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ありがとうございます

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2021年 9月10日(金)00時42分43秒
返信・引用
  白い陽さんありがとうございます。

これがまさに関西タイプの塞ぎ板ですね。鶴見線で初めて見た際にあれっ?違うな!と思ったもので

蛍光灯化の時期に関西に在籍してそうな車は73029か72921ですが73029は鷹取で昭和40年に近代化工事をしている全金属車なので該当しません。

結果的に白熱灯で新製された920番台の試作車である72921なのかなと思っております。

関東タイプの丸い塞ぎ板は大宮の鉄道博物館に展示されている40074で見る事が出来ますがこの車は展示に際して蛍光灯と扇風機を撤去されましたが

2列白熱灯跡の丸い塞ぎ板はそのまま残っており扇風機撤去跡に1列の製造当時もどきの白熱灯が取り付けられております。

グロベンと室内側の天井の丸い雨除けの板はそのままで本来はこの位置に白熱灯を付けるべきなのに中途半端な復元に終わっているのが残念に思います。
 
 

塞ぎ板

 投稿者:白い陽  投稿日:2021年 9月 9日(木)15時25分32秒
返信・引用
  クモハ73503さん、浅川隆雄さん。

白熱灯を蛍光灯化した隙間の塞ぎ板、当時はそんなに観察した記憶がなく、何種類かあるとは気付きませんでした。
ただ写真は撮影した記憶があるので、ちょっと興味はあったのかもしれません。

添付のクハ79326は珍しく関東に在籍したことのない車、クハ79920は1960年には関西に転出しており、どちらも関西での蛍光灯化と思われ、仕様も同じですね。
 

塞ぎ板

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2021年 9月 4日(土)03時00分49秒
返信・引用 編集済
  皆さん、浅川さんこんばんは。

四角い塞ぎ板は格子状のギザギザの入った整風金具のような物とただのまっ平らな物と両方ありましたね。

この違いも何だろうと思いました。

関西では金属部分を塗装する件では103系の非冷房車で荷物棚のパイプがステンレスになったグループで天井側のパイプが天井と同じく白く塗装されていたのが印象的でした。

国鉄分割民営化直前になって京阪神緩行や阪和線から首都圏へこれらの車も転属して来ていたので目立っていましたね。

 

四角い塞ぎ板

 投稿者:浅川隆雄  投稿日:2021年 9月 3日(金)11時54分14秒
返信・引用
   四角い塞ぎ板というのは鉄板を格子状に打ち抜いた、整風金具のように見える物でしょうか。これは関西からの転属車によく見られたのですが、関西の改造車がすべてそうだったわけではなさそうです。
 理由は見てくれをよくするためだと思います。そこまでしなくてもと思いますが、関西は金属の剥き出しをよしとしない拘り(アルミサッシを塗装したり、ドア脇の掴み棒も白く塗った例がある)があるようです。
 

旧型国電の白熱灯跡の塞ぎ板

 投稿者:クモハ73503  投稿日:2021年 9月 2日(木)02時46分10秒
返信・引用
  皆さんこんばんは。ご無沙汰しております。

さて私が茶色い電車を72系として興味を持ち始めた小学校高学年の頃親父に連れられて(と言うかねだって)青梅線に乗りに行った頃真っ先に気付いたのが蛍光灯の裏の天井に塞がれている円盤状の鉄板

これ何だ?と親父に聞いたら白熱灯を外した跡だとの事。

大井工場で親父も嫌と言うほど散々やらされた仕事だったでしょうからあまり良い思い出ではなかったかもしれません。

そして気付いたのは全金属車には無い台座の下に蛍光灯が付いているのが元白熱灯の証であることでした。

ところがその後1人で電車に乗りに行くようになってごく一部の車両に白熱灯跡を塞ぐ板が円盤状ではなく四角い物がいることを発見

さらに後年飯田線へ行った際には流電や合の子もこの四角いタイプでむしろ首都圏では当たり前だった円盤状が少数派

やはり工場が異なるとこんな物まで形が違うのかと思ったものです。

恐らく流電、合の子の蛍光灯化は飯田線転入の頃ではないかと思われ豊川分工場か浜松工場なのか?または関西在籍中に吹田工場で実施されたのか?いずれにしても工場が異なると違うものなんですね。

