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クモエ21001レポート(その4)自動連結器に対応したエアホースレイアウト

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月 4日(日)23時54分0秒
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  今回の観察で新たに気づいた点として、「自動連結器に対応した位置に付けられているエアホース」があります。
まず、写真上は前位運転台側ですが、連結器胴受けの右側にエアホースがぶら下がっています。また、増設運転外側も似た位置にエアホースがぶら下がっています(写真中央)。増設運転外側は、空気管の側のエアホースがブラさてっているので、エアホース取り付けに伴う「空気管の分岐」がよくわかります(写真下)。下の写真を見ると、2段になっている空気管のうち、上段の「赤コック」の方が途中で分岐し、下に分岐した方にコックが付けられ、そこからエアホースに繋がっています。まっすぐな方及び白コックの管は密着連結器の上下の空気管に接続しています。
この「追加されたエアホース」は、一般型客車や貨車等の自動連結器の車のエアホースレイアウトと全く同じなので、「自動連結器を取り付けて客車列車あるいは貨物列車に連結されることを考慮した」ものであると考えられます。ここで、「機関車列車に牽引される可能性」として、2つを考えました。
1つは、クモエ21001が以前は仙石線にいたことに注目したもので、仙石線では盛岡工場へ入場のため、貨物列車に連結されて工場へ送り込まれていたため、「自動連結器とエアホースを使う機会が多い」ことから、仙石線時代に工事が行われた、と考えたものです。この考えならば、仙石線に他の車にも類似の車(エアホースがぶら下がらず、配管だけのものも含む)があるとおもうのですが、見た限りでは空気管を工事している車は見つかりませんでした。
もう1つは、「電化区間外へも救援車が出動する」ことを考慮して、自連対応のエアホース配管を追加した、とするもので、実際に大垣電車区のクエ9421が、客車の救援車や操縦車と編成を組んで、樽見線の事故復旧に出動していることから、クモエ21001への改造に当たって、機関車牽引されることを考慮し田野ではないか、と考えたものです。他のクモエ21を見ると、クモエ21009がエアホースを追加していることが確認できたのですが、エアホースの無い車が大多数のようです。クモエ21001の配置から考えると、足尾線、烏山線あたりへの出動が考慮されたことが考えられます。
 
 

クモエ21001レポート(その3)碍子の「屋号」

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月 4日(日)23時20分42秒
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  以前この場で報告した。「碍子の屋号」を今回も見てきました。
今回見つけた新しい「屋号」は、「丸に東(写真上)」「オメガ(写真中央)」「山エツ(写真下)」です。
 

クモエ21001レポート(その2)抵抗器のレイアウト

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月 4日(日)23時13分59秒
返信・引用 編集済
  17m旧国の電動車は、床下機器のレイアウトが苦しく、「あふれた床下機器」のレイアウトでいろいろなバリエーションが発生していますが、メインの機器である「抵抗器」もいろいろなレイアウトが発生しています。
クモエ21001の場合は、メインの抵抗器は、CS5制御器の前位側で、ポピュラーなレイアウトですが(写真上)、減流抵抗器が遠く離れて、CS5制御器の後位側に取り付けられ(写真中央)、しかも枕木方向に並べられています(写真下)。また、両方の抵抗器の外側にヒューズボックス等の色々な子のもの機器が取り付けられており、抵抗器が目立たなくなっています。
なお、クモエ21001は、元クモハ11106で、偶数向きの車(増設運転台の方に、運転席側腰板のジャンパ栓納めがある)なのですが、床下機器は、奇数車配置になっています。これは、奇遇共通の東鉄形の機器配置だったのが、早期に地方転出したために、床下機器配置を修正しなかった(盛岡工場で更新修繕か)ためと考えられます。また、パンタグラフの配管も、母線と空気管がまとめて運転席側に降りている、古いレイアウトになっています。
 

クモエ21001レポート(その1)仙石線由来の貫通扉付全面と増設運転台側の造作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 8月 4日(日)23時05分54秒
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  皆さんこんばんは

