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回送経路の関係?

 投稿者:前納浩一  投稿日:2021年 7月25日(日)15時20分56秒
返信・引用
  原口さん、みなさん、こんにちは。
仙石線車両に関する興味深い情報ありがとうございます。

ひとつ考えられるのは、陸前原ノ町電車区から郡山工場への回送ルートの変更が理由ではないか、ということです。
正確な時期は未確認なのですが、昭和40年代末期頃に回送ルートの変更が行われています。
従前は、仙台駅構内に仙石線と東北本線を結ぶ連絡線があり、そこを通して回送されていました。
その後、東北新幹線建設工事に絡み、仙石線と東北本線の連絡線が撤去され、回送は石巻経由となりました。遅くとも、昭和51年夏には変わっています。その時に陸前原ノ町電車区を訪問して聞きました。

直接的な理由(回送車の前後を牽引車で挟む方式から、進行方向後ろにぶら下げる方式に変えたなど)は不明ですが、時期的に、この「回送ルートの変更」が影響していることが考えられます。(石巻構内での入換作業が関係しているのかも知れません。)
 
 

仙石線旧形国電の「標識灯掛け」取り付けの時期

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 7月24日(土)17時53分19秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

久しぶりの旧形国電製作として、仙石線のクモハ54、クハ68形を作ろうと思い立ったのですが、仙石線の旧形国電の特徴ともいえる、郡山工場、盛岡工場への回送時に用いられる「標識灯掛け」の取り付けが、旧形国電の「末期」になってからだったことに気づきました。
 芝生さん、田中さんの仙石線訪問は1974年以降なので、全ての車の前面裾に標識灯掛けが付いていることが確認できますが、「最盛期の国鉄車両」等の福原氏の写真は1970年頃の撮影なので、標識灯掛けが付いていません。間を埋める写真として、HP「山梨・甲府の陶芸教室/北杜の薪窯 道楽窯」中の「鉄分補給」に、主に1970年代の鉄道写真が紹介されており、その中に1973年夏の仙石線の訪問(記事名は「1973年夏 仙石線 塩釜付近」)の写真があります。この中の73系、クモハ54、クハ68形の写真では、標識灯掛けが付いていないことが確認できます。1974年8月に田中さんが仙石線を訪問しており、この時は標識灯掛けが付いているので、標識灯掛けは1973年夏から74年夏の間の1年の間、おそらく短期間に一気に取り付けられたことになります。従って、これより前に転出した飯田線のクモハ54007は、標識灯掛けを装備したことは無く、後に転出したクハ68062は、福塩線の青20号塗装になってからも標識灯掛けが残っていました。
 

豊橋鉄道田口線からの直通車:RM Library 254「豊橋鉄道田口線」より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 7月22日(木)10時11分20秒
返信・引用
  皆さんおはようございます

RM Libraryの最新号(No.254)「豊橋鉄道田口線」が発売されました。
 田口鉄道(豊橋鉄道田口線)は、社線時代から国鉄時代の飯田線と関連して、歴史、車両史が語られることが多かったのですが、単独で特集されることは少なかったものです。
 見どころはやはり「車両」で、表紙は田口線末期の2色塗り時代のモハ15(1965年3月9日、本長篠駅で撮影)で、「ベージュとマルーンのツートン」が鮮やかな写真は、珍しいのではないかと思います。また、この写真では、モハ15が、以前のこの場でも何度か話題になった、「ジャンパケーブルを箱に納めている」のが確認できます。田口線の車は豊川分工場で検査をしていることもあって、車体側のジャンパ栓納めは、よく見る形のジャンパ栓納めになっている車が多いのが、本文の写真でも確認できるのですが、そのような状況の中で、昭和40年にもなって古い形のジャンパ栓納めを残しているものとして、注目されるものです。

 直通列車は、飯田線の列車に併結されていましたが、P29の流電クモハ52形と連結された写真が興味深いものです。同写真は1958年に豊橋―船町間で撮影されたもので、田口線モハ37がクモハ52(記載は有りませんが、52001)-クハ47100台の2両編成と連結しています。流電は、「飯田線快速色」の幕板も塗り分けたバージョンです。当時の飯田線快速は、クモハ52形の間にクハ47100台を挟んだ2両編成(鉄道コレクションの「飯田線快速色」の編成)で、2両編成に分割できるようになっていますが、実際に2両編成に分割して、普通列車の運用に入っているのが撮影された写真は珍しいのではないかと思われます。

