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クモユニ147写真の訂正・宮城電気鉄道の記述など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 3月22日(日)01時13分36秒
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  皆さんこんばんは

クモユニ147の写真訂正
 クモユニ147ですが、東海道線時代の写真で、連結に誤認があったので修正した写真を改めて撮影したので紹介したいと思います。

 写真上は鉄道コレクションのクモユニ147とクモニ143の連結で、60-3改正で大垣電車区に転属して、クモニ83形を置き換えた、クモユニ147とクモニ143の連結です。クモニ143は、60-3改正で1~3が大垣に、4,5が長岡に転属して、それぞれクモニ83を置き換えています(長岡へは沼津からクモユニ143が転属)。鉄道コレクション第20弾は、床下機器がある程度共通化されており、クモヤ145に一番近い配置になっていると以前伺っており、クモユニ147の方は、この共通の床下機器に対して抵抗器だけを取り替えた形態(101系のモハ101の抵抗器が付けられている)になっています。クモニ143はだいぶ異なっているので、GREENMAXのバルクパーツ(主に103系のもの)からいろいろ寄せ集めて床下機器を配置し直しました。

写真中央と下は111系と1両あるいは2両連結したもので、静岡、名古屋地区の荷電を表現したものです。こちらはKATO製品です。連結位置は111系に対して「米原側」だったことがわかり、後位(パンタ側)が先頭になっていました。写真では、111系の他、111系置き換えのために房総地区から転入した横須賀色の113系の編成と連結しているものも見つかり、「横須賀色+飯田線色」という非常に珍しい組み合わせが短い間ですが見られたことになります。

仙石線の「宮城電気鉄道」時代の記述
 先日1980年代のRP誌を何冊か入手したのですが、その中のRP87-3増刊号「特集 東北地方のローカル私鉄」があります。この10年後のRP97-4増刊号も東北地方のローカリ私鉄特集で、前のローカル私鉄特集増刊の一員です。「ローカル私鉄」の特集のはずなのですが、この中に「宮城電気鉄道」の記事(P49~53)がありました。宮城電気鉄道は「買収私鉄」のカテゴリーで、ローカル私鉄特集で取り上げられる範囲からは外れ、違和感のあるものでした。この記事は、「宮城電気鉄道時代」に特化しており、建設時から開業時の情況に重点が置かれています。「施設」は、後の仙石線になってからも、「仙石線」の個性になったものがあり、「車両限界」が、地下線(仙台駅)やトンネルがそれなりにあったにもかかわらず、地方私鉄限界から縮小せずに、地方私鉄限界そのままで建設されたことが記述されています。これが、買収後に17m省電、さらには20m級省電から103系がそのまま入線できたことに繋がっており、限界を縮小したために、省電が入るときに大規模な工事が必要になった南武鉄道―南武線等とは異なっており、他にも将来の輸送力増加のための先行投資的な工事がいろいろ記述されていました。車両については、開業当時の車が、大正末年の時点で丸屋根になっており、これは仙台地下線が関係していて、「屋根の高さを上げずに室内空間を確保するため」とのことでした。また、801形(国鉄になってからの2320形)は、「当初は24両製作予定」だったとのことです。結局宮城電鉄時代に間に合ったのは7両で、買収後に4両入りました。「これらの車は仙石線で昭和40年頃まで省形と一緒に活躍した後、転属・私鉄譲渡・廃車された」とあったのですが、この辺は誤認があり、1両(モハ2326)が転出した以外は転出せずに廃車になっています。ただ、当初は越後交通(長岡線)が導入する構想があったとの記述をどこかで見たことがあります。越後交通は当時は確か600Vだったので降圧工事が必要になった(1500V昇圧は確か昭和50年近く)ことが見送りの原因になったことが考えられます。
 
 
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