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1973年末の富山港線クハ79220とクハ79244

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年10月10日(土)02時24分47秒
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  皆さんこんばんは

富山港線73系の情報を調べていたところ、1973年11月25日撮影のクハ79220とクハ79244の写真を見つけました。「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」P112に、同日撮影のクハ79220の写真がありますが、反対側の側面(公式側)が写っている写真です。当日の編成の記録もあって、クモハ73305-クハ79928-クモハ73363-クハ79220、クモハ73361-クハ79244の編成を組んでいました。
 前面の箱サボ枠は、クハ79220は「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」でも、残っていることが確認できますが、クハ79244の方も、残っていました。このため、両車とも「1973年11月26日よりも後」、「1974年9月24日までの間」に箱サボ枠を撤去したことになります。また、クハ79244はDT13台車の装備が明瞭に確認できました。同車は慶大鉄研三田会「若き血に燃ゆるもの」の1970年7月の写真ではDT12台車が確認できますが、その後のRP72-5号の1972年2月20日の写真等の写真では台車が確認できず、DT13に換装していたことを示す最も前の写真になります。他、「京浜東北」の線名プレートがまだ残っていることも確認できました。

 他、富山港線が富山ライトレールに転換される際の、転換記念のオレンジカードの写真が見つかったのですが、富山港線ゆかりの車として、73系と475系の他、クモハ2000形の写真が使われていました。2色塗り時代のクモハ2006の後位運転台側が写っていました。

 図は、3両のクハ79の前面の変遷を示した図で、前回のバージョンに比べて、1973年のクハ79244の形態が追加されました。
 
 

信号炎管の変化:高崎車両センター115系より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年10月 4日(日)23時47分32秒
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  皆さんこんばんは

先月は、TOMIXの115系「高崎車両センター ありがとう115系号」セットを加工していたのですが、車両の情報(高崎車両センターT1022、T1032編成)を調べていたところ、「信号炎管」が得意であることを発見したので、車両の加工とともに報告したいと思います。

 写真上は、「ありがとう115系号」の編成を組んだ、T1032編成(上)とT1022編成(下)全車です。高崎車両センターの115系は、T1030編成とT1040編成の2本を除いたすべてがリニュアール工事を受けており、電源がSIVに変わっています。そしてクーラーもほとんどが209系に搭載されているAU720に交換されているのですが、T1022編成は、珍しくクーラーが換装されていない車両です。
 加工は、製品の方が、共用を見込んだものになっているので、高崎車両センターの115系の特化させる加工が主になります。屋根は、クーラーが原型のT1022編成の方は、クーラー枠ランボードが斜めになった後期型の形態が表現されているので、トレジャータウンの前期型加工用テンプレートを用いて削り込みました。クーラーが換装されているT1032編成の方は、ランボードが前期型で、クーラーの取り付け爪が1対露出しているものが新規製作されています。一方、T1017編成は新製冷房車だったので、ベンチレーター配置はそのままですが、T1022編成は冷房準備車だったので、先頭車は前から2番目、中間車はパンタグラフに隣り合うベンチレーターを後ろにずらしました。
 車体は、手すりとワイパーの別体化の他、TOMIX製品では省略されているサボ枠の追加(トレジャータウン)と、SIV化によって撤去されたモハ114のMCグリルの削り落とし、タッチアップを行いました。なお、妻のキャンバス押さえは、現車が撤去されていたので、製品のままとしました。クモハ115の運転席側裾にあるKE76ジャンパ栓納めは、TOMIX製品では省略されているので、KATOのKE76パーツを用いて追加しました。クモハ115-1022は
戦闘に立つのでケーブル付のパーツを、クモハ115-1017は中間に入るのでジャンパ栓納めだけのパーツを取り付けました。
 床下機器は、TOMIX製品では以前の製品からの共用があります。クモハ115、クハ115は専用のもの(クハ115はWc付の車)が起こされましたが、モハ115,114は、115系1000番台よりも前に発売していた、113系1000番台ユニットサッシ車のものが流用されており、サハ115はサハ103のものが流用されています。また、クモハ115、クハ115も、製造当初の形態で、末期には機器の追加、移動が起こっているので、クモハ115、クハ115も機器の追加と配置変更を行っています。モハ114は、MGのSIVへの取り換えとCPの換装が行われており、機器の配置がかなり変わっているので、トレーラーのモハ114-1022の方は、サハ115(床下機器配置は実際はサハ103)の床板セットを使って、全面的な再配置を行いました。使用したパーツは、グリーンマックスのJR西日本115系のモハ114のものを中心に、SIVは、近い大きさの箱を並べて接着して表現し、CPは、とりあえず近鉄のシリーズ21に付いていたものを使い、電源ユニットはグリーンマックスで最近発売された武蔵野線205系5000番台から似た形態のものを使いました。動力ユニットの方は、モーターのカバーを根本転記に作り替えることが必須になるのと、モーターの品質が良くなく、新製品のモーターへの換装を考慮して、そのままにしています。

