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クハ17形?

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 6月10日(日)15時33分53秒
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  原口さん、みなさんこんにちは。

原口さんの4桁木造車改造のモハ50が存在したのではないか、というご意見ですが、モハ50としては機器配置が相当変わりそうなのと、MT-15モーターが収まる台枠構造なのかなど、とりあえず「不安定要素」が多い気がします。
ただ、クハ17形(15形?)としては、「レイル」誌の「身延線特集号」に、戦後身延線で活躍する木造クハの写真で、トラス棒のクインポストが鋳造によるものを使用し、通常の同形式と異なる形態であるほか、台車が確かTR10である車輌の写真が掲載されていたと記憶しています。引っ越しに伴う本棚整理で、「レイル」誌がほとんど見つからず、クハの番号などが不明なのですが、もしかすると、そのような車輌が該当車かもしれません。「台枠が異なるので、鋼体化の対象から漏れた」みたいな記述もあったように記憶しています。もし源資料が発見されたら、またご報告いたしますが…。

近江鉄道の220形は、モハ226の台車位置が「外側寄り」とするサイトがあります。本当にその通りとすると、この車が旧小田急クハ1650形の台枠利用(近江鉄道ではクハ1201号)とも考えられますが、確定的な資料が見つかっておりません。FS-40台車は、ボルスターアンカーが大きい反面、斜めからでは位置関係の判定は難しいです…。

台枠の切り接ぎは、軽量化車体構造になるまでは、結構多数行われていたようです。戦災復旧客車も、平気でゆがんだ台枠を切り接ぎして、「おおよそ平ら」に直していたようですし(それでJR東日本のスエ78 15は台枠破断に?)、帝都電鉄クハ500形(筑摩電鉄の注文流れ車と言われる)も、台枠中央部を延長して帝都タイプにしたのか、オーバーハングが非常に短く、小田急に移籍したクハ1551になってからは、再度?台枠と車体を延長して、相棒のデハ1501におおよそ合わせる工事までしています。
これらの工事内容からすると、モハ50やクハ65などに、院電台枠が混じっていても、不思議は無いようにも思えるのですが、モハ50の鋼体化時の番号対象はwikipediaにも載っていますけれど、そのような車は無いことになっています。
しかし、名義だけになっている車は無いのか(戦後の60系客車の時は、かなり元番号と異なると言われているわけですし)、例えば中央部分は院電台枠だけど、両端の継ぎ足し部分がモハ10形台枠で、そっちの番号が改造元番号になっている等が無いのか、検証されている記事は今のところほぼ見つかりません。そうすると、無いとも言い切れないのかも…。
手持ち資料の少なさが歯がゆいですね…。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 
 

デハ63100形震災復旧車の台枠

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 6月 9日(土)01時36分22秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

少し前の、すぎたまさんからの話で、近江鉄道モハ220形製造に使われたと考えられる元小田急1600形の台枠中に、車体長が少し長いクハ1650型由来のものが入っている可能性が有り、完成した車両のどこかに違いが認められるのではないか、とのコメントを見て、大正末期の木造省電デハ63100形に似た話があったことを思い出しました。

 デハ63100形は、後の17m級省電に受け継がれる基本的な車体のレイアウトを確立した車両でもありますが、製造(最初の落成は大正13年6月)時に、「関東大震災による焼失車の台枠を流用した車がいる」との記事をどこかで読んだことがあります。全長が16.8mおよび近似の値になった5桁の番号の車だけでなく、全長が16.0m程度の4桁の番号に由来する台枠を使って製造された車があり、この場合、「オーバーハングを伸ばしてつじつまを合わせた」ために、他の車に対して「台車が内側に寄っている」ことがはっきりわかったとのことです。また、後にモハ50形に鋼体化改造された時もボルスタ間隔の短い台枠をそのまま使ったため、由来の違いがはっきり分かったとのことです。
 ただし、記事では、「台車が内側に寄っていたことで違いが分かった」と記述されてはいるのですが、「具体的に何番が該当車だったか」の記述は無かったので、この「台車が内側に寄った車がその後どうなったか(クモハ11400台になった?戦災廃車になった?早期に私鉄に譲渡された?)かはわかりません。少なくとも、末期まで国鉄に残った車には該当車はいないと考えられます。

