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中央東線急行のTc単独運用、下川原線など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年12月 5日(日)00時44分58秒
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  すぎたまさん、皆さんこんばんは

 中央東線165系急行の「McM'Tc'Tc'」のTc'を切り離して運用は急行「かわぐち」でした。時刻表の優等列車編成表でも3両編成で、「こまがね」「みのぶ」とは違っていたのを覚えています。また、「みのぶ」は、上りと下りで「アルプス」編成への連結の方向が違っていた(時刻表の編成表では「上りのみ」「下りのみ」の記載)ことも印象深いものとして覚えています。おそらく甲府駅での身延線の配線の関係で、連結方向が制限されたものと思われます。

「警視庁・捜査一課長」で出てきた下川原線の写真について
 BSで見ているドラマの再放送で出てくる昔の鉄道のネタですが、先日見た「警視庁・捜査一課長」の2020年放送の第7回(本放送は2020年6月18日)に「下川原線」が出てきました。下川原線は1976年廃止なので、2020年現在から見ると44年前になりますが、登場人物ゆかりの地として「下川原線」、厳密には、現在「防災公園」となっている「下川原駅」跡が関係するところとして出てきます。この時に、かつての下川原線の写真が出たのですが、出てきたのは「東京競馬場前」行の電車で、「西国分寺駅の5番線(北府中、東京競馬場前方面)に止る101系電車」「クモハ40形」「東京競馬場前の行き先を出す101系電車」の写真でした。クモハ40形は、末期は武蔵小金井電車区のクモハ40071,074が運用に入っていましたが、写真は、番号は解像度が低くてよくわからなかったのですが、2-4位側のドアの形態が前位から「プレスマークのない黒Hゴム1枚窓―2段窓―2段窓」で、クモハ40071の方に形態が合っています。また、1枚目の写真の101系は、パンタグラフがPS13で、避雷器が亀の子型(LA13)なので、かなり前(昭和45年頃より前か?)の写真です。
 
 

高圧母線引き通し

 投稿者:すぎたま  投稿日:2021年12月 4日(土)15時39分49秒
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  みなさんこんにちは。

高圧母線の車体側連結栓が付いている車輌が存在するというのを、不思議と思っていますが、画像で検索して、おおよそ11系400番台を譲受した鉄道はどうなのか、少し見ました。
結果、相鉄と西武、上毛等を見ましたが、西武は運転室側床下に母線カプラーがあるのか無いのかわからない車輌があること、車体にカプラー受けのある車輌は無いようだということがわかりました。
相鉄は、床下カプラーには「母」と書かれたものが存在するようですが、車体側のカプラー受けは見た限りありません。
そのため、国鉄幡生工場で施工されたと考えられている、車体側の母線カプラー受けは、ごく少数例と思いますが、床下にMGでもあったのでしょうか。

母線というと、1500Vの引き通しのことではないかと思いますが、認識合っているでしょうか。
新潟色の70系は、雪対策のためサハやクハでもMGが付けられていたと、何かの雑誌で読んだ気がしますが、そうすると、母線の扱いはどうだったのか??
中央東線165系で、McM'TcTcという編成があったが、クハには110KVAの冷房用MGがあったはずで、当然TcTc間にも高圧引き通しをしていたと考えられるが、まさか4輌目のクハのMGは動作させていなかったのか(容量としては3輌目だけで足りるはず…)など、今から考えてみると謎な存在のような気がします(しかも、当時の鉄道ジャーナルによると、先頭のTcのみ単独別運用だったそうで、切り離したりくっつけたりをしていたようです)。

小田急の9000系は、4連と6連があり、6連のほうはM1cM2TTM3M4cと両端にM車が寄せてありました。M車各車にパンタがありましたが、TTに高圧引き通しを設けるより、当時はM車にパンタを載せたほうが安かったため、そのようにしたそうです。ということはTTには高圧引き通し無しということになりますね。
一方、後継の5200系は、TcM1M2M3M4Tcで、M1にはパンタがありませんし、TcにはMGとCPがありましたが、全車高圧引き通しされていたということなのでしょう。
高圧線の引き通しについては、各社でどのようにしていた(扱っていた)のか、わからないところがありますね…。

http://princesscomet.net/

 

母線取扱いの由来など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年11月13日(土)18時51分6秒
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  皆さんこんばんは

