスした鋼板で、京都鉄道博物館公開時の写真等でも確認できます。積荷は「車軸」のイメージが強く、掲載の写真でも、車軸を搭載しているものが多いのですが、他にもいろいろな藻をを輸送することがあったようで、クーラー(P49~の東神奈川電車区での作業風景)、小物の入った籠(P16)、屑鉄の入ったドラム缶(P13)もありました。また、興味深いものとして備品として常備している「自動連結器と連結するアダプター」がありました(P51)。自動連結器と連結する機会は付随車の救援車ではしばしばあり、昭和57年に大垣電車区のクエ9421が非電化区間の樽見線へ事故復旧に、機関車牽引の客車、貨車、操量車混成編成に加わって出動した例があります。
 クモル24006が貫通型に改造されていることについては、「種車時代に施工されていたようだが、詳細は不明である」とあります。改造前(クモハ11118)は、仙石線に所属していて、17m車末期の5連運転時にほとんどの元モハ30系、31系の車は貫通型に改造されているのですが、「鉄道史料」の仙石線旧型国電の記事でも、「貫通化改造された年月日」の記載が他の車は有るのですが、クモハ11118はこの項目が空白で、改造の乗降がよくわからないところが「詳細は不明」と書かれたことと関連しているようです。
 配給電車の運転についての記事(P22~)もありますが、この中では新前橋電車区のスジ(6961M・6962M)はクモル145―クル144になってからですが、熊谷駅で何度か見たことがあります。このスジは86-11改正で廃止になったとのことなので、最末期に見ていたようです。また、配給電車の概要(P10~)で、工場入場車両の配給電車への併結が、「近畿圏では多かった(P17)」と記述されており、カラー頁にも写真が掲載されているのですが、入出場車両の配給列車への連結は「首都圏でも見られた」こと、また、小山、新前橋電車区への配給列車は電気的に逆方向の車を長ジャンパケーブルを用いて強引に連結していたことについての記述はありませんでした。
 私鉄の配給列車も記述があり(P52,53等)、この中では、京急の運用が、久里浜工場から金沢文庫の車庫へ行く列車が追浜を午後1時30分過ぎに通過するところを見たことがあります。

 旧型国電関係では、RF誌で70系の連載が始まっており、今月発売号は第3回で全金車直前の頃の新製車が紹介されていました。また、RM誌では、南武線73系のさよなら運転の頃の記事が有りました。

近江鉄道モハ220形のジャンパ栓について
 野獣先輩さんの写真を見て、モハ226とモハ223の助士席側床下のジャンパ栓の形態が違うことに気づきました。他の車を調べてみると、モハ226だけ、スノープローが付いていることが原因か、独特で、他の車はモハ223と同様の、クモニ83等の荷物電車に付いていたものと同様の形態のものが付いていました。ジャンパ栓の形式が違うと、互換性が気になるのですが、モハ226と他のモハ220形が連結して走っている写真が見つかったので、一応連結はできるようです。
 

Re: 近江鉄道モハ220形の種台枠

 投稿者:野獣先輩  投稿日:2018年 7月26日(木)06時09分19秒
返信・引用 編集済
  > それで、当時RM誌に推定として載っていたのが、
> モハ205--221
> 以下台枠流用した実際の車輌として、
> モハ203
> モハ201-クハ1201
> モハ202-クハ1202
> が推定されていました。仕上がり、台枠の厚さ、車体長さ、幅などから判断して、間違いなさそうです。
> ところが小田急時代の旧番号を書き出しますと、
> 205--デハ1605
> 203--デハ1610
> 201--デハ1609
> 1201--クハ1657
> 202--デハ1603
> 1202--デハ1602(旧デハ1601)
> となっており、クハ1650形が1輌混じっています。問題なのは、クハ1650形は戦後製、デハは戦中の製作なので、車体長が若干異なるのです。
> そうすると、1輌だけはモハ220形に改造後も、寸法が異なっていたのではないか?、という疑問が生まれます。

> <追記>
> 小田急デハ1600形の車体長は15800ミリ ボギーセンター間距離10400ミリ
> 同クハ1650形1657号の車体長は16350ミリ 同上11150ミリ
> です。データは、「鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950~60の70ページ車両要目表によります。
>
> 失礼いたします。