今日(8月4日(日))、小金井の日酸公園のクモエ21001の観察をしてきました。興味深い特徴にいろいろ気付いたので紹介したいと思います。

まず、在来運転台と増設運転台の造作で、在来の運転台は仙石線に由来する貫通構造であることが有名です。反対側の増設運転台は、クモハ73形全金更新車の造作に類似した3枚の窓が並んだ非貫通構造です。ここで、窓をよく見ると、角にRに付いた窓は、元々はHゴム支持の窓だったのですが、増設側の運転台窓にHゴムが残っている以外は、ゴムが無くなり、EF58形電気機関車の原型窓のような支持形態になっています。このほか、側面の窓も多くがHゴムが無くなっています。ゴムは空気に接していると「オゾン化作用」によって分解していくため、保存車では管理が厄介なもので、クモエ21001ではゴムの劣化に対して撤去して窓ガラスを付け直す方向で補修をしたようです。
 

三鷹事件再審決定なされず

 投稿者:すぎたま  投稿日:2019年 8月 1日(木)02時00分4秒
返信・引用 編集済
  みなさんこんばんは。

三鷹事件の再審は、「されない決定」がなされました。竹内さんの無実の証明は、まだ遠いようです。
この件で不思議に思うのは、
●MC1Aマスコンでの実証実験をしたのか。
●現車を外から制御した痕跡は無かったのか。
●鉄道に詳しい外部有識者を最初から原告に入れたのか。裁判長も知識豊富だったのか(またはちゃんと証拠を検証したのか)。
●裁判長は、原告側の証人申請を却下したりしているがなぜか。
…といった諸点が明らかになっていません。
MC1Aマスコンに関しては、当時読売新聞が報じた「実証画像」では、マスコンを固定出来ないことは、うちにあるMC23マスコンで「参考実証」してみました。もちろん、ヒモでマスコンを3ノッチ位置に固定なんて出来ません。真上の位置に縛れる場所があれば可能ですが、モハ63の運転台パネル(パネルなんて無いのだが)に、そんな場所は無く、本で読む限りは「圧力計の電照配線に固定した」(注:戸締め灯兼用)とされているものの、角度的に固定しきれないと思われます(バネの力で0ノッチに戻ってしまう)。また、右手でヒモを縛りながら、左手で3ノッチに固定しておいたとされていますが、そんなことが可能でしょうか。そもそもここの重要な部分での供述調書などの「証拠」が、成立していないのではないかと思うのですが。
一度MC1Aマスコンを入手して、モハ63の本にも図面が載っていますので、位置関係を厳密に調整し、検証してみようとは思います。
後部前照灯が点灯していた、パンタは2個上がっていたはずだ他、との「新証拠」についても、裁判所はなんら検討すること無く、「新たな証拠が示されたとは言えない」みたいなことを言って、再審を開かない決定を下していますが、何に忖度しているのか不思議です。
私ら鉄道に詳しい「ファン」から見ても、当時の捜査はザルで、きちんとした証拠調べがなされていないし(特に鉄道に詳しい人々の検証が無い)、厳しい取り調べで「自白」させたことが、本当に真実なのかの検証もされていない「事件」で、人を有罪、ましてや死刑判決にして、さらには獄死させ(脳腫瘍に全く手当て無し)、そのままにしておいていいとは、いったいどんな恐怖国家なのか、と感じます。
なんだか、この国は司法も立法も行政も、どんどんおかしな方向に向かっている。それが不気味ですね。

なお、サハ39022の車号が、ニュース番組で当時のニュース映像が流れた際、確認出来ました。

http://princesscomet.net/

 

チョコレート色の電車のあだ名

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2019年 7月31日(水)02時41分45秒
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  皆さんこんばんは。

