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碍子の屋号:205系600番台

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年10月14日(月)00時50分12秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

先週の土曜(10月5日)は、宇都宮運転所の公開イベントがありました。いろいろな展示があったのですが、また「碍子」に注目したので、報告したいと思います。

写真は、休憩所として開放されていた小山車両センター205系Y605編成モハ205-605の碍子で、上は抵抗器、中、下は反対サイドの断流器のものです。
抵抗器は、205系の場合、第4、小1の組み合わせです。写真は、左は大抵抗器、中央、右が小抵抗器ですが、大抵抗器と中抵抗器で碍子の屋号が違い、大抵抗器の方が「山に五」で、小抵抗器の方が「オメガマーク」です。断流器の方は、また屋号が異なり、写真中央は、上は「山に五」、下は「山エツ」で、写真下は、上下とも棕櫚の葉の家紋のようなグラフィックです。モハ205-605にはいろいろなメーカーの碍子が集まっていることになります。

 
 

クハ86060等、最先任車両について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年10月 7日(月)00時31分23秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

モハ80373さん
 クハ86059, 060についての情報をありがとうございます
 クハ86060の方の前面についての可能性ですが、下関運転所にいて、広島車両所に入場していたと考えられることから、呉線に転入した山スカのクハ76形のような角が角ばったHゴム窓になった可能性もあると考えました。三鷹電車区時代の山スカのクハ76形のうち、木枠前面の車は木枠で残っていたのですが、1975年に呉線に転属後、前面窓をHゴム支持に改造され、この時に元の窓の形を利用したような角が角ばった窓になりました。写真は田中さんの「旧型国電の記録」でクハ76036, 51を確認できます。ただ、この改造が行われたのは、80系も廃車期に入った頃(昭和51年から52年?)で、クハ86060が改造されたとしたらもう少し前(昭和45年頃?)になると思われるので、話題になっていないということは、お話の通り、他の車と区別がつかない形態だった可能性は高いと思いました。

クモハ73503さん
 私も藤沢駅ホームのキオスクはしばしば見ていますが、写真を見て、「80系らしさ」を醸し出すものとして「ヘッドライト」に注目しました。また、「NewDays」と入っている運行窓の造作は300番台をモチーフとしている一方で、側面窓の表現はモハ80373さんも触れている0番台ののアルミサッシ交換車のイメージが強いと思います。

七尾線の415系の置き換えの発表
 少し前の話になりますが、七尾線の415系、413系の521系への置き換えが発表になりました。写真は2015年1月10日に金沢駅で撮影した415系C01編成ですが、改造時にクハにMGが搭載されていた試作冷房車を中心に改造車を集めた関係で、古めの車が集まりました。当時のこの車輌を報告した時に、その中でも最も車齢の高い車は写真下のモハ414-801で、1964年製(写真撮影の時点で車齢51年)になると教えていただききました。その後、結果的に最も古い車が集まったC01編成とC02編成が先行廃車になっています。他の車も同等に古い車がいるのですが、2020年度に、これらの車が置き換えられることになります。今年は和歌山線への227系投入で105系500番台も置き換えられており、一番車齢の高い車は岡山電車区の115系300番台3両編成(1974年製のものが存在)か、和田岬線の103系(1973年製のものが残っている?)になりそうです。

「最先任車両」について
 415系800番台が話題になった頃に、その時々の「もっとも現役の経歴の長い車」を話題にさせていただきました。
 条件として「定期の旅客営業に付いていること(動態保存車はカウントしない)」「車体新製車(旧形国電ではモハ50系)は経歴を引き継がない」「事業用代用車(クモハ40形等)は第1線から引退したとしてカウントしない」を定義して調べたところ

本山支線の置き換え(2003年3月14日)まで:クモハ42001(1934.1.14製造)
大川支線の置き換え(1996年3月24日)まで:クモハ12052(モハ31018として1929.12.11製造)

となり、その前は

浜川崎支線の置き換え(1980年11月17日)まで:クハ16215(デハ73223として1926年12月30日落成)

