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モハ3600こそ正解です

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2021年 1月 7日(木)18時55分21秒
  通報 返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。本年もよろしくお願いします。

すぎたまさん
三井芦別の焼け電、珍しいです。形式モハ3600と読み取れる画像は初めてではないでしょうか。

まずは過去の文献による能因法師で恐縮ですが、参考になればと思い、紹介します。
当該車に関する記述はピク誌私鉄車両めぐり第7分冊(1966年刊)が長らく唯一の存在で、本文によると登場時は形式モハ300(サハ1~3)とあります。ところが、記事の末尾に添付された諸元表には形式モハ3600、番号サハ1、2、3とあり、読者には釈然としない内容でした。
後年になって、RMライブラリ№59「昭和29年北海道私鉄めぐり(下)」(2004年刊)に興味深い記述が出て、霧が晴れました。

以下引用。
客車なのだから当然自重より考えてオハフと称すべきものだが、サハという電車の記号をそのまま用いているのはまだしも、形式をモハ3600としているのにはびっくりとした。聞けばオハフ1~3と称するつもりで書類を出したところが、元がサハなのだから、そのままでよいではないかという陸運局のアドバイス?でこういうことになったのだそうだ。
引用終わり。

「元がサハ」と「モハ3600とした根拠」の2点を考えなければ、形式に関する消化不良は解消します。すなわち届け出は形式モハ3600が正解であり、巷間見かけるモハ300は、要するに”誤植の孫引き”によるマボロシの形式でした。昭和32年に気動車併結を前提とした改造があり、このとき形式ナハニ1となったはずですが、現車の標記はモハのまま書き換えが遅れたようですね。ネット検索で見つかる写真によれば、晩年は形式ナハニ1と書かれています。ちなみに諸元表の自重も25tです。

書類上の種車は31036、31070、31104だそうですが、現車は3両とも魚腹形のUF20なので平台枠の31070と31104は整合しません。
文献の記述は以上ですが、31070は戦後も現存していることから、書類の記載ミスのようです。旧型国電車両台帳によれば31103(戦災廃車)が芦別入りとありますが、これも平台枠なので該当せず、真の車号はわかりません。

ここからは、車体に関する私の個人的見解です。
まず、種車が本当に31形(すなわち運転台付き)だったのか気になるところですが、側扉が一方向に引かれること(本来のサハの両端扉はそれぞれ外方へ引く)、前位の側扉横の吹き寄せ部の幅が左右で異なる(旧運転台側のほうが狭い)ことにより、31形の運転台撤去による中間車化とわかります。ナハニでいえば荷物室側が旧運転台です。
次に鋼体の構造ですが、私鉄車両めぐりは「リベットはすべて削られて、溶接仕上…」、RMライブラリは「リベットがすっかりなくなって、溶接構造…」および「妻面は元の雨樋の部分で部材を溶接…」とあり、基本的にはグレーゾーンながら、「削られて」と「元の雨樋の部分」を尊重すると、オリジナルの外板を引き継いでいる可能性が優勢になりそうです。

しかしながら、個人的には、
①リベットの部分的消滅は珍しくありませんが、すべての鋲頭が消滅するのは、工事の手間や強度の面から不自然ではないでしょうか。
②決定的な写真に出会ってはいませんが、63形と同様に扉上の幕板帯(ヘッダー)がないように見えます。
③「元の雨樋の部分」に関してですが、鉄道模型とは違って実物は小割りの鉄板をつなぎ合わせるので、単に技術が稚拙な結果だったのでは。

以上から、台枠と旧柱は利用したものの、外板は張り替えたと想像しています。
 
 
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