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お礼と 72110・14110

 投稿者:34036  投稿日:2018年10月13日(土)21時27分55秒
返信・引用
  皆さん、こんばんは
73おやぢさん

●拙図へのコメント、ありがとうございました。おかげ様でさらに明確にイメージできるようになりました。

戦前式の 電気側=BS、空気側=MS 配置が逆転するのは、昭和22年度の63500からではないか、ということですね。

この当時の写真は限られていて、それも断路器の箱に記されている文字の判読可能なものが少なく、もどかしい限りです。
RPアーカイブス37 p.43掲載の63701の写真(空気側)で断路器が見えていない件、
「歩み」63系に、「戦後中期形63703」の写真(写真番号196)があり、
こちらも空気側が見えていますが、こちらは台車の横に断路器が設置されています。
ただ残念ながら解像度がいまいちで、記されている文字がMなのかBなのか判断がつきません。

63701のキャプションには「昭和22年度川崎車輛のモハ63701」とありますが、川崎車輛というのは誤りでしょう。
63701、63703ともに汽車支店製で、同時期の製造だと思いますが、見た目上記の違いはどこからくるのでしょうか。
(ただ、63701の方は断路器が隠れて見えないだけかもしれません。実際ちょっとそれらしい配管がのぞいているようにも見えます。)
しかし、63701、63703の電線管は左右振り分け配管であるようには思われるものの、両写真からは断定しきれないものを感じます。

「電車のアルバム」p.81に近車製の63502が掲載されています。
この場合は(関西)偶数車で、②④側=空気側が見えていますが、電線管は向かって右側(空気側)で2本とも一緒に降りているようにもみえます。
(一緒に降りているのは空気管なのかもしれませんが、太さ的には空気管は反対側で降りているように感じられます。)

もしそうだとするなら、先の分類による「昭25~26」タイプを先取りしていることになります。
掲載されている写真からは台車の横に設置されている断路器の文字は、やはりMなのかBなのか判断がつきません。
(この写真は西尾写真で、オリジナルは解像度がよいのかもしれません。)


●「MSの直前にある不思議な箱=塞流線輪」の解説、どうもありがとうございました。
「電車名称図解(昭18)」は国立国会図書館デジタルコレクションにあるのをみつけて、説明を見ることができました。
なるほど、雷は高周波だから、それが主回路に行くのをコイルでブロックして、アルミニウム避雷器(電解コンデンサと考えればよいのですね)で接地して逃す、というわけなのですね。


●以前、60110と11110を話題に挙げましたが、110つながりということで72110と14110を挙げてみたいと思います。
 ◆72110

剛体強化近代化後の72110は側扉の開く方向が特異な車輛ですが、その理由については議論されたことはあるのでしょうか。
偶数向きを奇数向きに変えたことあたりが絡みそうに思いますが、ほとんど時期的に一緒に改造している72082も同条件なわけですね。

 ◆14110(と14111)の旧車号で正しいのは?

以前は
A
30073⇒62011⇒14110
30074⇒62012⇒14111

とするのが主流でしたが、最近は

B
30073⇒62011⇒14111
30074⇒62012⇒14110

とするものが多いようです。

Aとしているものに、「歩み」、「飯田線の旧型国電 巻末 飯田線用電車の移動一覧表」など
Bとしているものに、「国電車両写真集 巻末 旧形国電車歴一覧表」、「旧型国電50年Ⅱ 28年6月改番表」など

こうした不明瞭な点があるにもかかわらず、この点に係る解説を見たことがありません。
62形当時と改番後の写真比較ができればよいのですが、14110代の丸屋根更新前の写真はあまり公表されていません。

(1)「鉄道青春時代 国電(Ⅰ)」p.16 と「RM LIBRARY No.223 1950年代の戦前型国電(上)」p.13 に同一写真が掲載されていますが、
captionは 前者では 「モハ62011」としているのに対し、後者では 「モハ62012(←モハ30074/→モハ14110)」となっています。
撮影年月日は 27.5.2 豊川駅 偶数向き

(2)「鉄道史料 第78号」に「モハ30系半鋼製電車図面」という編集部による記事があり、p.30に更新前の14110が掲載されています。
captionは モハ14110(旧モハ62011)
撮影年月日は 29.10.18 豊橋区 偶数向き 台車はDT10のようです。