 田口線の廃止後、モハ36~38は渥美線に移籍しましたが、その中でモ1713(元モハ38)は、2段窓の上段窓が「Hゴム支持」になっていたことが記述されています(P42)。「バス窓」のような外見ですが、サッシ窓なので、構造的には「バス窓」ではなく、小田急1800形(後の秩父800形)のHゴム支持の窓と同じものです。
 豊橋鉄道の車は、渥美線では独特な形のシールドビーム2灯が有名でしたが、田口線の最末期にも、田口線の車で工事が施行されており、P38に後の保存車のモハ14がシールドビーム2灯になっている写真が掲載されています(1968年8月撮影)。1966年撮影の写真ではまだ白熱灯1灯なのに対して、1968年の廃止の頃の写真では、シールドビーム2灯の車ばかりになっているので、短期間で一気に前照灯が交換されたようです。

 田口線の車は、モハ14が「奥三河郷土館」に保存されていたことが知られていますが、今年になって奥三河郷土館が移転し、モハ14も移動したことが報告されています(P38)。ちなみに、前照灯は白熱灯1灯に戻されています。
 

飯田線を走った貨物列車:JNMAフェスティバルに関連して

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 7月11日(日)01時28分36秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

先週の日曜日(7月4日)、JNMAフェスティバルが久しぶりに開催されました。最近は模型では貨車に注目しており、JNMAで購入した製品を使って、飯田線に関連した貨車を作ってみましたので紹介したいと思います。

 写真上はホキ5700形セメント専用ホッパ車のバリエーションです。ホキ5700形は、KATOから、以前に飯田線の貨物列車セットとして発売されましたが、最近になって別個に8両セットが発売になりました。KATOで模型化されたのは、上のハッチが中央の第1個、両側の小2個の組み合わせのタイプなのですが、これを「大3つ」にする交換パーツを「とまれみよ」より発売しており、これを購入して、ホキ5700のバリエーションを作りました。
 KATOより発売された製品の原型は、左下の車で、「ハッチが大1小2」の他、誘導員手すりが、「山型(中央側が斜めになっている)」で、前位(手ブレーキの反対側)が山形手すり4つになっているものです。実はこの形態は意外と少なくRM Library 141「有蓋ホッパ車のすべて(下)」の補機5700形の記述の中では、Lot26(55701~710)、Lot28前半(55717~55748)の合計42両だけです。KATOで発売されている製品の車号は全てLot28前半のものです。
 ハッチが大1小2なのは、Lot20(35795~799,45700~714), Lot22(45721~45750), Lot25(45761~799,55700),Lot26(55701~710)、Lot28前半(55717~55748)の合計132両です。この前後の番号はハッチが大3で、Lot14(25768~797)(左上)、Lot29(65700~739)(右下)から番号を選びました。
 ハッチの他、手すりも変化をしており、Lot25までは誘導員手すりが門型(両側とも垂直)でした。ハッチが大1小2のグループからは、Lot25から番号を選びました。また、最後のLot29は、前位妻の手すりが、保安対策のために柵形に変わりました。このグループから車号を選んでいます。付け直した手すりは全て0.3mm径真鍮線で表現しています。この手すりの変化のため、単純に「とまれみよ」のパーツを用いた場合、該当車号はLot28後半(55749~785)の32両になります。
 常備駅は大部分が秩父鉄道の武州原谷駅ですが、一部三ヶ尻駅のものがあり、書き直しを行っています。三ヶ尻駅の開業は1979年10月で、それ以前は私の地元でもある籠原駅が常備駅でした。このため、流電と時代を合わせるには、「三ヶ尻駅常備」から「籠原駅常備」に書き直す必要があります。