早朝からおはようございます。

確かに、モハ221~225とモハ226では車体の高さや設計が微妙に異なってますね。

そのことから、モハ200・クハ1200形の台枠とモハ220形との関係が次のように証明することができるでしょう。

モハ205(元・三岐鉄道モハ140)⇒モハ221
モハ203⇒モハ222
クハ1202・モハ202・モハ201⇒モハ223~225
クハ1201⇒モハ226

多分、私の予想ではこういうふうだと思います。

モハ226は他のモハ220形とは設計が異なっており、間違いなく1953年製のクハ1201の台枠の流用でしょう。
 

木造省電の制御回路600V車と100V車について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 7月25日(水)23時42分18秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

34036さんの7月17日のお話で、木造省電時代の「制御回路600V車と100V車」の話題を見て、「旧型国電車両台帳 院電編」に制御回路電圧に関連する記述があったことを思い出しました。
 P67からの「クハ23500 - クハ5について」で、「クハ5」なる形式の実在について記述されているのですが、このなかで制御回路600Vと100Vについても触れられていました。昭和3年改番以降の形式で、4桁番号の車は「70kw」のモーター出力、5桁番号の木造車は「100kw」のモーター出力の車と、関連する車に分けられましたが、同時に、前者は制御電圧600V、後者は100Vであることが記述されていました。具体的には、P67に「クハ23500形(後のクハ15形)」が、制御回路電圧で

23500~23513 制御回路電圧600V 制御管式制動装置 70kw電車用
23514~23523 制御回路電圧100V 元空気溜管式制動装置 100kw電車用
(原文は電動機出力が1500V電圧の出力)

のグループに区分され、昭和3年改番で前者が「クハ5形」、後者が「クハ15形」に区分される予定のところ、近日中に制御回路が100Vに統一されるのを見越して、全部まとめて「クハ15形」に区分したのが、「クハ5形」が幻の形式になった原因ではないかと考察されています。
 また、7月21日にご紹介の中央線の車輌運用と同時期のものが、70kw車と100kw車に分けて記載されており、それによるとご紹介の運用は昭和3年11月1日のもので、「③ 41-61 11本 東京ー国分寺間 基本3連 増結3連」が70kw車の運用で、他は100kw車になっています。この直前の昭和3年10月1日時点では、70kw車の運用はMTMCMの5両編成が10運用、MTTMの4両編成が7運用、MCの2両編成が2運用で、70kw対応のクハは12両が所要だったのが、11月1日には、70kw対応のクハの所要が無くなるので、10月中にクハの100kwへの対応改造が行われたと考えられるとあります。一方で、P70に昭和4年の目撃談として、「モハ1 - サハ6 - モハ1 + クハ15 - モハ1」の編成があったとの記述があり、モハ1形の制御電圧100Vへの改造は昭和5,6年のことだったことから、この編成に入っていた「クハ15形」は、「特殊な運転方法を取らなかった限り70kw連結用制御車(制御電圧600V)を"クハ15形"と称していたのではないか」と考察されています。
 実は、これらの記述を見ると、制御電圧600Vの車と100Vの車は、厳密に運用を分けられていたことが伺えます。昭和3年11月運用で見ると、増結編成は70kw車11本、100kw車16本になり、この時点では初期型狭扉モハ10形は、少数(4両ほど?)の方転で所要数が満たされ、その後の70kw車の淘汰と制御電圧100V化で、追加改造されたことが伺えます。
 

10156と10160

 投稿者:34036  投稿日:2018年 7月21日(土)21時51分38秒
返信・引用
  みなさんこんばんは

73おやぢさん、お返事ありがとうございました。

>写真で残されている10156(旧型国電車両台帳)と10160(電車のアルバム)がどちらも奇数方向なのは興味深いです。
>再度の変転のストーリーがあるなら、このグループも厄介者だったのでは?と思えてしまいます。
>もし10156が初期車のごとく付属への封じ込めだとしたら、忌避された原因はなんだったんでしょう(非貫通?)。


10156、10160ともにデハ改造時は偶数向きであったことは間違いないでしょうから、後に方転したのでしょうね。

デハユニ43850改デハ63100は7両あって、そのうち偶数向きは10156、10158、10160の3両ですが、
すくなくともそのうちの2両が方転している事実(おそらく増結専用として)は、確かに何かわけがありそうですね。

方転の理由として、初期狭扉型モハ10の荷郵電改造が進むにつれて、
後釜に充てる車輛が必要になった(より奇数車の需要が増えた)、はすぐ思いつくところですが、
選定される理由となるとよくわかりません。

