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モハ50系列の台枠、ナデ6141の台車の刻印について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年12月23日(日)13時39分26秒
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  皆さんこんにちは

モハ50系列の台枠について
新参者さん、初めまして
 私にとってのモハ50系列台枠についての記述の初見は、RP84-10号(特集 国電80年(2))で、P44~45「鋼体改造車―モハ50形」中に、

初期のものは台ワクの外側に側梁を増設して、2800mm幅とし、後期のものは側梁を外側に移設して車体幅を合わせている。トラスロッドは中央の2本を残し、外側の2本を残したものもあれば、全部取り外したものもある。

との記述があります。
 これに対して、「旧型国電50年(1)」では、「トラス棒」の変化に注目しており、「3本」から、「左右2本だけ」に変化し、台枠の形式がUF31からUF112、UF32からUF113への変化と関連するように記述されています。
 これを踏まえると、モハ50系列の台枠の変化は「側梁の“追加”から“移設”への変化」と「トラス棒の減少」の変化が起こっていることになりますが、「台枠の形式の変化」が、「何が変化したのを反映」したのかがわかっていない、ということになります。このため、台枠の変化が「トラス棒の減少」「側梁の外側への移設」の順番で起こり、台枠の形式変化が「トラス棒の減少」の段階で起こっていたとすると、「UF112」が「UF31」と同様に、「側梁が外側に追加」の形態をとっていることがあり得ると考えられます。
 また、トラス棒の減少の段階も、1段階だけでなく、2段階(4本から2本と、2本から0本)あったと考えられ、これを踏まえると、台枠の変化が側梁の変化を加えた3段階あるいはそれ以上の段階を踏んだ変化が起こっていることが考えられ、「UF31からUF112への変化」が「どの段階の設計変更を反映したものか」を調べる必要があります。

ナデ6141の台車の「刻印」の報告
 昨日は大宮へ鉄道模型のイベント「さいたま模型フェスタ2018」へ行ってきたのですが、併せて鉄道博物館へ足を伸ばし、「ナデ6141」の台車の刻印を調べてきました。
 以前、幌内と小樽に保存されている車両の「TR11台車」の刻印を報告しましたが、より古い車として「ナデ6141」に注目しました。三笠と幌内のオハ31系列の車に「SEITETUSHO YAWATA」の刻印があり、八幡製鉄所で製造された鋼材を使っていることがわかりましたが、八幡製鉄所は、建築から本格操業までかなり長い期間がかかったことから、「古い台車では八幡製鉄所以外の鋼材を使っているのではないか」と考えたのが調査の動機でした。
 写真上は、この、ナデ6141の台車の刻印で、結局「SEITETUSYO YAWATA」が確認でき、八幡製鉄所の鋼材でした。ナデ6141は1913年(大正2年)製造で、台車は「明治43年式」なので、明治末年頃には八幡製鉄所の鋼材生産が安定していたことが伺えました。
 写真下は「開拓使号」の台車の刻印で、小樽に保存の幌内鉄道の客車と同じ、幌内鉄道の客車なので、共通のものがあります。
 
 
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