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モハ63形下巻と三鷹事件

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年11月27日(火)17時53分26秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。
すぎたまさん

三連休に「モハ63形下巻」を入手したので、まずは三鷹事件の項を見ました。
破損車が具体的な復旧年月とともに記載されているので、最初は「もしかしたら、本当かも」と思いましたが、よく見ると不自然でした。問題の車両の復旧日は、
63630…昭和24年12月、63830…昭和25年11月26日
となっています。一方、同書42ページに、大破した63630はモデル更新車として昭和25年11月26日に完成した旨の記載があります。同じ本で異なる記述は困ったものですが、63630のモデル更新は明らかな史実ですから、そうすると、ここでも63830マボロシ説も含めて、63630…63830に関する、何らかの錯誤がありそうな気がします。

編成の後部2両が早い段階で切り離されたのは、全く不思議です。当該編成は交検終了後に留置線へ転線し、翌朝の仕業に備えたのですから、鉄道関係者の目線なら転線時の先頭車こそ、まず調べるべき対象ではないでしょうか。留置線据え付け時の停止手配や転動防止手配がどうなっていたのかが、重要なはずです。暴走編成の先頭車(63019)こそ最有力証拠満載の“犯人”であるとするのは、いかにも警察・検察目線といえそうです。

 
 

まず3両目がサハ39ですね

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年11月23日(金)13時55分41秒
返信・引用
  73おやぢさん、原口さん、みなさんこんにちは。

まず、73おやぢさんが書かれたの編成記録ですが、少なくとも3輌目はサハ39であることが確認出来ました。wikipediaの現場写真の2枚目に、横向きのサハ39が写っておりました。失礼いたしました。
そのため、編成としては
モハ63019+モハ63057+サハ39…となりますね。その先はモハ63630とモハ63842+クハ65AFSまたはCではないかと思いますが、どこかにもう1輌何かが入らないと、7輌編成になりませんね。
一方、サモハやクモハは無かったのかについては、古い資料で多少信頼性に欠けるところもありますが、鉄道ファン19号にサモハとクモハ車の番号が載っているので、それと照合すると、モハ63019、63057とも最初から電装されていたことになっていて、500番台の無電装車はないですから、結局ここに出てくるモハ63は全車正規のモハと考えてよさそうです。
そうすると、やはり63830は63630の誤記を再記載してしまったのではないか、という疑問が湧きますね。
それらから、73おやぢさんご提示のNHK出版「三鷹事件」に掲載されている編成表が正しいのでは無いかと思われます。
無傷な2輌を早期に切り離して留置してしまったのは、AFSまたはCがあったことも大きいのではないかと思うと同時に、最初から証拠を隠滅しやすい車がある編成を狙ったとも考えられると思います(だいたい、一番本線寄りの編成を狙うこと自体、他人に見つかりやすいはず…)。
整理すると、編成の構成と向きは、おそらく、
←東京方
Mc+McTM'c+TM'c+Tsc (便宜上M'cは偶数向きMc、TscはAFCまたはS、+は物理的に通れないはずのカ所)
ということでしょうか。一番上り方のMc63019は、7連化の増結車かもしれませんね。

MT比については、戦後の関西急電も一時2M3Tでしたし、一方俗称垂井線のMcMc編成や、日光線も2M編成だったりもしましたよね。なので、多少の線区別の事情はあると思えますが、この時代は、また健全な電動車が不足気味だったと想像出来るため、5M以上は無さそうかと思います(変電所容量も不足していたのでは?)。そうすると3M4Tか、4M3Tかということではないかと思いますが、「鉄道ファン19号」の記述を見ると、AFCにはモハ63もクモハ63もあり(もちろん従前のクハ65も)、これをどの編成に入れ、モハ車の配置をどう適正化するかには、区の人々も頭を悩ませていたであろうことは推察出来ますね。
また、この時代はホロでつなぐということは考える必要は無い(桜木町事件までは少なくとも)ので、同じ向きのMcが連続したりということには、あまり気を配っていない様子も見て取れます。ただ、犯罪として見た時には、後部2輌を走る人影の目撃証言がある(「新訂版 三鷹事件」小松良郎著 同時代社2011年 9ページ)こと、また3、4輌目から人が飛び降りたという証言(同9-10ページ)があることから、それらの人々は、貫通路が無いモハ63の正面をどのようにして移動したのか(特に最後部車から2輌目を走る男が、M'cに乗り移ったはずのくだりなど)、そもそもこの時点で、モハ63に方転車はなかったのか、あるいはサハの位置や、車番は本当に正確か、等、「記録の疑問点」が残りますね。

