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石炭列車の終焉・松尾鉱業鉄道について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 3月22日(日)10時17分45秒
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  皆さんおはようございます

石炭列車の終焉
 地元の太平洋セメント熊谷工場は、セメント焼成燃料として石炭を使っており、知瑠実線の扇町駅との間に石炭輸送列車が運転されていたのですが、3月末を持って運転を終了することが発表されました。太平洋石炭販売輸送の石炭列車が昨年末に運転を終了しており、この列車の運転が終了することで、長い歴史を持つ国内の石炭輸送の歴史が終わりを迎えることになります。熊谷工場では3月と9月に焼成炉メンテナンスのために運転を休止しており、このため、現在は石炭列車は運転してなく、恐らくこのまま運転を終了すると思われます。このため、1月中頃の石炭運転終了発表から2月中頃まで秩父鉄道三ヶ尻線沿線には石炭列車撮影のために人が集まっていました。写真上は2月8日に埼玉県立熊谷西高校近くの踏切で撮影した1本目の石炭列車、中央は熊谷貨物ターミナル駅を出発する2本目の石炭列車です。

 なお、現在の石炭輸送の動向ですが、学術雑誌ですが、「地質学雑誌」2019年8号に「秋吉台石灰石鉱山(住友セメント秋芳鉱山)と宇部沖の山Coal Centerの見学」として掲載されています。宇部。小野田線の記事でしばしば出てくる宇部炭田の沖の山炭鉱の後身として、輸入石炭の貯蔵基地が建設されており、石炭が陸揚げされた上で貯蔵され、出荷されています。この報告では、同時に美祢地区の石灰石鉱山からの石灰石輸送も記述されています。美祢地区の石灰石輸送は昔は美祢線の石灰石列車、現在は宇部興産専用道路による輸送が有名ですが、このほかにベルトコンベヤによる輸送が日本海側の長門市の港へ行われており、石灰石が出荷されています。港に隣接する石炭ヤードは、2018年秋の北海道訪問の時に、北海道内炭鉱から石炭輸送があった頃の室蘭と小樽の石炭ヤードの歴史について、この場で報告しましたが、「石炭を品質別に貯蔵し、出荷する」ことは現在の石炭ヤードでも変わっていないことが地質学雑誌の記事で確認できます。また、国内石炭時代の石炭ヤードのいくつかは、現在でも輸入石炭に変わって健在なところが宇部の他にいくつかあります(室蘭、苫小牧)。上記の秩父セメントへの石炭列車の出発駅は鶴見線の扇町駅ですが、ここには石炭ヤードは無く、首都圏では千葉県の市原の方に「出光バルクターミナル」があります。この地は、古くは出光興産の製油所があったところでもあります。

松尾鉱業鉄道について
 写真下は秩父鉄道デキ107です。同車は2018年末に除籍されたのですが、解体はされず、2019年春の広瀬川原工場イベントで、工場内に納まっているのを目撃しました。デキ107は、まだ現役のデキ108とともに、「松尾鉱業鉄道」から移籍してきました。先日の書き込みで触れたRF87-3増刊「特集 東北地方のローカル私鉄」でも紹介されており、阪和社形が走った線としても知られていたので記事を紹介したいと思います。
 RP87-3増刊号の松尾鉱業鉄道の記事は、「鉱山鉄道全般」の記事(P26~32)の他、昭和26年7月29日の訪問の記録(P55~57)が紹介されています。昭和26年7月の時点ではまだ電化されてなく、列車は全て蒸気機関車牽引でした。この訪問の直後に電化され、列車が全て電気機関車牽引に置き換えられたことになります。秩父鉄道デキ107,108は、この時に当時の秩父鉄道デキ8(後のデキ101)をベースに「ED50 1, 2」として製造されました。松尾鉱業鉄道の報告は、この後のRF97-4増刊「東北地方のローカル私鉄」およびRM誌の「消えた轍」でも紹介されていますが、いずれも昭和40年代に入ってからの阪和社形が入線してからの報告です。ここで気になったのが、昭和40年代の松尾鉱業鉄道の報告では、いずれも「盛業中で、景気がよく、華やかな印象を受けた」とのことで、松尾鉱山廃止に伴う昭和43年の旅客営業休止、昭和47年の路線全廃が「予想できなかった」と記述されていることです。鉱業関係の鉄道、列車の廃止が急なことは、当時の趣味誌でも触れられており、確か昭和45年頃のRP誌の貨物鉄道特集で、中川浩一先生がこれを「ポックリ病」に例えています。同時期には、他に雄別鉄道、羽幌炭鉱鉄道など、北海道の炭鉱関係の鉄道が廃止になっています。但し、松尾鉱業鉄道については、実は閉山のかなり前から経営が揺らいでいた、という資料が以前の職場の資料室にあったので紹介したいと思います。
 松尾鉱山は、硫化鉱の鉱山で、主要な産物は「硫黄」だったのですが、日本国内の硫黄鉱山稼働に当たっては、戦後にいくつかのエポックがありました。有名なのは昭和43年の大気汚染対策のための「硫黄の回収の義務付け」に伴う「回収硫黄」の流通で、松尾鉱山を含む硫黄鉱山の閉山に直結したことが知られていますが、この前、昭和35年ごろに、「アメリカの硫黄輸出の解禁」がありました。これは、「戦略物資」として硫黄の国外輸出を禁止してたアメリカが、方針を転換して硫黄の輸出を解禁したもので、硫黄の抽出方法が、日本の鉱山の鉱石採掘ではなく、地下に高温の蒸気を吹き込んで硫黄を分離して回収する「フラッシュ法」のためにコストが低く、「低価格の硫黄の流通が始まった」ことが日本の硫黄鉱山の打撃になりました。このため、松尾鉱業の資料も、昭和30年代中頃から経営基盤の不安定化と、鉱山内各部門の合理化の記述が相次いでいました。この資料を読んでみると、昭和41年の松尾鉱業鉄道への阪和社型の入線は、「鉄道部門のコスト削減」としての方向性が見えます。このため、昭和40年代初頭の一見華やかに見えた「松尾鉱山」は、内実はかなり不安定な状況になっていたことになります。なお、Wikipediaで「群衆事故」を見ると、昭和36年の「松尾鉱山小学校の事故」がありますが、この事故についても記述がありました。昭和36年1月1日のことですが、「鉱山の前途に不安がある中での事故」の見方での記述がありました。
 松尾鉱山の「鉱山町」は、現在でも廃墟が残っていますが、木造の建築物は、確か昭和47年に「延焼実験」として焼却され、コンクリート造りの建物だけが残っています。この、閉山当初の木造建築物も原型で残っていたころの情況が、当時のTVドラマの「ザ・ガードマン」で出てきました。「ザ・ガードマン」は、昭和40年から47年まで放送されたシリーズですが、松尾鉱山町が出てきたのは最末期の昭和47年の344話(11月12日放送)で、たまたま「ファミリー劇場」で放送したところを見ました。設定は、「八幡平鉱山」の鉱山町跡が「ヒッピーのたまり場」になっており、調査に行く、というものでした。時期的には延焼実験で木造建築が焼き払われる直前の辺りになります。
 
 
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