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どなたか教えてください。

 投稿者:千ツヌ  投稿日:2016年11月13日(日)00時10分28秒
返信・引用
  こんばんわ、“クモハ73063”旧国プレスドア助手席側は前方より 一枚ガラス凹みナシ・アリ・ナシ・二枚ガラス凹みアリなのは“我が心の飯田線”ガイドブック等より判るのですが、運転席側がどうしてもわかりません。たぶん高槻に居た頃にドアの入れ替えがあり津田沼で廃車になる迄変わらないと思います。模型化に際し自分なり調べましたが、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。画像は、鹿島線に運用時の063です。  
 

私鉄高性能車の発達

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年11月12日(土)17時10分37秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは

私鉄高性能車の開発状況について
すぎたまさん
 小田急2200形に関連する私鉄高性能車開発過程についての情報をありがとうございます。改めてRP03-1号を見たところ、技術開発と車両新製との関連がある程度把握できました。開発の遅延については最近では九州新幹線長崎ルート、北陸新幹線大阪ルートで導入が検討されているフリーゲージトレインで問題が表面化していて、両新幹線の開業時期にも影響を与える可能性が出てきた、という話があり、別分野でも例があるので気にしていたものです。
 私鉄高性能車開発の間の1つの挿話として、「私鉄経協標準電車」の検討がありますが、これに積極的だったのが後に常総筑波鉄道取締役鉄道部長となった桜井明雄氏で、その後、「私鉄経協標準電車」の考えを導入したのがキハ800型とのことです。桜井氏の名前は「私鉄車両めぐり」の常総筑波鉄道、関東鉄道の項目や、RP96-4増刊号「関東地方のローカル鉄道」でも名前が出ている方で、非電化私鉄のはずの常総筑波鉄道に「私鉄経協標準電車」の考えを導入したこと等、個人的な人脈の広さが常総筑波鉄道への新車の導入にも影響があったのかもしれません。
 RP03-1号P38の「私鉄経協標準電車」の図面と比較すると、キハ800型は2扉クロスシートの「E-2LF」形式そのものといえます。他、類似しているものを考えてみると、ロマンスカー式の「E-2LR」形式は「窓が等間隔に並んでいる」というてんでは京阪(旧)3000形に似ており、名鉄の3700型HL更新車は2扉ロングシートの「L-2L」形式をモディファイしたものともいえます。3扉ロングシートの「L-3L」形式は「京成デハ750形」に似ているのではないか、と本文中で触れられています。

 これは余談なのですが、関東鉄道キハ800型に「私鉄経協標準電車」の考えが導入されている、ということから、模型の方でキハ800型の車体を持った「単行電車」が作れないだろうか、と考えたことがあります。最近では鉄道コレクションでキハ800型、同形の小坂鉄道キハ2100型が出ているので、この車体を使ってパンタグラフを付け、台車と床下機器を電車のものに交換する、という構想で、昭和30年代中頃の状況でどんな機器が装備されるか、考えました。1つは「鋼体化」として大正末から昭和初期の機器を装備、1つは高性能車として、当時の1Mの新型電車の機器を装備したもの、として考えています。単行の電車は実際には17m級の「日車標準型電車」が出ていますが、いわば日車型標準電車の20m版のようなものになります。
 

小田急の性質とクハ1650形

 投稿者:すぎたま  投稿日:2016年11月11日(金)03時01分18秒
返信・引用
  原口さんこんばんは。

小田急2200形の新製は、その前に行われてきた一連の試験による成果です。すなわち、相武台実験として知られる東芝1048号(元鉄道省モハ41071)とTT-1A台車による分離駆動の実験、その後に続いて行われたJREAによるカルダン駆動(FS-201、KS-105)、クイル駆動(KH-1)、コイルバネ・オイルダンパ装備台車(DT-17)による高速走行試験の結果、2200形は満を持して登場したと言えます。これは歴史が語っていると言っていいかと思います。
 そのため、さすがに「開発が遅延した場合」に備えて保険を掛けた、というのは想定の飛躍が過ぎるかと存じます。もうこの時代には、京阪1800系、東武鉄道5720系(その後不調で吊り掛けに改造されたりしましたが)、モハ5800形、営団地下鉄300形といったカルダン駆動車が登場していたので、2200形について、開発に失敗する(または遅延する)ということは、考えすらしてないと思われます。既にSE車の開発に着手する時期でもありますし、当時の小田急首脳陣は、国鉄との太いパイプもありましたから、SE車とその後の国鉄電車特急への展開、モハ90形の登場についても、逐一情報は入っていたと思えます。だいたいデハ2200形に、試作車は存在せず、量産試作車すら存在しません。

