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Re: 賀正

 投稿者:Tam  投稿日:2018年 1月 8日(月)19時32分55秒
返信・引用
  > No.380[元記事へ]

ワカクワさんへのお返事です。
お久しぶりです。
私はフェイスブックへの書き込みが主になって、こちらはの更新は殆どやってませんでした。最近は弓具工作に熱中しています。
 
 

賀正

 投稿者:ワカクワ  投稿日:2018年 1月 3日(水)00時31分45秒
返信・引用
  最後の書き込みよりほぼ1年が経ってしまいしました。この1年、弓ネタが無く、と云うかほとんど道場に行くこともなく2017年が終わってしまった・・・。

2018年は矢数の大幅アップを抱負としていますが、いかんせん半年以上引いていません。弓懸も陰干しのまま。まずは基本の基の字、素引から再開したい今日この頃です。
 

正馨一代記

 投稿者:Tam  投稿日:2017年12月28日(木)21時44分1秒
返信・引用
  川鍋家では次郎左衛門正馨(1742~1799年)を、中興の祖として敬っておられます。正馨様は3歳の時に父と母をあいついで亡くし、祖母に養育されます。ちなみに祖母は酒井彦右衛門の妹で河野久左衛門の姉、酒井求馬政方の伯母です。寛延2年には藩主忠刻公が参勤の途上で逝去され、藩は野州宇都宮へ所替えとなる。
鍋太郎(幼名)は祖母とともに河野久左衛門に付属し、島原を発す。野州到着後には祖母が中風症にて死去。この時わずかに9歳、そのため河野久左衛門通禮方で養育される。宝暦元年には、河野通禮が痢疾病にて死去。そのため叔父種村新五兵衛勝喜に養育さる。
その後は御納戸詰、西の丸大手御勤番・・・17歳では御馬上射術を仰せつけられ褒美を頂戴。18歳で河野六郎通亮師を頼り大和流射道に入る。
その後、大和流の師家(中島、長谷川)が相次いで死去、森川家も絶家し、頼みとしていた河野六郎までが亡くなってしまいます。
 

津田信貞(水戸系)

 投稿者:Tam  投稿日:2017年 3月26日(日)10時08分31秒
返信・引用
  津田信貞(水戸系大和流の祖)
「弓道範士中野慶吉」の中に下記の記事を見つけたので、メモしておきます。
 神永一郎家文書『大和流弓道相伝統系』には、「父ヲ及菴信親ト言  尾張ノ人ニシテ織田家ノ一族ナリ信貞香山ヲ師トシテ当流ノ射道ヲ学ビ印可相承ヲ得 延宝八年信一 (森川香山の長子)ヨリ秘隠唯授一人ノ伝ヲ伝へ五射六品悉ク伝授ス 貞享四年丁卯六月 射道ニ長ゼルヲ以テ義公ニ奉仕シ且神道ニモ長ゼルヲ以テ史館ニ勤メ神道集成ヲ校正ス」と記載されている。
津田家は、『寛政重修諸家譜』などから、織田の一門で滋賀県近江八幡市津田が水戸の津田家の出であることがわかる。津田信貞の父は休菴(及菴)信親で、祖父は信吉である。津田信吉は、織田信長の八男である。京都大徳寺総見院に「小白華院殿(津田信吉)」の画像が保存されている。この画像は、毎年十月十日に行なゎれる大徳寺の曝凉(史料の虫干し)に見ることができる。 曝凉品目解説には、「小白華院像織田信吉公(信長の第八男、末子)筆者不詳」と記してある。また、画像には、「元和元丁卯年四月十八日四十三歳蓋棺 法名小自華院雲殿道ト大禅定門織田武蔵守 従五位下平信吉」と添書きがある。水戸の津田家にも、この画像と同様のものがある。
 

Re: 2017

 投稿者:Tam  投稿日:2017年 1月18日(水)22時53分24秒
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  > No.375[元記事へ]

ワカクワさん
お久しぶりです。私の市で全国勤労者大会、国体、ねんりんピックが開催されたために、ここ数年は現代弓道の世界にもどっていました。たまには鎧も着なくてはと、思い始めています。
勘十郎家が正月に放送されてましたね。
 

2017

 投稿者:ワカクワ  投稿日:2017年 1月 4日(水)18時43分33秒
返信・引用
  迎春

ここ数年はあまり弓に力が入らず、いろいろとさまよっております。折角の竹弓もほとんど稼働しておりません。今年はグラス弓を置いて、竹弓中心に戻したい今日この頃です。
 

「肥後射術日置流道雪派」宇野東風

 投稿者:Tam  投稿日:2016年12月24日(土)20時47分51秒
返信・引用 編集済
  弓道講座(旧版)第2巻に掲載されてる記事です。「時世により、あるいは諸流と混ざって正統の射法がが消えることを憂いて公表したと」書かれています。私に役立つ部分をメモることにします。

