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青梅線の31形 車号は?

 投稿者:34036  投稿日:2020年10月17日(土)00時29分37秒
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  みなさん、こんばんは。

クモハ31が青梅線を走ったことがある、は初めて聞きました。
朱色のままで目立つわけですし、雑誌の読者覧で取り上げられていてもおかしくないですが、
見たことはないですね。ちょっと驚きです。いろいろと妄想が湧いてきてしまいます。

まず、原口さんの「1963年頃、大鉄から東鉄にクモハ31形5両…」の引用ですが、
この話の内容は、「関西の国電50年 履歴篇」に出てまして、
件の31形は、31000、31008、31009、31011、31013の5両ですが、
5両とも昭和36年11月に転入、翌昭和37年3月に大鉄に戻っています。
31008がツヌ。それ以外はヒナ。こられの記録はこれまでいろいろな書籍等でとりあげられています。

36年11月にクモハ31が関東に来ることになった理由
アーカイブセレクション26 国電の記録 1950~60 p.110-115 「開通まぢかい大阪環状線」という記事の最後に
昭和36年4月大阪環状線暫定開業時の運用状況がまとめられています。
これによると、この時の大阪環状線使用の旧型車は運用・予備合わせて94輌です(担当はモリ36輌とヨト58輌)。
で、昭和36年度本予算(1次) 101系94輌を投入して、36年秋、これをオール101系化します。
この時の旧型車捻出分94輌のうちの5輌。これが関東にも来ることになったのですね。

東京圏に長居はしなかった理由?
アーカイブセレクション26 国電の記録 1950~60 p.98-100 「横浜線昨今」という記事に、
次のような下りがあります(もと記事はは鉄ピク No.136(1962-9))。理由の一部ではあるでしょう。

「上京して半年ばかり下宿した恰好のクモハ31はドアが木製だったため、戦前形の国電の面影を偲ぶ縁にはなりましたが、
とてもラッシュアワーの圧力に耐えられないので補強するなど手がかかりました。
しかし、今は全車揃って再び古巣へ帰っていきましたので、ほホッとしたと検車の人は言っていました。」

ちなみにクハ79の方は、79036、79040、79060、79066
「関西の国電50年 履歴篇」によると
79036 35.11~39.9
79040 35.11~40.2
79060 記載なし
79066 36.10~40.2
なので、挙動は31形とは同じではありません。79形の方は結構長いこと東鉄にとどまっていたわけです。

話を31形にもどして、
うえのように引用しましたが、しかし、当該SNS上の画像の撮影日時は、昭和38年頃ということで、
上記期間に該当せず、したがって、上記上京理由とは別ということになりそうです。

件の画像の31形?ですが、車号を判断する情報としては、
偶数向き、ガーランド3列、運転台上部にヨロイ型ベンチあり、
運行窓…これは完全には判別が出来ませんが、2桁のままのように見えます。
あと、向かって左側の電線管の屋根部分に、カバーが残っているように見えます。

31形の昭和38年ごろの形態の情報を全者持ち合わせているわけではありませんが、
上に示した点から考えますと、31000ではないかと考えますがどうでしょうか。
参考になる写真ソースとしては、電車ガイドブック(慶大)p.89 (鴫野駅 昭和38年6月 朱色塗装)
 
 
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