(2)の写真では、前面にはサボ箱があり、取付式尾灯の上にステップがあり、前面窓の支柱に取っ手がつけられているのに対し、
(1)の写真では前面にサボ箱がなく、尾灯の上のステップや支柱に取っ手がありません。
ただ、撮影年月日に開きがあり、両車が異車であると断定することはできません。

台車は、もともとは62011、62012ともDT10でしたが、両車で時期は異なるようですが、最終的にはどちらもDT11に履き替えています。
「歩み」によれば14110はDT11、14111はDT10とされていますが、いつの時点の話なのか?
14111は遅くとも30年11月にはDT11をはいています(国鉄電車回想Ⅲ p.95 &108)。しかし丸屋根更新前に履き替えていたかは情報をもちません。
一方14110は上記(2)の通り、更新前の29.10時点ではDT10であったようです。

偶数・奇数から言えばBが合理的です。
二扉化改造は昭和25年8-9月で、その時点では、62011は奇数向き、62012は偶数向きでした。
横須賀線への70系投入と共に静鉄にモハ32が大量に転入し、当初は32-66-32のような編成が組まれており「鉄道史料38号 国電メモリアル 50系省電(Ⅵ)」によれば、上記62形も飯田線で 62011-4301-62012 の編成で使用された旨の記載があります。
しかし、その後静鉄では飯田線、身延線とも Tc-Mcのユニット それもTc:奇数向き、Mc:偶数向き に統一が図られ、28年6月の改番の時点では、62011も偶数向きになっていたはずです。なので上記のうちAとする合理的理由もあったと考えます。

 
 

引き続き、配管話です

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年10月 8日(月)17時48分27秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。
34036さん

配管図、拝見しました。
戦前式の断路器配置(電気側=BS、空気側=MS)が戦後式に逆転した時期が判明すれば、図の分類がさらに正しくなる、ということですね。
明確に突き止めたわけではありませんが、私は63形の増備途中と考えています。例えばRPアーカイブス37の20ページ、63229は空気側にMSがあり、戦前式です。一方、43ページの63701は空気側に断路器が全く見えません。この時代に同一箱はあり得ませんから、反対側(電気側)に単独(SH44)のMSがあるのは確実です。63形は昭和22年度のいわゆる63500形で大々的に仕様を見直しているので、おそらくこのタイミングで戦後式に変更されたのではないかと想像しています。

そうすると、製作された図の最上段は「~昭21」とし、この図の側面を左右で反転したもの(MSとBSが入れ替わった戦後式)が「昭22~」(63形後期車と80形に適用)となるのではないでしょうか。なお、63形と80形にMS直前の箱(後述します)はありません。ちなみに現状で「~昭26」とした電気管2本まとめの図は、より正確に言うなら「昭25~26」(70形に適用)ということになります。労作に後付けであれこれ申しまして、失礼しました。

戦前式のMSの直前にある不思議な箱は、塞流線輪(そくりゅうせんりん、とでも呼ぶのでしょうか。塞流コイルとも言う)です。ここから先は「電車名称図解(昭18)」や「わかりやすい電車工学(昭22)」からの受け売りです。

小箱の内部は木製の円筒に主回線がぐるぐる巻きになっている。そうすると落雷時の高電圧高周波の交流は、その性質からぐるぐる巻きを通過できず、結果的にその先の主回路が保護される。と同時に行き場を失った交流は線輪の手前で分岐して床下中央部に吊架されたアルミニウム避雷器へ向かい、ここから地気する。

ということらしいです。上記の教科書には「線輪がなくても他の機器で安全が担保されるので、今後は装備しない可能性がある」という意味の記述があること、アルミニウム避雷器はバッテリーのように電解液を必要とするが、戦時中に供給が途絶えたこと、戦前車でも更新前に屋上避雷器が整備されたことなどにより、線輪はなくなったようです。

電線管の太さですが、戦前製は1インチ(国鉄電車詳細図集による)、63形は11/4インチ(1.25インチの意。車両史編さん会「モハ63」による)、1本化により2インチ(電気車の科学による)と”進化”しています。これらは内径の保証値ですから実際には肉が加わって外径はさらに太いはずで、妻面の車側の吹き寄せ部寸法との兼ね合いも生じてきそうです。

 

配管のレイアウト、雪かき車の台車、台風と塩害など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年10月 7日(日)01時42分2秒
返信・引用 編集済
  34036さん、73おやぢさん、すぎたまさん、皆さんこんばんは