 さて、クハ1650形の増備についてですが、小田急は、増備車の目に見える部分の変更を嫌う傾向にありましたから(1700系ロマンスカーを格下げする時に増備したサハは、わざわざ第3編成に組み込むサハ1756だけ張り上げ屋根にしたほど)、ペアを組むデハ1600形と極力同じ構造で製作することにしたのです。ただ、クハ1654と1655は、台車を流用するため、木製省電の鋼体化名義になっていて(実際には新製車体。台車のみ流用)、そのために日本車輌に発注したのかもしれません。その後のクハ1656~は、完全に新製車の扱いになっています(でも台車は同じTR11で流用品です)。
 現在の電車と異なり、垂木を標準部品としてストックしておくというのは、ちょっと考えにくい話かと思います。当時は木工職場が今とは比較にならないほど充実していたはずで、垂木程度の部品であれば、木工職場の大工さんが、すぐに仕上げたでしょう。
 今のところ、クハ1650形の増備車が、発注先を急に変更したというような話は無いので、3輌製作予定が2輌になり、1輌分の資材が余ったというようなことは、少なくともクハ1650形については聞いたこと・読んだこともありません。
 そもそも、クハ1650形は、デハ1600形10輌の相手車にして、4輌編成を容易に組めるようにするために、増備したものであって、同じような増備は、クハ1950形(のちにサハに改造)や、サハ1750形でも行われており、全て年次にかかわらずシル・ヘッダー付きの旧形車体で作られています。

 ただ、ちょっと私もひっかかるのは、なぜクハ1654と1655だけ、鋼体化名義なのか、という点でしょうか。さらにそこでメーカーの区切りがあり、その後の1656-1660も同じ形態、台車も同じTR11で落成しているのに、新製名義になっているのには、何か事情がありそうで、もしかすると、さらに鋼体化名義かつ日本車輌で製作する予定があったのかもしれませんね。

クハ1654~の車体寸法は、最大長さ16920×最大幅2740×最大高さ3770ミリです。キクハ11と比してどうでしょうか。
 なんだか、クハ1654~のほうが、キクハ11に似ている気がするのです。上のほうで否定的な見方をしましたが、日車で作る予定だったクハ1650形が、3輌あったとしたら…。

 デハ1600形は、クハより全長がやや小ぶりなのが特徴で、16640ミリしかありません。キクハ11は、デザインとしてはむしろデハ1600に似ていますが、車体寸法はデハ1600より大きく、結局それも合致しませんし、そもそもデハ1600に戦災廃車などは発生していません。
 私は、あの「小田急」の文字は、マジックインキで書かれており、案外後年になって書かれたのではないかとも考えました(何の意味があるのか、それではわかりませんけど(笑))が、いずれにしても、原口さんがおっしゃるように、クハ1654~とのほうが、関係が深いのかもしれません。
 現車が失われている今としては、なかなか真相がつかめませんが…。まあ、上田交通モハ5370形のタネ車番号もそうですけどね。

失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

筑波鉄道キクハ11と小田急との関係

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年11月11日(金)00時50分34秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

