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62系の胴受け

 投稿者:すぎたま  投稿日:2019年11月19日(火)20時06分2秒
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  みなさんこんばんは。

「我が心の飯田線」から旧形国電画像編、62形へ進みますと、完成当時のクハ66形の画像が見られます。先人の遺産は貴重ですね。
http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub62.htm/sub62-66/sub62-66.htm
よく見ると、クハ66000号の全面胴受け、後年変わっていませんか?。
完成当初はモハ63形のものそのものだったのが、後年は103系などとも共通の形状に変わっているように見えます(両側のバネの点検窓の形状が違う)。
62系は、もともと完成してから異常に使用開始までが長かったり、謎がいくつもある系列(ほとんど固定編成なので、系列と呼んで差し支えないかと)の様な気がしますが、胴受けを取り替える理由とはなんでしょうね?。

http://princesscomet.net/

 
 

展示に見る浅草線車両の交替

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月17日(日)23時32分48秒
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  車庫の中の現行の部品の展示にも、現在進行中の5300形から5500形への交替が進行していることが伺えました。

写真上は5300形の「車両番号部分を切り取った外板」です。以前から5000形と5200形のものが展示されていたのですが、5300形のものは、今回が初見参です。ちなみに、5500形は10本目の編成が車庫に待機しているのを見ており、ある程度の5300形が既に運用を外れていることになります。
 写真中央と下は5500形のパンタグラフと台車です。前に西馬込でイベントが行われた時(2017年)はまだ5500形は入っていなかったので、5500形の部品もまた今回が初見参です。シングルアームパンタは、三田線の方ではまだ入ってなく(6300形オンリーで、シングルアームパンタは入っていない)、新宿線の方ではイベントが行われていないので、都営地下鉄内でも初の公開になります。
 

芝生さんゆかりの物品:都営地下鉄フェスタ2019より

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月17日(日)23時17分31秒
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  皆さんこんばんは

都営浅草線5000形のマスコン:都営地下鉄フェスタ2019より
 土曜日(11月16日)は、都営浅草線の西馬込検車区で「都営地下鉄フェスタ」が行われました。都営地下鉄のイベントは最近は三田線の志村検車区と交互で行われており、昨年は志村の方のイベントを見ています。今回のイベントで、「都営地下鉄の歴史」の展示で浅草線5000形の部品がいろいろ展示されていました。ここで注目したのが「主幹制御器」と「ブレーキハンドル」です(写真上)。芝生さんは都営浅草線の運転手として長く勤務しておられたので、この主幹制御器とブレーキそのものを回すことがあったのでは、と思いました。写真中央は、主幹制御器の内部です。コントローラーそのものの中にいろいろメカニカルなものが入っているのに時代を感じます。写真下は「制帽」で、左から浅草線開業から1994年まで長く使われていたもの、そのあと2006年まで使われていたもの、そして現行のものです。左のものが芝生さんが長く馴染みだったもので、中央のものが現役末期の頃になると思います。

クハ86形の前面窓について
モハ80373さん
 提示の写真を確認できました。確かにパッと見では気づきにくいのですが、一旦気づくと微妙な違和感を感じるのが面白いです。片方黒Hゴムの車も、芝生さんの写真ではクハ86344がそのようで、この車も広島の車でした。
 

広島地区のクハ86の前面Hゴム支持窓について

 投稿者:モハ80373◆WKtiTNsW9Q  投稿日:2019年11月14日(木)12時47分56秒
返信・引用
  原口 悟さんへのお返事です。

>  クハ86060の方の前面についての可能性ですが、下関運転所にいて、広島車両所に入場していたと考えられることから、呉線に転入した山スカのクハ76形のような角が角ばったHゴム窓になった可能性もあると考えました。三鷹電車区時代の山スカのクハ76形のうち、木枠前面の車は木枠で残っていたのですが、1975年に呉線に転属後、前面窓をHゴム支持に改造され、この時に元の窓の形を利用したような角が角ばった窓になりました。写真は田中さんの「旧型国電の記録」でクハ76036, 51を確認できます。ただ、この改造が行われたのは、80系も廃車期に入った頃(昭和51年から52年?)で、クハ86060が改造されたとしたらもう少し前(昭和45年頃?)になると思われるので、話題になっていないということは、お話の通り、他の車と区別がつかない形態だった可能性は高いと思いました。