毎度73系の話で申し訳ありませんが、

南武線ではチョコレート色の塗装からかりん糖電車と呼ばれていましたが

房総ローカルではゴキブリ電車と呼ばれていたそうです。

房総ローカルの73系にとってはなんとも哀れなあだ名だな、と思ったりもしましたが

アコモA工事車が主役の南武線とニス塗り3段窓が主役の房総ローカルの違いがこんなあだ名の違いに表れているのは考え過ぎでしょうかね。

因みに大井工場に勤めていた父は73系の事を汚ない電車と言ってました(笑)
 

115系新潟ローカル2両編成の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 7月27日(土)23時56分15秒
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  皆さんこんばんは

旧形国電から離れますが、新潟ローカルの115系の「2両編成」を製作したので紹介したいと思います。

 115系のM'車を先頭車化改造した「クモハ114形」は、1984年度の越後・弥彦線電化用として0番台から改造された500番台が登場したのが始まりですが、国鉄末期の1986年に1000番台から改造された1500番台が登場し、その後JRに移行して、合計20両の改造が行われました。その後、長野、新潟のそれぞれの地区で地域色になり、冷房改造が行われ、新潟の車は最近無くなりましたが、長野の車はしなの鉄道に何本か移籍してまだ走っています。
 模型(Nゲージ)の方では、KATO、TOMIXのそれぞれが115系1000番台を1980年代から発売しているのですが、クモハ114形は長らく発売されず、昨年になってようやくTOMIXから新潟地区の2両編成(WCなし)が発売されました。そして、新潟地区のWC付の編成が今年になって発売されました。
 クモハ114形は、完成品としての登場は上記のように、つい最近のことですが、模型の製作」としては登場間もない頃から、注目されており、早くからクモハ115を製品化していたKATOの製品を用いた製作がTMSに発表されたりしていました。単純化すると、クモハ115の車体にモハ114の屋根板と床板を組み合わせるのですが、問題になるのが「中間車としての床板あるいは動力ユニットをどう先頭車の車体に押し込むか」で、ライトユニットを生かして動力ユニットを組み込むのにかなりの苦労がありました。1990年代後半にTOMIXから115系の改良製品が発売された時にクモハ115形が製品化され、TOMIXベースのクモハ114形の製作が可能になったのですが、「ライトユニット」の問題は残っており、JNMAフェスティバルで、動力ユニットの「クモハ114対応改造キット」が発売されたりしています。

