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チョコレート色の電車のあだ名

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2019年 7月31日(水)02時41分45秒
返信・引用
  皆さんこんばんは。

毎度73系の話で申し訳ありませんが、

南武線ではチョコレート色の塗装からかりん糖電車と呼ばれていましたが

房総ローカルではゴキブリ電車と呼ばれていたそうです。

房総ローカルの73系にとってはなんとも哀れなあだ名だな、と思ったりもしましたが

アコモA工事車が主役の南武線とニス塗り3段窓が主役の房総ローカルの違いがこんなあだ名の違いに表れているのは考え過ぎでしょうかね。

因みに大井工場に勤めていた父は73系の事を汚ない電車と言ってました(笑)
 
 

115系新潟ローカル2両編成の製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 7月27日(土)23時56分15秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

旧形国電から離れますが、新潟ローカルの115系の「2両編成」を製作したので紹介したいと思います。

 115系のM'車を先頭車化改造した「クモハ114形」は、1984年度の越後・弥彦線電化用として0番台から改造された500番台が登場したのが始まりですが、国鉄末期の1986年に1000番台から改造された1500番台が登場し、その後JRに移行して、合計20両の改造が行われました。その後、長野、新潟のそれぞれの地区で地域色になり、冷房改造が行われ、新潟の車は最近無くなりましたが、長野の車はしなの鉄道に何本か移籍してまだ走っています。
 模型(Nゲージ)の方では、KATO、TOMIXのそれぞれが115系1000番台を1980年代から発売しているのですが、クモハ114形は長らく発売されず、昨年になってようやくTOMIXから新潟地区の2両編成(WCなし)が発売されました。そして、新潟地区のWC付の編成が今年になって発売されました。
 クモハ114形は、完成品としての登場は上記のように、つい最近のことですが、模型の製作」としては登場間もない頃から、注目されており、早くからクモハ115を製品化していたKATOの製品を用いた製作がTMSに発表されたりしていました。単純化すると、クモハ115の車体にモハ114の屋根板と床板を組み合わせるのですが、問題になるのが「中間車としての床板あるいは動力ユニットをどう先頭車の車体に押し込むか」で、ライトユニットを生かして動力ユニットを組み込むのにかなりの苦労がありました。1990年代後半にTOMIXから115系の改良製品が発売された時にクモハ115形が製品化され、TOMIXベースのクモハ114形の製作が可能になったのですが、「ライトユニット」の問題は残っており、JNMAフェスティバルで、動力ユニットの「クモハ114対応改造キット」が発売されたりしています。