母線および母線納めについて
73おやぢさん
母線についての情報ありがとうございます。
 「国鉄17m級電車」および「私鉄買収国電」の方の写真も確認しました。「私鉄買収国電」の方を当初見た時は、「標準化以前の形態」と漠然と思っていたのすが、買収国電は「買収各線―可部線、宇部・小野田線―富山港線」という移動の大きな流れがあるので、幡生工場との関連があった車両はかなり多いはずで、「幡生工場の関連ではないか」との話に納得です。
 幡生工場となると、買収線区では広浜鉄道、宇部鉄道、宇部電気鉄道が関連しますが、広浜鉄道は直接制御の単行運転で連結運転は省木造車の転入から、宇部電気鉄道はHL制御でこちらも単行運用が主と思われるので、連結運転は宇部鉄道が主だったと思われ、母線の独特な取り扱いは宇部鉄道から持ち込まれたものか、と考えてみました。

仙石線アコモ改造車から103系3000番台への流れ:RP86-2号より
 先日古書店でRP86-2号(特集・115系電車)を購入しました。RP誌での115系電車特集は過去何度か行われていますが、RP86-2号は、その最初のものと思われ、過去交通博物館の図書室で閲覧していたのですが、その後長らく円が無かったものです。同号に103系3000番台の改造から川越電車区への回送が報告されています(P81~83)。アコモ改造車の運用終了から、各工場への回送はRP85-7号P81~83で報告されており、その続編になります。注目の写真が、クモハ102、モハ103、クハ103-3005が、改造された新津車両管理所から川越への回送が、前後に新潟運転所のクモヤ90006,101を連結して行われており(1985年9月27日)、指扇―南古谷間の荒川橋梁を渡っているところが撮影されています(P82一番下の写真)。営業運転として電化開業する前ですが、「旧形国電が川越線を走った」最初の機会ではないか、とされています。他の工場(大宮、大船工場)からの回送は同記事によると自走で回送されているようで、埼京線開業後は川越電車区にクモヤ145形が配属されているので、「川越線を旧形国電が走った機会」は、1985年9月27日および翌日の返却回送が最初で最後になった可能性が高いです。なお、回送列車は、新津から一旦赤羽まで南下し、折り返しています。現在の赤羽駅の配線からは想像しにくいのですが、「山手貨物線で赤羽まで南下―赤羽駅で折り返し―大宮駅で旧川越線ホームに転線―川越電車区へ」の経路でしょうか。当時の赤羽駅は、新幹線(及び埼京線)工事の関連で山手貨物線は単線になっていましたが、「折り返しが可能な信号配置だったか」がよくわかりません。川越線(現在の湘南新宿ライン)11番線は、電化されていたようで、大宮工場から出場した3004編成が入線している写真が同記事P92の中央少し上に収録されています。また、3005編成は、車体への標記が全て白文字で行われ、川越到着後に全て黒字に書き換えた、という逸話が収録されています。
 

母線カップラー

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2021年11月 3日(水)18時01分15秒
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  みなさん、こんにちは。

原口さん
母線ジャンパ(カップラー)ですが、ネコパブリッシング「私鉄買収国電」には、母線の栓納め存置、または撤去痕のあるものが多く収録されているので、社形にはだいぶ施工されたようです。象徴的なのは宇部線へ転じた宮城のモハ2326で、宮城車ではこれだけ栓納めをもっており、幡生の仕業であることが明白です。

一方、省形の栓納め設置は該当する写真が少なく、全体を理解するのはむずかしいです。先の16224は隣に必ず他車が連結される位置ですから、組成作業のさい、いちいちカップラーを運んでくる手間がない、という程度の効果しか考えられません。

保安上問題なのは「国鉄17m級電車」の41ページにある11105(1958年撮影)で、前位に母線カップラーを装着したままです。これから想像すると2・3両目の間は母線が引き通されているのでしょうか。基本と付属、旅客電車と郵荷電などの間は、運用中の増解結作業で母線を扱うことはないはずで、本社の指導が入るのは当然と思われます。

同書では84ページの水島臨海の16418にもありますね。これも16224と同じく台座付きですが、どちらも普通見かける後付け台座より分厚いのは、絶縁に関する何らかの細工がしてあったのかもしれません。もっとも、偶数車2エンドの栓納めは留置中しか使わないので、対策云々は意味ないはずですが。

