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オハ70省電復旧車画像など

 投稿者:すぎたま  投稿日:2021年 8月17日(火)06時25分57秒
返信・引用
  原口さん、73おやぢさんおはようございます。

原口さん
マニ74 14はマニに改造後も、窓が図面より多い変形車でしたね。ホビーモデルのHOキットは案外有名なのか、作る方もたくさん?おられたようで、ネットオークションでも少しプレミアが付いています。
オハ71 11-13は、ただ3輌しか無い国鉄工場(当時は工機部)復旧のもので、しかも多度津工機部が復旧した図面に無い車輌でしたね。特に11番はノーシルノーヘッダーが残ったもので、3輌ともB級車(元車体が破損・焼損していたが、おおむねそのまま使って復旧できた車輌。ちなみにA級車は破損の程度が比較的軽く、そのまま元の形式の元の形態に復旧できた車輌--オハ35 82→694などの例)でした。

73おやじさん
ここは大宮ですか。なるほどそうすると、大宮検車区の文字も納得ですね。編成の様子からして(今回貼付の画像も含めて)、木造車と70系客車という「すごい」編成なので、近距離用ではあろうとは思っていましたが、いろいろなことがわかって面白いですね。
今回貼付の画像、片方(上)は前の画像と同時に撮られたものと思われますが、残念なことに右下にあるはずのキロポストが画角の関係からか写っていません。背景も一段と判別が苦しい様相です。しかし、見た限りではさらに左に木造車(ホハ12000形?)が連結されていますので、少なくとも4連以上の列車状態で留置されていて、そこそこ長編成であることが見て取れます。

画像としては、新たに省電復旧であるが、客車形車体に整形されて復旧されたものを貼りました。
まずオハ70 92(画像上)は、先に公開したオハ71 106の左隣に連結されていたもので、左側にトイレが見えます。トイレの流し管は、70系図面指定の「ただの太いパイプ」ではなく、一般的な「トイレ流し管旧形」というやつになっています(HOならエコーモデルのパーツにありますね)。
目を引くのは、隅柱が丸みを帯びていて、省電時代のものを利用しているのがわかります。また見にくいのですが、左側連結面の貫通路のところ、ホロは無いようですが、渡り板部分に「延長部」が見えますので、台枠が短い50系電車からの改造かと思われます。ドア状の水切りは案外太いゆるやかな山形に見えます。
ガラスは2カ所が破損で板張りのようですが、おおむねきちんとはまっており、これまた縦さんなどは入ってないように見えるので、ガラスを小分けにして入れているということもありません。このあたり、大宮は少し資材があったのか、70系は板ロングシートでかなりな人が乗れたためか…。ベンチレーターは4個で、形状は隣のオハ71 106と同じように見えるので、これも省電用のものの利用かもしれません。全体には割と標準的な車体に改造されていて、珍奇な感じは薄めですが、本車のタネ車はwikipediaにはクハ65178とされていて、一応矛盾はありませんが、実際のところはよくわかりませんね。

画像下はオハ70 101です。本車も省電復旧ですが(ピルトリアルアーカイブスによる)、これまた客車車体に直されており、焼損程度が激しかったことがうかがわれます。プリントの状態があまりよくないのですが、本車も特徴的なところをいくつか有しています。
左手前のトイレ窓位置が、先の92号より「車端部寄り」に見えます。一方隅柱の曲率が大きいかどうか微妙で、これによるタネ車推定は難しくなっています。
左の木造車、「…宮検車区」(旧字)という文字が見えるので、やはり大宮配置の車輌による編成と思えます。また、奥の車輌も貴重で、17メートル省電(ドア位置が車端部寄り)の「省電車体形復旧車」のオハ70です。ぜひこの車輌も撮影していただきたかったですね(笑)。
本車はwikipediaによると、モハ30030復旧ということになっていますが、台枠が完全な平台枠に見えるので、正しく無いのではないかと思えます。モハ30がタネ車ならば、例によって台枠端部の形状が一直線ではないと思えるからです。
細かいところでは、オハ70 92と比べて、3等車表示のIII位置がみんな異なっていることが挙げられます。

