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Re: 失礼致しました。

 投稿者:ゆう  投稿日:2018年11月15日(木)22時58分50秒
返信・引用
  > No.446[元記事へ]

クハ103-614はJR東日本になってから更新前は原型鋼製ドアで、更新時に横浜線南武線205系入線と同時に、側扉・貫通引き戸が横浜線南武線205系と同じステンレス製金枠式のものに交換されて、冷房装置はAU75で205系並みになってきて、ほかの形式113・115・165・415・455系も205系並みになった車両もあります。
 
 

モハ63形の本・書評

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年11月12日(月)14時35分56秒
返信・引用
  みなさんこんにちは。

車両史編さん会さんの、「国鉄鋼製電車史 モハ63形」上・中・下巻が完結しました。3分冊に渡る労作は、資料集めから検討、掲載のためのデータ化など、膨大な作業であったろうと察することが出来ます。
ここで話題に出た、母線配管の話や、TR25A台車の呼称問題、その他についても、意外に資料になりそうなことが記述、もしくは掲載されています。
その労作には敬意を表しつつ、いくつかの問題点・疑問点を指摘しておきたいと思います。
気になった点としては、
1.私鉄割り当て車について、東武のクハ7800、7801号、東急小田原線クハ1851、1852号が、相変わらず「自社発注」となっている誤り。
2.多少の誤記。
3.TR25A、TR35、DT13の関係が明示されてない。
4.全体に電車であるためか、図面中心の構成になっていて、同じ編さん会の「オハ70系の一族」に比べて甘さを感じる。
5.三鷹事件における編成表すら掲載されていない。
…というようなところが気になります。

1について、東武と東急の車で、運輸省番号が無い車は、当時鉄軌統制会(のち鉄道車輌統制会)の割り当て車には、当然入っていた車輌であり、自社発注など出来る時期では無かったのは明白なのに、俗説を取り入れてしまっている。ただし、三井三池ホハ200形を自社発注としているのは正しく、さらにサハ78の車体(巷間書かれることが多い、サモハとか、モハの車体というのと違い)と明記しているのは、今までの資料に無い明記事項かと。
2については、まあ編集上の問題なので、ある程度やむを得ないが、訂正表はHPなどに出して欲しい。
3については、生方良雄氏著の「小田急1800形」に記載がある。それも読んでいないのだろうか(刊行時期的に間に合わなかった?)。実際は流電用のTR25AはDT12Aへ、昭和21年頃のTR25AはTR35を経てDT13と改称されている。DT記号で分けるようになるのは、昭和24年では?。そうすると、モハ63855~858以外は、全てTR25AまたはTR35で出場しているはずで、台車に銘板があれば、その刻印があるはず。小田急デハ1811号の台車を観察したところ、はっきりTR25Aの刻印があった(私が実見)。その後の振り替えが無いとすれば、デハ1802のものを転用したはずなので、つまり旧モハ63052の台車はTR25Aとなっていたということである。
4について、モハ63形は、粗悪車のイメージがつきまとうが、図面集のページなどを見る限り、想像よりはきちんと作られていることがわかる。オハ70系のほうが、場当たり的な設計変更や、仕様変更が多い。そのあたり図面が多いのも、資料性としては貴重なのだが、図面が読み取れないものもあり(縮小の関係と、元図面の不鮮明によるものと推定)、本文も、重要な部分が不明だったりと、歯がゆいところが少なくない。これはまあ、資料の限界というところであろうが、値段を考えると少々残念。
5について、モハ63019はつとに有名であるが、最近再審請求された事件であるにもかかわらず、わずかな行数しか触れていないのが気になる。そもそもモハ63019を先頭に、同じ向きにモハ63057が連結されていたのであるが、その他の車輌の向きや編成全体、特に最後尾車はAFCまたはAFSであったらしいが、結局番号なども記載されていない。桜木町事件のほうはきちんと記載があるのに、モハ63形が関係した事件の割に、掘り下げが少ないのは残念。6輌編成であったとされているのに、事故車輌が5輌までしか判明しないのはなぜか。また先頭車輌であるモハ63019も、当初は屋根まできちんとした形態をなしていて、地検の保管命令が出ていたのに、なぜ台車が失われ、やがて屋根板が失われ、結局台枠と骨材だけになってしまったのか。撮影期日も書かれてない編集には疑問を感じる。

