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変な窓配置のモハ10

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 6月21日(木)22時49分15秒
返信・引用
  みなさんこんばんは。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x546072110
ヤフオクのリンクで恐縮ですが、この出品写真のモハ10156とされる車輌、ドアと窓配置が変じゃないですか?。
dD5D5D11って…。何かの改造ですかね。
普通のモハ10の窓配置は、d1D121D121D2だったように記憶しているのですが…。
写真そのものが入手出来れば、撮影年代からして著作権は消滅しているので、ここに自由に貼れるのですが、出品画像で気づいたもので、失礼いたしました。

http://princesscomet.net/

 
 

「80系・70系電車」を読んで

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年 6月21日(木)22時15分51秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。
「80系・70系電車」を楽しく読みました。
ただ、新たに出てきた説は私の認識といささか異なるところがありますので、このような考え方もあるという意味で、私案を提示させていただきます。私はジャンパの専門家ではなく、たまたまあった資料を見たにすぎませんから、詳しい方に補強あるいは修正いただければ幸いです。ことのついでに、長年の疑問も加えました。

●12芯と15芯の接続
疑問①=記事に連結器(カップラー)の言及はありませんが、12芯と15芯は接触子の数と配置が異なるので、12芯の反対側が15芯となって相互を読み替える、いわゆる“お化けカップラー”使用を前提にした話だと思います。これにより制御関係を接続すれば試運転や回送など最低限の運転は物理的に可能ですが、はたして営業列車での使用が許されるのでしょうか。

疑問②=ジャンパ内部の線番号は時代や資料によって微妙なバラツキがあり、決定版を見出せていませんが、同じ線番号が12芯と15芯で「1」(内側)と「209」(外側)に分散している可能性があります。どういうことかと申しますと、例えば1969年の「電車技術必携」によれば217線(ユルメ電磁弁制御)は12芯の「1」および15芯の「209」に収容されており、この場合は“お化け”を使っても217線を接続することはできません。少なくともツナギ箱付近になんらかの細工が必要です。

疑問③=日常的にカップラーを2種(12芯とお化け)用意して使い分けるのは、作業効率の点から合理的ではないと考えます。仮に横須賀線列車(6B)の1等車を検査等で差し替える必要が生じた場合(75→85、または85→75)、1等車の前後カップラー計4本を交換(12芯→お化け、またはお化け→12芯)する必要が生じるからです。

などと考えてみると、サロ85形の横須賀線転用にあたっては塗色の変更のみならず、このとき12芯へ交換したと考えるのが自然ではないでしょうか。いってみれば“70系化改造”であり、これら横須賀線転用のサロ85形が後に本来の80系へ合流(戻るというべきか)することなく、転用後は常に70系と一緒になって地方線区へ転じているという経過も、12芯改造の裏付けになりそうですが。

●モハ70100~の理由
国鉄発行の通信教育教科書「電車(旧形)1」1963年版、ジャンパ連結器の項に、次のような図示および記述があります。

同書の添付図によると「1」の1か所の接触子が東鉄は301線(暖房制御)、大鉄は304線(電灯制御)が使用すると図示され、本文に「現在、東鉄と大鉄では線番号の流用のしかたが異なっているため、配線統一が完成するまでの間、接続箱間に暫定的な配線がなされている」とあります。史実による東西の統一は1963年より前のようなので、この記載が教科書の訂正漏れなのか検証する必要はあるものの、同じ12芯でも内容が異なっていたという事実は確認できると考えます。そうすると「30系から80系まで」の「ジャンパ連結器内引通し線の用途が若干異なっていたため大鉄配属車は100代で区別…」の記述は矛盾しないと考えます。

●更新修繕で屋根を鋼板化?
これは昔からの定説に属するものですが、本書に限らず多くの解説では70系の更新修繕のメニューに「屋根の鋼板化」とあります。しかし、写真を見るかぎり鋼板屋根とは思えず、ずっと疑問でした。更新後も木製雨樋ということは、その裏側に雨樋をねじ止めする基礎として長手方向の添え木が存在する訳で、そうすると屋根自体は木製のはずです。もしも屋根を全面的に鋼板張りにしたなら、東鉄試作更新の72108や72098などのように鋼製雨樋になり、パンタの点検踏板もゲタではなく新性能車並み(強化木の屋根布全面覆い)になるはずです。

