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それです!

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年 5月27日(水)12時31分12秒
返信・引用
  皆さんこんにちは。

73おやぢさん

ご丁寧な返信をいただきまして、いつもながらありがとうございます。

なるほど、進駐軍人に対する表記ということなのですね。ある程度の期間の経過で、表示を出さなくてもどの車両に乗れば良いか理解が進んで不要になったということでしょうか。
昭和25年ころの写真を見ると、取り付けられたまま車体色に塗り潰されている同表示器も確認できます。

これらの現物を見てこられた方々がいたとしても、その証言を聞くにはもう限界に近いところになってしまっているかと思います。


さて、なんで今更こんな質問をしたのかと白状しますと、末期まで45004の①~③側の幕板に残っていた、多くの記述で「方向幕窓跡」とされるモノが何なのか、ずっと気になっていたからです。
同車には②~④側にも同様の痕跡がありましたが、青22号塗装になった後に撤去されているようです。

まず、そもそも方向幕を設置していない車両であったこと、そして横須賀線という方向幕を使用している線区への配属車ではなかったため、後で取り付け試作を行ったとも考えづらいこと、終戦後、傷病兵輸送に用いられた頃の写真でも方向幕窓がないこと…を勘案すると、やはり方向幕窓の跡ではないとずっとモヤモヤしておりました。

なので、もしやこの「OFF LIMITS」の表示器跡ではないか…と思ったのですが、特に横寸法が短いようで、違うみたいですね。


それにしても添付の画像、表示器をこんなに鮮明に写したものは初めて見ました。重ねてお礼を申し上げます。

何度かやり取りに参加したい話題もあったのですが、かなり難易度の高いお話で、最近刊行された書物も咀嚼しきれていないような現状でして…。今後1~2年遅れの話題で書き込むことがあるかもしれませんが、よろしくお願い申し上げます。
 
 

これですか

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2020年 5月23日(土)12時59分41秒
返信・引用
  皆さん、こんにちは。
白い陽さん、お久しぶりです。

部品として認識はしていましたが、詳細は不明です。
編さん会「モハ63形(上)」のクモハ63120のキャプションに「車側方向灯を取り付けているが、方向灯にはスライドする蓋があり、使用しないときはこの蓋をする」とあるのが唯一の文献らしきものでしょうか。正式な名称は知りませんが、少なくとも灯具ではないので、車側表示板あたりが適当かもしれません。
戦前の中央線の51形が前面窓下に「急行」と表示している写真がいくつか残されているので、このあたりが起源のようです。つまり、戦前の中央線を経験した車両なら他区へ転属後も存置しているのは自然ですが、そうでない例もあるようです。ひとつは横須賀線で、中央線の急行(快速)仕業と関係ないはずのクハ47形やサハ48形にもあり、どうも戦後につけたようです。

63形に至っては明らかに戦後の装着であり、「30系から80系まで」所収の津田沼の63229が「OFF LIMITS」らしき表示をしているのに、50年以上も悩まされてきました。ちなみに現在まで、いわゆる63500形および78形の装着例は見ていません。
写真で見るかぎり、昭和22年はかなり普及しているようですが、その後は散発的になっており、これと63500形に表示板の装着例がないことと併せ考えると、ごく一時期だったようです。そもそも「OFF LIMITS」表示は戸袋窓など、側扉の至近に貼り紙するのが本来の手順のはずで、戦後の混乱期にわざわざ表示板を新製して、せっせと取り付けるのも妙な話ではあります。もしかすると戦前の部品がどこかに一定数あったので、在庫が尽きるまで活用したのかもしれません。

総武線が比較的多いとすれば、中央線の急行仕業の経歴が無い車両ばかりで装着車が少なかった、あるいは白帯車が京浜東北などより少数なので、米兵に対して表示を徹底させたかった、などが考えられますが、想像の域を出ません。ついでながら、白帯車の運転がない常磐線は、この種の表示板はないみたいです。

 

OFF LIMITS 表示器

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年 5月18日(月)22時40分51秒
返信・引用
  こんばんは。