 写真中央は、クモハ115-1022(左)とクハ115-1016(右)の運転台部分拡大です。列車無線アンテナは、以前の115系の加工では銀河モデルの製品を使っていたのですが、今回はKATOの115系1000番台長野色用として製品化されたものを使っています。また、列車無線アンテナのコードを車内に引き込むボックスがグリーンマックスからパーツが出ていたので取り付けました。
 ここで、「信号炎管」になるのですが、両編成は、115系1000番台で一般的な形態の信号炎管とは違った形態のものを付けていたことに気づきました。写真下はグリーンマックスの別売パーツの「8079 屋上機器パーツ(信号炎管・アンテナ)です。信号炎管のパーツは右から(1)低、(2)高・本体厚、(3)高、(4)低・本体厚、(5)高、本体厚・カバー付き、と解説されています。「(1)低」は、三河島事故、鶴見事故を受けて各車両に整備された、信号炎管の最初の標準型と言えるもので、旧形国電では、ほぼすべてがこのタイプです。「(4)低・本体厚」は近郊型電車に固有のもので、115系では300番台に区分されている、ユニットサッシ車に固有のものです。「(3)高」は、115系では1000番台以降の座席改良車に見られるもので、昭和53年度以降の落成車および先頭車化改造車が装備しています。

(以下、10/8修正・追加)
「(5)高、本体厚・カバー付き」は比較的珍しいもので、新潟地区の115系1000番台によく見られることにかねてから注目していました。新製時からの特徴かと思ったのですが、手持ちの写真を見ると、(3)と(5)がランダムで分布しており、後天的な変化があったようです。また、身延線からの転入車と先頭車化改造車は全て(3)でした。
 ここで、高崎車両センターT1022編成とT1032編成に戻ると、まず、T1032編成の方は、115系300番台と同じ「(4)低・本体厚」を付けていました。改めてほかの車も見てみると、300番台と同時に落成していた、昭和52年度落成の115系1000番台(主に松本運転所に配置)は、「(4)低・本体厚」を付けていたことがわかりました。その中で、T1017編成は「(1)低」が付いていたことを確認しました。製造時期を考えると、先祖返りしたようなもので、非常に珍しいものです。他の車はどうかというと、(1)はT1022編成だけ、T1032編成からT1041編成は(4)、T1043編成以降は(5)で、国鉄末期に転入したT1159編成と、碓氷峠廃止時に転入したT1030編成は(3)でした。
 「(2)高・本体厚」は、私の方では見た記憶が無かったのですが、中部山岳―小山―中部山岳と移動した、クハ115-1005は末期にこのタイプだったようで、他、クハ115-1005と同時期に小山から中部山岳へ移った300番台にもこのタイプが見つかりました。
 

秩父鉄道三ヶ尻線熊谷貨物ターミナル―三ヶ尻間の最後

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年10月 3日(土)23時24分39秒
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  皆さんこんばんは

