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初期の軽量車と青梅線

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2020年 8月22日(土)01時29分11秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは。

原口さんから軽量車についての話をお出しになられましたが

確かに鶴見線の72系のほぼ総取り換えの後の陣容を見てましたら920番台はかなりくたびれている印象を受けました。

モハ72とクハ79は920番台をメインに揃えて不足分を72500及び79300で補っておりましたがやはりアコモAを受けた72500、79300の方がまだまだ使えるといった印象を受けました。

クモハ73は全金属車は73029を含めて昭和40年代に入ってからの73500でしたので痛みは感じられませんでした。

やはり時代が進んで103系世代になっているので色々な面で改良されていったのではと思っております。

ここでかつてより気になっていた点で青梅線には920番台は79942のみしか配置されなかった事ですが

青梅線が17m車を追放して72系主体になった時期と青梅電車区から豊田電車区へ変更になった時期を考えると

豊田は従来から中央線の101系を扱っており、90系として製造された正に初期の軽量車での問題点に直面していたところへ72系もやって来るとなると

現場からの要望としては920番台は決して望むべく車両では無かったのでは?と考えさせられてしまうのですが考えすぎでしょうか。

偶然なのか72500の昭和31年度車が多数配置されていたのもわざと920番台を避けて代わりに72500の最終増備車を厚く配置させた理由と繋がるのかと思った次第です。
 
 

73形の車体の状態に関連して

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 8月22日(土)00時09分28秒
返信・引用 編集済
  Kさん、新参者さん、白い陽さん、皆さんこんばんは

10系客車を吊り上げたら台枠が折れたとの話は、私も話を聞いていて、私の方では、吊り上げたのはオロネ10形と覚えていました。
 10系客車に始まる「軽量構造」は、電車では72920台、70300台、80300台に導入されましたが、RP誌の、スハ32系、オハ35系、オハ61系、スハ43系の特集での星晃氏のインタビューや、10系客車の解説を見ると、「軽量客車」は、設計理論の方が先行して、金属素材、冶金技術が追いついていなかったために、先行していた車両(客車ではスハ43系)よりも早く車体が劣化してしまったというイメージがあります。
 津田沼電車区の73系の話題が始まった頃にクモハ73503さんが、「72500,79300台アコモA改良車よりも、72920,79920台の方が車体がくたびれた印象を受けた」との話(6月27日)を紹介されていて、「電車でも軽量構造の弱点」が表面化したのではないかと思った次第です。
 軽量構造は新性能車にも継承されているわけですが、昭和30年代の新性能車は、廃車が早く始まった形式が多く、旧形国電と同時期に消滅してしまった形式が多いのも、軽量構造と当時の冶金の限界があったのではないかと思います。

73形の台枠の補強は、実施された車がかなり多かったようで、「首都圏の72系」掲載の工事車両の一覧を見ると、73形は134両、72形は133両と多数が記述されています。その中で目に付いたのが、1950年度製の73400~403で、401~403がそれぞれ1954年10月19日、8月30日、8月19日付で台枠補強を受けていおり、残る73400も1957年に73902に改造されているので、新製後数年で台枠補強をする事態になったことになります。台枠補強の工事は1954年から1958年の間に実施された車が多いのですが、遅い車では1967年実施の車もいます。工事された車がけっこう多いため、クモユニ74形に改造された車で、台枠の徹底修繕が要求された車の割合は多かったのではないかと憶測します。

Kさんよりの、62系の落成時の検査標記の一覧に関連して、大まかには、戦前形、DT13装備車、DT16以降装備車で周期が異なりますが、62系の改造当初、DT13装備車とDT17,TR48装備車の検査周期を統一する構想があったとの話を伺いました。この構想が結局不可になったことが、その後の仙石線アコモ改造車の種車が72500台、79300台以降に絞られたきっかけになったのかもしれません。
 

お礼

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年 8月21日(金)12時45分11秒
返信・引用
  皆さん、こんにちは。

Kさん

早速画像をアップしていただき、感激しております。お手数をお掛けしてしまい、なんとお礼を申し上げれば良いのか、とにかくありがとうございます!

