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電源やブレーキ

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 4月 9日(月)06時57分1秒
返信・引用
  原口さん、みなさんおはようございます。

電圧の不安定について
これは電車のMGでも同じだったのではないかと思われます。架線の電圧が上がれば、MGの回転数も上がり、架線電圧が下がればMG回転数も下がるという関係かと思われます。そのため、自動電圧調整装置(AVR)が取り付けられていたわけでしょう。
MGがSIVになった時、よく車内照明のちらつきがありました。あれは架線から瞬間的な離線があったり、ノッチの入り切りの際に起こっていたりしましたね。

LEDについて
おそらくLED灯は(分解したことはありませんが)、定電流ダイオードなどが入れてあると思うので、点灯させる際にLED素子にかかる電流量は一定なんじゃないでしょうか。船舶の照明で、LEDを使用すると長寿命で無いというのは、おそらく塩害とか、密閉器具で温度上昇とか、そのような理由ではないかと思えます。
家庭のコンセントの電圧も、結構変動していて、私が使っているこのPCの接続コンセント部分で、通常98Vから103Vあたりを変動しています。前に住んでいたところでは、テスターでの測定ながら、104Vを夜中に記録したこともありました。そのため、通常の製品であれば、LED灯に限らず、プラスマイナス10V程度はマージンを見込んでいると思えます。

自動ブレーキを使う運転について
確かに静岡運転所-大船工場の回送列車を写真で見ると、新性能車が前になっているシーンは無かったように思えます。
添付の画像は、京浜急行(またしても(笑)。偶然ですよ(笑))1000形用のブレーキ弁ME62形ですが、確かに自動ブレーキ帯は、範囲が狭く、画像に入れた赤い線(電磁直通ブレーキ常用最大)から右側で、ハンドルが止まる位置は、濃いピンク(保ち位置?)、ライトブルー(重なり位置?)、グリーン(常用?)、青(非常)の位置になります。それぞれわずかなハンドル角度の違いになりますから、これでずっと運転するのは、操作感としてかなり神経を使うことになってしまいますね。
なので、やはり新性能車と旧性能車を連結運転する時は、可能な限り旧形車を前に連結するようにしていたと思われます。どこかに80系+153系は、必ず80系を前にしたと記述があった記憶が…(どこに書かれていたか失念)。ただ、165系とキハ58の「異種動力協調試験」の時は、常に165系を前に試運転したそうなので、これは何か特別な装置を165系側に設置したためでしょうね。ノッチやブレーキの読み替え装置でしょうかね。

通勤形車のトイレ問題
西武鉄道の40000系には、既にトイレがありますよね。クロスシートに転換出来る車輌だからとしても、今のところ特異な存在です。しかし、この先高齢化社会は非常に急速になりますし、内蔵関係の障害を持つ人も増えるでしょう。そのような時代になった時、通勤車輌でもトイレの必要性が増すと考えられ、時代としては通勤形車輌へのトイレ取り付けは必然のような気もします。

少々尾籠な話で恐縮ですが、小田急線で通学しておりました折、毎朝下りの各停に乗るのですが、乗車後まもなく腹が…ということが案外ありましたね(笑)。そうすると、成城学園前や向ヶ丘遊園でトイレに駆け込み、後の急行で元に乗っていた各停を追うと、その先で追いつけ、学校にもちゃんと間に合うなどという生活を送っておりました。
最近は複々線などで高速化が図られ、通過待ちとか、緩急連絡など無くなる方向ですので、トイレに行ったら、もう電車はどんどん先に行ってしまい、追いつけたりはしませんね。時代の流れをここでも感じます。そういう意味でも、車輌へのトイレは必要…かもしれませんね。
余談ですが、東北沢駅(今はトンネル駅ですが)のトイレを利用した際、回りの柱が37kg古レールで出来ており、皇紀年号2608年10月製ばかりであるのに気づいたという「事件」もありました。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 
 

電源とブレーキについて

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 4月 7日(土)09時40分34秒
返信・引用
  すぎたまさん、皆さんおはようございます