原口悟さん

富士身延鉄道の台車・主電動機について詳細な解説をありがとうございます。
相鉄2015・2016に取り付けられた日車F型・MT35はその後昭和43年にTR14・MT7に交換されています。


国電とは無関係なので、余談になりますが、TR25Aを転用されたクハ3500形が一時履いていた木南台車は、その後やはり昭和43年に、荷物用に転用改造された元小田急1000形の1007~1009に転用され、その後そのまま日立電鉄へ譲渡されました。



さて、表題の「OFF LIMITS」表示について。

昭和22年ごろの写真を見ていると、総武・横須賀線あたりの配属車を中心に幕板部分に「OFF LIMITS」と表示される、静鉄の快速表示器に似た形状の表示器が取り付けられていることに気付きました。
勉強不足を露呈してしまいますが、このような表示器を取り付けていたという文献を見たことがありません。
どのような使徒で、いつ頃まで使われていたのか?などご教示いただければ、と思っております。
 

富士身延社形の台車、電動機等について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 5月16日(土)10時34分1秒
返信・引用 編集済
  皆さんおはようございます
白い陽さん、お久しぶりです

富士身延鉄道モハ100,110形(省モハ93形)の台車とモーターについて
 相模鉄道ED12,13に当初装備された台車が、富士身延鉄道に由来する「日車F型台車」と「MT35主電動機」とのことで、両機器が何のことだろうと思い、調べてみたので、情報を補足したいと思います。

 後に「モハ93形」に一括された富士身延鉄道の電動車は、富士身延鉄道時代は、昭和2年日本車両製のモハ100形と、昭和3年新潟鉄工製のモハ110形に分かれていました。当初はともに6両いたのですが、モハ100形の方が私鉄時代に1両事故廃車になっています。私鉄時代に装備していた台車が、モハ100形の方が日本車両製のブリル類似台車で、これが「F型台車」です。モハ110形の方は新潟鉄工製のTR14(DT10)類似台車でした。モーターは共に三菱MB-94-Bで、出力は150馬力(110kW)と、当時の私鉄としてはかなりの高出力機でした。これが省編入後に省形式を与えられて「MT35」となりました。形式図が「私鉄買収国電」P76にあるのですが、それによると、歯車比が18:70(1:3.89)と、当時の電車としてはかなり高く、勾配線対応であることがわかります。相模鉄道ED12,13に台車とモーターがセットになって装備されたということは、ギア比も同じということになり、牽引力を期待された機器選択だったことが伺えます。
 モハ93形になってから、両形式とも、台車と電動機が省制式品に交換されるのですが、RP00-4増刊「釣掛電車の響き」P84~85の富士身延鉄道買収車の車歴によると、大多数の車は昭和26年にDT10とMT7またはMT15に交換されていますが、モハ114,115の2両は昭和21年10月と早い段階で取り替えられています。この時に発生した元モハ100形由来の日車ブリル台車とMT35モーターを相模鉄道が調達したことになります。時期もモハ100形の足回り交換が昭和26年1月(元モハ104)から6月(元モハ102)なので、車両の設計から製造を考えると、ED11形機関車が昭和27年製であることと調和します。

 なお、「釣掛電車の響き」には「釣掛台車のいろいろ」(P150~155)で輸入、国産を合わせた吊り掛け台車が解説されていますが、その中で日本車両の台車については、ボールドウィン台車が有名ですが、ブリルタイプを先行して製造していたことが記述されています。ボールドウィン台車の製造開始は、78-25A系が1924年(大正13年)、ボールドウィン台車の代名詞ともなるD型台車は1926年(大正15年、昭和元年)になります。富士身延鉄道では制御車のクハユニ300形(省クハユニ95形)、クハニ310形(省クハニ96形)はともに昭和3年6月製で、D16台車を装備しています。時期的にはモハ100形は1年ほど先行するのですが(昭和2年3月落成)、登場したばかりのD形台車を導入せずに、先行するブリルタイプを導入し、1年経った、クハユニ300、クハニ310形導入時にD形台車を導入したところに、当時の富士身延鉄道の考え方が伺えます。なお、日本車両のボールドウィン台車は、AからKまでの系列があったのですが、FとHが欠でした。ブリル台車の形式「F」は、この欠を埋めている形になります。