 とまあ、少々辛辣なことも書きましたが、細かい点を指摘したくなるほど、全体の読み応えはあるということではあります。ここで問題になっていた、「逆向きモハ72110」なども、一応「偶数向きモハ72改造車」として、具体的な車番とともに記載があります。初期の改造年次に何輌か見られるようです。
また、ここで以前出た他の話題としては、原口さんが述べられたモハ60形のコロ軸受け試験や、軸箱試験なども記事があります。
貫通ドアが無い車についても、触れられてはいますが、具体的な番号は記載がありません。
もちろん重要な資料書籍ではありますが、正直、多少の物足りなさを感じる部分もある、というところでしょうか。
本来ここに書くことではないのかもしれませんが、本掲示板の進行の様子から、スルーも出来ない話題だと思うので、あえて書評させていただきました。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

飯田線旧型国電のイレギュラーな編成

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月11日(日)12時27分40秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

RM Modelsで、KATOの飯田線旧型国電に関連した連載が掲載されています。この中で、車両の「方向」に注目して、「あったかもしれない編成」「理論上可能な編成」等が掲載されています。記事には現車の写真も紹介されており、けっこういろいろな編成が実現していたことがわかりました。
 写真上は、先月発売号掲載の写真から、「クモハ54007」が入った「豊橋機関区40番台運用」の編成です。KATOでは、クモハ42型2両連結の編成、クモハ54 - クモハ50 - クハユニ56の編成を発売していますが、奇数向きのクモハ54形も40番台運用に入っていたことを示す珍しい写真です。この編成が意外だったのは、40番台運用に入る編成は「クハユニ56 - クモハ」の編成にクモハを増結する構成が基本だと思っていたので、逆パターンの「クモハ - クモハ」の背中合わせの2Mの編成にクハユニを増結する構成が存在しえたことです。
 写真下もRM Models先月号発表の写真で、写真ではクモハ50008 - クハ86 - クモル23050の編成で、浜松工場への入出場回送で実現した編成です。模型の方は、手持ちの車からクモハ50000 - クハ86308 - クモヤ22201で編成を組みました。浜松工場への入出場回送列車は以前も話題にしたことがあり、飯田線内で走った4M編成や、クハ47-クモヤ22の編成などの例があったことを紹介しています。
 イレギュラーな編成では、運転台の貫通路の機能が残っている車が中間に入ることが多いのですが、クモハ54007は、飯田線のクモハ51,54形で、貫通路が機能していた唯一の車でしょうか。
 

モハ63形のクモハ73、クハ79形への改造に当たっての方向など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月 4日(日)01時40分59秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

豊川分工場での更新修繕について
 豊川分工場での工事については、以前にクモハ61形のうち、中央扉が前へ開く「特異車」であるクモハ61005に関連して、クモハ61形の更新修繕に関連して話を伺ったことを思い出しました。最近話題になった元モハ40型クモハ41型の方向と床板機器配置とも関連するのですが、豊川分工場では、基本的にプラクティスは大井工場に従うのですが、クモハ61005に関しては、方向を転換(偶数向きから奇数向き)するに当たり、「車体はそのままで全ての機器を点対象に付け直す」工事が行われたらしい、とのことでした。

モハ30173のDT11台車の行方
 DT11台車のうち、モハ30173については、モニ53008(後のクモニ13008)の火災復旧に転用されたとの情報をどこかで見ました。モハ30173からクハ47023(後のクハ47011)への改造は、以前も「台枠の謎」で触れましたが、台車が豊川鉄道の客車から転用されたこと等、モハ30173から流用されたものがどのくらいあるのかが不明瞭で、実質的には名義だけの転用が伺えます。

モハ72001~181中偶数番号車の方向について
「旧型国電50年(1)」P169に、モハ72000台の改造について、「初期の72001~181(欠番あり)までは奇数向きは奇数番号、偶数向きは偶数番号のままで中間電動車としたもので(例外があるがそれはモハ63形時代に転向していた車両)」の記述があり、モハ63形時代(昭和20年代前半の混乱期のことか)に電車区内での車両の需給によって片方の先頭車の不足が生じて方転使用が生じ、そのまま改造されたことを指すように読めるのですが、この記述に基づけば、「奇数番号でありながら偶数向きの車」がいてもおかしくないのですが、そのような車はまったく見られない事と、電車区ごとの需給調整の割には奇数向きのモハ72000台偶数車が多いように感じたことから、既述を疑問視していました。34036さんが72000台改造年月日と方向との関係をコンパイルしてくださいましたが、「途中できれいに切り替わる」ことから、「改造時に工事方針が変化した」ことが決定的になったと感じました。