いまさらながら、まだまだ貴重な写真が、意外なところに埋もれていることがわかる70系戦災復旧車・省電改造車の話でした。失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 
 

大宮駅ですね

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2021年 8月14日(土)19時26分25秒
返信・引用
  皆さん、こんばんは。
すぎたまさん

貴重な写真をお見せいただきまして、ありがとうございます。
当該車について語れるものは持ちませんが、撮影場所はわかります。
テルハの形態と跨線橋との位置関係が、大宮駅に酷似しています。

大宮検車区所属なら、列車は川越線か高崎線です。ここで着目したいのはテルハのタワーの間隔で、写真に写っている2棟間より右の画面外にある棟との間隔のほうが長ければ、列車背後のホームは川越線です。東北・高崎の下りホームと川越線ホームとの間は4線またぎでほかより長いからです。そうすると、画面左の大型距離標は川越線の0キロポストということになります。
個人的には70系が2両入っているので、ワキを代用客車にしたこともある高崎線の通勤列車のほうがふさわしいようですが、この場合、大宮は東京起点30.5㎞(時刻表掲載の30.3㎞は田端経由の数字で、実際の尾久経由は0.2㎞長い)なので、0.5㎞きざみに使う大き目の距離標があるはずで、まあどちらにしても大宮駅に矛盾しません。

 

オハ71 106からマニ74 14への変化、TOMIXより72系全金車セット発売の予告

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 8月14日(土)01時45分38秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、皆さんこんばんは

オハ71 106からマニ74 14への改造内容
 オハ71 106の写真を拝見しました。RPアーカイブスセレクション16「国鉄の客車1950~60」でも記述(P126の本文の方ではマニ74 14のところで「クハニ67003の復旧」と記述されているが、クハニ67003は後のクハユニ56002で、表(P125)の「クハニ67008」の方が正当、「旧形国電車両台帳でも「オハ71 106」の記載あり)でも、「台枠を再用」「元の荷物室の位置を示す側ばりの補強板が残っている」の記述があり、興味のある車でした。
 なお、オハ71 106を改造した、マニ74 14の写真が見つかりました。模型でも「ホビーモデル」が1/80, 16.5mmの製品を発売していますが、HP「奥野利夫氏撮影郵便・荷物車写真」に、昭和30年7月13日撮影の写真が掲載されており、これを見ると、改造ではすべての窓がそのまま残っており、後位(オハ71 106の写真では右側)の扉が幅狭の乗務員扉、中央と前位の扉が1800mm幅の荷物扉に改造されています。写真の紹介の多いマニ74 2などと比べると、窓の変化がないので、エネルギー量の少ない改造といえます。水切りは、新たなドアの幅に合わせて、折れ曲がりの浅いへの字のものが付いています。ベンチレーターは、オハ71 106では数が少ない(5個)ことにすぎたまさんも注目していますが、マニ74 14では、逆にベンチレーターが増えて、9個もついています(間にベンチレーターを追加した?)。オハ71 106の時はやけに後ろに書き込まれていた車番は、マニ74 14では、中央扉の右側(写真は非公式側)と常識的な位置になっている一方で、サボ掛けの位置はやけに後ろのままです。
 同ホームページでは、70系荷物車の写真が多く掲載されており、RPアーカイブスでは、情報が無く、空白だった車の情報を埋めることができるかも知れません。その中でも興味深かったのは昭和33年8月3日撮影のスユニ72 51(元クハ55070-オハ71 11)で、半流の前面を平妻に整形していますが、ノーシルノーヘッダーのクハ55の形態を強く残しています。
 ちなみに、スユニ72形では、元クハ68017-クハ55131-オハ71 12で、クハ68原型車の形態を強く残している、「スユニ72 52」が、GREENMAXの1980年代のカタログにイラストが描かれているのを見て以来注目しており、その後、確か「とれいん」誌に写真が掲載されたのですが、これとは別に写真を見つけました。「とれいん」誌のブログの2020年9月17日の記事に昭和33年5月5日撮影の写真が掲載されています。

