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八高・川越線の車両

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2019年 6月 6日(木)20時35分46秒
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  八高線で偶然ハエ71のクハがりんかい線出身中間が譲渡時にJRが製造した編成に出くわしました。

JRが譲渡時に製造したモハ209-3101のドアです。

車内のカラーもグレーではなくりんかい線出身の車両に準じてますがドアが無塗装です。

平成17年川重製です。
 
 

八高・川越線の車両

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2019年 6月 5日(水)02時06分23秒
返信・引用
  皆さんご無沙汰しております。

原口さんお久しぶりです。

実は八高線用のE231系3000番台の件ですが41・42と登場したあと番号を飛ばして

先に45・46編成がデビューしており43・44編成はまだ完成してない状況です。

いずれはE231系3000番台は6本揃う予定ですが現状では209系3100番台がまだ運用に就いています。

興味深いのがりんかい線から譲渡されたこの209系3100番台のうちの1本の中間車が

譲渡された際にJRで製造された2005年製の車両という事です。

りんかい線から来た車両はドアの室内側が化粧板仕上げになっていますが

JR製はステンレスむき出しであり座席袖の部分の形状もJRの209系やE231系と同じ物になっています。

E231系の製造も大詰めを迎えた2005年に突如製造された209系ではありますが

三鷹区からやって来る元総武線車両の209系3500番台やE231系3000番台よりも5年以上新しい車両とは言え

異端車には変わりないので43・44編成が改造され完成次第廃車になってしまうのかもしれません。

5年以上古い車に置き換えられるという不可解な事態になってしまいますけど。

房総地区の古い209系と差し替えで生き延びてくれればと思っているのですがね。
 

西武武蔵丘車両工場レポート(番外)川越・八高線の電車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月 5日(水)00時41分2秒
返信・引用
  武蔵丘車両工場へは、大宮から川越線を使って、東飯能乗り換えで行きました。
川越・八高線の電車は最近では、下記のクモハ40054訪問の時や、以前の武蔵丘工場訪問の時に報告しましたが、その時からの変化として、営業運転に入っているのは、209系3500番台とE231系3000番台だけになっていました(写真上:高麗川駅、写真中央:川越駅)。編成番号はE231系3000番台が「45」(写真下)、209系3500番台は「55」が確認でき、確か209系3500番台は5本、E231系3000番台は6本が落成する予定で、置き換えるべき編成は209系3000番台が4本、3100番台が2本、205系3000番台が5本なので、全交換することになり、そしてあと1本E231系3000番台が投入されれば置き換えが完了することになります。209系3000番台と205系3000番台はすでに置き換えが完了しており、209系3100番台も本線では目撃せず、川越電車区でも見られなかったので、2本とも既に運用を離脱している可能性が有ります。
 

西武武蔵丘車両工場レポート(その5)床下機器を支持する「碍子」の「屋号」

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月 5日(水)00時22分1秒
返信・引用 編集済
  車内と床下の公開に使われた車は2000系(車内)と101系(床下)でしたが、床下の抵抗器を支持する「碍子」に「屋号」のような記号が書き込まれているのに気付きました(写真上)。同じものが昨年夏に観察した青梅鉄道公園のクモハ40054にもあったので紹介したいと思います。写真中央と下がクモハ40054の抵抗器の碍子に書き込まれた「屋号」です。西武101系では、抵抗器をぶら下げる金具の上だけに碍子がありますが、クモハ40054では金具を上下から碍子で挟み込んでいます。興味深いことに、「山に五」の屋号の抵抗器が西武101系とクモハ40054の両方に確認できました。西武101系の方は「山に五」の屋号だけしか見つからなかったのですが、クモハ40054の方は色々で、写真下の「カギに井」の屋号の他、「AG」や「菱にNPC」といったものもありました。類似の屋号としては、「山に五」の方では、地元に「山にサ」という屋号の「スーパーヤマサ」という店があり、「カギに井」については、佐伯泰英の時代小説「鎌倉河岸捕物控」で登場し、現在も盛業中の造り酒屋「豊島屋」の屋号「カギに十」が有名です。碍子に書き込まれた屋号も、メーカーのもので、「山に五」のメーカーはかなりの老舗かもしれません。  