72080はRF誌の「省電の走るところ」で編成中の小さな写真で見ただけで気になっていたのですが、2位妻窓が埋められた仕様であること、パンタ歩み板の形状など得るところが大きいお写真で、大変参考になります。

79形については、前面Hゴムの白黒の配列で、検査などで交換されることがあっても車号特定の参考になるので知りたかったのですが、79317も79359も79369も同じような組み合わせになっているとは…(゚ω゚)

72704は最終ロッドに近くアコモも受けているのに、101系の第2陣の転入で真っ先に廃車されてしまったので、惜しいと思っていた車です。次位のパンタ歩み板を撤去された78500番代も気掛かりですが、さすがに車端の窓2枚だけでは車号特定は難しいですね。

ともかくありがとうございました。写真はなくても細かな違いなど、今後ともご教示いただければ幸いです。



73おやぢさん

前回は書き込み時間が近く、直前に書き込みがあったとついさっき気付きました。

南武線101系化第1陣では78505や78510が津田沼へ転出しており、先頭車を転用できなかったのはATSの関係もあったのだろうか…などと思いを巡らせておりました。

79423の屋根部画像もありがとうございます。考えてみれば、戦前製のごく一部で鋼板屋根車があった以外、量産された鋼板屋根車が経年で痛んでくるのは、この昭和31年製あたりの車両が初体験といっても過言ではないのかもしれませんね。101系の試作車が屋根改造をされたのもこの頃になりますし、側板の平板を張り替えるのとは訳が違うので、ハードルが高かったとも考えられますね。
ご教示ありがとうございました。


ではまた。
 

台枠

 投稿者:新参者  投稿日:2020年 8月20日(木)22時36分13秒
返信・引用
  原口様
>「台枠が問題になる前例があった」という点で、より有力ではないかと考えました。
お言葉にある「29年頃からの亀裂」、「クモユニ74」、全金更新車の全てでしょうか?
オハネフ12が検査時にリフトアップしたら台枠の一部が破断してあわや空中全壊!といった
事が起きたのもこの頃(昭和49年)でしたっけ?

K様
>現場は大変だった
情報ありがとうございます。これが欠陥なんでしょうね。72970の様に単独混結仕様なら
まだしも、こうもバラバラな準編成モノでは、これ以降の検査がどうなっていたのか・・。
だから66002は十分な手当てを受けられなかったのか・・・。

蛇足
マル生が空中分解する時代背景ですから、このような電車は「絶対阻止!」の対象に
なったのかもしれません・・。
オイルショック後の財政出動の一環を担う「新車の大量導入」が労使共に喜ばれた
なら仕方ないですし。
これに懲りて新性能更新車に上手くバトンタッチできなかったと考えています。
DT24系を積極的にDT21系のリプレースにしておれば、115-3000はもう少しマトモ
に仕上がったハズ。

皆様ありがとうございました。
 

白い陽さんのリクエストに応えて-2

 投稿者:K  投稿日:2020年 8月20日(木)21時11分58秒
返信・引用 編集済
  79の2両(79317と79441)です。79441はたまたまアコモ改善の前後を写せていました。  

白い陽さんのリクエストに応えて

 投稿者:K  投稿日:2020年 8月20日(木)21時09分44秒
返信・引用 編集済
  リクエストいただいた車両について、南武線のものだけですが、4両の写真がありますので、2回に分けてアップします。旧63の72は、撮影を始めた頃には、全金車ばかりで、かろうじて72080だけ写せました。(上から72080、72704の両面です)

昔のメモ帳が出てきたので、話題の62系の追加情報を記します。
車体に記された全検の表示と、その横の最新検査表示の板の情報です。
車号」 全般検査  板の表示
66301 49-7鷹取工 49-7鷹取工
62000 49-7鷹取工 49-7鷹取工
62001 47-3大井工 49-7鷹取工
66000 49-7鷹取工 49-7鷹取工