TOMIXより、72系全金車セット発売の予告
 TOMIXでは、先に73,79系原型車を中心とした、リニュアール製品を発売しましたが、その第2弾として、「全金車セット」が予告されました。
 製品は、モハ72、クハ79920番台の5両セットと、クモハ73―サハ78-クハ79昭和31年形の3両付属セットBで、組みなおして、中央線快速の6+2編成にすることが想定されています。5両セットでは、初めてモハ72920台の動力車が設定されます(モハ72920台が初めて製品化された「鶴見線セット」では、クモハ73に動力を入れることによって、モハ72の動力車化を回避している)。付属のサボは中央線関係のものが収録される予定なのですが、思いついたのが、「京浜東北線の全920番台8両編成」で、他に山手線で見られた920番台6両+サハ78の7両編成もあり、920番台セットはかなり人気が高いのでは、と思われます。
 

ついに発見されたオハ71形省電車体車の外見画像

 投稿者:すぎたま  投稿日:2021年 8月12日(木)01時27分34秒
返信・引用
  みなさんこんばんは。

とうとう見つけました。オハ71形の省電復旧車の画像です。
今まで発表されていないと思うので、入手した写真をスキャンしてお見せします。時期から考えて著作権は切れています。撮影者不明です。

本車はクハニ67008復旧と言われているオハ71 106号です。この車は、ほとんど図面通りに造られており、日国工業の比較的丁寧な仕事の結果かと思われます。車番の位置が後位寄り(右寄り)なのは、ここにサボかけがあるためでしょうか。
左側が客車としての前位(電車時代も同じ)ですが、半流の形状が残っていそうです。光の関係でこの写真でははっきりしませんが、後年本車はマニ74 14に改造され、その状態では片側半流なので、半流であると考えられます。
その他特徴的なのはベンチレータが少なく(元の位置?元のものの利用?)、一番右のベンチレータ更に右には、水取口が見えます(|■|のような形)。この下に天井水槽とトイレがあるのでしょう。ドア上の水切りは「まっすぐ形」で、「への字形」ではありませんね。一番右のドア下にはステップがあり、ここのみドア手すりが2段(下側に小さい手すりがある)に見えますがどうでしょうね。
窓ガラスは案外ちゃんとはまっており、小分けに窓にサンを入れたりはしていないようです。ただ、一番左の客ドア下段窓は、木材でふさがれているようです。このドアも含めて、客室ドアは一般的な「省電の木造ドア」ではなく、木造車のようなドア窓の下段に縦さんは無く、それでいて横さんが太いという特徴があります。かつて公開した車内画像(本車とは別車輌と思われる)も同様でした。
ドアはこの面では全て右側に引かれる引き戸で、ドアの位置は中央ドアと右ドアともクハニ時代から変わっていないようにも思えます(台枠の柱位置を踏襲している?)。
クハニ時代の窓配置は、飯田線で後年まで活躍したクハユニ56形0番台がそのものなので、それから推定できます。
床下機器は客車のものに全て交換されている様子で、クハニ時代のものは見られません。ただ、台車はもしかすると元のものかもしれませんね。
本車は、鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション16日本の客車1950-1960によると、台枠にトイ穴ありとされているので、ノーシルノーヘッダーで張り上げ屋根車であったと思われますが、それらは無残に失われ、シル・ヘッダー付きの普通屋根になっています。したがって、本車はいわゆる「C級車」(元車体が利用出来ず、台枠を利用して車体を新製した車輌)であるのは確実と思われます。
本車の撮影駅はわかりませんが、右側にテルファーが写っており、左に連結されたオハ70(これは客車車体)の右下に、「大宮検車区」と書かれているように見え、本車の右に連結されているのは木造のナハ22000系と思われます。やはり近距離列車の様相を呈しています。これで上野-青森なんかの運用には入れなかったでしょう。