 写真上は、WCの無いクモハ114(クモハ114-1516)、中央はWCのあるクモハ114(クモハ114-1503)です。前面ガラスのワイパーのモールドは、これまでの115系の模型製作では、削り落としてコンパウンドで平滑処理をしていたのですが、今回はTreasure Townのモールドなし窓ガラスのパーツを使い、ワイパーも同封のパーツを使いました。TOMIX製品では伝統的に幕板のサボ枠を表現していないのですが、「サボを挿していないサボ枠」を、Treasure Town のパーツを使って追加しました。
 なお、TOMIXの115系は、1000番台の中でも末期の車(クーラー横のランボードが斜めになった、1981年以降製造の車)が表現されているのですが、新潟の2両編成の製品化にあたって、クーラー横のランボードが垂直の屋根板(同時に、ベンチレーター配置が先頭車化改造車を再現したもの)が、クモハ115と併せてパーツ化されました。手すりの別パーツ化と併せて、「1500番台」を表現するために、切り継ぎ部の屋根をやや明るいグレー(本体はTAMIYAの日本海軍呉工廠色に対して、塗り屋根部はクレオスのアメリカ海軍色)で塗装しました。なお、「先頭車化改造車の屋根の色合いの違い」は、確か以前のこの場で紹介されたことがあり、「濃灰―淡灰―濃灰」の時間変化をたどる傾向があり、「切りついだ屋根」は元の屋根に対して数年から10年遅れで変化する為に、一時期は切りついだ屋根の方が暗くなることがある、とのことでした。また、冷房が付いてからは、冷房からの排水が流れるためにクーラー周辺の屋根が早く劣化するため、特にランボード部分が補修された車を末期はよく見るようになりました。また、パンタグラフは下側の枠が表現されているKATOのPS16を用いています。KATOのPS16(製品名としては「PS16Bタイプ」は、1990年代から愛用しているもので、1000番台特有の「バネのカバー」を、プラ板の削り出しで表現し、取り付け足は、碍子のモールドに0.3mm真鍮線を打ちこんだものを作っていたのですが、最近になってバネのカバーが表現され、取り付け方が碍子から伸びた足を挿しこむ方式に変わったものが登場(189系「あさま」リニュアール品が初登場)したので、これを使っています。
 「ライトユニット」は、製品ではどうなったかというと、動力ユニットとともに「新設計されたもの」が付けられました。TOMIXの73系では、先頭車への動力ユニット取り付け(クモハ73形)が考慮されて、最初からライトユニットと動力ユニットが、先頭車を考慮したものが設計されましたが、湘南型前面の車用のライトユニットに合わせて動力ユニットをモディファイすることはできなかったようで、両社新設計になりました。このため、クモハ114とクモハ115とで、別のライトユニットが付いています。
 床下では、製品では中間の連結は在来の台車マウントの普通のカプラーですが、TNカプラーによる車体マウントに変更しました。また、WC取り付け車には、本来の「真空式」ではないのですが、「循環式」のタンクを取り付けました。パーツは、少し前に製作したTOMIXの489系300番台白山色から、残ったパーツをピックアップしました。タンクの色が「循環式」特有のクリーム色ではなく、黒1色なので、「クリーム色の塗装をしない」ことで「らしく」しました。
 運転台側の床下は、TOMIXの115系の加工では、「抑速ブレーキ対応のジャンパ栓レイアウトの共通性が高い」という理由で、165系用の両側の床下ステップが表現されているスカートへの交換を行っていることが多いのですが、DT32,TR69台車に対して、DT21台車では「路両抱きブレーキ」の分長いので、運転席側の床下ステップが干渉するので、165系のスカートは使えず、助士席側だけに床下ステップ(TAVASAのパーツ)を取り付けました。また、クモハ115の運転席側のジャンパ栓納め」は、Treasure Townのパーツもあるのですが、連結の自由度が下がるため、パーツ取り付けは見送っています。
 TOMIXの115系は、一部、けっこう昔の製品のパーツが流用されているものがあります。床下機器は、115系1000番台の前に発売されていた、113系1000'番台から引き継がれているものがあり、モハ115,114が現在も継承されています。また、サハ115は、サハ103の床板が流用されています。これに対して、クハ115は115系1000番台発売時(WC付の偶数車)、クモハ115は、1990年代後半のリニュアール品発売時に専用のものが起こされました。その後別売パーツとして流通したので、モハ115はクモハ115の床板に交換しています。今回のクモハ114はどうなっているかというと、従来品と同じ(モハ112形1000'番台に由来するもの)でした。このため、ブレーキユニットとC-2000コンプレッサーを別に調達して該当部分の床下機器を切り取って差し替えました。使ったものは、GREENMAXのバルクパーツの、115系JR西日本リニュアール車のものです。

 写真下は、編成を組んでみたものです。上は、2両編成同士連結の4両編成の列車で、上越線へ出かけた時に「水上駅でよく見た」という印象があります。下は、4両編成と連結した6両編成の列車で、4両編成の方は以前に発売されたものを加工したものです。製作時にL11編成を選択して、ランボードを横を垂直にする加工(Trerasure Townのテンプレートを使用)する車を1両だけにしました。
 

富山港線形前面、クモハ51200-昭和46年バージョンの製作

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 7月15日(月)00時29分22秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

73おやぢさん、クモハ2000、クモハ73305及びクハ55300台の情報ありがとうございます。
「サハ55326」は、ノーシルノーヘッダー車ではなく、写真と形態が合わないとのこと、見落としていました。