飯田線にいた円盤状の塞ぎ板車は関西から横須賀線へやって来たクモハ42、43、53更に3扉化されたクモハ50が大井工場で蛍光灯化をしたのだろうと思っております。

したがって関東で見た四角い塞ぎ板の72系は関西からの転属車かななどと思ったりしてました。

今の時代ならあの白熱灯が入っているグローブの中身を電球型の蛍光灯やら白色のLED灯に取り替えるだけで済むのではないか?と素人考えをしてしまいますが、家庭用とは違って電車ではそう簡単にはいかないのでしょうね。
 

DT12台車とMT15, 30系列モーター、タキ45000形に見られる「工事の漏れ」

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 8月29日(日)01時29分52秒
返信・引用 編集済
  昔の旧国マニアさん、皆さんこんばんは

DT12台車とMT15, 30系列モーター装架にかんする「強度」について
 DT12台車と、モーターのMT15系列からMT30系列への換装について補足します。

 実は、DT12台車は、モーターを装備する「電動台車」としては、慢性的な「強度不足」に悩まされていました。昭和7年のモハ40系列登場に際して、DT12台車は、ボールドウィン形のDT11台車に代わる、ペンシルバニア型の電動台車として登場しましたが、いきなりモーターの重量に対する強度不足が発覚し、補強が行われました。その後、昭和14年より出力を増加したMT30モーターが登場しましたが、このMT30装架に対しても強度不足が明らかになり、さらに補強が行われました。
 DT12台車の、「モーター装架」の情況を示した図を見たことがあるのですが、MT15系列のモーターは、「吊り掛け」の名の通り、モーターを台車枠と輪軸に渡しかけるようなレイアウトになっているのですが、MT30モーターに対しては、「籠状のモーター受け」を追加し、MT30モーターの大重量を「籠状の受け」で受け止めるようになっています。このため、「MT15系列からMT30系列へのモーターの換装」は、台車枠へかなりの追加工事が必要になるもので、抵抗器のレイアウトの変更や、大出力化に伴う「大電流」への対処等、かなりの大工事になるはずです。
 なお、クモハ42011については、DT13, MT40に変わった末期には、抵抗器のレイアウトが原形の「小6半1」から、クモハ54形等と同じ「大4小2半1」に変わっていることが確認できました。

「訓令による工事の“漏れ”」の例:タキ45000形45574, 575
 工事の指示が出ていながら、「実施されなかった」と考えられる例として、タキ45000形石油類専用タンク車の「タキ45574, 575」を紹介したいと思います。
 「43-10改正」では、貨物列車のスピードアップが行われ、このために「二軸貨車の2段リンク化改造」が行われたことがRP18-7号「特集:43-10ダイヤ改正50年」で記述されています(P28~42)が、実は、「副作用」として、43-10改正直後から、「ボギー貨車の脱線事故」が続発しています。原因は、ホイールベースが短く、重心の高い貨車の、台車の線路への追従性が劣ったためで、昭和44~45年と、49~55年の2次にわたって、「台車改造」が行われました。改造の内容は、TR41台車の側受けの隙間を調整することと、重ね板バネの枕バネをオイルダンパ併用のコイルバネに交換するものです。タキ45000形石油類専用タンク車は、第2次の台車改造の対象となり、枕バネをオイルダンパに交換したのですが、この際、タキ45574, 575が改造されなかったことが確認されています。
 写真はタキ45574, 575の模型で、KATOのタキ35000の長さを詰め、点検蓋、加熱管を追加しました。タキ45574, 575は「キグナス石油」の所有で、1980年代前半に一旦日本石油輸送に移籍したのですが、1980年代後半にまたキグナス石油に戻りました。JRに移行してからは、渋川への石油輸送に長く使われ、「最後の「石油会社が所有するタンク車」」として知られていましたが、2007年に渋川の関東電化工業でのナトリウムの精錬の終了と同時期に廃車になっています。この時に「塩トラ」等の愛称で有名だった工業塩の輸送も終了しています。45574のほうは、渋川への石油輸送の時期を表現して、社紋を1987年に採用された「新社紋」に、45575の方は、キグナス石油発足時(1972年)の社紋の「月に白鳥」として、同時に1979年以前の「化成品分類番号」が無い状態としました。
 台車の工事の訓令が出た時、タキ45574, 575は、キグナス石油の所有だったのですが、同じキグナス石油の所有だったタキ45578は工事が実施されているのに対して、何故か45574, 575は工事が実施されず、これについては、吉岡心平氏も「理由がわからない」としています。このような、「謎の未改造」はタキ5450形にも認められています。
 