房総、長野原線直通準急の電源についての情報をありがとうございます。
 房総、長野原方面とも80系の印象が強く、153系も同じ運用に入っていたことは思い至りませんでした。RP18-4号は、153系特集であることを見てはいたのですが、入手まで手が回らず、盲点でした。
 電圧の不安定は、船の方で経験があります。波が荒い時、エンジン音の高低に合わせて電灯が明るくなったり暗くなったりしたのを見たことがあります。おそらく発電機がエンジン直結式で、船が前後に揺れることによってスクリューにかかる負荷が変動し、これがエンジンへの負荷を変動させたと考えられます。このため、船には「一般用電源」とともに電圧、電流の変化に敏感な機器を接続する「研究用電源」が別に設けられています。また、LED(発光ダイオード)は電流の変化に弱いと聞いたことがあり、本来長寿命が売りなのですが、電気条件の変化が激しい船で使ったら、半年ほどで不調になった、という話を聞いたことがあります。

新性能車と旧性能車連結時のブレーキについて
 この件は以前、美濃赤坂線の153系が話題になった時に話に出たことがあります。「自動ブレーキ帯」の話も伺ったのですが、新性能車の方から見ると、「自動ブレーキ帯」が使える幅が非常に狭く、実際に自動ブレーキ帯を使うにはかなり微妙なレバー操作が要求されるとのことでした。これに対して旧性能車の方から見ると、ブレーキ操作の微妙さのハードルは下がるとのことで、旧性能車と新性能車を制御装置を無改造で連結する時は、旧性能車の方を前に連結して、旧性能車から操縦していたとのことで、静岡運転所の場合も旧性能の控車(クモハユニ64000、クモハ60069、クモハ12018等)が先頭になっています。準急「草津」の80系と153系の連結ですが、もしかしたら上下列車共に80系の方を前にして走っていたのではないかと思ったのですが、確認してみます。

時事の話題:中央快速線へのグリーン車連結とトイレ取り付けについて
 先日、中央快速線のグリーン車連結についての新たなニュースが発表になりました。中央快速線へのグリーン車連結は、昨年中ごろに、施設の工事の遅れから、「連結を延期する」というニュースが流れたのですが、「2023年度末」と新たな営業開始時期が発表になりました。また、グリーン車の構造も、「東京駅での乗客の入れ替わりの便を図ること等を考慮して」1300mm幅の両開き扉にすることがイラストとともに発表になりました。
 他、私としては驚きだったのが、「WCの取り付け」が発表になったことです。「乗りものニュース」では単に「WCの取り付け」との記述だったのですが、元となったJR東日本のリリースを見ると、WCはグレーン車連結後の新たな6号車の1か所に取り付けることとなっていました。WCの取り付け工事は今年度から始まるとのことで、「原型のE233系の調査」は意外と急務と思われます。
 中央快速線は、101系の投入、201系の投入など、最新の通勤電車の投入される場で、私としては「国電の代表例」のように思っていたのですが、グリーン車の連結、WCの取り付けは、この「国電のイメージ」をかなり変えることになると思われます。
 

簡易電源車連結の非電化区間乗り入れ

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 4月 6日(金)02時24分42秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんばんは。

「草津」号の非電化区間乗り入れですが、鉄道ピクトリアル944号「153系電車」特集号(2018年4月号)に記載がありました(110ページあたり)。
それによると、上野-渋川間は水上方面の列車と併結の上自走。長野原線内はC58+オハユニ71形によるけん引。オハユニ71には「バッテリー搭載」とあります。なので、原口さんご指摘の「バッテリー」がここでは正解のようです。
翌年(1961年)からは、東京-水上・長野原間に毎日運転の臨時準急になり、「上越いでゆ」となり、水上編成は153系、長野原編成は80系という、新性能国電+旧形国電の混結営業編成となりました。これは営業列車としては、自動ブレーキ運転になるので、珍しい形態かと思われます。写真も同誌111ページに出ており、確かに80系と153系が連結し、ジャンパー栓を渡しているのが見られます。
この列車は運転当初(5/6~6月上旬まで)は、「オハユニ71の電源の関係」から、長野原編成に80系を専用したようですが、それはおそらくバッテリーが直流で、80系が直流MG搭載車のため、MG等が交流化されている153系では、不都合だったのでしょう。今のように比較的高効率のインバータがあるわけではありませんし。
それでも、オハユニ71の電源を「改良」し、6月初旬からは長野原編成も153系化された旨記録されています。さらにオハユニ71の車内写真が掲載されていますが、座席を2ボックス撤去し(荷物室などではない)、壁におそらくはアスベスト板を張り、その前にエンジン式小形ディーゼル発電機を搭載。ケーブルはよく見えませんが、手前にナイフスイッチ付きの配電盤も見えます。
つまり、当初はバッテリー、のちにはディーゼル発電セット搭載による153系化がなされたということのようです。オハユニの連結器はどうしたのか、ということですが、おそらくはオヤ35形と同様、片側自連、片側密連にしてあったと考えられます。終着後は転車台で、SLとともに転向したのでしょう。