 クモハ73305が「昭和48年11月5日時点で前面窓が全Hゴム」になっていたとのことで、先のHPの情報の「昭和47年12月24日時点で富山港線形前面」と合わせると、その間10か月ほどの間に前面が改造されたことになり、改造の時期がかなり幅の狭い範囲に限定されたことになります。
 なお、私が「富山港線形前面」の記述を初めて見たのはRM Models96-4号の63形前面バリエーションのイラスト(P24~28)で、「富山港線城川原区の標準タイプ。運転席と中央窓がHゴム化され、木製の助士席窓に桟が無いのが特徴」との記述があります。これに対して、実際に「富山港線形前面」が確認されたのはクモハ73305,363の2両だけで、逆に富山港線形前面でなかったことが確実なのが

クモハ73355、クハ79220,240,244:昭和43年の2段窓化の時に全Hゴム窓に改造
クモハ73357:昭和47年時点で東鉄形前面でその後直接全Hゴム窓へ改造の可能税が高い
クモハ73299:昭和45年転入時に助士席窓を1枚窓にして、全木枠1枚窓へ改造、そのまま廃車

で、不確実なのが

クモハ73007:東鉄形前面で転入
クモハ73347:原型前面で転入
クモハ73361:昭和49年の全Hゴム窓の状態だけ確認

で、富山港線形前面だった車は最少では73305,363の2両だけ、多分73007は早期廃車で改造されなかった可能性が高いと思われ、73347も昭和45年頃の時点で原型窓(TMSの模型製作記事から)で、昭和47年廃車なので改造されなかった可能性が有る?ことから、他は73361だけか?とも考えられます。

クモハ51200(昭和46年バージョン)の製作
 最近はタンク車の模型を作っており、また、慌ただしかったので旧型国電の模型の製作が止まっていたのですが、先日久しぶりに旧型国電の模型を完成させました。製作したのは「クモハ51200」で、ちょっと時代をさかのぼらせて、昭和46年のクハ16形が現役だった最末期の時点にしました。この時代の模型は、以前にクモハ43009 - クハ16470を製作したのですが、クモハ51200の編成相手はまだ決めてなく、単独の製作です。
 加工内容としては、車体の方は、当時は前面塗り分けが一直線だったので、パーツ取り付けと併せて塗装しました。また、床板は、クモハ43009-クハ16470の編成に連結することを前提として、トレーラーにしました。床板はクハ47100台用のものを使い、床下機器のパーツを集めて新規に並べました。床下機器のパーツは以前は「モリタ」のホワイトメタルのパーツがありましたが、最近になって「BONA FIDE PRODUCT」からいろいろ発売されており、両社のパーツおよび手許のストックパーツからピックアップして床下機器を配置しました。

旧形国電への新性能電車用密着連結器の使用の早い例
 旧型国電に使われる密着連結器は長方形のもの(先日のクモハ73305の前面でグラフィックにしているもの)ですが、新性能電車用の角を取ったものが使われている例が、昭和50年代に入ってからの大糸線、新潟ローカルで見られることをかなり前のこの場で話題にしたことがありましたが、昭和40年代初頭の例を「国鉄電車回想(3)」に見つけました。
 P136の昭和40年5月6日撮影の福塩線のクモハ12形(おそらくクモハ12015)が、新性能電車用の密着連結器を付けています。同じところに掲載されている昭和36年2月時点での写真では自動連結器で、当時の地方線区で走っていた旧形及び社形国電ではよく見られた形態ですが、昭和40年5月6日撮影の他の写真(P135)では、本来の旧形国電用の密着連結器が付けられています。どこかの段階で自動連結器から密着連結器へ交換した時に一時的に予備品が不足したため、新性能電車用の部品が使われたと考えられます。
 

最近の話題に

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2019年 6月25日(火)22時05分24秒
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。

原口さん
鉄道友の会の機関誌「RAILFAN」の2007年11月号が富山ライトレール開業にちなんで富山港線の小特集になっており、モハ2000の写真が掲載されています。
それによると、車側の屋根昇降用はしごの位置は2006と同じです。床下は2010と同じです。前位のヒューズ箱は台形のやつ(FS61形)ですね。
同号には73305(初回投稿で間違えていましたので訂正しました)も掲載されています。48年11月25日撮影とあり、1位(助士側)がHゴム支持になっているほかは、各部のディテールは先日の原口さんのご紹介どおりです。