ここで私的な仮説ですが、「屋根」の文言を「天井」に置き換えたらどうでしょうか。桜木町事故以前に落成した70系の天井は合板(べニヤ板)ですから、これを鋼板またはアルミ合金板に交換というシナリオです。63形の電車特別改造工事(→73形化)のメニューと同じですから、個人的にはこれで納得しているのですが、いかがでしょうか。
 

RP18-7号「43-10ダイヤ改正50年」より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 6月16日(土)21時36分50秒
返信・引用 編集済
  連投失礼します

先月発売ですが、RP誌の18-7号の特集は「43-10改正50年」でした。
 43-10改正は、「特急網の整備」が話題になることが多いですが、今回の号では「貨物列車のスピードアップ」が大きく取り上げられています。この中で貨物列車のスピードアップの必要だった「貨車の2段リンク改造(P28~)」について、改造の始まり、工事の進展が紹介されています。このなかでは、いわば43-10改正が終着点として構成されているのですが、実は43-10改正後に、「43-10までは見逃されていた点」が表面化しています。貨物列車のスピードアップでは「二軸車の足回りの性能向上」のため、多くの工事が行われた訳ですが、43-10改正直後から「ボギー車の脱線事故」が続発したことがRM POCKET 16「私有貨車図鑑」で紹介されています。この原因は、ボギー車でもボルスタ―間隔が短く、重心が高いと脱線しやすくなる」ことで、TR41台車の枕バネを板バネからコイルバネに交換する台車改造が2次にわたって行われました。

RP誌今月発売号の予告より
 これからのことですが、RP誌の今月発売号の特集は「DF50形ディーゼル機関車」です。私が本格的に鉄道誌の購入を始めた1980年代前半以降、RP誌で特集された国鉄車両の形式は、電気機関車、ディーゼル機関車、電車、客車、気動車である程度多数を占めた形式はたいてい特集されており、今年で35年になろうとしているので、複数回特集された形式も多いです。その中で、「DF50形ディーセル機関車」は他の趣味誌まで範囲を広げても、これまで1回も特集を見たことが無いものです。
 また、来月発売号では「配給電車」の特集が予告されました。旧性能だけでなく、新性能の車も併せて特集されるそうです。


金沢文庫レポート
 金沢文庫の総合車両製作所では、JR東日本のE353系が継続して新製されており、7月1日からE353系使用の列車が増えるとのポスターが掲示されていました。
 私鉄車両では、都営浅草線5500系が新製されており、先日5502編成と5503編成が工場内で並んでいるのを見ました。また、京急の川重の新製車が総合車両製作所に到着していたのを見ています。
 

「国鉄型車両の記録 80系・70系電車」発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 6月16日(土)21時09分55秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

鉄道ピクトリアル別冊「国鉄型車両の記録 80系・70系電車」が発売されました
 80系、70系電車について、以前にもこの場で話題になった事柄についても触れられているので、点々と紹介したいと思います

80系100,200番台について
 80系100,200番台は昭和31年度予算による前期型と、昭和32年度の予算の後期型に分かれ、後期型ではベンチレーターが変わっていますが、形式写真のページで、前期型と後期型多が分けて紹介されています。今までは前期、後期の区別なく一括して紹介されていたので、分けて紹介されたのは今回が初めてではないかと思います。また、前期、後期の区別の由来になるベンチレーターの変化も1990年台前の80系の特集等では触れられていない(300番台になってから変化したと紹介されていることが多い)ことが多く、ある趣味誌で特集が出てから、訂正の申し入れを行い、翌月号で訂正が出た、との話を伺ったことがあります。
 この番台では、「クハ86100台が両渡りだったどうか」の記述が揺れが有ります。「早い段階から」「後期型から」「300番台になってから」の説が並立しているのですが、この号では100番台は「片ワタリ」との記述(P87)になっており、本文中でも300番台になってからのところで両渡りを含む車両の構造について記述があります(P27)。また、クハ86100台はこの号では前期型、後期型ではなく、「湖東線向け」で区分されており、「腰板のタイフォン」が区別の理由になっています。このため、前期型、後期型両方に湖東線向けのタイフォン付きが存在しています