今日は地元の鉄道の話題を報告したいと思います

 2月に「最後の石炭列車」である太平洋セメント熊谷工場への石炭輸送列車の運行が終了することを報告しましたが、関連して、東武鉄道への車輌搬入も、秩父鉄道三ヶ尻線の使用が終了し、10月1日付で三ヶ尻線の熊谷貨物ターミナル―三ヶ尻間が廃止になることになりました。
 写真上は、最後の東武鉄道への車輌搬入となった、500系「Revaty」509編成~511編成9両で、今年度の東武鉄道への車輌搬入もこれで終わりになります。製造は川崎重工兵庫工場で、9月26日深夜に熊谷貨物ターミナルに到着しており、27日に熊谷貨物ターミナル駅に到着した時には既に三ヶ尻線への走行へ向け、待機していました。27日は終日待機で、28日の月曜になって三ヶ尻線経由で東武鉄道へ送り込まれました。探してみると、この最後の車両輸送列車の情報がもう上がっています。
 500系の隣に見えるのは、太平洋セメントの石灰石輸送用貨車「ヲキ100形」です(写真中央)。今日(10月3日)と明日(10月4日)の2日間、熊谷貨物ターミナル駅を会場とした、秩父鉄道の機関車と貨車の撮影イベント(事前予約制)が行われているのですが、これに向けて、貨車を先行して送り込んだものです。予備車として待機している貨車ではなく、使用中の貨車が送り込まれたようで、ところどころに石灰石が乗っかったままです。
 写真下は今日の午前に撮影したイベントの様子で、外からの撮影です。降り次あるの色の機関車が貨車に連結されたほか、4色の機関車が並んでいます。これらの機関車は、30日夜、および2日夜にはまだ熊谷貨物ターミナルにはいませんでした。このイベントは元々3月末に補機10000形石炭専用車を使って行われる予定だったのですが、中止になり、改めて企画されたものです。
 

上越線~高崎線2954Mと、両毛線のクモユニ74連結普通列車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 9月20日(日)00時28分55秒
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  皆さんこんばんは

 先日、「国鉄電車編成表」1978年版に、水上発籠原行2954Mが、クモユニ74形3両+115系4両の編成であるとの記述があることを紹介しましたが、以前にクモユニ74200台も製作していたので、編成を再現してみました。

 写真上が再現した2954Mで、クモユニ74形が2両なので水上から高崎までの列車です。クモユニ74200台はMICROACEの製品で、大型ライトの000台は後にKATOからも出ているのですが、シールドビームの200番台はまだMICROACEが唯一の製品です。車号は200と206を選択しました。両車とも常磐列車無線アンテナを装備していたので、アンテナと配管を表現しましたが、配管の引き回しは結構苦労したものです。
 115系は、これもMICROAEの製品で4両セットの動力の無い方を加工しています。元々は新前橋電車区T6編成が再現されていたのですが、これを小山電車区Y49編成に作り替えました。

 写真中央と下は、両毛線のクモユニ74形を連結した115系普通列車を再現したものです。両毛線では、高崎でクモユニ74形を連結して小山まで往復する列車と、小山でクモユニ74形を連結して高崎まで往復する列車があり、両毛線内では反対側に連結していました。中央は、高崎でクモユニ74形を連結した列車を再現したもので、高崎駅で上り側にクモユニ74形を連結したため、3両編成のクハ115の側に、前位を前に出して連結されていました。下は、小山でクモユニ74形を連結した列車を再現したもので、小山駅で東北線側基準で上り側にクモユニ74形を連結したため、3両編成のクモハ115の側に、前位を前に出して連結されていました。ダイヤ上、両普通列車は両毛線内で交換したはずで、反対側にクモユニ74形を連結しているのが目撃されたはずです。

 写真中央と下に用いた115系は、ずっと昔の1990年代中頃にKATOの製品を用いて加工したもので、まだ各種の別売パーツが発売される前のものです。このため、グレードアップはまったく行ってなく、ベンチレーターはGREENMAXの製品、冷房準備車の箱型ベンチレーターは自作、クーラーはモールドされているものを切り取って塗装して接着したもの、冷房準備蓋は自作です。インレタも当時のGREENMAX製品です。当時のKATOの115系1000番台は、雪切室が印刷表現(元々は113系2000番台として製品化されたものを流用)なので、当時発売されたばかりのTAVASAの雪切室を貼り付け、妻に表現されている113系2000番台由来の冷却風道と手すりはすべて削り落としました。

