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レスありがとうございます

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年11月19日(月)15時45分22秒
返信・引用
  73おやぢさん、三鷹事件の編成情報ありがとうございます。

ところが、これが資料によって全然違うのですよ。今回のご指摘では、サハ39が入っていますが、先般の「国鉄鋼製電車史 モハ63形」下巻には、車番のみが記載されています。しかし、事件で損傷した車のみの番号で、
モハ63019、モハ63057、モハ63630、モハ63830、モハ63842の5輌としていますし、7両編成の列車ということになっています(つまり残り2輌の車号が不明)。サハ39もクハ65も出てこないのですが、この車番の列挙の仕方からして、編成順では無く、番号順であろうことがわかります。しかも、クモハやサモハは無かったのかなど、わからないことだらけです。当時の電装状態から、サハやクハに他形式が入らないのはおかしく、仮に63形だけで編成したようなものがあったとしたら、それすら何か別な力が働いていないのか、という気もしてしまいます(もちろん偶然かもしれませんが)。それに、モハ63830はどこに行ってしまったのか?。
最後尾車輌の前照灯が点灯した状態で後進していた(つまり三鷹駅方向に向かって走っていった)という証言もあり、そうだとすると、巷間語られ、犯人とされる竹内氏の犯行とする検察側主張は崩れるわけです。編成構成、MT比、車輌の向きなどは、重要なファクターであると考えられるのに、あまり正確に触れられている文献が無い。これは謎ですね。私ら鉄道ファンから見れば、解せないと思うわけです。
原口さんが、桜木町事件の公判記録などに、2輌目の類焼車がサハ78144ではなく、サハ78188になっていると書かれておられましたが、それも含めて、この時代の事件では、およそ科学的・合理的とは思えない捜査が行われ、それが証拠採用されているにも関わらず、重要な点が意図的なのかどうなのか、文献に記載されていないのは、全く理解出来ませんね。
モハ63019は、保管命令が出ていたにもかかわらず、どさくさに紛れてか、床下機器が全く無し(CS-5制御器の外部操作を隠蔽?)、ドア、窓枠すら無し、燃えたわけでも無いのに、屋根板無し、仮台車…。この状態で保管する意味とは何でしょうか。謎ばかりが残ります。

 失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 
 

三鷹事件の編成

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年11月18日(日)17時19分8秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。
すぎたまさん、

「モハ63形下巻」は月末入手予定のため、現在はおあずけ状態でコメントを持ち得ませんが、三鷹事件の車号は20年位前に発行されたNHK出版「三鷹事件」に記載があります。
それによると、東京方から、
63019・63057・39022・63630・39023・63842・65072
の7両編成だったそうです。

同書によれば、事件翌日に現地入りした国労の事故調査団の関係者による証言に「後部2両はどこかへ持ち去られていた」とあります。事故後の早い段階で、おそらく脱線せずに在線していた後部2両は電車区内へ取り込まれたものと思われ、5両しか車号が明らかでないとすれば、「モハ63形下巻」に記載事実の出典は、若干時間が経過してからの資料ということになりそうです。

もっとも、上記「三鷹事件」の本文には「クモハ63形」や「63形は…空襲の被害で相当数が廃車となったが…」という記述がみられ、??の感なきにしもあらずですが、昭和25年1月の配置表によれば、63019・63057・63630・39022は依然として三鷹配置で事故車の注記あり、63842も三鷹配置(注記なし)となっています。39023は池袋配置ですが、39022に池袋転属予定との注記があるので、もともとサハ39形に三鷹→池袋の転属計画があれば、不自然ではありません。また、65072の配置は全く記載がありませんが、同車は中央線用として半車指定を受けた経緯があるので、もともと三鷹配置だったはずです。以上から、本文の記述にあやふやな個所があったとしても、まずもって同書の車号は信用できると思います。

ただひとつ、不思議なのは上記編成が基本+附属になっておらず、分割併合ができないことです。当該編成は翌朝6時42分発の上りに充当予定だったということから考えると、ラッシュ時のみ運転して昼間は電車区に取り込んでしまう、なにか特別な運用だったのかもしれません。
 