 台枠を利用したかどうかは別問題として、元の木造省電の車体長がそのまま鋼体化で受け継がれた例として、先日も触れた南武鉄道のモハ503形、505形がいます。モハ503型は、元の木造省電の車体長をそのまま移植した16m級の車両になり、モハ505型は元モハ1形の車体長を継承した17m級の車体になっています。南武鉄道の方で、当時新製していたモハ150形の17m級の車体に規格を合わせるような注文が無かったのか、「種車の寸法を継承する要望」があったのか、古典客車利用の電車型客車と併せて方針の不徹底を感じます。

 台枠の流用の仕方も、組み立てられた形のままで使われるものもあれば、部品レベルまで解体してから再組み立てをするものまで幅が有ります。前者は、主にスハ32系ダブルルーフ車を種車にして改造されたオハネ17形があり、RP誌の1999年の10系軽量客車特集で写真の解説があります。その中で、車体を解体して台枠だけにして、さび落としをした上で、その上に車体を組み立てている様子が確認できます。後者は60系鋼体化客車が有り、17m級の木造客車の台枠を解体し、20m級の鋼製客車の台枠を作り上げています。こちらも2000年のRP誌の60系鋼体化客車特集で写真の解説があります。また、最近のRP誌増刊の荷物電車特集号で、クモユニ74形の改造し、元のモハ72型の台枠が亀裂の発生等、劣化が激しいために、台枠の解体と再組み立てに近い大規模な補修を行ったことが記述されており、この過程で車体の角がRが大きいものへの変化が起こっています。このため、「台枠の再利用」も元の車体の形態を受け継がないことがあり得ます。
 

大船工場の湘南型前面の補遺など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 6月 2日(土)13時59分29秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

大船のクハ76前頭部について
 73おやぢさん、通りすがりさん、るぽとさんより情報をいただいた、大船工場のクハ76形前頭部ですが、「クハ76066」は、昭和30年型なのですが、テールライトが、この車のみ前年度までの車の旧タイプのもの(周囲をネジ止めしている、少しゴツイもの)付けていた、という特徴がありました。このため、るぽとさんの写真で、テールライト部を拡大して、「旧タイプ」であることと、手すりを拡大して、「左右をつなぐけ掛けサボフックが付いていない」ことが確認できれば「クハ76066であることが確定」といえます。工場保存の前頭部については先日の報告のように、掛けサボフックが付いていることと、テールライトが旧型ではないことが確認できるのでクハ76066ではないと考えています。

RM Library「国鉄工場めぐり」続報
 中巻P8の大井工場内の留置車両のなかに、「サハ78144」の車号が読める車の写真があります。
 桜木町事故の事故車は、先頭車が「モハ63756」、2両目が「サハ78144」とされていますが、RM276号で、桜木町事故に関する裁判の記録には2両目が「サハ78188」と記載されており、法曹界では「サハ78188」が常識であるとの報告があり、2両目の車が「サハ78144」と「サハ78188」のどちらなのか、という検討が有りました。当時の記事では、大井工場に留置されている車が「サハ78144だった」との目撃談があったのですが、文章としての記述だけで、映像としての記載は有りませんでした。今回のRM Libraryに掲載の写真は「サハ78144」の車号が確実に読めるもので、桜木町事故の事故車が「サハ78144」であることの優良な証拠と考えられます。
 同じページでは、「クハ5500の廃車体」(1965年2月3日撮影)があります。この車は、飯田線で使われていたことがあり、「飯田線を走った車両たち」にも記載されています。昭和35年ごろのRP誌に「クエ9425」へ改造されたとの記述(最近のRMアーカイブスにも有り)があり、RP93-4号の飯田線旧型国電特集でもそう記載されているのですが、実際には改造は行われず、そのまま廃車になっています。この写真は、クハ5500が改造されずにそのまま廃車になったことを示す有力な証拠になると考えられます。
 下巻P7にはクル29003の写真があります(1974年9月21日撮影)。クル29003は旧型国電の配給車のなかでも、目撃されることが異様に少ない車で、HP「おいらの70形電車」中の事業用車の項目中でも、他の旧型国電の配給車の写真が掲載されている中で、唯一この車だけ写真が未掲載になっています。また、前面を貫通化改造しているのですが、他の前面が貫通化されている、モハ30型、モハ31形由来の旧型事業用車は全て貫通化改造済みの仙石線の車を種車にしているのですが、クル29003だけは仙石線とは関係が無いのに前面を貫通化しているのが特徴です。特徴的な前面のこの車が目撃が少なかったのは、「関西唯一の”クル”」であったために使いにくかったのではないかと考えられます。
 