どういうわけか、三鷹事件(松川事件も?)については、鉄道ファン諸氏の考察というのがあまりなく、ジャーナリストたちも、肝心なところの専門知識が欠如したまま、動機の考察をしてしまっているのが謎です。
MC1Aマスコンにしても、紙紐かつ片手で固定出来るか、しかも戸締め灯配線にそれを結びつけて、ハンドルを3ノッチに固定出来るのか、実証実験もなされていない様子なのが、何でなんだろう?と…。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

富山港線73系半鋼製車の新たな写真の発見

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月23日(金)09時53分20秒
返信・引用 編集済
  皆さんおはようございます

富山港線の、昭和40年代後半まで主力だった73系半鋼製車の新たな写真を発見したので報告したいと思います。

 最近「アルファベータブックス」より1960年代から80年代の鉄道関係の写真を収録した本が色々と出版されています。この中で「北陸本線 1960年代~80年代の思い出アルバム」が9月に発売されています。「北陸本線」が中心で、米原から直江津へ向かって区間を区切って、写真が紹介されているのですが、支線区の写真も少しあり、その中で富山港線のの写真(P140)が、1973年9月1日に岩瀬浜駅で撮影された写真で、半鋼製のクハ79形が写っています。富山港線にいた半鋼製のクハ79形は、79220, 240, 244の3両で、前面にどこかしら違いがあるため、前面だけの写真でも個々の写真の同定が可能で、特徴を上の図に示しました。写真の車は、前面手すりが運転席側テールライト上の手すりだけが無いので、「クハ79244」に決定します。また、写真が「1973年9月1日撮影」であることから、さらに情報が追加されました。下の図は、クハ79244の富山港線に来てからの前面の変遷を示したものですが、1973年9月1日の時点で「箱サボ枠が残っていた」ことが確認されたので、箱サボの撤去された時期が、従来の絞り込みでは1972年8月から1974年10月までの間だったのが、「1973年9月以降」と、期間が後ろの半分に絞り込めました。また、これまでに発表されている1970年代の富山港線の訪問記録で、1972年と1974年の訪問記録はあったのですが、1973年の訪問記録は発表されていなかったので、「間を埋める」記録が発表されたことになります。

旧型国電の「MT比」について
 7両編成の「MT比」は、「3M4T」もありではないかと思います。戦前の関東の省電の編成は、MT比が低い印象があり、5両編成ではMTTTMの2M3Tのほうが一般的(横須賀線のモハ32―サハ48-サロハ46(66)―サハ48-モハ32の編成など)で、横須賀線では付属編成もモハ32-サロ45-クハ47の編成だったので、8両編成では3M5Tになります。一方で、MT比が高い編成も、阪和線で一般的で、「20世紀なつかしの旧型国電」に掲載されているクモハ73-モハ70―モハ70―クモハ60の4M編成や、「北陸本線」と同時に購入した「1970年代~80年代 続・関西の国鉄アルバム」P114~115に掲載されているクハ76―クモハ60奇数車―モハ72000台偶数向き者車―クモハ60偶数車のようは3M1Tの編成の例が有るので、逆に7両編成が5M2Tでも不思議ではなく、「7両編成」は「7両」である縛りがあるだけで、MT比は雑多だったのかもしれないと思いました。

室蘭を拠点とした「ベンゾール専用」タンク車について
 以前「製鉄所所有のタンク車」について報告をしたことがありましたが、この件に関する追加情報を入手したので報告したいと思います。
 RM Libraryの最新刊はNo.232「黄帯を巻いた貨車」で、43-10改正後に65km/h制限された貨車「マルロ車」を特集したものです。タンク車については、かなり昔のRM140号の「私有貨車セミナー」で紹介されたことがあり、これをさらに補足するものになりました。室蘭を拠点としたベンゾール専用タンク車「タム3250形」をマルロ指定した「タム23250形」の記事がP28にあり、「木材防腐用のクレオソート輸送が盛んだったことから、ヨンサントウでは5社15両がマルロ車に指定された」との記述があります。先日は「ベンゾール」が石炭化学工業の主力製品だったことを紹介しましたが、「クレオソート」も石炭化学工業の主力製品で、「木材防腐用」であるため、木材が鉄道関係でも一般的だったころはなじみだったものです。かなり昔のこの場で、木製の床を管理するために使われていた「床油」が話題になったことがあり、「床油」が何だったのだろう、という考察が行われて、その過程で防腐剤としての「クレオソート」が話題になりました。「クレオソート」は、専用タンク車もある(タキ2750形や、マルロ車では、タム20080形)のですが、「タム23250形」については、クレオソート輸送が主だったように書かれています。また、75km/h対応になった「タム3250形」や、大型の「タキ1800形」などの車も室蘭で運用されており、これらの車もクレオソート輸送に使われていたと考えられます。
 