さて、そうすると、房総地区で運転の夏期臨で、DD13重連+クハ16+153系による臨時準急「汐風」はどうしていたのか、気になりますよね。
これも同誌の113ページに写真その他が掲載されており、こちらは最初からディーゼル発電機による給電であったようです。クハ16形車内には、ロングシートの前の通路に発電機が設置され、壁に向けてケーブルタイで結ばれたケーブルが伸び、網棚方向へ向かっているのが見られます。特に防火対策のようなものは捕られていないようにも見えます。最終的にジャンパー栓に給電したものと思えますが、電圧の不安定などにはどう対処したのかわかりませんね。ディーゼル発電機そのものは、オハユニ71に搭載されたものと、全く同形に見えます。おそらく当時簡易に使えるセットが、これくらいしか無かったのではないかとも思えますが、冷房や半導体の精密な電子機器が多数ある現代では、ちょっと無理な運転でしょうね。

今時は、京王新5000系など、床下搭載のバッテリーで、停電時も最寄り駅までは自走できる(!)という時代です。オハユニ71にバッテリーを搭載して、というのは、当時の鉛蓄電池でなんとかしのいだのだと思えますが、今のように簡易で電力パワーもあるバッテリーが無い時代、相当な苦労があったのだろうと思われます。

なお、旧形国電と新性能国電の併結または混結営業運転は、希有な例でありますが、他にもあったのでしょうか。美濃赤坂線のクモハ60形編成に、サハ153-1が入っていて、営業していたとも取れる記述が、JTBキャンブックスあたりにあったようにも記憶していますが、本当に営業していたのでしょうか。

旧形電車(吊り掛け駆動)と、高性能車(カルダン駆動)の連結運転そのものは、私鉄ではあまり珍しくありません。現在でも、江ノ島電鉄では1000系の1000形から1200形は吊り掛け駆動で、普通にカルダン駆動の他系列と連結運転しています。小田急でも突発ではありますが、8000系と旧4000系の連結代走運転が行われた記録があり、京成電鉄でも704編成には、吊り掛けのモハ1603が入っていて、荷電に使われていましたよね。京王旧5000系も5100系に吊り掛け車があり、普通に特急運用でも併結していましたし、2010系と2700系の連結もありました。
国鉄の場合は、やはりブレーキ方式の違いがネックになって、自由に行えなかったのが実情だったのでしょうか。新性能国電でも、電磁直通ブレーキの「全制動」位置から、さらにハンドルを右側へ回すと、「自動ブレーキ帯」があり、旧形国電同様のブレーキ操作が可能でしたが(これは多くの私鉄も同様)、それを生かすのは、静岡運転所-大船工場への入出場くらいだったのでしょうか。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

ご指摘ありがとうございます

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 4月 4日(水)00時08分44秒
返信・引用 編集済
  田町さん、すぎたまさん、Satokawaさん、皆さんこんばんは
 こちらこそ、ご指摘ありがとうございます。話題を展開していくうち範囲を大きく広げてしまいました。時事的な話題もありますが、原点も重視し、旧型国電の疑問を突き詰めていきたいと思います。