大船のクハ76

 投稿者:るぼと  投稿日:2018年 6月 1日(金)20時56分7秒
返信・引用
  大変ごぶさたしています。

首記の件ですが、78年11月下旬撮影のものがありましたのでご紹介します。
メモには76066とありますが根拠は失念、件の保存車かどうかは分かりません。

また、「ショッポーの趣味部屋」というブログの2018.1.31投稿記事に
78年6月の高崎界隈留置の76082と76066の写真がありました。

あと、鉄道ホビダスの「消えた車輌写真館」の2017年10月5日の記事に76066があり、
79年11月の写真が添付されています。



 

Re: 国鉄工場めぐり

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月31日(木)21時08分12秒
返信・引用
  いつも楽しく読ませていただいています。

> もう一件、大船工場のクハ86形の顔とあるのは、ご指摘どおり76形です。現物は撮影していないので詳細は忘れましたが、工場公開イベントで現認しました。ベースはスカ色だったような…。

あのクハ76は最初1両丸ごと保管していたんですが、ナハネフ22の保管と入れ違いで解体されたものです。前面も最初はきれいに保管されていましたが、いつの間にかひどい姿になって残念でした。
番号は知りませんが、下り向きでした。

 

国鉄工場めぐり

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 5月30日(水)21時43分25秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。

原口さんご紹介の「国鉄工場めぐり」、じっくり見てなかったので、改めて見直しました。
吹田工場で吊り上げた絵葉書の63形は全体にブラシ修正しているものの、画像自体を書き替えていないという前提なら、栓収めが標準位置より車体中央へ寄っているのは関西配属車ではレアケースです。ちなみにRF417号39ページ上の写真の右に写っている73形は個人的な車号推定で73019と付き止めています。そうすると、その前身の63581は候補の一つかもしれません。

もう一件、大船工場のクハ86形の顔とあるのは、ご指摘どおり76形です。現物は撮影していないので詳細は忘れましたが、工場公開イベントで現認しました。ベースはスカ色だったような…。写真説明には「補修」とありますが、なにかの練習台だったと聞いた記憶があり、パテ盛りの訓練用かもしれません。正式な保存ではないので、閉鎖時まで存在したのかも不明です。ナハネフ22や松葉スポーク車輪は大宮鉄博に引き取られましたが、“最後の湘南顔”であっただけに、きわめて残念です。いやはや、これは詮無き繰り言で失礼しました。

 

元南武鉄道クモハ2000形の新たな写真の発表:RM Library 226「南武鉄道モハ100形15輌のはなし」発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 5月29日(火)00時50分25秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

RM Library 226「南武鉄道モハ100形15輌のはなし」が発売になりました。
 南武鉄道モハ100型の総数15両は買収国電としては阪和電鉄モタ300形の30両に続く多数で、早い時期に地方私鉄に散らばっていったため、新製当時に譲渡後の工事が重なった形態の変化、および地方私鉄の車両導入の事情など、様々な興味深い経過をたどっています。このRM Libraryの新号は南武鉄道モハ100型に注目し、南武鉄道時代と国鉄買収後、さらに地方鉄道への譲渡後を追跡したものなのですが、他の南武社型も記述されており、その中で富山港線時代のクモハ2000形(南武鉄道モハ150形)の新たな写真が紹介されています。この中で注目はP22のクモハ2006の写真で、後位運転台の詳細がわかるものです。南武モハ150型は元々は両運転台で運転席側だけに乗務員扉があったのですが、片運転台になった車は後位運転台の乗務員扉が全部助士席側に移設され、両運転台で残った車は助士席側に乗務員扉を追加しています。この中でクモハ2006は一旦片運転台化された(「私鉄買収国電」)P37掲載の1954年5月2日に可部線可部駅で撮影の写真)のですが、昭和34年の改番で片運転台車をまとめた「クモハ2010形」にはならなかったことから、両運転台に復元されたことがわかります。この状態の写真はRP92-11号「特集 南部・青梅・五日市線」に昭和35年ごろの2色塗り時代のものが掲載されており、貫通路を残したまま運転台が付けられたことがわかりますが、真横に近い撮影アングルのため、貫通扉の形態など、運転台部分の詳細はわかりませんでした。今回発表の写真は1965年4月撮影の最末期のもので、増設運転台の運転席側からですが正面に近いアングルのため、助士席側の窓は2段窓であること、貫通扉は木製で2段窓であること等の形態が確認できました。他の富山港線の南武社型はクモハ2011(P23)、クモハ2020,2021(P24)の写真が掲載されています。クモハ2020の写真は、単独で切り離されて留置されているところを後位の撤去された運転台側から撮影した珍しいもので、運転台撤去工事(クモハ2020形は元々は両運転台)の内容がわかる珍しいものです。

