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色の由来、クモハ2段重ねなど

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年12月16日(日)23時59分42秒
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  皆さんこんばんは

「色の決定」など
すぎたまさん
 丸ノ内線の色については、確かRP誌の里田氏のコラムの連載でも触れられており、「たばこの缶」の色がヒントになったこと、この時の「缶」を地下鉄博物館に寄贈したことが記述されていたように覚えています。丸ノ内線の電車についてはRF誌の連載記事も読んでおり、300形登場時、「遊園地の電車のようだ」とあまり評判が良くなかった、との話があったとの記述を覚えています。この時のたばこの銘柄について、Wikipediaを見ると「ベンソン&ヘッジズ(Benson & Hedges)」とあるのですが、私としては、先の書き込みで紹介したカーレース「F1世界選手権」の「ジョーダン・グランプリ」のメインスポンサーで、黄色をベースとしたカラーリングが馴染みでした。このため、ベンソン&ヘッジズは「赤」というイメージがあまりありません。
 先の新幹線とハイライトの話題でも触れましたが、「会議の場にたまたまその色のものがあったから」という理由で決定したものがけっこうありそうです。

 「色」については、「再現性」が問題になり、「マンセル値」が指定されていても、その通りに再現するとずいぶん感じの違う色になることがよくあります。1つの原因として、「屋外で日光の下にあるとき」と「室内での色」が光の状態の違いから、かなり感じが変わることで、「模型での色の再現」に頭をひねる要素になります。また、またカーレースの話になるのですが、現在のカーレースはテレビで見ることが多く、F1世界選手権では1970年代後半からテレビ視聴がかなり多くなっています。このため、車体の色を「テレビ(当時のブラウン管式)で見た印象」の方に合わせることが一般的で、「マクラーレン」の「マールボロ」のカラーをサーキットに出向いて現車を見ると、赤が「ピンク色がかっている」色になっていた、という話を聞いたことがあります。すなわち、テレビで見ると、マールボロの「赤」に見えるように調整している、というものです。
 「マンセル値」では、飯田線の快速色が、マンセル値をそのまま出力すると、腰板の濃青色が緑色に近い色になり、鉄道コレクションの飯田線快速色の製品では、湘南色とほとんど変わらないような色合いになっています。実際、RP83-4号の飯田線特集号で、昭和30年代前半に飯田線快速色の流電と湘南色の80系が並んで写っている写真では、両車の色の違いはほとんどわからず、飯田線快速色が「湘南色」と呼ばれても信じてしまうほどです。「旧型国電50年」P32に飯田線快速色のクモハ52005の写真(1959年11月22日撮影)が掲載されていますが、湘南色のような色合いです。同じ写真がRP83-4号にも掲載されているのですが、こちらはもう少し青みがかっています。このため、飯田線快速色は、今となっては「謎」なものになっています。

三鷹事件時のモハ63形2段重ねの編成について
 私も、編成表を見た時、「モハ63形が2両連続していること」が変わっていると思いました。確かに、当時は桜木町事故前で、「隣の車に行く」ことがあまり考えられていなかったと思われ、増結として、「単純に1両連結する」のは有りだと思いました。この方針が180度転換するのは桜木町事故の時で、これがこの場で話題になったのが、「京阪神快速線80系のクハ86背中合わせ編成」で、「何故クハ86形背中合わせになったのか」に対して、4両増結編成を作るために、大垣電車区から80系が借り入れられたのですが、「借入車を方向転換」してまでクハ86形背中合わせの編成を作っていたことが確認され、「隣の車に移動できることを徹底するためではないか」との説が出ました。

富山港線のMc単独運用について
 「モハ63形2段重ね」から思いついたのが、富山港線で見られた、McMcTcの編成でした。こちらは、Mc単独運用が設定されていて、増結運用に入るものです。始まりは昭和30年頃の社型が元南武のクモハ2000形、元鶴見臨港のクハ5500形が主体になった頃で、昭和42年の昇圧で、クモハ73、クハ79形になり、47-3改正での大幅な運用見直しで無くなっています。
 以下、写真は模型で再現したもので、上は昭和42年昇圧当時のMcMcTc編成で、クモハ73007―クモハ73355-クハ79244です。富山港線に転属した73系は、クモハ73355と、関西由来で詳細が不明なクモハ73007以外、昭和28年になってからの改造で、貫通扉の戸袋窓が整備されていた車なのですが、クモハ73355は「企画室コン」の「首都圏の72系」で、「貫通扉が未整備」との記述がありました。このため、1両単独運用では、「貫通路の締切が出来ない」(もしかしたらクモハ73007も同様)という問題が発生したと思われ、もしかしたらMc単独運用には入らないように考慮されていたかもしれません。また、クモハ73形では、クモハ73355だけが2段窓改造(クハ16219の部品を利用か?)されたのは、「貫通扉が無いことに対して貫通扉取付を併せて行ったため」である可能性も考えられます。
 写真中央と下は、47-3改正直前の3両編成を表現したもので、中央はBONA FIDE PRODUCTSの真鍮キットを君立てた、クモハ73305―クモハ73355-クハ79240、下はTOMIX製品加工のクモハ73361―クモハ73363-クハ79244です。47-3改正までは、ラッシュ時は3両編成2本と2両編成2本が運用に入り、下奥井、城川原、東岩瀬で交換していました。
 
 
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