 写真下はLPガスタンク車で、今回「タサ5700形」を製作しました。タンク体は、TOMIXのタキ25000を1両分とタキ5450を2両分で、タキ5450のタンク体2両分を組み合わせて長いタンク体を作り、発生した鏡板をタキ25000にあてがって、「ジャケットが巻かれたタンク体」を2両分作りました。台枠はTOMIXのタキ25000を2両分で、前位の柵形手すりを撤去して山型手すりを4つ取り付けました。タキ25000は、最近発売されたKATO製品では、ボルスタ付近の「ジャッキ受け」が表現されているのですが、TOMIX製品では表現が簡素で、むしろ古いタイプのジャッキ受けに形が似ているので、古い形式であるタサ5700形を表現するには好都合です。
 上はゼネラル石油のタサ35773で、この車は飯田線内での写真が見つかったので、番号を選びました。台車はTOMIXのホキ800用のTR41Cに交換しましたが、この車は厳密には枕バネをオイルダンパに交換したTR41Dを装備しており、台車は代用しました。
 中央は飯田線とは縁が無かったと思われるのですが、岩谷産業のタサ25755です。この車は最後に残ったタサ5700形で、水島臨海鉄道を拠点として、恐らく山陽方面で使われていました。
 下はKATOのタキ25000形を加工したもので、丸善石油のタキ25132です。これらの車の社紋と社名板は、Adobe Illusutratorで製作し、印刷可能なデカールシートに印刷して表現しました。
 

更新修繕のタイミング?

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 6月19日(土)10時53分56秒
返信・引用
  新参者さん、皆さんおはようございます

 少し前にお話のあった房総急行165系の地下対応見送りは、房総の165系が185系の中でも末期の車で、昭和47年時点でも新製から数年くらいだったので、大規模に手を加えるのを見送ったからではないか、と考えてみました。東京地下駅完成と、これに伴う房総方面の優等列車の運行計画がいつ定まったか(183系の製造予算認可とも関係?)は情報が無いのですが、「急行は両国、特急は東京」と住み分ける計画があって、房総急行電車化では在来構造での新製の方針になったかもしれません。
 一方で、先日話題にさせていただいた「更新修繕の機会」は、武蔵野線の101系1000番台が該当するかもしれません。武蔵野線の電車運転の計画時は、72系アコモ改造車の計画もあったことを話題にさせていただきましたが、101系1000番台は、101系の中でも車齢の高い車から種車を集めたため、101系置き換えの過程で、「車齢の高い車が集まる結果になった」という記述を見たことがあります。昭和50年基準で、101系量産車の一番古い車は車齢が17年になり、大規模修繕の機会にもなるので、「武蔵野線開業」という大プロジェクトに合わせて、A-A基準対応の「101系の大規模修繕」を行なったと考えてみました。

サロ165等の下降窓ですが、少し前にこの場で「下降窓は、窓収納部の水抜き穴の保守等、こまごまとした保守が必要」との話がありました。現在の冷房の水抜きの水垢のつまりと同様に、水垢の沈澱が著しいと思われるので、「水抜き穴の詰まり」に現場では苦しめられたのではないかと思います。
また、昭和30年代から40年代は「酸性雨」の環境問題が深刻だった時期に相当します。新幹線関係の記事で見たことがあるのですが、新幹線開業からしばらくたったころに「レールの絶縁不良」が頻発し、レールにいろいろと水を吹きかけて現象を再現する実験を行ってもどうしても再現できなかった、という話があり、当時は酸性雨が表面化した頃で、工業のばい煙の規制が起こる前(硫黄酸化物規制のための「硫黄の回収」が義務化されたのは確か1968年)だったので、現在(記事の執筆時で1990年代)よりずっと酸性雨が多かった影響ではないか、としていました。サロ165のユニット窓化は首都圏が活発で、他の地区では珍しかったことや、キロ28のユニット窓化は関西で多かったことは、当時の重化学工業地域の分布とも関係しているかもしれません。
 

ありがとうございます

 投稿者:新参者  投稿日:2021年 6月17日(木)00時27分37秒
返信・引用
  原口様

いつもの変な疑問に対して、よくぞ調査していただきまして感謝の言葉もありません。

JR化以降に、165系がキーストンプレーの補修そこから上を全金更新、455系、58系が木根太
の金属化とそれより上を全金更新ということですね。

国鉄時代の特保ではそこまで行っていない(当時の財政状況を考えれば納得ですが・・)。
とすれば、地下サロ改造の結果から1972年度の485,489では木材追放はされていないと
考えてよさそうですね。

気になるのは、直流型の腐食(サロ窓含む)度合いが、交直流型のそれと比べて進んで
いるように思えるのですが。車齢も被っているのが多数いるし、電蝕かなぁ・・。
使用線区の降水量や塩害?
 