屋上から床下への配管の色々について
 ジュラ電も空気管は運転席側2本で、反対側の配管は避雷器配管であること、21年度車までがこのレイアウトで、22年度から車体設置に変わったとの話を見て、以前、63形は当初避雷器が床下にあったことを教えていただいたを思い出しました。空気管が、更新修繕後の旧型国電のように、ある程度幅を保って配線されているのとは違って、戦前はぴったりくっついて配線されているので、「書籍の写真」から見るのは画像の解像度の点で不利かも、と思いました。
 空気管からのパンタ操作も、「直接バルブをひねる」は極端でしたが、「運転台からの操作」が関係しそうとのことで、「運転台」が持つ、伝統的な考えを感じました。

 「仙石線のクモハ73011」と書いていたのは、クモハ73011は最終期まで残り、昭和55年5月11日のさよなら運転の編成に入っていたことから、強い印象があったことで、記憶が引っ張られていました。逆配管だったのは、確かにクモハ73003, 005で、両車はアコモ改造車投入時に一足先に廃車になっています。もしかしたら逆配管を嫌ったのかもしれません。

雪かき車の台車について
 ラッセル車のキ100,500形の前の台車は、「雪かき器先端の線路からのクリアランスを一定に保つため」に、「枕バネの振動による車体の上下動を起こさないようにするため」、枕バネを抜いた台車を装備していたと聞いたことがあります。雪かき器のクリアランスを一定に保つのは、除雪を一定にすることと、雪を噛んで脱線しないようにするためだと思います。TR41台車に対しては、枕バネを抜いた台車を「TR42台車」と形式が付けられていました。TR20台車の系列も枕バネを抜いた特製のものが付いていたはず(形式はTR20のまま?)です。バネが入っていないので、乗り心地はかなり悪かったと聞いています。
 写真は、幌内と小樽で見た、雪かき車をまとめたもので、上からラッセル車、ロータリー車、ジョルダン・マックレー車です。ラッセルとロータリーは、北広島駅にいた、現在使われている排雪モーターカーも入れています。また、ロータリー車は、先に碓氷峠鉄道文化むらで見たDD53 1も入れています。
 ロータリー車は、キ600は、後のディーゼル雪かき車と比べると、仕組みが簡単で回転翼だけです。ディーゼル車は、マックレー車の役目も兼ねているので、その分複雑になっているようです。
 従来型の雪かき車で、ラッセル車は、本州以南の車は弘南鉄道や、かつての新潟交通の車が有名で、本州以南でも割と目にすることが多いと思うのですが、ロータリー車、マックレー車とジョルダン車は、本州以南では珍しく、目新しい写真では、と思います。

台風と塩害について
 先日、京成電鉄が塩害と思われる大規模な停電によって長時間運休になりました。この「塩害」は、台風24号による強風で塩分が内陸に持ち込まれたためと考えられています。この「台風による塩害」は最近も何度か起こっており、普通、台風の襲来では同時に大雨になることが多いため、内陸に持ち込まれた塩分は雨で洗い流されることが多いのが、「風が強くて雨が少ない」と塩分が洗い流されずに残り、塩害を起こすことがあります。大規模な塩害が起こったのが、1991年台風19号で、西日本で大規模な塩害が起こりました。この時の塩害では、115系の歴史記述で重要な事件が起こっています。
 115系3000番台は、「単独編成での冗長化の確保」のため、モハ114が2丁パンタになるとともに、偶数向きのクハにC-1000コンプレッサーが追加されました。この「2丁パンタの片方」が台風19号襲来の後に撤去されました。当時の趣味誌では、「1丁パンタでも問題が無いために撤去した」のように報告されたのですが、翌月の号で「台風19号による塩害で予備品が払底したために3000番台の2丁パンタの片方を転用した」と訂正されました。このため、部品の供給が安定すると、また2丁パンタに戻されました。

 先月の台風21号の襲来時、「非常に強い台風の上陸は25年ぶり」との報道がありましたが、この「25年前の台風」は、1993年台風13号です。この時は熊本県で高潮による被害が起こりました。「非常に強い台風」の上陸は、1990年代前半に、1990年19号、上記の1991年19号、1993年13号と3つの上陸がある以前は、一気に昭和40年代の1971年台風23号にさかのぼります。昭和30年代は「伊勢湾台風(1959年15号)」「第二室戸台風(1961年18号)」など、6個ほどの「非常に強い台風」が上陸していますが、「1年に2個」の非常に強い台風が上陸したのは、1951年の現在の定義に近い台風の統計が始まってからは、初めての事です。
 

