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返)木製車の闇

 投稿者:34036  投稿日:2018年 8月 5日(日)16時52分1秒
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  こんにちは、連投になりますがお許しください。

最初に、直前の拙稿で

>2.鉄道会社の手帳にそのような説明がされている

と記しましたが、「鉄道会社の手帳」ではなく 「某車両メーカーの手帳」でした。
お詫びして訂正いたします。



73おやぢさん
>木製車の闇 (8/3)

国鉄電車発達史にも説明がありますが、
大正中期製の電車は中央・山手用:50馬力、京浜線用:105馬力で、

 50馬力 デハ23400 →(デハ23450)→ デハ23500(後電装解除してクハ15)
105馬力 デハ33400 →        → デハ33500(後のモハ1)

のように進化していきますが、両線用とも、車体自体はほぼ同規格で作られたんですね。
(但し後者は台車が大型で、前者輪径864mm、軸距2184mmに対して後者914mm、2438mm)

デハ23450形は両数も6両のみで少なく、デハ23500形に移る試作なものと解説されています。
デハ23500形とデハ33500形から一大変化があり、デッキ風というか車端に入り口があるタイプをやめ、
側扉も910mmから1100mmへ。
(デハ63100形初期車でなぜ昔に戻って914mmが採用されたのかはよくわからないようですね)
で、このデハ23500形とデハ33500形から、前面に貫通扉、それも非常に狭い430mm、を設置したのですね。

で、これに関して「木製国電略史[Ⅳ]」に次のような解説がありました。

Ⅳ-9 デハ23500形 の項
<前略>但しこの運転室は現在の概念とはやや異っていて、後方の仕切りのない部分はH棒式で運転士は相変わらず中央にいて狭い貫通扉ごしに運転していたのである。この中央運転席は後クハ15時代にも未改造車があったので、器具が二分されていて運転しにくいと不評を受けたこともあった。<後略>

とあります。デハ33500形の項にはこうした説明がないのですが、おそらく同じだったのではないでしょうか。
前面両側の窓は、もっと外側に振ればいいように感じますが、異様に中央よりなのは、
430mmという非常に狭い貫通扉とともに、こうした運転台位置の事情によるのかもしれません。
しかしそれでは何で貫通扉が必要なのか? についてはわからないですね。


なお、上にあげた「864mm」の数字はデハ23500の形式図 EC0302 では「866mm」となっています。デハ23400の形式図 EC0370 などでは864mmで、864mmが正しいのではないかと思います。


すぎたま様

前にモハ10型初期車の側扉寸法の910mmの数字の出どころは? の質問を挙げておられましたが(6/23)、
これはジャスト3フィート(3'00'')=914mmからきているんですね。
ちなみに864mm =2フィート10インチ(2'10'')。
これらはのちにメートル法の採用に伴って、切の良い 910mm、860mmに移行しました。
国鉄電車発達史 Ⅰ 創業期 9 標準型車両 p.36 に「メートル法採用による車体主要部分寸法の変更例」が出ています。
 
 
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