短編成では

 投稿者:(株)上村工業  投稿日:2021年 8月23日(月)12時29分7秒
返信・引用
   弊社は、鶴見線安善が最寄りの製造業です。
3両と短編成で、通勤時間帯は、密の短所がございます。
そこで当社は、当面鶴見駅集合後、社用車利用とします。

http://kami-kogyo.co.jp/

 

旧国のモーターとギヤ比

 投稿者:昔の旧国マニア  投稿日:2021年 8月22日(日)18時35分46秒
返信・引用
  原口様  ご丁寧な解説をどうもありがとうございます。
そうすると クモハ42 43 52 のギヤ比については鉄道小辞典の誤記が考えられますね。
飯田線の豊橋電車区と伊那松島電車区でギヤ比の要求が違っていたとは知りませんでした。
どちらも同じ静鉄管内だけにギヤ比などは各電車区によって改造したりすることがあるのですね。これは管理局が決めるのではなくて、各電車区や機関区で行えることですか。
 クモハ51073にはMT15 2.87という組み合わせが存在した可能性があるのですか。
旧国多しと言えどもMT15 16と2.87と言うような組み合わせは他には存在しなかったと思いますが。  クモハ53のMT30 2.87はDT12の台車強度に起因するものなのですね、ベアリング軸受けのDT13と構造が同一と思っていましたがモーターへの台枠強度が違っていたとは知りませんでした。クモハ42011が晩年DT13 MT40 2.87に替わったのは確か72系の廃車品流用と思っていますが、この時には抵抗機器なども変えたのでしょうか?。


 

旧形国電のモーターと歯数比について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年 8月22日(日)01時04分35秒
返信・引用
  昔の旧国マニアさん、皆さんこんばんは

ご質問の「モーターと歯数比」についてですが、私の方では以下のように情報を集めています。

(1)クモハ52003~005のモーターと歯車比ですが、「最盛期の旧形国電1」では、クモハ43800台の解説(P188)のところに、「なお、流電モハは阪和線入線時に歯数比オリジナルの2.04から2.26に落とされていた」の記述があり、阪和線に入った時に変更されたようです。また、クモハ52004について、佐久間レールパークにいた時の現車観察で、モーターはMT16からMT15に変更されていたことが確認されています。

(2)クモハ42のモーターと歯車比は、「国鉄電車形式図集第1分冊」と、「最盛期の旧形国電1」の巻末の表では、全部合わせて2.52になっていました。「最盛期の旧形国電1」の本文記述(P183)では「その後、歯数比を1:2.52に落として008,009,011,013が豊橋区に、001,005,006が宇部・小野田線管理所に転属した」とあります。
 1つの可能性として、「歯数比を1:2.52に落として」という「修飾語」が、「008,009,011,013が豊橋区に」にかかるか、「008,009,011,013が豊橋区に、001,005,006が宇部・小野田線管理所に転属した」にかかるか、という「文法上の解釈の違い」が、クモハ42001,005,006の歯数比が2.26か、2.52か、という解釈の違いをもたらした可能性が有ります。もう1つの可能性として、宇部、小野田線は平坦線区のため、歯数比を上げる必要性が乏しかったため、未改造になった、ということも考えられます。
 なお、クモハ42011は、最末期に台車をDT13、モーターもMT40に交換しています。確か昭和52年のRF誌の「Post」か、RJ誌の「Report」に記事があります。