クモユニ74形の情報検索の過程で見つけた111,115系の希少車について
 最近の荷物電車製作にあたって、写真情報の操作を行ったのですが、その過程で希少車を見つけました。

 「RM Modedls Archive 鉄道車両ガイドvol.23 クモニ83と仲間たち」P63のクモユニ74105の写真(1977年12月29日、広島運転所で撮影)のクモユニ74105と連結している車は、湘南色のクハ111であるにもかかわらず、塗り分けラインが横須賀色のものです。この車は、「国鉄電車編成表」1978年版の広島運転所の項目に


クハ111-476はグリーン部分が多く、オレンジ部分が少ない。スカ色のクハ111がそのまま湘南色になった変わった車両である


との記述があり、方向も偶数向きなので、「クハ111-476」そのものと考えられ、この文章の記述だけであった、「クハ111-476が横須賀色の塗り分けラインのままで湘南色になった」ことが写真でも確認できたことになります。

 同書のP39に、高崎駅で撮影されたクモユニ74205の写真があるのですが(1977年10月3日撮影)、隣に写るクハ115形は、助士席側のタイフォンにカバー(クハ68形、クハ76形に付いていた、円筒を斜めに切ったような形のもの)がかかっています。この特徴は、昭和51年に長岡運転所に転属して、70系の約半数を置き換えた115系だけが持っている特徴です。この車はGREENMAXの模型カタログvol.10の111~115系の特集で「上越線対応車」とされている車で、昭和53年に115系1000番台によって置き換えられて広島運転所に転出し、転出先では元に戻されているので、昭和51年から53年の間だけ見られた珍しい形態です。また、上越線対応車は。屋根に115系300番台以降のように、ホイッスルを取り付けており、写真でもこのホイッスルが確認できます。
 タイフォンの円筒型のカバーは、新潟ローカルのクハ68、クハ76形が有名でしたが、他にはキハ58系に見られたようで、RM誌のキハ58系特集に記述がありました。また、165系にも存在したという記述を見た記憶があるのですが、現車の写真は未確認です。
 

大垣夜行347Mクモユニ74・クモユ141の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 9月13日(日)23時24分18秒
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  皆さんこんばんは

53-10改正まで、大垣夜行347Mに連結されていたクモユニ74・クモユ141を製作したので報告したいと思います。

 クモユニ74、クモユ141は、MOCROACEより「クモユニ74・クモユ141、東海道線347Mセットとして以前発売されていたものを購入していたのですが、クモユ141が上越線使用の単品として発売されることが決定し、発売の前に加工をしようと思い立ったものです。
 写真は、上がクモユニ74005、中央がクモユ141-10、下が編成を組んだもので、車体の塗装はそのまま生かし、屋上を全面的に作り直しました。
 クモユニ74は、田町電車区の0番台で、製品では、005までの、雨樋が高く、窓が角ばっている大井工場工事車の形態が表現されています。屋上は配管を引き直しましたが、空気管は情報が見つからず、荷物電車の最大公約数的なレイアウトにしました。パンタグラフは、KATOのPS13とPS16Bタイプをグレーに塗装し、碍子に真鍮線を埋め込んで取り付け足にしたものを、BONA FIDEのパンタ台を介して取り付けました。
 クモユ141は、53-10改正まで宮原電車区に配属されていた車です。こちらも屋上を作り直しましたが、パンタグラフはクモユニ74と同様にKATOのPS16Bタイプを取り付けました。クーラーはKATOのサロ165用PS12、ベンチレーターはTOMIXの押し込みベンチレータ斜めタイプに交換しました。空気配管は、上越線用に1~5とは異なっていたようで、直角に曲がるレイアウトで表現しました。また、ホイッスルも1~5とは形が異なっており、TOMIXの115系付属品を付けました。
 下はクモユニ74とクモユ141を編成に組んだものですが、御本尊ともいえる153系はまだ持っていません。当時の大垣電車区の153系「東海」「大垣夜行」の編成は、155系や153系も非冷房車がかなり入っている一方で、クハは、クハ165が入ることが多かったことが知られており、雑多ともいえる編成でした。