それにしても、戦災復旧客車の希少写真が、終戦記念日近くになると連続して入手されるというのは、何か意味があるのだろうかとも考えてしまいます。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

仙石線クモハ54・クハ68形製作、仙石線車両の標識灯掛けなど

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 8月 9日(月)22時29分51秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは
前納さん、34036さん、お久しぶりです

仙石線車両の標識灯掛け等について
 34036さん紹介の写真は、「標識灯掛けを実際に使っている」状況を示すものとして貴重なものだと思います。
 回送が仙台駅経由から石巻駅経由に変わったことによる影響として、私も「石巻線の貨物列車にぶら下げたことによるもの」で、石巻線の貨物列車の一部に「車掌車の連結の省略」が行われていて、車掌車を省略した貨物列車を使って回送したためでは、と考えてみました。車掌車の省略は59-2改正が有名ですが、それ以前も一部の貨物列車で車掌車が省略されることがあり、その例の1つが八高線の石灰石輸送列車です。
 また、34036さんのお話から、「仙石線内」に由来を求めるとすると、回送列車の運転区間が陸前原ノ町―仙台間から、陸前原ノ町―石巻間と距離が大幅に伸び、しかも単線区間を長距離走るようになったため、回送列車の規定上、標識灯が必須になったのではないか、とも考えてみました。
 なお、仙石線車両特有の装備として、標識灯掛けに先行して、1位側、4位側の「貨物票挿し」が取り付けられていたこともありますが、入場先へ貨物列車にぶら下がって回送されていた他の線区の車輌(富山港線の富山―松任工場間、大糸線の北松本―長野工場間、山陽本線電化前の可部線の広島―幡生工場間)では見られないもので、「貨物票挿し」も仙石線特有の事情が存在することが考えられます。

 モハ70125ですが、他の3両のモハ70形(70047, 10123, 70124)が昭和49年度中に松本運転所に転出した中で仙石線に残留した車です。本来は検査周期は4年のはずで、途中の検査としてもかなり早い再入場になり、モハ70125が残留したことと何らかの関係があったのかもしれません。

 「回送経路がいつから石巻経由に変わったか」は、「クモハ12040の転入」の時期が参考になるかもしれません。仙石線管理所―陸前原ノ町電車区の牽引車は、クモヤ22203(元クモニ13036)がいましたが、クモハ12040が後に転入しています。クモハ12040は、福塩線で青20号になった3両の17m車の一員(他はクモハ11209、クモハ12015)でしたが、47-3改正で20m車が追加転入して、これらの車は運用を外れています。その後、保留車となった後、クモハ12040が転出しました。転出の理由が、「仙石線内の回送経路の変更により、牽引車の所要数が増加したため」ではないか、と思われ、転出の時期と、回送経路変更の時期が合っているのではないか、と考えてみました。しばらく保留車となった後に牽引車に転用された他の例として、静岡運転所のクモハ60069,076があります。両車は美濃赤坂線で使われていましたが、昭和46年に運用を外れ、しばらく保留車となった後、昭和48年に静岡運転所に転属しました。これは、48-10改正での中央西線、篠ノ井線電化による、静岡運転所及び沼津電車区の電車の入場の浜松工場から大船工場への変更による、牽引車の所要数の増加によるものと考えられ、「需要が発生するまで」保留車として待機していたと思われます。