買収国電の機器標準化の類型

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月18日(日)13時29分1秒
返信・引用
  先日RP00-11号(特集 JR山手線)を購入したのですが、この中にRP00-4臨時増刊号「釣掛電車の響き」の補足訂正記事がありました(P112~)。「釣掛電車の響き」には、買収国電の記事もあり、訂正とともに、補足記事もあり、その中で「機器の標準化」についての記述がありました。走りに関係する機器に注目して「(1)台車、モーター、制御器を全て交換」「(2)台車、モーターを交換」「(3)制御器を交換」3パターンに分けられるとしており、変化が起こったのは線区の事情が大きいらしいとのことでした。
(1)の全交換は、元鶴見の1510,1520(関東型3扉車のモハ)や、鳳来寺の1700に見られるとのことで、標準化とともに(2)にも見られる「出力強化」の方針も見られます。
(2)の台車、モーター交換は、「出力強化」の要請の面もあり、典型的なのが仙石線に残った宮城社型モハ2320形で、DT10,MT15化され、モーター出力が59kwから100kwに上がり、この見方だと「MT15に適応する台車」への交換が行われたことになります。これに対して、制御器はHL制御のままで、社型だけで編成を組んでいたのが有名ですが、電力が2倍近くなったため、「HL制御の単位スイッチや抵抗器の容量はどうしたか気になった」との記述がありました。電圧が同じだと、電流が2倍近くなるわけで、けっこう徹底的な絶縁強化が必要になったはずです。足回り交換は、他に富士身延があり、こちらは省の管理が長かったための保守からの標準化の要請が早かったからではないかと考えられています。
(3)の制御器の交換は阪和社型のCS5からCS10への交換が有名ですが、他に福塩線、可部線から富山港線に移動した買収国電の一群がCS5に統一されていました。こちらは、買収国電が寄せ集まったための、「制御装置の統一」の要請があったためと考えられます。末期の富山港線のクモハ2000形も、制御器がCS5になっていたのが「私鉄買収国電」の写真からもわかるのですが、原型の「南武鉄道モハ150」時代はHL制御だったとの記録があるそうです。ちなみに「私鉄買収国電」収録の南武鉄道モハ150形の形式図では、「複式制御器」としか記述がありません。また、制御器が最初からCS5だったような記述もあり、富山港線時代のクモハ2000形のCS5が、新製時からのものか、HLから後から交換されたのか、調査課題として残っているとのことでした。

この中で興味深いのは、(2)で示した宮城社型モハ2320形で、仙石線に残った車は制御器はHLのままで、足回りをMT15,DT10に交換していますが、ただ1両転出したモハ2326は、足回りはそのままで制御器をCS5に交換しています。モハ2326は富山港線でも走っていて2色塗りになっており、「宮城社型だけで運用できた」仙石線と、「複数社由来の車の混成だった」可部線~富山港線の事情の違いが伺えます。
 

都営三田線志村検車区イベント(その3)備品いろいろ

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月18日(日)12時33分36秒
返信・引用
  床下機器等、関係の機器もいろいろ展示されていました。

写真上は「パンタグラフ」ですが、最近の主流の「シングルアームのパンタ」が無く、従来型の菱型のパンタだけの展示でした(他は、昇降デモ用の大江戸線用の小型の下枠交差形パンタだけ)。6300型は、パンタの交換はまったくしてなく、従来型のパンタ一本で、「シングルアームパンタを全く扱っていない電車区」は現在の大手私鉄あるいはそれに準じる規模の鉄道会社の電車区としては珍しいのではないかと思います。
写真中央はモーターで、写真下は空気圧縮機です。管理している車両が6300形だけなので、「モーターの形」としては同じ形のものがずらりと並んでおり、また、「モーター」は基本形が完成しているので、形式が変わってもあまり形態の変化が出ないように感じます。これに対して空気圧縮機は、以前に東武や西武の工場の報告でも触れましたが、形態としては「鉄道会社ごとの個性」が強いものだと思います。
 

都営三田線志村検車区イベント(その2)都営6300形の台車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月18日(日)12時19分1秒
返信・引用
  工場建屋内でもいろいろ公開されていましたが、建屋がかなり細長いため、領域としては高島平側になります。