 クモユニ74とクモユ141を製作したことを機に、「国鉄電車編成表」1978年版から、当時の347Mの情報を見てみたのですが、荷物電車は全区間連結されていたのではなく、クモユニ74を静岡で解放、クモユ141を名古屋で解放していたことがわかりました。このため、夏至の頃ならば名古屋の近くでクモユ141を先頭にした大垣夜行の撮影ができたと思われます。なお、上り大垣夜行340Mの方は、クモユニ74を浜松と静岡から連結していました。また、クモユ141が東京まで出ていた他の列車は、323M(静岡行き、田町電車区153系15両編成)、892M(沼津発、静岡運転所111系11両編成+大船電車区115系4両編成)、340M(沼津発、大垣電車区153系12両編成)でした。他、53-10改正以前は、東京口でもクモユニ74を連結した普通列車がけっこうあったのですが、荷物電車の分離が進み、57-11改正時点では東京駅では荷物電車の分離が完了していました。
 荷物電車を連結した普通列車は高崎線にも存在し、幼少の頃に籠原駅で荷物電車を連結した普通列車を見たことを覚えているのですが、「国鉄電車編成表」1978年版を見ると、長岡発上野行きの724Mを見ていたようです。この列車は新前橋電車区の7両編成にクモユ141、クモニ83を連結しており、籠原で新前橋電車区の4両編成を増結しています。この時点では、新前橋電車区のクモユニ74形は6両編成に運用が集約されており、上野口では普通列車への連結は無くなっていましたが、水上発籠原行の2954Mが、荷物列車の一環で、小山電車区の4両編成にクモユニ74を4両連結して出発し、高崎で両毛線からのクモユニ74を連結して、籠原まで行き、籠原で115系を切り離して荷1044Mとして隅田川へ向かう列車でした。
 

飯田線の急行列車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 9月 2日(水)23時51分22秒
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  皆さんこんばんは

箸休めの話題として、KATOの165系急行「こまがね」セットと「伊那」セットを加工したので報告したいと思います

 KATOのNゲージの165系電車は、1980年代に発売された伝統的な製品がありましたが、2010年代に入って本格的にリニュアールされました。最初に発売されたのが、「飯田線シリーズ」の一環として、急行「こまがね」と「伊那」の4両セットが発売されました。「こまがね」は、クハが2段重ねになった編成、「伊那」は165系では珍しいTcMM'Tcの編成です。
 製品は、165系としては一般的な原型ライトが表現されました。中部地方の165系は、中央東線系統の松本運転所、中央西線系統の神領電車区、東海道線系統の大垣電車区のいずれも、1980年代中頃から前照灯のシールドビーム改造が大規模に進行したので、「原型ライトで揃った編成」は、けっこう時代が限られ、1978年頃が最後になります。このため、KATOの飯田線シリーズの中では、「流電と共存していた期間」に特化したものといえます。
 写真上は「こまがね」セットです。車号は、「クモハ155-70 - モハ164-817」を生かして、1978年4月1日の、松本運転所F3編成として、クハを「クハ165-71 - クハ165-73」に書き換えました。これは、細部形態の変更がない(雨樋、水タンクなど)車号を選んだ結果でもあります。サボは、レボリューションファクトリーのステッカーからオレンジ地の「新宿―天竜峡、飯田―天竜峡間普通」を貼り付けましたこれに合わせ、前面の運行表示を「4411M」として、1978年4月時点の下り「こまがね3号」を表現しました。
 写真下は「伊那」セットです。こちらも車号は、「クハ165-129 - モハ165-9 - モハ164-831」を生かして、偶数向きクハの番号を、同じく1978年4月1日の大垣電車区C4編成として、「クハ165-57」に書き換えました。こちらのサボはレボリューションファクトリーの製品が無く、付属のステッカーから、下り「伊那1号」として「上諏訪行」「401M」を貼り付けました。下り「伊那1号」は3両付属編成を連結していることに含みを持たせているのですが、1978年4月1日時点の3両付属編成は、C21編成が「クモハ165-50 - モハ164-509 - クハ164-8」、C22編成が「クモハ165-139 - モハ164-862 - クハ165-10」と、重加工が必要な車両ばかりなので作るとしても先になりそうです。なお、クハ165-129は、シールドビームが異様に高いので有名でしたが、1978年4月時点ではまだ改造されてなく、普通のクハ165でした。
 共通の加工としては、手すりの別パーツ化、ワイパーの別パーツ化を行っています。前頭部の滑り止め塗装は、末期は、115系のような前面種別幕の上だけのものや、信号炎管部分にも広げた凸型などがありましたが。元々はこの部分の塗装は無く、松本運転所の165系が、1977時点で前頭部の灰色塗装をしていない写真が確認できたので、1978年4月時点とした両セットとも、塗装は追加しませんでした。パンタグラフは、「伊那」セットの方は、浜松工場入場車の特徴である、黒色塗装とホーンの白色色入れを表現しています。パンタの黒塗装は旧形国電では一般的で、飯田線の旧形国電も黒塗装とホーンの白色が特徴的でしたが、浜松工場では新性能車のPS16パンタグラフも同様に塗装していました。