となります。デハ73223は、昭和元年12月30日に落成した3両の「最初の半鋼製車両」(デハ73200, 223, 225)のうちの1両で、客車の半鋼製車は3か月ほど後になってからの落成なので、客車、気動車を含めて昭和30年代以降ずっと「最先任車両」だったことがわかりました。
 さらに「製造いらい改番していない(昭和34年改番のモハ―クモハおよびサロ―サハの格下げは継続とする)」を条件に追加すると

本山支線の置き換え(2003年3月14日)まで:クモハ42001(1934.1.14製造)

は変わりませんが、その前はクモハ12052、クハ16215は改番を経験しているので対象から外れ、次は

JR直前まで:クモハ42005(1933.12.27製造)

が、少しだけ前の製造になります。ちなみに、13両のクモハ42中、42005は唯一昭和8年中に落成した車になります。その前は横須賀形20m車(17m車は全て改番を経験しているため)になり、

飯田線新性能化(1983年6月30日(定期運転))まで:クハ47009(1931.5.16製造)

になります。ちなみに、流電廃止以降の飯田線で最も古い営業用の車はクハ47069(サハ48015として1930.12.22製造)になります。この前は

身延線新性能化(1981年8月31日)まで:クハ47001(1931.2.24製造)

になります。なお、同時期の身延線で最も古い車はクハ47057,059(サハ48001,002として1930.12.13製造)になります。この前は

岡山ローカル置き換え(昭和50年)まで:サハ48018(1930.12.22製造)

で、上記のクハ47069と同じ日の落成です。17m車は改番されているので、サハ48018が最長不倒になります。

 なお、同時期の客車はスハ32系ダブルルーフ車になるのですが、昭和16年の大改番を経ているので、「改番していない」を条件づけると、昭和20年代からサハ48018が最先任車両になります。
 ちなみに、スハ32系ダブルルーフ車で遅くまで営業運転に入っていたのは、肥薩線の「ガーランドベンチレーター撤去車」スハフ32 44, 45があり、両車とも1930.7.14落成で、電車で最初に落成した20m車が上記のサハ48001, 002になるので、半年ほど前の落成になります。

 クモハ42001以降の最先任車両は、JR西日本の471系が1962年製造で、「改番していない」の条件も満たします。この辺りになると気動車も候補があって、JR四国のキハ28 2002、JR東日本のキハ58 23が最先任車両だった時期があると思われます。

 なお、現在、イベント運転車を含めて一番古いのはJR東日本のスハフ32 2357で、1938.12.24製造です。
 

クハ86023

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2019年10月 6日(日)23時50分7秒
返信・引用 編集済
  写真を撮り忘れてしまいましたが、廃車になった車両から持ってきたと思われる

日本国有鉄道

の銘板も付いていました。

あと1位側2位側などを示す○1○2なども車体裾に表記されていました。

さすがに昭和25年製の銘板は実物が40年も前に廃車されてしまったので無理でしょうけど

103系3000番台が廃車になった時に72500番台27年度車由来の

昭和27年製

の銘板を拝借してくれば製造時期が嘘にはなってしまいますが

少しはリアル感が出たのでは?と思ったりもしました。

いずれにしても80系湘南電車を知らない世代の方が多くなってしまった時代に

どうか末永くこのクハ86023が藤沢のホームで生存して欲しいと願ってます。
 

クハ86023

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2019年10月 6日(日)23時34分18秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは。

ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、藤沢駅のホームにあるクハ86を観察してきました。

この売店が姿を現してからもう随分経っているようですが

前々から気になっていたので藤沢へ行ったついでに見てきました。

本当はタバコを買うつもりで乗車(笑)したのですが、タバコは改札外の売店のみ置いてあるそうですぐに下車してしまいました。

車号のクハ86023は鼻筋の通った量産タイプの湘南顔のトップバッターの車というこだわりからでしょうかね。

しかし側面を見るとどちらかと言うとつるんとした外壁から全金車の300番台ぽいかな?とも感じてしまいました。

実車として保存されている湘南電車は京都の前面3枚窓のクハ86001ですし

練馬区の病院にあった実車大のレプリカのクハ86374は解体されてしまったそうですし

ある意味でこの売店の湘南顔のクハ86は貴重な存在ではないでしょうか?