〇 足踏
〇 胴造
先ず膝詰めと腰詰をし、上体をその中央に据え、下腹に力をいれて、頭上より引き揚げるように垂直に立ち、すなわち竪一の形に立つ。
〇 弓構
押手で、本弭は膝頭に置いたまま、弓を我前方中央に寄せ、腰に置いていた勝手は、肱より引き上げ襟捌きをする。弓弦が襟に障らない要心だけでなく、肱を上げれば自然に肩根も上がり、打起こす時の肩のくつろぎにもなる。(乙矢の抜き方は省略)
左右両肱を張り、力まないように大木を抱くが如く少し丸くして、正面にて勝手を弦に取掛ける。
手の内とは弓の握り方で、押手で弓を少し左斜め方へ押除け、弓を持った押手の指を皆開いて、弓の内竹左角に虎口を当て(虎口の皮目は内に巻き込む様に)上押しにして、小指、無名指、高指と、下から段々に巻き上げて、高指で弓を握り、その高指の爪を大指で抑えるように握る。無名指と小指の先は、高指より出さず添え置いて固く握り締めない。人差指は弾いて、指先は曲げても伸べてもよい。・・・・
〇 打起
・・・押手の肩は下げて、少し前へ持ち出す心持で、勝手の肩は前に前に押出さず、少し上げるようにして、天衝く地着くの勢いを込め、両手で打上げる。勝手のひじと拳は水平、拳の高さは眉と髪の生際との中間の高さに止め、矢先が少し下がるようにし、ここで第二の澄しと目の息込(まばたき)をなす・・・・・
〇 引込
押手は肩をはめ上筋を押張り、大指の付根で弓を押して、肱を前方に捻る。これと同時に勝手は拳に少し捻りかけて引き、拳が耳を越すまでは高く虹形に、顔より遠くならないよう(面近くを)淀みなく、肱に力を入れて引下げ、拳が肩に納る時に矢を口割の高さに頬に付け、弦は胸に付ける。・・・・肱詰をなす。
〇 離
押手には弛みがなく、勝手は肘を詰めて、左右押引の間に、狙いは的の前から星に付け定まり、気合の満熟した時、五つの力(押手の力、勝手の力、目の力、下腹の力、心の力)の統合した時、胸にて押開き自然に放れるようにして、第三の澄をする・・・・
我が流派には「会」という項目はない。引込んで阿吽の息込みをし肱詰する時、自然に保になるのであり、その保は息込が満ちわたり、狙定まって発矢の機が熟す。
〇 残心
離れて弓が廻り、3寸位斜下に握納めるのが押手の残心の力。勝手は肘の引いた力で自然に開く、これは勝手の残心の力。矢の的中を見届けるのは目の残心の力。離れて全身微動だにしないのは下腹の残心の力。矢の命中を見届け、精気透徹して弓倒をなし、気が納まるのは心の残心の力である。
 

Re: 白バーガー!!!(角煮饅頭)

 投稿者:Tam  投稿日:2016年10月 1日(土)23時25分47秒
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  > No.371[元記事へ]

こちらでは、大皿に盛られた豚の角煮を饅頭の皮で包んで食べるのですが、バーガーと云われるとまさにその通りですね。どちらもほっかほかで出てくるので、とても美味しく私も大好きです。「白バーガー」と名付ければアメリカでも売れそうですね。
 

白バーガー!!!

 投稿者:ワカクワ  投稿日:2016年 9月26日(月)02時19分53秒
返信・引用
  暦上は夏は終わって秋のはずですが、まるで梅雨のように雨が降り続いています。こちらはおよそ10日ぶりで太陽をみました。と言っても時折雲の隙間から見える程度。最後にまる1日晴れたのがいつだったか全然思い出せません。

たまに行く百貨店で九州展をやっていました(沖縄も含む)。お目当ては鹿児島の五郎家というラーメン屋さんだったんですが、他にもいろいろ出店したので思わず脇見。鹿児島の軽羹、沖縄のタコライスの素、ソーキスープの素なんかも購入。そして会場でちょうど蒸しあがったばかりの長崎の岩崎本舗の白バーガーを試食、これがおいしい~~~。思わず3つ即買い(現物は要冷凍)。1つが約600円でかのチェーン店だったらセットメニューが買える価格ですがここはやはり質が優先。現在家の冷凍室で食べられるのを待っております。他長崎からはカステラを販売するお店が3つくらい出ておりました。やはりちょっとお高い・・・。またの機会でしょうか。
 

Re: 地震

 投稿者:Tam  投稿日:2016年 4月20日(水)20時59分2秒
返信・引用
  > No.369[元記事へ]

ワカクワさんへのお返事です。

お見舞い有難うございます。
大きな揺れで不安を感じていましたが、家具等の倒壊はなく無事に過ごしています。熊本の方は家は壊れていなくても、室内は足の踏み場がない状況だそうです。
 

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