 飯田線の急行列車としては、TOMIXが気動車急行の「アルプス」を製品化しており、付属の「こまがね」および富士急行のキハ58形を発売しています。飯田線急行は他に「天竜」がありましたが、「こまがね」「伊那」セットのステッカーには「天竜」も入っています。ただ、当時の神領電車区の165系を見ると、KATOで製品化した車とは細部の形態が違う車が多いので、厳密に表現しようとすると結構な重加工が必要なようです。
 

昭和40年代の920代

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2020年 8月29日(土)18時08分37秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。

クモハ73503さん
私は昭和40年代に電車区を訪ね歩きましたが、そのさい現場での雑談で得た72・73系の大雑把な評価は、
旧63系はよくない。台枠垂下、屋根のゆるみ、建付け不良による隙間風などが問題だ。
いい車というなら、CS10とオイルダンパ装備のグループ(72500~や79300~の意)だ。
オールメタル(72920~)なら、さらにいい。

というもので、少なくともこの時点で920~が忌避される理由はありませんでした。京浜東北には920代ばかりの編成があり、不足があるときは73形や78形を入れることなく、鋼板屋根とリノリウム床の72や79形が組み込まれ、いかにも”我が区の虎の子編成”といった雰囲気があり、部外者ながら納得したものです。実際にはヨンサントオあたりの920~でも子細に見ればドアの腰はボコボコに波打っていましたが、全体としてはしっかりしていたように思います。ただ、その後は急速に、くたびれてしまったようです。個人的な見解ですが、内装の劣化がかなり影響していないでしょうか。当時のメラミン化粧板は経年劣化でカサカサになり、それまでの清潔感や新しさのようなものが一気に失せてしまったように思えます。
この傾向は10系客車が特に顕著で、ヨンサントオのころ、首都圏では高崎線でよく運用に入っており、見つけるとわざわざ乗車したものですが、車内に入ると落胆したことをよく覚えています。内装が全体にカサカサで干からびた感じがあり、「なんかなあ」とがっくりしたものです。

Kさん
62系の中間検査標記が「川重」だったとの記録は、興味深いです。対外的には鷹取施工とされているので、頭隠して尻隠さずの感じです。国鉄部内の計画時の資料では川重施工なのに落成時の発表では鷹取となりましたが、72971~や一部の荷電が「実際は富士重施工である」と公表されているのに、なぜ62系が秘匿されるのか不思議です。
不思議ついでに、スケジュールも変です。落成後のすったもんだはともかく、生まれるまでにも何か問題があったようです。62系は1973年度上期計画で1973年度末竣工が当初目標でしたから、台枠不良の差し替えを別にしても、出そろうまでにほぼ1年は遅れています。同じスケジュールの案件では、T101→T103は小改造なので別格としても、181系のTsc→Tc’は全車、72・73の荷電改造(83形)は5両中3両が予定どおり1973年度中に落成しているので、62系の遅れは尋常ではないようです。
 

クハ411形のステンレスの幌枠座など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 8月29日(土)11時15分27秒
返信・引用 編集済
  連投失礼します