66300 49-12鷹取工 49-10川重
62500 47-10大井工 49-10川重
62501 46-5大井工  49-10川重
66001 47-1大井工  49-10川重

66303 47-5大井工  49-12長野工
62503 45-5大井工  49-3郡山工
62502 45-11大井工 49-3郡山工
66002 49-12長野工 49-12長野工
(S49.12.25 確認)

種車の全検時期がバラバラで、検査周期も旧63と新製72・79で異なるので、現場は大変だったと思われます。
 

アコモ改造車種車の選択と、ロングシートなど

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 8月20日(木)01時08分24秒
返信・引用 編集済
  新参者さん、白い陽さん、73おやぢさん、Kさん、皆さんこんばんは

62系について
 62系の種車について、台枠の劣化が激しい車の存在が発覚したとの話は、「アコモA改良車がアコモ更新の種車になる可能性」の話題の時にすぎたまさんが注目されていた、「台枠の状態を最優先するため、アコモA改良車にも種車抽出の範囲を広げたのではないか」という説に対して、「台枠が問題になる前例があった」という点で、より有力ではないかと考えました。
 72970台アコモ更新車の工事がメーカー外注の割合が多くなったことと、種車から利用する部品の割合が減ったように感じる(貫通幌が、62系では旧形の1枚幌(72系と同じ)だったのに対して、72970台では新性能車(厳密には101系以外の新性能車)と同じものになったことなど)ことも、62系の工事では問題が多く発生したことを反映するように感じます。

「種車と外注工事」については、同時期のクモユニ82、クモニ83形でも興味深い例があり、全金更新車が種車になった車(モハ72028(63.2.5大井工場更新)がクモユニ82005、モハ72030(63.9.30浜松工場更新)がクモユニ82000)や、富士重工での工事をするときにひと悶着起った逸話など、この場でもしばしば話題になりました。
 また、この場で伺った話として、国鉄時代の近郊型、通勤型電車の冷房改造は、公表されてる工場に対して、大多数がメーカーへの外注だったとのことです。

占領軍とロングシートについて
 横須賀線のサハ48型白帯車が「スーパーロングシート」になった話は、これまでの旧形国電の特集でも「クロスシートに体格が合わない」ための対処という性格があったことが紹介されています。客車の方では、スハ32系の窓3枚分を1つのボックスシート分に並べなおした車がいた、と聞いて「外人は足が長い」と納得した、という話を沢柳氏がどこかで書いています。
 「占領軍と座席」については、「特ロ」が有名で、いわば体格に合う座席を作らせたような格好になります。

 座席に関連して、戦前型旧型国電の座席は旧形国電末期には体格が適応しない日がが多くなったようで、飯田線では、モデル8の「飯田線旧型国電等(下)」のあとがきに


飯田から乗車した時は現地の乗客はロングシートから坐り、我々同行3人はクロスシートを確保した。二~三駅過ぎるとロングシートから埋まっていた理由が分かるようになった。とにかく狭くて窮屈、足が伸ばせない、身長五尺前後の戦前の平均身長に合わせてあるのがよくわかった。
旧形国電のクロスシートは坐るものではなく見て楽しむものと痛感した覚えがある。


とあります。占領軍の白帯車がロングシートになったことと同じ問題が起こっているといえます。

73形とCS10について
 クモハ73、モハ72000台のCS10装備車は、「首都圏の72系」に記述があり、「写真とイラストで見る国鉄72・73系電車」の資料ページにも引用されており、それによると