富士身延鉄道時代の車両について
 富士身延鉄道の旅客車両は、電車がモハ100,110形(モハ93形)、クハユニ300形(クハユニ95形)、クハニ310形(クハニ96形)、電化以前の客車を電車連結対応にしたサハ50,60,70形(サハ26形)がありましたが、サハ50,60,70形に先行する車がいたことを最近知りました。
 戦時買収私鉄の1つの「胆振縦貫鉄道」は、私鉄でD51形蒸気機関車を導入したことで知られていますが、客車は富士身延鉄道からの譲渡車だったことを最近知りました。胆振縦貫鉄道は、1940年に「胆振鉄道」(胆振線京極―喜茂別間)を合併しているのですが、富士身延鉄道の客車は、胆振縦貫鉄道プロパーの方で、6両の二軸客車が在籍していました。二軸客車は、大多数が大正2年の富士身延鉄道開業時の導入でしたが、一部、ボギー客車(サハ50,60,70形)導入(大正6,7年)後の大正10年代に入ってからの入線車もいました。電化後、ボギー客車は、電車連結対応工事が行われましたが、二軸客車も電車連結対応されたらしく、「クユニ」「クハニ」といった形式がいました。
 富士身延鉄道時代で見ると、「鋼製の電車と二軸客車の連結」が興味深いですが、胆振縦貫鉄道時代でも、本来本線系統の蒸気機関車であるD51形が、二軸客車を牽引した、という珍しい組み合わせが見られたことも注目点だと思います。

モーターの「HP」と「kW」の換算
 モーターの出力の記述について、大正前期までのモーターは馬力(HP)で記述され、大正末期頃から電力(kW)に切り替わりますが、初期のモーターについて資料を探していたところ、HPとkWの換算の記述をしているサイトが見つかりました。エアコンプレッサーのメーカーの「小西エア・サービス」のサイト中「よみもの」に馬力と電力の換算の記述があります。それによると、換算式は

1HP = 0.746kW

とのことで、大正期の電車でよく見られる「50馬力主電動機」はkW換算すると37kWになります。大きい方では、MT15系列のモーターの定格出力の110kWは、馬力では150馬力となり、大正初期に50馬力で始まった、モーターの国産化から、10年ほどで3倍の出力のモーターの国産化が軌道に乗ったことになります。また、昭和初期の関西の私鉄の大出力電動機はよく「200馬力」と表現されるので、4倍の出力ということになります。
 

相鉄のやりくり

 投稿者:白い陽  投稿日:2020年 5月15日(金)18時17分39秒
返信・引用
  皆さん、こんにちは。ご無沙汰しております。


相鉄のTR25A(DT13以下同)の話題が出ておりましたので、全容が明らかになっていませんが、知りうる限りの書き込みをしたいと思います。


昭和25年、旧青梅鉄道のモハ501、502、506を電動貨車モワ1~3として入線させるに当たり、台車を63型のクハ3501~3503と振替えました。主電動機についての記載が見当たりませんが、100kwとの記事があることから国鉄払い下げのMT7や15あたりを取り付けたものと推測されます。この結果、クハ3500型は旧青梅鉄道出自の木南台車を履くことになりました。

一方、相鉄初の電気機関車ED11・12は昭和27年(公式)登場。当初ED11はTR14(DT10)、ED12は旧富士身延鉄道モハ100(国鉄編入後モハ93)から機器標準化で取り外された日車F型台車と同MT35主電動機を取り付けて登場。
昭和29年にはED13がED12と同様の仕様で登場しました。