企業による車両の保守体制の違いなど
 車両の保守、更新などは、すぎたまさんも気にされていたように、「組織の規模の違い」が様々な面で影響を及ぼしているように感じます。「新車の投入による置き換え」も、新車の投入が容易な環境にあることが必要で、条件が整わないと、車両を長く使わなければならないことになり、保守体制もそれに応じたものにモディファイされることになります。

 関係するかどうかは別として、1990年代に大阪圏の大手私鉄の乗車人数に減少傾向が顕著になったために車両の新製が抑止され、このために阪急では一度更新を行った車に対して2度目の更新を行う例が出ました。私鉄系の車両メーカーの車両製造数が縮小し、阪急系のアルナ工機、阪神系の武庫川車両工業の廃業が発生しています。

新参者さん
 クハ411形が幌枠がステンレス台座なのは、クハ111,115形に比べて車体が「少し長い」ことが原因です。RP06-10号の415系特集に記述があり、この形態はクハ153形に由来するもので、車体長が19570mmです、これに対して、111系から、運転室後部の寸法を調整して車体長を中間車と同じ19500mmにして、同時に幌枠を強化型にするスペースを生み出しました。急行型電車では、クハ165だけでなく、クハ451,455形も車体長が詰められましたが、クハ411形はそのまま19570mmの車体長が継続されました。
 「ステンレスの幌枠」は、首都圏の153系はオレンジで塗りつぶされていましたが、西日本ではステンレスで残っているものが多く、50-3改正で山陽から房総に転用された153系にステンレスで残っているものがいました。

 DT14,15台車の検査周期ですが、確か区切りがDT16台車だったように記憶しているので、DT13の方の検査周期だと思います。このため、70系では、DT15装備車のモハ71001とDT13装備のモハ71002~005は他の車とは検査周期が違っていたと思われます。
 

フィルム写真撮影の趨勢

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 8月29日(土)10時27分13秒
返信・引用 編集済
  皆さんおはようございます

フィルムを用いた写真撮影にまつわるテクニカルな話題が出たので、私の方でも最近になってフィルムにまつわるエポックがあったので、「鉄道ジャンル」から離れる話題もありますが、紹介したいと思います。

 写真上は私の方で写真撮影に使っていたカメラで、左は1970年代初頭から80年代中頃まで使っていた「OLYMPUS-PEN」で、ハーフサイズで1枚を撮影するものです。Kさんの、ハーフサイズのカメラで写真を撮影したとの話から、私の方でもハーフサイズのカメラを使っていたことを思い出し、実家で探していました。
 写真中央は1980年代中頃から2000年代まで使っていた「CANON AF35 ML」で、「OLYMPUS-PEN」の後を受けて旅行用を主として使っていたものです。このカメラからはフィルムがフルサイズになっています。
 写真右は1980年代中頃から使っている「NIKON FE」で、ズームレンズを組み合わせています。このカメラは、特殊用途向きで、趣味の1つである天文関係の写真撮影に使っています。

 旅行関係の写真は、2006年にコンパクトデジカメを購入してから次第にデジタルに移行し、普通サイズのデジタルカメラも購入した関係で、鉄道写真でフィルムカメラを組織的に用いた最後の機会は2012年9月22日に上越線で「SLみなかみ号」と「SLレトロみなかみ号」を運転した時に両列車を沿線各地で撮影した時で、写真中央はこの時に渋川の利根川橋梁で撮影した上り「SLレトロみなかみ号」です。なお、利根川橋梁の南には道路橋に平行して旧道の橋が架かっていて、撮影の名所となっていたのですが、この旧道の橋は最近になって撤去されています。