モハ80102~117の範囲の簡易運転台取り付け車について
 この範囲の簡易運転台についてもこれまでの特集号の間で記述に揺れが有り、特に「何番が簡易運転台付だったか」がわからない状態でしたが、「1958年から翌年にかけてモハ80103,108~110へ簡易運転台を追設した(P68)」とあり、番号とともに「後から追加した」と記述されています。また、簡易運転台の付き方も、本文の方に「1958年3月から翌年4月に改造、改造内容はモハ70やモハ72の簡易運転台設置車とは異なり、1位側妻面への簡易運転台への設置、そして妻面下部への標識灯の設置である。」(P40)とあり、少し前のRF誌で確認された、「標識灯の設置」の記載がありました。また、「最盛期の国鉄車両」にあった「モハ70,72型のごとく」とされている簡易運転台は、「標識灯の設置の流儀(運転席側の腰板に標識灯が付いている)」については確かにその通りでした。
 なお、標識灯については、確か「入換標識灯」が「1灯を表示」とあり、操車場や貨物駅で機関車が「運転席側のテールライトを点灯させて前進している」のを見ることがあるので、これが「入換標識灯」のようです。このため、モハ80,70,72型の簡易運転台は「入換のための必要最小限の装備が付いている」と解釈できます。これと比べると急行型のグリーン車、特急型の食堂車に付いている簡易運転台はテールライトが両方に付き、前照灯も付いているので、かなり重装備といえます。

PS23パンタ装備車について
 この号では、PS23パンタ装備車が区別されて形式写真が紹介されています。昭和48年10月の中央西線、篠ノ井線電化による工事なのですが、変わった車としてはモハ80232が、パンタのシューをかわす切欠きだけでなく、足の追加により補強がされています(P71)。また、車歴表にも項目が立てられている(P159)のですが、その中でモハ80206,207の2両が「大垣区配置時代から施行済み」とあり、松本への転入以前にPS23を搭載していたように書かれています。

仙石線のモハ70形と押し込みベンチレーター取り付けについて
 仙石線に配属されたモハ70047, 123, 124, 125の4両は押し込みベンチレーターに換装されましたが、この号では、モハ70047の写真の解説に「写真は多摩地区に落成配置され、新前橋区、陸前原ノ町区を経て松本署に転属したり車両であるが、通風器は吸出形(グローブ形)のままであった」とあり、最後までグローブ形であったように書かれており、巻末の車歴表でも押し込みベンチレーター換装は70123, 124, 125の3両だけが記載されています(P159)。この部分だけを見ると、モハ70047は「仙石線に配属されてはいたが、ベンチレーターの換装を行わなかった」ように読み取れ、実際に仙石線から大糸線に転属したクモハ54005がその通りでした。これに対して、モハ70047は実際には押し込みベンチレーターに交換されていることが芝生さんの写真からも確認でき、この点では同誌の記述は「誤りである」ことになります。ただ、「いつ改造されたかわからない」のは確かで、「鉄道史料」にあった仙石線所属車両の経歴の中でも、モハ70047は改造の記録が無く、前所属の「新前橋区時代に既に施行か」と記述されています。

クハ86059,060の前面窓について
 この場でも何度か話題になり、未解決の問題でもあり、「クハ86059, 060がいつまで前面窓が原型で残っていたか」ですが、P84のクハ86059の写真の解説で「更新修繕を施工されていないため、側引き戸のHゴム支持化は後に行われたが、前面窓のHゴム化は施工されていない」とあります。写真は1962年の田町区時代で、静岡時代までは前面窓が原型であったことは確認されたのですが、山陽本線に転属してからは今に至るも不明のままです。

「サロシ88形」の構想について
 80系の計画形式は、「クハユニ88形」「サロハ89形」がこれまでの趣味誌で紹介されたことがあり、この場でも「どのような形態だったのか」話題にさせていただきましたが、、今回、半室食堂車「サロシ88形」の構想が初めて紹介されました(P24)。列車の運行計画の中で車両の需給の中で計画され、その後修正されたクハユニ88形、サロハ89形とは異なり、検討チーム中での「構想」の段階でとどまったものですが、前2形式が「形式図の発表」が無く、どのような形態だったのかわからないのに対して、構想といえども「形式図」が書き起こされており、これが掲載されています。これを見ると食堂部のレイアウトはスハ32、オハ35系の半室食堂改造車のオハシ30型によく似ており、客室部分はかなり狭くなっています。また、オープンな部屋ではなく、区分室になっており、皇族用電車の「クロ49型」の区分室が2つ並んだ感じ、また、寝台車ですが、「マイネ40形」の区分室に似ています。

他、「80系と70系の混結に関する、KE53とKE52の混用についての詳細(P14)」「東鉄と大鉄のモハ70形のジャンパ連結器の差異についての詳細(P30)」についての新しい情報が発表される等、けっこう新情報が発表されています。
 

院電由来の台枠について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 6月16日(土)10時32分42秒
返信・引用
  すぎたまさん、皆さんおはようございます

