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首都圏に残ったモハ30, 31系列の車の裾の変化。

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 1月 7日(木)22時39分6秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、73おやぢさん、皆さん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 三井芦別の客車は、これまでの17m級国電の特集でも、遠隔地ゆえ、触れられることが少ないもので、写真が見つかったことが注目だと思いました。
 すぎたまさんよりの写真で注目したのは、「裾の形状」で、以前にも紹介したRPアーカイブス16「国鉄の客車1950~60」中「70系客車のいろいろ」(P120-127、オリジナルはRP58-11号)による、1930年度までの特徴の「下降形」がわかりますが、モハ31形の写真を改めて見ていたところ、この部分の形態が後天的に変化した車がいたことに気づきました。
 「旧形国電車両台帳」のP32~36がモハ31系の写真頁ですが、この中で、P34のクハ38017の写真では、同車は裾が「下降形」(S6.6.19製ですが、前年度の形態を継承)ですが、その下のクハ16001(元クハ38005)の写真では、裾が「70系客車のいろいろ」による「上昇型」です。他、芝生さんの写真では、可部線のクモハ11205が、元は魚腹台枠で、裾は下降形のはず(元モハ31007、S4.10.19川崎製)ですが、上昇型になっています。また、元モハ30形でも、かなりの車が裾が下降形から上昇型に変わっています。
 一方で、元モハ32形の系列は「下降形」を残している車が多く見つかりました。モハ32系列は飯田線、身延線にいて、豊川分工場と関連が深かったので、豊川分工場で更新修繕をしたことによる特徴ではないか、と思いました。また、仙石線の17m車は、モハ30,31系列共に裾が下降形で残っていることを確認しました。
 このため、裾が「下降形」から「上昇型」へ変化したのは、首都圏に遅くまで残った車に代表される、「大井工場で更新修繕を受けた車」の特徴ではないか、と考えてみました。更新修繕1と2のどちらで裾の修正が行われたかはわからないのですが、昭和30年頃の首都圏のクモハ11100台に裾が下降形の車がいるので、「更新修繕2」の方が有力かもしれません。

 模型で見ると、KATOから発売された南部支線セットは、クモハ11248、クハ16007のセットで、クハ16007の方は、昭和5年型のリベットの多い車体と、「裾を上昇型に修正した」形態が表現されています。また、クモハ12形は、クモハ12052になっていますが、こちらも裾が「上昇型」です。このため、地方のモハ31系列を表現するには、「裾の下降形への修正」が必要になることがわかりました。

クハ455形300番台の水タンクのレイアウトについて
 先日、富山港線の475系の製作の報告で、クハ455-302の「水タンクのレイアウトが変化したこと」を紹介しましたが、その「解答」がRP14-2号の455,475系特集に見つかりました。
 P62~72が「急行型交直流電車 改造先頭車の記録」で、その中のクハ165から改造の300番台の改造内容の記述(P65~)に


種車の110kVA-MGは、直流から交直流化の改造を行った上で再用した。交直流化に伴って、リアクトルが大きくなるため、、水タンクがアルミ製のものはFRP製に取り替えた。


とあります。クハ455-302の種車のクハ164-140は、この「水タンクがアルミ製」の製造ロットで、アルミ製(先の書き込みで「鋼製」と表現したもの)の水タンクを交換するに当たって、同時に床下機器を再配置したのが、床下機器が変化した原因でした。他、クハ455-301(元クハ165-139)も、同じ床下機器の再配置が行われていることが確認できます。
 なお、オリジナルで、FRPの水タンクが中心線上にレイアウトされているのは、165,169系のAU13冷房準備車以降(クハ165-156以降、クハ169形0番台全車)の特徴で、クハ455形は、オリジナルではAU13冷房準備車は存在せず、新製冷房車も、水タンクが公式側に付いているレイアウトを継続しているので、水タンクが中心線上に付いているのは、他形式からの改造車だけに見られる特徴です。
 
 

モハ3600こそ正解です

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2021年 1月 7日(木)18時55分21秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。本年もよろしくお願いします。

すぎたまさん
三井芦別の焼け電、珍しいです。形式モハ3600と読み取れる画像は初めてではないでしょうか。

まずは過去の文献による能因法師で恐縮ですが、参考になればと思い、紹介します。
当該車に関する記述はピク誌私鉄車両めぐり第7分冊(1966年刊)が長らく唯一の存在で、本文によると登場時は形式モハ300(サハ1~3)とあります。ところが、記事の末尾に添付された諸元表には形式モハ3600、番号サハ1、2、3とあり、読者には釈然としない内容でした。
後年になって、RMライブラリ№59「昭和29年北海道私鉄めぐり(下)」(2004年刊)に興味深い記述が出て、霧が晴れました。

