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クモハ73064の沼津転属にまつわる情報など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 6月27日(土)00時16分59秒
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  クモハ73503さん、皆さんこんばんは

 実は、「クモハ73150の謎」も、クモハ73064とともに前身の掲示板の時に話題になりました。
まず、クモハ73150の早期廃車については、「車体の劣化が早かった為ではないか」との説が出ました。クモハ73、モハ72形の全金更新は、日本各地の工場で手分けして行われましたが、電車の構造に慣れていない所もあったようで、工事の出来にばらつきがあり、工場によっては劣化が早かったことが指摘されています。浜松工場では、モハ72形の全金工事が多く、多くの車が津田沼電車区に集結していましたが、状態が良くなかったとの話を伺いました。クモハ73150も、御殿場線のクモハ73形の大多数の、吹田工場の工事ではなかった(大船工場1963.5.17)ので、劣化が早かったとの説が出ました。
 クモハ73064の沼津転属については、実は、もう1両、関係している車がいます。それは、呉線のクモハ73094で、サハ78111, 113, 119, 120と同時期に沼津機関区に転入している事が趣味誌の「車両の動き」に記述されていたのですが、現車が目撃されていないことが話題になりました。クモハ73094は、サハ78111, 113, 119, 120と同じく2段窓改造車なのですが、「台車がDT14だった」という、致命的とも言える特徴がありました。なお、「何故DT14台車装備車が呉線から転属したのか」というと、「呉線の偶数向きのクモハ73形はDT14台車装備車ばかりだった」という事情がありました。他に2段窓化された広島運転所のクモハ73形偶数車は、73090, 128, 148がいましたが、全てDT14装備です。この為、当初は、クモハ73150の代車として、クモハ73094が転入したものの、DT14台車が嫌われ、さらに代車が求められた結果、当時津田沼電車区にいたクモハ73064が起用されたのではないか、というのが提案された説です。なお、クモハ73094は、結局クモハ73150と同日の1977年1月25日に廃車になっています。
 また、「ATS-S装備」も大きいようで、後に富山港線のクモハ40076の台車として、御殿場線からクモハ73043とクハ79939が転出しますが、これもATS-S装備が有力視されています。同時期は、鶴見線にクハ79920台偶数車がいましたが、御殿場線からクハ79939をわざわざ方転させて転入させています。なお、当初は、「方転の工事の手間を省く為」クモハ73902を転属させる、という話があったらしいことを伺いました。
 なお、同時期に全金更新車が多数派の中に転入した半鋼製車として、鶴見線のクモハ73289が知られています。この車も津田沼電車区からの転入ですが、この車については、わざわざATS-Bを追加しているのですが、「手ブレーキハンドルを交換していた」ことが理由として指摘されています。旧型国電の手ブレーキは「舟漕ぎ型」が一般的ですが、傷害事故が多かったとのことで、円形のハンドルに交換された車がいました。企画室コン「首都圏の72系」に手ブレーキハンドル交換車の一覧があるのですが、クモハ73289がリストに入っています(1965.9.7付)。

 代車を遠隔地から探すことは結構あったようで、例えば、60系鋼体化客車のスハユニ62形は、オハユニ61形の北海道向け車両ですが、昭和40代以降も残った2両のうち、スハユニ62 10は、北海道から遠く離れた南九州の都城客貨車区にいました(もう1両は釧路客貨車区のスハユニ62 1)。これについては、荷物車(マニ60形)への改造で客郵荷合造車が必要最低数まで減少していた中で、南九州で運用の増加が発生し、日本全国へ客郵荷合造車を照会した結果、釧路客貨車区に余裕があることがわかり、スハユニ62 10が転属したのではないか、との説があります。
 
 
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