機関車の登場に伴って、電動貨車は旅客車に転用することになり、昭和27~28年にモワ1~3 → モハ2011~2013に改造、台車をTR14化しました(旅客化改造と台車交換は同一施工とは限らない可能性あり)。
この履き替えで捻出したTR25Aが旧63のモハ3001~3003のMT30と組み合わされて、ED11~13へ転用とのことなのですが、台車と主電動機ごと履き替えをした可能性は捨て切れません。
この履き替えは昭和31年8月認可とのことですが、ED13はその前月段階でまだ日車F型を装着していたそうです。

旧富士身延鉄道の日車F型とMT35は3両分購入されたそうですが、昭和29年の準新車モハ2015、2016に使用されたことから、ED12についてはそれ以前に台車交換されていたことになります。

一方、モハ3001~3003に残ったTR25Aは昭和34年に新製台車TS108と新製主電動機TDK544に交換されます。この履き替えで捻出したTR25Aが今度はクハ3500型へ流用されることになり、クハ3510型へ車体更新後の昭和43年に新製のTS323に履き替えるまで使用されました。

相鉄には大東急時代に振り向けられたMcTc×3の63型と、国鉄モハ63056の事故復旧車クハ3504の計7両分のTR25Aが入ったことになります。
残る1両分は昭和41年ED14の増備に使われたとすると辻褄は合うのですが、その後昭和49年2000系の車体更新車2117~2120の4両がTR25Aを履いて出場したことから8両分となってしまい、どうしたものかと…。

ちなみに以前相鉄かしわ台の車両工場を見学した方の話によると、昭和40年製造の銘板の付いたMT40があったそうで、補給部品として製造されたものかあるいはED14の製造に際しあつらえたものか、必ずしも63型出自とは限らない部品もあるようです。

では失礼します。
 

DT12台車の製造年度毎の変化について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2020年 5月11日(月)01時01分28秒
返信・引用
  すぎたまさん、新参者さん、皆さんこんばんは

DT12台車の変化について、「とれいん」1988年2月号に記述があったことを思い出しました。
 P52からの「旧形国電のキットメイク?モハ40改モハ30」で紹介されている新前橋電車区のモハ30001の写真中、DT12台車の解説(P55)で


軸箱守に耳たぶ状の肉がついているから昭和11/1936年以降、軸バネ座の両側に給油器座が付いているから昭和16/1941年以降の製造と判る。耳たぶ状の肉は台車吊り上げ時に使われたようである。


とあります。モハ30001は元モハ40021で、昭和8年製なので、製造年から見るとずっと新しい台車が付いていることになります。
 台車が変化した可能性のあるイベントとしては、1つは更新修繕時が考えられ、同時期に同じ工場に入場していたモハ60形辺りと入れ替わったことが考えられます。また、DT12台車固有の問題として、モーターの重さに対して慢性的な強度不足があったようで、最初の設計時にMT15モーターに対して強度が不足で、補強が必要になり、その後MT30モーターに対しても強度が不足して、さらに補強が必要になった、という話があるので、補強に当たって予備品の循環が行われ、製造時の台車に対して変化が起こった、ということも考えられます。小田急に行った後に行方不明になったTR25台車については、モーター装架部分に重大な強度不足が発生して、廃棄やむなしとなったことも考えられます。

工具について
 工具に関して、戦前は舶来品の工具への信頼性が高く、国産の工具の信頼性が追いついたのは昭和30年代に入ってから、という話を聞いたことがあるので、舶来品の中古品の流通は有りだと思います。
 

K-16ですか

 投稿者:新参者  投稿日:2020年 5月 9日(土)22時39分26秒
返信・引用
  すぎたま様
ありがとうございます。
随分複雑な交換なんですね>相鉄3000→ED

公式発表
MT-7~10→電動TR-25A→MT-30,30A+(K-16→クハ3500→附随TR-25A)→EDですね。

K-16→クハ3500→附随TR-25A+MT-7~10→モハ3000→電動TR-25A(MT-30,30A)→ED
の方を採用しなかった理由があるんでしょうねぇ。一旦モーターを下ろしたかった
理由があるのでしょうね。
台車検査や重要検査との絡みでしょうか?