 写真上は、WCの無いクモハ114(クモハ114-1516)、中央はWCのあるクモハ114(クモハ114-1503)です。前面ガラスのワイパーのモールドは、これまでの115系の模型製作では、削り落としてコンパウンドで平滑処理をしていたのですが、今回はTreasure Townのモールドなし窓ガラスのパーツを使い、ワイパーも同封のパーツを使いました。TOMIX製品では伝統的に幕板のサボ枠を表現していないのですが、「サボを挿していないサボ枠」を、Treasure Town のパーツを使って追加しました。
 なお、TOMIXの115系は、1000番台の中でも末期の車(クーラー横のランボードが斜めになった、1981年以降製造の車)が表現されているのですが、新潟の2両編成の製品化にあたって、クーラー横のランボードが垂直の屋根板(同時に、ベンチレーター配置が先頭車化改造車を再現したもの)が、クモハ115と併せてパーツ化されました。手すりの別パーツ化と併せて、「1500番台」を表現するために、切り継ぎ部の屋根をやや明るいグレー(本体はTAMIYAの日本海軍呉工廠色に対して、塗り屋根部はクレオスのアメリカ海軍色)で塗装しました。なお、「先頭車化改造車の屋根の色合いの違い」は、確か以前のこの場で紹介されたことがあり、「濃灰―淡灰―濃灰」の時間変化をたどる傾向があり、「切りついだ屋根」は元の屋根に対して数年から10年遅れで変化する為に、一時期は切りついだ屋根の方が暗くなることがある、とのことでした。また、冷房が付いてからは、冷房からの排水が流れるためにクーラー周辺の屋根が早く劣化するため、特にランボード部分が補修された車を末期はよく見るようになりました。また、パンタグラフは下側の枠が表現されているKATOのPS16を用いています。KATOのPS16(製品名としては「PS16Bタイプ」は、1990年代から愛用しているもので、1000番台特有の「バネのカバー」を、プラ板の削り出しで表現し、取り付け足は、碍子のモールドに0.3mm真鍮線を打ちこんだものを作っていたのですが、最近になってバネのカバーが表現され、取り付け方が碍子から伸びた足を挿しこむ方式に変わったものが登場(189系「あさま」リニュアール品が初登場)したので、これを使っています。
 「ライトユニット」は、製品ではどうなったかというと、動力ユニットとともに「新設計されたもの」が付けられました。TOMIXの73系では、先頭車への動力ユニット取り付け(クモハ73形)が考慮されて、最初からライトユニットと動力ユニットが、先頭車を考慮したものが設計されましたが、湘南型前面の車用のライトユニットに合わせて動力ユニットをモディファイすることはできなかったようで、両社新設計になりました。このため、クモハ114とクモハ115とで、別のライトユニットが付いています。
 床下では、製品では中間の連結は在来の台車マウントの普通のカプラーですが、TNカプラーによる車体マウントに変更しました。また、WC取り付け車には、本来の「真空式」ではないのですが、「循環式」のタンクを取り付けました。パーツは、少し前に製作したTOMIXの489系300番台白山色から、残ったパーツをピックアップしました。タンクの色が「循環式」特有のクリーム色ではなく、黒1色なので、「クリーム色の塗装をしない」ことで「らしく」しました。
 運転台側の床下は、TOMIXの115系の加工では、「抑速ブレーキ対応のジャンパ栓レイアウトの共通性が高い」という理由で、165系用の両側の床下ステップが表現されているスカートへの交換を行っていることが多いのですが、DT32,TR69台車に対して、DT21台車では「路両抱きブレーキ」の分長いので、運転席側の床下ステップが干渉するので、165系のスカートは使えず、助士席側だけに床下ステップ(TAVASAのパーツ)を取り付けました。また、クモハ115の運転席側のジャンパ栓納め」は、Treasure Townのパーツもあるのですが、連結の自由度が下がるため、パーツ取り付けは見送っています。
 TOMIXの115系は、一部、けっこう昔の製品のパーツが流用されているものがあります。床下機器は、115系1000番台の前に発売されていた、113系1000'番台から引き継がれているものがあり、モハ115,114が現在も継承されています。また、サハ115は、サハ103の床板が流用されています。これに対して、クハ115は115系1000番台発売時(WC付の偶数車)、クモハ115は、1990年代後半のリニュアール品発売時に専用のものが起こされました。その後別売パーツとして流通したので、モハ115はクモハ115の床板に交換しています。今回のクモハ114はどうなっているかというと、従来品と同じ(モハ112形1000'番台に由来するもの)でした。このため、ブレーキユニットとC-2000コンプレッサーを別に調達して該当部分の床下機器を切り取って差し替えました。使ったものは、GREENMAXのバルクパーツの、115系JR西日本リニュアール車のものです。

 写真下は、編成を組んでみたものです。上は、2両編成同士連結の4両編成の列車で、上越線へ出かけた時に「水上駅でよく見た」という印象があります。下は、4両編成と連結した6両編成の列車で、4両編成の方は以前に発売されたものを加工したものです。製作時にL11編成を選択して、ランボードを横を垂直にする加工(Trerasure Townのテンプレートを使用)する車を1両だけにしました。
 

富山港線形前面、クモハ51200-昭和46年バージョンの製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 7月15日(月)00時29分22秒
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  皆さんこんばんは

73おやぢさん、クモハ2000、クモハ73305及びクハ55300台の情報ありがとうございます。
「サハ55326」は、ノーシルノーヘッダー車ではなく、写真と形態が合わないとのこと、見落としていました。