他に興味深い写真としては、P25の阪神の木造車を流用したとされるサハ202,202が「新車」として入線した直後の、塗装に艶が有っていかにも「新車」のような雰囲気を醸し出している写真があります。

同号のテーマである「モハ100形」に戻ると、「南武鉄道時代の写真」が多く掲載されているのが注目で、他、「小田急に貸し出されて小田急本線を走っている写真」(P17)も興味深いものです.
また、南武モハ100型のうち、103, 111は譲渡されずに早期廃車になっているのですが、金沢文庫の東急車両の工場で車体が長い間放置されていたことが報告されています。P12,13に写真があるのですが、撮影年月が「1963年3月」とかなり後で、かなり長期間車体がバラックのような状態で残っていたことになります。
譲渡後のモハ100型の中で、最も長生きだったのは高松琴平電鉄81(1998年廃車)ですが、同じ経過をたどった82と73は、1983年廃車と早く消えたために琴電時代の写真が非常に珍しく、同号でも掲載されていません。73の非常に珍しい写真はWikipediaに掲載されており、南武鉄道買収車の項目から見ることができます。

金沢文庫だより
 最近の金沢文庫の総合車両製作所横浜工場では、都営浅草線5500形の製造が始まっており、今月中ごろに「5502」の車号の車を確認したのですが、この編成が落成したようで、今日の通勤時、京急金沢文庫検車区の工場の建屋に引き込まれていました。
 また、「鉄道ダイヤ情報」によると、6月に川崎重工から1600番台6両編成2本が回送されるそうで、これまで年末から年が変わってからの落成が続いていた京急の新車が珍しく年末を大きく外れた時期に落成することになります。また、東京地下鉄日比谷線13000形も5月20日から6月20日の間に3本が落成する予定で、うち1本が熊谷貨物ターミナルに到着しているのを今日の通勤時に目撃しました。6月中頃の甲種輸送は熊谷貨物ターミナルから秩父鉄道、東武鉄道の回送ではなく、越谷貨物ターミナル駅に到着する予定になっており、車両搬入ルートが変更される可能性が有ります。東京地下鉄日比谷線13000形も5月20日から6月20日の間に3本が落成する予定で、うち1本が熊谷貨物ターミナルに到着しているのを今日の通勤時に目撃しました。6月中頃の甲種輸送は熊谷貨物ターミナルから秩父鉄道、東武鉄道の回送ではなく、越谷貨物ターミナル駅に到着する予定になっており、車両搬入ルートが変更される可能性が有ります。
 

旧型国電のクレーンつり上げ写真の発見など:RM Library 192~194「国鉄工場めぐり」(上~下)より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 5月28日(月)00時02分25秒
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  皆さんこんばんは

用務が続き、御無沙汰しておりました。

先日、RM Library 192~194「国鉄工場めぐり」(上~下)を入手し、旧型国電を含む珍しい写真が多く収録されていたので報告したいと思います。
 RM Libraryでは、この場でも報告された東急碑文谷工場や、西武所沢工場など、私鉄の工場の歴史を紹介した号がありますが、「国鉄の工場」でも同様に写真をメインに歴史を振り返れないか、というコンセプトでまとめられたのがRM Library 192~194「国鉄工場めぐり」(上~下)です。北は旭川車両所から、南は鹿児島総合車両所まで30近い数あった国鉄工場が、昭和20年代末期からJR直前までの写真が紹介されています。
 全体としての印象は「古典車両の写真が多く紹介されている」ことです。元々工場内の事業用としては第一線を退いた古い車が使われることが多く、旧型国電では昭和50年台の大井工場のクモニ13や、以前も話題になった大船工場のクモハ12051やクモハ40、吹田工場のクモハ32002等が有名でしたが、「昭和30年代初頭の時点」で「古典的な車両」が多く紹介されています。全国的には、昭和20年代に行われたオハ61系鋼体化客車の「鋼体化工事」から漏れた、「鉄道院基本型客車」や、国有化以前および買収私鉄の「雑形客車」が事業用として多く使われており、特に中巻P32に収録されている1953年頃の浜松工場の通勤列車は、鉄道院基本型客車や、それ以前の車両限界が少し小さい車を交えた、二重屋根に「トーピードベンチレーター」を並べた車で編成されている、昭和20年代末とも思えない古めかしさを感じさせます。