今回も「車体と台車の結合」に注目しました。写真上は台車枠、中央は車体と台車の間に挟まる空気ばねの枠、下は台車側の結合部位です。
「車体と台車をどこで分割するか」は、工場によって個性が有るように見えます。大井工場、大宮工場で見た台車は、台車の中に空気ばねが一体となって組み込まれているため、「台車(空気ばね内臓」―「車体」の1か所連結ですが、私鉄では「台車」―「空気ばね」―「車体」の2か所連結になっており、車体を吊り上げる時に「空気ばね」を台車側に残すか、車体側に残すかが工場ごとに異なっています。このため、JR系統の台車を見慣れていると、床下の様子に違和感を感じることがあります。
 

都営三田線志村検車区イベント(その1)都営6300形1~3次車の「無線アンテナ」

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月18日(日)11時59分49秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

昨日(11月17日)都営三田線の志村検車区の公開イベントがありました。都営地下鉄のイベントは浅草線の馬込検車区へは何度か行ったことがあるのですが、志村検車区の訪問は初めてです。今回のイベントでもいろいろ見てきたので報告したいと思います。

車両の公開は都営6300形オンリーでした。志村検車区の敷地は隣の駅まで及び細長い地形で、横に並ぶ電留線の数は少なく、浅草線の馬込検車区のような、乗り入れ車両のゲスト出演はありませんでした。
並んでいるのは右から1次車(6305まで)、2次車(6314まで)、3次車(6315~6337)で、ここに並んでいる車では、スカートの形に明瞭な違いがあります。6300形は、相模鉄道への乗り入れ開始に合わせて置き換えが始まるということになっており、今年から置き換えが始まることになっていたのですが、連絡線の建築が遅れているため、置き換え用車両の製造が先送りになりました。このため、しばらくは6300形が走り続けることになります。
 観察で、屋上の列車無線アンテナの変化に気づきました。写真中央は中央の車の無線アンテナの拡大ですが、上の写真では右の車には付いていますが、左の車には付いていません。また、写真下は反対側の先頭車の屋上ですが、こちらは、SRアンテナになっています。京急の車にSRアンテナが追加されているのを報告しましたが、三田線の車のアンテナは「SRアンテナへの更新?」「東急線直通への対応で、東急線内で先頭に立つ車だけアンテナを交換した?」等を考えてみました。
 

Re: 失礼致しました。

 投稿者:ゆう  投稿日:2018年11月15日(木)22時58分50秒
返信・引用
  > No.446[元記事へ]

クハ103-614はJR東日本になってから更新前は原型鋼製ドアで、更新時に横浜線南武線205系入線と同時に、側扉・貫通引き戸が横浜線南武線205系と同じステンレス製金枠式のものに交換されて、冷房装置はAU75で205系並みになってきて、ほかの形式113・115・165・415・455系も205系並みになった車両もあります。
 

モハ63形の本・書評

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年11月12日(月)14時35分56秒
返信・引用
  みなさんこんにちは。

車両史編さん会さんの、「国鉄鋼製電車史 モハ63形」上・中・下巻が完結しました。3分冊に渡る労作は、資料集めから検討、掲載のためのデータ化など、膨大な作業であったろうと察することが出来ます。
ここで話題に出た、母線配管の話や、TR25A台車の呼称問題、その他についても、意外に資料になりそうなことが記述、もしくは掲載されています。
その労作には敬意を表しつつ、いくつかの問題点・疑問点を指摘しておきたいと思います。
気になった点としては、
1.私鉄割り当て車について、東武のクハ7800、7801号、東急小田原線クハ1851、1852号が、相変わらず「自社発注」となっている誤り。
2.多少の誤記。
3.TR25A、TR35、DT13の関係が明示されてない。
4.全体に電車であるためか、図面中心の構成になっていて、同じ編さん会の「オハ70系の一族」に比べて甘さを感じる。
5.三鷹事件における編成表すら掲載されていない。
…というようなところが気になります。