返)配管はこんな感じです

 投稿者:34036  投稿日:2018年10月 6日(土)18時32分14秒
返信・引用
  皆さん、こんばんは

73おやぢさん
(原口さん すぎたまさん)

電線管の位置と本数についてのまとめ、ありがとうございます。
まだまだ自分の中でも整理のつかない点は多々あるのですが、おかげ様で自分の中で混沌としていたものが、かなり明瞭になってきました。

戦前はBSが電気側、MSが空気側であったものが、戦後のある時期に逆転しますが、これは電線管を2本まとめて下すように変更した時期と一致しているのでしょうか。それともずれがあるのでしょうか。手元にある写真をいろいろ見てみましたが、ここのところがはっきりしません。

73おやぢさんにご呈示いただいた図をもとに、私も頭の中を整理する目的で図を描いてみました。あっているか自信がないのですが、ご笑覧ください。

戦前は、断路器の前に別の箱を通っているのですが、戦後の更新前の写真を見ると、この箱はなくなっているようです。恥ずかしながらこの箱の意味がわかりません。

それから、戦前のパンタグラフの段階からBS用とMS用の2本に分ける、というのがよくわかりませんでした。理屈の上では、そうした必要性はないわけですね。

「電気車の科学」の記述に依れば、それぞれ断面積=100平方ミリメートルの電線だそうです。流れる電流量からして、夫々にこのぐらいの太さが必要なのでしょう。

だから、戦後2本まとめる際には、断面積を2倍の200平方ミリメートルの電線にしているのですね。

100平方ミリメートルだと、断面が正方形なら1cm角、円形なら、ちょっと計算してみると直径=11mmぐらい。
200平方ミリメートルだと、直径=16mmぐらいとでました。これは相当ごついですね。

汎用資材としては100平方ミリメートルの電線に抑えておくのが無難だったのかもしれません。で、こちらを使用する以上は、共通の断路器まで行ってから分岐させるか、そうでなければパンタグラフの段階から、の二択になるので戦前のようなスタイルになったのではないかと考える次第です。

「電気車の科学」の記述の解釈、どうもありがとうございました。
これまでは、こうした改造は更新時に限られるもののように思っていましたので、その後あとあとまで、そうした改造が逐次行われていたことは初めて認識しました。妻貫通路の700mm⇒800mm化と同じような位置づけなのですね。

<引用>
●RP アーカイブ37 「63・73形電車の時代 1950~70」 pp109-114
「昭和29年度における 国鉄電気車の改修計画〔電車関係〕」 原典:「電気車の科学 1954-5(No.73)」
2.車両保守特別修繕(経常費)
(8) 妻貫通引戸新設工事(継続) の項
これは更新修繕に併施して妻貫通路を幅800mm(従来は700mm)に統一し、これに鋼板プレス製の引戸を取り付けるものである。
なお、この工事は冬季連結側よい寒気が進入し、せっかくの電気暖房器もその用をなさない現状に鑑み、急速整備のため本年度は特に一般検査にも併施して、その一部314ヶ所を施工することとした。


上記「29年度の改修計画」に関する「電気車の科学」の記述では、73に限らないような書き方になっていますが、戦前型はこの時点では、これから更新工事という段階であるので、基本的に更新併施だろうと思いますが、73、72は一応更新がすんでいるので、「本年度は特に一般検査にも併施して」というのは主として72、73が対象だったのだと考えます。
おそらくは28年度下期以降、一般検査に併施の形で相当数の72、73の貫通路の再改造(700mm⇒800mm化と引戸設置)が行われたのでしょう。


>原口さん

73011を例として挙げられていたので、手持ちのネガを見てみましたところ、仙石線には吹田系の73が何両かいましたが、既に73011は標準配管に改造されていたようです。特に珍しい写真でもないですが、参考までに仙リハの吹田系73の前頭部を貼ります。

73005の大阪環状線時代の写真を下記に見ることができます。

「鉄道青春時代 -国電(Ⅰ)」p.72

写真では電線管は2本左側にまとめられている26年度スタイルですが、仙石線では電線管は1本化されています。ただし、逆配管のままですね。73003も逆配管のままです。

73005の例のように、これまで、こうした点は特に注意を払ってみることをしてこなかったのですが、73おやぢさんのおっしゃる通り、鋼体強化改造をせぬとも、電線管の張り直しがちょこちょこ実施されていたことが確認できました。
 

参考になりますか?