クハ86356と同形の前面窓が少し小さい車について
 「80系湘南電車、最後の頃」P65の「300番台の変形車」で前面窓が少し小さいクハ86356が取り上げられた時、「事故復旧時、クハ86300台標準サイズの窓ガラスのストックが無く、やむを得ず少し小さい窓ガラスを使って復旧した」というシナリオを考えました。同ページの左右の窓の形が異なるクハ86352や、Wikiの方で類似の車と記述されているクハ86344等も事故復旧時に標準サイズの窓ガラスが調達できなかったための応急処置ではないかと思われます。
 ここで、田町さんより、クハ86356と同形の前面窓ガラスが少し小さい奇数向きがの車がいるとの情報があり、「事故復旧時に標準サイズの窓ガラスのストックが無い」という事態が複数回起こることはあるのだろうか(窓ガラスのストックが無いことを教訓として、窓ガラスをストックする方針を徹底したのではないか)と思い、もしかしたら新製時からの特徴かもしれないと思いました。すなわち、車両製作の過程で、前面窓ガラスの部品の不足が起こり、サイズの小さい代替品をあてがったのではないかと考え、クハ86356と並行して製造されていた車が候補になるのではないか、と考えたのですが、落成年月日で比較したところ、クハ86356と同日(昭和33年5月31日)の落成車は、窓ガラスが原型の写真が紹介されているクハ86361だとわかりました。このため、「新製時からの特徴の説」は可能性が大幅に下がりそうです。
 事故復旧とすると、RP誌の「読者短信」等の報告が手掛かりになるのではないかと思います。前面の窓ガラスの寸法が変わるということは前面のかなり大きな破損が起きていると思われ、破損が起きた事故も趣味誌に報道されている可能性は高いのではないかと思います。さらに、趣味誌の場合は、事故車、編成の車号が記述されることが多いので、クハ86356および357,359,363のいずれかが見つかることが考えられます。
 「読者短信」は最近ではRPアーカイブスの「湘南電車時代」で80系関係の報告がまとめられ、この場で以前話題になった京阪神急電の80系の4両増結編成の「クハ86背中合わせ編成」の変遷がよくわかるようになったことから、RP誌だけでなく、RF, RJ誌へ拡大すると、有力な情報が引っ掛かる可能性は高いと思われます。

準急「白浜」「草津」と電源車について
 先日、準急「白浜」と「草津」の電源車について、「発電機を積んだのではないか」と記述しましたが、この考えは12系以降の発電機方式の客車の方を見慣れた立場からの考え方で、電源は「バッテリー」もあると後から思いつきました。バッテリーとなると、客車の床下にぶら下がっているものを思いつきますが、こちらも「必要量はどのくらいか」が疑問になります。バッテリーの場合は、現在でも「電気自動車」で話題になる「電源ステーション」をどうするかという問題もあり、電源ステーションを千葉および渋川に局限して、「白浜」の場合は千葉から館山辺りまでを往復するのに十分な電気容量、「草津」の場合は渋川から長野原(現在の長野原草津口)までの往復分に必要な量、「草津」の場合は冬も運転したので暖房の分だけ必要電気量が増大するので、それに見合った量のバッテリーを増載したのではないかと考えられます。

72系と80系の間の幌の連結について
 72系と80系を臨時に連結した「白浜」ですが、上記の「クハ86背中合わせ編成」」の話題の時、「何故背中合わせになったのか」という疑問に対して、「事故が起こった時に隣の車両への避難路を確保するためではないか」との説が出たことがあり、「白浜」も何らかの方法で幌をつないだのではないかと思います。
 1枚幌と2枚幌の連結は、時代は下って旧国の末期になりますが、大糸線に例があったことを思い出しました。1枚幌を使っている中に身延線から2枚幌の車が転入した時、身延線から来た車を無改造で、1枚幌と2枚幌を強引につないで対処しており、芝生さんのサハ45型の写真で確認できます。このため、鶴見事故時の70系と72系の連結なら、同様の1枚幌と2枚幌の連結が行われたと考えられます。「白浜」の80系と72系の場合は、「テーパー幌」が必須になりますが、確かに千鉄局内には持ち合わせが有るとは思えないので、調達するとしたら大井工場からではないかと思われます。
 

大目に見てます

 投稿者:Satokawa@管理人  投稿日:2018年 4月 3日(火)22時33分48秒
返信・引用 編集済
  皆さん、こんばんは。
田町さん、お久しぶりでございます。

>京急の掲示板?
確かに国電系掲示板ですので、違和感はあります。管理人として当方から原口氏には
“個人のブログを立ち上げて、そちらで思う存分おやりください”と進言させて戴いた
事もあります。
・・・が、この掲示板でネタ不足になり、暫く静寂を保っていた時に時事ネタを投稿して
戴いた原口さんの書き込みがきっかけになり、またコミュニケーションが盛んになった
事もありました。そういう意味で、大きく鉄道ネタからそれない限り、容認しているのが
管理人としてのスタンスです。
ご理解いただければ幸いです。

追記:本件に関しご意見のある方は、本ページの最下段にある『管理人にメール』より直接コメント願います。

http://blog.goo.ne.jp/satokawa_157

 