特別保全工事と車両更新工事の床構造に関するメニュー

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 6月13日(日)23時16分52秒
返信・引用 編集済
  すぎたまさん、新参者さん、皆さんこんばんは

車輌の床の構造について、「大規模に手を加える機会」は、「車両の整備に関係する大規模なプロジェクトの実施の時」ではないか、と思い、新性能車では最初の機会と思われる、「特別保全工事」と、JRになってからの「延命工事」または「更新工事」の、床に関する工事内容を調べてみました。車両は、「急行型」に注目し、165系(RP94-3号)、455系(RP96-4号)、キハ58系(RP00-6号)での記述を見てみました。

 特別保全工事の床に関するメニューは、キハ58系で、「床鋼板(出入口部)補修」「全面塗床施工(ただし、キハ27、キハ56形式は耐水ベニヤへの交換)」とあります。キハ58系の場合、新製時の普通車の床敷物は「ネオプラスリウム」、グリーン車は「リノリウム」、北海道用は「床鋼板の上に木根太を置いて木板張り、キロ26形のみ、客室は合板の床にリノリウム張り」と記述されており、北海道用以外の車は共通で、「在来の床敷物を撤去して、床材を塗布」、北海道用は「短冊の木板を撤去して、耐水ベニヤを改めて敷き詰め」だったと考えられます。このため、北海道用の車は、先日紹介の小樽の保存車のような「短冊張りの床」からかなり印象が変わったと思われます。

 特別保全工事では「木根太」に関する記述は無かったのですが、JR東日本の更新工事では、165系では「床は床鋼板の補修を行い、耐水ベニヤをやめ、金属化を図り、床仕上げ材の貼り替えを行った」、455系では「床材の更新(木根太は金属化)」、キハ58系では「床材を金属製に更新し、床敷物を変更(RP00-7号)」とあり、「金属製への変更」の記述が共通で、「木根太の金属化」の記述もありました。このため、木根太まで交換するような工事は特別保全工事では行われず、更新工事になってから手が付けられた、と解釈できます。
 

RE:14系は

 投稿者:新参者  投稿日:2021年 5月21日(金)23時23分50秒
返信・引用
  すぎたま様 こんばんは。

12系、14系とも木材追放は北陸トンネル火災以降なんですね。
寝台車は大改造したのだろうか・・。
全検の時に寝台部を含めて総バラシするので、
その機会を使って不燃化したのだろうか?
サロ110-1000、165系(ATC化があるにせよ)の不燃化が
不活発なので、スハネフ14のみ不燃化だったのかなぁ。

1972年度の485,489系は年明け(1973)以降は
全金化されてるかもしれませんが、サロ481、489
のうちサロ110地下型に改造されたのは、1973年度
以降ばかりなので、1972年度は木材追放が全車に
及んでないのか全く追放されていないのか、
意図的に避けた様に思えます。
 

14系は

 投稿者:すぎたま  投稿日:2021年 5月21日(金)05時48分39秒
返信・引用
  新参者さんおはようございます。

14系客車については、寝台車は落成時は全車木根太、座席車は1973年落成車から金属床になっているようです。
北陸トンネル事故を経て、当然寝台車は全車不燃化改造をしたと思われますが、床をはがして工事したのかなどは資料がなくてわかりませんね。
座席車の遡及改造をしたのかについてもわかりません。しかし、定期運用を持っていたのは寝台車でしたから、座席車で改造されたのは北海道転用車や、ジョイフルトレイン改造車などだけかもしれませんね。

http://princesscomet.net/

 

(無題)

 投稿者:1884  投稿日:2021年 5月17日(月)21時49分26秒
返信・引用
  自由人同盟 埼玉1884 参上
 

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