筑波鉄道キクハ11の垂木の「小田急」文字書き込みと当時の小田急車両の新製動向との関係
すぎたまさん
 HP「吊り掛け電車をもとめて」の筑波鉄道キクハ11の記事とも関係するのですが、小田急の方の車両新製の動向との関連を考えてみました。
 RP03-1号は特集「私鉄高性能車の半世紀」で、「初期高性能車」や「日車型ロマンスカー」が取り上げられていますが、この中に、初期高性能車の開発に小田急が積極的だったとの記述を中川浩一先生がしています(P33~40「私鉄高性能電車 出現の意義」)。この中で取り上げられている小田急2200形は昭和29年に登場し、車体形態の上では「新・関東型」ともいえる18m級3扉車の一群が投入されています。昭和32年は高性能車の技術がある程度確立し、「経済車」が考えられ始めたころで、この流れから見ても筑波鉄道キクハ11の形態は一昔前のものです。
 一方で、小田急の「最後の在来車」は昭和27年から28年にクハ1650形1654~1660が製造されていることを確認しました。このうち、1654,55は本店、支店のどちらかは確認できなかったのですが、昭和27年日本車両製です。
 ここで、昭和28年から29年にかけての2200型を開発している頃、「開発が遅延した場合」に備えて保険を掛けたのではないか、と考えてみました。すなわち、高性能車の落成が遅れた場合に代替として在来車を投入することをメーカーに打診し、このうち日車支店ではこの要請を受ける形で若干量の在来車の部品を先行調達したのではないか、そして、2200形の投入が軌道に乗る中でこの「小田急在来車用の部品」を使用する機会が無くなり、部品の転用先として地方鉄道向けの車体を作り上げ、当時気動車の導入で付き合いのあった常総筑波鉄道に引き取ってもらったのではないか、と考えてみました。垂木の「小田急」の文字は小田急車への使用の予定があったことを示すもの、キクハ11の特に前面の顔つきが小田急1600形に似ていることは使用した部品の由来を示すもの、一方で2扉ステップ付きなのは備品を使用しながらも地方鉄道向けに車体をモディファイしたことを示すと解釈できます。このため、クハ1651~53の鋼体化よりは、1654~60の新製の方と関係が深い、という考え方になります。
 

筑波鉄道キクハ11導入時の常総筑波鉄道の車両の動向

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年11月 9日(水)23時50分20秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

筑波鉄道キクハ11について
すぎたまさん
 お手数おかけしました。
 HP「吊り掛け電車をもとめて」のほうでも触れましたが、この車の最も不思議な点は「昭和32年製」の割には古い形態なことだと思います。日車本店の方ですが、「初期高性能車」の技術を使った「日車型ロマンスカー」が地方私鉄に積極的に売り込まれていた時期(富士山麓3100型、秩父300形等)に、この流れを全く無視した車が納入されていることと、当時の気動車の流れ(キハ10系の流れを部分的に導入したバス窓の採用や、湘南型前面の車)をも無視していることが当時も不思議がれていたようで、かなり古い文献でも異端さに触れられています。これに加えて、今回紹介された「木製の垂木」が「昭和30年代に入ってからの新製車」とはとても思えない「古さ」を醸し出していることが新たな驚きでした。また、当時の常総筑波鉄道への車両の導入の流れと比較すると、キクハ11と同じメーカーである日車支店からキハ700,500,800,900型が導入されている流れの中で、キハ48001,002(後のキハ701,702)が同じ昭和32年に入っており、昭和34年には「日車型気動車」の方向を決定づけたともいえるキハ500型が入っています。当時の気動車の流れが国鉄型の色彩が強くなっていく中で「日車型」という独自の流れを作っていくことになるのですが、この中でキクハ11は形態的にも技術的にも異端な車になっています。
 

オハ70調べ

 投稿者:73おやぢ  投稿日:2016年11月 9日(水)20時42分9秒
返信・引用
  みなさん、こんばんは。

すぎたまさん
またまた、超貴重なお宝画像ですね。
私なりのアプローチ結果を報告します。前提条件は、

①70系の形態は門外漢なので、すぎたまさんお見立ての富士産業宇都宮をメーカーとして特定します。
②数字を読み取ろうとすると選択肢を狭めてしまう結果が往々にしてあるので、私の場合は明らかな除外条件のみを探します。そうすると末尾の数字の要素に天地方向の直線が認められるので、1位は1と4以外の数字は除外しました。