 旧型国電では、中巻P9の大井工場の天井クレーンで吊り上げられたクモハ73057の写真(1965年1月14日撮影)に注目しました。最近「車体と台車の結合」に注目していて、工場のイベントでの車体の吊り上げ、ジャッキアップで車体の床下を見ることができる機会に台車周りを観察しており、この場でも東武、京急、西武の車両の心皿構造の写真を報告していますが、これらの観察を通して、「旧型国電を吊り上げた写真の紹介は無いだろうか」と考えていたところでした。国鉄~JRの工場の公開イベントが定期的に行われるようになった頃には旧型国電は無くなっていたので、旧型国電の吊り上げ写真は個々の工場で歴史をまとめた「~工場~年誌」のような業務出版物くらいでしか発表が無いのでは、と思っていたので、この写真には驚きを感じました。
 このクモハ73057の写真では、心皿に細いピンが突き出しており、この点では以前紹介の写真では東武8000系に類似しています。また、同じく以前紹介の野辺山SLランドのTR34台車の心皿の構造とも対応しています。
 吊り上げ写真はもう1枚、下巻P6に吹田工場でのモハ63型の吊り上げ写真が掲載されています。これは吹田工場の創立30周年記念絵葉書の写真で、吹田工場は1921年創立らしいので、30周年は1951年のことになり、当時最新の写真ということになります。正面近くから見ているために床下はよくわからないのですが、「奇数車であること」「幕板の通風器はすでに塞がれていること」「掛けサボフックが付いていること」が確認できます。

 他、旧型国電では大船工場の「湘南型前面を切り取ったもの」(1986年3月30日撮影, P25)が注目です。解説では、「国鉄末期の頃、既に消えたクハ86の先頭部が保管されていた。補修されているようだが、この後どうなったのだろうか」とあり、クハ86形とされているのですが、左右の窓下手すりをつなぐ「掛けサボフック」が付けられているので、クハ76形のほうだと考えられます。掛けサボを常用していたクハ76形は京阪神緩行線及び阪和線の車で、主に横須賀線の増発で横須賀線に転入した後、さらに各地に転出したので、掛けサボフックを付けたクハ76形は70系を運用していた線区に数両ずつ散らばっていました。その中で、大船工場で解体されているので新前橋電車区の車なので、湘南型前面の由来は、昭和29年型の76065、昭和30年型の76088、昭和31年型の76082, 085, 091の範囲になるのですが、テールライト直下で切り取られているため、方向はわからないのですが、テールライトが昭和29年型までの旧型ではないことがわかるので、「76065ではない」ことがわかります。また、テールライト上のステップの幅がテールライトの構造と同程度の、幅の狭いもので、残る4両のうちでは76082のみがこの形態(他は幅広)なので、この湘南型前面は「クハ76082に由来する」と考えられます。
 また、運転台内に他の旧型国電に由来する検査標記を切り取ったものが保管されているようで「形式クハ47 自重30.8t」等の文字が読み取れます。

 他、松任工場では、「全焼したクハ79244」の写真が掲載されています(1975年5月26日撮影, P43)。「廃車となったクハ79244は焼失状態であった。経緯は不明である」と記述されていますが、手掛かりとなる写真がRM Library 139「マニ60・61形、スユニ60・61形」(下)に記載されています。P48に全焼したオエ61 74の写真が掲載されており(1989年1月7日撮影)、「国鉄末期に廃車になった車両の処分において不要な木製部分を焼却してから解体したケースがある」と解説されています。このため、クハ79244も、解体に当たって「木製部分を焼却した」のではないかと考えられます。オエ61 74ではさらに塗料が燃え尽きるために「結果として鉄柱材の工法や、種車であるマニ60 2667時代の車掌室付近の窓配置がわかる」と解説されており、クハ79244も乗降扉の「プレスマークを埋めた跡」がよくわかります。また、クハ79244の1-3位側(写真の側)のドア形態は左から右(後ろから前)へ「2段窓―2段窓―1枚窓―1枚窓」なのですが、一番右の扉にはプレスマークが認めらないことから、このドアは元々プレスマークが無かった、すなわち、富山港線転入以前に新しいものに交換されていたと考えられます。