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年10月 6日(土)07時09分6秒
返信・引用
  みなさんおはようございます。

車両史編さん会「国鉄鋼製電車史 モハ63形 中巻」に多少の記載がありました。
まず、モハ63形時代には、SH427を使用した記録はありません(これは当然か…)。SH44×2の様子です。SH44は、巨大なナイフスイッチですね。
次に昭和21年度車までと、22年度車以降で、前面配管の取り回しが異なります。
●21年度車まで:正面右に太い電線管×1と空気管×2 左に太い電線管1とやや細めの電線管1
※この細めの電線管は、避雷器の接地線です。
●22年度車から:正面右に太い電線管×1と空気管×2 左に太い電線管1
※避雷器からの接地線は、車体に直接接地に変更されたので無くなりました。また図に23.3.10の会議で、パンタとの空気配管を(パンタ部で)短くした旨の記載があります。
それで、パンタの上下電磁弁は、18年度車は運転台のすぐ右側(正面に向かって右窓と中央窓の間)にあります(形式VM3)が(電装されなかったはずなので、実際には取り付けず?)、その後の増備車である21年度車では、中央窓下になり(形式VM1Z)、さらに運転室が全室化された22年度車からは、右窓と中央窓下になっているようです(形式VM1Z)。
なお、22年度車では、母線に木製のカバーが付きます(屋根上)。
以上参考になりますでしょうか。

>原口さん
珍しいアーチバー形の台車写真ありがとうございます。
拝見しましたが、TR16形のような形状の台車は、軸距が短いですね。また枕バネがコイルバネ形状ですね。軸箱のフタを、板バネで押さえつけているのは、雪が入らないため?。不思議ですね。
TR20形と思われるものも、画像右上のキ718のものは、枕バネが3連で、他の2連のものと異なりますね。これもやはり同じ形式にムリヤリ入れているのでしょうか。
雪かき車の前側台車は、台車形式が「特殊」となっていたような文献があった由に記憶しています(何だったか失念…。確かバネを設けないで、雪による脱線防止になっていたような?)。
HO模型のエンドウ社キ100形は、前の台車が車体に当たるので、軸受けのみで側枠の表現が無いものをつけてあります(笑)。しかも後位台車はTR41です…。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

作用管が2位にある件

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年10月 5日(金)19時55分1秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。
原口さん

空気配管は外から見えないので具体的な取り回しは不明ですが、ごく基本的な原則を示せば次のとおりです。

元空気溜管は運転台のブレーキ弁まで配管されているので、これを直前で分岐させてパンタの作用管と警笛にも使用します。圧縮空気の開閉は電磁弁操作で行い、電磁弁の頂部にある押しボタンが、いわゆるパン上げ(パン下げ)スイッチです。これは通常、運転士の至近に設置されているはずです。
戦前車から逆配管車まで、作用管が妻に向かって右(2位)にある確固たる理由は知りませんが、以上の経緯を考えたとき、運転台付近から立ち上げる、すなわち2位に配管するのは近道で合理的ですから、理由の一つにはなると思います。

ジュラ電の配管ですが、RF417号に正面写真があり、明瞭です。すなわち電線管は約束どおり左右振り分けですが、作用管は2位の車側にあるので、不鮮明な写真だと電線管と一体化してしまうんでしょうね。ちなみに1位の車側にも細い管が1本ありますが、これは避雷器のアースと考えられます。
 

2本母線の接続、空気管など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年10月 4日(木)01時09分47秒
返信・引用
  73おやぢさん、皆さんこんばんは

 2本の母線とMS, BSについての解説をありがとうございます。
 後年の配管が母線1本と空気管2本のレイアウトに規格化された状態を見慣れた目からは、2本の母線はどのような電気的な理論なのか、奇異に感じるものだったので、特に添付の回路図は理解に役立ちました。
 先日の「国鉄車両写真集」のモハ63856は、80系1次型と同時期の車なので、MSとBSの配置は80系と同じだと思うのですが、「旧型国電50年(1)」表紙及びP16のジュラ電は同じ太さの管が左右2本に振り分けられているように見え、空気管がどうなっているのか不思議な感じです。
 ところで、空気管の方は、戦前から63形まで、上記ジュラ電を除いて一貫して運転席側(関東型配置では電気側)に2本の管が降りており、関西の42形、および床下機器配置が関西型になった63形でも方向に関係なく運転席側(上記のモハ63856など)で一貫しています。戦後の配管レイアウトを見慣れていると、これも奇異に感じるもので、「運転席側」なので、「空気管が運転席まで引きこまれ、運転席でバルブをひねって直接空気管の開閉をしているのではないか」と邪推したのですが、実際のところどのような事情でしょうか。「運転席でバルブをひねる」はなくても、何らかの形で運転席が関係しているのではないかと憶測しています。