小田急DT-12は何処へ?
伊豆箱根?、西鉄?相武台実験後、東芝に譲渡してTT-1を2両分作ってもらうつもりだった?

原口様
ペンシルバニア型台車の軸ばね(モノコイルペデスタル?)を主流にしたとは
言い難い扱いをしていた西武(戦前からあった割にはTR-11系を主力とした)や
東急では徐々に主流になり、逆に国鉄の電車用は廃れていく・・。
国鉄の工具が廃棄流出したのでしょうか(笑)。
 

時期的には合いますね

 投稿者:すぎたま  投稿日:2020年 5月 8日(金)01時00分10秒
返信・引用 編集済
  新参者さんこんばんは。

相鉄の3000系になったのは、東急(当時)デハ1806-1808、クハ1856-1858です。これらがまず、モハ3001-3003、クハ3501-3503になりましたね。
小田急の1700系ロマンスカーが、デハ1600の台車流用と省電台枠流用で登場したのは1951年。完全新製車の1705Fが登場したのが1952年。それで1701Fと1703Fも同じ台車(FS-108)とモーター(MB-146CFR)を新製して取り替えたのは、1953年3月。同時にデハ1600の台車、モーターも元に戻されています。
ということですので、時期的には相鉄3000の台車交換時期と合うことは合うのですが、相鉄のED新製に基づき、台車を流用したのはクハ3500形で、同車はK-16という台車に交換され、捻出したTR25Aにモハ3000のMT-30かMT-30Aを流用しています(たぶん)。どうしてモハの台車ごと転用しなかったのかという理由は、クハもモハ63形割り当て車の場合、いわゆる「クモハ63(制御車代用)」で、電動台車を付けていたからと説明されます。
よって、相鉄のED新製のためには、TR25形台車は利用されていません。ただ、主電動機については、もしかすると譲渡利用されていたのかもしれません。MT-7からMT-10はいずれも省モハ10形の主電動機だそうなので、モハ3000形大形車でも一時的には間に合いそうですし、モハ3005の電装にも使われた可能性などが考えられますね。
なお、前記事に書いたように、デハ1807→モハ3002は、モハ63589と台車交換していますので、もしかすると主電動機はMT-40かもしれません。ED14の主電動機はこれでしょうか。
その他多少気になったのは、相鉄モハ2117号(2100系アルミ車)に、DT-13が付いていたようで、これの来歴が今ひとつわかりませんね。

まとめますと、小田急デハ1600に一時装着されたTR-25台車とMT-7から10モーターのうち、モーターは相鉄に譲渡・流用された可能性があり、しかしTR-25台車の行方は相変わらずわからない、というところでしょうか。

小田急1600のTR-25台車時代の、比較的鮮明な画像が見つかりました。鉄道ピクトリアル546号(特集小田急電鉄)の54ページ下です。これを見ますと、装着しているデハ1609のTR-25は「後期形」で(軸箱守にクレーン掛けあり)、後年クハ1851と1860に装着のものとは一致しないことがわかります。
また、小田急のTR11は、みな横梁部分にコの字形の鋼材を貼付け、リベットで共締めすることで、西武のもの同様に補強されているものばかりでした。木製客車由来のものが多数含まれていたと思われますが、17メートル弱とは言うものの、鋼製通勤電車用としては荷重が心配で、補強をしたものかもしれません。

http://princesscomet.net/

 

相鉄3000系?

 投稿者:新参者  投稿日:2020年 5月 7日(木)23時00分48秒
返信・引用
  皆様こんばんは。停滞中です(苦笑)。

すぎたま様
相鉄に行った1800改め3000ですが、1952~1954年ころED11~14にDT13とMT30を転用して100KW級
を装備とありますが、この100KW級はMT7~15でしょうか?
また、1959年ころにTS-108とTDK-544に換装されますが、じゃぁED転用後~換装前に履いていた台車は?

小田急で行方不明なDT12とMT7,9,10が相鉄に転用された可能性は無しでしょうか?