モハ63形からクモハ73形とクハ79形への改造に当たっての方向について
 モハ63形から、クモハ73形とクハ79形(100台)の方向についても気になったので、番号基準で調べてみました。
 「旧型国電車両台帳」によると、モハ63形の奇数番車がクモハ73形の奇数番車、モハ63形の偶数番車がクモハ73形の偶数番車と対応するものが多いのですが、モハ63形の偶数番車からクモハ73形の奇数番車への改造が点々と見られます。例えば、末期まで残った車では、クモハ73169はモハ63578から昭和27年10月20日に汽車支店で改造されています。
 これに対して、サモハ63形は、当初は全てサハ78300台に改造される予定でしたが、予定通りサハ78形になったのは昭和26年度の20両だけで、昭和27年度に入ってからはクハ79形(100台)に変更になっています。こちらは全て偶数方向に揃えられたわけですが、元番号を見ると奇数番号車もいて、末期まで残った車では、クハ79218が元モハ63069です。
 モハ72形の改造は、昭和26年度に多くが行われていますが、クモハ73形の改造は、昭和26年度は吹田工場の020までだけで、後は昭和27年になってからの改造です。クハ79形が全て偶数車になったので、クモハ73形は、偶数車のラストナンバーが「73174」になって、それ以降は奇数番号車が続くのですが、クモハ73形、クハ79形への改造に当たって、モハ63形のモーターのある偶数番号車の奇数向きへの、モーターの無い奇数番号車の偶数向きへの方転を行う「方向の整理」が行われたことが伺えました。もし、サハ78300台への改造が、当初の予定通りに行われたとしたら、クモハ73形の方向は、モハ63形の元の方向通りに行われたものがほとんどになり、偶数番号車は「73200」辺りまで達したのではないかと考えられます。

昭和20年代前半の横須賀線の情況
 先日、RPアーカイブスセレクション34「湘南電車時代」を読み返したのですが、P30の「モハ32形時代の横須賀線電車」の写真が、いわゆる「戦後の混乱期」を色濃く残すものなのに気づきました。3枚の写真(上は昭和24年、中央、下は昭和25年)のいずれも、横須賀線列車にモハ63形が混成されています。上の写真は、2両目にサモハ63形が入っており、「前照灯の台座だけ」が確認できます。中央の写真は「お化け電車」モハ32028が先頭で、2両目はサハ48形、3両目はモハ63形です。下の写真は、横須賀色への塗り替えが進んでいる時代で、3両目がモハ63形ですが、驚くべきことに走行中のはずなのにモハ63形の一番後ろの扉が開いています。戦後間もないころは、扉が破損して、ドア無しで旅客営業をしていたという話はありますが、昭和25年時点では、だいぶ車両は整備されているはずなので、謎な状況です。なお、下の写真では、前から4両目と5両目の車は横須賀色の3扉車ですが、両車とも、パンタグラフが無く、扉間の窓が5枚なので、サハ57形です。

京阪神「新快速」への座席指定車の連結
 最近の話題になりますが、「乗りものニュース」で、「京阪神の新快速に座席指定車を連結する」とのニュースが出ました。更新工事の始まった223系1000番台のうち、4両編成のクハ222形を、2扉の「座席指定車」に改造(12両編成の9号車に連結)するとのことです。
 京阪神快速線の「グリーン車」は、55-10改正で廃止になりましたが、その後、「新快速へのグリーン車の連結」がしばしば話題に上り、1990年代前半にはアンケート調査が行われたとの情報を確かRJ誌のニュース欄で見たことがあります。今回の「座席指定車」は、いわばグリーン車の復活になるのですが、「普通車指定席」扱いで、名前は「Aシート」になるとのことです。位置づけとしては、JR北海道の新千歳空港連絡快速「エアポート」の「μシート」に類似しているといえます。

学研「よみがえる貨物列車」より
 学研より「よみがえる~」と銘打ったシリーズの本が出版されていますが、そのうちの「よみがえる貨物列車」を購入しました。仔の魔かに珍しい写真がいろいろあったので紹介したいと思います。
 P101に「EF65形77号機」が牽引する特急貨物列車の写真があります。EF65 77は、現在東芝府中工場で保存されている「EF65 535」の改造前の車です。EF65型500番台のうち、EF65 535~542は、EF65 77~84から改造された車で、製造から1年足らずで改造されたため、「EF65 77時代の写真は非常に珍しいといえます。
 P41に「家禽車」パ1形の写真が掲載されています。「家禽車」は「パ」の記号が設定されていたことを知ってはいたのですが、現車の写真を見たことが全く無く、「記号の解説」だけの存在だったので、写真は貴重だと思います。「家禽車」としての特別な装備は、「5弾の棚を設置して70個の鳥籠を詰めるようにした」ことで、この「鳥籠」は、中国や東南アジアの市場で見る、「鶏が入った籠」のことで、日本でも中国やアジアと同じように鳥籠が使われていたことを示すものでもあります。
 動物輸送関係では、P26に「豚を豚積車に積むためのプラットホーム」の写真があります。豚積車は2段になっているのが特徴ですが、プラットホームの方も豚積車に合わせて2段になっています。元は絵葉書の写真のようで、解説文に「豚の置き場と言えば何だか汚い感じを持つ人もいるかも知れないが、豚の出荷の多い駅ではどうしてどうしてこんなモダンな待合室を作ってサービスしている。そしてここから直接に専用の豚積車に積んで運送されるのである(現代風の表現に適宜変換)」とあります。
 記号の解説がP18~19にありましたが、明治44年改番の記号に、「炭水貨車」を示す「タス」の記号が有りました。蒸気機関車のテンダーのことを示すようで、テンダー機関車が珍しく、機関車とテンダーが別の車と認識されていた時期があったことを反映しているようです。
 

