teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. www(6)
  2. 全力全開(0)
  3. 全力全開(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:102/2939 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

富山港線73系半鋼製車の箱サボ撤去の時期など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 7月 4日(土)02時08分50秒
  通報 返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

先日「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」を報告しましたが、富山港線の73系半鋼製車の情報をアップデートしたところ、半鋼製車末期の、「箱サボ撤去の時期」を狭い範囲で絞りこめたと思うので紹介したいと思います。
 箱サボの有無が確認できたのは

73305:1973.11.24-有 1975.7-無
73357:1972.2.20-有 1974.9.24-無
73361:1972.11.5-有 1974.5廃車
73363:1973.春-有 1974.8.20-無
79220:1973.11.25-有 1974.9.24-無
79240:有のまま廃車
79244:1973.9.1-有 1974.10.10-無

で、73305, 363, 79220, 244の4両が、1973年には箱サボ枠が存在し、1974年には無くなっているという共通性が見つかりました。このため、昭和50年まで箱サボ枠を残したまま廃車になった79240以外の車は、1973年冬から1974年前半までの短い間に箱サボ枠が撤去されたのではないかと考えられます。全検か要検の時に撤去されたとすると、1974年5月23日に廃車になった73361は、箱サボ枠撤去が間に合わなかったと考えられます。
また、1972年時点で助士席窓枠が木枠(富山港線形前面の73305と73363、東鉄形前面の73357)は、箱サボ撤去と同じ頃にHゴム窓に改造されたと思われます。
このことから、早期廃車になった73007, 299, 347, 355の4両は、箱サボ枠を残したまま廃車になったと考えて良いと思います。

元サモハ63形の「輪軸」について
 実は、少し前に元サモハ63形の「輪軸」について質問をしようと思っていた事柄があります。それは、「昭和20年代後半の工事で制式にクハ79、サハ78形になった時に、輪軸の大歯車は撤去されたのか」です。モーターが装架されないことが確定したので、大歯車は必要なくなったわけですが、資源の有効利用のため、大歯車を当時新製中のモハ72500台辺りに転用したのではないか、と考えたことと、その一方で、旧形国電の輪軸は、電動車が短軸で付随車が長軸と明瞭に分かれており、短軸では大歯車付が必須だったことから、「大歯車を付けた短軸」が部品として存在しなかったとも考えられ、「大歯車の撤去」について伺おうと思っていたところでした。
 この問題に対して、今回、「写真とイラストで見る国鉄72・73系電車」で解答となる写真が掲載されました。P32「DETAIL FILE 4 下廻り」にクハ79134の床下の写真が掲載され、「大歯車の付いた輪軸」がはっきり確認できます。このため、「大歯車は撤去されなかった」が解答となります。


武蔵野線の73系アコモ改造車投入構想など
クモハ73503さん
 先日「RP74-2号」に掲載されていると紹介した62系アコモ改造車の記事ですが、RPアーカイブス37「63・73形電車の時代1950~70」P136~138に収録されています。この後には仙石線アコモ改造車の記事が収録されています(P139~143)。なお、仙石線では昭和40年代はクモハ54形を主とした3扉セミクロスシート車の快速運用があり、RP74-3号の記事の時の仙石線の投入構想は、快速用3扉セミクロスシート車の置き換えが構想されていた可能性が有るのですが、後に103系による新性能化が行われた時、セミクロスシート車の投入の構想があったものの、仙鉄局より、ラッシュ時の混雑が激しいために4扉ロングシート車の投入が要望されたため、103系投入になった、ということです(確か1980年頃の趣味誌の通勤電車特集に記述がありました)。
 武蔵野線への73系アコモ改造車投入構想ですが、私の方でも情報を見ています。1970年台のRP誌は、国鉄の新線建設の情況が年報のような形で紹介されていましたが、その中の武蔵野線関連の記事で、旅客営業に73系アコモ改造車投入が触れられていました。確か1972年か73年の武蔵野線建設の記事だったと思います。
 武蔵野線に関する余談ですが、建設中の予定駅名と実際の開業時の駅名が異なっている駅があり、確か「新小平」は、予定駅名が「新村山」、「新松戸」は「北馬橋」でした。

 先日お話しいただいた「クハ79392の室内の写真」が「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」P31に掲載されています。

 カーテンですが、阪和社形に興味深い変遷があります。モタ300形、モヨ100形の系列は、巻き上げカーテンでしたが、モタ3000形の系列は「木枠にカーテン布地を張ったもの」が日よけとして使われていました。これは阪和社型の最期まで変化が無く、HP「記憶の中の鉄道」内「阪和線 社型「クハ25、クモハ20」(2)」に、1968年初めに行われた阪和社型さよなら運転の頃に撮影された、元モタ3000系列のクハ25110車内の「木枠にカーテン布地を張った日よけ」の写真が掲載されています。
 
 
》記事一覧表示

新着順:102/2939 《前のページ | 次のページ》
/2939