 

クハ16224の3本目のジャンパケーブルについて

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年10月25日(月)23時46分56秒
返信・引用
  73おやぢさん、皆さんこんばんは

「国鉄17m級電車」P22のクハ16224の「3本目のジャンパケーブル」について、じつは、ちょどこの場で質問をしようと思っていたところでした。
 最初、昭和25年ごろの、床下機器とケーブルのレイアウトが標準化されるまでの過渡期の産物かと思ったのですが、細部形態を見ると、更新修繕2以降のかなり新しい形態であることから、3本目のジャンパケーブルが何なのか予想できず、この場で伺おうと思った次第です。
 写真は撮影日の記載は有りませんが、検査標記が「37-10」と読める(「27-10」のようにも見えるが、ドアがHゴム支持の1枚窓のプレスドアであることや、車番の標記が昭和34年以降のレイアウトであることから否定できます)ことから、かなり後の撮影で、車体側に母線のジャンパ栓納め、しかも台座付きであることから、後から付けられたと考えられることから、車体側に母線用のジャンパ栓納めを付ける工事がかなり後になって行われたと思われます。
 

「国鉄17m級電車」を見て

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2021年10月23日(土)13時03分58秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。
同書を見ていくつか気づいた点のうち、2つ紹介します。

まずは22ページの16224です。2エンドで母線のジャンパが栓納めに装着しっぱなしというのは、きわめつけに珍しいです。たしか本社の指導(要するに叱られた)で使用が禁じられたはずで、古いRP誌(昭和35年の国電特集)にも42形の1エンドで母線ジャンパが栓納めに収容されている写真がありました。ちなみに22150にも母線の栓納めが残っていますね。もちろん東鉄が使用するはずもありませんが。

もう一つは、160ページの弘南クハ1611です。私は各種文献なるものを持っていませんが、たまたま弘南の竣工図がありますので、おそらく文献記載の新旧対照はこのとおりではないかと思います。まず、1610は旧30系、1612は旧西武につき除外すると、50系譲受車の候補は1611、1613、1614の3両ですね。弘南では時系列で付番しているため昭和45年に1両だけ導入した16528は1611が確実で、キャプションはなにかの勘違いのようです。

ところが、その先で新たな疑問が生じました。昭和49年の2両は竣工図で16449→1613、16548→1614となっていますが、形態が合いません。私はこの2両を実見したことはありませんが、後年まで在籍していたためネット画像は容易に発掘できます。その結果、1614はリベット付きシル太と乗務員室の額縁により旧番は16449ですね。つまり真実の新旧対照は16449→1614、16548→1613と逆転しています。しかも旧16548はクロハ出自だがベンチ7個で、仕切りの櫛板撤去(ベンチ復活)車であることも、話をややこしくしているようです。
 

仙石線と福塩線の17m車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年10月17日(日)10時34分35秒
返信・引用
  皆さんおはようございます

引き続き、「写真とイラストで綴る国鉄17m級電車」から情報を紹介したいと思います。

今回、注目した写真に「仙石線のクモハ12形等の“貫通化改造”を受けた17m車」があります。
 仙石線17m車の「貫通化改造」は、17m車の末期の昭和40年頃から始まったため、これまでも紹介が多くなかったものですが、同誌でまとまった写真が紹介されました。特に、クモハ12002,003,010は、「Rm Models Archive クモハ12とクモニ13」では写真が全く無かったものです。また、貫通化改造を受けてからは、中間に連結されることが多かったようで、これまでに紹介されている写真も中間に封入されているところが多く、運転台の情況がわかる写真は非常に珍しいのではないかと思われます(P59)。クモハ12002は、1966年11月25日の前位、後位の両側の写真で、前位が貫通、後位が非貫通であることが証明されました。また、同日のクモハ12003の写真は前位の貫通が確認できます。また、同車は、両側が貫通化されたことが、かなり前のこの場で情報が紹介されています。同日のクモハ12010の写真もあり、後位の非貫通がわかります(P60)。同車の貫通化された前位の写真は、1990年頃のRM誌の「Detail File」でクモハ12形が紹介された時に、中間に封入されている写真が紹介されたのを見たくらいです。
 他の車では、クモハ11400台で、貫通化改造(外見的には幌枠の追加)が行われている車と、未改造の車が並べて紹介されています(P56:貫通化改造を受けたクモハ11479、P57:貫通化改造を受けていないクモハ11505)。ともに1966年11月26日撮影なので、末期でも貫通化改造が行われなかった車が存在する証拠になっています。