以下引用。
客車なのだから当然自重より考えてオハフと称すべきものだが、サハという電車の記号をそのまま用いているのはまだしも、形式をモハ3600としているのにはびっくりとした。聞けばオハフ1~3と称するつもりで書類を出したところが、元がサハなのだから、そのままでよいではないかという陸運局のアドバイス?でこういうことになったのだそうだ。
引用終わり。

「元がサハ」と「モハ3600とした根拠」の2点を考えなければ、形式に関する消化不良は解消します。すなわち届け出は形式モハ3600が正解であり、巷間見かけるモハ300は、要するに”誤植の孫引き”によるマボロシの形式でした。昭和32年に気動車併結を前提とした改造があり、このとき形式ナハニ1となったはずですが、現車の標記はモハのまま書き換えが遅れたようですね。ネット検索で見つかる写真によれば、晩年は形式ナハニ1と書かれています。ちなみに諸元表の自重も25tです。

書類上の種車は31036、31070、31104だそうですが、現車は3両とも魚腹形のUF20なので平台枠の31070と31104は整合しません。
文献の記述は以上ですが、31070は戦後も現存していることから、書類の記載ミスのようです。旧型国電車両台帳によれば31103(戦災廃車)が芦別入りとありますが、これも平台枠なので該当せず、真の車号はわかりません。

ここからは、車体に関する私の個人的見解です。
まず、種車が本当に31形(すなわち運転台付き)だったのか気になるところですが、側扉が一方向に引かれること(本来のサハの両端扉はそれぞれ外方へ引く)、前位の側扉横の吹き寄せ部の幅が左右で異なる(旧運転台側のほうが狭い)ことにより、31形の運転台撤去による中間車化とわかります。ナハニでいえば荷物室側が旧運転台です。
次に鋼体の構造ですが、私鉄車両めぐりは「リベットはすべて削られて、溶接仕上…」、RMライブラリは「リベットがすっかりなくなって、溶接構造…」および「妻面は元の雨樋の部分で部材を溶接…」とあり、基本的にはグレーゾーンながら、「削られて」と「元の雨樋の部分」を尊重すると、オリジナルの外板を引き継いでいる可能性が優勢になりそうです。

しかしながら、個人的には、
①リベットの部分的消滅は珍しくありませんが、すべての鋲頭が消滅するのは、工事の手間や強度の面から不自然ではないでしょうか。
②決定的な写真に出会ってはいませんが、63形と同様に扉上の幕板帯(ヘッダー)がないように見えます。
③「元の雨樋の部分」に関してですが、鉄道模型とは違って実物は小割りの鉄板をつなぎ合わせるので、単に技術が稚拙な結果だったのでは。

以上から、台枠と旧柱は利用したものの、外板は張り替えたと想像しています。
 

購入画像から見る三井芦別ナハニ3の形式の謎

 投稿者:すぎたま  投稿日:2021年 1月 5日(火)23時48分25秒
返信・引用 編集済
  みなさんこんばんは。

三井芦別鉄道のナハニ1形は、モハ31形の戦災復旧ということになっていますが、どれも形態としてはサハ36のようにも見えます。
その中で、ナハニ3の画像を購入することが出来ました。撮影者は不明です。例によって、購入写真プリントなので、著作権的な問題はありません。

さて、それで画像を見ますと、なんと形式が「モハ3600」となっています。しかもその横(奥側)には、「荷物」との表記も。
wikipediaには、モハ300形となっていたというような記述も見られますが、少なくとも昭和30年代後半頃は、モハ3600になっていた一つの証拠かと思えます。
しかし、これは届け出が正しくモハ3600形となっていたのでしょうか。それが疑問点ですね。そもそも3500形があるわけでもない鉄道で、なんで突然モハ3600形、それも「モハ」なんでしょうか。サハ3600なら、タネ車の様子からすれば、まだうなずけます(それでもモハ31の同系サハはサハ39…)が、さっぱりわかりません。
自重は25トンということになっていますが、これも本当なんでしょうか。台枠隅の形状は、四隅に垂れ下がりがある形状ですが、これはタネ車と合致しているのかも少々疑問です。正面側(手前側)には、下に古穴がありますが、これは上作用の自連を下作用に付け替えた時のものでしょうか。
かなり部分的な写真なのですが、あまりに謎ばかりなので掲載させていただきました。
このところ、型式番号の呼び方が論議になっていましたが、この車輌の場合、「もはさんろくまるまるがた、なはにさんごう」とでも現場では呼んでいたんでしょうかね。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

クモニ83レポート(番外その5)いすみ鉄道の気動車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年12月31日(木)15時38分8秒
返信・引用 編集済
  いすみ鉄道在来の気動車は、いすみ300形302(写真上、国吉駅で撮影)、キハ20形1003(写真中央、大多喜駅で撮影)に乗りました。
 キハ20 1003は、いすみ350形を基に、国鉄キハ20形を再現したものです。大多喜駅では「急行」と交換し、キハ52 125と並んだところを撮影してみました(写真下)。「キハ20形の再現」はどのくらいできているでしょうか。前照灯も、下記の「目玉焼き」が再現されています。