モハ30、31は非貫通式で作られたけれども、34形以降60形に至る迄全て貫通式であることを考えると、
基本編成の先頭車としては、前面貫通が好まれる理由があったのかもしれません。
一方で、増結編成側も基本編成との連結側は貫通式が好ましい、とかですね。
増結需要で大量に改造されたクハ17も、向きは両方作り分けていると思いますが、貫通式ですね。

ただ、非貫通が嫌われる理由があるのなら、優先的に鋼体化の種車にもなりそうです。
ただしこの2両とも鋼体化の対象からははずれ、戦後までそのまま生き残り、
鋼製モニ13への改造対象にもならずに廃車となっているので、
原口さんが6月22日のご投稿でも示唆されていますが、なにか訳ありなのかもしれません。


結局のところ明確な理由は提示できませんが、これを機会に関連しそうなことをいくつか調べてみましたので以下記してみたいと思います。


◆「早期に上り向きに転向」とあるが、「早期に」とはいつ頃のことなのか。

「電車のアルバム」p. 36の モハ10160の下にある写真ですが、
残念ながら車号は判読できず、奇数番号なのか偶数番号なのかも分かりませんが、モハ10改番後であることはわかります。
初期型モハ10で、場所はモハ10002と同じ東京駅中線、つまり増結用です。

しかし形式、自重表記が妻面でなく、側面であり、これから撮影時期はほぼ限定されます。
なので「早期に」とは、昭和3年の改番直後ぐらいであり、このころから増結専用(偶数車は方転)だった。
(ただし、改番は正式には10月だが、5月以降書き換えられている可能性あり)


◆増結編成用の奇数向きデハの必要数は?

「国鉄電車発達史」p.94-95 Ⅲ隆盛時代 4・3中央線の運行 の項、最後の方

「<前略>さらに3年度末に至り100キロワット電車の増備による定期運用の増強、分割併合の全面的実施による不定期運用の削減が行われた。
①  3-19  9本 東京ー国分寺間 基本3連 増結3連
② 21-33  7本 東京ー吉祥寺間 基本3連 増結3連
③ 41-61 11本 東京ー国分寺間 基本3連 増結3連
④ 71-85  8本 東京ー高円寺間   6連(不定期)
⑤  C3-C7  3本 東京ー国分寺間 荷電

70キロワット電車は東京ー国分寺間11本のみとなったが、引続き国立・立川・浅川へと電化区間延長により
長距離電車はすべて100キロワット車となり、中型小馬力電車の運用は荻窪以東-東京間の短距離専用に縮小された。」
<引用ここまで>

とあります。(①-⑤の見出し数字は引用の都合で書き加えました)

国分寺以西浅川までの電車運転開始は昭和4年3月~5年12月にかけてで、これらによって運用数は増えているかもしれませんが、上記の①~③の運用の合計数は27本で、これから類推するに、増結編成(100キロワット車)用の奇数向きデハの必要数は、27両+α。
初期型狭扉モハ10 28両でほぼ賄える感じですが、不足分もあったかもしれない、といったところでしょうか。


狭扉モハ10の荷郵電改造は 昭和7年度から11年度にかけて。
中央線の急行運転開始は昭和8年9月からで、このころになると運用形態もかなり変わってきているかもしれませんが
改造が進むにつれて、後釜に充てる車輛も必要になったのではないでしょうか。


◆10156と10160の写真の撮影時期

10156(すぎたまさんご紹介の写真 拡大してみると末尾の数字が6ではないようにも見えて、その点が気がかりですが)は
東京駅で、連結器が自連

10160(「電車のアルバム」)の方は、場所は中野庫でしょうか?、密連化後。

自連⇒密連の時期は、電車のアルバムp.41の説明によれば

「昭和9年から13年にかけて、大鉄関係、スカ線、京浜東北線、山手線、中央総武線の順序で毎年逐次実施された」
とあります。


まあ、あれやこれや考えてみましたが、結局のところはよくわかりません。


 

車両の方向の管理について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 7月20日(金)00時14分13秒
返信・引用 編集済
  73おやぢさん、みなさんこんばんは
34036さん、お久しぶりです