1について、東武と東急の車で、運輸省番号が無い車は、当時鉄軌統制会(のち鉄道車輌統制会)の割り当て車には、当然入っていた車輌であり、自社発注など出来る時期では無かったのは明白なのに、俗説を取り入れてしまっている。ただし、三井三池ホハ200形を自社発注としているのは正しく、さらにサハ78の車体(巷間書かれることが多い、サモハとか、モハの車体というのと違い)と明記しているのは、今までの資料に無い明記事項かと。
2については、まあ編集上の問題なので、ある程度やむを得ないが、訂正表はHPなどに出して欲しい。
3については、生方良雄氏著の「小田急1800形」に記載がある。それも読んでいないのだろうか(刊行時期的に間に合わなかった?)。実際は流電用のTR25AはDT12Aへ、昭和21年頃のTR25AはTR35を経てDT13と改称されている。DT記号で分けるようになるのは、昭和24年では?。そうすると、モハ63855~858以外は、全てTR25AまたはTR35で出場しているはずで、台車に銘板があれば、その刻印があるはず。小田急デハ1811号の台車を観察したところ、はっきりTR25Aの刻印があった(私が実見)。その後の振り替えが無いとすれば、デハ1802のものを転用したはずなので、つまり旧モハ63052の台車はTR25Aとなっていたということである。
4について、モハ63形は、粗悪車のイメージがつきまとうが、図面集のページなどを見る限り、想像よりはきちんと作られていることがわかる。オハ70系のほうが、場当たり的な設計変更や、仕様変更が多い。そのあたり図面が多いのも、資料性としては貴重なのだが、図面が読み取れないものもあり(縮小の関係と、元図面の不鮮明によるものと推定)、本文も、重要な部分が不明だったりと、歯がゆいところが少なくない。これはまあ、資料の限界というところであろうが、値段を考えると少々残念。
5について、モハ63019はつとに有名であるが、最近再審請求された事件であるにもかかわらず、わずかな行数しか触れていないのが気になる。そもそもモハ63019を先頭に、同じ向きにモハ63057が連結されていたのであるが、その他の車輌の向きや編成全体、特に最後尾車はAFCまたはAFSであったらしいが、結局番号なども記載されていない。桜木町事件のほうはきちんと記載があるのに、モハ63形が関係した事件の割に、掘り下げが少ないのは残念。6輌編成であったとされているのに、事故車輌が5輌までしか判明しないのはなぜか。また先頭車輌であるモハ63019も、当初は屋根まできちんとした形態をなしていて、地検の保管命令が出ていたのに、なぜ台車が失われ、やがて屋根板が失われ、結局台枠と骨材だけになってしまったのか。撮影期日も書かれてない編集には疑問を感じる。

 とまあ、少々辛辣なことも書きましたが、細かい点を指摘したくなるほど、全体の読み応えはあるということではあります。ここで問題になっていた、「逆向きモハ72110」なども、一応「偶数向きモハ72改造車」として、具体的な車番とともに記載があります。初期の改造年次に何輌か見られるようです。
また、ここで以前出た他の話題としては、原口さんが述べられたモハ60形のコロ軸受け試験や、軸箱試験なども記事があります。
貫通ドアが無い車についても、触れられてはいますが、具体的な番号は記載がありません。
もちろん重要な資料書籍ではありますが、正直、多少の物足りなさを感じる部分もある、というところでしょうか。
本来ここに書くことではないのかもしれませんが、本掲示板の進行の様子から、スルーも出来ない話題だと思うので、あえて書評させていただきました。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

飯田線旧型国電のイレギュラーな編成

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月11日(日)12時27分40秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

RM Modelsで、KATOの飯田線旧型国電に関連した連載が掲載されています。この中で、車両の「方向」に注目して、「あったかもしれない編成」「理論上可能な編成」等が掲載されています。記事には現車の写真も紹介されており、けっこういろいろな編成が実現していたことがわかりました。
 写真上は、先月発売号掲載の写真から、「クモハ54007」が入った「豊橋機関区40番台運用」の編成です。KATOでは、クモハ42型2両連結の編成、クモハ54 - クモハ50 - クハユニ56の編成を発売していますが、奇数向きのクモハ54形も40番台運用に入っていたことを示す珍しい写真です。この編成が意外だったのは、40番台運用に入る編成は「クハユニ56 - クモハ」の編成にクモハを増結する構成が基本だと思っていたので、逆パターンの「クモハ - クモハ」の背中合わせの2Mの編成にクハユニを増結する構成が存在しえたことです。
 写真下もRM Models先月号発表の写真で、写真ではクモハ50008 - クハ86 - クモル23050の編成で、浜松工場への入出場回送で実現した編成です。模型の方は、手持ちの車からクモハ50000 - クハ86308 - クモヤ22201で編成を組みました。浜松工場への入出場回送列車は以前も話題にしたことがあり、飯田線内で走った4M編成や、クハ47-クモヤ22の編成などの例があったことを紹介しています。
 イレギュラーな編成では、運転台の貫通路の機能が残っている車が中間に入ることが多いのですが、クモハ54007は、飯田線のクモハ51,54形で、貫通路が機能していた唯一の車でしょうか。
 