62000: 元73012, 記述なし(CS5とCS9の標準組み合わせ)
62001: 元73172, CS10+CS9

で、クハ66になった

66002: 元73118, CS10+CS11

となっていました。

 CS10を搭載したクモハ73形で私としては馴染みなのが富山港線のクモハ73363です。
 

 投稿者:新参者  投稿日:2020年 8月19日(水)23時40分46秒
返信・引用
  皆様こんばんは。

皆様には釈迦に説法ですが・・・。

全金更新車
鉄道ジャーナルに連載された「車両とともに30年」で、これらモハ63上がり車両の台枠補強
(台枠上面に波板をキーストーンプレートとして貼って補強)の意味合いもあったとの記述
が記憶にあります。

73おやぢ様
画像の79423の乗務員扉の上部から相当「錆」が上がっているように見えます。
これでは、内部(運転室)への濾水が結構あったように見えます。

占領軍のロング志向
足の長い彼らには、日本人にとっては広いサロ45のシートピッチも、足は組めず嫌われた
というような記述を読んだことがあります。>上記”30年”だったかも・・。

K様
クハ66000には1983年8月下旬に乗りました。車内の痛みはそれほどではありませんでしたが、
車体が汚かったです。モハ62、クハ66は登場当初はレジン制輪子だったんですね。
組合掲示板で「従来のものにした(鋳鉄制輪子)」ですから。
レジンだったらあんなに汚れなかったかも。
まぁ、ただ車体シリンダーのままレジンにすると従来車と混結時に問題があったか、
ブレーキシューの検修回帰が従来車と合わないなど面倒くさいのが想像できます。
ここの画像で、クハ66002の全面貫通扉下部が相当錆びています・・。これが運転室への
「雨水侵入」の結末でしょうか。

クハ66などはクハ115化して、御殿場線用のクハ115を捻出すればモハ115の先頭車改造は
不要なのにと当時思っていましたが、相当嫌われていたんでしょうね>62、66

クハ401などでも結構貫通路下部の腐食はありましたが、全検後は綺麗に(内部は
ともかく外部は)なってくるのが通例だった。この辺クハ66は手の施しようがない造作
だったんでしょうかねぇ。

皆様
モハ62の制御器はCS10に統一されているようですが、この辺種車と一致していますか?
DT13とCS10の組み合わせってクモハ73902とモハ71002~005は知っていますが、奥の深い
72、73では何が起こっても不思議でないので・・。

長距離を乗った最後の釣り掛け国電がモハ62になるのかなぁ・・。
 

もう一つの謎

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年 8月18日(火)18時25分40秒
返信・引用
  皆さん、こんにちは。

Kさん

遅ればせながら73504の車内表記の貴重なお話をありがとうございます。

73500番台の実際の施工工場の話はかつてこちらで話題になったのですが、原口さんにお書き頂いたので省略させていただくとして、今回、一旦は73502と表記されていたとの話を伺ったことがヒントになって、ちょっと見方を変えて解けた謎があります。

もったいつけた言い方になってしまいましたが、それは73500番台の付番について、です。タネ車のモハ72の番号と73500番台になってからの番号に関連性がなく、モハ63時代まで遡ってみても関連付けられなかったのですが、施工予定だった工場毎に見てみると

(OY施工予定、偶数車)
73502(72293)
73504(72305)
(TT施工予定、偶数車)
73506(72016)
73508(72048)
73510(72076)
73512(72100)
73514(72112)
73516(72205)
73518(72244)
73520(72247)

(KY施工予定、奇数車)
73501(72207)
73503(72254)
73505(72285)
73507(72290)
73509(72291)
73511(72299)

(OY施工予定、奇数車)
73513(72215)
73515(72230)
73517(72231)
73519(72292)

と、見事に昇順で番号が割り振られていることになります。この法則で、もし実際の施工工場毎に割り振りを改めることになっていたら、73504は73502に繰り上がることになるのでは?、単なる誤記ではなく深読みの結果ではないかと考えてみました。

