teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. www(6)
  2. 全力全開(0)
  3. 全力全開(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:10/2552 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

モハ72018,042の前後の変化

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年10月14日(日)13時39分43秒
  通報 返信・引用
  34036さん、皆さんこんにちは

モハ72000台の「方向」で、もっと変な例として、モハ72018とモハ72042があります。
 確か2010年頃の話題ですが、モハ72018は、昭和45年頃までは、偶数向きで、前位にパンタグラフがある、典型的な偶数向きのモハ72(最近ではRP17-11号P43掲載の写真)でしたが、昭和50年の芝生さんの写真では、エンド標記が前後で書き換えられると共に銘板が反対方向に付け替えられ、「奇数向きだがパンタが後位にある」形態に変わっています。さらに、昭和45年から50年の間に「エンド標記が1,2,3,4位すべて書き込まれた状態」、エンド標記はひっくり返ったが銘板がそのままの状態」が挟まっています。なお、モハ72018はドアコックの位置が、原型では、「車番表記の後位」にあって、逆向き車を含む一般のモハ720-00台全金更新車とは逆だったのですが、エンド標記が書き換えられた結果、他の車と同じ「車番表記の前位」に変化しています。
 モハ72018は、方向の変化が固定したのですが、モハ72042は、昭和47年の元関西旧国利用者さんの写真ではエンド標記がひっくり返っているのですが、こちらは昭和50年ごろにはエンド標記が元に戻ったらしいです。
 当時伺った話で、モーターは前からナンバリングして管理されているため(客用扉が前から後ろにナンバリングされているのに類似)、エンド標記を書き換えただけでは、モーターの管理に問題が出ることがありえ、他にも前後が変化するとメカニカル的にいろいろな変化があるとのことで、モハ72018,042については、「前後を書き換えることでメリットがあった」のかどうか、よくわからないとのことでした。

 モハ72110の特異な形態については、吹田工場の独自の鋼体化工事の方針が関係する可能性が有ります。これも以前のこの場で寄せられた情報なのですが、吹田工場の鋼体化工事は大井工場他の工場とは異なって、「できる限り元の部材を生かす」方針だったそうです。これが、前位の2連窓の位置がモハ72原型時代の扉に寄った形態(モハ63に由来する位置)だったこと(他の工場は後位の窓と同様に妻に寄った位置(中央で線対象の位置)に移設されている)、クモハ73形では、正面窓の位置が少し低い(クモハ73359で明らかなように、ヘッダーの位置をかわしたため)等の特徴が出ています。このため、逆向きの車体をそのままにして、パンタ配管を奇数配管にレイアウトしなおして、一般的な奇数向きのモハ72に近づけようとしたことが考えられます。ただ、「この工事をするメリットがあった」かどうかは不明で、1両だけに終わったのは、「工事が大規模な割には効果が少なかった」と判断された思われます。ただ、「逆向きの中間電動車」が存在することを問題視する考え方が続いており、これが後のモハ72018とモハ72042がエンド標記がひっくり返されたことに繋がることが考えられます。

上信電鉄への国鉄からの直通列車について
 上信電鉄より10月6,7日の日比谷公園の鉄道の日イベントから「創立120周年記念写真集」が発売されました。10月13日の高崎車両センターのイベントで購入したのですが、この中に国鉄からの直通列車「あらふね号」の写真がありました。昭和36年の撮影で、1次車が先頭の写真と、0番台末期車が先頭の写真の2枚が掲載されています。上信電鉄への直通車は、RF誌の80系電車の連載記事でも紹介されていました。ただ、「いつまで運転していたか」は不明で、秩父鉄道への直通列車が「みつみね号」の愛称で115系になってからも運転していた(確か昭和60年頃か、JR移行直前まで)のに対して、それよりも早く運転が終わっていたと思われます。
 
 
》記事一覧表示

新着順:10/2552 《前のページ | 次のページ》
/2552