→クハ76036・051に関して、少し大きめの四隅Rの小さなタイプの写真、改めて確認できました。ありがとうございます。

さて、この特殊(?)な窓は、クハ76とクハ86(こじつければクモユニ81やクモニ83100代も…)にしか使いみちがないわけですが、どうやら広島地区では一部のクハ86にも部分的に使われたようなので、触れておきましょう。
転載は避けますが、画像は容易にダウンロード可能です。
クハ86352(広島運転所矢賀電留)
http://1.bp.blogspot.com/-RQgEYP4Z8hQ/UUWYhBXKWXI/AAAAAAAAT4Y/6T4BDg2saxs/s1600/PICT4056_6.JPG
広島地区全面115系置き換えまで一年足らずの1977年7月16日撮影らしく、本当によく目を凝らさないと見逃してしまいそうですが、向かって右の窓(運転席)がRの小さなものに交換されています。
向かって左の窓は、恐らく原型でしょう。
このタイプの窓は、中部地区以北では採用されてはいないと思われます。

山陽本線地区の2枚窓のクハ86は、86061以降ラストナンバーの86375までの新製時原型の黒Hゴム窓を、片方だけグレーHゴムに交換した車両とか、大きさが左右不揃いのものとか、さらに岡山運転区の86356のように両窓とも天地寸法のやや短いもの(更新修繕車とほぼ同じ四隅Rの大きいもの)に取り替えられたものとか、細部に目を凝らせば、かなりバラエティーに富む状況だったようです。
たぶん、腐食具合などから交換するのが適切と判断された時点で、たまたま部品保有にゆとりがあったなどの理由からだとは思われますが、結果的に様々な顔が存在することになりました。

 

17m車末期の仙石線

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月10日(日)12時54分47秒
返信・引用
  皆さんこんにちは

17m車末期の仙石線レポート
 先日RF67-3号を入手したのですが、その中に「仙石紀行」と銘打った仙石線への訪問レポートがありました(P18~20)。訪問は1966年11月23日のことで、訪問者の吉村氏は21日にまだ気動車の「はつかり」で仙台を訪れ、23日に急行「まつしま」で東京に帰っています。
 この時期の仙石線の訪問記事は、1966年10月1日時点の仙石線管理配属の車輌一覧が発表されており、その時はまだ73形の転入はありませんでした。その後、2両いたサハ17形の運用離脱の報告があり、1967年4月1日時点では17m車の交替が完了し、車籍が残っていたのはクモハ12002だけになっていました。11月23日の報告は、73形の転入が始まり、ある程度の車が営業運転に入っている頃になります。
 吉村氏は9:12発の石巻行快速に乗っているのですが、編成は

クモハ11101 - クハニ19051 - クモハ11460 - クモハ11108

の4両編成で、クモハ11108は陸前原ノ町で切り離した、とのことです。仙石線17m車の末期は、3両編成と2両編成を連結した5両編成が標準になっていたのですが、この編成は、2両編成の方が1両だけになっていたことになります。当時、73系が茶色のまま、あるいは仙石線色に塗り替えられて4両編成で営業運転を始めていることが確認されており、検査切れが早くて車両が不足していた、または、20m車置き換えを見込んで、先行して17m車も編成両数を4両に変更していた、という可能性が考えられます。また、クモハ54、クハ68形を「原ノ町の車庫にも見当たらない」と、まだいないことを報告しています。なお、「鉄道史料」25号の仙石線の記事によると、クモハ54、クハ68形の最初の転入は12月9日のクモハ54101、クハ68102が最初で、12月11日にクモハ43109、クハ68106が転入しており、11月23日には「まだ転入していない」ことが確認できました。なお、他のクモハ54、クハ68形の転入は年度末にも間に合わず、1967年4月に入ってからです。
 17m車は、クモハ11245とクハニ19002が運用を外れて野蒜駅に疎開している写真が掲載されています。

1984年の古レール転用の記事
 古レールの記事の続きなのですが、先に報告の記事から20年後の1984年にRP, RJ, RF誌のどこかに「新幹線の中古レールの転用」の記事がありました。中古レールをローカル線の重軌条化に転用するもので、新幹線のロングレールを、溶接部分をかわして20mに切断し、ローカル線のレールを交換する、という内容でした。転用先は、和歌山線、桜井線といった関西地区のローカル線だったように記憶しています。
 

DT13台車のブレーキワーク

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月 4日(月)00時42分7秒
返信・引用
  写真上は、台車の横にある解説板にある「ブレーキの説明」ですが、車体中央にあるブレーキシリンダーからブレーキを引っ張るところが、電動車の場合はモーターをかわすためにブレーキワークが台車枠の上に回っています。さらに、DT13台車の場合、軸ばねが上に出っ張っている(通称「たこ坊主」)ため、この部分をかわすために金具も特別のものが使われています(写真中央)。これに対して、付随台車は、モーターが無いのでブレーキワークはシンプルで、ブレーキワークが台車の中に納まっています。写真下は最近閉業した野辺山SLランドのTR34台車(元は野辺山SLホテルに使われていたオロ80形(元オハ35形)由来と思いわれるもの)のブレーキワーク部分です。  