歳月から考えてある程度は

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 4月 3日(火)05時48分43秒
返信・引用
  田町八十吉さんおはようございます。

あなたのおっしゃりたいことも、わかるはわかるのですが、「旧形国電」と言えば必然的に1987年以前になるわけです。「国鉄新性能電車」も同様です。これは私たちがどうすることも出来ません。「国鉄形電車」に至っても、もはや185系とか、せいぜいステンレスの車輌くらいしか残っていない現状です。
 そのような実情の中、今の時代に至って、新しいことが発見されれば、それは発表出来るでしょうが、雑誌やネットに載っていない全くの新発見、というのは、もう限られているのでは無いでしょうか。

 私も小田急クハ1650形の来歴など投稿しておりますが、一応旧鉄道省の雑形客車改造だからという「名目」で、やや広めの解釈として「旧形電車」の一員として投稿した次第です。
 京浜急行についての投稿が多すぎるとお感じかもしれませんが、これは最近2000形の引退、800形の大幅減少と新1000形の「ステンレス塗装車体」など、私鉄界全体を見渡しても、ニュースと言うにふさわしい話題が連発しているため、特に2000形や800形は、世代的に京急の旧形車230形から400形、500形などと活躍を共にしつつ、それら系列を廃車に追いやった世代の引退なので、投稿が多くなっていると思われます。その意味では、ニュース的な話題があってもおかしくないのではないかと思え、全体として旧形車、国鉄形車、旧形国電の話題のいずれかに関連していれば、「まあ中立」と思われる範疇(全体でバランスを取っているという意味)かとは思えます。

 東武鉄道の旧形車の話題というのが、どのくらいだったのか知り得ませんが、吊り掛け駆動のみを扱えというのであれば、「吊り掛け電車を求めて」さんなど、他にもコメント投稿可能なサイトがありますので、そことはまた違った味があっていいのではないかとも思えます。また、旧形国電の技術というのは、それこそ院電から始まって、1958年に製造中止になるまで面々と続いてきたものであり、その間にはある程度の試行錯誤もあり、私鉄に影響を直接・間接に及ぼしたことは確実です。特に東武や西武、相鉄など影響が強く及んだところもあり、それらの話題は不可となってしまうと、国鉄車の払い下げ車についての議論も出来なくなってしまいます。
 また、吊り掛け駆動にのみ限定してしまうと、カルダン駆動やクイル駆動の試験を行ったモハ40030や40044のことは書けなくなってしまいますし、長期にわたり新性能車と連結していたクモニ83などのグループも、電磁直通ブレーキなので話題として微妙になってしまいます。三井三池のホハ200だって、自社発注車ですし、動力は無い(客車)ですから、旧形国電ではありませんね。

 なので、ある程度の脱線はあってもいいのではないか、全体としておおよそのバランスが取れていればいいのではないかと考えますがいかがでしょうか。管理人様いかがですか?。

 特定の私鉄の話題が多いなとお感じならば、ご自分で旧形国電の話題を振って、そちらに議論を誘導するのも、一つのやり方と思いますがいかがでしょう?。

> 国鉄からの譲受車以外の私鉄車両の、しかも現況についてコメントするのは、あまりに場違いかと思うのは私だけでしょうか?

 はい、私個人としてはあなただけだと思います。

> 常連の方々の顔ぶれが殆ど総入れ替えになっている

 常連という方々がどのような方々であったか、私はここ10年程度の参加歴だと思うのでわかりませんが、私などにとっては、あなたが「新しいメンバー」と思えますけど…。

 先にも書きましたが、このような「学究的掲示板」の場合、時に議論は白熱し、言葉の応酬になることもなくはありません。しかし、そうした議論も含めて、またやや広い話題を扱うことも含めて、「研究」「学究」ということは進むのではないかと、私は考えています。

 本件は管理人様のお考えもあるでしょうから、横レス気味でもあり、このくらいにいたしますが、田町八十吉さんの書き込みには、違和感を禁じ得ません。

 失礼いたします。
 

少々苦言

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 3日(火)01時04分24秒
返信・引用 編集済
  何年もこちらを訪れていなかったにも拘わらず、いきなりこのような事を申し上げるのも心苦しいのですが、ここは「我が心の飯田線」掲示板であり、当初は飯田線やその他路線の旧形国電全般のみ、その後は多少範疇を広げて国鉄形新性能電車にも門戸を開いたとの認識でおりましたが、久々に訪れてみてびっくり仰天!
いつから京急の掲示板になったのですか?
私鉄の事を書きたければ、それなりのファンサイトが開設されていると思います。

国鉄からの譲受車以外の私鉄車両の、しかも現況についてコメントするのは、あまりに場違いかと思うのは私だけでしょうか?