 フィルムを用いた写真撮影は、2012年9月のSLみなかみ号撮影が最後になったのですが、上写真右の「NIKON FE」は、その後も天文写真撮影用として使っています。これは、このカメラが「無電源でバルブ撮影ができる」ためで、星の写真の撮影では一般的な、長時間の露出(1分以上、場合によっては時間単位)を無電源で撮影できます。世代的にこれより後のカメラでは、バルブ撮影は「電源を供給してシャッターを開ける」システムになっており、電池を消費するようになっています。
 天体撮影の方でも、2013年に相次いで明るくなった3つの彗星、パンスターズ彗星(C/2011L5 PanSTARRS)、アイソン彗星(C/2012S1 ISON)、ラブジョイ彗星(C/2013R1 Lovejoy)を撮影してから、しばらく写真撮影をしていなかったのですが、2018年末にヴィルタネン彗星(46P/Wirtanen)が明るくなり、5年ぶりにフィルムを使った写真撮影を行いました。写真下は、2018年12月18日の間におうし座を移動するヴィルタネン彗星を1枚にまとめたものです。なお、この写真をまとめるのには、本来は写真用のソフトではないAdobe Illustratorを用いています。
 ヴィルタネン彗星撮影のために久しぶりに写真フィルムを購入したのですが、5年の間にフィルムの情勢に大きな変化が起こっていました。天体写真撮影用には高感度のフィルムを用いるのですが、よく使っていたFUJI FILMのISO1600の販売が終了しており、ISO800が最も高感度になっていました。ISO1600のフィルムは、NIKON FEを購入した1985年頃に最初の製品が発売になっており、当時明るくなったハレー彗星(1P/Halley)の撮影で初めて用いて以来、長く使っていたものです。
 今年になってネオワイズ彗星(C/2020F3 NEOWISE)が明るくなり、NIKON FEとISO800のフィルムを用いて撮影しています。

 フィルムについては、確か2018年にFUJI FILMが白黒フィルムと関係物品の製造、販売を終了するという発表があり、その後、撤回する、というニュースがありました。白黒の写真撮影と現像は、私としては高校時代に手掛けていました。白黒フィルムの現像とプリントは自前で行うことが広く行われており、自宅現像の経験のある方も多いのではないかと思います。白黒のフィルムの販売が大幅に縮小しており、FUJI FILMの「ネオパンSS」や、増感現像液として一般的だった「パンドール」が製造終了しています。暗室も、私の出身高校にもいくつかあり、職場にも常設のものがあったのですが、フィルムと印画紙の使用が縮小したために、最近になって新築された会社等では暗室の設置が無くなり、暗室があったところも撤去が進んでいます。数年前に出身校を訪問した時にも、暗室が撤去されていました。
 

クハ66の運転台幌枠

 投稿者:新参者  投稿日:2020年 8月25日(火)22時20分39秒
返信・引用
  皆様こんばんは。

原口様
DT14,15はDT13と同じ検査回帰でしょうか?
溶接を多用した60台客車に比べて、63台枠の弱さが目立ちますが、
通勤電車用の台枠は、過酷な使い方ということに尽きるのでしょうか?
オロネ10は下降窓もなく10台客車の優等生と思っていましたが、やはりダメでしたか。

クモハ73503様
72920は窓周りが汚い(錆びて機能しない)印象がありました。それでも総武線では少数の
全金車は”新しい電車”と思って喜んでいました(笑)。

すぎたま様
国鉄車両のメンテナンス不良は、新形式が最初に配属された区で決まったのではないかと思っています。
下降窓で157系、サロ152(112)、サロ165、キロ28の腐食は問題になりましたが、サロ451、455は後年
までも下降窓が改造されていない(記憶違いだったらすいません)。
下降窓の水抜き(排水管の清掃)は頻繁にやらなくてはだめで、それが区での日常メンテか全検時のみ
かで・・。
最初の配属区で、どんなメンテナンス要領が構築されていくかでその後の運命が分かれたのでは?

現場の改善を目指したのがマル生(メンテナンスの改善も幾つか上がったようです)でしたが、
前述したように空中分解・・。その後157系は廃車となり、大量の103系、113系、115系で旧型は
置き換え・・。

クハ66の前面貫通扉は、クモハ451以降の強化幌枠台座を付ける形状と同じですね。そこに形状の異なる
旧型幌幕台座を無理やり付けたように見えます。<タイトルはこれだけか!

蛇足
しかし、クハ411の鋼製車は最終増備まで強化幌枠台座を装備せず、ステンレス台座だったのは
どのような理由があったのでしょうか?(クハ401-101が唯一の例外・・)
あのステンレスは赤電には映えましたが、白じゃ・・。

長文失礼しました。
 

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