続・三鷹事件の編成

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年11月22日(木)19時06分33秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。
すぎたまさん

当該編成の後部2両が早い段階で現場から失われていたので、「モハ63形下巻では5両しか判明せず」を、「東京方から5両目までしか判明せず」と解釈していましたが、63形5両分の車号を番号順に並べているということでしたか。現場のメモは片端(それも暴走車の先頭であった63019)から順にメモするはずですから、少なくとも、これは一次史料ではないですね。

まず、先に私が示した7両編成の車号はとりあえず横へ置くとして、ほかにNHK出版「三鷹事件」からわかる事柄を申します。

編成中にサハ39形は入っています。同書は新聞社が撮影した写真を多用しており、明らかにサハ39形とわかる(車号は読めない)カットが3枚あります。いずれも隣の車両とは「く」の字状に曲がって脱線していることから、同一車のようです。
もう1枚、検事調書の添付写真がキャプションごと複写されており、「ホーム側より第三車輛側面埋没台車」とあります。車体の角度が微妙で窓が二段か三段かわかりませんが、外帯(シル)が戦前規格で太く、外帯と車体裾にリベットらしきものが見えるので、サハ39形と思われます。
そうすると、少なくとも東京方から、
63019・63057・39(車号不明)…であることは確実です。

ここでMT比を考えてみます。昭和22年ごろのロマンスカーに三鷹電車区の記述があり、「現在は3M3Tの6両だが、近く7両になる」旨の記述があります。そうすると4M3Tの7両が順当であり、63形が5両示されていることから5M2T…は、ちょっと不自然ではないでしょうか。

次に63830の行方ですが、昭和25年1月の配置表によれば下十条所属です。また同車は旧型国電車両台帳によれば、昭和24年6月30日使用開始とあります。「63形下巻」をもとにすると、
63830は使用開始2週間目にして事件に遭遇し、その直後に下十条へ転属、となります。時系列からして完全否定はできず、ありえない話ではないのですが、これまた不自然ではないでしょうか。

以上が正式なお答えであり、以下は想像です。
ここで、先の4M3Tに戻れば、下巻に提示された63形5両は、「1両多いのではないか?」との疑問ないしは仮説が生じます。

63630…63830、ワープロやパソコンが普及するまで、記録はほとんどすべて手書きであり、このようなミスにはよく遭遇しました。もちろん、確たる証拠はありませんが。

桜木町事故の78形の件ですが、誤りの車号が載っていたとされる資料は、おそらく和文タイプではないでしょうか。国鉄に限らず一般の会社ではワープロが普及するまで、印刷会社に外注するほどでないレベルの公式文書は、専門タイピストによる和文タイプでした。そのため、車両の取扱説明書も含めて、けっこう打ち間違いがあります。和文タイプの具体的なキー配置は知りませんが、78144…78188、う~む、というところですが、これも想像です。
実際のところ、運転局や工作局の担当者が直接ガリ切りをした文書や手書きの青焼きのほうが、一般に信用できます。



 

レスありがとうございます

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年11月19日(月)15時45分22秒
返信・引用
  73おやぢさん、三鷹事件の編成情報ありがとうございます。

ところが、これが資料によって全然違うのですよ。今回のご指摘では、サハ39が入っていますが、先般の「国鉄鋼製電車史 モハ63形」下巻には、車番のみが記載されています。しかし、事件で損傷した車のみの番号で、
モハ63019、モハ63057、モハ63630、モハ63830、モハ63842の5輌としていますし、7両編成の列車ということになっています(つまり残り2輌の車号が不明)。サハ39もクハ65も出てこないのですが、この車番の列挙の仕方からして、編成順では無く、番号順であろうことがわかります。しかも、クモハやサモハは無かったのかなど、わからないことだらけです。当時の電装状態から、サハやクハに他形式が入らないのはおかしく、仮に63形だけで編成したようなものがあったとしたら、それすら何か別な力が働いていないのか、という気もしてしまいます(もちろん偶然かもしれませんが)。それに、モハ63830はどこに行ってしまったのか?。
最後尾車輌の前照灯が点灯した状態で後進していた(つまり三鷹駅方向に向かって走っていった)という証言もあり、そうだとすると、巷間語られ、犯人とされる竹内氏の犯行とする検察側主張は崩れるわけです。編成構成、MT比、車輌の向きなどは、重要なファクターであると考えられるのに、あまり正確に触れられている文献が無い。これは謎ですね。私ら鉄道ファンから見れば、解せないと思うわけです。
原口さんが、桜木町事件の公判記録などに、2輌目の類焼車がサハ78144ではなく、サハ78188になっていると書かれておられましたが、それも含めて、この時代の事件では、およそ科学的・合理的とは思えない捜査が行われ、それが証拠採用されているにも関わらず、重要な点が意図的なのかどうなのか、文献に記載されていないのは、全く理解出来ませんね。
モハ63019は、保管命令が出ていたにもかかわらず、どさくさに紛れてか、床下機器が全く無し(CS-5制御器の外部操作を隠蔽?)、ドア、窓枠すら無し、燃えたわけでも無いのに、屋根板無し、仮台車…。この状態で保管する意味とは何でしょうか。謎ばかりが残ります。