 クモハ73305が「昭和48年11月5日時点で前面窓が全Hゴム」になっていたとのことで、先のHPの情報の「昭和47年12月24日時点で富山港線形前面」と合わせると、その間10か月ほどの間に前面が改造されたことになり、改造の時期がかなり幅の狭い範囲に限定されたことになります。
 なお、私が「富山港線形前面」の記述を初めて見たのはRM Models96-4号の63形前面バリエーションのイラスト(P24~28)で、「富山港線城川原区の標準タイプ。運転席と中央窓がHゴム化され、木製の助士席窓に桟が無いのが特徴」との記述があります。これに対して、実際に「富山港線形前面」が確認されたのはクモハ73305,363の2両だけで、逆に富山港線形前面でなかったことが確実なのが

クモハ73355、クハ79220,240,244:昭和43年の2段窓化の時に全Hゴム窓に改造
クモハ73357:昭和47年時点で東鉄形前面でその後直接全Hゴム窓へ改造の可能税が高い
クモハ73299:昭和45年転入時に助士席窓を1枚窓にして、全木枠1枚窓へ改造、そのまま廃車

で、不確実なのが

クモハ73007:東鉄形前面で転入
クモハ73347:原型前面で転入
クモハ73361:昭和49年の全Hゴム窓の状態だけ確認

で、富山港線形前面だった車は最少では73305,363の2両だけ、多分73007は早期廃車で改造されなかった可能性が高いと思われ、73347も昭和45年頃の時点で原型窓(TMSの模型製作記事から)で、昭和47年廃車なので改造されなかった可能性が有る?ことから、他は73361だけか?とも考えられます。

クモハ51200(昭和46年バージョン)の製作
 最近はタンク車の模型を作っており、また、慌ただしかったので旧型国電の模型の製作が止まっていたのですが、先日久しぶりに旧型国電の模型を完成させました。製作したのは「クモハ51200」で、ちょっと時代をさかのぼらせて、昭和46年のクハ16形が現役だった最末期の時点にしました。この時代の模型は、以前にクモハ43009 - クハ16470を製作したのですが、クモハ51200の編成相手はまだ決めてなく、単独の製作です。
 加工内容としては、車体の方は、当時は前面塗り分けが一直線だったので、パーツ取り付けと併せて塗装しました。また、床板は、クモハ43009-クハ16470の編成に連結することを前提として、トレーラーにしました。床板はクハ47100台用のものを使い、床下機器のパーツを集めて新規に並べました。床下機器のパーツは以前は「モリタ」のホワイトメタルのパーツがありましたが、最近になって「BONA FIDE PRODUCT」からいろいろ発売されており、両社のパーツおよび手許のストックパーツからピックアップして床下機器を配置しました。

旧形国電への新性能電車用密着連結器の使用の早い例
 旧型国電に使われる密着連結器は長方形のもの(先日のクモハ73305の前面でグラフィックにしているもの)ですが、新性能電車用の角を取ったものが使われている例が、昭和50年代に入ってからの大糸線、新潟ローカルで見られることをかなり前のこの場で話題にしたことがありましたが、昭和40年代初頭の例を「国鉄電車回想(3)」に見つけました。
 P136の昭和40年5月6日撮影の福塩線のクモハ12形(おそらくクモハ12015)が、新性能電車用の密着連結器を付けています。同じところに掲載されている昭和36年2月時点での写真では自動連結器で、当時の地方線区で走っていた旧形及び社形国電ではよく見られた形態ですが、昭和40年5月6日撮影の他の写真(P135)では、本来の旧形国電用の密着連結器が付けられています。どこかの段階で自動連結器から密着連結器へ交換した時に一時的に予備品が不足したため、新性能電車用の部品が使われたと考えられます。
 

最近の話題に

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2019年 6月25日(火)22時05分24秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。

原口さん
鉄道友の会の機関誌「RAILFAN」の2007年11月号が富山ライトレール開業にちなんで富山港線の小特集になっており、モハ2000の写真が掲載されています。
それによると、車側の屋根昇降用はしごの位置は2006と同じです。床下は2010と同じです。前位のヒューズ箱は台形のやつ(FS61形)ですね。
同号には73305(初回投稿で間違えていましたので訂正しました)も掲載されています。48年11月25日撮影とあり、1位(助士側)がHゴム支持になっているほかは、各部のディテールは先日の原口さんのご紹介どおりです。