モハ40030の断路器

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年10月27日(土)19時57分35秒
返信・引用
  みなさんこんばんは。

MSとBSの断路器箱ですが、通常更新前のモハ40形などは、台車枕バネの真ん前(台車中心ピンから枕バネ先端に向けて線を引いた先)に付いているのが普通です。
しかし、「RM LIBRARY 224 1950年代の戦前形国電(中)」の14ページに掲載されている、小田急で試験し、その後中野電車区に帰着したばかりと思われるモハ40030は、台車にKS-105とカルダン駆動の台車(東武5720系用)を装着しているものの、断路器箱が変に曲がりくねった配管で、台車の右脇(第一運転室を左に見た時)に移設されています。
これが試験時のみの臨時変更なのか(KS-105には、ボルスターアンカーがあるので、それを避けたと思われる)、その後どうなったのか、などわかりませんね。更新修繕までの特異車だったかもしれません。
この写真には、側面窓内から外に下げる形で大きめなサボがついており、XXXXXXX 試験車
と書かれているようです。
またKS-105台車は、台車シリンダー式のブレーキワークですが、車体のブレーキシリンダーも残っており、どっちを使ってブレーキをかけていたのかわかりません。連結器も自連になっています(小田急での試験時も同様)。
台車はグレー、パンタPS11、ガーランドベンチレータ一列、プレスドア(窓さん一段)、台車脇にすぐ抵抗器、引っかけ式骸骨テールライト2つ、第2運転室右下に、ジャンパー箱、運番表示外付け3桁目取り付け、前面方向板受けあり、側面急行表示器2カ所、中央ドア脇に行先表示器あり、というような外観です。
なお、これにより、モハ40044はKH-1(クイル)、FS-201(カルダン)、DT-17(吊り掛け)、モハ40030にKS-105(カルダン)ということがはっきりしました。モハ40030にFS-201は装着されなかったと思われます(うちのHP修正が必要ですね)。いずれも、カルダン台車は中野電車区から装着して小田急線に来ており、別な台車との交換のみ小田急経堂工場で行い、試験後もカルダンのまま帰った様子が見て取れます。

失礼いたします。ご参考までに。

http://princesscomet.net/

 

72108・72110ほか

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年10月27日(土)16時25分14秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。
34036さん

63形改72形は早期の廃車や荷電改造などで急速に両数を減じてしまったことと、趣味者が写欲を感じなかったためか記録された写真がきわめて少なく、限られた条件から想像するほかはないと考えます。

さて、72108を考えてみると、同車は豊川分工場施工で、唯一の偶数番号車、なおかつ出場が27年3月31日であることから、28年度への繰り越し車ですね
組織上、豊川分工場の「親工場」はどこかというと、たしか当初は浜松、のちに名古屋だったと思いますが、どちらも電車職場はなく、大井が直接指導していたはずです。そうすると事実上の親である大井の考え方がそのまま豊川に持ち込まれるのは自然であり、施工時期も考えると豊川出場時にすでに奇数へ方転していた可能性はきわめて大と考えます。

次に72110ですが、こちらは汽車出場時点で偶数向きの可能性がきわめて大です。
なぜなら、メーカーは、
契約内容どおりの改造工事を行うこと。
納期を守ること。
以上の2点が厳しく求められました。勝手な工事は許されず、変更の必要が生じたときは国鉄の許可が必要です。納期に間に合わなかったら、重大なペナルティが課せられたとも聞きます。
72110は鋼体強化にさいして使い勝手優先として奇数向きに方転しましたが、このとき車体を在姿状態としてパンタを奇数側へ移設したため、側扉の引き方向が特異車となってしまいました。車体をひっくり返す完全な方転だと電気・空気双方の機器を入れ替えねばならないので、作業を簡単にするためだったのか、偶数のまま施工するはずが急遽変更になったのか、そのあたりの経緯は不明です。