モハ63形のクモハ73、クハ79形への改造に当たっての方向など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月 4日(日)01時40分59秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

豊川分工場での更新修繕について
 豊川分工場での工事については、以前にクモハ61形のうち、中央扉が前へ開く「特異車」であるクモハ61005に関連して、クモハ61形の更新修繕に関連して話を伺ったことを思い出しました。最近話題になった元モハ40型クモハ41型の方向と床板機器配置とも関連するのですが、豊川分工場では、基本的にプラクティスは大井工場に従うのですが、クモハ61005に関しては、方向を転換(偶数向きから奇数向き)するに当たり、「車体はそのままで全ての機器を点対象に付け直す」工事が行われたらしい、とのことでした。

モハ30173のDT11台車の行方
 DT11台車のうち、モハ30173については、モニ53008(後のクモニ13008)の火災復旧に転用されたとの情報をどこかで見ました。モハ30173からクハ47023(後のクハ47011)への改造は、以前も「台枠の謎」で触れましたが、台車が豊川鉄道の客車から転用されたこと等、モハ30173から流用されたものがどのくらいあるのかが不明瞭で、実質的には名義だけの転用が伺えます。

モハ72001~181中偶数番号車の方向について
「旧型国電50年(1)」P169に、モハ72000台の改造について、「初期の72001~181(欠番あり)までは奇数向きは奇数番号、偶数向きは偶数番号のままで中間電動車としたもので(例外があるがそれはモハ63形時代に転向していた車両)」の記述があり、モハ63形時代(昭和20年代前半の混乱期のことか)に電車区内での車両の需給によって片方の先頭車の不足が生じて方転使用が生じ、そのまま改造されたことを指すように読めるのですが、この記述に基づけば、「奇数番号でありながら偶数向きの車」がいてもおかしくないのですが、そのような車はまったく見られない事と、電車区ごとの需給調整の割には奇数向きのモハ72000台偶数車が多いように感じたことから、既述を疑問視していました。34036さんが72000台改造年月日と方向との関係をコンパイルしてくださいましたが、「途中できれいに切り替わる」ことから、「改造時に工事方針が変化した」ことが決定的になったと感じました。

モハ63形からクモハ73形とクハ79形への改造に当たっての方向について
 モハ63形から、クモハ73形とクハ79形(100台)の方向についても気になったので、番号基準で調べてみました。
 「旧型国電車両台帳」によると、モハ63形の奇数番車がクモハ73形の奇数番車、モハ63形の偶数番車がクモハ73形の偶数番車と対応するものが多いのですが、モハ63形の偶数番車からクモハ73形の奇数番車への改造が点々と見られます。例えば、末期まで残った車では、クモハ73169はモハ63578から昭和27年10月20日に汽車支店で改造されています。
 これに対して、サモハ63形は、当初は全てサハ78300台に改造される予定でしたが、予定通りサハ78形になったのは昭和26年度の20両だけで、昭和27年度に入ってからはクハ79形(100台)に変更になっています。こちらは全て偶数方向に揃えられたわけですが、元番号を見ると奇数番号車もいて、末期まで残った車では、クハ79218が元モハ63069です。
 モハ72形の改造は、昭和26年度に多くが行われていますが、クモハ73形の改造は、昭和26年度は吹田工場の020までだけで、後は昭和27年になってからの改造です。クハ79形が全て偶数車になったので、クモハ73形は、偶数車のラストナンバーが「73174」になって、それ以降は奇数番号車が続くのですが、クモハ73形、クハ79形への改造に当たって、モハ63形のモーターのある偶数番号車の奇数向きへの、モーターの無い奇数番号車の偶数向きへの方転を行う「方向の整理」が行われたことが伺えました。もし、サハ78300台への改造が、当初の予定通りに行われたとしたら、クモハ73形の方向は、モハ63形の元の方向通りに行われたものがほとんどになり、偶数番号車は「73200」辺りまで達したのではないかと考えられます。