それにしても、73500番台はなぜ73501~付番されたのでしょう?、翌年度の73600番台はセオリー通りに73600~の付番なのに。



「あんな車やそんな車」
ありがたいお言葉を頂戴して感激です。いま1番は「72209」ですが、72080も72146も72310も気になりますし、見たことのない79317や79441、72704、横浜線では73145、73147、73157、73243、アコモ改造時期に借り入れされていた昭和28年型のクハ79など、ちょっと思っただけでもこんなにたくさん出てきてしまいます。


62、66型の組合掲示板

これまた貴重な記録ではないでしょうか。
補助溜めのドレンコック移設や床の点検蓋寸法など、使用側の意向を汲まずに一気に製作した結果かもしれませんね。新形式や72970の時のように先行試作でフィードバックが行われていれば、順調に営業に入れることが出来たのかもしれませんね。
当初、改造予定で長野に送られた79206の状態があまりにも悪く、改めてタネ車を回送したりということがあって、予定が遅れたという背景もあるのかもしれませんが。


重ね重ね、貴重な記録をありがとうございました。


ではまた。

 

62系など、いろいろ

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2020年 8月18日(火)18時17分0秒
返信・引用
  皆さん、こんにちは。

最近、62系の話題が多いようですね。
62系の種車は1973年度中に施工場所へ送り込み済みなので、1974年の冠水事故の影響が及ぶことはありませんが、改造には紆余曲折があったようです。

40年ほど前、国鉄の担当者と雑談をする機会があり、そのさい62系に関する話が二つありました。
ひとつは「種車を解体したら台枠が使用に耐えなかったので、急遽、差し替え車を送り込んだ」とのことでした。工場はうろ覚えですが、長野だったような気がします。
もうひとつは落成後で、「主電動機点検蓋の位置に錯誤があり、修正が必要になった」とのことでした。62系の車内を見たことはありませんが、台車の軸距の差に起因したものと、別のところで聞いたことがあります。

Kさん
はじめまして。よろしくお願いします。
数々の写真をお見せいただきまして、ありがとうございます。南武線で通学とは、じつにうらやましい環境でしたね。アコモ改善の詳細を具体的にご存じなのは、まさに地の利であると、合点した次第です。当時、私は原形至上主義に凝り固まっていたので、窓がアルミかどうかの認識しかなく、車内の観察はさっぱりでした。79373や79374は三段窓時代に撮影していたので手許の配置表は×印のチェック済で、仮にアコモ改善後の同車が目の前にいても撮影しなかった可能性があり、もっと柔軟な気持ちでいるべきでした。手遅れですが。

白い陽さん、クモハ73503さん
なるほど、津田沼車が無風状態で、南武線のアコモ改善車を改造種車にするとは解せないとの感覚は理解できます。房総ローカルは千鉄局の所管なので、仙鉄局(仙石線)や静鉄局(御殿場線)と同等(首都圏車とは別の意)の扱いだったのでしょうか。津田沼区を訪ねたさい、アコモ改善や62系投入の可能性を聞けばよかったのですが、当時はそこまでの知恵がなかったのが悔やまれます。

ただ、62系の種車になったアコモ改善車がすべて「もったいない改造」かというと、そうでない例もあるようです。Kさんに貼っていただいた画像でもそれとなくわかりますが、79423の最前部通風器付近の屋根はだいぶ不自然で、中原区がこの車両を候補に差し出した理由がわかるような気がします。冷静に考えれば、そもそもこうした車両にアコモ改善を施工したこと自体が無駄だったといえなくもないのですが。

すぎたまさん
まず、45004は別の意味で貴重です。サロ45形は専用車に指定されたものの解除は比較的早く、1949年には日本人用として復活していたことがわかる点で貴重です。会社重役や鎌倉マダムが乗るサロ45形に「進駐軍将兵は立入禁止」と表示され、戦勝国の彼らが乗るのはロングシートのサハ48形という対比は、ある種痛快です。
もうひとつの12形は、「山手」の電車系統別標のはがし痕です。山手時代の11200~を貼りましたので、鋲との間隔などをご確認ください。
 

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