国鉄電車回想の57改55形の施工中の写真は、撮影者の勘違いかメモの間違いがあるようです。
まず57026→55300とありますが、57026はいわゆる準戦時型のはずでシルヘッダー付き、写真の車両はノーシルです。次に場所ですが、隣に客車が入場していること、天井が高い(大井にはこんな明朗な建屋はない)ことにより、大井ではありません。そこで他を捜索すると、57020→55328、大宮改が候補として浮上します。改造日が36年3月30日で、撮影日が4月なのは、年度内にできなかったということですね。晩年はサボの箱がないようですが、京浜東北時代は1位側の腰にあり、この写真と矛盾しません。


 

元鶴見臨港クハ5500の仙石線転属

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月22日(土)11時05分55秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは

「飯田線を走った車両達その1」で元鶴見臨港鉄道クハ5500が紹介されています。同車は、「飯田線車両小史」で、昭和33年6月に品川電車区に転属して事が記述されていますが、この時に、仙石線へ貸し出されたか、転属を挟んでいたことが伺える写真が「国鉄電車回想(2)」に紹介されています。「仙石線」の章のP132に、昭和33年5月に陸前原ノ町電車区で撮影されたクハ5500の写真が掲載されています。クハ5500の転出は「昭和32年6月」と記述されていますが、実質的には前の月に送り出されていたことになります。クハ5500は大井工場での写真を見たことがあり、廃車後ですが、RM Library193「国鉄工場めぐり(中)」P8に1965年2月3日撮影の、車体だけになったクハ5500の廃車体の写真が掲載されています。

「国鉄電車回想(2)」では、他にクハ55300台へ改造中のサハ57026の写真(昭和36年4月3日撮影)があります。この時の改造では、中央扉は開戸に変更されているのですが箱サボ枠を、以前の引き戸のままの改造車と同じように助士席側腰板に付けています。

片隅運転台から全室運転台への改造について
 省電では、「片隅運転台」でも、乗務員扉は両側に付けられていましたが、関東圏の私鉄では、乗務員扉は片隅運転台のある運転席側だけで、助士席側は座席が伸びて普通の窓になっていた車が一般的でした。「関東型電車」の買収車である、南武鉄道モハ150形、鶴見臨港鉄道モハ330形および関連する形式も同様でしたが、戦後に片運化、鶴見臨港車の場合は運転台整備をした時に、バリエーションが発生しました。
 一般的には、乗務員扉が運転席側だけだった片隅運転台車は、運転台を全室化して、乗務員扉を助士席側にも新設していますが、鶴見臨港車の一部に、片隅運転台のままで、助士席側への乗務員扉の新設もしていない車がいることに気づきました。1両は、芝生さんも写真を撮影しているクハ5500で、芝生さんは室内も撮影しており、片隅運転台であることが確認できます。この車は、もう片方の運転台を撤去していて、乗務員扉を撤去してきれいに整形しているので、非公式側から見ると、両側とも運転台が無い純然たるサハのように見えるのが変わっています。また、芝生さんの写真では、運転台を撤去している割には貫通路を設けてなく、妻は前照灯と標識灯が無くなっているだけの非貫通です。このため、旅客営業用としては使いにくかったのではないかと考えられ、もしかしたらこのころから実質的に救援車代用(事故復旧の職員乗車用か?)になっていたのではないかと考えられます。
 このような車は他にいなかったか探してみると、「私鉄買収国電」P54のモハ1522が、助士席側乗務員扉が無いことを発見しました。但し、一番端の窓は、縦に2分割して、前の方の窓を下降窓に工事しています。この形態は、モハ1501でも確認できます(同書P49)。鶴見臨港の他の車でも、昭和30年頃までは助士席側乗務員扉が無い車が見つかった(当時の車号でクハ5550,5552)のですが、その後改造された車もいたようで、可部線から富山港線へ移った車は全車全室運転台化、乗務員扉追加工事を受けています。
 

昭和40年代の富山港線73系の新たな写真の発見

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月22日(土)01時14分18秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

