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アルミサッシ改造の時期など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 7月 7日(火)23時39分31秒
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  皆さんこんばんは

「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」のアコモA更新、アルミサッシ改造の記述について
 72系のアコモA~C更新やアルミサッシ改造の記述と、実際にはどの車に工事が施行されていたのかは、多分73系研究の「最大の懸案」で、これまでもこの場で話題になりましたが、「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」では、実態がかなり解明されたと思われる一方で、限界に直面したか、と思わせるところもあったと思います。その中で、この場でも話題になった事柄をいくつか紹介したいと思います。掲示板が現在のシステムになる前のことで、既にこの場の常連となられていた方もおられますが、当時のこの場を知らない方もおられると思うので、情報を紹介します。

モハ72692の「1:1アルミサッシ改造の時期」について
 モハ72692は、最末期は呉線で、山スカのモハ71形とともに走っていた車ですが、「1:1アルミサッシ」だったことが、「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」でも紹介されています(写真P93)。履歴を見ると、「アコモB改造72.4.26広島工場」と書かれており、次のモハ72693が「サッシ改造67.3.13大井工場」と書いてあります。実は、両車はこの場の発足間もない2004年1月初めに話題になりました。
 P93には、呉線時代のモハ72692の他、首都圏時代のモハ72692の写真も併せて掲載(1967.9.3松戸電車区)、アコモB改造よりも前にアルミサッシになっていたことが確認できますが、一方で、モハ72693は、松戸電車区から房総ローカルに移動した車で、田中さんのHPで、昭和51年に3段窓だったことが確認できます。この記述になったのは、企画室コン「首都圏の72系」で、昭和41年から42年にアルミサッシ改造されたのは「72538(41.12.19), 575(42.1.30), 654(42.3.7), 678(42.11.22), 690(42.8.23), 693(42.3.13)」の6両と書かれていることと関係すると思われます。このうち、72693は、3段窓のままだったことが確認され、一方で72692は1:1アルミサッシだったので、「"72693"は"72692"の誤り」と考えられました。今回の本で、72692が1967年9月3日の時点で1:1アルミサッシだったことが確認できる写真が掲載されたことにより、この説が補強されたことになります。
 一方で、昭和42年の工事では、アルミサッシに交換しただけで、その他は元のままなので、2004年当時も、アコモB工事は「内装の工事」だけを行ったことを示すのではないか、と考えられました(全金更新済みの73009の記載「1972.1.10広島」もあった)。

クハ79445について
 2004年初頭には、中央西線の73系の工事についても話題になりました。この時、一部の車が、「戸袋窓が外板とツライチになった」ことが指摘され、「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」でも記述されています。この時にクハ79445が、「昭和40年代中頃は高槻電車区にいたにもかかわらず、大井工場でアコモA更新を受けたことになっていた」ことが話題になったのですが、RF96-1号の73形特集で、京阪神緩行線時代の79445の写真が掲載されており、1972年11月25日の時点で3段窓のままだったことが確認できます。これについては、当時の出版資料で、アコモ更新を受けているにもかかわらず、表に記載が無かった「クハ79447」の誤りではないか、との指摘がありました。今回の本では、クハ79447のアコモA更新の記載が入った代わり、クハ79445のアコモA更新の記述が残っています。実際、昭和49年に中央西線に転属して、この時に1:1アルミサッシに改造されているのですが、同時期に転属したほかの車とともにどこの工場で工事をしたのかは謎が残っています。なお、「首都圏の72系」では、79447のアコモA更新の記載はありますが、79445は入っていません。

中央西線72系の「電源の強化」について
 これも当時の話題ですが、中央西線のクハ79形の偶数車に新性能車のような大型の蓄電池箱が追設されています。これは、電源を100Vに変更したもので、元は昭和42年の中央西線瑞波電化による70系の転入に始まります。この時、横須賀線と京阪神緩行線の両方から70系が転入したのですが、制御電圧が横須賀線の車は100V、京阪神緩行線の車は24Vと異なっており、制御電源を100Vに統一する工事を行うことが当時のRF誌に記述があるとのことでした。この方針の一環として、72系にも100V配線を追加する工事が行われ、これが、中央西線から72系が再転用されなかった原因の1つではないか、との説が提示されました。