 今年は世相から、鉄道関係の訪問は少なく、今回の「ポッポの丘」訪問は非常に久しぶりの鉄道関係の調査になりました。来年はもう少し、色々ななものを見たいと思っています。
 それでは皆さん良いお年を
 

クモニ83レポート(番外その4)キハ28、52に残る「国鉄」

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年12月31日(木)15時13分17秒
返信・引用 編集済
  キハ28 2346とキハ52 125は、JR西日本からの譲渡車ですが、JR西日本ではシステムの抜本的な交換を伴う更新工事をあまり行っていないのが特徴で、「国鉄」時代の装備がけっこう残っていたのが特徴でした。

 写真上はキハ28 2346の座席の「三日月形手すり」、中央は同じくキハ28 2346の「木綿の紐を編み上げた網棚」です。
 「三日月形手すり」については、昭和50年代後半からの特別保全工事以降、新しい枠型の手すりへの交換が大々的に行われており、JRになってからも三日月形手すりの残っていた車は珍しい存在です。また、網棚も、金網へ交換された車が多く、「木綿の網棚」はさらに珍しい存在で、以前報告した「SLやまぐち号」のオハ35系客車でも、防火の観点から、「木綿の網棚」の再現は断念されたものです。

 写真下はキハ52 125の「DMH17エンジン」です。JR東日本では気動車のエンジンを全面的に交換しており、同時期にDMH17エンジンを使っている他の私鉄でもエンジンの交換が進んだため、DMH17エンジンが残っているのは非常に珍しいものです。

http://

 

クモニ83レポート(番外その3)いすみ鉄道の国鉄型気動車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年12月31日(木)15時02分49秒
返信・引用 編集済
  ポッポの丘を訪問した日は土曜日だったため、いすみ鉄道では「急行」を運行していました。

 「急行」はキハ28 2346(写真上、国吉駅で撮影)とキハ52 125(写真中央、大原駅で撮影)の2両編成で、キハ52 125の方は、確か2006年に大糸線を糸魚川から乗った時に乗った時以来の再会です。
 いすみ鉄道にはもう1両、走ってはいませんがキハ30 62もいます(写真下、国吉駅で撮影)。

 なお、キハ30 62のヘッドライトはシールドビーム化が、横に並んだ2灯を囲んだ俗称「ブタッ鼻」です。これに対してキハ52 125は2灯の上下にビードがある俗称「目玉焼き」です。「ブタッ鼻」は電車101系や103系など、電車に一般的で、「目玉焼き」はキハ20系、35系など、気動車に一般的な傾向があり、キハ30 62のような気動車の「ブタッ鼻」は珍しい存在です。一方、「目玉焼き」は、木次線のキハ52 128で有名だった1灯のものを含めて、気動車に限られ、101系や103系で「目玉焼き」の車はいなかったと思います。
 

クモニ83レポート(番外その2)小湊鉄道の気動車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年12月31日(木)12時24分53秒
返信・引用
  ポッポの丘へは、小湊鉄道といすみ鉄道を乗りついて行きました。

 写真は乗車した列車のキハ212(上)と、キハ203(中央)です(上総中野駅で撮影)。キハ203は昭和38年、キハ212は昭和50年製で、窓の形態が、キハ203はR付、キハ212は角ばっています。写真下は五井機関区に留置されていた、会津若松のキハ40形です。キハ212が昭和50年製なので、これよりも一応新しい車になります。
 

クモニ83レポート(番外その1)碍子の屋号

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年12月31日(木)12時02分4秒
返信・引用
  今回も「碍子の屋号」に注目しました

碍子は、クモニ83よりも、クハ103-525の方に多く確認できました。写真は碍子の写真をピックアップしてまとめたもので、「山に五」等、以前にこの場で紹介した各種の屋号を確認できました。
 

クモニ83レポート(その11)台枠について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年12月31日(木)11時59分21秒
返信・引用
  台枠も観察しようかと思ったのですが、クモニ83形は床下機器が密集しているため、台枠の観察には不向きで、写真は、何とかそれらしいものを撮影したものです。
 写真上は抵抗器付近の側梁、下は前位台車付近の側梁と枕梁です。
 

クモニ83レポート(その10)屋上のディテール

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年12月31日(木)11時27分25秒
返信・引用
  写真上はパンタグラフ、中央は避雷器配管、下がDE10や113,183系が展示されている丘から見下ろしたパンタ周りです。

 クモニ83006は1981年に大糸線に転属した時にパンタグラフをPS23に換装しており、車号前にもダイヤモンドマークが追加されましたが、避雷器は従来位置のままです。PS23装備に伴う「避雷器の移設」について、確かRP誌の最近の115系特集で考察されていましたが、PS23装備でも、避雷器の移設をしていない車がいることから、以前から取り上げられていた「車両限界との関係」よりも、「PS23装備であることをわかりやすくするため」のほうが有力ではないか、との説が出ています。
 

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