 モハ10002とモハ10156の方向の件、および、「のの字運転」についての情報をありがとうございます。「のの字運転」時代の車両の方向については、考えを思いついたよりどころは34036さんのお話の通りなのですが、実は、「のの字運転」が始まる前の、中央線が万世橋起点だった頃に思い至ってなく、「のの字運転開始時にも方転が必要そうなことを、ご指摘で初めて気づきました。
 方転を考えたことは、のの字運転に入った車が新宿駅で反対方向を向くことが、現在の電車のように「車庫での電車の検修時に重大な障害になるのではないか」と考えたことによるもので、新宿駅で中央線と山手線を完全に分離し、大井工場へのルートは山手線だけにすることで、違う方向の車が混ざる可能性を完全に排除したのではないか、と考えたものです。ただ、戦前の東鉄の「モハ」は、床下機器が奇数配置統一で、連結面のつなぎをひっくり返して偶数向きの車に仕立てていたので、逆向きの方向の車が混じっていても、(新宿駅基準で)北向きの車、南向きの車ならば、どちらの方向でも電気側、空気側の床下機器がある一定方向にに面しているので、「研修にあまり不便は感じないかもしれない」と感じました。

 デハ63100形初期車が「扉の幅が狭い」ために早期に運用を外れたことは、「旧型国電車両台帳」のモハ10001の写真の解説(P13)で知ってはいたのですが、「戸扉幅が原因で早めに改造消滅」としか記述が無く、関連する動きについては初めて情報に接しました。
 「旧型国電車両台帳」のモハ10001の写真は、昭和8年に東京駅での撮影で、これも中央線の増結編成が2番線と3番線の間の中線に留置されているところです。すぎたまさん紹介の写真と比べると、架線柱の形態が違い、また、後ろに建物が見えるので、どの辺り(北寄り?建物は3,4番ホームの駅員詰所?)でしょうか。73おやぢさんご指摘の「1位側のジャンパの小箱」は、モハ10001ではジャンパケーブルとともに付いています。また、すぎたまさんが触れていた「白い急行表示」はこちらの写真では撤去されています。

 車両の方向については、私が挙げたような疑問と似たような疑問が九州の客車列車で取り上げられているのを見たことがあります。
 客車の情報を集めていたところ、旧型客車の掲示板で、「急行桜島、高千穂のグリーン車の向きはどう管理されていたのか」という質問と、議論を見つけました。東京から鹿児島へ向かう列車は、例えば寝台特急「はやぶさ」と、55-10改正まで西鹿児島発着だった寝台特急「富士」は、ともに品川客車区の運用で、東京を出た時は電源車が下り側を向いていますが、西鹿児島に到着した時は、鹿児島本線を走ってきた「はやぶさ」は電源車が東向き、日豊本線を走ってきた「富士」は西向きになっています。ここで、50-3改正まで東京―西鹿児島間を運転していた急行「桜島」「高千穂」(東海道、山陽本線は併結で、九州に入って分割され、「桜島」は鹿児島本線、「高千穂」は日豊本線経由で西鹿児島行)は、ともに鹿児島運転所の運用で、グリーン車(スロ54形、オロ11形)は片デッキなので、西鹿児島基準で同じ方向を向いていたとすると、東京ではグリーン車が反対方向を向くことになります。また、もし東京基準でグリーン車が同じ方向を向いていたとすると、西鹿児島では上記の「富士」「はやぶさ」のように反対方向を向くので、「桜島」用、「高千穂」用の方向のグリーン車を分けて限定運用をしていたのではないか、という可能性が提示されていました。ここで、方向が注目されていたのは、方向が統一されていないと「乗車案内ができない」、つまり、主要駅でよく見られた「特急はつかり 1号車 自由席」や、「特急とき 6号車 グリーン車」といった優等列車の乗車案内の札(「桜島」「高千穂」なら「急行桜島 2号車 グリーン車」「急行高千穂 9号車 グリーン車」)をぶら下げることができない、という事態が発生することになります。この問題に対して、急行「桜島」「高千穂」の写真は50-3改正直前の末期の写真が大部分なのですが、「どっちの方向もいた」ことがわかりました。同じ番号の車が明らかに別の方向を向いている写真も見つかっており、普通車の方向と併せて、編成を組む時に「あまり気にしていなかったらしい」という結論になっていました。一般型客車、気動車は方向に関係なく連結することができるので、こちらを見慣れていると、連結時に方向を管理する必要のある電車の方が異端になります。
 西鹿児島駅関連では、普通列車だけになってからの475系電車が大分電車区と鹿児島運転所の車が逆向き(小倉駅基準で同方向)で、両電車区の電車が走っていた日豊本線南部では、反対方向を向いていました。
 また、気動車では、「循環急行」の方向が話題になったことがあります。「循環急行」は末期では、胆振線を走った急行「いぶり」が有名でしたが、経路によって、始発駅に同じ方向で帰ってくる列車と反対方向になって帰ってくる列車がいました。反対方向で帰ってきた列車が、逆回り経路で戻して、方向を元に戻すことを行っていたのか、という話題があったのですが、車両としては、上記の「いぶり」の場合はキハ22の単行、中部地方で見られた循環急行は大抵キハ58―キハ58の編成だったので、逆向きで戻ってきても変化はないといえます。