とすると、①②の条件を満たす候補はオハ7091とオハ7094が考えられます。あれ? どこかで見たような気がしたので鉄道史料38号を開いたら、小牛田で撮影されたオハ7094が掲載されており、よく似ているので、びっくりしました。ただし詳細に見ると7094は台枠の端部が30系や31系のように垂れており、愛称名板挿しも位置が異なり、お宝画像とは別物でした。とはいえ、よく似ているので、お宝画像が富士産業宇都宮製である可能性はさらに裏付けられたようです。電車台枠のバッテリー取り付けは新規のブラケットになるので、台車の近くにするのは富士産業の流儀なのでしょうか。

配属はオハ7091が東京局、7094が仙台局であり、千葉管理部は東京鉄道局の管轄下であること、7094が小牛田で撮影されたこと、どちらも矛盾はありません。

決定とは申しませんが、オハ7091が候補の一つとすると、前歴が気になります。鉄道史料41号およびロマンスカーの戦災省電の処理に関する記事によれば、品川所属のクハ65118が池袋で被災し、20年6月に津田沼へ収容、原車には65150の車号がペンキ書きされていたそうで、処理は西武クハ1320またはオハ7091となっています。処理候補が2つあること、65150が被災していない車号であることなど、だいぶ混乱しているようです。

ベンチレーターが足付き?の件、すぎたまさんの指摘で気がつきました。客車は専門ではないのですが、後年、特に交流電化の進展により客車のベンチレーターの絶縁強化が重要になったとの記述を、どこかで見た記憶があります。スニ時代の形態と異なっていても、全国的に走り回る荷物車であれば、屋根上に手が入っている可能性はないでしょうか。
 

オハ70とキクハ11

 投稿者:すぎたま  投稿日:2016年11月 6日(日)19時05分5秒
返信・引用
  原口さん、みなさんこんばんは。

オハ70については、私も末尾番号が「4」に見えるような気がしたので、オハ70 94などを想定してみましたが、車体両端スソ形状が異なるほか、電池箱位置とそのすぐ隣に空気配管が来る独特の床下機器配置から、94は除外されました。
そのほかとしては、88が房総地区で使われている写真が残されていることと、ベンチレータの足が高いことから、候補としては一番近そうなんですが、なんと私が下に載せた画像の、手前側愛称板受けの位置が一致しません。そうすると、消去法で91ということになりますが、同車は、スニに改造後のベンチレータ位置と形状から、決め手に欠くという印象です。
他のメーカーも当然考えましたが、オハ70時代に逆台形の水切りを採用しているのは、富士産業宇都宮のみなので、ちょっと除外かなぁという印象ですね。

常総筑波鉄道キクハ11について。
向こうにも書き込んで参りましたが、私は小田急クハ1650形の改造という線は薄いと思います。
 というのは、1年ですが年次がずれることと、もともと小田急クハ1650の1651-1653は明治35年頃作られた木製雑形客車の鋼体化ですから、当然リベット台枠のはずですが、
ttps://okiraku-rm.blogspot.jp/2015/09/blog-post_28.html
こちらのブログさんの画像を拝見する範囲では、溶接台枠に見え、横梁の側針方向への継ぎ足しも見られないようなので、違うのではないかと考えた次第です。
 戦後間もなくのクハ1652号画像を貼ります。確かに寸法がほとんど一致することや、クハ1輌分の車体の行方がわからない点など、もしや…と考えるのもわかるのですが、画像を見ますと、台車枕梁付近に、リベットごつごつであて板補強と思われるものがあること、窓幅やドア窓の形態は一致するものの、台枠厚さがキクハ11は足りない感じなのが、「どうかな~」という感じでしょうか。

 それにしても、この画像は、例の電車形車体オハ71の車内画像とともに入手したものですが、戦後間もなくなのか、下段窓が1カ所以外全て板張り、手前の乗務員室は既に使われていないのか、2段窓になっている、上段窓にも細かい桟が入れられている、電装準備か、パンタのランボードがあるなど、特徴的な外観が見て取れます。撮影日はわかりませんが、場所は藤沢駅のようです。右側に無蓋車が見えますが、貨車側線があったにも関わらず、省線との連絡線路は無かったらしい(記録によれば)のが、驚きでしょうか。

