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昭和37年初頭の首都圏のクモハ31形の写真など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年11月 3日(火)01時15分17秒
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  皆さんこんばんは

昭和36年末~37年初頭の首都圏のクモハ31形の写真を確認しました
 昭和36年末に首都圏に転入した5両のクモハ31形のうち、クモハ31013の写真が「旧型国電50年(2)」P174にありました(昭和37年1月27日、菊名駅で撮影)。73おやぢさんのコメントの通り、箱サボ枠を貫通扉部分に取り付けていることが確認できるとともに、ベンチレーターをグローブ形に交換済みであること、配管が、空気側に母線が降りる「逆配管」であること、避雷器は箱型であることが確認できます。一方で、RP誌に「木製の扉が残っていた」の記述がありますが、少なくともクモハ31013の公式側が客用扉は全て鋼製のプレスドア(Hゴム支持の1枚窓)に交換されています。このため、大鉄へ返されたのは、クモハ31013に関しては、「客用扉が原因」ではないと思われます。なお、同じページに「運転台の全室工事は昭和39年から42年の間」とあり、首都圏在籍時はまだ半室運転台だったことになります。もしかしたら、大鉄へ返された原因は、「混雑が激しく、半室運転台の助士席側にも客がひしめく事態になった」ことが原因かもしれない、と考えてみました。

昭和30年代後半の青梅電車区の車両から
 34036さんのコンパイルされた、昭和37年から38年の青梅電車区の車両について、以前にこの場で話題になった車が何両か入っていました。
 クハ55005, 006は青梅線に遅くまで残っていた車で、確かこの場が始まって間もない頃、昭和47年頃に「豊田電車区に3扉の戦前型省電が留置されている」写真が見つかったことから、末期の動向が話題になりました。両車とも昭和45年頃はまだ営業運転に入っており、青梅電車区が廃止になってから、疎開留置されたらしいことが伺えたのですが、「いつまで営業運転に入っていたか」は、「少なくとも1両は、かなり遅くまで走っていたらしい」ことが確認できました。
 クハ16401,409は、富山港線の600V時代末期に降圧改造されて転入した車です。両車とも中原電車区から転入しており、16401の方は昭和37年12月15日に青梅から中原に転属していますが、16409もその後中原へ転出したことになります。クハ16401は、青梅線時代の写真を何枚か確認しており、これを基に、以前この場で紹介した富山港線時代のクハ16401を製作しています。
 67904の転出は三河島事故による67007廃車補充によるものと思われます。67900台は他の車が全て地方転出しており、最後まで首都圏に残った唯一の車になります。
 
 
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