土瓶口ですが、失礼いたしました。
 

小田急に入った国鉄形台車について2

 投稿者:すぎたま  投稿日:2020年 5月 6日(水)08時05分48秒
返信・引用 編集済
  原口さん、みなさんおはようございます。

小田急に入った国鉄形台車ですが、今のところ以下のものが確認出来ました。なお、参考にした書籍はその都度記します。
●TR11について
小田急に入ったTR11は、基本的にクハ1650形、サハ1950形、サハ1960形(特急用車でのち格下げ)に付けられましたが、大半は省ホハ12000系用の、「イコライザーが細い」タイプです。しかし、「レイルロード刊・小田急電車形式集3」によれば、1966年3月撮影のサハ1960には「イコライザーが太い」タイプが付いており、同車の1969年2月2日撮影の写真では(いずれも同書43ページ)、イコライザーは細いタイプに変わっています。これはクハ1964号も同様な変化があり、1966年10月18日撮影画像では「細」、1970年11月22日撮影画像では「太」(同書59ページ)という変化があります。これらのうち、イコライザーが細いものは、おおむね1900系新製時、サハは戦災国電復旧でしたので、それに付けたものです。しかし、一部クハ1650形に「太」のタイプが混じっていたようで、それが振り替えでサハ1950やクハ1964(クハ1551更新)に回ったものと考えられます。結構台車のたらい回しはされていたようです。
●TR22(DT11)について
今まで、小田急にDT11が入ったのは未見でしたが、今回サハ1951号に付いているのを発見しました(同書23ページ。1954年11月29日撮影。DT11は初期形)。サハ1951は竣工図も掲載されていますが、タネ車は省モハ50044であり、タネ車の台車ではありません。この台車がどこから来たのかは謎のままですね。
どだいDT11は、西武、小田急、相鉄以外、民鉄に流れたのはずっと後年のことではないでしょうか。
なお、同系列の台車としては、日車D-18をクハ1659が一時期使用した(元は帝都から流れてきたクハ1551の台車?)ようで、「小田急電車形式集2」の36ページに画像があります。
●TR23について
サハ1752特急車が一時期装着した記録があり、本書にも一応画像が載っていますが、角度的に不鮮明で、TR25であるかもしれず、はっきりしませんでした。一応いくつかの文献にTR23との記載があるので、間違いは無いと思うのですが…。
●1600系のDT12について
特急車1700系がデビューするとき、予算の関係と、安定性を考慮したのか、とりあえずはデハ1600形からKS-33L台車を主電動機とともに流用し、デハ1607-10には国鉄払い下げのDT-12台車とMT-7から10主電動機を取り付けたと記録にあり、写真も残されています。同書でも「2の14ページ」に一応やや不鮮明ながら画像があります。
ところが、不思議なのはその後その4輌分の台車はどこへ行ってしまったのか、という点が未解明です。4輌分と、そこそこまとまった数あったわけなので、例えば後年新製されるクハ1650形増備車やサハ1750形増備車などにあててもいいはずですが、原口さんがおっしゃるように、例えば特別な治具が必要などの理由で、使われなかったのかも知れません。
なお、小田急でのこのMT7-10付きTR25台車の形式は、TR25Bかもしれません。今のところ、小田急での台車呼称は、全てTR**であり、DT**と呼んだことは無いようです(生方良雄「小田急1800形」44ページコラム)。モハ63の割り当て車である1800系の電動台車と大半の制御車用台車がTR25A(これは当時の省-国鉄の呼称に準拠)、DT-12の円筒コロ軸受け化がTR25Cなので、小田急呼称TR25Bが存在するはずです。
●1800系の台車について
1800は、モハ63の割り当て車と、モハ42004(届け出はモハ42005になっているそうですが、モハ42005改めクモハ42005は宇部・小野田線で長く活躍でしたよね)、モハ60050を車体更新してまとめた形式です。
