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台枠についての返信になります

 投稿者:新参者  投稿日:2019年 1月30日(水)00時04分44秒
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  みなさま、遅くなって申し訳ありません。色々貴重な資料情報ありがとうございます。

国鉄鋼製電車史 モハ63形電車【上巻】を手に入れてきました。鋼製化クハ79のUF118Aについての記述があり、それに関連してUF31、UF112の記述もありました。
要約すると
「UF112はUF31と同じ手法で作られている。横梁延長の継ぎ手が簡略化したモノになった。新しい側梁の鋼材がUF31の150mm溝形鋼から8インチ溝形鋼になった。」
ということです。新しく構築された新側梁の8インチ溝形鋼ですが、UF13の横、側梁に使われているモノと同規格品です。この8インチ溝形鋼の出何処は何処だろう?工場手持ちの修理部材やら解体廃品であろうか?

73おやぢ様
資料の情報ありがとうございます。
>1953年電車形式図のUF32 鉄道史資料保存会発行「電気車形式図」の説明
ご呈示頂いたUF14改造のUF32に見られる旧側梁から新側梁への横梁に見られる台形の延長材が、上述したUF31→UF112の変更と書かれていました。UF112でトラス棒が無くなるのが1941年度からなのと、ご呈示頂いた「旧側梁を継承しないUF113の横梁」の図面があると言うことは、「撤去した旧側梁とトラス棒関係こそが、節約に貢献した鋼材」というご指摘は説得力があります。

すぎたま様
約15mの短台枠という意味では無く、幅7フィート(メートル法移行後2140mm)の台枠に幅2800mmの木造車体を載せたのに驚きました。車体の鋼製化に木製車体の破損というのがありましたが、台枠から両横に各1フィート程の張り出しで車体を構築していたのですから、側面の強度は弱かったのでは。客車用のUF12が幅2800mmで戦後の鋼体化時に台枠の延長で済んでいるのに対して、モハ50の鋼体化では台枠の改造に想像以上に手間が掛かっているのが判り、UF13も幅2800mmで作られなかった理由が気になります。
誤解を招く表現であったことをお詫び申し上げます。

原口 悟様
資料の情報ありがとうございます。
>RP84-10号 「旧型国電50年(1)」
オハ71上巻によるとUF31は1934~1938年でUF112が1939~1941年。UF32は1934~1938年でUF113が1939~1942年とのことです。トラス棒はUF31、32では中梁の2本残置、UF112、113は1940年まではUF31、32と同じ。1941年以降全数撤去と記述されています。
ご指摘にもありました「トラス棒の変遷」で気になるところがあります。記憶にある「車輛と共に30年」にあった写真のモハ50は外側のトラスもあったような気がします。


UF112の側梁は新設なのか移設なのか?
オハ71上巻にあった図面の出何処を検証するしか無いのかもしれません。ただ、UF112の側梁が解体品の流用(の可能性が高い気がします)であれば、最終的には”移設”に行き着くのが工数的には自然な流れな気がします。

”移設”仮説に対する壁!
17m級木造車の鋼製化の最終バージョンであるモハ62とクハ77。台枠がそれぞれUF114と115。UF31の二重側梁を利用してステップを付けています(側扉部には新設の側梁を付けていない構造)。ある意味外吊戸を止めたクモハ451などの先駆けな構造です。
これが最終となると、移設は無かったということもあり得ます。ただ、ステップを付けるのであえて移設前の形を踏襲したとも考えられます・・。

資材節約が移設と混同された?
”150mmの溝形鋼を使用せずに解体品流用の8インチ溝形鋼を使用して新規の資材を節約した”というのが真相だったとか。図面上は新側梁も旧側梁も同じ部材ですから、いつからかそれが”移設”にすり替わった?
ただ、前述しましたように解体品を出してからそれを組み込む手間を考えたら、目の前にある台枠を部分解体しつつ移設した方がトータルの工数は減るでしょうし、資材節約にもなります。

蛇足
モハ63では資材の節約もさることながら、工数の削減を目指した設計が目を引きました。
 
 
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