国鉄電車回想の57改55形の施工中の写真は、撮影者の勘違いかメモの間違いがあるようです。
まず57026→55300とありますが、57026はいわゆる準戦時型のはずでシルヘッダー付き、写真の車両はノーシルです。次に場所ですが、隣に客車が入場していること、天井が高い(大井にはこんな明朗な建屋はない)ことにより、大井ではありません。そこで他を捜索すると、57020→55328、大宮改が候補として浮上します。改造日が36年3月30日で、撮影日が4月なのは、年度内にできなかったということですね。晩年はサボの箱がないようですが、京浜東北時代は1位側の腰にあり、この写真と矛盾しません。


 

元鶴見臨港クハ5500の仙石線転属

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月22日(土)11時05分55秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは

「飯田線を走った車両達その1」で元鶴見臨港鉄道クハ5500が紹介されています。同車は、「飯田線車両小史」で、昭和33年6月に品川電車区に転属して事が記述されていますが、この時に、仙石線へ貸し出されたか、転属を挟んでいたことが伺える写真が「国鉄電車回想(2)」に紹介されています。「仙石線」の章のP132に、昭和33年5月に陸前原ノ町電車区で撮影されたクハ5500の写真が掲載されています。クハ5500の転出は「昭和32年6月」と記述されていますが、実質的には前の月に送り出されていたことになります。クハ5500は大井工場での写真を見たことがあり、廃車後ですが、RM Library193「国鉄工場めぐり(中)」P8に1965年2月3日撮影の、車体だけになったクハ5500の廃車体の写真が掲載されています。

「国鉄電車回想(2)」では、他にクハ55300台へ改造中のサハ57026の写真(昭和36年4月3日撮影)があります。この時の改造では、中央扉は開戸に変更されているのですが箱サボ枠を、以前の引き戸のままの改造車と同じように助士席側腰板に付けています。

片隅運転台から全室運転台への改造について
 省電では、「片隅運転台」でも、乗務員扉は両側に付けられていましたが、関東圏の私鉄では、乗務員扉は片隅運転台のある運転席側だけで、助士席側は座席が伸びて普通の窓になっていた車が一般的でした。「関東型電車」の買収車である、南武鉄道モハ150形、鶴見臨港鉄道モハ330形および関連する形式も同様でしたが、戦後に片運化、鶴見臨港車の場合は運転台整備をした時に、バリエーションが発生しました。
 一般的には、乗務員扉が運転席側だけだった片隅運転台車は、運転台を全室化して、乗務員扉を助士席側にも新設していますが、鶴見臨港車の一部に、片隅運転台のままで、助士席側への乗務員扉の新設もしていない車がいることに気づきました。1両は、芝生さんも写真を撮影しているクハ5500で、芝生さんは室内も撮影しており、片隅運転台であることが確認できます。この車は、もう片方の運転台を撤去していて、乗務員扉を撤去してきれいに整形しているので、非公式側から見ると、両側とも運転台が無い純然たるサハのように見えるのが変わっています。また、芝生さんの写真では、運転台を撤去している割には貫通路を設けてなく、妻は前照灯と標識灯が無くなっているだけの非貫通です。このため、旅客営業用としては使いにくかったのではないかと考えられ、もしかしたらこのころから実質的に救援車代用(事故復旧の職員乗車用か?)になっていたのではないかと考えられます。
 このような車は他にいなかったか探してみると、「私鉄買収国電」P54のモハ1522が、助士席側乗務員扉が無いことを発見しました。但し、一番端の窓は、縦に2分割して、前の方の窓を下降窓に工事しています。この形態は、モハ1501でも確認できます(同書P49)。鶴見臨港の他の車でも、昭和30年頃までは助士席側乗務員扉が無い車が見つかった(当時の車号でクハ5550,5552)のですが、その後改造された車もいたようで、可部線から富山港線へ移った車は全車全室運転台化、乗務員扉追加工事を受けています。
 

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