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J-train2018年春号より、昭和30年代末の飯田線など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2018年 2月23日(金)01時34分57秒
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  皆さんこんばんは

2月発売のJ-train誌の「電車区訪問記」は飯田線の豊橋機関区でした(P143~)。
 本文中にもありますが、訪問は昭和38年の1回で、昭和50年代にも訪問しているとのことで、紹介されている写真は昭和50年代のいわば「見慣れた」写真が多く、昭和30年代の写真は少ないです。時期的には「2代目快速色」の頃で、青とオレンジの2色塗りで、幕板にも青塗装が入った頃に相当します。この中で、P147に番号不明のクハ47050台の写真(1963年9月1日、豊橋駅で撮影)があるのですが、奇数向きで、乗務員扉横の手すりが73型以降の天地が短い簡素な形であることと、幕板の手すりの位置が少し高いことから、「クハ47071」と考えられます。クハ47071は1959年3月に芝生さんが撮影しており、この時は助士席側の前面窓が2段式だったのですが、J-trainの写真では1枚窓になっています。このため、1959年から63年の間に助士席窓を1枚窓にするとともに、中央窓の下辺に静鉄形の通風器を付ける工事が行われたことになります。

他の記事では、前納さんが長らく手がけてきた205系の紹介が、今回の日光線、宇都宮線205系で最終回となり(P98~)、同時に新潟地区の115系の紹介も手掛けておられます(P68~)。
私としての注目は「客車列車の編成」(P3~)で、昭和20年代から50年代までの客車列車の編成記録が紹介されています。昭和20年代では、まだ木造車が入っていたころの客車普通列車、昭和30年代ではブルートレインの前身となった特急の一般型客車で編成されていたころの編成、昭和40年代では上野駅でも若干見られた客車普通列車、50年代では終末を迎えた上野発の客車普通列車などが紹介されています。

小田急クハ1651~53の車体について
すぎたまさん
 RM162号の碑文谷工場のクハ1650型車体の写真を改めて観察し、ご紹介の特徴を確認させていただきました。「クハ1653」の決め手ともなった「ドア上の水切り」も確認できました。

琴電に行った当時の京急の車はRP93-4増刊号(特集、四国の鉄道)で譲渡時の木造のままの頃(元クハ5100形7両と元デハ113の20型、RP162号の碑文谷工場の写真の頃、1958年よりかなり前の1948年のいわゆる「供出車」)の写真があります。また、クハ120形は、だいぶ後の1962年に改めて琴電への譲渡対象になり、鋼体化されています。この時にドアの位置と半円形の前面をそのままにして貫通扉が付けられたため、運転席が片隅の三角形のスペースに押し込められて、かなり狭い運転室になっています。これら元京急木造車の中から近代的な車体に鋼体化された62,65が平成まで残り、確か62がどこかに保存されていたと思います。
 
 
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