院電由来の台枠について
 クハ17035が院電由来の短いボルスタ―間隔の台枠らしく、写真でもその様子が確認できるとのことで、デハ63100系列でも変わった車がいるらしいことが伺えました。懸案のデハ63100形ですが、確かに床下スペースが狭くなるために電動車では「床下機器が収まりきるか」が不安要素で、少なくとも更新修繕以降の17m旧国では抵抗器のレイアウトにも苦しむほどなので、ボルスタ―間隔の狭い車がいたとしたら、更新修繕の段階ではねられる(払下げ対象になる?)のでは、と思われます。私の方でも記憶では、「モハ10形―モハ50型」でしたが、院電台枠のままで鋼体化されるとすると、床下の制限が少ないクハ65形が可能性が高いと思われます。
 震災復旧では、デハ33500形(後のモハ1形)でも存在していて、こちらは本来のグループが大正11年から12年にかけて落成しているのに対して、末尾の4両(33535~33538)及び2代目番号の33507,33513がデハ63100形が量産される段階になってからの大正15年に離れて落成しており、震災復旧車と考えられています。ただ、デハ33500形の震災廃車は2両(33507, 33513の初代)なので、2両はこの初代の台枠流用として、残り4両は元が何なのかは不明です。また、モハ1形とモハ10形は架線電圧1200V用と1500V用という意味もあったことから、大正15年になって「デハ33500形」として作った理由は、「1200V区間への車両投入が要求されたため」であることもかんがえられます。となると、当時新製中のデハ63100形の回路を1200V対応に引き直して「デハ33500形」にした、ということも考えられ、車体としてはデハ63100形(見分け方としては、本来のデハ33500形は乗務員扉後ろの窓が2枚、デハ63100形は1枚)そのものであった、また、震災廃車の初代デハ33507, 33513の台枠はもっと早い段階で新製車に使われており、2代目デハ33507,513は「番号の空白を埋めるため」のナンバリングだったことが考えられます。
 

レイル誌発見

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 6月11日(月)23時12分20秒
返信・引用
  原口さんこんばんは。

たまたまフィルムファイルを探していて、偶然「レイル」誌の当該号を発見しました。
「レイル 47号」の57ページに、以下のような記載があります。書かれたのは「中川浩一氏」です。
-----------------引用ここから
省形車輌の中での異端者はクハ17035。関東大震災による焼失車の台枠・台車再利用と判定される異端車で、トラス棒のクインポストの形態がV字形の旧い様式。ボギーセンター間距離が短いのは、原形の車長が16m弱であったこととのかかわりであるらしい。こうした異端の要素が、鋼体化改造の対象から除外されて都落ちする原因になったと考えられる。
-----------------引用ここまで
58ページには同車の写真が出ていますが、台車がTR10で電動車用と思われるものを装着しており、52ページのクハ15042と比べると、確かに台車が内方に寄っているようにも見えます。両端部の側板下部がすっぺんとまっすぐなのも気になりますね。乗務員室ドア下に「下がり」(乗務員のステップを内蔵した形の側板の下がった部分)が無く、客室ドアから一直線に正面に向かっています。このあたりの形態も、標準と異なるようにも思えます。
少なくとも、このクハ17035などの、「鋼体化工事の対象から漏れた」車輌には、焼失旧規格台枠の流用車があったと考えられ、今後の注目点としては、このような台枠で「鋼体化された車輌はあったのか」ではないかと思われます。

件のクハ17035の写真は、1950年11月2日撮影と記録されており、その日はモハ50016と組んでいたようです(記事による)。しかし、翌年の4月10日の編成表からは、既にクハ17035は消えており、省形木造車はモハ10が1輌あるのみになっています。その後のクハ17035はクエ9120になったあと、豊川分工場の火災で焼失(また焼失ということですね)、旧信濃鉄道のクハ5102の車体と振り替えということになっています(したがって台枠もこの時点で廃棄でしょう)。

以上、ご参考まで。失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

クハ17形?