(3)クモハ43は、「最盛期の旧形国電1」でも、歯数比が2.26で、途中で変更されている記述も無いことを確認しました。また、クモハ51形も、歯数比は2.26で、京阪神地区投入当初は、モハ43系列は2.26の「高速型」、モハ40系列は2.52の「低速型」で、モハ51系列は、モハ43系列に伍して京阪神快速線で使うためか、歯数比はモハ43系列の方に合わせて2.26の「高速型」になっています。この点は、中央線に投入されたモハ51形が2.52の低速型であることと異なっており、後のロングシート化で、関西のモハ51形は形式がそのままだったのに対して、関東のモハ51形はモハ41形に編入される違いにもなっています。
 飯田線で見ると、クモハ43形の足回りはクモハ51形と共通で、むしろクモハ42形の方が異端になっています。この違いは、クモハ42形は豊橋機関区、クモハ43形は伊那松島機関区配属で、豊橋機関区の方だけ、歯車比変更の要求があった(上記(2)での、42008,009,011,013だけ歯数比を変更した説)か、豊橋転属前に歯数比変更済みだった(上記(2)での、全車歯車比変更説)ことがかんがえられます。

(4)クモハ51073ですが、モーターは「謎」で、この場でもしばしば話題になっています。車号も「クモハ50050」に変更する計画があった、という話があります。
 「クモハ51073」となったのは、戦時改造でモハ42011~013を片運、3扉化改造して、「モハ51072~074」にする計画が立てられたのに対して、モハ42012の運転台を片方撤去する工事が行われただけに終わり、「先行してモハ51073に改番された」ことによります。その後、1953年になって、3扉化が行われ、車体構造としては名実ともに「クモハ51形」になったのですが、この時に「モーターをMT30に交換した」という記述があるのが、後述の問題につながります。
 モーターは、「MT30に交換された」とする記述が多い(例えば、「最盛期の国鉄車両1」のP145)のですが、「何故形式を変更しなかったか」については、「1両のみの異端車のため形式は不変であった」(同書同ページ)とあります。いわば、「1両だけ」あるため、「注」を付ければ管理できると考えられた(「注:クモハ51073はMT30装備」のような感じか)ことが考えられます。
 一方、「現車はモーターがMT15のままであった」とこの場で報告されたことがあります。いわば「モーターを換装する」訓令は出たものの、「実行はされなかった」というもので、「訓令の未実行」は多くの車輌で資料と現車との食い違いが発生する原因になっています。クモハ51073も、実際はモーターがMT15であったため、「クモハ51073」の名でずっと管理され、「クモハ50050」への変更の予定も、現車がMT15のままであったため、変更が行われなかった」とするものです。なお、「最盛期の国鉄車両1」巻末の表では、クモハ51073はモーターが「MT15」、歯数比が「2.87」と記載が混乱しています。

(5)「MT30」と「MT40」はモーターの性能としては実質的に同じものです。よく出力がMT30は130kW、MT40は142kWと表現されますが、MT30は、端子電圧が675Vで130kW、MT40は端子電圧が750Vで142kWで、端子電圧をそろえると同一出力です。メカニカル的な違いとしては、MT40は、「内部構造へコロ軸の採用」「フィルターへの馬の毛の使用」があります。MT30への換装は、「予備品を利用した」との記述が、関西(クモハ52001,002やクモハ60150台)、関東の双方にあります。
 歯車比の方は、確かに「2.87」の記述で阪和線と横須賀線で共通でした。これがクモハ53形の3扉改造車が、クモハ54形に編入されず、「クモハ50形」と形式が分けられた原因になったことになります。MT30に対する、「2.87」のギア比は、クモハ60形(MT30交換車ではクモハ60151~163、クモハ61形)と共通で、MT15からMT30への換装は、重量が大幅に増加するため、モーター架台を専用のものに換装するほか、DT12台車の各部を補強する等、けっこうな大工事になり、関東の方では、クモハ54形(歯数比は2.56)が存在しなかったため、クモハ60形用の部品を使ってモーターを換装したことに由来することが考えられます。