昭和40年代の富山港線73系半鋼製車の新たな写真を発見したので報告したいと思います

HP「My Old Steamers 現役蒸気と復活蒸気」中の「その他現役」のページに昭和47年12月24日の富山港線訪問時の写真が紹介されています。この中で「富山港線形前面」のクモハ73305の鮮明な写真が注目です。運転席窓と中央窓をHゴム支持、助士席窓を木枠1枚に改造した「富山港線形前面」は、「世界の鉄道'72」のクモハ73363の写真がありますが、解像度の高い写真はこれまで発表されたことが無かったものです。この写真を基に、クモハ73305のイラストをアップデートしたので紹介したいと思います。
「富山港線形前面」で新たに分かったこととして、「助士席窓の上段下降窓の詰木」が残っていることが挙げられます。また、避雷器は、HP「懐かしのAll color The電車」の昭和45年頃と思われるクモハ73305の写真ではLA13箱型であることが確認できるのですが、今回発見の写真ではリブ付きドラム缶型のLA15Bに変わっていることが確認できます。他、パンタ鉤外し紐、母線のレイアウトの詳細が分かったので修正しました。

クモハ73305と編成を組んでいるクハ79の写真もあるのですが、「3位側妻窓」が2段に改造されていたことが確認できます。この位置の窓の様子がわかる写真はこれまで発表されていなかったので、「3位側妻窓も2段改造されていた」ことが確認できる初の写真になります。また、富山駅に止っていて、ドアが全開になっているので、ドア窓の形態はわからないのですが、一番前と2番目の扉の間の幕板に線名表示のプレートが残っているように見えます。クハ79220は同時期に線名表示プレートが無くなっていることが確認できたので、79240,244のいずれかになります。両車とも昭和49年時点では線名表示プレートは無くなっていますが、79244の方は昭和47年時点で「線名表示プレート有」の報告があり、79240も、同時期の線名表示プレートが鮮明に分かるほどの写真は無いので、どちらかを決定するほどの証拠は無しです。
 

戦前私鉄電車のMT比

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月17日(月)00時41分45秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

戦前の私鉄の電動車と付随車の比
 戦前の私鉄での「付随車」の位置づけに関連して、個々の私鉄で保有する電車の電動車と付随車の数について考えてみました。
 また、サンプルとして買収国電を取り上げますが、RP00-4増刊「釣掛電車の響き」P65に、個々の私鉄買収車の電動車、制御車、付随車の数が表にまとまっているのがわかりやすいのでここに引用します(荷物車は区分せず)。

   Mc Tc  T 備考
宮城 17  7  - 戦後にMc4両落成
青梅 15  8  1
南武 29  9  3 五日市線の客車扱いになったT3両は除く
鶴臨 27  3 11
身延 11  6 10
信濃  7  3  -
富岩  4  -  2 Tは2軸車で客車扱い Mc1両入線せず(富山地方鉄道セミボ30)
豊川 14  4  4 鳳来寺(Mc2両)込み
三信  9  -  - 買収前にMc1両廃車
伊那 15  - 13
阪和 41 32  - Tc4両買収除外
広浜  9  -  -
宇部  7  3  - 他にガソリンカー2両あり
宇電  6  -  -

 どこの私鉄もMcがずっと多いのが特徴で、なおかつ、全てが両運です。鶴見臨港や三信など、省モハ1形が入った鉄道は、全て両運に改造して入線しています。日中はMc単行を運用し、ラッシュ時の増結としてT車を使う、という方針が見えます。
 Tcですが、省電でも、木造車で見られた、「Mcを新製投入して、低出力の在来McをTc化する」動きは私鉄でも見られます(宮城)。南武、鶴臨は開業時はMcだけ投入で、Tcが後から入っています。阪和は、クロスシートのモヨ100系列は、MT同数ですが、ロングシートのモタ300系は、Mc30両に対してTc5両と、Tcがずいぶん少なくなっています。このため、昭和10年代に入ってからの輸送力増強はTcを多く投入することで対処しています。また、現在の目からは変わって見える「両運Tc」が多いのが当時の特徴で、Tcとして新製された車では、南武鉄道ではクハ210形は片運ですが、クハ250形は両運で、阪和電鉄でもクヨ500、クテ700、クタ750形は片運ですが、クタ7000形は最初の2両以外は両運です。豊川では、Mcを新製した時に、両運Tcから片方の制御機器を移植して、片運のMcとTcにしましたが、使いにくかったのか、片運になったMcの撤去した運転台を復旧して両運に戻しています。
 T車は、個々の私鉄で独自の事情があり、身延、豊川は蒸気機関車列車時代の客車の転用、鶴臨は機器が間に合わなかったための(サ)モハ、(サ)クハです。機器が間に合わなかったものは、他に阪和のTc3両(モタ3000形、後のクハ25113~115)があります。多客時の応援用として導入したのが南武で、富岩の2軸サハも同じ系統です。他、省からの払い下げで、鶴臨と青梅にサハが1両ずついますが、これも同じ考え(宮城の元モハ1形も?)かもしれません。伊那のTは、豊橋直通のための「牽引サハ」です。
 電車のMT比については、南武モハ150形が明確で、Mc20両、Tc10両で申請され、半分のMc10両、Tc5両が落成しており、「McTcMcの3両編成での運用」が計画されていたとの記述(RM Library「南武モハ100形」)がありました。
 同じフォーマットで秩父鉄道と富士山麓電気鉄道の車両を記述してみます。