店内は普通の売店の内装でしたが、欲を言えばニス塗り風の内装に照明はお供え餅の形をした白熱灯か電球色の蛍光灯なんて、と思ったりもしましたが

お菓子やおにぎりやパンなど食べ物を販売しているので普通の明るい店内の方が良いのでしょうね。
 

Re: 「国鉄型車両の記録 80系・70系電車」発売

 投稿者:モハ80373◆WKtiTNsW9Q  投稿日:2019年10月 6日(日)02時42分36秒
返信・引用
  原口 悟さんへのお返事です。

今さらの感はありますが…(汗)

> クハ86059,060の前面窓について
>  この場でも何度か話題になり、未解決の問題でもあり、「クハ86059, 060がいつまで前面窓が原型で残っていたか」ですが、P84のクハ86059の写真の解説で「更新修繕を施工されていないため、側引き戸のHゴム支持化は後に行われたが、前面窓のHゴム化は施工されていない」とあります。写真は1962年の田町区時代で、静岡時代までは前面窓が原型であったことは確認されたのですが、山陽本線に転属してからは今に至るも不明のままです。

今さらですが、86059に関しては、岡山運転区時代の末期には、更新修繕車と同様の上下寸法がわずかに短めで、四隅のRの大きいタイプの窓でHゴム化されているのを、ネット上の写真で確認しております。
その写真は、まぎれもなく戸袋木枠、TR45をはいたジャンパ栓受けありの86059と明確にわかる車両(86057は更新修繕対象ゆえ戸袋窓もHゴム化され、さらにアコモ改造により客窓アルミサッシ化など、区別は容易)でした。
残念ながら、その写真はリンク切れになり、現在は検索しても見つかりません。

86060に関しても、Hゴム化はされたらしいのですが、それと明確に認識できる写真はいまだに確認できていません。
ただし、もしHゴム化されていなかったり、されていても特殊な仕様だったとするなら、その割に騒がれていないことから考えると、やはり更新修繕車とほぼ同様の仕様になったのではないかと推察しております。
つまり、ネット上の写真では、Hゴム化以降の86059・86060の写真は、いまは残念ながら見当たらないようですが、少なくとも86059は公開されていました。

また、80系の引き戸は、昭和25(1950)年製造車までの三段窓のものに関しては、更新修繕によってすべて駆逐されましたが、その他のタイプに関しては標準化の対象とはならず、ゆえに最後まで上段が小さい非Hゴム2段窓のまま残った引き戸も、昭和24~27年度車いずれにも存在しました。
これは、三段窓引き戸を採用した旧63系改造の72・73系や70系などにおいてもほぼ同様です。kokuden.net内の写真で様々な形態をご覧頂きますと、よくおわかり頂けます。
 

クモハ73355の連結面形態の考察

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年10月 6日(日)01時49分48秒
返信・引用
  先に報告した、「クモハ73355の連結面の形態」についてもグラフィックを作ってみました。
左上がクモハ73355以外の車で、貫通扉を性済みで転入、左下がクモハ73355の転入時の形態と考えられる、貫通扉の無い、吹抜けの形態です。
右上は、クハ16219の部品を使って貫通扉を整備したと考えた図で、戸袋窓は天地の低い1枚窓、開閉窓は天地の低い2段窓になったと考えられます。
これとは別に、他の車の部品を使って貫通扉を整備したと考えた図が右下です。この図を考えたのは、他の3両の2段窓改造車は、貫通扉を整備済みと考えられるので、貫通扉関係の部品がストックされていたと考えたものです。多分右上の方が可能性は高いと思うのですが、右下の可能性もありかもしれません。
 

