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首都圏のクモハ31、戦前型改造クハ79形等

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年10月17日(土)23時52分36秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは
荒井@青梅さん、浅川さん、白い陽さん、34036さん、すぎたまさん、首都圏のクモハ31形等についての情報ありがとうございます。

 クモハ31形の記述のあるRPアーカイブセレクション26「国電の記録1950~60」および、横浜線についての記事の元の号のRP62-9号の記述をこちらでも確認できました。

 東神奈川電車区の情況については、「電車区訪問記1960-70」P47に昭和36年、37年、38年のそれぞれ4月1日の配置車両一覧が掲載されており、電動車がクモハ73、モハ72、クモハ60の、MT30, 40搭載の20m車で統一されています。この中にクモハ31形の記載が無かったことが気になっていたのですが、昭和36年11月転入、37年3月転出と、年度内に入って出て行っているので、記載がないのに納得しました。また、MT30,40で統一されている中に、MT15系列搭載車が少数入った形になるので、すぎたまさんが気にされていた「パワーが低い」問題も、「使いにくい」一因になったかもしれないと思いました。

「電車区訪問記1960-70」には津田沼電車区の配置も、昭和34年と38年の4月1日のものが掲載(P19)されており、昭和38年の方に79036, 040, 066が入っています(79060は無し)。津田沼電車区は、遅くまでクモハ41型が集結していた区として知られており、昭和38年時点でもクモハ41形が29両配置されていて、MT15系列装備車が1つの勢力をなしています(後に富山港線に転属したクモハ40076も配属されています)。この中なら、クモハ31形もそれなりに使えたのではないかと思います。

 大阪環状線101系投入による車両の動きですが、クモハ31形以外にも首都圏に来ている車がいて、「首都圏の72系」に、転入直後に朱色1号から塗り替えられた車の一覧として記述があります。それによると、

車号 変更日 前配属区 後配属区
73004 36,10,23 淀川 池袋
73009 35,11,16 淀川 津田沼
73018 36,11,9 淀川 中野
73019 36,11,13 淀川 東神奈川
73020 36,11,10 淀川 中野
73026 36,11,10 森ノ宮 下十条
73029 36,11,13 淀川 下十条
72110 36,11,9 森ノ宮 池袋
79002 36,11,10 淀川 下十条
79036 36,11,17 高槻 津田沼

 首都圏での配属を「写真とイラストで綴る国鉄72・73系」から追加しました。「首都圏の72系」に記述によると、他にも何両か首都圏に来てから塗り替えられた車がいるそうです。
 73009が昭和35年と1年早いのですが、「写真とイラストで綴る国鉄72・73系」の配属経歴を見ると昭和36年4月1日に既に津田沼にいるので、正しいと考えられます。一方で、79036が、「首都圏の72系」では前配属区も無いのですが、昭和35年時点の配置は高槻で、昭和36年4月1日時点で既に津田沼にいるので、79036の番号が正しく、塗り替えられていたとしたら、「首都圏の72系」の「昭和36年11月17日」は、「昭和35年11月27日」の誤りと考えられます。また、高槻配置の車は朱色塗り替えの対象になっていないはずなので、「79036」自体、別の車の間違いの可能性が有ります。同時期に関西―関東に移動した他の車を見ると、79128, 136(共に淀川から下十条)があり、もしかしたら「79036」は「79136」の間違いである可能性が有ります。
大阪環状線の101系が実際に配属された淀川電車区と森ノ宮電車区からの転入であることと、時期も近いので、73009以外の車は、クモハ31形5両とともに首都圏に移動してきたと考えられます。
 
 

青梅線の31形

 投稿者:荒井@青梅  投稿日:2020年10月17日(土)21時31分1秒
返信・引用
  皆さん、こんばんは

関東の31形を初めとした当時の貴重な記録を趣味界の大先輩方から直接ご教示いただきまして恐縮しております。
その後、地元周辺で生まれ育った趣味的な観点での当時を知る知人などにも聞いたところ、昭和29年生まれの方の当時の記憶にも「言われてみれば確かにオレンジ色の旧型車が走っていたのを記憶している」とのことでした。営業車として一時的にいたようですが、言われなければ思い出さないくらい短い期間でいなくなってしまったとのことでした。
これがクモハ31を指すものかというと自信はないそうですが、101系などの車両ではなく、間違いなく旧型車とのことでした。
 