最近の鉄道の話題について
 中央東線の特急「あずさ」へのE353系の投入が進んで、7月1日からE353系の運用列車が拡大されましたが、これに伴ってE257系の疎開が始まっています。先日尾久客車区に、E257系が3本疎開しているのを目撃しました。
 金沢文庫の総合車両製作所横浜工場では、E353系が継続して新製されています。また、東急池上線、多摩川線用の7000系の新製が進んでいるようで、構内に7000系と思われる高チアが待機しています。
 京急では、今年の新製車両は「42両」との発表がありました。このうち、6両編成2本12両が既に落成しています。「42両」はおそらく6両編成7本と思われ、現在残っている800系の本数と同じくらいなので、今年度で800系の交替を完成させるのではないかと思われます。
 

お知らせ、ありがとうございます

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 7月19日(木)19時27分1秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。
34036さん

Ⅲにありましたか。不勉強でした。とはいえ、初期車を方転させて付属に封じ込めとの図式は、非常に明解です。混雑の度合いが低いであろう編成の端部に置き、昼間時は運用から外して稼働を制限、あげくの果ては早期に荷電改造…初期車の嫌われようがよくわかります。そのほか、1位の小箱が撤去されてこの部分のカップラーが常備でないことも小さな疑問でした。10002のさらに前方(上り側)へ他の車両を日常的に増解結することができないためですが、付属であれば自身が最前頭ですから問題ないですね。

デハユニの3両がデハ化時に偶数へ方転とのことですが、写真で残されている10156(旧型国電車両台帳)と10160(電車のアルバム)がどちらも奇数方向なのは興味深いです。再度の変転のストーリーがあるなら、このグループも厄介者だったのでは?と思えてしまいます。もし10156が初期車のごとく付属への封じ込めだとしたら、忌避された原因はなんだったんでしょう(非貫通?)。
 

最近の話題から

 投稿者:34036  投稿日:2018年 7月17日(火)22時35分27秒
返信・引用
  皆さんこんばんは 大変ご無沙汰していました。

73おやぢさん、原口さん、すぎたまさん


●モハ10002が奇数向きにの件ついて

「国鉄電車発達史」p.115 Ⅲ 隆盛時代 6 荷物電車の改廃 昭和7年度改造車 の項

モハ10026-10028 ⇒ モニ13001-13002
「原型モハ10は大正12年度型で扉幅狭く客扱い不便のため早期に全車28両とも上り向きに転向の上、中央線増結専用に充てられていた。...」
の記載があります。


●デハユニ43850改デハ63100の向きについて

同じく「国鉄電車発達史」p.69-70 Ⅱ 再建時代 6・2 座席改造 の項

「<前略> デハユニの改造は、荷物郵便専用車の落成を待って昭和2年5月~8月に施工されたが、これらは全車一定方向車(上り向き)なので、デハにする際7両中末尾3両を偶数車(下り向き)に変更して偶数番号を付したため、末尾の15年製新型車1両は繰り上がって63260号となり13年製旧型車の1両が63261となって製作年次順序が入れ違いになった。...」
の記載があります。

ただし、この説明に従えば、番号対象は下記のようになるはずです。
43850 ⇒ 63255
43851 ⇒ 63257
43852 ⇒ 63259
43853 ⇒ 63261
43854 ⇒ 63256
43855 ⇒ 63258
43856 ⇒ 63260

ところが、「旧型国電車両台帳 院電編」によれば
43850 ⇒ 63257
43851 ⇒ 63255
43852 ⇒ 63256
43853 ⇒ 63261
43854 ⇒ 63258
43855 ⇒ 63259
43856 ⇒ 63260

で、43852、43854、43856 の3両を偶数向きに方転したことなっています。
これは公報記載の達示を正しいとしての記述だと思います。どちらが正しいのでしょうかね。

