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富山港線73系半鋼製車の鋼製雨樋の構造

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 7月12日(日)01時42分59秒
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  皆さんこんばんは

RF69-11号の「省線電車の走るところ」の富山港線の項目に

>
雨樋も従来の木造のものは底が浅く雨水が洩れて車体を汚すので、73347に試験的に金属製雨樋を取り付けたが、結果が良好なので、これも全車に施行されることになっている。(P58)
>

の記述があります。「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」の富山港線73系半鋼製車の写真で、この「金属製雨樋」の構造が伺えたので、報告したいと思います。
 クモハ73363の写真(P63)およびクハ79220の2枚の写真(P112)を見ると、雨樋の下の「影」がやけにくっきりしています。また、両車とも屋根布が雨樋の上半分にまで被せられているように見えます。この様子は、P13のカラー写真でも確認でき、クモハ73363の雨樋の上の屋根布の灰色と影の暗さが際立っていることがわかります。これを基に、雨樋の構造のグラフィックを作ってみました。

新たな雨樋は木製雨樋と高さが同じで、U字型のチャンネルと考えられます。底まで幅が同じなので、テーパーがかかっている木製雨樋と異なり、幕板からの厚みがあるので、影が濃くなったと解釈しました。また、「屋根布」は、以前に「特発予備」で紹介された、1974年9月24日の福原邦夫氏のクハ79220では、雨樋に被せた屋根布を、当て板を介してピン留めしていることが確認できるので、左図のような構造と考えました。これに対して、クモハ73363は、単純に屋根布がかぶさっているだけで、留め金のようなものは見られなかったので、屋根布を防水パテのようなもので接着したのではないか、と考えられ、右の図を作りました。
なお、P18写真で右に少し見えるクハ79形は、乗務員扉後ろの昇降ステップが、一番下だけ無い、クハ79220とクハ79244の特徴を示しますが、P129の「車体窓周り寸法などの違い」から、シルの幅が広い戦中型63形の特徴を示すので、「クハ79244(元サモハ63003)」とわかります。クハ79244の雨樋は、雨樋の高さの半分に達する、幅の広い当て板を介して屋根布を固定しているようです。また、P30には、クハ79220の乗務員扉周りの写真が掲載されており、この写真とはドアの構造に対する車体の構造の位置関係が異なっていることがわかります。

他の写真で見ると、P62のクモハ73305の写真では、まだ普通の雨樋であることが確認できます。同じクモハ73305では、HP「My Old Steamers 現役蒸気と復活蒸気」中、1972年12月24日に富山駅で撮影されたクモハ73305の写真では、上半分が屋根布で覆われた鋼製雨樋に変わっています。クモハ73305と連結しているクハ79形は、以前に「クハ79244」と同定しましたが、シルの幅が明らかに広いことがわかります。クモハ73305を正面近くから見た写真で、鋼製雨樋の断面が伺えます。
また、昭和40年代末に撮影された73系半鋼製車も、雨樋の上半分が屋根布で覆われていることが伺えます。

P18の写真は1974年8月20日の撮影で、中央に写るクモハ73117は、茶色ですが、9月24日に福原氏が撮影した時には、青22号に変わっており、1ヶ月の間に入場して塗り替えられたことになります。また、9月24日の写真では、運転席窓したの通風器が撤去されており、8月20日の写真では存在していない、「運転席窓のデフロスター」が装備されています。このため、転入当初の、京阪神緩行線(高槻電車区)時代のままでしばらく使われた後に松任工場に入場し、富山港線で使うための本格的な工事を受けたと考えられます。なお、8月20日の時点で、パンタ鍵外しのリンクは車内引き込みになっていますが、松任工場での工事ではなく、全金更新工事以来の特徴かもしれません。
 
 
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