総武線の31形

 投稿者:浅川隆雄  投稿日:2020年10月17日(土)17時46分38秒
返信・引用
   写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車P103のコラムを書いたのは私です。高校生の時で総武の31形は乗りましたが、79形は2両とも数回見ただけです。塗替えの状況は確認していませんが、総武の31形は茶色の色艶が大井工場の仕上がりとは違う感じでした。  

青梅のクモハ31

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年10月17日(土)04時12分48秒
返信・引用
  皆さま、こんにちは。

荒井@青梅さん、驚きの画像の発見、ありがとうございます。

今回、朱色のクモハ31が首都圏にいた…という話を見聞して真っ先に思い浮かんだのは、こちらの掲示板が開設される前に旧形国電の話題で盛り上がっていた「旧型国電掲示板」の2001.10~11頃の話題です。

私はその頃、まだ掲示板の存在を知らず未見の画像なのですが、昭和38年1月に中原区で豊永泰太郎氏が撮影された朱色のクモハ31006の話題で盛り上がっていました。
運用に入っているような組成ではなく、転属車や改造種車の回送の判車として来たのではないか?と推測されていましたが、真実はわからぬまま…。


今回、同一車両と決定付けるには性急かもしれませんが、青梅線で実際に使用されていた事実がまた明らかになったことになります。

私も31形の資料は乏しいのですが、該当が31006ではないかと同定する資料として「DRFC-OB デジタル青信号」2019.4.29投稿の「通勤電車の変遷」に昭和37年3月27日京橋にて河昭一郎氏が撮影された31006を挙げておきます。31000とは標識灯上部ステップの有無が相違点になるかと思いますがいかがでしょうか?
 

青梅線の31形 車号は?

 投稿者:34036  投稿日:2020年10月17日(土)00時29分37秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。

クモハ31が青梅線を走ったことがある、は初めて聞きました。
朱色のままで目立つわけですし、雑誌の読者覧で取り上げられていてもおかしくないですが、
見たことはないですね。ちょっと驚きです。いろいろと妄想が湧いてきてしまいます。

まず、原口さんの「1963年頃、大鉄から東鉄にクモハ31形5両…」の引用ですが、
この話の内容は、「関西の国電50年 履歴篇」に出てまして、
件の31形は、31000、31008、31009、31011、31013の5両ですが、
5両とも昭和36年11月に転入、翌昭和37年3月に大鉄に戻っています。
31008がツヌ。それ以外はヒナ。こられの記録はこれまでいろいろな書籍等でとりあげられています。

36年11月にクモハ31が関東に来ることになった理由
アーカイブセレクション26 国電の記録 1950~60 p.110-115 「開通まぢかい大阪環状線」という記事の最後に
昭和36年4月大阪環状線暫定開業時の運用状況がまとめられています。
これによると、この時の大阪環状線使用の旧型車は運用・予備合わせて94輌です(担当はモリ36輌とヨト58輌)。
で、昭和36年度本予算(1次) 101系94輌を投入して、36年秋、これをオール101系化します。
この時の旧型車捻出分94輌のうちの5輌。これが関東にも来ることになったのですね。

東京圏に長居はしなかった理由?
アーカイブセレクション26 国電の記録 1950~60 p.98-100 「横浜線昨今」という記事に、
次のような下りがあります(もと記事はは鉄ピク No.136(1962-9))。理由の一部ではあるでしょう。

「上京して半年ばかり下宿した恰好のクモハ31はドアが木製だったため、戦前形の国電の面影を偲ぶ縁にはなりましたが、
とてもラッシュアワーの圧力に耐えられないので補強するなど手がかかりました。
しかし、今は全車揃って再び古巣へ帰っていきましたので、ほホッとしたと検車の人は言っていました。」

ちなみにクハ79の方は、79036、79040、79060、79066
「関西の国電50年 履歴篇」によると
79036 35.11~39.9
79040 35.11~40.2
79060 記載なし
79066 36.10~40.2
なので、挙動は31形とは同じではありません。79形の方は結構長いこと東鉄にとどまっていたわけです。

話を31形にもどして、
うえのように引用しましたが、しかし、当該SNS上の画像の撮影日時は、昭和38年頃ということで、
上記期間に該当せず、したがって、上記上京理由とは別ということになりそうです。

件の画像の31形?ですが、車号を判断する情報としては、
偶数向き、ガーランド3列、運転台上部にヨロイ型ベンチあり、
運行窓…これは完全には判別が出来ませんが、2桁のままのように見えます。
あと、向かって左側の電線管の屋根部分に、カバーが残っているように見えます。

31形の昭和38年ごろの形態の情報を全者持ち合わせているわけではありませんが、
上に示した点から考えますと、31000ではないかと考えますがどうでしょうか。
参考になる写真ソースとしては、電車ガイドブック(慶大)p.89 (鴫野駅 昭和38年6月 朱色塗装)
 

クモハ31、32形の謎?