仙石線のクモハ54、クハ68形の製作
 久しぶりの旧形国電の模型製作として、仙石線のクモハ54、クハ68形を製作しました。以前の旧形国電の製作は昨年6月の岡山ローカルにあり、1年以上ぶりの旧形国電模型になりました。
 製作したのは、クモハ54007, 107、クハ68060, 086の4両です。ベースとしたのは、クモハ54107, クハ68086は鉄道コレクションの仙石線セット、クハ68060は宇部、小野田線セットのクハ55009、クモハ54007は飯田線セットのクモハ54006です。
 追加した部品は、タブレットプロテクターと貨物票挿しはBONA FIDE、クモハ54007とクハ68060のベンチレーター台座、大鉄型球形ベンチレーターはTAVASA、写真はKATOのスポーク車輪を用いました。
 写真上はサイドビューの一覧ですが、京阪神を走っていた戦前形の特徴である「急行票挿し」は、4両の中ではクモハ54107だけに残っていました。パーツはBONA FIDEを用いています。屋根板は、クモハ54007は、ベースにしたクモハ54006は偶数向きで、配管が逆なので、福塩線セットのクモハ51形(奇数向きのクモハ51043)のものを利用しました。屋根板の加工は手すりとステップ、ランボードの別パーツ化をした他は、製品のモールドを利用しました。
 写真中央は前面の一覧ですが、ここで調査をした時に、「標識灯掛けの変化」に気づいたものです。また、昭和45年時点と49年時点で、クハ68086に大きな変化が起こっていることに気づきました。芝生さんの写真でも確認できる、「シル上の長手すり」と、「幌枠脇の車体裾の小ステップ」は、昭和45年時点には存在しませんでした。このことに後で気づいたため、クハ68086の模型にはパーツを撤去した傷跡が少し残っています。シル上の長手すりは他にクハ68090、クモハ54103にも存在しています。
 クモハ54007は、仙石線時代の写真が見つかりませんでした。このため、仙石線時代の前面の形態は推測が入るのですが、「窓下幌枠横の小手すりが無い」ことを根拠として、「サボ枠を助士席側窓下に装備」と考えました。これは、この手すりは「存在している」のが原形(「旧形国電編」掲載の1959年3月撮影のクモハ54005等)、ですが、クモハ54007以外では、クモハ54004が撤去されていることが確認できます(他の車は後年まで存在を確認)。クモハ54004は仙石線の車で、箱サボ枠を助士席側窓下に付けており、クモハ54007も同様であったと考えました。模型では、サボ枠はTreasure Townのパーツを使いました。前面窓は両側がHゴム支持なので、鉄道コレクションの福塩線セットのクハ68のものを利用しました。
 他の3両の車は、サボ枠は、上枠と下枠だけの簡素なものを貫通扉に取り付けていました。模型では、渡り板のモールドを撤去して整形した上に、下枠はTreasure Townのサボ枠から切り出した部品(取り付け足のある左右枠の部分だけを切り取ったもの)、上枠は0.2mm真鍮線を3.8mm幅に折り曲げたものを取り付けました。
 なお、クモハ54007は、飯田線に転属してからは、高さの低い箱サボ枠を貫通扉に取り付けていますが、一緒に転属したクハ68412(元クハ68106)も同じものを取り付けていました。飯田線では前面にかなり手が加わったので、クハ68412が仙石線時代どのような前面形態だったかは、クハ55形の場合、原型でも窓下手すりが存在しないため、推測する要素が無く、不明です。
 鉄道コレクションは窓枠がガラス側表現ですが、窓枠の塗装は、元々黄緑色の仙石線セット由来のクモハ54107、クハ68086は、車体の塗装(Greenmaxの黄緑6号)とあまり色合いが変わらなかったのでそのまま利用、別の色から塗り分けになったクモハ54007、クハ68060はGREENMAXの黄緑6号を烏口で塗りました。
 クハ68060は、原型のクハ55009からは、前面窓のHゴム化、幌枠の取り付け等の加工を行っています。幌枠は、Little Japanのクモハ40キットのパーツを、幅を広げる加工を行い、前面窓は鉄道コレクションの大糸線の元クロハ59のクハ68が両側Hゴムなので転用しました。幌枠の助士席側側面に並ぶ昇降手すりは、TAVASAの74系用手すりセットから、昇降手すり(取り付け足が1本)を利用しました。Hゴム化された運行窓は、Treasure Townの前面箱サボセットに入っているパーツを使っています。
 写真下は、以前に製作した仙石線から福塩線に転属したクハ68062(Little Japanのクモハ40がベース)と、今回製作のクハ68060を並べたものです。クハ68062は昭和49年8月に田中さんが郡山工場に入場しているところを撮影しており、標識灯掛けが問付けられています。なお、田中さんの写真では検査標記が「49-8郡山工」と読め、福塩線時代の写真がHP「吊り掛け電車をもとめて」に掲載されており「51-9吹田工」と読めます。また、標識灯掛けがそのまま残っていることも確認できます。前面の写真は見つからなかったのですが、福塩線では大鉄タイプの掛けサボを使っており、仙石線時代のサボ枠は撤去して、掛けサボフックに取り替えられたはずです。
 