 福塩線では、戸袋窓のHゴム化改造をされたクハ16462の写真(1975年9月22日撮影、P88)に注目しました。前面窓と戸袋窓の全て(運行窓も)をHゴム改造された、典型的な吹田工場入場の車ですが、「17m車」としては非常に珍しいものです。写真は2-4位側で、全ての扉が後ろへ開きますが、1-3位側は中央扉が前へ開くので、Hゴム窓は、クハ16400台の特徴を非常によく示すものになったと思われます。
 他、クモハ11209の「運転席窓だけHゴム改造された」写真(P48, 1967年8月21日撮影)も注目で、同車は「世界の鉄道'72」で紹介された、青20号で前面窓が全てHゴムになった姿を見ており、「過渡的な状態」があったことを知った次第です。

秩父鉄道電気機関車の「碍子の屋号」
 先週の日曜日は秩父鉄道武川駅で行われた、電気機関車の撮影イベントに行ってきました。同イベントは10月9,10日に全予約制で行われたのですが、初めて予約制のイベントに申し込みました。
 写真上は、イベントの機関車のうち、最も古株のデキ103(1954年6月製造)です。写真下は同機のパンダ台を撮影したもので、台を構成する「碍子」に「屋号」が書き込まれていたのに気付いて撮影したものです。以前も紹介した「山に五」と「植物」で、この手の碍子は「汎用の部品」として広く供給されていたようです。
 

旧形国電の鉄道模型新製品

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年10月14日(木)23時47分35秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

Nゲージの鉄道模型で、旧形国電関係の新製品が発表になっていました。

TOMYTEC鉄道コレクションでは、先に70系の新潟ローカル6両セットと福塩線4両セットが発売されましたが、70系の続編が発表になりました。
 1つは、新潟ローカルの4両セットで、以前にも新潟ローカルの4両セットが発売になっているので、今回は4両セット「B」と銘打っています。編成は

クハ68(元クロハ59)―モハ70(昭和26年形)―モハ70(昭和29年形)―クハ76(昭和29年形)

で、初めてクハ68の新潟色が登場するとともに、クハ76の前面Hゴム窓で、戸袋窓もHゴム支持のタイプが初めて製品化されます。クハ68は、数あるタイプのうち、元クロハ59形になり、クハ76は4位側にWCのある偶数向き車になります。
 もう1つは北関東ローカルの4両セットで、編成は

クハ77―モハ70(昭和26年形)―モハ70(昭和29年形)―クハ76(昭和29年形)

で、こちらはクハ76とともに、サロ85から改造されたクハ77が登場します。クハ77は両方向対応ですが、クハ76が4位側にWCのある偶数向き車になります。

また、GREENMAXより旧形国電用床下機器が発売になります。
 GREENMAXの旧形国電用の床下機器は、1980年代から使われている伝統的なものがありますが、これがリニュアールされます。M車用とT車用が発売になりますが、注目は、抵抗器が、小型、大型、新型の3タイプが付属し、クモハ54形で見られる「大4小2」の表現が初めて可能になります。また、ブレーキシリンダーは、手ブレーキの引っ張り棒が、偶数向き、奇数向き先頭車のそれぞれに対応したものが表現されます。
 

三井芦別鉄道ナハニ1形客車、クモハ12012など

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年10月 8日(金)00時24分30秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

先日の「写真とイラストで綴る国鉄17m級電車」で、三井芦別鉄道に行った元モハ31形と考えられるナハニ1形客車に触れたことに関連して、同客車の写真を探してみました。

