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「制御車」「付随車」の誕生と用語の変遷について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 8月 4日(土)09時21分32秒
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  皆さんおはようございます

電車の「制御車」と「付随車」の記号に関連して、国電で最初の「制御車」と「付随車」について調べてみました。
 付随車に関しては、「甲武鉄道」の時代に既にMTM運転が行われており、機能的にも「付随車」が存在した(旧型国電車両台帳 院電編 P4の写真など)のですが、この車輌については「普通の二軸客車を転用した」という記述がある以外は詳細が不明です。
 制御車については、四輪電車の末期に院電増備に伴う機器転用で付随車化、制御車化が行われたとの記述がありますが、どの車が改造されたか不明瞭なようで、「旧型国電車両台帳 院電編」の履歴簿でも、どの車が改造されたかの記載はなされていません。また、これとは別に全部が制御車の新形式もあるのですが、「デ989形」と記号の区別は行われていません。
 この時期の符号の付け方は「旧型国電車両台帳」P422以降に記述があり、「デ」の記号は明治44年の車輌称号規定より始まることが記述されています。この後、大正3年4月7日の通達で、「附随客車」として「トデ」の記号を定められており、これは6400形(ナトデ6400号車、大正3年6月22日落成)登場のために記号設定の必要が出たためとのことです。この時、文章記述は「附随客車」となっているのですが、制御装置が付いており、現在の言葉では「制御車」に相当するものです。
 「ナトデ6400号車」だった期間は極めて短く、大正3年8月29日の通達で、電車の記号体系が大きく変わる変化が起こりました。重量を示す「ホ」「ナ」等の記号が削除され、同時に客車を含めて客室のグレードを示す「イ」「ロ」「ハ」が加わりました。この時に「電動機を有せざる電車は記号「ク」を付ける」ことが定められました。6400形の2号車はこの通達(発表よりも前に”内示”された時か)後に落成したため、「クハ6401号車」として落成(大正3年8月4日落成)しています。
 「制御車」と「付随車」が分離されたのは、大正6年9月1日の通達で、「電動機を有せざる電車は記号「ク」」の後ろに(制御器を有するものに適用す)の注記が追加され、その次に「「サ」(制御器を有せざるものに適用す)」がさらにくわえられました。これにより、「付随車」だった「クロハ6190~99」が「サロハ」、「クハ6410、6420~23」が「サハ」に変更されました。
 この変化を見ると、用語としては、「付随車」のほうが先に誕生しているのですが、その理由は「モーターが無い」ことによるもので、制御装置の有無は当時は考慮されてなく、その後制御装置のある「付随車」と制御装置の無い「付随車」に分化したために、区分のため、制御装置の無い付随車を分離した、という変化をたどっているのですが、符号では「ク」のほうが先に誕生し、「サ」が後から設定されたことになります。
 「ク」「サ」の記号の由来ですが、当時はモーターと制御装置の両方の有る車が「基本」であったことを考えるとしっくりくるのではないかと思います。「制御車」「付随車」ともに「電動車」にぶら下がって走るもので、最初に誕生した「ナトデ6400号車」の記号を定義するに当たって「電動車にくっついて走る車である」と解釈され、これを象徴する文字として「ク」が考え出されたのではないか、後に狭義の「付随車」が誕生した時、「1両の電動車にくっついて走る」ことができないもので、「2両の電動車の間に”さしはさむ”ことで初めて走ることができる車である」と解釈されて、これを象徴する文字として「サ」が考え出されたのではないか、と解釈できます。考えとしては、非常に日本語的、あるいは「仮名文字」的なものと思われます。
 「制御車」が「くっつく」とされたことですが、当時は制御車を先頭にして営業運転をすることがあまりなかったことも関係すると思われます。これは大正末期から昭和初頭の、国電が発展してからの話になるのですが、「制御車は増結運転の中間封入側の車として使うのが一般的で、営業運転で先頭には立たなかった」との記述を見たことがあり、制御機器の使い方はいわば「回送運転台」のような使い方をされていたようです。横須賀線のクハ47型が典型的で付属編成専用で、営業運転では常に中間に入っていました。このため、「制御車」を使って編成を「制御する」というイメージよりも、制御車は「電動車にくっついている」イメージの方が強かったと思われます。

 「ク」が「駆動する」との考えですが、電車が発展してからの考え方のように感じます。すなわち、前納さんが昭和40年代にこの記述があるとの報告をされていますが、「電車が大きく発展した時期」であることが注目されます。この時には電車の長大編成化によって、編成の構成が大きく変わっており、「電動車」は「中間電動車」が増加して、「制御電動車」を分離する必要が生じましたが、「制御車」の位置づけも大きく変わっており、戦前の省電の「電動車の付属物」との位置づけから、「編成全体をコントロールする存在」に位置づけが大きくアップしており、この見方から「ク」は「編成全体を制御する存在」としての意味があるのではないか、と考えられ、類似の用語から「駆動」が見つけ出された、と解釈できます。
 「駆動」の言葉の位置づけは73おやぢさんも考察されていますが、私としても「自動車」のイメージ(前輪駆動、後輪駆動の用語など)が強く、昭和40年代はモータリゼーションが進展した時期で、自動車関連の用語が一般化した頃でもあると思われるので、「クは駆動」の考えが発生した時期としてもぴったりと考えます。

「幅の狭い扉」について
73おやぢさんの「院電の前面扉」の幅のお話を見て、蒲原鉄道モハ11形の「誰も通れない乗務員扉」を思い出しました。蒲原鉄道モハ11,12はワンマン運転を始めるに当たって、乗降扉と前面窓の間の「隅柱の部分」に強引に乗務員扉が付けられたため、異様に幅が狭い(40㎝程度)ため「誰も通れない扉」と呼ばれていました。なお、現在保存されているモハ11は「誰も通れない扉」を撤去してこの部分は原型に復元されています。
 
 
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