   Mc Tc  T 備考
秩父 12  7  - 戦後にTc4両追加
富士  8  -  6 戦後にMc4両、T2両追加

 秩父鉄道がだいたいMT比が2:1になり、この点では当時の典型的な私鉄といえます。この後、デハ100形への鋼体化で、T車を多く新製扱いで投入したため、Mc13両、Tc17両とT車の方が多くなり、後にMcTTc編成が3本誕生しています。このため、鋼体化にあたって、電車運用の考え方が大きく変わったことが伺えます。
 富士山麓電気鉄道は、改軌と電化当時はMc車だけで、T車の投入は昭和15年になってからなのですが、省の古典客車を入れたためか、全て「牽引サハ」でした。伊那とは別の事情ですが、「牽引サハ」を多く持っていたところとして、注目すべき存在です。
 

クモハ40054の碍子の屋号追加

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月15日(土)00時05分26秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

クモハ40054の床下機器の碍子に観察された「屋号」の写真を追加します。
上が「丸にAG」、中央が「菱にNPC」、下が「LM-186」です。
 

「山に五」の屋号の会社

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年 6月14日(金)01時10分24秒
返信・引用
  すぎたまさん、新参者さん、皆さんこんばんは

「山に五」の屋号の碍子についての情報をありがとうございます
 他にも写真が無いか探してみたところ、115系に見つかりました。
 写真上と中央は、2016年10月29日の高崎車両センターの一般公開イベントで、休憩用車両として使用された高崎車両センター115系T1146編成のもので、上はモハ114-1146の床下機器に使われた「山に五」の碍子、中央はクハ115-1137の床下機器に使われた、別の屋号の碍子です。
 写真下は2017年11月19日の東武鉄道南栗橋車両基地の公開イベントで、床下機器解説に使われていた東武10000系11607編成のもので、こちらも碍子に屋号が見え、「カギに井」のように見えます。
 「山に五」「カギに井」の両社とも、クモハ40054(昭和10年の新製時? 更新修繕時?)から、西武2000系、115系の製造時(昭和50年代前半)、東武10000系の製造時(昭和50年代末~60年年代)まで継続して碍子を納入していたと考えられます。
 「食器と碍子」ですが、昨年秋放送のNHKの「ブラタモリ」で「有田焼」が紹介されたことがあり、この時に碍子の製造ラインも紹介されました。明治に入ってからの新たな産業として、碍子の製造が始まったそうで、番組では、電柱の支持に使われる「玉碍子」の製造過程が紹介されました。このため、食器をメインに製造している会社が碍子を手掛けるのはありだと思います。ちなみに、Models IMONの秋葉原店では玉碍子を売っており、店頭に陳列されています。
 

存続会社?

 投稿者:すぎたま  投稿日:2019年 6月12日(水)22時09分56秒
返信・引用
  新参者さんこんばんは。

山五陶業は、高い技術力を有していたようで、食器など盛んに作っていたメーカーのようですが、ご指摘のように2003年に廃業しています。
ただ、都内に似たような名称の会社が見つかります。鉄道車輌向け製品も作っているようですが、ここは関連する企業なのでしょうか。
よくよく当該ホームページを見ると、1954年創業となっていますので、むしろガイシとしてはこちらの製品である可能性が高くなってきたような気もします。

http://princesscomet.net/

 

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