63500形偶数車改72形偶数車は該当が少ないこともあって、空気側の配置は不明です。なるほど、例えば「電車のアルバム」の63502をもとにして、「この空気側配置のまま、72形になったら…」と考えると、施工後の72形偶数車は引き続きパンタの直近に空気溜があることになり、他の63形前期偶数車改72形とは機器の配置順序が異なる可能性があるということですね。
とはいえ、63500形偶数車が原車の場合、改造後の72形偶数車の台枠機器配置はこのようにすべしという特別な図面がわずか数両のために用意されたとは考えづらいです。メーカーには標準的(前期型を原車とするの意)配置の図しか支給されていないでしょうし、勝手な作業が許されないことから、63500形が入場してきた場合、「この車は逆だぞ」とブツブツ言いながらも図面どおりにすべく前後を入れ替えた(空気溜を後位、非パンタ側へ)のではないでしょうか。以上は、あくまでも想像ですが。

ちなみに11月に発売予定の車両史編さん会「63形下巻」には63形改72形などの台枠機器配置図が掲載されるらしいので、なにか手がかりがあるかもしれません。

それと、別件ですが、今回たまたまRP938「72系特集」巻末の車歴表を見ていたら、72039以降の新旧対照の奇偶が広範囲に入れ違っているのに気づきました。何かの手違いがあったようで、全てを検証したわけではありませんが、RP684「73系特集」またはアーカイブス37「63・73形電車の時代」の表のほうが正しいようです。

●またまた配管話で恐縮ですが、特異車を発見しました。
以前、同一箱(SH427)の断路器は電気側のパンタ至近が定位置であり、1500V回路をあちこち引き回すことなく最短距離にするのは、ある種常識のはずなどと大見えを切りましたが、とんでもない特異車を発見しました。41029と41800です。この2両の断路器は前位台車の直後にあり、パンタから遠く離れているのです。

おそらく豊川分工場の更新修繕に起因するようですが、晩年の41029は大井持ちであったにもかかわらず修正はされませんでした。修正には電気側の機器を少しずつ移動させる必要があり、なおかつ大がかりな配線引き替えを伴いますから、この種の配置や配管に潔癖な大井工も、さすがに手が出なかったようです。ちなみに43800~や51830などの断路器もパンタと離れていますが、これは低屋根化時のパンタ移設で結果的に取り残されたもので、特異車とはいえません。
いますぐ解決できる疑問ではないと思いますが、まずは問題提起でした。

 

パンタ(部品)転用

 投稿者:前納浩一  投稿日:2018年10月23日(火)20時17分35秒
返信・引用
  原口さん、みなさん、こんばんは。

少し古い話へのレスで恐縮です。パンタの予備品が不足したので、一時期、モハ114形3000番代が一丁パンタになっていたという話を読んで思い出したことがあります。

昭和60年頃だったと思いますが、営団地下鉄東西線で架線不良があり、多数のパンタグラフの集電舟が損傷しました。当時は三鷹向き制御電動車の5000形にも予備的パンタグラフを搭載して常時上げて運転していましたが、多くのパンタグラフの損傷により部品が間に合わないため、一部の5000形のパンタグラフから集電舟を転用して間に合わせ、部品が揃うまで、5000形はパンタグラフを降下させたまま運用されたことがあります。
なお、後年、千代田線の綾瀬支線用を除き、5000形のパンタグラフは撤去されました。(5000形は、国鉄で言えばクモハ300形にあたる形式なので、本来ならパンタグラフは不要です。)
 

いろいろです

 投稿者:34036  投稿日:2018年10月21日(日)23時55分40秒
返信・引用 編集済
  みなさん こんばんは

原口さん、すぎたまさん
コメントどうもありがとうございました。

73おやぢさん
ご提示いただいた内容がもとではまってしまいまして、ずっとあれこれ考えております。いまのところまったくまとまらず間違いも多いかもしれませんが、とりあえずお礼かたがた中間報告をさせていただきます。

>●63500形の断路器

解説、どうもありがとうございました。よくわかりました。

とれいん増刊 レイル'80冬号 が63系の特集号になっています
汽車製の 63671 と 近車製の 63712 の写真の掲載がありました。

かなり大きな写真での掲載ではあるのですが、やはりMとBの見分けは難しいです。
63671は、63701、63703と同じ汽支製ですが断路器がないようです。

先にご教示いただきましたように、63229の写真との比較によって63500~の設計変更を期に電線管の両側振り分けのまま、電気側:MS、空気側:BS に変更となったのは確実ですね。