あと、デハユニ43850改デハ63100は、側面の窓扉配置の外、もとの形態を反映して、前面非貫通のまま、というのが特徴の一つですね。


●原口さんの、「のの字運転」時、「中央線と山手線の向きが違っていたのではないか?」について

モハ10002の写真が奇数向きであるを以て、「のの字運転」の名残の可能性とする説は、上の通り否定されます。

当初は甲武鉄道引き継ぎの車庫が新宿にあり、中央・山手両線の電車を担当していました。
品川、池袋の車庫は新宿庫の派出から出発しています。
歴史的には、中央線の電車と山手線の電車は、新宿で向きが同方向だったわけです。

中央線の万世橋から東京延長は大正8年3月で、その際山手線の電車の東京駅から中央線乗り入れが開始されたわけですね。
ところがこのように山手線の電車が中央線に乗り入れると中央線の電車と逆向きになる。
それだと不都合だから中央線の電車は方向転向していたのでは、というのが原口さんの説ということでしょうか?

MGを装備して100Vを発電し、これを制御回路電圧としたのは、デハ63100形の途中からで、それまでは制御回路は600Vを使用していたんですね。
この時代のつなぎがどうであったのか、解説をみたことがありません。
「国鉄電車発達史」にもその辺りのことには触れられていません。
当時の電車の写真をみると、両端にジャンパ栓がついてはいるのですが、
もしかすると向きに関係なくつなげる構造だった可能性もあるのではないかと考えています。
架線電圧の編成内引き通しは必ずしも必要でなく、制御回路のみ引き通せばOK、というようにも考えられなくはないのではと。

果たしてどうだったのでしょうかね。



 

東京駅の中央線

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 7月17日(火)17時45分38秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。
原口さん

10002の件、ご主張に水を差すようで恐縮ですが、運用の都合というより車両自身の問題であると考えています。さすがにオリジナルの写真は鮮明ですから、2位にカップラーを収容する箱(現代で言うところの開放栓受)が確認でき、1位に7芯カップラー1本を収容していた小箱の撤去痕が明らかです。すなわち10002の実態は奇数車と考えられます。

先に話題となったデハユニ由来の10156も奇数向きなので同様の問題を抱えていますが、デハユニを奇偶作り分けることはあり得ませんから、おそらく本来のデハユニは奇数設計で、この末裔たるモハ10形は車号の奇偶にかかわらず奇数向きとなったのでしょう。では10002の場合は? 鋼製化モハ50形の最初期車や中央線へ投入されたモハ51形のように、一定のロットが車号の奇偶にかかわらず同方向であったのか、需給関係の影響で事後に方転させられたのか、木製車に不勉強のせいもありますが、情報が決定的に不足していることもあり、そのあたりのカラクリが不明なのです。
 

7心ジャンパ栓と東京駅での中央線電車の方向について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 7月15日(日)19時58分30秒
返信・引用
  73おやぢさん、皆さんこんばんは

「7心ジャンパ栓」について
 モハ70形の「7心ジャンパ栓」について、情報をありがとうございます。併せて、関東の「7心×3」と関西の「12心×2」の「12心×2」への統一の時期は63形の大挙投入が機会で、昭和22~23年に行われたとのことで、これらの情報を合わせて、こちらでもまとめてみたいと思います。

 すぎたまさん紹介の写真で、東京駅の中央線の電車が偶数車が南を向いている理由ですが、「のの字運転時代の名残」の可能性が有ります。以前に別のところで中央線の車両の方向が話題になったことがあり、その時に作った図を添付します。「のの字運転」の時代は東京駅から山手線へ直通していたので、東京駅で中央線電車と山手線電車は同じ方向を向き、新宿駅では逆を向いていたはず(右の図)ですが、現在は新宿駅で中央線電車と山手線電車は同じ方向を向いているので、東京駅では中央線電車と山手線電車は逆を向いていることになります。このため、上野―東京間開通によって、「のの字運転」から中央線が切り離された後、どこかの段階で中央線電車の「方向転換」が行われたはずなのですが、「いつ行われたか」という記録が発表されていません。下限は、中央線に投入されたモハ51形(001~026)は「偶数向き」で「浅川(高尾)方」なので、現在と同じ方向になっています。先方で話題になった時は、総武線の「両国―御茶ノ水間開通と電車運転の開始が機会になったのではないか、との説が出ました。
 

レンタル掲示板
/247