私の方でも認識のずれ、間違いがあるかと思いますので、他、情報がありましたら追記お願いします。
 

旧国のモーターとギヤ比

 投稿者:昔の旧国マニア  投稿日:2021年 8月20日(金)16時04分48秒
返信・引用
  この掲示板には旧型国電の巨匠 名人 博士 などの博学博識の皆様方がお揃いでありますので、是非教えていただきたいことがありますので、数年ぶりに書き込みをいたしました。私は昭和30年代からの旧型国電のファンでありますが、ずっと以前から旧型国電のモーターとギヤ比についての疑問があり、未だによく理解出来ないことがありますので、専門家の皆様に是非ご教授願えればと思います、疑問点は下記の通りであります。

① 流電クモハ52は新製の時はMT15でギヤ比2.02だったと思いますが、阪和線と飯田線に転属した時にはMT30 ギヤ比2.87になったと思っていたのですが、これは狭窓流電1,2のみ と言うことが「鉄道小辞典(誠文堂新光社発行)」に載っていますが、そうすると広窓流電3,4,5はMT15ギヤ比2.02のままで 阪和線や飯田線を走っていたのでしょうか、私は全車がMT30 2.87に交換されていたと思っていたのですが、現実はどの様になっていたのでしょうか。
 阪和線も飯田線も25/1000の勾配がありますので、ギヤ比を低速用に落とすのは当然と思っていましたが、2.02の超高速用では25/1000を走るのには困難でしょうね。
(最もモヨ100は2.04の超高速ギヤ比でも150kwのモーターだから勾配も問題なかったのでしょうが流電のMT15ではパワー不足でしょうね)


② クモハ42は関西から横須賀線に転属して、その後宇部小野田線と飯田線に転属しましたが、この時に宇部小野田線に行った1,5,6はギヤ比2.26のままで、飯田線の方に行った8,9,11,13は2.52に変えられているとのことですが、両線ともローカル線で高速で走るような線区ではないのに宇部小野田線の方には何故高速ギヤ比のままで転属したのか、よくわかりません。これも鉄道小辞典ではそのように載っています。 従って晩年はクモハ42は高速と低速用の二種類のギヤ比が存在していたことになりますね。

③ クモハ43は上述のクモハ42と同様に関西から横須賀線に行き その後飯田線や身延線などに転属しましたが、この時に上述のクモハ42と同様にギヤ比が低速用の2.52にならずに高速用の2.26のままになっているのはどうしてなのか、理解できません。クモハ43はクモハ42と同じ飯田線区で使用するのに何故2.26のまま飯田線に転属したのか、また合の子39は2.52と言うことにもなっていますが、何故合の子39だけ2.52にしたのか、これも理解しにくいです。(電車ガイドブックと鉄道小辞典の記載内容によると)

④ クモハ51073はクモハ42の三ドア改造車ですが、この時に両運から片運にも改造されて、モーターもMT30ギヤ比2.87になっていますが、この改造ならオリジナルのクモハ51とは
モーターもギヤ比も異なるのに何故 クモハ51形式を名乗っているのか、全くわかりません。
 このMT30と2.87の性能で車体の形態からするとクモハ50に編入されるべきではないかと思いますが、阪和線から低屋根化して身延線に転属した時にも830台に改版されましたが、51型のままで、何故クモハ50にはならなかったのか理解できません。

⑤ クモハ53は43の出力アップでMT30 ギヤ比2.87に改造されましたが、この時は70系と併結することが前提で改造していたはずです。そうするとこの時には既にMT40が登場していたにも拘らず古い型のMT30方にわざわざ付け替えたのか、そしてギヤ比も70系に合わせるのなら高速用の2.56にすべきではと思うのですが、何故低速用の2.87にしているのか、わかりません。横須賀線東海道線は高速で走ることが前提のはずだと思いますが。

上記のような疑問点ですが、是非 教えていただければありがたく存じますので、どうかよろしくお願いします。





 

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