以前も旧形国電の知識は殆ど無く、東武の吊り掛け車ばかりに関心を示す常連の方がいらっしゃり、あまりに話題が嚙み合わない事に歯痒い思いをさせられた記憶や、80系ファンを自称する方とプライベートでお会いしてみたら、「飯田線にクモハ42の単行定期運用があった。」とか、「1960~70年代の静岡運転所の111・113系4連には東京口15連増結運用があった。」などと出鱈目を主張し始め、辟易した記憶がありますが、このような状況が続くようなら、結局居心地が悪くなってまた長期休眠状態に陥りそうな気分にさせられました。

そもそも、常連の方々の顔ぶれが殆ど総入れ替えになっているのも、上記のような理由があるのではないでしょうか?
 

80系の非電化区間直通列車について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 4月 2日(月)23時21分9秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

80系に関連して、RF誌で連載されていた80系の記事が先月発売の号で全9回の連載が完結しました。
 最終回は、末期の動静とともに、80系を使った臨時列車が紹介されました。その中には、先日話題になった房総半島直通の準急「白浜」と、長野原線に直通した準急「草津」も紹介されています。両列車は、非電化区間直通のため、電源車を臨時に連結(「白浜」はクハ16形、「草津」はオハユニ71形)して機関車牽引で運転されたことが知られていますが、今回の最終回では、「電源車を連結して機関車牽引されているところ」の写真が掲載されています。実は、「電源車を連結して機関車に牽引された」という記事を読んではいたのですが、写真の紹介例は非常に少なく、少なくとも80系末期のRP77-8号の80系特集以降の各趣味誌の80系特集では写真を見たことが無かったため、今回掲載の「電源車を連結して機関車牽引されているところ」の写真は非常に貴重だと感じました。
 ところで、両列車とも80系の4両編成だったわけですが、4両編成分のサービス電源をまかなう分の「電力量」はどのくらいでしょうか。クハ16形、オハユニ71形が「電源車」であったからには、サービス電源を賄うだけの出力を持った「発電機」が搭載されたはずなのですが、その「発電機のスペック」の記述を見たことがありません。「電源車」の発電容量は、固定編成客車の20系、12系、14系、24系は発電量の記述があり、10系客車の発電用電源の容量も記述があったのですが、いずれも「冷房」が関係しているためにかなりの大容量になっています。これに比べると80系4両編成分の電源量はずっと少ないと思われます。

 また、RF誌の80系の今回の記事では、「私鉄直通の臨時列車」も紹介されています。有名どころともいえる伊豆箱根鉄道駿豆本線、大井川鉄道への直通列車の他、私が初めて知ったのは「上信電鉄への直通列車」です。写真は、「下仁田駅で出発を待つ80系電車」が紹介されています。

三井三池ホハ200形の車掌室仕切りについて
 ホハ200形の車掌室仕切りは、「西部警察」の映像(昭和53年当時)ですが、2本のポールが立ち、その間の中間の高さに板が取り付けられている、「中央に運転台が有る路面電車」のような感じであることが確認できます。この構造はホハ100形も同じです。
 ドアの開き方は、「西部警察」でも、車内で車掌室の方に向かって見て、左側の一番後ろの扉(モハ63型でたとえると2-4位側一番前の扉)から、源田刑事(刈谷俊介)が、「右手に拳銃を持ち、左手でドアを開けて車内に乗り込んできた」ことから、ドアが車掌室側へ開くことと、ドアエンジンが付いていない、手動の扉であることが確認できます。
 

もろもろ

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 4月 2日(月)03時58分13秒
返信・引用
  田町八十吉さん、みなさんこんばんは。

Wikipediaの件
80系にモハ72混結の「白浜号」の件は、「自身で加筆せよ」とのことですが、自サイトには既に記述しており、検索でも引っかかってくると思いますので、わざわざIPなどを晒してまでの加筆の必要性を、自分では感じてないということです。そのため、よく加筆なされて居られる方に、よろしくお願いいたしたいと存じます。