これは余談ですが、
青春(Ⅰ)p119に、モニ53001の、焼失木造荷電鋼体化復旧竣功時と思われる写真があります。
戦前にもかかわらず、なんと空気側=BS であることを今回認識しました。
このモニ53001は、向き、パンタ位置、関西なのに山側空気、機器の配列順序等、すべてにわたっておかしな車両です。


>●14110の旧番のこと

「昭和28年の総裁達の別冊」は初見でした。ありがとうございます。
クハ77形10代の改番対照(奇数偶数をあわせている)などから、本庁の改番指定はおそらく偶数奇数を合わせたB案だったのではないか、とは考えておりました。

改番当時静鉄にいたクハ58は、奇数向きに方向転向されていたはずにもかかわらず偶数番号(47100~)が附番されたことを考えると、
本庁側が現車の向きを把握しないまま改番対照表を作成した可能性については、お説に非常に説得性を感じます。

一方で、28年6月の改番は、17メートル車についてはかなり徹底して行われたように感じますが、
モハ32の改番は、32を14に替えるだけで、廃車による欠番を埋番しなかったわけで、この辺りは静鉄の意向を酌んだようにも思え、
このように見てくるとA案も昔からそのように言われてきたこともあり、あながち否定できないという思いがありました。

 「14110は車体下部のリベット2列、14111は中央扉をふさいだところが電気溶接…」の件は丸屋根更新後の事と思い込んでおり見逃していました。
62形時代の車号の読める写真があれば、改番対照の真実はこの特徴と合わせて確定できそうですね。

なお、「我が心の飯田線! 飯田線を走った車両達 元祖スカ形一族」に
「モハ14110(静トヨ) 更新修繕前 1954年頃豊橋機関区神谷氏撮影」 が掲載されておりました。
改番後ですが、車号、裾部分のリベット2列がないのが明瞭です。

DT11の出所の件
モニター屋根のままWCを取り付けた16161、焼失した30173→クハ47023(→47011)、そのほか仮クハニとなった16150~

これらはもともとはDT11をはいていたはずですがR11などに履き替えているので、これらがその出どころの可能性はありそうですが、問題はその時期ですね。
特に地方に出た16150~はもともとはいていたDT11を履き替えた車が多い印象です。重たいからでしょうか?
(仙石線でも宮城形2320形がDT11に履き替えた事例がありますね。)

 >すぎたまさん
台車の履き替えの時期の特定もありますが、ここで取り上げたのは、若し62形時代にどちらか一方が履き替えていれば改番対照の確定に使えるのではないかと考えたことが大きな理由でした。


>●72110に関連して72082のこと

ご提示の内容をもとに、大井工場施行の初期63→72改造車のうち偶数車について、出場年月日順に並べたうえで、その向きを調べてみました。

その結果、
昭和26年12月末までに出場したものは偶数向き(第1エンドが偶数寄りでパンタも偶数寄りの意味)、
昭和27年1月以降出場したものは、奇数向き(第1エンドが奇数寄りでパンタも奇数寄りの意味)
で出場したと考えられることが分かりました。

72200以前の偶数車で大井工場の改造車
(最右欄の 偶・奇 はとりあえず鋼体強化の有無にかかわりなく偶奇が判定できたもの)

51.11.26 72012 63034
51.11.28 72072 63190
51.11.28 72102 63460 偶
51.11.30 72008 63022 偶
51.12. 7 72070 63176
51.12.10 72100 63436
51.12.13 72040 63104
51.12.14 72096 63364
51.12.19 72060 63164
51.12.22 72098 63434 偶
51.12.25 72004 63018 偶
51.12.27 72036 63094 偶
51.12.27 72048 63132
52. 1.11 72030 63070 奇
52. 1.21 72084 63266 奇
52. 1.23 72044 63124 奇
52. 1.29 72138 63644 奇
52. 2.11 72024 63058 奇
52. 2.13 72092 63324 奇
52. 2.16 72052 63138
52. 2.19 72014 63038 奇
52. 2.19 72136 63634 奇
52. 2.23 72126 63612
52. 2.27 72128 63614
52. 2.29 72132 63618
52. 3.17 72046 63128
52. 3.21 72124 63610
52. 3.31 72002 63292
52. 3.31 72038 63102
52. 3.31 72082 63244 奇
52. 3.31 72104 63466
52. 3.31 72106 63468
52. 3.31 72120 63600
52. 3.31 72130 63154
52. 3.31 72134 63616


これからほぼわかりますが、73おやぢさんのご指定通り、昭和26年末までの出場車は偶数向きだが、昭和27年年明け出場車からは奇数向きとなり、例外はなさそうです。
これに対し、大井工場以外の汽支、日支、東急による施行車で、偶数車はもとの偶数向きのままですね(例外後述)。
(原口さんがまとめられた「モハ72形全金更新車の形態分類」なども参考にさせていただきました)