 失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

三鷹事件の編成

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2018年11月18日(日)17時19分8秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。
すぎたまさん、

「モハ63形下巻」は月末入手予定のため、現在はおあずけ状態でコメントを持ち得ませんが、三鷹事件の車号は20年位前に発行されたNHK出版「三鷹事件」に記載があります。
それによると、東京方から、
63019・63057・39022・63630・39023・63842・65072
の7両編成だったそうです。

同書によれば、事件翌日に現地入りした国労の事故調査団の関係者による証言に「後部2両はどこかへ持ち去られていた」とあります。事故後の早い段階で、おそらく脱線せずに在線していた後部2両は電車区内へ取り込まれたものと思われ、5両しか車号が明らかでないとすれば、「モハ63形下巻」に記載事実の出典は、若干時間が経過してからの資料ということになりそうです。

もっとも、上記「三鷹事件」の本文には「クモハ63形」や「63形は…空襲の被害で相当数が廃車となったが…」という記述がみられ、??の感なきにしもあらずですが、昭和25年1月の配置表によれば、63019・63057・63630・39022は依然として三鷹配置で事故車の注記あり、63842も三鷹配置(注記なし)となっています。39023は池袋配置ですが、39022に池袋転属予定との注記があるので、もともとサハ39形に三鷹→池袋の転属計画があれば、不自然ではありません。また、65072の配置は全く記載がありませんが、同車は中央線用として半車指定を受けた経緯があるので、もともと三鷹配置だったはずです。以上から、本文の記述にあやふやな個所があったとしても、まずもって同書の車号は信用できると思います。

ただひとつ、不思議なのは上記編成が基本+附属になっておらず、分割併合ができないことです。当該編成は翌朝6時42分発の上りに充当予定だったということから考えると、ラッシュ時のみ運転して昼間は電車区に取り込んでしまう、なにか特別な運用だったのかもしれません。
 

買収国電の機器標準化の類型

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月18日(日)13時29分1秒
返信・引用
  先日RP00-11号(特集 JR山手線)を購入したのですが、この中にRP00-4臨時増刊号「釣掛電車の響き」の補足訂正記事がありました(P112~)。「釣掛電車の響き」には、買収国電の記事もあり、訂正とともに、補足記事もあり、その中で「機器の標準化」についての記述がありました。走りに関係する機器に注目して「(1)台車、モーター、制御器を全て交換」「(2)台車、モーターを交換」「(3)制御器を交換」3パターンに分けられるとしており、変化が起こったのは線区の事情が大きいらしいとのことでした。
(1)の全交換は、元鶴見の1510,1520(関東型3扉車のモハ)や、鳳来寺の1700に見られるとのことで、標準化とともに(2)にも見られる「出力強化」の方針も見られます。
(2)の台車、モーター交換は、「出力強化」の要請の面もあり、典型的なのが仙石線に残った宮城社型モハ2320形で、DT10,MT15化され、モーター出力が59kwから100kwに上がり、この見方だと「MT15に適応する台車」への交換が行われたことになります。これに対して、制御器はHL制御のままで、社型だけで編成を組んでいたのが有名ですが、電力が2倍近くなったため、「HL制御の単位スイッチや抵抗器の容量はどうしたか気になった」との記述がありました。電圧が同じだと、電流が2倍近くなるわけで、けっこう徹底的な絶縁強化が必要になったはずです。足回り交換は、他に富士身延があり、こちらは省の管理が長かったための保守からの標準化の要請が早かったからではないかと考えられています。
(3)の制御器の交換は阪和社型のCS5からCS10への交換が有名ですが、他に福塩線、可部線から富山港線に移動した買収国電の一群がCS5に統一されていました。こちらは、買収国電が寄せ集まったための、「制御装置の統一」の要請があったためと考えられます。末期の富山港線のクモハ2000形も、制御器がCS5になっていたのが「私鉄買収国電」の写真からもわかるのですが、原型の「南武鉄道モハ150」時代はHL制御だったとの記録があるそうです。ちなみに「私鉄買収国電」収録の南武鉄道モハ150形の形式図では、「複式制御器」としか記述がありません。また、制御器が最初からCS5だったような記述もあり、富山港線時代のクモハ2000形のCS5が、新製時からのものか、HLから後から交換されたのか、調査課題として残っているとのことでした。