とりあえず失礼いたします。

http://princesscomet.net/

 

オハ70型と筑波鉄道キクハ11について

 投稿者:原口 悟  投稿日:2016年11月 5日(土)18時58分28秒
返信・引用
  皆さんこんばんは

写真のオハ70形について
すぎたまさん
 オハ70形の写真をありがとうございます。車号ですが、何となく100番以降のように見えました。また、末尾の数字は「4」のように見え、となると「104」か「114」となるのですが、104は種車はサハ75018となっているのですが、工事は関東工業(以前、常総筑波鉄道オハフ800形の時に話題に出た会社)、114は元オハ31系です。90番台付近で元モハ50系となると、88(サハ75012)、91(クハ65)、92(クハ65178)くらいで、意外と候補車は少ないです。これに対して100番台以降は元モハ50系が多いのですが、メーカーが関東工業と日本鋼管がメインになります。

筑波鉄道キクハ11について
 先日、HP「吊り掛け電車をもとめて」で筑波鉄道キクハ11の写真が紹介され、この車両について話題になったのですが、ここで、筑波鉄道廃止直後の訪問で目撃されたキクハ11のものと考えられる「裏返された木造の屋根」の垂木に「小田急」の文字が書き込まれていることが報告されました。キクハ11の落成は昭和32年で、落成時期の割には古い形態なのが昔から不思議に思われている車だったのですが、同時期の小田急クハ1651~53の車体振替と関係があるのではないか、との説が提示されています。3両の旧車体のうち、2両が上田丸子電鉄へ行ったことは以前のこの場でも紹介されましたが、残り1両の車体がキクハ11の元になったのではないか、とするものです。「小田急」の文字が書き込まれた垂木の写真は「吊り掛け電車をもとめて」内11/1の記事にリンクが貼られています。
ちなみに、同リンクにはつくば市内保存時代のキハ04 8の写真も紹介されています。
 

発見されたオハ70形電車改造車画像

 投稿者:すぎたま  投稿日:2016年11月 4日(金)03時56分22秒
返信・引用
  みなさんこんばんは。

小さな写真なのですが、千葉で撮影された(昭和25年頃?)オハ70形の、省電復旧改造車の画像が発見されましたので、お目にかけます。
車体の破損程度がひどかったのか、残念ながら電車形態のままでの復旧ではありませんが、隅柱が丸く、台枠形状から、おそらく50系電車の復旧ではないかと思われます。

そうすると注目点は、車番ということになりますが、残念ながら車番部分は不鮮明です。しかし、車体の特徴として、水切り形状が「富士産業宇都宮」製作タイプであること、シルヘッダーの高さ(客車図面による高さに改められているオハ70は、意外と少ない)、妻そのものにジャンパ連結器が付いていること、床下電池箱がやたらトイレ側の台車に寄っていること、その手前のブレーキ配管の位置関係などから、おそらくオハ70の90番台あたりと思われます。

前後に連結されている車輌は、手前はホハ12000系、奥はデッキ上に水切りがあり、雨樋が無いので、オハ60形と思われます。

何かの参考になりますでしょうか。失礼します。

http://princesscomet.net/

 

阪和線225系5100番台

 投稿者:林 俊宏  投稿日:2016年11月 2日(水)03時00分6秒
返信・引用 編集済
  みなさん こんばんは。

去る10月2日から阪和線運用の変更があり、103・205系6連・4連ともに225系5100番台運用が増加しております。JR西日本からの公式発表では122両新製されますが、11月1日現在では6連×7本、4連×10本の合計82両がすでに落成されており、後40両の落成で計画両数に達します。

2017年度までに置き換えという曖昧な表現ですが、今までの製造ペースですと年度末までには羽衣線以外は置き換わってしまうのでは?というハイペースでの製造が進められております。また、環状線も323系が2本落成されており、こちらもロングシートながら3ドア車での新製で、こららのプロジェクトが完了した暁には
奈良区の103系も含めまして、4ドア車は大幅に減少すると思われます。和歌山地区の105系4ドア車の動向も気になるところです。

写真は和歌山地域色の105系4ドア車を貼ります。
 

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