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房総ローカルの73系など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 6月27日(土)18時52分36秒
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  白い陽さん、皆さんこんばんは

クモハ73289についての情報をありがとうございます。津田沼電車区で総武緩行線と房総ローカルの両方を受け持っていた期間は昭和44年から45年頃までの短い期間で、73形の装備は早い時期に房総ローカルに特化したと思っていました。TMS20-6号にもクモハ73289の房総ローカル時代の写真が掲載されており、改めて確認すると、P14(1977.6.4撮影)、P92(1974.12撮影)の両方ともATS-B受電器の装備が確認できました。

箱サボの方も、1969年の内房線全線電化の頃はまだ使っていましたが、1972年の外房線電化の頃までには房総ローカル独特の、助士席窓内側にぶら下げる形の行き先表示に移行したと思っていて、箱サボの使用が停止されており、この頃の転入車からは箱サボ設置が停止したと考えていました。このため、1974年の北総電化に際して転入した車は箱サボの設置は行われていないと思っていて、昭和49年転属のクモハ73064に箱サボ追加工事が行われたとは思ってもみなかったものでした。

鶴見線の73系は、1972年の20m化当時の転入車が、昭和53年頃までにほぼ全交換され、昭和47年からずっと所属していた車はクモハ73029とモハ72538だけになっていましたが、この時の置き換え車は、津田沼電車区からの転入車が多かった印象があります。クモハ73形は、中原からの転入で賄われ、不足分が津田沼から転入(クモハ73289)していますが、モハ72形とクハ79形は中原と津田沼がほぼ同数で、津田沼からの転入はモハ72形は920台だけだったのに対して、クハ79形は300番台もまとまった数が津田沼から転入しており、このため、最後に3段窓車が残った形になりました。1980年1月19日の鶴見線旧型国電さよなら運転の編成は「クモハ73029―モハ72957―クハ79392」でしたが、前述のようにクモハ73029は鶴見線プロパーだったのに対して、モハ72957、クハ79392は津田沼電車からの転入で、クハ79392は3段窓でした。
 
 
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