DT12台車とDT13台車の軸箱回り

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月 4日(月)00時33分8秒
返信・引用
  写真上は、軸箱回りの拡大写真です。DT13台車は、コロ軸受に合わせて、DT12台車を改設計したものですが、見かけ上どう変化したのか、何度か話題になったことがあります。比較のため、青梅鉄道公園のクモハ40054のDT12台車の軸箱回りの写真を紹介します(写真下)DT13では上梁の軸ばねのところに軸箱の「逃げ」があるのが特徴ですが、この「逃げ」の形態が流電用のDT12Aとは異なっていることが以前に紹介されています。また、以前にも紹介がありましたが、DT13のコロ軸受は従来の平軸受けよりも大ぶりでDT12と比べると意外と違いが多いです。関連して、オユ36形や70系戦災復旧客車での使用がある「TR23B」台車の写真を見たことがあるのですが、軸ばね部分に逃げがあるDT13(客車用台車としてはTR34)と同じ構造なのですが、軸箱支持部分にスペーサーを挟み込ん平軸受を組み込んでおり、平軸受よりもコロ軸受の方が大きいことを示しています。  

私鉄向け63形のモーターについて

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月 4日(月)00時15分42秒
返信・引用 編集済
  私鉄向け63形が装備したモーターは、時期的にはMT30と考えられていますが、「MT40」と記載されている資料も多いことがこの場でも何度か話題になっています。この問題について、せんげん台の台車に手掛かりとなりそうな情報が見つかりました。

 写真上は、ブレーキシリンダーにつながる側の反対側のモーターですが、上に2枚のプレートが貼られています。写真中央は右側のプレート、下は左側のプレートですが、右のプレートを見ると、モーターの「形式」のところが、「MT30-C」の「3」の上に「4」が上書き刻印されています。一方、下のプレートはモーターの形式が「MT40-C」と刻印されています。記載年月(モーターに改造を加えた年月)は右は昭和46年11月、左は昭和48年7月で、右のプレートが先行しています。この情報を解釈すると、モーターは「MT30-C」だが、東武鉄道では電気機関車にMT40を使用しており、MT40と同等の製品ということで、単純に「MT40」と読み替えたのではないかと考えられます。
 なお、左のプレートでモーター性能に混乱があり、端子電圧が「750V」なのに出力が「128KW(本来は端子電圧675Vでの出力)」と刻印されています
 

せんげん台のDT13台車

 投稿者:原口 悟  投稿日:2019年11月 3日(日)23時59分8秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

せんげん台のDT13台車の観察
 10月26日(土)に、鉄道の実験線がある東京大学柏キャンパスの一般公開イベントを見に行ったのですが、この帰りに春日部から横に入って、スカイツリーラインせんげん台駅近くの「越谷市立児童館コスモス」にある「DT13台車」を観察してきました。この台車は元は東武鉄道7300形のものです(写真上)。

宇部石炭博物館の古レール坑木について
すぎたまさん
 宇部石炭博物館の訪問は台風17号襲来が迫っていたこともあって、かなりの強行軍だったこともあり、古レールの刻印までは意識が回りませんでした。レールは「太い」とは感じず、先の北海道の三笠鉄道記念館と手宮の小樽市総合博物館で展示されていた刻印のあるレールと同程度か細めで、往年の標準のレールである「30kgレール」かもしれません。
 炭鉱関係の博物館は、昨年の北海道で三笠市立博物館(2018年9月8日訪問)と、北海道博物館(9月11日訪問)に行ってるのですが、その中から、坑道を表現した展示として、三笠市立博物館からマインロコ(写真中央)、北海道博物館から採掘現場(写真下)をピックアップしました。どちらも「坑木」は丸太で、チサ100形等の長物車で運び込まれた「2間材」が表現されています。下の写真の左側に写真展示があり、「採掘現場と地上を往復する人車」が紹介されていますが、この人車が走る坑道はコンクリート巻のようです。コンクリート巻の坑道は宇部炭鉱博物館でも再現されていました。
 

Re: 宇部炭鉱の坑道:宇部石炭博物館

 投稿者:すぎたま  投稿日:2019年11月 3日(日)15時51分33秒
返信・引用
  > No.2816[元記事へ]

原口 悟さんへのお返事です。

> 写真上は古レールを用いた排気坑道です。「古レールで構築した坑道」については、RP誌の1964年の号の「鉄道の話題」だったか、「古レールの払い下げ先」のニュースがあったのを見て注目していました。ニュースでは古レールの払い下げとして、「炭鉱の坑木」としての炭鉱が主なユーザーだったのが、炭鉱の相次ぐ閉山によって坑木としての需要が減少したため、新たな販路を開拓する必要に迫られている、というものでした。

原口さんこんにちは。
古レールに刻印はありましたか?。どんな古レールを用いているのか、興味がありますね。太さは細いのかなど。
トンネルにも古レールセントルを施しているケースがありますが、さすがに現用トンネルの場合は、調査が出来ませんね。
最近古レールの調査してないなー、と(笑)。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

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