J-Train最新号など
 今月は「J-Train」最新号など、季刊の鉄道雑誌も発売になりました。毎年のこの時期は貨物列車の話題が多く取り上げられ、複数の鉄道史で特集されていました。J-Trainは前号で電車区めぐりが終了したので、「客車の話題の割合が多くなった」印象があります。
 電車の方では、首都圏の電車の動向で、総武緩行線のE231系0番台の「6M4T組み替え編成」が登場したことが報告されていました。川越線へE231系0番台が「6本」転用されることが発表になっており、同数のモハE231-モハE230ユニットが発生することになるのですが、その行き先が確定したことになります。また、山手線から転用されるE231系500番台の数は総武緩行線の所要数(E231系0番台と209系500番台の合計)よりも「6本少ない」とどこかで見たことがあり、この数に合わせてE231系0番台が残り、さらに川越線へのE231系0番台の転用数が決定したことが伺えました。
 

近江鉄道モハ220形の種台枠

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 5月24日(木)05時15分2秒
返信・引用 編集済
  みなさんおはようございます。

近江鉄道モハ220形ですが、古台枠流用、側面に西武701系一部利用、下回りは西武経由の旧形国電用機器、西武のFS40台車を合成した電車として、つとに有名ですね。
ところがこの車の車籍ではなく(車籍は近江鉄道の場合、めちゃくちゃと言ってもいいくらい複雑なので、あてにならず)、実際に利用された車体台枠に着目すると、1つの謎が(謎はたくさんありますが、気になるところがという意味で)。
元の車籍としては、モハ100形(元岳南鉄道)や、モハ200形(元小田急1600系の車体)などを引き継いで、「改造扱い」で製作されています。機器類は確かに車籍の車輌のものも、使ってはいるようですが、モハ100形の場合、当該のモハ220形が出来上がっているのに、廃車留置線にその姿が見られた時期があり、明らかに直接の種車にはなっていません。
それで、当時RM誌に推定として載っていたのが、
モハ205--221
以下台枠流用した実際の車輌として、
モハ203
モハ201-クハ1201
モハ202-クハ1202
が推定されていました。仕上がり、台枠の厚さ、車体長さ、幅などから判断して、間違いなさそうです。
ところが小田急時代の旧番号を書き出しますと、
205--デハ1605
203--デハ1610
201--デハ1609
1201--クハ1657
202--デハ1603
1202--デハ1602(旧デハ1601)
となっており、クハ1650形が1輌混じっています。問題なのは、クハ1650形は戦後製、デハは戦中の製作なので、車体長が若干異なるのです。
そうすると、1輌だけはモハ220形に改造後も、寸法が異なっていたのではないか?、という疑問が生まれます。
今のところ、モハ220形には、連結器が大正時代のシャロンやアライアンスを使っているものがある、モハ221は当初2段窓であった程度の違いしか、見いだすことは出来ませんが、1輌だけ微妙に車体長が長い車が無かったのか。これは気になるところです。何か資料はありませんかねぇ。
流用された主電動機はMT-15形、台車はFS-40で、主制御器はCS-5相当、主幹制御器はMC1Aです。台車とブレーキ以外は旧形国電の装備そのものですが、先頃再審請求がなされた「三鷹事件」の実証実験に使える車輌ではありますね。

<追記>
小田急デハ1600形の車体長は15800ミリ ボギーセンター間距離10400ミリ
同クハ1650形1657号の車体長は16350ミリ 同上11150ミリ
です。データは、「鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950~60の70ページ車両要目表によります。

失礼いたします。

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ED19きれいですね

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 5月 8日(火)10時06分48秒
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  Satokawa@管理人さんこんにちは。

ED19形、輸入機だったはずですが、すっかり日本風にも見える機関車ですね。郷土博物館に保存というのも、長く親しまれた証拠でしょう。
雨どいが後付け感たっぷりなのも、雨が多い日本の風土に合わせた改造でしょうか。車内の「引き出し」みたいなの(右側。左奥はCP?)も、まるでタンスのようで面白いですね。
この1号機は、ED53時代にお召指定機だったのか、乗務員名札さしがありますね。
なにより、このような美しい状態で保存されているのは、意義のあることだと思います。

失礼いたします。

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