 投稿者:すぎたま  投稿日:2020年10月16日(金)15時57分38秒
返信・引用
  みなさんこんにちは。

クモハ31形と32形は、42系の改造車ですから、主電動機は100kw(電圧675V時)のMT-15系であり、72系よりは低出力ということになりますが、実際本当に主電動機は換装して無かったんですかね。
主電動機を換装して無かったとすれば、当時かなりな混雑を呈していた首都圏で使うとなると、わずかでも編成出力低下を嫌ったとかは考えられませんかね。
もっとも、それだとクハ79形まで里帰りしたのはなぜかという疑問も発生してしまうわけですが…。

http://princesscomet.net/

 

Re: 首都圏にいたクモハ31形、クハ79030台

 投稿者:荒井@青梅  投稿日:2020年10月16日(金)13時46分1秒
返信・引用
  皆さんこんばんは
原口 悟さん
早速のご回答ありがとうございました。

やはりクモハ31入線の可能性はあるんですね。実際に画像を見ながらも何かモヤモヤした気持ちが晴れてきました。
確かに履歴簿上での青梅区転入は無かったとしても、他の線区に比べると乗車率は低かったであろう青梅線における運用となれば、可能性はあり得ますね。
幌枠付きながら箱サボに「氷川」が挿されて4両組のパン上げ状態なので、全く運用に就かなかったわけではないんでしょうけど、短期間の使用と取れるので、尚更記録がほとんどないということも分かりました。
また調査の補足になるであろう資料もご教示いただきましてありがとうございます。重ねて御礼申し上げます。
 

首都圏にいたクモハ31形、クハ79030台

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年10月16日(金)01時16分56秒
返信・引用
  皆さんこんばんは
荒井@青梅さん、お久しぶりです

クモハ43、クハ58形由来のクモハ31形、クハ79形ですが、昭和30年代中頃に何両か首都圏に転入しており、以前のこの場でも話題になったことがあります。最近の文献では、「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」P103に、首都圏の情況があり、それによると


1963年頃、大鉄から東鉄にクモハ31形5両、クハ79形2両(060,066)が転属し、31形のうち4両は横浜線、1両は総武緩行線(ツヌ)、79形は山手線と総武緩行線に1両ずつの配置となった。いずれも前面の運番窓が2桁、または未装備(79060)だったので、総武緩行線では付属編成、山手線では編成の中間に組み込まれた。塗色はぶどう色2号になって転入したが、車内妻面の車号標記は朱色だった。31形は木製ドアが残る車両もあり、東京での使用は無理と判断され、1年ほどで全車大鉄に戻された・


とあります。この場でも、クモハ31形については、あまり長く使われなかったことがこの場でも確認されており、「路線の条件に適合していなかった」ことが伺えた、との話になりました。一方で、これとは別にクハ79036,040が同時期に総武緩行線(ツヌ)に配属されており、当時の79040の写真がイカロス出版「電車区訪問記1960-70」の津田沼電車区の章中、P24に掲載(1963年10月18日撮影)されており、こちらは運行窓が3桁Hゴムになり、幌枠が外され、箱サボ枠が取り付けられるなど、東鉄の前面になっており、かなり手が加わっています。また、クハ79066の写真(同日撮影)もあって、同車の特徴である天地の小さい3桁運行窓になり、箱サボ枠が付くこと等結構手が加わっています。

 青梅電車区で目撃されたクモハ31形らしい車ですが、「昭和38年」と、クモハ31形が東鉄に転入した年と同じなので、1つの可能性として、横浜線に転入したとされる4両の車のうちのどれかが、「使い勝手が悪い」ために早いうちに運用を外れ、疎開したことが考えられます。あるいは、「ぶどう色になって転入」と文献にはありますが、疎開した場合は、朱色のままで運用に入り、塗り替える間もなく運用を外れたか、あるいは首都圏回送直後で、塗り替え待ちで待機していたことも考えられます。
 

青梅線にクモハ31?