Re: 仙石線内回送

 投稿者:34036  投稿日:2021年 8月 1日(日)18時23分30秒
返信・引用
  > No.3106[元記事へ]

何故か、画像が添付できなかったようです。再送します。
 

仙石線内回送

 投稿者:34036  投稿日:2021年 8月 1日(日)18時15分55秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。
原口さん、前納さん 無沙汰しております。

仙石線電車の入出場の変更時期について ご参考になればと思い投稿したいと思います。
添付の写真は、
70125-22203-(12040)
撮影年月日:昭和50年3月11日、場所:陸前原ノ町区。郡山工場入場直前の姿と思います。

70125は標識灯、自連装備、前後とも標識灯掛けがありますが、標識灯は仙台寄りのみ装備です。
妻面には「49-9 郡山工」とあり半年で再入場ということになるでしょうか。

この写真から、少なくとも50年3月11日時点には標識灯を利用する回送方法がとられていたことの証明になりそうです。

石巻以降は貨物輸送ですが、後ろにワフかヨが付くでしょうから、標識灯は不要で、標識灯の必要性は仙石線内のみでしょう。
ちなみに石巻-小牛田-郡山間はずっと写真の標識灯がついている側が進行方向前になりますね。
前納さんの云われるように、仙石線内は2両の牽引車に挟まれるのではなく、牽引車の後ろにぶら下がる形での回送であったと思われます。

写真には写っていませんが石巻寄りに22203の先に12040が繋がっています。
ただし12040は22203との間隔が少し広く思われ、切り離されていた可能性もあります。
実際の回送に牽引車2輌は不要でしょうね。

この回送方法がいつからかは判りません。
私は49年10月にも同区を訪問しており、ネガをみたところ、その時点ではまだ標識灯掛け未装備の車輛がいます。
しかし、同じく写真の50年3月11日時点でも標識灯掛け未装備の車輛がいるようです。

 

回送経路の関係?

 投稿者:前納浩一  投稿日:2021年 7月25日(日)15時20分56秒
返信・引用
  原口さん、みなさん、こんにちは。
仙石線車両に関する興味深い情報ありがとうございます。

ひとつ考えられるのは、陸前原ノ町電車区から郡山工場への回送ルートの変更が理由ではないか、ということです。
正確な時期は未確認なのですが、昭和40年代末期頃に回送ルートの変更が行われています。
従前は、仙台駅構内に仙石線と東北本線を結ぶ連絡線があり、そこを通して回送されていました。
その後、東北新幹線建設工事に絡み、仙石線と東北本線の連絡線が撤去され、回送は石巻経由となりました。遅くとも、昭和51年夏には変わっています。その時に陸前原ノ町電車区を訪問して聞きました。

直接的な理由(回送車の前後を牽引車で挟む方式から、進行方向後ろにぶら下げる方式に変えたなど)は不明ですが、時期的に、この「回送ルートの変更」が影響していることが考えられます。(石巻構内での入換作業が関係しているのかも知れません。)
 

仙石線旧形国電の「標識灯掛け」取り付けの時期

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 7月24日(土)17時53分19秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