モハ72709のDT17台車に関連して
「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」の履歴のモハ72709の注に「特異車:DT17」の記述があります。これも、2004年初頭に話題になった事柄で、当時の新製車の台車がDT20Aに切り替わっていた中で、DT17装備だったことを示すもので、形式図にも、DT17装備車の記載で、飛び番で記述されており、新製時からの特徴だったことが伺えます。
 関連して、末期は片町線にいたモハ72698も台車がDT17でした。こちらは「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」ではDT20Aの記載で、上記の形式図にも記述が無く、後からの交換が伺えたのですが、同時期に関西にいた車として、モハ70053が、当時、最初のDT20装備車が落成したなかで1両だけDT17台車装備で落成しており、後にDT20に変わっていることが確認されており、この車と台車を交換したのではないか、との説が出ました。モハ70053とモハ72698の共通項は、昭和40年代前半に吹田工場に入場していたことで、阪和線のモハ70形の台車をDT20に統一する為に交換が行われたのではないか、との説です。

サハ78500台のアコモB,C更新について
 大井工場のアコモ更新のうち、B,C更新は「アルミサッシ」という外に見える特徴が無いため、どの車が施行されたのかは、資料によるばらつきが多いことが当時も指摘されていました。この中で、「サハ78509」が、RP00-5号では、アコモA更新をしている(1972.5.1)のに、1年経たずに廃車になっていること(1973.2.10)が話題になりました。芝生さんが豊田電車区の奥に留置されている同車の写真を確認し、「原型3段窓のままであること」に加え、「貫通扉が未整備であること」を確認しました。このため、アコモA更新については何かの間違い、ということになりました。
 時間が下って、「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」では、サハ78500台のアコモB,C更新の記述があり、サハ78509も「72.3.24アコモB更新」の記述があります。B,C更新はA更新よりもずっとローコストで簡易的なので、早期廃車をしても手戻りではないと考えられた、ということも考えられるので、有りだと思います。
 なお、これは割と最近の話題なのですがサハ78500台は、京浜東北線の分割併合の廃止によって中間に封入された先頭車の差し替えのために工事が行われたと考えられます。「鉄道史料」21号にクモハ73600台の記事があるのですが、当初は39両工事の予定で、同時に、モーターをを降ろしてクハ79形に改造する工事も10両が計画されたのですが、クモハ73600台の工事は30両に縮小され、クハ79形への改造は無くなりました。この減少分がサハ78500台の改造で賄われた可能性が有ります。
 中間電動車の電装解除サハは、新性能車でも国鉄末期から、最近も誕生しているのですが、いずれもあまり長く使われていないことが注目されます(サハ165形100番台、サハ103形900番台、サハ481形600番台など)。電装解除サハは多分に需給調整のための暫定的な色彩の強いものが多いと思われ、珍しく長く使われた電装解除サハであるサハ201形900番台は「試作車の量産化改造」で背景が異なるものです。


クモハ73150について
 今回の本で御殿場線時代のクモハ73150の写真が掲載されましたが(1976.7.6撮影、P73)、後ろに続く車が呉線から転入したサハ78111,113,119,120のいずれかであることが確認できます。サハ78111,113,119,120と同時期に転入したらしい、クモハ73094の話題を紹介しましたが、転入したサハ78が横須賀色に塗り替えられてからも、クモハ73150は一応走っていたことが確認できたことから、「一応走らせることはできたらしい」ことが伺えました。ただ、この時から半年後には廃車になっていることから、他の車と比べると状態が劣る何かがあったのではないかと思われます。

クモハ73189とクモハ73361について
73おやぢさん
 クモハ73189とクモハ73361についての情報をありがとうございます。クモハ73189については、こちらこそが五月雨改造だったとのことで、吹田工場の奥深さを感じました。クモハ73361も、1973年11月には既に箱サボ枠を撤去していたとのことで、工事の時期がかなり絞りこまれ、他の車と併せ、昭和48年末から49年初めに集中工事されたか、という感じがしてきました。
 
 
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