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 6月10日(日)15時33分53秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんにちは。

原口さんの4桁木造車改造のモハ50が存在したのではないか、というご意見ですが、モハ50としては機器配置が相当変わりそうなのと、MT-15モーターが収まる台枠構造なのかなど、とりあえず「不安定要素」が多い気がします。
ただ、クハ17形(15形?)としては、「レイル」誌の「身延線特集号」に、戦後身延線で活躍する木造クハの写真で、トラス棒のクインポストが鋳造によるものを使用し、通常の同形式と異なる形態であるほか、台車が確かTR10である車輌の写真が掲載されていたと記憶しています。引っ越しに伴う本棚整理で、「レイル」誌がほとんど見つからず、クハの番号などが不明なのですが、もしかすると、そのような車輌が該当車かもしれません。「台枠が異なるので、鋼体化の対象から漏れた」みたいな記述もあったように記憶しています。もし源資料が発見されたら、またご報告いたしますが…。

近江鉄道の220形は、モハ226の台車位置が「外側寄り」とするサイトがあります。本当にその通りとすると、この車が旧小田急クハ1650形の台枠利用(近江鉄道ではクハ1201号)とも考えられますが、確定的な資料が見つかっておりません。FS-40台車は、ボルスターアンカーが大きい反面、斜めからでは位置関係の判定は難しいです…。

台枠の切り接ぎは、軽量化車体構造になるまでは、結構多数行われていたようです。戦災復旧客車も、平気でゆがんだ台枠を切り接ぎして、「おおよそ平ら」に直していたようですし(それでJR東日本のスエ78 15は台枠破断に?)、帝都電鉄クハ500形(筑摩電鉄の注文流れ車と言われる)も、台枠中央部を延長して帝都タイプにしたのか、オーバーハングが非常に短く、小田急に移籍したクハ1551になってからは、再度?台枠と車体を延長して、相棒のデハ1501におおよそ合わせる工事までしています。
これらの工事内容からすると、モハ50やクハ65などに、院電台枠が混じっていても、不思議は無いようにも思えるのですが、モハ50の鋼体化時の番号対象はwikipediaにも載っていますけれど、そのような車は無いことになっています。
しかし、名義だけになっている車は無いのか(戦後の60系客車の時は、かなり元番号と異なると言われているわけですし)、例えば中央部分は院電台枠だけど、両端の継ぎ足し部分がモハ10形台枠で、そっちの番号が改造元番号になっている等が無いのか、検証されている記事は今のところほぼ見つかりません。そうすると、無いとも言い切れないのかも…。
手持ち資料の少なさが歯がゆいですね…。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

デハ63100形震災復旧車の台枠

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 6月 9日(土)01時36分22秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

少し前の、すぎたまさんからの話で、近江鉄道モハ220形製造に使われたと考えられる元小田急1600形の台枠中に、車体長が少し長いクハ1650型由来のものが入っている可能性が有り、完成した車両のどこかに違いが認められるのではないか、とのコメントを見て、大正末期の木造省電デハ63100形に似た話があったことを思い出しました。

 デハ63100形は、後の17m級省電に受け継がれる基本的な車体のレイアウトを確立した車両でもありますが、製造(最初の落成は大正13年6月)時に、「関東大震災による焼失車の台枠を流用した車がいる」との記事をどこかで読んだことがあります。全長が16.8mおよび近似の値になった5桁の番号の車だけでなく、全長が16.0m程度の4桁の番号に由来する台枠を使って製造された車があり、この場合、「オーバーハングを伸ばしてつじつまを合わせた」ために、他の車に対して「台車が内側に寄っている」ことがはっきりわかったとのことです。また、後にモハ50形に鋼体化改造された時もボルスタ間隔の短い台枠をそのまま使ったため、由来の違いがはっきり分かったとのことです。
 ただし、記事では、「台車が内側に寄っていたことで違いが分かった」と記述されてはいるのですが、「具体的に何番が該当車だったか」の記述は無かったので、この「台車が内側に寄った車がその後どうなったか(クモハ11400台になった?戦災廃車になった?早期に私鉄に譲渡された?)かはわかりません。少なくとも、末期まで国鉄に残った車には該当車はいないと考えられます。

 台枠を利用したかどうかは別問題として、元の木造省電の車体長がそのまま鋼体化で受け継がれた例として、先日も触れた南武鉄道のモハ503形、505形がいます。モハ503型は、元の木造省電の車体長をそのまま移植した16m級の車両になり、モハ505型は元モハ1形の車体長を継承した17m級の車体になっています。南武鉄道の方で、当時新製していたモハ150形の17m級の車体に規格を合わせるような注文が無かったのか、「種車の寸法を継承する要望」があったのか、古典客車利用の電車型客車と併せて方針の不徹底を感じます。