久しぶりの旧形国電製作として、仙石線のクモハ54、クハ68形を作ろうと思い立ったのですが、仙石線の旧形国電の特徴ともいえる、郡山工場、盛岡工場への回送時に用いられる「標識灯掛け」の取り付けが、旧形国電の「末期」になってからだったことに気づきました。
 芝生さん、田中さんの仙石線訪問は1974年以降なので、全ての車の前面裾に標識灯掛けが付いていることが確認できますが、「最盛期の国鉄車両」等の福原氏の写真は1970年頃の撮影なので、標識灯掛けが付いていません。間を埋める写真として、HP「山梨・甲府の陶芸教室/北杜の薪窯 道楽窯」中の「鉄分補給」に、主に1970年代の鉄道写真が紹介されており、その中に1973年夏の仙石線の訪問(記事名は「1973年夏 仙石線 塩釜付近」)の写真があります。この中の73系、クモハ54、クハ68形の写真では、標識灯掛けが付いていないことが確認できます。1974年8月に田中さんが仙石線を訪問しており、この時は標識灯掛けが付いているので、標識灯掛けは1973年夏から74年夏の間の1年の間、おそらく短期間に一気に取り付けられたことになります。従って、これより前に転出した飯田線のクモハ54007は、標識灯掛けを装備したことは無く、後に転出したクハ68062は、福塩線の青20号塗装になってからも標識灯掛けが残っていました。
 

豊橋鉄道田口線からの直通車:RM Library 254「豊橋鉄道田口線」より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 7月22日(木)10時11分20秒
返信・引用
  皆さんおはようございます

RM Libraryの最新号(No.254)「豊橋鉄道田口線」が発売されました。
 田口鉄道(豊橋鉄道田口線)は、社線時代から国鉄時代の飯田線と関連して、歴史、車両史が語られることが多かったのですが、単独で特集されることは少なかったものです。
 見どころはやはり「車両」で、表紙は田口線末期の2色塗り時代のモハ15(1965年3月9日、本長篠駅で撮影)で、「ベージュとマルーンのツートン」が鮮やかな写真は、珍しいのではないかと思います。また、この写真では、モハ15が、以前のこの場でも何度か話題になった、「ジャンパケーブルを箱に納めている」のが確認できます。田口線の車は豊川分工場で検査をしていることもあって、車体側のジャンパ栓納めは、よく見る形のジャンパ栓納めになっている車が多いのが、本文の写真でも確認できるのですが、そのような状況の中で、昭和40年にもなって古い形のジャンパ栓納めを残しているものとして、注目されるものです。

 直通列車は、飯田線の列車に併結されていましたが、P29の流電クモハ52形と連結された写真が興味深いものです。同写真は1958年に豊橋―船町間で撮影されたもので、田口線モハ37がクモハ52(記載は有りませんが、52001)-クハ47100台の2両編成と連結しています。流電は、「飯田線快速色」の幕板も塗り分けたバージョンです。当時の飯田線快速は、クモハ52形の間にクハ47100台を挟んだ2両編成(鉄道コレクションの「飯田線快速色」の編成)で、2両編成に分割できるようになっていますが、実際に2両編成に分割して、普通列車の運用に入っているのが撮影された写真は珍しいのではないかと思われます。

 田口線の廃止後、モハ36~38は渥美線に移籍しましたが、その中でモ1713(元モハ38)は、2段窓の上段窓が「Hゴム支持」になっていたことが記述されています(P42)。「バス窓」のような外見ですが、サッシ窓なので、構造的には「バス窓」ではなく、小田急1800形(後の秩父800形)のHゴム支持の窓と同じものです。
 豊橋鉄道の車は、渥美線では独特な形のシールドビーム2灯が有名でしたが、田口線の最末期にも、田口線の車で工事が施行されており、P38に後の保存車のモハ14がシールドビーム2灯になっている写真が掲載されています(1968年8月撮影)。1966年撮影の写真ではまだ白熱灯1灯なのに対して、1968年の廃止の頃の写真では、シールドビーム2灯の車ばかりになっているので、短期間で一気に前照灯が交換されたようです。

 田口線の車は、モハ14が「奥三河郷土館」に保存されていたことが知られていますが、今年になって奥三河郷土館が移転し、モハ14も移動したことが報告されています(P38)。ちなみに、前照灯は白熱灯1灯に戻されています。
 

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