改造前後で海側空気、山側電気は変わらないので、実際に方向転向を伴っているのかが定かではないのですが、
63形は偶奇にかかわらず海側空気に統一されていますが、63500以前と以後では、機器の配列に違いがあり、
空制機器については、初期車は鏡対称で 海側床下を向かってみたとき 右側から左側に

 偶数車 ②-CP-空気タンク-④  奇数車 ③-空気タンク-CP-①

63500以降では

 偶数車 ②-空気タンク-CP-④  奇数車 ③-空気タンク-CP-①

となっていると思います。
26年度改造車はそのほとんどが63形初期車で、昭和26年12月末までに出場したものは
偶数車は ②-CP-空気タンク-④ ですが、
昭和27年1月以降の出場車は、奇数向きとなり、かつ機器配置も
右側から CP-空気タンク の順だったものが ③-空気タンク-CP-① の順(標準的奇数車)に変更されています。

偶数車号で奇数向きのものは73おやぢさんご指摘の通り原則的に上記大井工場の改造車です。
72形の鋼体強化工事は、試作も含めて原則向きは変更なしで施行されたと考えられます。
ただし、例外があって、それが 72108 と 72110 です。

 72108 63564 豊川 52.3.31
 72110 63576 汽支 52.3.22

72108は少なくとも試作改造後は奇数を向いていますが、63からの改造時点で奇数向きだったのでしょうか?
ちなみに63→72改造は豊川です。同工場の72200以前でかつ偶数車の改造はこの1両のみ。
豊川の場合は大井工場と並んで改造時点で奇数向きにした可能性はありえそうですが、どうだったのでしょう。

もう一つの可能性として、試作整備改造の時点での方向転向ですが、それだと同条件で改造されている72098も
方向転向されてしかるべきのように思われますが、72098は偶数向きですね。(63→72改は昭和26年12月)


72110は、鋼体強化前の向きは確認が取れているのでしょうか?
施行が汽支なので、63からの改造時点では偶数向きのままだったと思われます。
従って「方向転向」は吹田工場での鋼体強化改造時でしょう。

想像ですが、元が偶数向きだから偶数向きの車体で改造を実施していた。ところが、途中?で「奇数向き」に変更することになった。
まだ、あまりはっきりしたことがつかみきれていないのですが、
72108もそうですが、この2両は種車が63500~で、昭和27年の72形改時点から偶数向きではあるが機器配置が奇数風だった可能性があります。

ちなみに72200以前のもので63500~が種車のもので、改造が大井工場以外のものを挙げると下記の4両があります。
残念ながら72112、72118、72122などの特徴はつかめていません。

豊川 72108 63564
汽支 72110 63576
東急 72112 63582
日車 72118 63594
日車 72122 63604
 

いろいろお答えです

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年10月18日(木)00時02分43秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。
34036さん

●63500形の断路器
プレスアイゼンバーン「大阪の省電」(1)に63502(電車のアルバムと同じ)と63712が載っています。大型かつ上質な印刷により誌面でも細部がよくわかります。撮影は2両とも空気側であり、断路器はBSです。
63701と63703ですが、じつは同一のオリジナル写真が手許にあります。撮影者が明確なので貼る訳にもいかず、事実の報告でご容赦ください。
63701の空気側に断路器は全くありません。断路器の開閉は下回りの検査などで最初と最後に踏む重要な手順であり、なおかつ1500Vが通電されますから、作業効率や保安上、奥まった箇所に設置することはありえず、車側に取り付けるはずです。つまり、写真から判断するかぎり、63701にBSはありません。63703の空気側にある断路器はBSでした。63701と63703はほとんど同一ロットにもかかわらず、BSの有無にばらつきがある理由は不詳です。
ちなみに配管は上記の4両とも全く同じでした。すなわち、

電気管は左右振り分けで、電気側にMS、空気側にBS(ただし63701にはない)を設置。空気管は向かって右(2位)にある。
という、“教科書どおり”の標準型でした。

●72110に関連して72082のこと
少なくとも、72082の鋼体強化後は完全な奇数向き(戸袋位置とパンタの関係が正当の意)です。では、吹田工場が鋼体強化にさいして方転を伴う大がかりな作業を行ったかというと、断定こそできないものの、改造前の旧態がすでに奇数向きだった可能性が濃厚です。