昭和40年代富山港線73系前面の変化

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年10月 6日(日)01時35分3秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

先に73おやぢさんよりいただいた富山港線73系半鋼製車の前面形態の情報等、前面の変化に関する情報がかなり集まったので、時間座標と前面形態を組み合わせた図を新たに作ってみました。

それぞれの図は、1967年(73系の転入)から、年ごとにグリッドを切り、1枚目はクモハ73007, 299, 305, 347、2枚目はクモハ73355, 357, 361, 363、3枚目はクハ79220, 240, 244の、各年ごとに前面の情報(写真あるいは文章記述)がある年に、前面のグラフィックを入れ、シンボルカラーでセルを塗りました。色は、原型木枠、東鉄形前面、富山港線形前面、全Hゴム、箱サボ枠撤去で区切りました(クモハ73299の前面は特殊なものとしてセルの塗りは省略)。これに、先日の73おやぢさんからの情報の、「前面窓柱手すりの形が“原型木枠の前面”と“東鉄形前面”を区別できる可能性が有る」から推定した、転入時の前面形態をセルの色で加えてみました。
これらの図を見ると、何だかんだで1972年以降はけっこう訪問記録が多く、埋まったセルが多くなりました。これに対して1970年以前は訪問が少なく、空白が多くなりましたが、73おやぢさんの情報で転入時の前面の情報が推測できることにより、各車に対していつ頃にどのような工事が前面に施されたのか、何となく傾向が見えるようになりました。
 

山口の保存車訪問(番外2)重油タンク

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年10月 4日(金)01時48分37秒
返信・引用
  山を走る蒸気機関車の装備としては「集煙装置」の他にも「重油併燃」があると思います。このための「重油タンク」も特徴的な装備ですが、これを装備したまま保存されているのは、行田のC57 26だけでした(写真上)。
他、渋川のD51 853のテンダーにコールバンカーの後ろの方に台があり、これが重油タンクが置かれていた台になります。D51 853は羽越本線の酒田機関区の所属でしたが、酒田機関区のD51は重油併燃をしており、テンダーに重油タンクを載せていました。
 

山口の保存車訪問(番外1)集煙装置の痕跡

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年10月 4日(金)01時42分27秒
返信・引用
  北関東の保存車では、「集煙装置を付けたまま」の保存は有りませんが、「集煙装置の名残」がわかる車がいました。
写真上は行田市の忍城本丸公園のC57 26、下は深谷市仙元山公園のD51 885ですが、ともに煙突が切り詰められて背が低くなっています。これが「集煙装置を付けていた名残」です。どちらも関西本線の「加太越え」をしていた機関車で、集煙装置を使っていた線です。保存時に集煙装置を外されたことになります。
なお、北関東で観察した車は、関東内の車の他、羽越本線の車、北海道の車が多く、西の方の車はC57 26とD51 885だけで珍しいもので、C61 20のように九州から送り込まれたのはかなり珍しいと思います。
 

山口の保存車訪問(その3)集煙装置

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年10月 4日(金)01時32分17秒
返信・引用
  今回の訪問では、「集煙装置」を装備した蒸気機関車を観察しました。先に見た北関東の保存車では、集煙装置を装備した車は無かったので、初の観察になります。

写真上はD60 1の集煙装置で、中国地区での標準型でもある「後藤工場型」の集煙装置です。これに対して下は津和野のD51 194で、長野工場型の集煙装置です。山口線管理所では、昭和40年代前半に蒸気機関車の総入れ替えがあり、主に中央西線から大挙D51が転入して、この時に長野工場型集煙装置が持ち込まれました。このため、山口線は、周辺で後藤工場型集煙装置が使われている中で、長野工場型集煙装置を使う「離れ小島」になっていました。
D51 194は昭和46年に八高線の運用が終わった高崎第一機関区から転入しており、解説板でも「昭和46年5月に集煙装置を取り受けた」ことが記述されています。この時に「山口線」のほうに合わせて長野工場型の集煙装置が付けられたことになります。
 

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