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上田の5370形は

 投稿者:すぎたま  投稿日:2018年 2月22日(木)16時57分56秒
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  原口さん、みなさんこんにちは。
2/10の投稿からだいぶ時間が経過してしまいました。すみません。

それで、RM誌162号60ページの写真から、意外とすんなり上田交通(当時)のモハ5370形のタネ車は確定しました。
まず、記事中でモハ101と仮番付番された車は、クハ1651の旧車体ということになっていますが、これは60ページ一番下の写真2枚(左が2-4位、右が3-1位)から、トラス棒が無く、前後のドア下に鉄板+リベット多数による補強が無いことから、少なくとも1652ではありません。よってこの車は、目撃証言と車体に1651の文字を消した跡があったという証言記述から1651で間違いないでしょう。そうするともう1輌が1652か1653かということですが、1652は私が紹介した写真にもありますように、東急車輌には運ばれたものの、碑文谷には行っていない様子ですし、もっとも決定的なのは、
●60ページ写真で2輌分の車体が並んでいて、腰板から下の塗色が異なるように見える写真の、右側の車体ドア上に水切りが見える
●61ページ写真で、上田交通上田原電車区で工事が行われているモハ102号(仮番号)の台枠補強位置が1652号と合致しない
●小田急旧クハ1653には、ドア上に水切りが唯一存在していた
…という理由により、
モハ101号(仮)=1651号=モハ5371
モハ102号(仮)=1653号=モハ5372
1652号=東急車輌詰所
となったのは決定的かと思います。

車号は上のような感じでいいのではないかと思いますが、原口さんご指摘の「特急色様の色に見える写真」については、小田急旧クハ1651から1653(台枠は省雑形客車)は東急車輌で、台車だけ利用し(雑形客車から流用してない別の釣り合いバリが太いTR11台車)新クハ1651から1653になり、旧車体が2輌分碑文谷に運ばれた(上で検証したように旧1651と1653の車体)わけですが、東急車輌から碑文谷(東横車輌)に転送される際に、仮のさび止め的塗装をした可能性と、あるいは腰板のみ塗装をし直し、それがフィルムの感光特性や、撮影時の光線状態から違った色に見えるのいずれかではないかと推察しました。

輸送時のTR10台車について。これは明治44年式ではありませんでした。写真で見る限り、軸箱守左右が斜めに切れ上がった形状では無いので、TR10で間違いないでしょう。さすがに信越線を行くのに、明治44年式で昭和33年に走るのは無理があったのと、碑文谷工場の持ち物の明治44年式を借りるわけにもいかない事情があったのかもしれません。
碑文谷の明治44年式台車は、同誌58ページの東急サハ3363号新製車体が仮に履いているのが見られます。

アライアンスの「上作用」自連が装着と同誌にありますが、これは元のものがシャロンやアライアンスの「下作用」でしたので、これも貨物列車連結のため仮のものを付けて発送した様子がうかがえます。どこの持ち物なのかわかりませんが…。

小田急旧クハ1652号は、元台枠に損傷または変形があったのか、電車に改造時すでにトラス棒を残し、クインポスト部に枕木方向へ太いチャンネル材の補強を2本入れ、さらに枕梁部に外からあて板をして、大きなリベット多数で止め、大がかりな補強をしています。元台枠の状態が、あまり思わしくなかった様子が見て取れますが、それらが他車とかなりな仕様の違いになっていて、ただの詰所になったのだと思われます。

京急クハ120形は、高松琴平電鉄への譲渡車にはなりませんでした。これも碑文谷で、京急クハ140形→東急クハ3140形になったものを工事したそうで、同誌163号に写真などの記載があるようです。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 
 
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