昭和20年代前半の横須賀線の情況
 先日、RPアーカイブスセレクション34「湘南電車時代」を読み返したのですが、P30の「モハ32形時代の横須賀線電車」の写真が、いわゆる「戦後の混乱期」を色濃く残すものなのに気づきました。3枚の写真(上は昭和24年、中央、下は昭和25年)のいずれも、横須賀線列車にモハ63形が混成されています。上の写真は、2両目にサモハ63形が入っており、「前照灯の台座だけ」が確認できます。中央の写真は「お化け電車」モハ32028が先頭で、2両目はサハ48形、3両目はモハ63形です。下の写真は、横須賀色への塗り替えが進んでいる時代で、3両目がモハ63形ですが、驚くべきことに走行中のはずなのにモハ63形の一番後ろの扉が開いています。戦後間もないころは、扉が破損して、ドア無しで旅客営業をしていたという話はありますが、昭和25年時点では、だいぶ車両は整備されているはずなので、謎な状況です。なお、下の写真では、前から4両目と5両目の車は横須賀色の3扉車ですが、両車とも、パンタグラフが無く、扉間の窓が5枚なので、サハ57形です。

京阪神「新快速」への座席指定車の連結
 最近の話題になりますが、「乗りものニュース」で、「京阪神の新快速に座席指定車を連結する」とのニュースが出ました。更新工事の始まった223系1000番台のうち、4両編成のクハ222形を、2扉の「座席指定車」に改造(12両編成の9号車に連結)するとのことです。
 京阪神快速線の「グリーン車」は、55-10改正で廃止になりましたが、その後、「新快速へのグリーン車の連結」がしばしば話題に上り、1990年代前半にはアンケート調査が行われたとの情報を確かRJ誌のニュース欄で見たことがあります。今回の「座席指定車」は、いわばグリーン車の復活になるのですが、「普通車指定席」扱いで、名前は「Aシート」になるとのことです。位置づけとしては、JR北海道の新千歳空港連絡快速「エアポート」の「μシート」に類似しているといえます。

学研「よみがえる貨物列車」より
 学研より「よみがえる~」と銘打ったシリーズの本が出版されていますが、そのうちの「よみがえる貨物列車」を購入しました。仔の魔かに珍しい写真がいろいろあったので紹介したいと思います。
 P101に「EF65形77号機」が牽引する特急貨物列車の写真があります。EF65 77は、現在東芝府中工場で保存されている「EF65 535」の改造前の車です。EF65型500番台のうち、EF65 535~542は、EF65 77~84から改造された車で、製造から1年足らずで改造されたため、「EF65 77時代の写真は非常に珍しいといえます。
 P41に「家禽車」パ1形の写真が掲載されています。「家禽車」は「パ」の記号が設定されていたことを知ってはいたのですが、現車の写真を見たことが全く無く、「記号の解説」だけの存在だったので、写真は貴重だと思います。「家禽車」としての特別な装備は、「5弾の棚を設置して70個の鳥籠を詰めるようにした」ことで、この「鳥籠」は、中国や東南アジアの市場で見る、「鶏が入った籠」のことで、日本でも中国やアジアと同じように鳥籠が使われていたことを示すものでもあります。
 動物輸送関係では、P26に「豚を豚積車に積むためのプラットホーム」の写真があります。豚積車は2段になっているのが特徴ですが、プラットホームの方も豚積車に合わせて2段になっています。元は絵葉書の写真のようで、解説文に「豚の置き場と言えば何だか汚い感じを持つ人もいるかも知れないが、豚の出荷の多い駅ではどうしてどうしてこんなモダンな待合室を作ってサービスしている。そしてここから直接に専用の豚積車に積んで運送されるのである(現代風の表現に適宜変換)」とあります。
 記号の解説がP18~19にありましたが、明治44年改番の記号に、「炭水貨車」を示す「タス」の記号が有りました。蒸気機関車のテンダーのことを示すようで、テンダー機関車が珍しく、機関車とテンダーが別の車と認識されていた時期があったことを反映しているようです。
 

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