この中で興味深いのは、(2)で示した宮城社型モハ2320形で、仙石線に残った車は制御器はHLのままで、足回りをMT15,DT10に交換していますが、ただ1両転出したモハ2326は、足回りはそのままで制御器をCS5に交換しています。モハ2326は富山港線でも走っていて2色塗りになっており、「宮城社型だけで運用できた」仙石線と、「複数社由来の車の混成だった」可部線~富山港線の事情の違いが伺えます。
 

都営三田線志村検車区イベント(その3)備品いろいろ

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月18日(日)12時33分36秒
返信・引用
  床下機器等、関係の機器もいろいろ展示されていました。

写真上は「パンタグラフ」ですが、最近の主流の「シングルアームのパンタ」が無く、従来型の菱型のパンタだけの展示でした(他は、昇降デモ用の大江戸線用の小型の下枠交差形パンタだけ)。6300型は、パンタの交換はまったくしてなく、従来型のパンタ一本で、「シングルアームパンタを全く扱っていない電車区」は現在の大手私鉄あるいはそれに準じる規模の鉄道会社の電車区としては珍しいのではないかと思います。
写真中央はモーターで、写真下は空気圧縮機です。管理している車両が6300形だけなので、「モーターの形」としては同じ形のものがずらりと並んでおり、また、「モーター」は基本形が完成しているので、形式が変わってもあまり形態の変化が出ないように感じます。これに対して空気圧縮機は、以前に東武や西武の工場の報告でも触れましたが、形態としては「鉄道会社ごとの個性」が強いものだと思います。
 

都営三田線志村検車区イベント(その2)都営6300形の台車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月18日(日)12時19分1秒
返信・引用
  工場建屋内でもいろいろ公開されていましたが、建屋がかなり細長いため、領域としては高島平側になります。

今回も「車体と台車の結合」に注目しました。写真上は台車枠、中央は車体と台車の間に挟まる空気ばねの枠、下は台車側の結合部位です。
「車体と台車をどこで分割するか」は、工場によって個性が有るように見えます。大井工場、大宮工場で見た台車は、台車の中に空気ばねが一体となって組み込まれているため、「台車(空気ばね内臓」―「車体」の1か所連結ですが、私鉄では「台車」―「空気ばね」―「車体」の2か所連結になっており、車体を吊り上げる時に「空気ばね」を台車側に残すか、車体側に残すかが工場ごとに異なっています。このため、JR系統の台車を見慣れていると、床下の様子に違和感を感じることがあります。
 

都営三田線志村検車区イベント(その1)都営6300形1~3次車の「無線アンテナ」

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年11月18日(日)11時59分49秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

昨日(11月17日)都営三田線の志村検車区の公開イベントがありました。都営地下鉄のイベントは浅草線の馬込検車区へは何度か行ったことがあるのですが、志村検車区の訪問は初めてです。今回のイベントでもいろいろ見てきたので報告したいと思います。

車両の公開は都営6300形オンリーでした。志村検車区の敷地は隣の駅まで及び細長い地形で、横に並ぶ電留線の数は少なく、浅草線の馬込検車区のような、乗り入れ車両のゲスト出演はありませんでした。
並んでいるのは右から1次車(6305まで)、2次車(6314まで)、3次車(6315~6337)で、ここに並んでいる車では、スカートの形に明瞭な違いがあります。6300形は、相模鉄道への乗り入れ開始に合わせて置き換えが始まるということになっており、今年から置き換えが始まることになっていたのですが、連絡線の建築が遅れているため、置き換え用車両の製造が先送りになりました。このため、しばらくは6300形が走り続けることになります。
 観察で、屋上の列車無線アンテナの変化に気づきました。写真中央は中央の車の無線アンテナの拡大ですが、上の写真では右の車には付いていますが、左の車には付いていません。また、写真下は反対側の先頭車の屋上ですが、こちらは、SRアンテナになっています。京急の車にSRアンテナが追加されているのを報告しましたが、三田線の車のアンテナは「SRアンテナへの更新?」「東急線直通への対応で、東急線内で先頭に立つ車だけアンテナを交換した?」等を考えてみました。
 

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