西武武蔵丘車両工場レポート(その4)ローラーベアリング

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月 5日(水)00時00分4秒
返信・引用
  今回注目したのは「ベアリング」の展示です。
確か以前この場でベアリングが話題になったことがあり、「ベアリングの発達史」の記事が紹介されたことがあります。ここに展示されたのは「円筒コロ軸受」で台車の方に付いているものを分解したもの(写真上)の他、ギアボックスの方に内蔵されると思われる軸受もありました(写真下)。昭和戦前にスウェーデンから輸入された京急デハ230形の軸受では、軸受にグリースが充填されていましたが、この軸受では潤滑剤はグリースではないようです。
 

西武武蔵丘車両工場レポート(その3)踏面ブレーキのリンク

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月 4日(火)23時45分12秒
返信・引用
  工場内では台車やモーターの整備ラインが公開されていましたが、その中から、台車のブレーキのリンクの様子がわかるものがあったので写真を撮影しました。このリンクは、多分旧型国電の頃からあまり変わっていないと思われます。  

西武武蔵丘車両工場レポート(その2)その他のコンプレッサー

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月 4日(火)23時35分19秒
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  ついでに、展示されていた他のコンプレッサーから、3つを紹介します。
西武鉄道にAK-3が入ったのは、戦後の戦災省電を含む国鉄からの大量の省電の導入が始まりで、旧西武鉄道、旧武蔵野鉄道および関連の合併私鉄由来の車輌を国電で標準化した格好になります。国鉄型の機器は昭和20年代後半から30年代初頭の車両を強く個性づけたものになり、確か451系辺りまで、旧型国電と親和性の高い機器が使われていたと思います。AK-3コンプレッサーもこの一環で、西武鉄道および西部譲渡車が入った私鉄でかなり最近まで現役でした。
紹介の写真のコンプレッサーは昭和50年代に入ってからのもので、国電の影響からは脱却したもので、むしろほかの私鉄の類似のものがあります。
 

西武武蔵丘車両工場レポート(その1)AK-3コンプレッサー動作デモ

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月 4日(火)23時21分45秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

5月後半は用務のため、大宮工場の公開など鉄道関係のイベントは欠席しており、6月1日(土)の西武鉄道武蔵丘車両工場のイベントに行ってきました。

武蔵丘車両工場では、旧型国電の機器としても一般的な「AK-3コンプレッサー」が展示されていたことを以前のイベントで報告しましたが、今回、運転動作が公開されました。各種コンプレッサーや制御機器が並べられているところとは別に部屋が設けられ、前面の蓋が取り外されて内部の動作がわかるようになっています。運転の動画も撮ったのですが、avi形式で、手許に形式変換のアプリケーションが無いため、紹介の方法は考え中です。
 

秩父鉄道100形鋼体化スケジュール

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 5月18日(土)23時54分40秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

 秩父鉄道100形の製造は、自社木製車の台枠を順送りにしながら行われたことが知られていますが、台枠がどう流用されていったのか考えるため、excelシートを作ってみました。デハ100形とクハニ20形、クハ60形のシートを以下に貼り付けますので、excelに貼り付けてください。データはタブ区切りになっています。年月日はexcelに貼り付けるとオートコレクトがかかって表示が変わるので注意してください。また、クハニ20形のシートの方で、並びがずれたら「改造年月日」をそろえてください。

改造前 改造年月日 改造後
1950/10 デハ101
1950/10 デハ102
デハ10 1951/4 デハ103
デハ11 1952/8 デハ108
デハ12 1951/4 デハ104
デハ13 1953/7 デハ109
デハ14 1952/12 デハ110
デハ15 1952/12 デハ111
デハ16 1952/12 デハ112
デハ17 1952/2 デハ105
デハ18 1952/2 デハ106
デハ19 1952/4 デハ107
デハユニ41 1953/4 デハ113