 台枠の流用の仕方も、組み立てられた形のままで使われるものもあれば、部品レベルまで解体してから再組み立てをするものまで幅が有ります。前者は、主にスハ32系ダブルルーフ車を種車にして改造されたオハネ17形があり、RP誌の1999年の10系軽量客車特集で写真の解説があります。その中で、車体を解体して台枠だけにして、さび落としをした上で、その上に車体を組み立てている様子が確認できます。後者は60系鋼体化客車が有り、17m級の木造客車の台枠を解体し、20m級の鋼製客車の台枠を作り上げています。こちらも2000年のRP誌の60系鋼体化客車特集で写真の解説があります。また、最近のRP誌増刊の荷物電車特集号で、クモユニ74形の改造し、元のモハ72型の台枠が亀裂の発生等、劣化が激しいために、台枠の解体と再組み立てに近い大規模な補修を行ったことが記述されており、この過程で車体の角がRが大きいものへの変化が起こっています。このため、「台枠の再利用」も元の車体の形態を受け継がないことがあり得ます。
 

大船工場の湘南型前面の補遺など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 6月 2日(土)13時59分29秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

大船のクハ76前頭部について
 73おやぢさん、通りすがりさん、るぽとさんより情報をいただいた、大船工場のクハ76形前頭部ですが、「クハ76066」は、昭和30年型なのですが、テールライトが、この車のみ前年度までの車の旧タイプのもの(周囲をネジ止めしている、少しゴツイもの)付けていた、という特徴がありました。このため、るぽとさんの写真で、テールライト部を拡大して、「旧タイプ」であることと、手すりを拡大して、「左右をつなぐけ掛けサボフックが付いていない」ことが確認できれば「クハ76066であることが確定」といえます。工場保存の前頭部については先日の報告のように、掛けサボフックが付いていることと、テールライトが旧型ではないことが確認できるのでクハ76066ではないと考えています。

RM Library「国鉄工場めぐり」続報
 中巻P8の大井工場内の留置車両のなかに、「サハ78144」の車号が読める車の写真があります。
 桜木町事故の事故車は、先頭車が「モハ63756」、2両目が「サハ78144」とされていますが、RM276号で、桜木町事故に関する裁判の記録には2両目が「サハ78188」と記載されており、法曹界では「サハ78188」が常識であるとの報告があり、2両目の車が「サハ78144」と「サハ78188」のどちらなのか、という検討が有りました。当時の記事では、大井工場に留置されている車が「サハ78144だった」との目撃談があったのですが、文章としての記述だけで、映像としての記載は有りませんでした。今回のRM Libraryに掲載の写真は「サハ78144」の車号が確実に読めるもので、桜木町事故の事故車が「サハ78144」であることの優良な証拠と考えられます。
 同じページでは、「クハ5500の廃車体」(1965年2月3日撮影)があります。この車は、飯田線で使われていたことがあり、「飯田線を走った車両たち」にも記載されています。昭和35年ごろのRP誌に「クエ9425」へ改造されたとの記述(最近のRMアーカイブスにも有り)があり、RP93-4号の飯田線旧型国電特集でもそう記載されているのですが、実際には改造は行われず、そのまま廃車になっています。この写真は、クハ5500が改造されずにそのまま廃車になったことを示す有力な証拠になると考えられます。
 下巻P7にはクル29003の写真があります(1974年9月21日撮影)。クル29003は旧型国電の配給車のなかでも、目撃されることが異様に少ない車で、HP「おいらの70形電車」中の事業用車の項目中でも、他の旧型国電の配給車の写真が掲載されている中で、唯一この車だけ写真が未掲載になっています。また、前面を貫通化改造しているのですが、他の前面が貫通化されている、モハ30型、モハ31形由来の旧型事業用車は全て貫通化改造済みの仙石線の車を種車にしているのですが、クル29003だけは仙石線とは関係が無いのに前面を貫通化しているのが特徴です。特徴的な前面のこの車が目撃が少なかったのは、「関西唯一の”クル”」であったために使いにくかったのではないかと考えられます。
 

大船のクハ76

 投稿者:るぼと  投稿日:2018年 6月 1日(金)20時56分7秒
返信・引用
  大変ごぶさたしています。

首記の件ですが、78年11月下旬撮影のものがありましたのでご紹介します。
メモには76066とありますが根拠は失念、件の保存車かどうかは分かりません。

また、「ショッポーの趣味部屋」というブログの2018.1.31投稿記事に
78年6月の高崎界隈留置の76082と76066の写真がありました。

あと、鉄道ホビダスの「消えた車輌写真館」の2017年10月5日の記事に76066があり、
79年11月の写真が添付されています。



 

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