 HP「DRFC-OBデジタル青信号」で元関西旧国利用者さんが昭和42年9月9日に訪問した時に写真を撮影していることを報告しましたが、他、ヤフオクの出品写真(落札済み)があり、この写真は元関西旧国利用者さんの訪問の9か月後の1968年6月21日の撮影です。また、ガレージキットメーカーの「モデルアイコン」の姉妹サイトの「鉄道模型工作記録帳」の2009年11月23日の記事で、ペーパーによる同客車の製作の参考資料として、茶色時代と2色塗りの写真が紹介されています。
 今年の初めにすぎたまさんが三井芦別鉄道ナハニ1の写真を紹介した時に、73おやぢさんが、「外板の全張替えが行われたのではないか」と考えた根拠として、「ドアの上に回り込んでいるヘッダーが無くなっているように見える」ことを指摘されています。決定的な写真が無いことから、「可能性」として指摘されていますが、これらの写真、特に元関西旧国利用者さんによるナハニ2の下の写真は、「雨樋の影」が幕板に落ちており、ヘッダーがドアの上に回り込んでいるならば、この部分で影が段になるはずなのに、写真では影が一直線に落ちているので、「ヘッダーはドアの上に回り込んでいない」ことが確定します。また、「鉄道模型工作記録帳」の茶色時代の写真でも、ノーリベットと、ヘッダーがドアの上に回り込んでいないことがわかるので、「外板の張替え」はかなり早い段階、おそらく復旧時に行われたと考えられます。同写真では、雨樋が無く、両側のドアの上に水切りがあることが確認できます。すなわち、当時は中央扉を閉めきって、この部分にも座席を設置していた、との情報の傍証になります。

「写真とイラストで綴る国鉄17m級電車」の他の注目点
 「モハ50系列の側梁の外への移設の仕方」について、以前のこの場で話題になりましたが、P19に下からのぞき込んだ写真があります。栗原電鉄C171(元モハ10043 - モハ50039 - クモハ11435 - 西武クモハ375)のもので、「台枠の継ぎ足しがわかる」との解説です。

 17m車が走った線の中で珍しいところとしては、「岡山ローカル」が、P94にサハ17102の岡山ローカル時代の写真(1965.4.26岡山駅で撮影)があります。サハ17の仙石線時代(気動車色)は、昭和41年から42年の1年ほどにか在籍していなかったためか、掲載は無く、富山港線も同様に昭和42年までの短い期間の為か、写真の掲載は有りませんでした。

クモハ12012について
 クモハ12012は、末期は福塩線で走っており、「鉄道車両ガイドVol.21 クモハ12とクモニ13」では、「戸袋窓をHゴム化改造」の記述(P95)があったのですが、同書には写真の掲載は無く、「写真とイラストで綴る国鉄17m級電車」で初めて写真が紹介されました(P61, 1967,8,21撮影)。インターネットの検索で写真を掲載しているところを見つけてはいたのですが、増設運転台側からの写真で、既設運転台側からの写真は、今回初めて見ました。

クル29003について
 配給車のうち、関西の唯一のクル29形である、クル29003の写真が掲載されています(P132)。同車は運用に入る機会が極めて少なかったのか、これまでの17m旧国特集でも写真が紹介されることが珍しく、配給車の特集でも、クル29003だけ写真が無い、ということがしばしば起こっていたので、写真は非常に珍しいものです(1974,9,21吹田工場で撮影)。同車は前面貫通化が行われていることが知られており、写真でも確認できますが、配給車、救援車で貫通扉が設置されているのは、仙石線で貫通化されている車を改造したことに由来するもので、同車は仙石線とは全く縁が無かったので、何故貫通化改造されたのか、謎になっています。
 

NEKO PUBLISHINGより「写真とイラストで綴る国鉄17m級電車」発売

 投稿者:原口 悟  投稿日:2021年10月 6日(水)23時39分51秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは

NEKO PUBLISHINGより、「写真とイラストで綴る国鉄17m級電車」が発売になりました。「写真とイラストで綴る国鉄72・73系電車」に引き続いて、宮下さんによりまとめられた本で、昭和40年代前半までに大多数が無くなってしまった17m級旧形国電について、昭和30年代から40年代の、いわば「旧形国電が注目される前」の写真が多く紹介されています。それゆえ、珍し写真が多いと思うのですが、その中で気づいたことを紹介したいと思います。