E235系の次の投入先
 現在山手線に投入されているE235系の次の投入先が発表になりました。投入先は、横須賀、総武快速線で、2020年以降E217系を順次置き換えます。実は、山手線へのE235系投入の後の車両製造は、「工場の車両製造能力の維持」の観点から、「どの線に製造能力を振り向けるか」かねてから注目していました。普通車は全てロングシートになるようで、先に「中央快速線のE233系へのWC取り付けとグリーン車連結」が「国電のイメージを変える」ことを記述しましたが、横須賀線の普通車が全ロングシートになることは、さらに「国電のイメージを変える」のではないかと感じます。
 

振り分け配管

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年10月 2日(火)19時33分51秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。
原口さん

先日の配管の話は戦後の新車(80形以降)に関する説明であり、63形を含むそれ以前の車両については、重要なポイントを踏まえたうえで見てゆく必要があると思います。以下、説明不足の箇所の補足も含めて、おさらいしてみます。

●電線管の数は断路器の形式により決定される
昭和27年から採用された、MSとBSを同一箱としたSH427は電線管1本。
戦前から採用されていた別箱のSH44は電線管2本。

が大原則であり、「SH427で電線管2本」や「SH44で電線管1本」は存在しません。すなわち昭和27年以前の車両に取り付けるべき断路器は(MSであれBSであれ)SH44しかありませんから、電線管は必ず2本です。戦前のモハ30形や50形などもそうなっており、しかも振り分け配管です。要するに、

断路器は別箱で左右に振り分け配置、それぞれの断路器へ向かう電線は独立しており、妻の左右に振り分け配管。

これが標準的な形態です。具体的には34036さんが言及されていたように、戦前は(なぜそうなったのかはわかりませんが)、電気側にBS、空気側にMSという配置でした。これが戦後になると逆転し、門外漢の私が見ても納得する配置となりました。したがって63形の電線管2本が振り分け配管であるのは、ある種当然なのです。ここからは個人的な考えですが、63形の初期は戦前と同じ考え方(空気側にMS)だったものが、後に逆転配置となったと考えていますが、写真が少なく、なおかつ断路器の文字が判別できないものばかりなので、決定打には今ひとつです。なお、原設計ではBSはないはずです(後期車にはあり)。

以上から、80形が振り分け配管であること自体は戦前からの流れです。そうすると、こちらを主流として70形の2本まとめを反主流にしたくなりますが、SH427登場前後の変遷を見るかぎりでは2本まとめのほうがスタンダードのようであり、このあたりが混乱のもとかもしれません。

追伸
主回路ツナギを2種貼ります。左が別箱のSH44で、501線が2本独立しています。ただし、図は振り分けとして描いているわけではなく、70形のように2本まとめて1位に配管の場合もあります。右が同一箱のSH427で、昭和27年度以降を示します。


 

2本の母線左右に振り分けたモハ63形の写真発見

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年10月 2日(火)00時39分32秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