 投稿者:荒井@青梅  投稿日:2020年10月15日(木)09時39分48秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。最近掲示板は見るだけの生活でしたが、ここにきてSNS上で気になる画像を見つけたことから、気になりまして皆さまの記憶や知識をお借りしたく書かせていただきました。
私の知る範囲では初めての画像ですが、青梅駅(青梅電車区)構内に大鉄仕様でオレンジバーミリオンを纏ったクモハ31らしき車両が留置されています。昭和38年頃らしいのですが、サボ受けなどの相違はあれど青梅線に在籍していた車両とはちょっと違う雰囲気です。
東鉄局管内からの借入れならまだしも、大鉄局からの借入れとなればそれなりの数の方たちの記憶に残るはずですし、何かご存知ないでしょうか?
先代の東京オリンピック絡みで何か動きでもあったのかと気になりました。
http://nighttrain999.blog39.fc2.com/blog-entry-393.html
 

富岩鉄道車両のナンバリングシステム考察

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年10月14日(水)00時05分36秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

富山港線の前身の「富岩鉄道」の電車のナンバリングにシステムについて最近考えていました。「ボ1, 2」「セミボ20、21」という記号は、阪和電鉄の「モヨ」「クヨ」「モタ」「クタ」と並んで、買収国電の中でも変わったものとして知られており、「ボ」は「ボギー車」、「セミボ」は「セミスチールボギー車」の意味であると伝わっていますが、「ボギー車以外の車がいたらどう記号が付いたのだろうか」と考えたものです。
 この手がかりは「美濃電気鉄道」にありました。「セミボ」という記号を採用した電車が他にもいたのをどこかで見ていたのですが、調べてみたところ、美濃電気鉄道(後の名鉄岐阜市内線と関連する600V線区)に「セミボ510形電車」がいました。セミボ510形電車は名鉄統合後も長く在籍し、「モ510形」として、名鉄の600V線区の末期まで走っていたことで知られています。「セミボ510形」もセミスチールボギー車だったのですが、美濃電気鉄道には半鋼製型の4輪車も存在し、「セミシ64形」の形式が付けられていました。この「セミ」は「セミスチール」ですが、「シ」は、路面電車で広く使われていた「単台車」を示す「シングルトラック」を示す記号とのことです。
 一方で、「ボ1」の記号は、「旅客車と言えば木造」という木造車が一般的だったころを反映して、「記号無しは木造」を示すことになりますが、美濃電気鉄道ではどうだったかというと、「木造車を示す記号」は無かったのですが、すでに多くの電車を抱えていて、メーカーの違いがあり、メーカーを反映する記号が付けられていました。電気機器のメーカーによって、

D: デッカー、S: シーメンス、G: ゼネラルエレクトリック、M: 三菱、T:付随車

と分けられていたとのことです。さらに木造のボギー車には「B」が付けられていました。「BD500形」と「BD505形」がいて、BD505形の方は後に「モ520形」となり、1988年までに廃車になっています。
 富岩鉄道のボ1形、セミボ20形は、機器は「メトロポリタンヴィッカース」だったので、アルファベット表記すると多分「ヴィッカース」から「V」が取られたと思われ、ボ1形は美濃電気鉄道風に形式を付けると「BV1形」になったのでは、と思います。

 富岩鉄道の車両はRP83-11号「特集 去りゆく旧形国電」では、電車はボ1, 2、セミボ20, 21、電気機関車はロコ1, 2の合計6両しか記載されていないのですが、昭和20年代のRP誌の「買収国電を探る」等では他にも旅客車があって、2両の木造2軸車がいて、車号は単に「3, 4」だったそうです。この番号は明らかに「ボ1, 2」の続番で、「木造であること」「ボギー車でないこと」から、「記号無し」と解釈したのではないかと思います。この2両は客車の籍に入り、「ハ1163,1164」の車両番号が付けられましたが、ボ1, 2と同じ頃に廃車になっています。
 また、(初代)名古屋鉄道から木造4輪単車2両が入っており、「モハ10形(10,11)」と称していたらしいです。ナンバリングシステムを考えると、「モハ」は旧名古屋鉄道からのもので、美濃電気鉄道風に記号を入れると「シ」になると思うのですが、あるいは社内での公式の形式は単に「10形」だったのかもしれません。この2両は、富山港線としての買収時に、ちょうど2両の単車を接合して1両のボギー車を作る工事中で、買収の対象からは外れ、富山地方鉄道の車両になりました。富山地方鉄道の車両としては「モハ30形」を名乗ったのですが、別資料では、富岩鉄道の車両としての形式は「セミボ30形」だったとの記述があります。
 

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