仙石線旧型国電の「標識灯掛け」について
 以前のこの場で、仙石線の旧形国電に特有の装備として、「標識灯掛け」を話題にさせていただきましたが、その時に、20m級旧国(戦前形、73形)では、入線当初は装備してなく、昭和48年末から追加が始まったらしいことと、この頃、郡山工場または盛岡工場への回送経路が、仙台駅の連絡線から、石巻駅から石巻線経由に変わったことが関係するらしいことがわかりました。
 これに対して、「写真とイラストで綴る国鉄17m級電車」に収録された、仙石線の17m級旧国の写真を見ると、標識灯掛けを装備しています。このため、「標識灯掛け」は昭和42年3月の17m車から20m車への置き換えの時に一旦無くなり、そのあと昭和48年から復活したことになります。このため、「昭和42年に標識灯掛けが無くなった」原因を改めて考えなくてはならなくなりました。
 また、17m車の標識灯掛けの装備状況にも個性があり、1~4位側の腰板全てに装備している車と、1位側と4位側(向かって右側)にだけ装備している車がいます。P168からの配属履歴と見比べると、昭和33年までに仙石線に配属された車は1~4位側の全て、昭和33年以降に配属された車は1,4位側だけという傾向があるようですが、クモハ12002,003,010が例外で、仙石線に古くから配属されているのに1,4位側だけです。さらに、昭和40年から始まった貫通路整備で、サボ枠を助士席側に移設した車は、標識灯掛けが干渉するので、サボ枠に中に移設しています。この時に、運転席側の標識灯掛けを裾に下げている車(クモハ11252、P50)がいます。このため、標記灯掛けが1個で済むようになった理由も考えなければいけないことになります。

三井芦別鉄道ナハニ1について
 「三井芦別鉄道ナハニ1」とされる写真がP158に掲載されています(1954年8月撮影)。ただし、写真の車は、窓割が「2D22222D2」とサロ35形のような配置で、ドアはステップ付き、浅い丸屋根で、車体はノーシルノーヘッダーで窓の上の角にはRが付いており、床下にはトラス棒が見える、という車です。ナハニ1形は、今年初めにすぎたまさんが写真を紹介しており、また、HP「DRFC-OBデジタル青信号」で写真が紹介されていますが、元関西旧国利用者さんが昭和42年9月に三井芦別鉄道を訪問して写真を撮影しており、窓割は「2D22D22D2」で、中央扉にステップが付いていることが確認できることから、P158の写真は明らかに別の車です。2色塗りの腰板の塗りが薄いこと、車両番号の上に社紋が付いていないこと、形式は「~ハ」と2文字で、番号は「1」であることから、三井芦別鉄道ではないと思われますが、探してみたところ、候補となる車が見つかりました。
 三井芦別鉄道の近くに、上芦別駅から分岐する「三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道」という鉄道があり、この鉄道の客車に、木造客車の台枠に電車が他の半鋼製車体を組み合わせて新造(「鉄道協和工業昭和30年11月新製」の銘板有)された「ホハ1,2」という客車がいたのですが、この車の写真がHP「まつしま本舗(新社屋)」の2009年10月25日の記事に掲載されているのを見つけました。掲載されている写真は2両の鋼製のボギー客車と、2軸の木製の客車2両を連結して駅に止っている写真なのですが、この客車が、窓割が「2D22222D2」で、ノーシルノーヘッダー、窓の上の角にはRが付いており、床下にはトラス棒が付いていることから、明らかにP158の車と同じ車です。なお、同HPでは種車の報告があり、ホハ1は元ホハ13024、ホハ2は元ホハ13026で、昭和29年鋼体化とのことです。このため、P158に掲載されている「三井芦別鉄道ナハニ1」とされている写真は、実際には「三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道ホハ1」となります。

省電の運転席の「原型」について
 写真ではないのですが、P2(表紙の裏側)に「モハ50形を見本とした運転室と連結面の解説図」が掲載されています。元は1941年9月に鉄道時報局より出版されたもので、「モハ50形として落成した時の原型」の形態が表現されているといえます。後年は、保安装置の追加等で、いろいろな機器が追加されているので、追加機器のない原型の状態を確認できるのは貴重で、これを見ると、「スピードメーターが無い」こと、助士席側の「舟こぎ型」の手ブレーキのレバーもわかります。連結面側の「妻開戸」の形態も注目で、関連してP88には、開戸を撤去しただけで貫通路が吹き抜けのクハ16408の写真が掲載されています。解説には、「貫通扉の整備は全車には及ばなかった」とあり、クモハ73、モハ72形で見られた貫通扉未整備車が、戦前型省電にも存在していたことが示唆されています。
 

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