生方氏の著書「小田急1800形」によれば(42ページ)、戦災台車TR25を付けて落成した車輌が5輌あったそうです。当初番号があまりはっきりしなかったのですが、とりあえず「鉄道ピクトリアル286号55ページ」によれば、デハ1802とデハ1807(初代。相鉄に移籍)が、それぞれモハ63591、63589と台車を交換し、それぞれはTR35(DT13)になったようです。すると、交換相手がモハ63500番台なので、デハ1802は主電動機がMT-40なのではないかという疑問も湧きます。
さて、そうするとTR25装備車はあとは残り3輌のはずですね。このうち2輌は判明しました。「小田急電車形式集2の87ページ」によれば、省番号無しで入線したクハ1851と1852にTR25(平軸受け)が付いている画像が掲載されています。また竣工図もありますが、それにも台車の欄に「TR25」と書かれています。他のタイプの車輌(名鉄からの移籍車も含む)には、ちゃんと「TR25A」と書かれているのにです。
後年、残っていたTR25台車はコロ軸受け化されて、TR25Cに改造されますが、最終的に装着したのはクハ1851、1860、1861でした。このうち1860の台車画像は、同書103ページ右下にあります。
ただ、ここで問題になるのは、このクハ1860が装備している台車は、TR25でも初期形の「軸箱外側にクレーン掛けが無い」タイプです。つまりモハ40系あたりの前期形までに付いていた戦災台車由来ということがわかります。
残る1輌の番号は判然としません。ただ、省モハ60050は事故復旧車なので原姿復旧となり、台車も使えたらしく、TR25後期形(軸箱にクレーン掛けあり)を付けていて、同書94ページに画像があります。またクハ1851には、更新後すぐは、コロ軸受け未改造のTR25初期形がついているのが確認出来ます(98ページ)。すると、このモハ60050→クハ1871→クハ1861のことを1輌にカウントしているのかどうかが鍵になりそうですが、もはやよくわからないかもしれませんね…。
●1800系主電動機の謎
同書に掲載されているデハ1811の竣工図(同書89ページ)によれば、同車の主電動機はMT-30になっています(他の図には書かれていないのに、わざわざ()で記載あり)。しかし、同車は国鉄から譲受するさい、下回り無しで譲受したはずです(鉄道ファンに「小田急」と車体に書かれ、日車東京で輸送準備中のモハ42004(ペンキナンバー85023)の画像が掲載されていたことがありますが、台車は仮台車のようでTR23らしき台車)。すると、中古の主電動機を購入したということなのでしょうか。一方、台車は「心皿荷重が重い」という理由で、デハ1802のものを使い、デハ1802には当面クイル駆動のKH-1を付けました(同書84ページ、「小田急1800形」では47・48ページに画像)。しかし、竣工図のデータでは、モハ42004改造のデハ1821→1811は42.00トン、他車は42.35トンと、モハ63のほうが自重が重くなっています。側受けとの関係でしょうか。
よくわからないのですが、このデハ1821→1811も、大半の文献では主電動機はMT-30Aとされ、他車も同様です。しかし、生方氏の著書「小田急1800形」によると、68ページの諸元表には全ての電動車が「MT-30」とされ、この理由もわかりません。しかし、一部文献では「MT-30A、MT-40」とするものもあり、そうすると推定になりますが、1802が台車交換時にMT-40付きになったということかもしれません。いずれにせよ、資料を信用すれば、主電動機は、わずか11輌のグループなのに、MT-30、30A、40と3種あることになってしまいます。特性としてはどれも変わりませんが、構造は細かく異なっていると思われるので、不都合は無かったのか気になりますね。

まとめますと、
・由来が不明で行方も不明な台車:サハ1960に付けたTR22(DT11)。
・由来が不明な台車:デハ1802はモハ63591からのTR35(DT13)を付けた。しかし台車が無いデハ1811に転用し代わりにKH-1を付けたが、その後TR35に復旧したものの、そのTR35台車がどこから来たのか不明。
・行方が不明な台車:デハ1607-10のTR25台車。

かなりよくわからないことになっていました。失礼いたします。

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