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母線取扱いの由来など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年11月13日(土)18時51分6秒
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  皆さんこんばんは

母線および母線納めについて
73おやぢさん
母線についての情報ありがとうございます。
 「国鉄17m級電車」および「私鉄買収国電」の方の写真も確認しました。「私鉄買収国電」の方を当初見た時は、「標準化以前の形態」と漠然と思っていたのすが、買収国電は「買収各線―可部線、宇部・小野田線―富山港線」という移動の大きな流れがあるので、幡生工場との関連があった車両はかなり多いはずで、「幡生工場の関連ではないか」との話に納得です。
 幡生工場となると、買収線区では広浜鉄道、宇部鉄道、宇部電気鉄道が関連しますが、広浜鉄道は直接制御の単行運転で連結運転は省木造車の転入から、宇部電気鉄道はHL制御でこちらも単行運用が主と思われるので、連結運転は宇部鉄道が主だったと思われ、母線の独特な取り扱いは宇部鉄道から持ち込まれたものか、と考えてみました。

仙石線アコモ改造車から103系3000番台への流れ:RP86-2号より
 先日古書店でRP86-2号(特集・115系電車)を購入しました。RP誌での115系電車特集は過去何度か行われていますが、RP86-2号は、その最初のものと思われ、過去交通博物館の図書室で閲覧していたのですが、その後長らく円が無かったものです。同号に103系3000番台の改造から川越電車区への回送が報告されています(P81~83)。アコモ改造車の運用終了から、各工場への回送はRP85-7号P81~83で報告されており、その続編になります。注目の写真が、クモハ102、モハ103、クハ103-3005が、改造された新津車両管理所から川越への回送が、前後に新潟運転所のクモヤ90006,101を連結して行われており(1985年9月27日)、指扇―南古谷間の荒川橋梁を渡っているところが撮影されています(P82一番下の写真)。営業運転として電化開業する前ですが、「旧形国電が川越線を走った」最初の機会ではないか、とされています。他の工場(大宮、大船工場)からの回送は同記事によると自走で回送されているようで、埼京線開業後は川越電車区にクモヤ145形が配属されているので、「川越線を旧形国電が走った機会」は、1985年9月27日および翌日の返却回送が最初で最後になった可能性が高いです。なお、回送列車は、新津から一旦赤羽まで南下し、折り返しています。現在の赤羽駅の配線からは想像しにくいのですが、「山手貨物線で赤羽まで南下―赤羽駅で折り返し―大宮駅で旧川越線ホームに転線―川越電車区へ」の経路でしょうか。当時の赤羽駅は、新幹線(及び埼京線)工事の関連で山手貨物線は単線になっていましたが、「折り返しが可能な信号配置だったか」がよくわかりません。川越線(現在の湘南新宿ライン)11番線は、電化されていたようで、大宮工場から出場した3004編成が入線している写真が同記事P92の中央少し上に収録されています。また、3005編成は、車体への標記が全て白文字で行われ、川越到着後に全て黒字に書き換えた、という逸話が収録されています。
 
 
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