入線前 改造前 改造年月日 改造後
クハ11 1953/4 クハ65
クハニ21 1953/7 クハニ21
クハニ22 1951/5 クハニ22
クハニ23 1953/7 クハニ23
クハニ24 1951/5 クハニ24
1952/9 クハニ25
1952/9 クハニ26
1953/2 クハニ27
1953/2 クハニ28
クハユニ31 1953/4 クハユ31 クハニ29(2)
南武モハ108 クハ21 1954/2 クハニ30
クハ23609 サハ23609 省サハ25010 クハ31 1953/10 クハ66
ホデ9 ホデ6108 ナデ6108 デハ6258 デハ二6470 サハ23637 サハ23629 省サハ25029 クハ32 1953/10 クハ67
クロハ6193 サロハ6193 サハ6193 省サハ25135 クハ33 1953/10 クハ68 クハニ29(1)

クハニ20、クハ60形の方は、改造前の省電時代の番号変遷と、改造後の番号変遷を併記しました。
 この中で注目なのは、元ホデ1形である、サハ25029に由来する台枠がどこへ行ったか、だと思いますが、改造年月日で並べなおしてみると、省木造車と南武社形は改造では最後に回っていることがわかります。このため、機器が標準化されている自社車両から鋼体化を行い、いろいろ違うところがある外来の車を後へ回す考えが伺えます。
 また、「車体」としては、デハ14, 17~19が弘前電気鉄道(後の弘南鉄道大鰐線)に移っていますが、これも含めて、鋼体化スケジュールを考えてみると、

(1)デハ100形、クハニ20形の車体を2両分準備
(2)デハ10,12、クハニ22,24が入場して機器を車体に移植、新デハ103,104、新クハニ22,24として秩父鉄道へ送り返し
(3)残った車体から台枠を流用して次の車を製作
(4)デハ17, 18, 19, 11が入場して機器を車体に移植、新デハ105, 106, 107, 108として秩父鉄道へ送り返し

だと思うのですが、ここでデハ17,18,19の車体は鋼体化へは流用されず、弘前電気鉄道へ回されています。そしてこれに代るかのようにクハニ25, 26が新製扱いで落成しています。さらに少し後にクハニ27, 28も新製扱いで落成して、弘前電気鉄道へ行った4両の車体と同じ分の鋼製車体が代替として新製扱いで落成したことになります。この後も大体4両単位で鋼体化が行われ、最後に鉄道省からの譲渡車が鋼体化扱いで更新され、更新が完了します。この中から余った車体となった元南武モハ108が弘前電気鉄道へ移籍しています。

ここで鋼体化されたデハ100形とクハニ20、クハ60形ですが、以前にも触れた、「両運Mcと片運Tc」として落成しています。このため、Mcを常用し、Tcを補助的に使う、私鉄での伝統的な車両の使い方で車体が設計されたことが伺えるのですが、McとTcがほぼ同数であることが変わっています。両運Mcと片運Tcの組み合わせでは大抵Mcの方がずっと多く、新京阪P-6や、阪和モタ300形、南武モハ150形や、現在でもJR四国7000形も同様です。
 

秩鉄の古台枠

 投稿者:新参者  投稿日:2019年 5月 4日(土)02時28分39秒
返信・引用
  こんばんは、皆様。

>原口様
いつもながら、ストックに感謝いたします。
ご呈示いただいたクハ二2Xの台枠とクハ二29の台枠は多分に元車種は別形式
(同型車で無い)と思われます。

クハ二29の方はUF31と同じく、旧側梁→延長材→新側梁となっているようで、
新旧側梁間が広めです。
クハ二2Xの方は、中梁→横梁に延長材→旧側梁→支持延長材→新側梁のように見えます。
新旧側梁間が狭めです。

クハ二29は元クハユ31と言われていますので、クハ二2Xよりも後に鋼体化されたのでしょうか?

どのみち木造車からの台枠ですから、博物館の記念物級な事には変わりませんが。
 

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