湘南スタイルの代表形式の項、少々対象が広すぎるの件
例えば大山観光電鉄の鋼索線まで広げるとすれば、駒ヶ岳ケーブルはどうなのかとか、摩耶ケーブルも…とか、際限が無くなるようにも思えるのですが…。また一律に高運を除いてしまうと、西武新101/301系はどうするか(近江鉄道で現役ですし…)、117系も「急電」の後継車輌である背景を考慮すると…など、不整合が起こるので、個人的にはおおよそのところで切り上げ(笑)、あとは「等」とするとかで対応するしかないのかもと考えます。

モハ72の混結について
横須賀線でのモハ72混結は、「直接サロ85と連結したか」が不明なのが1点と、原口さんご指摘の「テーパーホロ」を使うのではなく、サロのほうのホロ枠を改造してあったと推定出来(普段モハ70や、サハ48、クモハ53等と連結しておりましたので)、準急「白浜」の場合は、直接モハ80との間にモハ72を挟んでおり(当然塗装も合ってない)、その時の千葉局にテーパーホロが常備してあったとは思えないので、ホロはつないでいなかったのでは無いかなど、ちょっと異質の混結と考えらるのが2点目として、これら点は横須賀線と白浜号では少々性質が異なるようにも思えます。

三井三池ホハ200形がサハ78車体の件
これは「レイル」誌の記述が(たぶん)間違っています。あれはサモハ車体ではなく、当初サハ78車体で、のちに乗務員室ドアが追加されています。
その証拠としては、ホハ203号の落成時写真(何かの雑誌に掲載があったのですが、誌名や号数など失念)には乗務員室ドアは無く、その後の写真にはあるので、後天的改造であることは明白です(これ、RF誌には指摘したのですが、完全スルーでしたね(笑))。
また原口さんご指摘のように、ドアの開く方向がモハ63のように一定方向では無く、中央から両側に開くようになっており、これはサハ78形の特徴であり、登場時には他に例がありません。
その他後年ドアが付けられたと見られる「乗務員室」は、仕切りが無く、ポール仕切りのみで、最初から設置されていた様子はありません。
「乗務員室ドア」の寸法が、モハ63と異なります。
両側非貫通で、車内にセンターポールが無く、その代わりに乗降ドア脇に手すりが立ち上がっていること、後年貫通路が片側、または両側に設置されたのも、鉄道車輌統制会の割り当て外であることを示していると考えられます。
これらの諸点から、三井三池のホハ200形は、サハ78形車体で落成し、必要に応じて乗務員室ドアを設けたのであろうと考えられますが、落成時写真で公表されているものは、ホハ203号しか今のところ見当たらないので、他車が厳密にどのような形状だったのかまではわかりませんから、一応「あろう」という表現にしております。

田町八十吉さんとは、某巨大掲示板でのコテハン時代から、実はやりとりがあったはずです(笑)。真実を追うために、各自の知識を結集し、情報を集結することで、見えてくることは多数あると思えますし、このような学究的掲示板の存在意義でもあろうかと思うところです。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

前面窓ガラスの小さい奇数向き1958年度製86300番台

 投稿者:田町八十吉  投稿日:2018年 4月 2日(月)02時16分4秒
返信・引用 編集済
  前面窓ガラスが小さい86356の存在はこのサイトにリンクの田中景一さんのサイトや「80系湘南電車最後の頃」p65でも明らかになっていますが、もう1両、同様の改造を受けた岡山所属の奇数向き車が居た筈です。「保育社のポケット図鑑4 電車」(野村薫著 1977年刊行)のp104に赤穂線で運用中の当該車両の写真が掲載されています。
運転席側乗務員扉後位に梯子状の手摺が設置されている事から、1958年度近車製であるところ迄は絞り込めます。
該当車は86355~363(奇数)という事になりますが、355は松本配属であった事から除外されます。
残るは岡山配属の357~363(奇数)ですが、このうち361のみはネット上で比較的晩年の写真が掲載されており、これを見る限りノーマルです。
http://tsurikakedensha.blogspot.jp/2014/01/blog-post_17.html
結果、357・359・363の3両迄は絞り込めますが、ここから先はお手上げです。

何方か真相を御存知無いでしょうか?
 

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