teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. www(6)
  2. 全力全開(0)
  3. 全力全開(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:4/2809 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

富士身延社形の台車、電動機等について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 5月16日(土)10時34分1秒
  通報 返信・引用 編集済
  皆さんおはようございます
白い陽さん、お久しぶりです

富士身延鉄道モハ100,110形(省モハ93形)の台車とモーターについて
 相模鉄道ED12,13に当初装備された台車が、富士身延鉄道に由来する「日車F型台車」と「MT35主電動機」とのことで、両機器が何のことだろうと思い、調べてみたので、情報を補足したいと思います。

 後に「モハ93形」に一括された富士身延鉄道の電動車は、富士身延鉄道時代は、昭和2年日本車両製のモハ100形と、昭和3年新潟鉄工製のモハ110形に分かれていました。当初はともに6両いたのですが、モハ100形の方が私鉄時代に1両事故廃車になっています。私鉄時代に装備していた台車が、モハ100形の方が日本車両製のブリル類似台車で、これが「F型台車」です。モハ110形の方は新潟鉄工製のTR14(DT10)類似台車でした。モーターは共に三菱MB-94-Bで、出力は150馬力(110kW)と、当時の私鉄としてはかなりの高出力機でした。これが省編入後に省形式を与えられて「MT35」となりました。形式図が「私鉄買収国電」P76にあるのですが、それによると、歯車比が18:70(1:3.89)と、当時の電車としてはかなり高く、勾配線対応であることがわかります。相模鉄道ED12,13に台車とモーターがセットになって装備されたということは、ギア比も同じということになり、牽引力を期待された機器選択だったことが伺えます。
 モハ93形になってから、両形式とも、台車と電動機が省制式品に交換されるのですが、RP00-4増刊「釣掛電車の響き」P84~85の富士身延鉄道買収車の車歴によると、大多数の車は昭和26年にDT10とMT7またはMT15に交換されていますが、モハ114,115の2両は昭和21年10月と早い段階で取り替えられています。この時に発生した元モハ100形由来の日車ブリル台車とMT35モーターを相模鉄道が調達したことになります。時期もモハ100形の足回り交換が昭和26年1月(元モハ104)から6月(元モハ102)なので、車両の設計から製造を考えると、ED11形機関車が昭和27年製であることと調和します。

 なお、「釣掛電車の響き」には「釣掛台車のいろいろ」(P150~155)で輸入、国産を合わせた吊り掛け台車が解説されていますが、その中で日本車両の台車については、ボールドウィン台車が有名ですが、ブリルタイプを先行して製造していたことが記述されています。ボールドウィン台車の製造開始は、78-25A系が1924年(大正13年)、ボールドウィン台車の代名詞ともなるD型台車は1926年(大正15年、昭和元年)になります。富士身延鉄道では制御車のクハユニ300形(省クハユニ95形)、クハニ310形(省クハニ96形)はともに昭和3年6月製で、D16台車を装備しています。時期的にはモハ100形は1年ほど先行するのですが(昭和2年3月落成)、登場したばかりのD形台車を導入せずに、先行するブリルタイプを導入し、1年経った、クハユニ300、クハニ310形導入時にD形台車を導入したところに、当時の富士身延鉄道の考え方が伺えます。なお、日本車両のボールドウィン台車は、AからKまでの系列があったのですが、FとHが欠でした。ブリル台車の形式「F」は、この欠を埋めている形になります。

富士身延鉄道時代の車両について
 富士身延鉄道の旅客車両は、電車がモハ100,110形(モハ93形)、クハユニ300形(クハユニ95形)、クハニ310形(クハニ96形)、電化以前の客車を電車連結対応にしたサハ50,60,70形(サハ26形)がありましたが、サハ50,60,70形に先行する車がいたことを最近知りました。
 戦時買収私鉄の1つの「胆振縦貫鉄道」は、私鉄でD51形蒸気機関車を導入したことで知られていますが、客車は富士身延鉄道からの譲渡車だったことを最近知りました。胆振縦貫鉄道は、1940年に「胆振鉄道」(胆振線京極―喜茂別間)を合併しているのですが、富士身延鉄道の客車は、胆振縦貫鉄道プロパーの方で、6両の二軸客車が在籍していました。二軸客車は、大多数が大正2年の富士身延鉄道開業時の導入でしたが、一部、ボギー客車(サハ50,60,70形)導入(大正6,7年)後の大正10年代に入ってからの入線車もいました。電化後、ボギー客車は、電車連結対応工事が行われましたが、二軸客車も電車連結対応されたらしく、「クユニ」「クハニ」といった形式がいました。
 富士身延鉄道時代で見ると、「鋼製の電車と二軸客車の連結」が興味深いですが、胆振縦貫鉄道時代でも、本来本線系統の蒸気機関車であるD51形が、二軸客車を牽引した、という珍しい組み合わせが見られたことも注目点だと思います。

モーターの「HP」と「kW」の換算
 モーターの出力の記述について、大正前期までのモーターは馬力(HP)で記述され、大正末期頃から電力(kW)に切り替わりますが、初期のモーターについて資料を探していたところ、HPとkWの換算の記述をしているサイトが見つかりました。エアコンプレッサーのメーカーの「小西エア・サービス」のサイト中「よみもの」に馬力と電力の換算の記述があります。それによると、換算式は

1HP = 0.746kW

とのことで、大正期の電車でよく見られる「50馬力主電動機」はkW換算すると37kWになります。大きい方では、MT15系列のモーターの定格出力の110kWは、馬力では150馬力となり、大正初期に50馬力で始まった、モーターの国産化から、10年ほどで3倍の出力のモーターの国産化が軌道に乗ったことになります。また、昭和初期の関西の私鉄の大出力電動機はよく「200馬力」と表現されるので、4倍の出力ということになります。
 
 
》記事一覧表示

新着順:4/2809 《前のページ | 次のページ》
/2809