というのも、大井工場が担当した63形(偶数)→72形(偶数)のうち、ある程度の両数は原車が偶数だったにもかかわらず奇数向きで出場しているからです。72030をはじめとする鋼体強化車の数両、仙石線にいた72132などで偶数番号の奇数向きを確認できます。昭和27年の会報「ロマンスカー」のレポートには、72044、72084、72136などが奇数向きとの報告があります。これは27年度施工の72200~から奇数向きに統一するという精神を先取りして、26年度の途中から奇数向きにしたようです。72082はレポートで指摘された72084より後日の出場(27年度へ繰り越し)ですから、大井落成の時点で奇数向きだった可能性は大です。

●14110の旧番のこと
写真が限られるので、これは難問です。当然ですが、手許に生写真はありません。
「旧型国電50年Ⅱ」に、「14110は車体下部のリベット2列、14111は中央扉をふさいだところが電気溶接…」とあり、リベットの消滅箇所を示唆しています。これをもとに「青春時代国電(Ⅰ)」または「1950年代の戦前型国電(上)」の豊川駅の写真を見ると、裾にリベットは見えず、中央扉付近に縦方向のリベットの列がかろうじて見える(ような気がする)ので、改番後に14110となった個体のように思えます。避雷器のアースもかなり特徴的で、もう1両の62形のアースが気にはなりますが、少なくとも14110に酷似しています。もっとも、二つの書のキャプションは62形としての車号が相違しているため、改番の新旧関係は依然として不明です。

丸屋根の14110と14111は驚くほど瓜二つで、差異を見出すのが困難です。しいて言えば14111のサボ入れと車号の位置が中央からずれていることくらいでしょうか。以上から考えるに、
印画紙上で車号を読み取ることができ、リベットの消滅具合またはサボ入れの位置がわかる62形時代の写真があれば、新旧車号の関係を確実に証明できる、ということでしょうか。

さて、添付した表は昭和28年の総裁達の別冊です。静鉄局が何らかの強固な意志を持ってこの指示を無視したのなら話は別ですが、まずはこの線で進められた(ご提示のB案)とするのが妥当ではないでしょうか。そうすると、次のシナリオが思い浮かんできます(あくまでも想像であり、読み物です)。

昭和28年時点で2両いた62形はどちらも実態が偶数向きだったにもかかわらず、この事実を本庁は承知していなかった。そこで62形の車号の奇偶だけをもとに14110と14111の新車号を用意して改番を指示した。新旧で番号が逆転しているのは奇偶のルールを守った結果ですが、これがそもそもの錯誤の発端ですね。次に翌29年の追加2両が14114と14116であることから考えると、この時点で静鉄のM車が偶数向きという事実を本庁も認識するところとなり、「だったら、既存の14111は14112に改番すべき」となったが、結果的に再改番は行われず、14112は欠番、14111は中途半端な存在に、ということではないでしょうか。

台車の件は、写真が少ないので、正直よくわかりません。ただDT11の供給元を検証する手はあると思います。戦災台車はとっくに整理されているでしょうから、常識的には廃車発生品と思われますが、それほど候補がないような…。しかも昭和30年廃車の14033は河原に転落しているので、そんな台車が再生可能かなという疑問はあります。
 

モハ30改モハ14形

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年10月15日(月)22時22分59秒
返信・引用 編集済
  34036さん、みなさんこんばんは。

「レイル」誌に、「身延線」についての記述がある号が発見されました。
当該記事を書いておられるのは久保敏(文字化けする場合は、「(すばしっこいの意味の、びんしょうのびん」の字)氏です。
それによると、形式図が載っているのですが、その中の「更新修繕時」の形式図では、14110、14114他はDT11になっていて、二重屋根時代の形式図では、番号を特定せずDT10になっています。このことから、おそらく更新修繕時に振り替えが、少なくとも当該番号では行われたと思われますが、論題に出ている14111については、記述がありませんでした。タネ車車番についての記載も残念ながら記事中にはありません。

ちなみにこの記事は、「72971~は新製台枠だから、103-3000に改造出来た」旨の、明らかに誤った記述をしてしまっており、そのあたり微妙に信頼度が低めな気もしますが、前に出たクハ17035の台枠の件も同じ記事中の話なので、間違い(重大ですが)はともかく、14形のモハ30改造車の台車振り替えについては、形式図中の記述であることもあり、やはり一応更新時が鍵のような気がします。14111が気になりますけど…。

形式図には、車内のクロスシート配置の図もあります。それで見ると、モハ30の中扉を閉鎖して、3連窓×2としてクロスシートを配置していますが、全体に窓と座席の関係が合ってない感じが強く、場所によっては眺望の悪そうなところがありますね。その点モハ62改形式のモハ14のほうは、窓の中央部にクロスシートの背が来る場所はあるものの、窓柱も細く、さすがに座席配置にそれほどの無理はありません。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

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