2本の母線を左右に振り分けがモハ63形の写真を見つけました。
 73おやぢさんが、モハ80形に2本の母線を左右に振り分けた車両がいたことを紹介されていますが、モハ63形にも見つかりました。
 交通新聞社「国鉄車両写真集」の「63系、72系車両」のP161に収録されている2枚の写真のモハ63形のうちの、下のモハ63858が、母線が左右に分かれて降りていることが確認できます。また、「旧型国電車両台帳」のモハ63形の写真(P116)を見ると、モハ63142,368のどちらとも屋上部分の配管が、限界まで左右に離れてから、妻板に降りる独特のものですが、母線が左右に分かれて降りています。これを踏まえて、「国鉄車両写真集」の「63系、72系車両」のP161の上の写真を見ると、車号が同定できず、単に「モハ63形」となっていますが、母線が左右に分かれているように見えます。但し、奇数向きにもかかわらず、空気管が右側(電気側のはず)に降りているのが奇妙です。これを見ると、モハ80形の左右に分かれた母線は、モハ63形から引き続いていることが考えられます。
 「旧型国電車両台帳」P117には、昭和30年1月3日撮影の「クモハ73001」の写真がありますが、母線が2本あって、空気側に降りている「逆配管」になっており、見かけ上、モハ71001の落成時と同じレイアウトの配管になっています。吹田工場のクモハ73形全金更新車は、工事後も「逆配管」で残った車が多く、何故か幡生工場更新のクモハ73021,027も逆配管ですが、全金更新試作車のクモハ73001は普通の配管に変化しています。このため、クモハ73001はどこかの段階で普通の配管に引き直されています。他の車で見つかったのが、RPアーカイブセレクション26「国電の記録」P108の1954年9月29日撮影のモハ73053は、母線2本で逆配管、P122の1952年8月4日撮影のモハ73008が同じく母線2本で逆配管です。同時期の関東のモハ72形も、RPアーカイブス37「63・73型電車の時代」P103の1952年に下十条電車区で撮影のモハ72形が、母線2本で逆配管です。これに対して、ちょっと時代が下りますが、RPアーカイブス37のP16の1960年8月25日撮影の朱色のクモハ73025は、逆配管ですが、母線は1本です
 

配管はこんな感じです

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 9月30日(日)18時03分44秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。
34036さん

●不思議な60110
正直申せば、私も「東鉄向けを転用したのではないのか」との疑念がありました。急行札差がない件は判定の絶対的条件ではないものの、ないのは田中車だけ(汽車製はちゃんと装備している)なので、可能性を一歩進める材料くらいにはなるかと思います。17年度分は総じて落成が遅延気味ですし、もし大鉄への転用が急な決定であったのなら、機器の吊り金具が東鉄形の可能性すらあり、まことに興味深い展開となるのですが、更新前の写真がないことには、手も足もでません。

●電線管の位置と本数について
この件を極めたわけではありませんが、写真からわかる範囲で年度ごとにまとめてみました。拙い図で恐縮ですが、奇数パンタ車の透視図です。なお、新車基準ですから、改造車や更新車はこの図と一致しないこともあります。

まず26年度車まではMSとBSが別箱(木製小箱のSH44)の振り分け配置で、電線管は独立して2本あります。モハ70形は妻に向かって左(1位)にまとめて2本あり、BSはストレートですが、MSは横断して山側(電気側)へ向かいます。ここで注意すべきはモハ80形で、大部分(一部は2本まとめもあり)は電線管自体が左右の振り分け配管となっていて、どちらもストレートです。理由はわかりませんが、合理的ではあります。
27年度車はMSとBSを同一箱としたSH427を山側(電気側)配置としましたが、配管は前年度までの2本が1本になっただけで、床下横断は変わりません。これがいわゆる逆配管で、27年度だけの特徴となっています。
28年度車以降は向かって右(2位)となり、ストレートにSH427へ向かいます。正規配管、あるいは標準配管とでもいうべき形態です。

「電気車の科学」誌の「床下を横断し断路器に配線」云々のくだりですが、日本語の解釈としては
「MS用の配管はいままで床下を横断していたが…」
「27年度車はMSとBSを同一箱にしたにもかかわらず、床下を横断しており…」
の、いずれにも解釈できます。まあ一応、記事の趣旨が「28年度車の変更点」の説明
だと思いますので、後者ではないかと忖度しますが。

興味深いのは吹田工場が施工した73形です。あいにく大多数が全金化されてしまったので、サンプル数の少ないのが難点ではありますが、改造時期により上記3例が昭和30年代まで存在しました。
東鉄も出場時点では電線管2本や逆配管がありましたが、早期に引き替えて28年度形に統一されています。この潔癖なまでの徹底ぶりは昭和30年代に大鉄から東鉄に転入した73形にも適用され、多くは引き直されてしまいました。一方、大鉄は無頓着で、昭和20年代に東鉄から大鉄入りした73123などは昭和30年代になっても逆配管のまま環状線に走っており、さながらシーラカンスのごとき存在でした。
さすがに電線管2本とSH44は淘汰対象だったようですが、そのほかは逆配管も含めて明確な(言い換えれば工作局主導による強い)指導はなかったということかもしれません。
 

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